はてなキーワード: 日本マクドナルドとは
日本マクドナルドのCMって日本でも何故かアンチフェミが「フェミに叩かれるんだろうな~」と盛り上がっていたし(観測した範囲では叩いているフェミなんて殆どいなかったのに)
海外でも「ポリコレ要素がない」ことに驚くアメリカ人続出とか言われていて何故か反ポリコレの人々の間で盛り上がっているらしい
ある種の人々を刺激する何かがあるのか…?
個人的にはこれ、右の母親と思われる人物の胸が平らで性的要素を誇張してないし
左の父親と思われる人物が子供と思われる人物を抱きかかえて世話をしているって事で
女性の性的誇張や夫婦の役割分担を排除して描いているという点で
十分「ポリコレ」に見ようと思えば十分そう見えると思うんだが。
「異人種間カップルや混血の子供たちはがいなければトランスジェンダーもいない」と決めつけているポストも掲載されてるけれど
なんでそう決めつけるんだろう…絵を見るにアジア人男性と白人女性のカップルにも見えない?
何つーか、もし自分が制作者だったら自分達がポリコレにも配慮して作った作品を一方的に「ポリコレじゃない」と決めつけられて、ポリコレ叩きの道具にされたらショックだわ
これはね、僕もずっと疑問に思ってたんですよ。
ハンバーガーはあるのに、ホットドッグはない。どうしてだろうと。
そこでね、僕は色々調べてみたんですよ。
そしたらね、なんと驚くことに、ホットドッグは一度だけメニューにあったんですよ。
一度だけ。しかもね、それは2009年の夏限定のキャンペーン商品だったんですよ。夏限定。キャンペーン商品。
つまりね、日本マクドナルドはホットドッグをレギュラー化する気が全くないということなんですよ。
全くない。どうしてかというとね、僕は思うんですけどね、日本人はホットドッグに対して抵抗感があるんじゃないかと。抵抗感がある。
なんでかというとね、僕は思うんですけどね、ホットドッグっていうのはね、パンにソーセージを挟むだけじゃないんですよ。
パンにソーセージを挟むだけなら簡単なんですよ。でもね、ホットドッグっていうのはね、パンにソーセージを挟むだけじゃなくて、その上に色々トッピングするんですよ。色々トッピングする。
例えばね、マスタードとかケチャップとかレリッシュとかチリビーンズとかチーズとかオニオンとかピクルスとかサワークラウトとかコールスローとかバーベキューソースとかメイプルシロップとかチョコレートソースとかアイスクリームとか……
そうなんですよ。これがね、アメリカでは普通に食べられてるんですよ。普通に食べられてる。信じられますか?信じられませんよね。
でもね、これがね、アメリカでは美味しいと言われてるんですよ。美味しいと言われてる。どういう味覚なんでしょうね。どういう味覚なんでしょう。
僕は思うんですけどね、これはね、日本人には受け入れられないものなんじゃないかと。受け入れられないもの。
だからね、日本マクドナルドはホットドッグをレギュラー化しないし、日本でホットドッグ屋が普及しないんじゃないかと。そう思うんですよ。
僕はね、正直言ってね、一度も食べたことがありませんよ。食べたことがありません。食べたくもありませんよ。食べたくもありません。
でもね、もしかしたらね、これがね、すごく美味しいものなのかもしれませんよ。すごく美味しいもの。
だからね、僕は勇気を出してみようと思いますよ。勇気を出してみよう。
今度アメリカに行ったらね、ホットドッグを食べてみますよ。ホットドッグを食べてみます。
それはね、そのホットドッグを食べる前に、僕は必死に祈りますよ。必死に祈ります。
このホットドッグを食べた後に……
僕が死なないで済みますように……
幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケート、ファミリーコンピュータ。皆覚えている。
幼稚園の頃には、既に自分が他者とは異なる存在であることを認識していた。
幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分の名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。
ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園で落ち葉拾いをして、その落ち葉でちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデの落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手をバイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。
作ったちぎり絵を先生に見せた時、「これは・・・バイク?・・・と・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明が必要だな」と何故かひとり勝手に確信し、画用紙に黒のクレヨンで物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。
「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。
俺のちぎり絵と物語は幼稚園で話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。
発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。
その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。
区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。
両親は平凡だった。見合いで結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。
ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所の絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります。小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立の小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。
俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校は地元の公立のほうが良いように思えた。
幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バスも苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間の為人を把握して対応方法をほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立でゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。
両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校は地元の公立小学校に入学することになった。
小学校に入っても、特に俺自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。
この頃になると、自分の状態を客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。
俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。
