はてなキーワード: 行動様式とは
イトーヨーカドーもイオンも閑散度は似たようなもんだ、というブッコメに★が多く集まっていて(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/735015)、それを書いた人がどの立場でそう感じているのかは分からないのだが、それはとても正しい。ロードサイドだって平日はガラガラだというブッコメもあり、それもとても正しい。ただまぁ一方で平日は都心のファッションビルやデパートだって閑散としてるし休日は駐車場の入庫行列するようなショッピングセンターだって閑古鳥なので、そこの時間帯を比較することには、本件を読み解くためにはあんまり意味はない(このご時世に小売って厳しいよなーという文脈なら検討に値する視座ではある)。
まぁ、今のところはイトーヨーカドーが劣勢でイオンが好調である。GMSの世界というか小売業は本当に栄枯盛衰の移り変わりが速い業界で、イオンがいつまで好調を維持しているかも分からない。分からないが、これまでのところはイトーヨーカドーが降り、イオンが勝ち残っている。ヨーカドーが降りざるを得なくなった理由にはいくつかあるが、それは客足以外のところにある。
イトーヨーカドーの駅前店舗は、多くが賃借ビルの一棟貸テナントである。これはイトーヨーカドーが飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃には効率経営が高い(BSを圧縮したまま事業拡大できる)として称賛されていた。少し話はずれるが、イトーヨーカドーと地元商店街の対立図式は、単なる客のパイ争い以上に「駅前の再開発」に絡むものだから、要するに再開発の線引きエリア外の商店主が怒っていたという側面もないこともない。
話を戻して。ただし賃借方式だと賃料を支払い続ける必要があるため、薄利な小売店にとっては経営のかじ取りが難しい。イトーヨーカドーはドミナント出店(回りをイトーヨーカドーだらけにして、低価格の目玉商品を大量投入して周囲の競合を脱落させる手法)が上手だったと言われているが、それは当該の前項記事にもある通りhttps://toyokeizai.net/articles/-/734323?page=2昭和時代のダイエーとの比較においてであり、駅前に地域旗艦店GMSを置き周囲にSMを置くという手法は、次項に説明するが、消費者の買い物行動の変化に伴う商圏の変化に付いていけなくなっていたのだろう。ドミナントの難しいところは、囲い込んで他に選択肢を無くさせる過程の「手段」において安売りキャンペーンを続ける必要があるところで、そこも賃借だと館全体の利益を圧迫することになるというリスクもある。
また、イトーヨーカドーはGMSであることをアイデンティティにしてきたためか自社のPB衣料品ラインの損切りがかなり遅れたのだが、アイデンティティへの固執に加えて、もともと店舗が賃借であるためテナントを入れると自前で仕入れた商品の販売や自社PB商品を売るよりも利ザヤが小さくなってしまうのがその理由だと推測できる。PBの衣料品も昭和の頃は「衣料品は腐らないから賢い」と称賛する人もいたんだけどね…。
一方でイオンは(買収や方針転換もあるので全てではないが)多くの施設が賃借ではなく自社開発だ。拡大戦略の初手から自分で土地を調達し自分で建物も建てる戦略。発祥が地方都市だからということもあり「田舎の安い土地を二束三文で借り(または買い)自前で建物を建て、広大な駐車場を持つ巨大スーパー(GMSというよりも巨大スーパー)をあちこちに作っていった。
自前開発なので建物を建てたコストが償還できればその館の運営はかなり安定的に行えるようになる。またちょっと話はずれるが、イオンはGMS店舗もイオンモールも建物の作りはかなり安普請というかお金をかけない割り切った作り方をしていて、SCの競合であるららぽーとはもちろんゆめタウンよりも安普請。清掃などの館のマネジメントもお金をかけていない(全てのイオンモールがこの限りではなく都市部店舗などはもう少しハイグレードになっているが)。この割り切りが、ある意味イオンの現在までの堅調さを支えていると思う。
このイトーヨーカドーは賃借店舗が多かった、というのが、まぁ10年以上苦境が続いている最大かつほぼ唯一の理由じゃないかと思う。そして一つ歯車が狂うと、どんどんうまく行かなくなっていく、経営って本当に難しいな。
