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はてなキーワード: テクストとは

2017-05-27

人工知能学会論文炎上文系の方が勘違いされていること

人工知能研究者人工知能学会から帰ってきた。

件の論文の著者のうち1名とは知り合いではあり、今回もご挨拶ぐらいはした関係である

件の論文の話が大きくなり、文系研究者の方の記事も何件か出てきた。

https://srad.jp/~yasuoka/journal/612256/

http://mistclast.hatenablog.com/entry/2017/05/26/203043

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20170526/1495783027

前置きするが、件の論文正当化する意図は毛頭ない。とにかく、件の論文不適切であった事は確かだと思う。

私は、家族文系研究者がいるので、ある程度文系領域についても分かっているつもりである

文系研究者の皆さんが、大きく勘違いしていると思われる点がひとつだけあるので、指摘しておきたい。

文系では、テクストのもの研究対象とすることが通例であるので、今回挙げられた小説を「分析対象」や「研究対象」と思ってしまう傾向があるようだ。

しかし、工学観点からは、今回挙げられた小説は、分析対象でも研究対象でもない。

工学手法を論じる方法であるので、分析研究、そして評価対象となるのは、あくまで、手法である

小説の内容自体は、研究分析評価対象ではない。小説の内容については評価しない。

極端に言えば、小説を単なるデータとしてみて、データの中にある文字列が含まれている場合に、手法がどのような振る舞いをするのかを観察しているだけである

研究対象分析対象評価対象手法である小説は単なるデータだ。小説の内容については評価しない。

ただし、世の中には色々なテキストがあるので、そのような小説に書かれている表現入力として与えられる可能性はある。

そういう場合に、「手法が」どのような振る舞いをするのかを観察し、「手法を」評価するのが、工学研究だ。

このように言うと、おそらく、「しかし、有害、という言葉を使っている時点で、小説に対して評価を下しているではないか」という反論が返って来そうだ。

私が、今回の件で、非常に不適切であると思っているのは、まさに、このポイントだ。「有害」というような、内容を評価しているかのような表現は用いるべきではない。

例えば、「性的」といったような、内容に対する評価を含まない表現に置き換えるべきであったろう。

あるいは、有害図書基準などの参考文献を引っ張ってきて、「その基準に照らせば有害に分類されるデータ」という体で小説を扱い、評価しているのは論文著者たちではないという事を明確にするべきであった。

繰り返しになるが、工学研究では、通常、研究対象手法であり、今回の論文も、明らかにこのタイプ研究であると思う。

この論文は、「この小説がなぜ書かれたのか」「この小説社会の中でどう位置づけられるか」といったような、小説自体対象とする研究ではない。

追記:

「「わいせつ」といったような、内容に対する評価を含まない表現」に引っかかってる人が多いみたい。「わいせつ自体が「有害」同様に、評価を含んだ言葉だという点は、確かにそうかもしれない。上記の論旨とズレていて申し訳なかった。

まぁ、件の表現が「わいせつではない」と判断するのは、社会通念上難しいと思うが…?

まぁ、「わいせつ」という言葉問題なのだとしても、論旨は同じ。私の言いたいことは、件の表現クラス分けする工学手法が主たる関心なのだから別に、「表現001」でも何でも、クラスにテキトー名前をつけて、クラス分けすることが主たる関心であると分かるように書くべきであったということ。

どういう名前クラス分けしようと、自動的クラス分けしたい場合がある事そのもの否定できないと思いますよ。

自動的クラス分けしたい場合があると著者たちが思っていること」そのもの意見である、という見方もできるとは思いますが、今回のケースについては、類似研究がたくさんあるので、自動的クラス分けしたいニーズ存在否定することが難しいのでは。

とりあえず、当該表現は「わいせつ」ではなく、ブコメにあった「性的」としておきますね。小説に出てきたような表現性的であることは明らかだと思いますので(そうではないという反論もあると思いますけど)。

あと、これ。 id:aoi-sora 「人工知能研究者は、事実意見区別すらできないのか。」まぁ、当該小説表現が「わいせつ」には該当するだろうと思ってしまったのは私の落ち度だったけど、それ1つを持って、人工知能研究者全体を語られるのは困るなぁ。あなたこそ、そんな過度な一般化をして、事実意見峻別が出来ないのか…と思います木下是雄の当該本も読んでいますよ。

id:type-100 環境の話とは話が違うんじゃないですかね。そもそも、今回の論文は、pixivという環境については何も直接の介入は行っていないわけですし。これが、研究のために、例えば、「意図的pixiv作品批判するようなコメントを書いて作者の様子を見た」みたいな話だったら、おっしゃるような問題類似するケースになると思いますけど。