言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。
何より、公立の小学校は毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。
「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間がコミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。
ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息だけが荒い小学生だったと思う。
─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。
─────日本一の大学は東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。
そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃である。いかにも小学生が摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対に京都大学に入ろう」と思った。
そこから俺は色々と京都大学の情報を収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人」である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校の先生などに尋ねたりしていたが、小学生の調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。
しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないものか・・・と模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。
日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学か東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。
だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。
看守は
「経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」
などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。
この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているから私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才・秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。
当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。
そうして地元の公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試の偏差値が出るからである。
そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベルの高校が無理なら、こりゃ京大や東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。
悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く
「成績がいいのに何故」
「塾はお金がかかる」
「家でも勉強はできる」
小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。
また、塾が無理なら定性的定量的に評価が可能な代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。
半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。
そんな母を尻目に意気揚々と進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるかに勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。
その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつの教室に雨後のタケノコのようにポコポコと存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。
毎日がただ楽しかった。自分は天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃんと数字が、成績がついてきてくれた。
幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。
高校は公立の北野高校というところに入った。維新の橋下弁護士とか、日本マクドナルドの創業者の藤田田(ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家の岡田あーみんとかが通っていた高校である。
本当は東大寺学園に行きたかった。学力や模試の偏差値は足りていたと思う。赤本の自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校は絶対に公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。
中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計を理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金を申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金の申請手続きを自分自身で済ませた。
北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強が必要であると思ったからだ。
俺は詐欺師丸出しの口調で「高校の学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費は予備校に回してほしい。予備校とバイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態。プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。
この頃になると、奨学金の申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。
「自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択の家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親が予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。
俺が小学生や中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。