住宅の郊外化が進んだことで商圏(客がどのぐらいの範囲から来るかの推測で店の形態ごとに違う)が変化した。スーパーマーケットの商圏が拡大する。毎日の買い物に車を使う人が増えて、駅前出店を中心にドミナント出店をキメてきたイトーヨーカドーは駐車場の確保に苦慮することになる。イオンはハナから広大な駐車場が付いている。スーパーマーケットの商圏が拡大すると、駅を中心にした半径に「ドミナント城」を構えていようがあまり意味がなくなってくる。
そのタイミングにイオングループは巨大スーパーの次の拡大策としてショッピングセンター開発を本格化する。イオンは建物を自前で建てているのでテナントを入れたらまるっと賃料が入ってくる。ヨーカドーが賃借部分をまた貸しするのと比べると旨味が大きい賃料収入になる。要するにイオンモールは実は半分不動産事業(デベロッパー)である。一般的にデベロッパーが作るSCにはコアテナント・キラーコンテンツとしてスーパーマーケットを誘致するのが常なのだが、イオンは自分がコアテナントであるのが最大の強み。
このビジネスモデルでイオンは全国の「ここに商業施設は建つのか」という郊外やロードサイドにバンバン巨大なイオンモールを作っていく。同時期にSC競合である三井やゆめタウンもバンバンSCの出店拡大を行っていった。これで「家族の日常の買い物」という消費行動における商圏が変化する。まずは商圏がいったん拡大(毎日の買い物でも車で30分のSCに)、そしてSCの出店が増えることで「道路網に沿うように」商圏が縮小(もう少し近いSCができたね)という順番で商圏が車前提に変化していった。ここでチェックメイト感は正直あったと思う。他デベロッパーのコアテナントでイトーヨーカドーが入ることはもちろんあっただろうがやはり賃借モデルなので利益は(イオンと比べて相対的に)小さくなってしまう。
イオンはさらにドミナント戦略も巧みで、多様な店舗のラインナップを作ることで出店用地を比較的選ばずに囲い込みができるようになっていたのもデカい。巨大SC、巨大SM、安売スーパー、小型店、コンビニなど、他の小売店の買収も効率的に使った出店戦略が巧みだった。イトーヨーカドーが、買収したSMチェーンを集約化する(「鳩のマーク」に変えさせるのが象徴的)のと逆に、ラインナップ自体を増やす方向に舵を切ったのが成功の要因だろう。敵がどこに出店しても、何らかのカードを切ることができる体制を作った強さ。イオンは買収したチェーンのブランドをしばらくそのまま使っていたりが全然平気なのだが、買収された店舗はじわじわと数年かけてイオンに変貌する。怖いね笑。
商売がうまいといえばイオンの食品PBトップバリュも複数のラインアップを出しているがこれも恐らく同様の「多様志向」を捉えた戦略で、セブンアイおよびセブンアイプレミアムでやってきたイトーヨーカドーとの経営の方針の違いが出ていると思う。ネット民に不評な「黄色トップバリュ」だが(美味しくないよね笑)価格訴求に全振りする商売上手ぶりは、要するに下請企業との関係を保ちながら「安いものが買いたい」客を掴めるし、グリーンアイという単なるグレード分けではないような見せ方がうまいし消費者をよく見てるよなぁと感心する。会社として戦略的柔軟さがある(というかイトーヨーカドーが柔軟さがなさすぎるというか)
これは私見だが、「車で肉や野菜を買いに行く」ライフスタイルが定着した理由には、日本人の共働き化も大きいと思っている。あなたも私もそうだが、働いている人たちは平日に買い物ができないからだ。休日にデカいスーパーに色々なものをまとめ買いする、という行動様式自体は米国(SCを生み出した国でもある)などを中心にすでに存在していたライフスタイルだが、これが日本に定着したことで、自転車で買い物に行ってる場合じゃねえ!という感じになる。一週間分の買い物は重い。保育園や学童から子供を連れて帰る足で出来る買物はたかが知れている。
当該のブコメにもあったが、イトーヨーカドーがかつて誇っていた衣料品のニーズは、ユニクロなどのカテゴリーキラーが現れたことで魅力がなくなってしまってたがそれに気づけないままたぶん10年以上ぼんやりしてたと思う。IYGはぼんやりついでにそごう西武を買収して案の定うまく行ってなかった。よりによってそれを買うのか笑、という感じは正直あったけど、駅前旗艦店が華やかだったころの夢を組織が忘れられなかったのか。一方でカテゴリーキラー業界は活況を呈して、駅前にはヨドバシカメラが続々と出店していっている。栄枯盛衰…。