2017-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20170228123141

借金玉は占い師的な能力があって、きわめて属人的体験を、知能や能力に大きなばらつきのあるADHD者のライフハックとして一般化して読ませることに長けているのだけど、そもそもおまえ何者なのよ?ってところで引っかかってノンフィクション文学以上のテクストとしては読めない。

2017-02-27

文系永遠に作者の気持ちでも考えてろよ〜作者のフレンズと作者の意

文系は作者の気持ちでも考えてろよwwwという文系に対する典型的煽りがある。

元々がネタスレ気味な2chネタなので、「マジレス」するのもどうかと思うが、「本当に文系は作者の気持ちを考えているのか?」について書いてみたい。


これについて書こうと思ったのは、以下の記事を読んだのがきっかである


けものフレンズ考察班VS哲学的ゾンビ

http://honeshabri.hatenablog.com/entry/philosophical-friends


いずれにおいても、根底にあるのは、作者・製作者の意図気持ち考察することこそが重要という発想ではないだろうか。

しかし、少なくとも現在文学において、作者の意図気持ちを推測・考察することはそこまで重要視されていない。

現在では、神としての作者の意図を探るのではなく、主として、作者から離れた作品のものテクストから何が解釈できるかが論じられるのである

(いわゆる「作者の死」。ここら辺の議論ロラン・バルト以降、色々と展開しているけれど面倒なので省略する。)

この考えのもとでは、文系は作者の気持ちを考えているのではなく、「制作者はそこまで考えてないと思うよ」というツッコミはあまり意味がない。

制作者がそこまで考えてなかろうが、作品自体からその解釈が成り立つなら、その解釈は「アリ」なのだ


では、その解釈が成り立つかはどう判断するか?

作者の意図に沿うかで判断することはできない。

判断方法としては、ざっくり言えば、作品の内容と整合するかを基準として、その解釈が支持を得られるか、という多数決的な方法しか取り得ない。

乱暴方法だが、これしか方法がないのである

文学における解釈とは、このようなルールのもとでのゲームとも言えるだろう。

もちろん、作者の意図を探る、というルールゲーム可能ではある。

しかし、個人的には、それよりも作者の意図を離れた解釈を論じるゲームの方が面白いと思うし、そちらが主流なのだ


では、作者の意図解釈と全く関係いか、というとそうでもない。

作者は、あえて明確には表現しないことにより、解釈余地(穴埋めの余地)を持たせることがある。

受け手がそのような作品解釈をすると、作者がこっそり埋めた宝物を見つけることができるのである

はっきり表現しすぎては解釈余地がない。

分かりにくすぎては解釈しようがない。

優れた文学とされるものは、この宝物の隠し方が上手いものが多い。

現代日本において、これを最もうまくやってのける作家の一人が村上春樹だろう。


もっとも、作者が整合的な解釈を想定せずに作品を作ることがある。

新世紀エヴァンゲリオンがこれだと言われており、上述の村上春樹も、ねじまき鳥クロニクルについて似たような批判がされたことがある。

作者の意図する整合的な解釈を求める立場からすれば、このような行為は、作者の裏切りにも思えるかもしれない。

しかし、作者の意図無関係解釈をする考えであれば、そんなに目くじらをたてることではないのではないかと思う。

もっとも、そのような作品に(作者の意図しない)面白い解釈が成り立ち得るかは別論である


以上に述べたことから分かるように、たくさんの人がけものフレンズについて考察をし、その考察がある程度の人に受け入れられているのであれば、制作者がどこまで考えているかはともかく、その解釈は(文学的に)アリなのである

