2021-07-19

古市憲寿の「結婚お祝い」も90年代しぐさだよ

古市憲寿小山田擁護のつもりで「裁判するにも頭と金必要からね」と火に油を注ぎ、それへのフォローのつもりで「あれは結婚祝い」とか変なこと書いてまた炎上しているけど

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/poe1985/status/1416750358521475073

あれに筋道通ってないとかいうのはナンセンスじゃないの?

あれってわざとナンセンスな事言って「相手にしてない」って態度示してるだけだと思うよ。

2chで正面切って異論を唱えるIDが来た時に、住民が延々と「好きな寿司ネタ」とかの話をし続ける事があるが、あれよ。

 

80年代地続きの90年代前半を吹っ飛ばしたのはオウム事件なんだが、この時思想的に責任がある中沢新一は「あれはネタだし」って事を言って呆れられ更に叩かれる事になった。

数年前に衝撃的自死を遂げた西部邁東大教授だったのだが、80年代末に「あれは学問ではない」と中沢研究を認めない東大教授会に対抗して中沢擁護論陣を張り、結局退官してしまった。

そんな西部が体張って人生掛けた自分研究、カッコつき「学問」はネタだと言ってしまった。んでついでに自分も身に覚えがある浅田彰は「自分構造の中で逃げろと言ってた訳でw」とか言っちゃった。

ネタから、本気じゃないから本当の自分は傷つかないのって事を公の場所で言った訳で、自意識のコップの中であーだこーだ言ってたのがバレちゃったのよ。

 

めいろまなんかも言ってる事だが、そういう文化的土壌というかサンドボックスを吹き飛ばししまった、或いはサンドボックスの外郭を外からサーチライトで照らし、それがガキの遊びだったって事を知らしめたのがオウム事件で、その後はオウム以前の言説、思想商売なんか全く出来なくなって環境が一変してしまった。

今回の小山田問題はそのオウム前のサンドボックスでやってた事がオウム以後である現在しか五輪プロデュースという究極の「オウム後」で参照されてる事にある訳だ。

言うまでもないが被害者にとってはそのサンドボックス機能していなかった。小山田サブカル糞連中だけが中で遊んでただけだ。

 

1985年まれ古市オウム事件では10であるのに、何故かこの思想サンドボックスを巡らすとリアルから保護されるという認識を持っている。不思議だ。

知のサンドボックス学問とか大学には必要ものだが、それを現実に影響するところでやると「構造の中で逃げろと言ってた訳でw」って言う羽目になる。

そして今おっさんになって渋谷系リスナーなんて居なくなり、更に五輪楽曲担当に選ばれてしまった小山田立場というのは「内向きのノリ」で擁護できるはずがない。

その辺はオウムの時に10歳だったので判らないのだろうが、浅田彰に聞いてみるとか島田裕巳オウム事件大学解雇)に聞いてみるとかあるだろうと思う。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん