はてなキーワード: ソングライティングとは
anond:20220517213328を見て自分もやりたくなったので今更ですがやらせてください。
キリがないので1アーティスト1曲縛りで。
順位付けしようとしたけど結局好きなアーティスト順にしか並べてないことに気づいて発売順に並べることにしました。
以上、50曲。選曲とコメントで合計6時間ぐらいかかった気がする。でも楽しかった。
さらっとギターと自分の声だけで勝負する人間全てをdisりやがったなこの野郎。福山なんかぶっちゃけどうでもいいがこれだけは許せん。
しかし俺が思うに、ギターで作れる楽曲の世界観には限界があると思う。
渋谷系や外国のクラブミュージックには、打ち込みの音でも生演奏のような繊細なメロディを複数重ねて、
それにヴォーカルを乗せて、いろんな音色が複雑に絡み合って、何年聴いてても聞き飽きないような楽曲になってたりする。
いやもちろん、「人の音楽の趣味は人それぞれだから、どの曲が優れてるかっていう判断基準なんてないよ」っていう相対論も共感出来る部分はある。
俺が気になるのは、福山雅治の音楽に対するスタンスについてだ。
本当に音楽が好きなのであれば、ギターと自分の歌声だけで勝負するんじゃなくて、堂本剛とか岡村靖幸とか山下達郎みたいに、ギター以外の
いろんな音色を自分の楽曲の中に取り入れようといった好奇心や努力を積み重ねるんじゃないのか?
それが福山雅治には感じられないんだよ。
なんで「ギターと自分の歌声だけで勝負する」人間が「本当に音楽が好きではない」みたいなことになってんの?
ギター一本で勝負出来ない奴こそ、シンプルなソングライティングから逃げた、とも言えるんじゃないの?
お前の頭の中こそ「多様な音を入れなきゃいけない」信仰に囚われてるんじゃないのか? 本当にすごいギター一本の演奏にじっくりと耳を傾けたことがあるのか?
でもギター一本でリスナーの魂を抉り出そうとしている人間が、色んなジャンルをつまみ食いしている音楽をやってる人間に劣るなんてのは、どうしても納得できない。
上京したのは18の時。
目標や夢なんか何も持っていなかった。
子供の頃から母親には「あんたは大抵のことがそれなりにできるけど、なにか一つでも真剣に打ち込めるものを作らないとダメだよ。」と常々言われていたが、その頃の自分はどれも上手く出来ている実感は持っていなかった。
今思えば確かに「それなり」にできていて、得意科目だった英語は周りの同級生が必死で家で勉強してようやく偏差値60ぐらいだったのに、一切家では勉強せずにビートルズの曲と歌詞・和訳をすべて暗記しているだけで偏差値70オーバーだった。
つい最近にはじめてテストをやって知ったが、IQが無駄に134もあるらしい。
高校卒業後は入試科目が国語と英語だけのFラン大学に進学した。
大学に入って軽音サークルに入ると、高校時代までは出会ったことがないようなタイプの人間がたくさん居た。
僕が在籍していたサークルは大学の軽音サークルでは珍しく、オリジナルバンド、いわゆる外バンを多数抱えるサークルだった。
一番多い時には30近くのバンドが学外で活動していた。
楽器を始めたのが高校2年生の頃で、そもそも不器用でそれほどうまくなかった僕はサークルでできた友人たちとコピーをやることすらままならない腕前だった。
それでもあまりに個性的で魅力的な彼らと遊ぶことはそれまでに経験したことがないような楽しい時間で、知らない音楽を教え合ったり集まって練習したり、悪ふざけをしたりとこれからの人生も含めて二度と訪れないかけがえのない時間だった。
全く自信がないから初めは断っていたが、ある日何故か承諾してしまった。
そのバンドは加入した時点では大学付近のライブハウスで月1ぐらいのペースでライブをやっていたぐらいのよくあるアマチュアバンドだったが、リーダーである件の誘ってくれた先輩というのが天才的なソングライティングの才能を持っており、かつ、人間関係を築く天才だったため加入してから瞬く間にCDを全国のレコードショップで発売するまでになった。