から変な雑音に対する惑わされずに、考察班においては、思う存分考察をしてほしい。

けものフレンズは見たことがないが、切にそう願っている。

2016-11-27

本が、文章が読めなくなった

長い文章が読めなくなった。識字障害ではなく、テクストに集中できなくなった。読みたい小説漫画も買っているけど、冒頭の数行以上読み進めることができない。こんなに読みたいものもあって読んで考えたいこともたくさんあるのに何一つできない、本当につらい。どうしていいかからない。医者はとりあえず睡眠をよくする薬を処方してくれたが、本は読めるようにはならない。睡眠は少し長くなった。

twitter漫画はだいぶマシに感じるけど語を鳥羽市飛ばししか見ていないから。漫画も絵だけ見ようとしても話を追おうとすると2ページも読み続けるのは無理みたいだ。

仕事で短いけど文章らしきものを書くことがあるけど、書いたテキストをちゃんと読み返せないから誤字とか説明矛盾みたいのが頻発している。

本の世界楽しい面白い社会には向いていないか社会ではうまく生きられないけど、本があるから新しい本が出るから生きようと思えるのになんでどうしたらいいんだ、本を手に取ってめくって閉じて置いてまた取って見て置いてと繰り返していたら涙が止まらくなった。頭の中で何が起こってるのか誰か助けて

2016-10-12

ぺるん氏とddrdaisuki氏の喧嘩

ぺるん氏 以下、ぺ氏

http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2016/09/12/210000

ddrdaisuki氏 以下、D氏

http://possession.hatenablog.com/search?q=%E7%8C%AB%E7%AE%B1

二人の喧嘩を見た。

他人喧嘩コメントするほど不毛ものもないが第三者目線必要かもしれないとD氏が書いているので

第三者として書かせていただくと…どちらにも相当に非があるとしか言いようがない。

どうもこのお二人は過去にも因縁があるようで積り積った鬱憤が爆発したようである

あくまでも私の目から見た今回の顛末である

ぺ氏がランス03の感想を書く

D氏がツイッターで叩く

ぺ氏がぶち切れる

という流れである

感想なんて好き勝手に書けば良いのであるからいくらまらない感想だったとはいえ、D氏が叩けばぺ氏が気分を害するのは当然であろう。

もちろんつまらない感想をつまらないと書くのはD氏の自由ではあるものの、発端はD氏が悪いと思うしぺ氏の方の肩を持ちたい気分である

これで終わりにできればこれほど簡単な事はないのだが、喧嘩が進めば進むほど私にはぺ氏の株が下がっていく一方なのである

まずは書き方。非常に攻撃的な書き方である

内容自体はD氏もぺ氏も共に相手喧嘩を売っているのだが、D氏が慇懃無礼な書き方でちくちくと攻撃しながらもランス03の感想の書き方を問題にしているのに対し

ぺ氏はD氏をお前と呼び、人格攻撃積極的に織り交ぜている。これは非常に印象が良くない。

たとえD氏がクズだったとしても、ぺ氏がD氏よりもまともだという事にはならない。そもそも人格問題はあまり関係がなく、感想問題のはずである

少なくとも

[私の感情感性が未熟なことを説明せずに滑稽だと語られてもどこにも妥当性がないんだが?]

というぺ氏の文章に関しては、この喧嘩を見る限りぺ氏の感情が未熟な事は一目瞭然である感性は知らない。

ぺ氏はD氏に主張の論拠を求めているが、これもよくわからない。

第三者から見て、D氏のこれは主張ではない。単につまんねー…という文字どおり便所の落書きレベル悪口である

それがウザいというのはよくわかるが、便所の落書きに対して論拠を事細かく求めるのはあまり意味がないように思う。

D氏はぺ氏の感想をつまらないと言い、ぺ氏はなぜつまらないのか理由を挙げろと怒る。

それに対してD氏は一応つまらない理由を挙げている。しかしぺ氏は納得せずに怒り続けている、というのが私から見た今回の流れである

D氏の挙げた理由はぺ氏の感想方向性とは明らかに異なるものであり、ぺ氏がそれを受け入れないのは客観的に見て当然だと思う。

さらにぺ氏のランス03の感想は、少なくとも万人が読んでつまらないと判断するような酷いものではない。

誰か1人でも面白いと思う人を連れてこいとD氏は仰っていたが、私は面白いと思ったし、他にも面白いと感じた人はいるだろうと思う。

D氏の発言は「俺にはつまらなかった」以上の意味はない。

はいえ、D氏はD氏の価値観に従ってきちんとつまらない理由を挙げている。

それに対して、まともな根拠反論もできずたじたじになっているというぺ氏の反論は、的を外しているように私には映る。

気に入らない人間から悪口を言われて怒りにまかせて逆襲したものの、予想以上に手ごわくてたじたじとなる、だが負けず嫌い性格で後には引けないぺ氏…という方が私の印象に近い。