実はネットスーパーはイトーヨーカドーの方が先んじて頑張っていた。頑張っていたが、どうも、生鮮品の配送は本当に儲けが出なかったらしい。また足元ではそもそも「店員がいない」問題が起きていて配送している余裕がなくなっているという話もちらほら。
生鮮品の配送については巨大な「生協」という存在がいる。実は生協も、いくつかの狂信的ナチュラル系生協以外は生鮮品の扱い量はそれほどは多くはないらしいのだが、卵や牛乳などを定期配送してくれて安全基準も高い生協の生鮮宅配が一強で、他の小売はどこも大苦戦しているよう。イオンもグリーンビーンズという宅配サービスを始めたが、さてどうなるかとワクワクドキドキである。
①一般化の誤り:
文章は左翼、フェミニズム、リベラルなどの広範なグループ全体に対して非難を向けていますが、これらのグループ内には多様な思想と行動様式が存在します。全員が述べられたような行為に関与しているわけではなく、一部の個人や行動をもって全体を評価するのは不公平です。
文章では、特定の集団が被害者役を演じることで利益を得ようとすると主張していますが、実際には社会的な不正や不平等に対抗するために声を上げる人々も多くいます。彼らの主張を一概に「冤罪を被せる」と解釈するのは、社会的な議論や問題提起の重要性を過小評価するものです。
③嫌がらせ行為の誇張:
文章で述べられている嫌がらせ行為の例は、特定の状況におけるものかもしれませんが、これをもって全ての左翼・フェミニスト・リベラルが同様の行動を取ると結論づけるのは不当です。また、このような行為は個人の道徳的または法的責任に関わる問題であり、特定の思想や運動全体の性質を示すものではありません。
社会的な運動や思想が持つ多様性と複雑性を理解するためには、批判的な一般化ではなく、オープンな対話と深い理解が必要です。異なる視点を持つ人々との建設的な対話を促進することで、誤解を解消し、より公平で包括的な社会を目指すべきです。
⑤社会的変化への貢献:
左翼、フェミニズム、リベラルなどの運動は、歴史的に見ても、性別や人種、経済的不平等など、多くの社会的問題に対して重要な役割を果たしてきました。これらの運動が社会的正義や平等の向上に貢献している側面も認識する必要があります。
要するに、この文章への反論は、一部の行動をもって全体を評価することの不当性、社会的議論の多様性と複雑性への理解、そして異なる視点間の建設的な対話の重要性を強調しています。
ここの結論を先にいうと,神奈川県公立高等学校入学者選抜インターネット出願システムなんだからドメインは shutugan.pref.kanagawa.jp か shutugan.pref.kanagawa.lg.jp などの地域型JPドメインか属性型JPドメインを使う設定をするべきであった.
これは最近問題になっているいわゆる行政サイト使い捨てドメイン問題とも関連あるし,(1次ソースにするには怪しいとしても総合的にみると載っている情報は正しそうな)カナガク https://kanagaku.com/archives/69495 によれば,なんと shutsugankanagawa.jp shutsugan-kanagawa.jp nyuushi-kanagawa.jp の三つとも本番環境として使われているようなのであり( nyushi-kanagawa.jp は違う),その状況だけ見ても本物に混じって偽物がスパムやフィッシングを行っていてもほぼ見分けが付かないのである.
Google から見ても,取得が容易なjpドメインで最近取得したドメイン,似たようなドメイン,似たようなメール,が送られてくるのである.ユーザの受信ボックス・迷惑メール・ゴミ箱に大量に届く懸念がある以上,ブロックするのが定石である.
仮にブロックせず受信ボックス・迷惑メール・ゴミ箱に届けた場合,大量送信によってユーザの使用量を圧迫し 15 GB 到達すると,そのユーザは新規のメールを受信できなくなり本当に必要なメールを取りこぼす可能性がでてきてしまう(容量空ければ受信できなかったメールを受信し始めるわけではない).
なので,大量送信 SPAM 判定したメールはできる限りブロックする選択が,Gmail にとってある意味最善手なのである.
