はてなキーワード: あんことは
何の学科か分からないが、何かを調べる授業があり、何故かその調べ物をする場所がとんでもない傾斜の坂の上の山の中にある。
傾斜が凄まじく、自分は途中まで自転車に乗って登っていたのだが進む事すらできなくなり、あまりのことに笑いながら自転車を諦めて脇の空き地に横たえて置いて坂道に縋り付くように四つん這いになりながら道を登り始めた。路側帯の白線が何故か普通に帯のように紐のようになっていて握れるので、それに掴まりながら登山のようにアスファルトの道を登っていく。他にも同じ様に山の上に向かっている生徒があり、状況のとんでもなさに苦笑して笑い合いながら目的地に着いた。
山の中腹にある開けた空き地は周囲を木々に囲まれ短い下草が青々と茂っていて、そこに図工室にあるような作業台や角椅子が整然と並んでいる。細部をよく覚えていないが、本類、資料?文献?は卓上に置いてあったのかもしれない。本棚は無かった気がする。そこで多くの生徒、教師が角椅子に座り何かを調べたり読んだりしている。
男女の教員、1人はふくよかで豊かな癖毛をした落ち着いた服装の長髪の中年の女性、1人は顔色が極めて悪い、短髪で目をひん剥いたようなギョロ目をした和装の男性。で、何故か自分はその男性の向かい側で古書を見ていて、その古書は神社の御由緒のような、神社に伝わる書物の由来が記載された目録のようなものだった。読んでいるうちに、その神社の建立当初、帝から賜った宸翰が今に伝わっていると書かれており、へぇええ〜!!!と顔を上げると、夢なので唐突に、目の前の教職の男性の脇に60代くらいの落ち着きのある痩せた神主さんが居て、「持ってきましょうか」と言う。は???凄すぎる、見て良いのか、やべー!!と心中で慌てふためきながら大人しく待っているうちに、夢なので唐突に周囲に人は居なくなり、その作業机には自分と教職の白服の男性、少し向こうにふくよかな女性の教員だけが居て、何故か神主さんが神社に贈られた上等の和菓子をあけて自分と男性教職員に出してくれる。
そのひとつをようく覚えていて、それは艶々ぴかぴかとした光沢のある、一つ一つの粒がしっかりとしている黒豆のような茹で小豆?あんこ?に覆われたぼたもち/おはぎで、実際存在するのかと検索してみるとそのような物は見つけられなかったのだが、自分が見つけられなかっただけでどこかには存在するのかもしれない、それを美味しく食べた。あまりの旨さにまた感動して目を見開きながら顔を上げて目の前の男性教職員を見ると、わかるぞと言うように相手はうなずき、「本物は内側が7層になっているんですよ」と教えてくれて、こんな小さい和菓子の内側に何が7層も入っているのか気になって仕方がなかった。
夢なので唐突なのだが、我々の机の横手には、自分達が登ってきたはずのアスファルトの急斜面は無く、けばけばしくない、ぼろくもない、使い込まれた年代物の神楽殿があった。開け放たれたそこには、奥の方に木札のような、30センチ程の高さの有りそうな折紙に包まれた書状がいくつか重ねて立て掛けられていた。あまり恭しい扱いとは言えないように見えたが、粗雑に扱われているようでもなかった。そのうちのいくつかを今から読むのだろうか?神主さんが紙を開いて書面を出してくれたあたりで目が覚めた。
艶々の黒豆に覆われたあのぼたもち様のなにかが気になって仕方がないが、ぼたもちではなく生菓子かもしれない。
私は平成17年12月31日より前は延岡市に帰ってなかったというかですね、8月2日頃にはウエスタンヒルにいて普通にドラゴン桜とかをみていたが、その時代に今のような真っ暗
な状況はなかった。いつの頃からか、宮武康がやっているってことは分かったんですが、それがいつごろかは分からんですね。宮武康は最初の2年間だけやろうとして、平成20年3月22日かに
うるせえが事件の判決を書いたと一緒に死んだような気がします。そやから平成20年3月22日が境目になると思うのですが相当な人から抵抗があったと思いますよ。
東京が悪化したのは平成20年10月頃からでその頃から誹謗中傷がTwitterで激化して、なんか、MONO君が流行ったのは平成20年6月だと思いますが、私が東大法卒後に死んだのは