喧嘩の発端は明らかにD氏が悪いのだが、議論の筋を読めば読むほど、ぺ氏の論のおかしさの方が目立つ。

自分以外のランス03のダメ感想を数え上げて、なぜ自分に対してだけ批判をするのかといった逆ギレなどは書いていておかしいと思わなかったのか。

ネット存在する全てのダメ感想を叩いてからでないと、ぺるん氏の感想を叩けないというのはムチャクチャな話だ。

便所に悪口を書いた相手に対して、立証責任が云々というのも非常にバカげた話である

元々喧嘩を売りに行ったのはD氏なので、D氏の肩を持つ気もあまりないのだが…。

余談

ぺ氏の過去記事を読むと

http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2016/08/17/070000

http://sessions.hatenablog.com/

http://bern-kastel.hatenablog.com/

ぺ氏自体積極的他者感想へと攻撃を行っているという驚愕事実が判明する。

俺は好き勝手感想を書くが皆の感想尊重する、だからお前らも文句を言うな、ならばわかるのだが

俺は好き勝手感想を書くし、気に入らない感想は存分に叩く、だけどお前らは文句を言うな、という態度なのである

自分他人感想にどんどん攻撃を仕掛けていくのに、自分他人から攻撃されると頭に血を上らせてしまう。

これは少なくとも私から見れば、大いなる矛盾である

あまつさえ他人への悪口を裏ブログに堂々と書いて、悪びれもしない。

更に言えばD氏は問題にしていないようだが、

ぺ氏が普段語っている外部文脈を排して作品を虚心に見つめるという内在的読解とは、作家時代性、商業主義声優俳優、などなどを外部情報として切り離し、作品のもの…たとえばランス03という作品のみを

先入観なく捉えて語る行為を指すのではなかったか

http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2014/11/22/120000_1

http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2014/04/26/222449

ひょっとしたらぺ氏の主張を私が読み違えているのかもしれない。

しれないが、もし私が読み違えていないのならば、氏のランス03の感想は「戦国ランス」といった別作品存在や「ランスらしさ」といった外部情報スキーマ積極的に取り入れた感想になっている時点で

氏の普段の主張とは異なったものに仕上がっているように思う。

なお、氏の普段の主張と異なっているからと言って悪いレビューかといえば私はそうは思わず、なかなか楽しく読んだことを白状するが

少なくとも氏の普段の主張と異なっているのだから普段の主張自体問題といえば問題になるのだろう。

更に言わせてもらえば、過去因縁云々に関してもそうだ。

人間なのだから、気に入らない相手に対して厳しく当たってしまうのは仕方のない事である

しかしぺ氏の普段の主張は前述した通りだ。ならば、作者=テクスト主=D氏という外部文脈、もしくはスキーマを排して文章を虚心に読み込んで対応するのが筋というものではなかろうか。