それに伴い、ライブの回数は増え、レコーディングや地方へ遠征する機会も多くなっていった。
大きく変わっていく生活に僕はなかなか慣れず、また、もとよりやる気を出すのに凄くエネルギーが要る(この時は気づいていなかったがADHDだということが後で分かった)ため行動力は鈍り、授業にはどんどん出なくなった。
その分、楽しくバンド活動をやっていたのかというと、そうでもなかった。
バンドの活動の幅が広がるにつれて、自分の下手さが足を引っ張っていると思い込んでしまい、プレッシャーを感じていた。
ただ下手くそなだけだったらどれだけ良かったか。運が悪いことに、僕はどうやらアレンジのセンスがあったらしい。
センスだけは代えが効かない。いつの間にかバンドに必要不可欠な人間になってしまっていた。
もうこうなったら練習してうまくなりさえすれば良かったが、この頃にはギターを弾くことが苦痛とさえ思うようになっていた。
それでもライブは決まっている。
学校にいく必要もなくなったので更に本数は多くなり、その次の年には年間とおして4
日に1回というペースでライブをやった。
これだけやってればそれなりに認知度も上がってきて、ファンだと言ってくれる人も多くなった。
そういった人たちに褒められたり応援してもらう度に自分が下手すぎて死にたくなった。
なおさら後に引けない状態になっていった。
もしかしたら他のメンバーも同じような気持ちだったのかもしれない。
3枚目のアルバムをリリースしようとする頃にリーダーがついに心折れた。
「このCDを出してどうにもならなかったら、終わりにしよう。」
一番身近で一番頼もしい仲間が夢を諦めた直後だった。
メンバーの誰も反対はしなかった。
その後の1年間はそれまでが嘘だったかのように必死で練習して曲も作ってレコーディングした。
あっという間に1年が過ぎて、バンドは活動停止した。
その後、知り合いのバンドにうちでやってくれと頼まれた。
初めはもうバンドはやるつもりはないと断っていたが、あまりのしつこさで折れてしまった。
その1年間で多少自信をつけていたせいもあるかもしれない。
その後はまた同じようなことを繰り返した。
学習しないやつだ。
2つ目のバンドに加入して3年目。
就職していたが、社長とソリが合わなくて喧嘩して辞めることになったので、これを理由にして実家に帰ることにした。
バンドも辞めた。
この10年間は一体何だったのだろう。
幸いにも初めのバンドをやっていた頃に働いていた会社でウェブマーケティングのスキルを身につけていたので、田舎の賃金が安いとはいえ全く生活には困っていないどころかちょっと本気を出せばそれなりに余裕のある生活すらできる。
ただ、生きている実感がまったく無い。
むちゃくちゃなことばっかりやっていたけど、音楽をやる時だけはみんな真剣だった。
就職した後も次は仕事に真剣で、中には28で上場企業の副部長クラスの地位を得ていたり、だれでも知っているような会社の営業所長になっていたりする奴もいる。
こう言うとアレだが名前書ければ入学できるようなFラン大学出の人間の出世コースじゃない。
仕事の話を聞いてもやっぱり彼らのやること考える事は真剣だ。真剣にやって来た結果が彼らにはある。
僕は到底彼らにかなわない。
別にお金も地位も栄誉もいらないが、これから先も一度たりとて彼らのように真剣に何かに向き合うことができずに生きていくのかと思うと怖くてしょうがない。
たくさんの反響を頂きました。
後で読みなおしてみると書きなぐった感がすごくてとても読みにくい文章でした。すみません。
急に誰かに聞いて欲しくなって勢いで書いたので・・・
いろいろな意見を頂いて、自分の中で今後どうやって行くのか決意が出来ました。
http://anond.hatelabo.jp/20140619160649
いつかまたいい報告ができればと思います。