なお,神奈川県は令和 4 年度までは @pref.kanagawa.jp をメールで使っていたが令和 4 年度以降から @pref.kanagawa.lg.jp に切り替えているので,ベストは shutugan.pref.kanagawa.lg.jp であったと思われる.
サブドメイン毎にドメインレピュレーションが分かれているためあまり深い意味はないが,少なくとも pref.kanagawa.lg.jp は 2007/04/16 に登録され有効なドメインなので,新規登録に比べて信頼性が高いと判断される.
なお,kanagawa.jp と kanagawa.lg.jp の切り替えもいろいろと謎はあるが,それはまた別の問題.
※webページは kanagawa.jp の方だし他方 e-kanagawa.lg.jp なんてのもあり……ちなみに e-kanagawa.jp は 株式会社つくばマルチメディア 登録ドメインで行政は関係ない.
少なくとも動き始めには DKIM / DMARC が設定されておらず,問題になってから設定し始めてもそれはSPAMを頑張る業者と行動様式が似るので無駄なあがきとなっている可能性が高い.
SPF は 2006年,DKIM は 2011年,DMARC は 2016年に出てきた対 SPAM 技術である.DNS 弄ったりメールサーバー建てるような人でないならこれらの設定方法は知らなくてもしかたない.
だがそれらを生業としている側の人間なら, 2024 年現在, 13 年前に提案された DKIM すらちゃんと設定できないというのは,iPhone 4 や Internet Explorer 9 向けの開発しかわかりませんとか,スマホアプリで LINE 聞いたことないというのを 2024年に言っているのと同じレベルなのである.
そのぐらい前の時代に提案された迷惑メール対策・認証系の機能を未実装で本番環境動かすというのは,語弊のある誇張表現をするなら Windows Update や apt upgrade を 13年間しないで通信を試みるようなもので,自殺行為に等しい.
もちろん,その通信を受ける側はこいつヤバいやつだってすぐわかるので,かなり辛口で評価することになり,ちょっとでも SPAM の雰囲気出してきたらブロックするのは定石.
そしてブロックされた SPAM 側はあの手この手でおかまいなしに SPAM 送ろうとするので似たような内容やドメインでしつこく送ろうとするので,似たようなものもどんどんブロックするのである.
なので初手でヤバいやつ認定されないのが極めて重要にもかかわらず,そこを怠っていたのである.
実際に,2024 年 1 月 12 日時点の mail.shutsugankanagawa.jp はどうなっていたかというと DKIM 設定がないまま本番環境を動かしていたようである. https://archive.md/qykwX
ここで実際いろいろ正常化しても,それは SPAM 業者があの手この手でなんとしてでも SPAM 送り届けようと頑張っている様子と一緒なので,ある意味無駄なあがきなのであるどころか,SPAM認定を加速させた可能性も否定できない.
Gmail も SPAM対 策は馬鹿じゃないので,送信ドメインを変えても文面があまり変わっていないなら SPAM とするし,送信元の IP とかも見て SPAM とするので, Amazon SES 使いつづけたり新 IP で何回も試行するとうまくいかないし,送信元信頼性の高い送信サーバーサービス経由で送れたりするようになっても,SPAM扱いされることもよくある.
ちょっと送信に成功しだしてまたいっぱい送り出して SPAM 業者扱いされるのはやっていることが SPAM 業者と同じことというか,その辺の今時の SPAM 業者より SPAM 業者っぽい挙動をしているのである.
今でもたまに Google anti-SPAM/phishing 網をくぐり抜けてくる えきねっと のフィッシングメールもびっくりするほどであろう.
Gmail ユーザーへの送信ガイドラインみたいな文章は,最近の DMARC 騒動で見る人が多いこのページが一番詳しい https://support.google.com/a/answer/81126?hl=ja .今はその騒動に応じてかなり加筆されているが,このページは開発中はどうであったのだろうか.
まず開発スケジュールについては,この開発は神奈川県の調達情報によると,調達案件番号 0001450060020230089R 業務名『神奈川県公立高等学校入学者選抜統合型WEB出願システム構築及び運用・保守業務委託』で間違いないと思われ,開札日が令和5年3月31日だからプロジェクトの始動はその後だろう.