D氏がクズであることやD氏との過去因縁という外部情報を、今回のD氏のテクストと切り離す。

特に争点にはなっていないはずのD氏の悪行=外部情報積極的攻撃している現状を見るに、

ぺ氏が普段声高に唱えている内在的読解の質についても疑問が生まれしまう。

他ならぬぺ氏自身が、[製作者の人間性と絡めた作品批評は最も唾棄すべきもの]だと言っているではないか

ならば[ツイート主の人間性と絡めてツイートを読み、判断すること]は唾棄すべきことではないのか。

[物語解釈障害であるスキーマに対抗するには]、と書いた本人が、[テクスト解釈障害であるスキーマ]に嬉々として身を委ねているのはどうしたことだろう。

気に入らない人間テクストだというだけでこれほど否定的に反応する人間は、気に入らない作家作品に対しても、先入観を持って読んでしまうのは自明の理

外部情報に踊らされないというのは非常に難しい事で、ほとんどの人間には出来ないと思うが、

ましてぺ氏にそれができるようには全く思えないのである

その辺りのところを、ぺ氏が説明してくれると有難いなと思うし

その辺りのことが説明できないようでは、残念ながら氏のお題目は見かけ倒しと判断されてしまうだろう。

D氏はD氏で、つまらない感想につまらないと述べるのは自由だとは思うけれど、それが相手の目に触れれば怒りを買う事もあるだろう。

ぺ氏ほどの理不尽さは感じないものの、D氏が他人に対して厳しい物言いを何度もしているのは再三目にしており、それ自体

第三者としてはなるほどと思わされる事もあるし面白いとは感じるものの、自分がその標的になったらと考えると辛い。

もし私が同様の絡まれ方をすれば、ぺ氏のようにまくしたてたりはしないだろうが、煙たがってブロックぐらいはするかもしれない。

厳しい読者、というのは欲しい人にとっては得がたいものではあるが、のん気にてきとーな事を書きたい者には歓迎されないだろう。

ぺ氏の感想の行き詰まり危惧するならば、もう少し別のアプローチがあったはずである

結論 どちらも怖いです

2016-07-19

フランス語の知識は知識人常識

バゲットとバケットの区別などどうでもよいという反知性主義的な言説が散見されるサービスはてなであるが、この区別重要ものであることは論をまたない。以下にその理由混同の原因を示す。

混同が起こる理由


これはひとえに、フランス語発音英語発音混同することによる。

バゲットはフランス語のbaguette(発音記号:bagɛt)

バケットは英語のbucket(「バケツ」の意 発音記号:bʌ́kət)

両者はまったく意味の異なる単語である

混同が起こるのは、当然のことながら、話者がフランス語を知らないためである


区別必要である理由


たんに恥ずかしいというだけでなく、英語フランス語区別ができない人が発する言説の信ぴょう性に、深刻な疑義を生じる結果となってしまためである

以下に例を示す。

〔……〕4月に入ってからの、《Nuit debout》(ヌイ・デブ:起きている夜)という運動と関連のデモには特に関心をもっていた。

〔……〕《debout》の言葉からすぐに連想されるのは、「デブー!」が耳に残る《L'Internationale》(インターナショナル)の歌である

〔……〕

Debout ! les damnés de la terre !

〔……〕

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2016/05/nuit-debout-132.html 《Nuit debout》(ヌイ・デブー)のような運動日本にもあってよいんじゃないかと思った. 強調は引用者による。)



Nuit debout(nɥi dəbu)の正しい発音をあえてカタカナ表記すると、「ニュイ・ドゥブー」となる。

フランス語の"u"(ɥ)は日本語にない母音で、ウの口の形をして、イといおうとしたときの音に近い。「ウ」ではない。

"e"(ə)については、

音節母音で終わる音節のこと)の場合、「」に近い。これをけっして「」と読んではいけないことは、フランス語の初級クラスアルファベットを教える回(つまり初回)に、かならず教える。

deboutを、英語のdebut(dibjúː)から連想して「デブー」と読んでしま気持ちはわかるが、まちがいはまちがいである。


次の例。



戦後レジューム」ではなく「戦後レジームである

レジーム」は「和製英語」ではない。その語源フランス語のrégime(制度体制の意 発音記号:reʒimである

これを「レジューム」と発音してしまうのは、英語のresume(rizjúːm)が念頭にあるためと思われるが、当然のことながら、まったく意味の異なる単語である



結論


どれほど博学を披露し、先鋭的な知的営為を行おうとも、フランス語の初歩的な知識がないだけで、それは一瞬にして瓦解してしまう。

バゲットとバケットの区別ができない人間がなにか立派なことをいおうとしても、それはできないことは明白である

中等教育段階においてのみならず、大学進学後もフランス語を必修科目とし、正確な発音習得につとめることが必要理由がここにある。




追記 質問への回答



b:id:c_shiika

Comment allez-vous? から Comment を抜いた場合は「アレブ」って読めばいいのだろうか

正しい。

用例:

Allez-vous-en. Vous n'avez pas d'aptitude pour passer un temps agréable sur Hatena.

アレヴザン ヴナヴェパ ダプチチュード プール パッセ アン タン アグレアブル シュル ハテナフランス人的には「アテナ」))

和訳出ていきなさい。あなたはてなに向いていない。



b:id:theatrical

フランス語辞書何使ってる?


普段使いは以下のものでこと足りると思う。

https://itunes.apple.com/fr/app/dictionnaire-littre/id301211332?mt=8

http://www.lerobert.com/espace-numerique/telechargement/le-petit-robert-2016-pc.html