家計はほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的な家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。
高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。
昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。
もしかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。
大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力も模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。
ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。
大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝の気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。
後編に続く
スポーツも色々あるから一つぐらいは世間の空気に流されないところがあるかもと思ったが、ここで大規模イベントを行う陸連は素晴らしい。さすが日本を代表するスポーツだけのことはある。日本中の陸上観戦ファンが歓喜しているだろう。
そういえば、ライブも沢山中止になりアーティストは苦境に陥っているが、そんな中でもやるアーティストはカッコイイと思う。
実名Twitterなら言いづらいけど匿名だから言える。今の状態ならイベントの自粛は必要ないと僕は思っている。
観光地などの一部の場所は少ないかも知れないが、日常生活はそうさして変わらない(少なくとも僕の周りは、電車も混んでるし店もガラガラではない)。なのに、イベントだけを中止する意味は僕は分からない。
スポンサー筋の中止も一部にはあるそうなので、大規模イベント自粛の必要がないと思っている東京マラソンのスポンサーにも感謝したい。
選手の皆さんは、外野の声に気にすることなく最高のレースをしてほしい。あなたがたの力がコロナに打ち勝つのです。大規模イベントの自粛など必要ないことを見せつけてください。
協賛 スターツ、山崎製パン株式会社、アシックスジャパン株式会社、大塚製薬株式会社、
ビー・エム・ダブリュー株式会社、近畿日本ツーリスト、第一生命保険株式会社、
セイコーホールディングス株式会社、セコム株式会社、東レ株式会社、
日本マクドナルド株式会社、株式会社みずほ銀行、株式会社セブン‐イレブン・ジャパン、
アサヒビール株式会社、アメリカン・エキスプレス・インターナショナル, Inc.、
全日本空輸株式会社、株式会社フォトクリエイト、全国労働者共済生活協同組合連合会、
コニカミノルタ株式会社、久光製薬株式会社、大和証券グループ、資生堂ジャパン株式会社、
株式会社バンダイナムコエンターテインメント、ウェスティンホテル&リゾート、KDDI株式会社、
21 大迫 傑 Nike
22 設楽 悠太 Honda
29 堀尾 謙介 トヨタ自動車
有力選手のリストの上げておくから、皆様テレビでチェックするのをお忘れなく。バレーボールと野球は今週末あるが、サッカー、ラグビー、バスケットはないので、その辺りのファンの人は暇だと思うのでぜひ陸上を見てほしい。
元増田とは別人です。
先日深夜3時にお腹が空いたので近所のマクドナルド北白川店(24h営業)に出向いたところ、張り紙が店舗入口に掲示してあり、「メンテナンス作業中のためドライブスルーのみ営業中」とのことだった。
当方自転車で、12月の寒空の中、雨も降っており、できれば店内で食事したいものだった。しかし店内営業していないものはもう仕方がないので、さっさと持って帰って家で食べるかと思い、ドライブスルーの窓口に向かった。どうせメンテナンス中なんてのは人手不足の言い訳なのだろう、前の車は窓口でだいぶ長い時間待たされており、それを待つ僕も雨に打たれながら順番を待っていた。
で、前の車が進んだので窓口に向かうと、「申し訳ありませんが自転車ではドライブスルーが出来ない」と店員。いや別に自転車でもいいじゃないですかと主張しても「ルールですので」の一点張り。こちらとしては24時間営業を信じて店にわざわざ出向いていたことや、低い気温と雨が自分の冷静さを奪っていたこと、そしてなにより「自転車ではドライブスルーが出来ない」というルールはふつう店舗内の受付で購入が可能であるからこそ適応可能な内規であって、勝手にドライブスルー営業に切り替えておいて客に主張できるルールではないだろう、という思いがあり、怒り心頭に発してしまった。
かなり強い口調でビッグマックのLセットを購入させるよう再度要求したものの、埒が明かなかったので、渋々家に帰った。そして日本マクドナルドのお問合せフォームにクレームを入れたのであった。
■種別:マクドナルドについて ■タイトル:マクドナルド北白川店の深夜営業について ■店舗/所在地:マクドナルド北白川店 ■利用日時:2019年12月18日 3時ころ ■問合せ内容: マクドナルド北白川店では、24時間営業と謳っているが、 ・深夜店を閉めている ・深夜はドライブスルー営業のみ となっていることが週2,3回もあり、しかも完全に不定期であり、店に出向くまで分からない。これは問題では? また今日はドライブスルーのみ営業だったが、当方自転車だったため、断られた。雨降る中店舗まで来て、張り紙1枚でドライブスルー営業にした挙句、自転車ではドライブスルー出来ない、ルールだからの一点張り。危険性も何も存在しない中で、このような頭の固いぞんざいな対応に非常に腹が立った。
そして返信が以下の通りであった。
●●様 平素よりマクドナルドをご利用いただき、誠にありがとうございます。 ●●様からのメールを拝見しました。 このたびは弊社北白川店の営業時間に関し、 ご迷惑をおかけしていると伺いまして、誠に申し訳ございません。 弊社北白川店では、12月18日0時~5時は急な従業員のキャンセルにより、 ドライブスルーのみ営業していたことを確認いたしました。 また、以前よりメンテナンスのため、たびたび一時閉店や営業方法を変更していることを、 確認致しました。 弊社店舗におきましては、メンテナンスや従業員の勤務状況により、 一時閉店や営業方法を変更する場合がございます。 なお、基本的にドライブスルーは自動車のみのご利用となっており、 現在、車以外でのご利用は「お客様の安全を最優先する」 との判断の上、お断りいたしております。 お客様にはご不便をおかけしておりますことを心よりお詫び申し上げます。 弊社といたしましては、様々な条件が整い次第、 ドライブスルー店舗でも客席をご利用いただけるよう鋭意努力しております。 しかしながら、まだまだお客様にはご不便とご迷惑をおかけしている部分もあろうかと思います。 今後も心地良い店内環境を提供すべく日々取り組んで参りますので、 何とぞご理解を賜りますようお願い申し上げます。 ●●様にはこのたびご迷惑をおかけいたしましたことをお詫び申し上げますと共に、 貴重なご意見をお寄せ下さいましたこと感謝申し上げます。 最後に、今後とも変らぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。 日本マクドナルドお客様サービス室
客観的に見れば僕は勝手に店に来て勝手にキレて帰ってった害悪クレーマーであるのは間違いないので、この返信に対する僕からの評論は控え、ここに公開するだけにとどめようと思う。
https://www.yutorism.jp/entry/2019/09/16/123332
大丈夫?