※税金使途への意識高い県民はご存じの通り,ここから誰でも調べられる https://nyusatsu-joho.e-kanagawa.lg.jp/DENTYO/P6515_10
ちょうどその頃の Web Archive がたまたまあって 2023/03/07 時点ではこうなっていた https://web.archive.org/web/20230307005024/https://support.google.com/a/answer/81126?hl=ja
冒頭では
重要: 2022 年 11 月より、Google Gmail アカウントにメールを送信する新規の送信者は SPF または DKIM の設定が必須になりました。
とさらっと メールを送信する新規の送信者は SPF 「または」 DKIM の設定が必須 である一方,『ドメインのメール認証を設定する(必須)』の重要のところをよく読むと,
重要: 2022 年 11 月より、個人用 Gmail アカウントにメールを送信する新規の送信者は、SPF または DKIM を設定する必要があります。Google では、新規の送信者から個人用 Gmail アカウント宛てのメールをランダムにチェックして、認証されたメールであることを確認します。認証方法が一つも設定されていないメールは拒否されるか、迷惑メールに分類されます。この要件は、すでに送信者である場合は適用されません。ただし、組織のメールを保護し、今後の認証要件をサポートするために、必ず SPF と DKIM を設定することをおすすめします。
のようになっていて,「今後の認証要件をサポートするために、必ず SPF と DKIM を設定することをおすすめ」など,やんわりと新規の送信者は認証しっかり 必ず SPF と DKIM を設定することをおすすめ しているのである.
こういう書かれ方しても,個人のメールサーバーとかなら SPF か DKIM どっちかで運用してみてドメインを駄目にしても笑い話になるけど,自治体で運用するシステムであえて,博打に挑戦する必要あるのだろうか.
まぁ本来発注側の要件定義書とかにちゃんと SPF / DKIM を設定することなどと書いておくべき案件だったかなとは思う(たぶん書かれていなかったんだろう).
とにかく今は全世界の3割弱が Gmail と言われている中で,本当に Gmail が謎仕様のブラックボックスで届かないことが多発していたら国内外もっと騒ぎになるので Gmail 側に今回の件で大きな瑕疵があったとはいいがたい.
設定不備およびその後の作業内容で地雷原を突き進んで自爆しているのだろう.
アホらしいけどアホに一番わかりやすくいえば Google Workspace / Gmail 同士では IP メールサーバーのレピュテーションと無縁になれて,世界中の他の宛先にもだいたい問題なく送れるので,SPF / DKIM / DMARC の設定だけ気にすればよく,かなりシンプルなのである.
Amazon SES 使えていたんだから Google Workspace も不可ではないはず(ISMAPに Google Workspace もいるので,あとは要件しだいだけど).
今日は花金で午後暇になったのでざっと調べて書き出したけど,去年(おそらく最小限の修正などで運用するための発注) 3,600,000円 だったシステムを,今年は全面刷新して 138,600,000 円かけたわけだけど,ちょっとさすがに値段の割にお粗末な印象がある.
まぁ入札調書の開札日付が「平成」のままになっていたりしているの見ると教育委員会側も事務方スタッフが発注前から既に疲れてるんだろうなとも思うなど,ただそういう大人の事情はともかく受験生の心情を考えると,本来あるはずのない余計なストレスを掛ける結果に,大人の一員として恐縮してしまう.
一つ思うのはこれ「一般競争入札(技術審査型)」だけど本当にちゃんと技術審査したのかね?する能力あった?安い方に安易に決めてないだろうな??と,突っ込んでいった方が今後の神奈川県の教育環境のために遠からずなるかなと思ったけど,よく考えたら私は神奈川県民じゃなかったわ
「そういういかがわしいものだって知っててヤッたんでしょ」「しゃぶったんでしょ」「それでいい思いしたんだろ?」
ってジャニオタが騒いで被害者必死でぶっ叩いてて、それを諫めるかのようにブクマカが必死になってるけどね?
別にこれ、ジャニオタが悪いとかじゃなくて日本人の行動様式そのものだからね?
ブクマカたちも自分の知ってる界隈の後ろ暗いことがあらわになった時には
「知ってた」「今までだってバレまくってましたが、何か?」って言うじゃん。
ジャニオタだけが特別なんじゃなくて、お前たち日本人の本性がそうなってるの。
自分たち(もしくは、近しい界隈)も悪いことをしているけど、それは暗黙の了解ですでに被害者側も了解済み。
なんで告発されるとか心外です! っていう被害者ムーブに走るの。
あのさぁ。
クズなのはもうどうしようもないし、だからこそ零落れて逝ってるんだとは思うけども、他人が自分とおなじムーブかましたからって発狂するのはやめようや。
お前もジャニオタだったら、ジャニを擁護して被害者ぶっ叩く程度のメンタリティなんだからさ。
オマエラ日本人が知ってて口にしない「暗黙の了解」が曝け出された時に騒がれるのいやだろ?