より精密に読む場合は、読むものの書かれた時代、調べたい分野にあった辞典を使う。

例:中世ルネサンス場合はAncien françaisやMoyen françaisの辞典がたくさんあるのでそれを使えばよい。

17世紀以降は、テクストが書かれた時代に発行された辞書を引いて、その時代認識されていた単語意味特定する。

2015-11-28

ポール・グレアムを再読して涙ぐむオッサン

オッサンになると涙もろくなる。

ワイ氏の場合、「人の真摯さ」に弱い。

(多少だが)苦労していると、「この人は真実を語っているな」ということは大体分かるし。

ネット世界では凄そうな人がいるんだけども、身近な凄い人は案外そういうのと無縁で生きている。

少なくとも、四六時中ネットリアルタイムの話題にリソースを割くなんて馬鹿な真似はしない。

ネットはいきなり頂点の人が可視化されるので自信を無くす」という話はよく聞くが、

自分の体験からすると頂点らしいネットの凄い人も身近な凄い人も能力的にはあまり変わらない気がする。

要は「本人がやりたいかどうか(いや、「やるかどうか」)」が問題なだけであって、煌びやかさに惑わされて

足下がお留守になってしまうと本末転倒だと思った。

能力が無いと思っている人も続けていれば勝手に能力はつく。連戦連敗でも「何割かは勝ち」の場合もある。

それを次につなげれば、逆境であるほどレバレッジがかかって能力が上がる。

ある時、凄く出来る女性プログラマーがいて「どうやればそんなに出来るんですか?」と聞いたことがある。

答えは、「デスマーチをくぐっていけばこれくらいの実力はつく」だった。

から能力が無いと嘆く若者も(オッサンも、あるいは女性も)絶望する必要は無いと思った。

単に守りの姿勢ポジションが安定したので、後は受け身で人生守りに入ろう、となった瞬間に思考が硬直化

するだけの話であって。

とまあ、増田で書いた所で寝言なのだが、「ネットの人がそれほど凄くもない」ということは、

はてブホットエントリを見れば一目瞭然だ。

例えば、はてブで上がってくる書籍関係記事ほとんどフィクション系でノンフィクション系が少ない。

いつだかの村上春樹ネット相談で、「小説バカにする夫が許せない」みたいな話題があったが、

実際は逆じゃないかな?と思う。「ビジネス書を読んでいる人は意識が高い」と揶揄されるのが

本当のところではないのか。

しかも下らないライフハック系の記事ホットエントリになったりして、Kindleセールで買えよと思う訳だが、

そんなことを言っても聞き流されるのがオチだと言うことも分かる。

それはともかくとして、最初の話に戻ると、真実を語っている人に弱い。

今日、ようやく仕事区切りがついたので、ダラダラとネットを見ていたが、久々に再読してフリーでもいい文章

落ちているものだと思った。上に書いたワイ氏の駄文の何千倍も役に立つ文章が落ちている。

リンクを貼っても読まれないと思うので、抜粋しながら以下に転載したい。

ハッカーと画家」のポール・グレアム抜粋だ。ハッカー以外にも役に立つと思う。

転載元

http://practical-scheme.net/trans/hs-j.html

<版権表示>

和訳テキストの複製、変更、再配布は、この版権表示を残す限り、自由に行って結構です。

(「この版権表示」には上の文も含まれます。すなわち、再配布を禁止してはいけません)。

Copyright 2005 by Paul Graham

原文: http://www.paulgraham.com/hs.html

日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org)

<版権表示終り>

(「知っておきたかったこと」より)

から卒業演説はこんなふうになるだろう。 「きみと同じ能力を持つ誰かができることなら、きみにもできる。

そして自分の能力過小評価しちゃいけない。」 でも、よくあることだけれど、真実に近付こうとするほど

多くの言葉を費さなくちゃならなくなる。 かっこよく決まっている、でも正しくないスローガンを、 泥を

かき混ぜるみたいにいじってみたわけだが、 これじゃあまり良いスピーチにはならなさそうだ。 それに、

これじゃ何をすべきかってこともよくわからない。 「きみと同じ能力」って? 自分の能力って何だろう?