頭タコツボ過ぎない?
ブコメにも書いたけど、ドイツ(19%と7%)でもこのシステムなんだよ。
https://diamond.jp/articles/-/52918?page=3
日本マクドナルドのアレがパンドラの箱なら、ドイツではとっくに開いてることになるんだけど。
海外の事例を書くと脳死で「出羽守」とか書く奴いるけど、他国の経験を無視するというのは単なる視野狭窄だろ。
「ドイツではこのシステムのせいでこんな弊害が」とかなら読みたいけど、先行事例を調べもしないというのはどうなんだ。
ヨーロッパは消費税の標準税率が高くて軽減税率をやってる国が多い、とか常識の範囲じゃないか?
それを知っていたら、そういう国ではどうなってるのかとか調べる気にならないものだろうか?
フェミニズムは強い女性を増やそうとしてるんだよね。ところが、強い女性を増やすと弱い男性が増える。男と女はゼロサムゲーム。男も女も上昇できる、「ちょうど良い中間点」というものは存在しない。ゆえに家母長制の世帯が増えなければ、基本的にこれからの世界はジリ貧でしかない。日本マクドナルドのサラ・カサノバ社長は自分よりグレードの低い男と結婚し子を成しただろうか?それとも、カサノバですら自分と同等、あるいは自分より上の男を求めたのだろうか?それとも彼女は独身なのだろうか。
最近ではサランラップ【R】のCMでも話題を呼んだ木村拓哉【ID】は、スヌーピー 【C】1950 United Feature Syndicate, Inc.とともに、日本マクドナルド【R】の展開するFIFAワールドカップ【TM】応援キャンペーンの公式キャラクターとして・・・・・・
※墨括弧は、はてな匿名ダイアリー筆者によるもの。原文では次の通りの記述されている。【R】は®マーク、【C】は©マーク、【TM】は™マークとなっている。マークは環境により文字化けする可能性あり。【ID】は小さくIDと右寄せで表示
商標等の各知的財産権保有者に「配慮」をした場合、名称は正式な実名を記述しなければならないらしいので上記のように長くなってしまう。
というのも、福井健策弁護士著 著作権の世紀によれば、報道機関に対して「うちの商標を記述する場合は、略さずに必ず正式名称で記述し、RマークやTMマークを付けて下さい」等のように要請をする団体がいる。
もちろんこのような要請には法的な根拠は殆ど無い。知的財産権であっても、文字に権利は殆ど関係ないからである。
他の会社も同じような要請を始めたらニュース記事はどうなるのかとの観点から、福井弁護士が作った例が先ほどの長い文章である。福井弁護士は、このような文章では読みにくくて困ると疑問を呈している。
※注意 先ほどの文章に出てくる人名や団体名は、あくまでも例として作文に使われているだけである。書かれている人や団体がそのような要請をしているという事を示しているわけでは無い。
具体的に見ていこう。
日本マクドナルドはマクドナルドやマクドと書くことは当然「出来ない」ので日本マクドナルド。芸能人の名前には氏名肖像権があるので知的財産といえば知的財産。だからTMマークに対抗してIDマークを付けることとした。※IDが何の略かは触れられていない。「Identity Document」の略か?