されて嫌なことをすんなよ、日本人。
民度とは特定の地域・国に住む人々または、特定の施設・サービスの利用者(ユーザー)・参加者・ファン等のある集団の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、マナー、行動様式などの成熟度の程度を指す。
普通に成立すると思うけど
「増田住民(の集団)は(平均的な)程度が低くて無理」ということだよね?
民度とは特定の地域・国に住む人々または、特定の施設・サービスの利用者(ユーザー)・参加者・ファン等のある集団の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、マナー、行動様式などの成熟度の程度を指す。
「外国人差別するやつ」のみを抽出して、その集団の民度が低くないことはありえないから、
どのみち「民度が低い」の意味上の主語は「日本」ないし「日本人」であるとしか考えられないが
「外国人差別をするアホ」が「日本人」という集団の中に多数含まれるので、
「低所得者」では?
「中卒」では?
「外国人差別するやつ」のみを抽出して、その集団の民度が低くないことはありえないから、
どのみち「民度が低い」の意味上の主語は「日本」ないし「日本人」であるとしか考えられないが
「外国人差別をするアホ」が「日本人」という集団の中に多数含まれるので、
「日本人」という集団は「平均的な知的水準、教育水準、文化水準、マナー、行動様式などの成熟度」が低い
民度低すぎて無理。
最近のLGBT関連の議論見てると、人類が最初に自分たちのことを男と女に分けてしまったことがそもそもの問題だったのではないかと思うようになった。
分け方が雑なのよ。2つって少なすぎ。こんな低い解像度で人類を認識するようになってしまったのが失敗だったのではないか?
人間の性は本来多様でグラデーションになっていて、男と女の2つで記述し切れるものじゃなかったのを2つに分けてしまった。
虹の色は文化によってその数が違っているのよく知られた事実だが、面白いのは虹の色の数は7つという文化で暮らす人には本当に7つにしか見えなくて、5つという文化で暮らす人にはもう5つにしか見えない。「5つ?そんなわけないじゃん、もっとあるでしょ、見えるでしよ?」って7つの人が言っても本人にはどう頑張っても見えない。文化的なバックグラウンドって人間の世界認識のあり方まで変えてしまうんだな。
この男女2分問題も同様で「男と女の2つです!」っていう文化、社会で生活していると、もう男と女の二つしか存在しないというふうに見えちゃうんだろうね。そういうふうに世界を認識してしまって、そういうふうにしか見えないんだろうな。で、本人たちはそのことに気づけない。
本来多様なものを無理やり2つに分け、社会制度も文化も庶民の行動様式も2つに分けたもんだから、最近になって「あれ?2つじゃなくね?俺らの解像度低くね?」てなった時に、当然その矛盾が噴き出すことになる。
まぁこの多様な性は最近になってようやく認識され、受容され始めたことだから1万年前の人類には難しかったとは思うが、悪手は悪手だ。
どんな社会制度や文化や行動様式すればそうした多様な性を受容できるようになるのかを模索しているのが現代で、その変化の過程で既存の社会制度や文化や行動様式との軋轢が生じているということなんだな。
伊藤忠のエリートビジネスマンが、電車で痴漢して騒がれている件。
やったことは卑劣極まりないし、下衆以外の何者でもないけれど、
なんとなく自分もそうなってしまわないか、という恐怖心がニュースを見たときにあって、完全に責めきれない気持ちもあるような気がする。
30半ばをすぎて、仕事と生活とか人生に慣れると、生きているか死んでいるかわからなくなる時がある。
ドキドキするとか、ワクワクするみたいなイベントが極端になくなって、脳のドーパミンが出てこない感じ。
これからもずっとこの感じが続くのか、と思うと、急に絶望に近い気持ちになる。
あらゆることに慣れていくと、現実感がなくなる時があって、なんかそういう時にどうでもよくなることが、自分はとてもよくある。
若い頃は、お金を稼ぐこととか、何かを買うこととかで満足感を得ていたけれど、割とすぐに刺激に飽きてしまう。
結婚していると恋愛もできないし、伊藤忠の人みたく、子供が三人もいたら自分の時間なんてないだろうし。