平成19年6月だったと思いますが、プリエール野田で、よし子の死体の横で久美子とかと寝ていたのですが、親戚が、あんこはウィッグをかぶって重体な気がすると、その後になんか、
国技館にもいった気がするがおばさんから、なんか可哀想な子ねえと言われて、なんかその時は重体だったというか、席の前に座っている竜輝も直視できなかったというか、それほど重体ではなかった
◾️歯列矯正
前歯の歯並びがガッタガタなのを気にしてやってくれた。小学2〜3年の1年程で終わったと思う。上顎のみで裏側に器具をつけるタイプのやつ。
当時は「歯並びなんてどうでもええのに。痛いし嫌だわ」と思いながらやってたが、大人になった今では1番感謝している。今でも「歯並び綺麗だね」と言われる。
ちなみに母親はシングルマザー、祖父母も増田が産まれる前に他界しているため経済的に余裕があった訳ではなかった。
◾️コンタクト
中学生まで授業中のみ眼鏡をかけていたが、高校に上がると同時にコンタクトを買いに行かせてくれた。
眼科からの帰り道、視界いっぱいに広がった鮮明な景色への感動は忘れない。
◾️食育のゆるさ
①嫌いなものは食べなくていい
食べなくてもいいというか、そもそも増田が嫌いな食材(ピーマン、ネギ、あんこ)は全く食卓に並ばなかった。
結果として歳を重ねるにつれて勝手に食べられるようになり、今では特に嫌いな食べ物はなくなった。
②食べれる量だけ食べればいい
「残さず食べなさい」と言われる事はなく、食べきれなければ残してもいいスタイルだった。
小学校中学年頃までは好きなおかずだけ食べて残す事が多かったが、小学校高学年頃には大体完食出来るようになっていた。
③箸の持ち方は矯正しない
元々変な箸の持ち方だったが、特に母親から指摘された事はなかった。
小学2年生の頃に友達の家でお昼をご馳走になった時「変な箸の持ち方恥ずかしいな」と感じ、自分で練習して正しい持ち方が出来るようになった。
自分が親になった今、子にあれこれ言ったところで結局は子自身が「自分でどうにかせねば」と気づかなければ意味ないんだろうなと思う。(食に限らずだと思うけど)
コンロで火付けるだけでも10円いれなきゃいけねえんだぞ?
多分これのことだと思う。
(東京について知らない人のための補足)
山谷(さんや)は、東京都台東区の北東部清川・日本堤・東浅草一帯の通称。
安宿が多かったことから労働者が集まり、寄せ場と周辺のドヤ街(台東区だけでなく、隣接する荒川区にも跨る)の通称(旧地名)として使われるようになった。
一時期、遊廓が置かれたことから、吉原遊廓を指す場合もあった。
交通の便がよく格安ホテルがあることから、2000年代以降はバックパッカーを含む訪日外国人の宿泊地としても人気を集めている。
山谷とは、東京・台東区(下町)にある日雇い労働者が多く集まる街で、安い宿屋がたくさんある地域の名称。
日本人の低所得者だけでなく、外国人のバックパッカーとかもいる。
似たような場所として、大阪・西成区のあいりん地区があるけど、ちょっと違う。
あいりん地区は、道端に「あんこ」(路上で寝ているホームレス)がいるけど、山谷には基本ホームレスはいない。
東京のホームレスは、山谷の近くの川沿いなどにいて、住み分けられている。
また、あいりん地区では覚○剤が売られているけど、山谷では売られていない。
無職ホームレスが大阪から東京まで移動する手段があるのか分からないけど、あいりん地区より山谷の方が治安が良いと思われるので、ホームレスに転落した人は山谷に行った方が安全だと思う。
推しのこと別に性的に見てませんけど、私はとても推しに興奮しています!ってのを表現するために使われている時も多い
最近は「食べたい」もよく使われるようになった。推しをお餅とかにたとえて、食べたい!などと言って、決して性的には見てないけど、何か推しに対して侵襲性のある接触行為を取りたい気持ちを表現する手法である
こういうのって私は興奮しています!って構文だからどんどん表現がエスカレートしていくんだよね。最初は「赤ちゃんみたいでかわいい!」くらいだったのが、幼児言葉使いだしたり、推しの画像にヨダレかけや哺乳瓶のイラストをコラしたり。「白いお餅みたい」だったのが「二の腕にあんこつけてかぶりつきたい」とかになる。うん、キモいよな。
ル・プチメック クロワッサン・オ・ブール
ベッカライ・ビオブロート フォルコンブロード、シナモンロール