スヌーピーはキャラクター名なので権利者名を入れる事となった。
さて、皆さんは権利保有者に「配慮」をした書き方をしているだろうか?ただし、前述のように読みにくくなるだろうが。
【私見】
1.なぜ報道機関に限りこの様な要請がされるのかというと、報道機関は雑誌や新聞でニュース記事を社会に広く配信する立場であるので、責任から言って「報道機関の自由が認められず」このような要求がされてしまうのではないだろうか?
逆にマスコミ以外の会社や個人にはそのような要請がいくことは恐らく無く、不自由さを感じる場面は無いのではないかと想像する。その様な要請を行っている主体が内心どう思っているかは別にしてもである。
2.報道は不自由だが、それ以外の主体は自由に書けるというような事を上で書いたが、厳密にはTPOの観点から言えば言葉は必ずしも自由利用とは言えない。正しい表現をすべき場面はある。ただし、下記の理由で、要請はやはり無効だろう。
・報道で正式な表記をするとは言っても、見出しや本文の最初だけ正式名称(日本マイクロソフト等)にして、紙面スペースの都合上次からMS社等の表記にして良いのではないか。
・正式名称を書くことが正しくとも、名称でなく発音もされないRマークやTMマークを書く必要は無いと感じる。
・ここでの観点はあくまでも万人向けの、分かりやすい文章の書き方である。知的財産だからという理由ではない。記事で若者言葉を使用して良いかどうかと同じ種類の話である。
ちなみに、了解を「り」と略す人がいるらしい。マクドナルドを「マ」と略すと、ふざけているのかと言われるかもしれないが、その場合も知的財産だからという理由では無いだろう。
3.登録商標なら仮に譲歩して「登録されているので、登録されている名に倣って正式名称で書きましょう」となったとしても、登録されていないただの商品名や固有名詞まで正式名称の記述を要求されたとするなら、はやり行き過ぎではないだろうか?
4.正式名称を書くことが必要という論なら、「株式会社」も「公益財団法人」等も必ず書かないといけなくなるのだろうか。
5.PS3のゲームに「夏色ハイスクル★青春白書 ~転校初日のオレが幼馴染と再会したら報道部員にされていて激写少年の日々はスクープ大連発でイガイとモテモテなのに何故かマイメモリーはパンツ写真ばっかりという現実と向き合いながら考えるひと夏の島の学園生活と赤裸々な恋の行方。~」というゲームがある。
アマゾンでは「夏色ハイスクル★青春白書 (略)」として売られている。
正式名称を書くべきならばこのゲームも「夏色ハイスクル★青春白書 ~転校初日のオレが幼馴染と再会したら報道部員にされていて激写少年の日々はスクープ大連発でイガイとモテモテなのに何故かマイメモリーはパンツ写真ばっかりという現実と向き合いながら考えるひと夏の島の学園生活と赤裸々な恋の行方。~」として表記しないといけないのだろうか。
ギャグ漫画のこち亀(正式名称で書くなら、こちら葛飾区亀有公園前派出所)の両津なら早口言葉じゃねえぞと言い出しそうだ。
【追記】
報道機関でない会社は自由に使えるかと思っていたら、福井弁護士が書いた次の記事を発見した。
オリンピックを想起する言葉を使うのは便乗になるので止めましょう、つまり正式名称どころかそもそも言葉を使うなと主張するおかしな団体があるとのこと。
100円マックにたどり着いた最初の一歩が「ゴマを減らしてもいいや」だから極端でも関係ないわけでもない
今のお前のように値段下げれば下げるだけ良いって考え方を当時の日本マクドナルドが信じてやってきた結果が低迷という事実と結果
でもお前は安ければ安いほど良いとさっきからずっと主張してるように見えるけど
わかんない、そうかも
今ちょっと調べたら原田が在任中にマックから追い出した役員たちが軒並みトップ経営者になってるという記事があった
この時期に金かかるけど有能な人材をリストラしたことで短期的に利益は出たけど下降する未来を作ったってことだよね