自戒を込めて、だけれどそういう人間の生活に飽きた人は、刺激を求めてこういう性犯罪とかに手を染めていって、おかしくなっていくんじゃなかろうか。
生活に満ち足りていくと、脳がドーパミンを欲して、行動様式を変えてしまって突然変な行動してしまうんじゃないかという仮説がある。
ギャンブルとか意味のわからないものだって、刺激を金を出して買うようなものだろう。
お金を出して胸を揉んだら?っていう人もいるのはわかるけど、風俗も結局、飽きるんだよな、同じことの繰り返しで、毎回同じ情けない居た堪れない気持ちになって帰路に着く感じ。
用意されたリアルじゃないものに、人間は刺激を感じられなくなっていく生き物だ。
そのためには、趣味とか、適度にお金を使ったり、自分で何かをつくる(事業を作るとか人を雇うとか)熱中できるものを持っておかないとおかしくなってしまうと思う。
なんとなく伊藤忠の人も風俗は頑張って行ってたけど、リアルに感じられなくなってきて、今回の犯行に至ったんじゃないかってそんな妄想を一人している。
「アークナイツ」という作品内にレユニオンという集団がいる。作品世界内で差別されてきた人たちが叛逆した集団で、街の人々を皆殺しにしながら勢力を拡大させている。この集団は、とにかく今まで自分たちを差別してきたものを皆殺しにすることが希望だ。自分たちの仲間以外は全員殺しても構わないというかそうしなければ自分たちは助からないと思っている。あまりにも恨みが強すぎて、攻撃色を抑えることができない。いつのまにかColaboはそういう厄介者の集団のように扱われるようになってしまった。
Colaboはもともとフェミニズム的な観点から差別されていた弱者女性を救済することを目的とした組織であった。しかしリーダーの人物は、自分の気に入らないものを手当たり次第に攻撃しする難物であり、そのリーダーの暴走を誰もいさめないそれどころか社会的に素晴らしことをやっているんだと無限に甘やかし続けたせいでどんどん行動が過激になっていった。ある時全然関係のない論戦で負けそうになった時に、腹いせなのか話題そらしなのかは知らないが唐突に温泉むすめというオタクコンテンツを放火しはじめた。この運動に、以前から萌えオタク死すべし慈悲はないとオタクを殴りまくっていた異常者たちが便乗し、一部地域では温泉むすめの活動がキャンセルになったり、運営元が表彰を辞退するはめに陥るなどの被害が出た。このあたりからColaboは単なる弱者救済の事業をやってる善人とはみなされなくなり、レユニオン的な存在として認識されるようになった。さらにAV新法でも目立った動きをしていたことから、さらにその見方は強まった。
どんな社会運動にも功罪というものがある。身内の人間からしたら功の部分があまりに大きく見えるがゆえに罪のぶぶんは見えないだろう。自分たちの行為を批判されると烈火のごとくキレ散らかす。だが、外部から見た時に、功罪の罪の部分が極端に目立つようになると、どれだけ攻がしっかりしていてもそれはレユニオン的なものとみられるようになる。思えばTwitterでのフェミニズム活動からmetooからkutooまで、いろんな運動が出てきたが、どの運動も「些細な批判すら許さない」「身内でのなれ合いを崩すことは許さない」という態度のせいでおかしくなっていった。運動理念よりも「気に入らない人間を殴るための便利な道具」として使いたがる人間がすぐ調子に乗ってあちこちを攻撃しに行くようになり、批判されたら「フェミニズムを否定するのか」「kutooを否定するのか」と開きなおるような過激な人間を制御できなかったことで崩壊していった。何度も何度も何度も同じ間違いを繰り返して、それでも何も学習しないような連中が、自分に都合の良い場所を目指して転々としている。あくまで仮定の話だが、もし今後Colaboが影響力を失ったら、節操なく違う運動に寄生して全く同じことを叫び続けるのだろう。正しい社会運動のためには、こういう寄生虫を排除することが必要になるのではないか。今残っているColaboに寄生しようとする厄介者連中というのは大半が「ウマ娘のエロ絵を描いて周りから批判されているのに、それを無視し続けた結果公式から強制的に追放されるまで好き勝手にふるまい、そして追放されたらすぐにブルーアーカイブのエロ絵活動に乗り換える恥知らずな絵師」と同レベルにしか見えない。調子に乗りすぎて、力づくでつぶされて、そうなったら節操なく居場所を乗り換える。オタクとColaboに連帯するとか言ってるやつはどっちも行動様式から思考レベルまでよく似ている。萌えオタを批判してるやつは、単に正義オタクなだけで、正義とは程遠い。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10262793480