フロインドリーブ クロワッサン(薄くてパリパリのとこが好き)、ハードトースト(子供のときと香りが変わった気がする)、シトーレン
フロイン堂 あんドーナツ(かすかにシナモンの香りがするのがいい)
イスズベーカリー スコッチエッグカレー、フランスDEあんことバター、エンペラー(山型パンのフチが食べたいとき)
パンやきどころ RIKI リュスティック(栗かリンゴが入ったの気分で)
夜中に寝ぼけて書いてたら、ブクマ増えててびっくりしました。ありがとー。
神戸市の美味しいパン屋を書いたんじゃなくて、私の好きなパンを挙げただけです。
東から西に所在するパン屋さんを書いたのだけど、フロインドリーブとフロイン堂の位置が逆ですね。
美味しさを追求するほどこだわりがなくて、昔ながらの素朴なパンも大好きです。
神戸阪急地下にあるピロシキ屋のロシアピロシキとかも大好きです。
(昔、京都の高島屋にもあったのに消えちゃったので神戸にはずっと残り続けてほしい。)
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一度午後に買いに行ったことがあるけど、たまごサンドに苦手なパセリが入っていて気持ちが遠ざかってました。
兵庫区って最近、パン屋が増えてきている気がするのでおすすめ教えてください。
一斤食べるのに冷凍して一週間はかかるので、
1枚スライスとか、クリームパンとか、たまごの入ったホットサンド買ってます。
コストコ神戸の裏手の住宅街にある、ファンベックにいた人のパン屋さん
塩パン食べて感動した。
昔、スガキヤ子会社時代に一瞬元町にお店があって、撤退してからずっと恋焦がれてた。
ルクア大阪の地下に常設になったので大阪駅に行くたび買ってます。
ルクア大阪と京都伊勢丹に行ったら、クロワッサン オ ザマンド絶対買います。
何食べても美味しい!
マツコの知らない世界のバタートーストの回で見てバタートースト作って食べたら、おいしかったので書いてみた。
生で食べておいしいと思うかは、知らんけど。
私、西のほうの人間なので、六甲とか、東灘のパン屋さんあまり知らないのです。
ビアンヴニュとか車で前を通るけど行ったことないのです。(セセシオンから近いのに)
神鉄沿線、三宮より東の美味しいパン屋さん情報教えてください。
そしたら入り口のフードコートに「たい焼き本日100円」ってのぼりが立っててさ。
普段120円のたい焼きが今日は100円だってことで、お、今日は100円かあ、と思ったんだよ。
でもよく考えたらこないだも同じのぼりが立ってたこと思い出してさ。
書いてあるのは「本日100円」って事実だけ。いつも100円ならわざわざそんなのぼり立てる必要なくね?
優良誤認じゃねえけどさ。消費者になんらかの誤認はさせるわけじゃん?
なんて思ったけど、まあ、たまには嫁さんに買って行ってやるかと珍しく思ってさ。
本題はここからなんだが
正直、嫁さんはあんこ好きだが俺はそうでもなかったので
「じゃあクリームで」って返したんだよ。
そしたらおばちゃんわかりましたっつって
何て言ったと思う?
「お会計240円です」って言ったんだよ!
思わず聞き返しちまったね。
「あれ100円じゃないんですか?」恥を忍んで聞いちまったよ。
そしたら「100円はあんこだけです」って大仏みたいな顔して言うわけ。
あのなあ。
こっちは100円だからたまには買って帰ろうかなって思ったわけで。
俺が店のまえにつったってのぼりジロジロ見てた姿あんたも見てただろ?
それなのにクリーム勧められたら、クリームも100円なのかあって思うじゃん。
いや、正確に言うと思ってもいねえよ。
俺はクリームが120円のままだなんて1mmも疑ってねえからさ
わざわざ「クリームも100円なのかあ」なんて思ってすらいねえよ。
こっちは当たり前みたいに、あんたを100%信用して「じゃあクリームで」って言ったんだよ。
それなのに、そんな純粋な俺の気持ちを踏みにじるように「お会計240円です」じゃねえよ!
たかが40円の話だよ?
何だか裏切られたような気持ちになっちまってガッカリしたんだよ。
おまけに嫁さんにはあんこのほうが良かったなんて言われるしさあ。
なんだかクリームがやけにしょっぱかったなあって話。
もう二度と買わねえ。