マクドナルドの業績悪化のニュースが頻繁に聞こえてくる。それは良いとして不思議なのが、反応の多くが「批判」であり(ヤフコメは勿論、はてブもそうである)、さらに批判の多くは「昔は良かったマクドナルドが今はこんなに・・・」という文脈なことである。「良かった昔のマクドナルド」は藤田田のマクドナルドであり、原田泳幸のマクドナルドである。そう。それはそれで皆さんが叩きまくった両社長のマクドナルドである。
たしかに藤田田、原田泳幸両氏は、終盤では手法が消費者から飽きられアイディアは枯渇し、施策の迷走が見られ、その印象から今では全否定のような書き込みも目立つが、日本マクドナルドを実力値以上に牽引してきた手腕は確かにあると思われる。日本の外食というのは生き馬の目を抜く業界である。古いビジネス流行語で言えばレッドオーシャンの代表格といえる。参入障壁がもっとも低い業界であり、個人経営店が大規模資本のチェーン店を向こうにまわして費用対効果込みで切り伏せるほぼ唯一の業界である。
外食業界では勝ち組と言われる企業ですら薄利であり、更には長く勝ち続けることもできない。「勝者なき血みどろの戦場」である。
・すかいらーくは低価格店ガストのヒットで上昇カーブの寿命を永らえたが2000年代には沈没し、野村、その後米国系ファンドに買収された。
・吉野家は倒産から立ち直ったもののBSE問題を契機に再度沈没しまるで今のマックのように経営不振を取り上げられ続けた。今は立ち直ったイメージがあるが前年決算は売上1800億円に対して最終利益はわずか9億円、何かひとつ事故なりあればあっという間に赤字転落である。
・吉野家を凌駕した業界の新覇者ゼンショーは労働問題を契機に沈没し昨年は100億円を超える赤字に沈んでいる。
・創業から成長が小説にもなった立志伝中のワタミも労働問題を契機に沈没し、昨年は100億円を超える赤字に沈んでいる。
モスフードは健闘しているかのように言われるが670億円の売上に対して最終利益はわずか6億円台。ロッテリアはファンドの傘下。日本ケンタッキーは昨年5億円の赤字、三菱商事が経営してこの状況である。ファミレス復活などと言われるロイヤルも1200億円売って最終利益は18億円。最近では東京ちからめしが彗星のように店舗を100店舗以上に増やし、彗星のように13店舗(たった今HPで数えた)まで減らしたことはまだ東京都民の記憶にあるはずである。なぜ堅実だった三光マーケティングが牛丼を焼いただけでイケると思ってしまったのか、理解に苦しむ。ロードサイドのハイエナ率いるステーキのけんも業績が悪化しているという。
このくらいにしておこう。キリがない。
マクドナルドは、システムは洗練されているが提供するものは十年一日の米国発ファーストフードチェーンであり、少なくとも食の世界では米国への憧れが消えた90年代以降にあって世界でもっとも厳しい日本の外食市場で今まで大健闘してきた、というのが正しい評価ではないかと思う。現在のカサノバマックの状況はちょっと酷すぎるが、原田氏後期の状況は不振というよりもそれが実力値であり、実力値にアジャストが起きたにすぎないと思う。ライトサイズまでリストラされて経営者変えればまたそれなりになるだろう。
1980年代くらいまでのマックは今のスターバックスのポジショニングであったのだろう(当時のことをよく覚えていないので想像だが)。当初日本で成功させたのが藤田氏であり、マックが日本で飽和し日常と化して飽きられた頃に再度息を吹き返させたのが原田氏である。原田氏も10年近くたって飽きられたわけだが、当時原田マジックは確かにあったのだ。2人に肩入れしているわけではない。私個人としては彼らの主義主張にあまり好感を持っていない。しかしながら事実の評価は正当になされるべきと考える。業績のかなり落ち込んだ原田マックを引き継いだはずのカサノバ社長が更に底なしに業績を悪化させているのは一つの証左である。日本の外食のプロでない人がなぜ経営できると思ったのか、過去に日本で勤務していたというがどこまで自身が現場で深く市場と格闘していたのか、本社のこの判断誤りは内部で責任を問われるに相当である。失敗が予想され、予想通り失敗している。アメリカやカナダとは市場がまったく違うのだ。