http://doujinsokuhou45.com/archives/18960805.html
Colaboは早くこの厄介正義オタクを切り離し、レユニオン的な立ち居振る舞いから脱出したほうが良いだろう。そのためにも、ちゃんと身内からリーダーをいさめられるような空気を作るべきだ。リーダーを身内から批判できる人が全くいないようであればいずれ粛清・統括からの自壊しか道はない。もうそうなりかけてる。
日本人にとって間違った欧米人の価値観であるセクハラなるものが導入されたあたりで完全に日本女性の性欲は拗れてしまったのだ。
本来女性の性欲は痴漢や職場でのお触り行為で適度に発散されていたものである。
昭和時代に作成されたドラマ・映画を見てもらえばわかると思うが、
部長課長役の男性がお茶くみの女性のお尻にタッチしてそのことを女性が喜びながら怒るというのは定番のシーンである。
女性というのは性欲があることや性欲を満たされることに対する喜びを素直に表現できないものである。
これは様々な要因によるものがあるが基本的には金銭に換算できるような対価を要求できることを無料で男性側に提供することに対する不条理に対するものである。
という矛盾により発生する不条理に対する無意識の不満によるものが
その間には女性も普通の生活の中で性欲を発散することが出来平和であった。
しかしながら1990年代前後に米国からセクシャルハラスメントなる概念が導入されることになる。
その原動力になったのはフェミニストと呼ばれるようなある種の主義に凝り固まった人々が社会運動化することにより自らの立身出世に役立てようとする活動によるものである。
わかりやすくいうと
セクハラをバズらせて
ある価値観を提供されると、本来的な自分の気持ちを差し置いても、その価値観そのものに自分の意志を委ねるということをする。
セクハラ、という概念が紹介されたときに一様に昭和の人々は困惑した。
あまりに日本人には馴染みの薄いバター臭い欧米人の極端に個人主義を発展させた上での屁理屈のようなその理論と、
その主張を声高にする人々の本音のようなものが薄ら見えて気味悪く感じられたのだ。
しかし、人はひとつの目新しい価値観を提供されるとその正否は別にして、ただ新しいと言うだけで魅了されるものでもある。
とくに若い人々、当時の自らの性欲の発散のさせ方をよく理解できていない女性にとってはそうであった。
本来、適切なタイミングで行われる痴漢やお触りは喜ぶべきスキンシップであった。
大人たちはそのことをよく理解していたし、だから社会的に黙認されていたことであったのだ。
この場合女性の適度な性欲発散を社会的に容認するというやや風俗的に如何なものか?
と問われる部分においても柔軟に解釈して女性の喜びを保持するべきであるという社会的なやさしさがあったのだ、昭和には。
しかし、そのことを理解する前に新しい概念を吹き込まれた女性たちは、
自らの欲望と、ある種の屁理屈のような主義主張にとの間で葛藤することになる。
それが警官のコスプレをしながら、痴漢待ちをする、というような第三者から見れば摩訶不思議な行為によく現れている。
本質的に痴漢待ちをしたいという強い願望を持つのが女性であるが、
拗らせたきった間違った価値観を後天的に学習してしまったことと、
まるで痴漢をされるのが「損」であるなどという自らの首を締めるような考え、
自分で自分を鎖で縛るような考え方に染まりきってしまって最早身動きがとれなくなっている。
年齢
顔認証と年齢確認のためにマイナカードをかざすようにすればよいのである。
本質的に自分たちの行動が間違っていると気づく端緒にもなるというのに
今の運用方式では、ただ単に一般車両よりも空いているから、という理由で使われており
それがゆえに廃止すべき女性専用車両の廃止すべき理由が意識されないのである。
ここまで書いても理解できない人は多数いることはわかる。
人々の価値観をコントロールするというのはそういうことなのだ。