日本の外食を知っているやり手を経営者に据えれば原田マックの後期くらいには復活できると思われるので、外部に売却するというマックグローバルの方針のニュースを見たときには「え???早過ぎないか?」と思ったが、今後店舗整理で日本のマックはまだまだ損失を計上すると思われ、親会社決算に損失が反映されるのを避けたいのだろう。現在の持ち株比率は49.99%で連結はせずにおさえているけれど、損失は取り込まれるからね。持分法で簿かは切り下がっているから売却損も大きくは出ないし(更に優待目当ての個人投資家で株価は割高だというし)、立ち直って将来買いなおすと、キャッシュ的には安値で売って高値で買い戻すわけだから損だが、PL的には高値で買い戻しても損失が計上されるわけではない(のれんに計上されるだけで減損されない限りPL損は出ない。損を出す頃には次の経営者である)。米国投資家のEPSへのプレッシャーはとても強いし、短期思考の米国流経営ならではである。
日本の外食市場が世界で最も厳しい、というのは感覚値の話で、これを定量的にサポートすることは難しいが、ひんぱんに海外に出張する人なら同様に思うのではないかと思う。アジアを除く海外では安く食事できる外食の種類がそもそもあまりないし、ファーストフードの店舗は往々にして荒れている。店員の態度も、愛想があるないとか、そういったこと以前の水準である。下記のページをみつけたのだが、各国人口比のマクドナルドの店舗数が掲載されている。大量閉店前の2014年のデータではあるが、アングロサクソン系(US、CA、AU、NZ)以外の国では日本の人口比の店舗数が最も高い。一方食事のうまい国はおしなべて低い(FR、IT、SP)。日本は一応ミシュランの星数が世界最高だというので、食事のうまい国に入ると思われる。さらに内需の規模があるため群雄が割拠しており、サービスの品質もマックのマニュアルに頼らなくても非常に丁寧で高い。日用品市場で日本の消費者は世界一厳しいと言われるが、これはおそらく外食でも同じで、1000円以下の食事で定員の態度から清潔さからすべて完璧に近い水準を求めるのが日本の消費者であり、ライバルもそこで戦って鍛えられている会社たちなのである。
http://www.world401.com/data_yougo/mcdonalds.html
ところで本エントリを書きながらUSのマック本社の決算も見てみたのだが、今のレートでざっくり換算して、売上3兆円強、最終利益5700億円といったところである。たしかにこの3年ほど停滞しているようであるが、この絶対水準で業績不振と言われているのだからツライよな、と思った。
「『チキンマックナゲット』に異物が混入」、「日本マクドナルドが380億円の大赤字」「時給を1500円以上に上げるべきだというデモ」など、各メディアを通じて批判的な内容のニュースばかり流れている。しかしあえて言いたい。みんなマクドナルドの悪いところばかり見ているのではないかと。
ぼくをここまで育ててくれたのは、マクドナルドのおかげと言っても過言ではない。小さい頃、ハッピーセットを買ってもらえるだけで嬉しかった。CMを見るだけですごくワクワクした。土曜日の午前授業が終わり、家に帰ると父親がたまにバリューセットを買ってきていることがあった。少年野球チームに所属していた際、試合後ごく稀に監督がマクドナルドをみんなにおごってくれた。どれもたまらなく嬉しかった。あの頃の気持ち、みんな忘れているんではなかろうか。ぼくはマクドナルドに対して悪い思い出や印象がほとんどない。マクドナルドはぼくにとって特別なものなのである。
ということで、今日は皆にマクドナルドの良さを再確認していただきたく思い、マクドナルドの良いところだけを書いていく。恋人の悪いところだけ見えてしまって、別れた後に後悔するような、そんな思いはしてほしくないのだ。
ラーメン、オムライス、カツ丼、焼肉……。どんな料理でさえ、「出来立て」は美味いのである。注文を受けてから作ってくれるハンバーガーなどに加え、ポテトなどのあらかじめ準備してあるものでさえ「出来立てをもらえますか」と言えば文句なく対応してくれる。
これぞ「ファーストフード」。時間のない現代人にとっては、注文したものを待つ時間でさえ惜しいものである。「60秒以内に商品が提供できないとハンバーガー無料券がもらえる」というキャンペーンを実施したほどのスピーディーさだ。レジに人が並んでいてもすぐに順番が回ってくることも嬉しい。
昔に比べると多少の値上がりはあったものの、未だにハンバーガーやチキンクリスプなどは「100円」で食べる事ができる。貧乏学生や、パチンコや風俗などでお金を使いすぎた社会人にとっても嬉しい価格設定だ。コンビニでハンバーガーを買うと大体200円前後することに比べると、大変良心的と言えるだろう。
冒頭でも述べた通り、子供の頃親に連れて行ってもらった時や部活の帰り道に友達と食べた時の思い出など、過去を思い返してみるとマクドナルドで培った思い出は日本人ならば誰しもあると思う。そんな過去に浸ることも出来るのがマクドナルドなのだ。
マクドナルドは主要都市の駅前にあることが多いので、友人との待ち合わせ場所に最適である。「渋谷のハチ公」などの誰もが知る有名待ち合わせ場所がない限り、「マックの前」というキーワードは大変便利なのである。
関西と関東は文化が異なるとよく言われるが、マクドナルドもその例である。自分が関東生まれの場合は「マック」と呼ぶのが通例だが、関西生まれは「マクド」と言う。この「マックとマクド」の話のネタだけで、初めての関東と関西の異文化交流が盛り上がるのだ。
マクドナルドは他の飲食店に比べ、融通が効くことが多い。ポテトを買うと、ケチャップが貰えたり、水もタダで貰える。ポテトの塩を多めにして言えば、喜んで対応をしてくれる。ピクルスだって取ってくれるのだ。
「マック」と「Mac」。イントネーションも一緒だ。最新の技術を搭載したPCと名前が似ているということは、マック側からしたらなにも悪いことではないだろう。いい宣伝効果にもなるかもしれない。マックが新商品として「リンゴバーガー」なるものを発表したら、かなりの話題になると思う。でもなぜだか、Macユーザーはマックを利用することが少ない。スタバなんて一文字も被っていないのに。
他のレストランなどに行くと、どれを食べたら良いのか分からなく悩んでしまうことあるだろう。しかしマクドナルドのメニューは昔からレギュラーメニューの変化はそこまでないので、自然に何を注文するかがある程度頭に入っているのだ。ちなみにぼくは「チーズバーガー2つとダブルチーズバーガー」である。この何年も変わっていない。
「マクドナルドは体に悪いもの」というイメージが自然に頭の中にあることにより、例えば昼食にマクドナルドを食べることがあれば、「夕食は野菜を多く摂取しよう」という気持ちが増加するのである。その結果、「マクドナルドを食べると健康になる」という理論があってもおかしくない。
10個の「マクドナルド」の良いところを並べてみた。マクドナルドの良いところは人によって異なるので、皆もよく考えてくれると嬉しい。織田裕二主演の映画で「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ」という名セリフがある。これを置き換えて考えると良いかもしれない。
「弱いものイジメはカッコ悪い!」と正義感を振りかざす、心が綺麗なイケメンになった気持ちで、モスバーガーの席に座り美味しいハンバーガーを食べながら書いてみた。