風上



この問題の解法は、反対側からやってみることだ。 ゴールを最初に決めてそこから逆算するんじゃなく、

より良さそうな状況に向けて少しづつ前に進んでゆくんだ。 成功した人の多くは実際にはそうやって成功したんだ。

卒業演説方式では、きみはまず20年後にどうなりたいかを決めて、 次にそこに至るには今何をすればいい、と考える。

ぼくが提案するのは逆に、将来のことは一切決めないでおいて、 今ある選択肢を見て、良さそうな選択肢がより

増えるものを選ぶってことだ。

時間無駄にしてない限り、実際に何をするかってことはあまり問題じゃない。 面白いと思えて、選択肢

増えるものなら何でもいい。増えた選択肢のどれを 選ぶかなんて後で考えればいいんだ。

たとえば、君が大学の1年生で、数学経済学のどっちを専攻しようかと 迷っているとする。この場合はね、

数学の方が選択肢がひろがるんだ。 数学からほとんどどの分野へも進むことができる。数学を専攻していたら、

経済学大学院へ進むのは簡単だろう。でも経済学を専攻して、 数学大学院へ進むのは難しい。

グライダーを考えてみるといい。グライダーエンジンを持っていないから、 風上に向かって進もうとすると

高度を大きく失うことになる。 着陸に適した地点よりずっと風下に行っちゃったら、打てる手はひどく

限られるものになるだろう。風上にいるべきなんだ。 だからぼくは「夢をあきらめるな」のかわりにこう言おう。

「風上をめざせ」。

でも、どうすればいい? 数学経済学の風上だったとして、 高校生はそんなことを知っていなくちゃならないんだろうか。

もちろん知らないだろう。だから、風上を自分で見つけ出さなくちゃならない。 風上を知る方法のヒントを

いくつかあげよう。 賢い人々と、難しい問題を探すことだ。賢い人々は自分達で固まりがちだ。

そういう集団を見つけたら、たぶんそれに参加する価値はある。 但し、そういう集団を見つけることは簡単じゃない。

ごまかしがたくさんあるからだ。

大学生になったばかりのときには、大学のどの学部もだいたい似たように見える。 教授たちはみんな

手の届かない知性の壇上にいて、凡人には理解不能論文を 発表している。でもね、確かに難しい考えが

いっぱい詰まっているせいで 理解できないような論文もあるけれど、何か重要なことを言っているように

見せかけるためにわざとわかりにくく書いてある論文だっていっぱいあるんだ。 こんなふうに言うと中傷に

聞こえるかもしれないけれど、 これは実験的に確かめられている。有名な『ソーシャルテクスト事件だ。

ある物理学者が、人文科学者の論文には、 知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめにすぎないもの

しばしばあると考えた。 そこで彼はわざと知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめ論文を書き、

人文科学学術誌に投稿したら、その論文が採択されたんだ。

一番良い防御は、常に難しい問題に取り組むようにすることだ。 小説を書くことは難しい。

小説を読むことは簡単だ。 難しいということは、不安を感じるということだ。 自分が作っているもの

上手くいかないかもしれないとか、 自分が勉強していることが理解出来ないんじゃないかという不安

感じていないなら、それは難しくない問題だ。 ドキドキするスリルがなくちゃ。

ちょっと厳しすぎる見方じゃないかって思うかい不安を感じなくちゃダメだなんて。 そうだね。

でもこれはそんなに悪いことじゃない。 不安を乗り越えれば歓喜が待っている。 金メダル

勝ち取った人の顔は幸福に満ちているだろう。 どうしてそんなに幸福なのかわかるかい安心たからさ。

幸福になる方法がこれしかないと言っているんじゃないよ。 ただ、不安の中にも、

そんなに悪くないものがあるって言いたいんだ。

野望



「風上をめざせ」というのは、現実には「難しい問題に取り組め」という ことだった。そして、

君は今日からそれを始めることができる。 ぼくも、このことに高校にいる時に気付いていたらなと思うよ。

たいていの人は、自分がやってることを上手くできるようになりたいと 思う。いわゆる現実社会では、

この要求はとても強い力なんだ。 しか高校では、上手くできたからっていいことはあまりない。

やらされていることが偽物だからだ。 ぼくが高校生だった時は、高校生であることが自分の

仕事なんだって思ってた。 だから、上手くやれるようになる必要があることっていうのは、

学校でいい成績をあげることだと思ってた。

その時のぼくに、高校生と大人の違いは何かと聞いたなら、 たぶん大人は生活のために

稼がなくちゃならない、と答えていただろう。 間違いだ。ほんとうの違いは、大人は

自分自身責任を持つということだ。 生活費を稼ぐのはそのほんの小さな一部にすぎない。

もっと大事なのは自分自身に対して知的責任を取ることだ。

もしもう一回高校をやりなおさせられるとしたら、ぼくは学校を 昼間の仕事のようにあしらうだろう。

学校でなまけるということじゃないよ。 昼間の仕事のようにやる、っていうのは、

それを下手にやるってことじゃない。 その意味は、それによって自分を規定されないようにするってことだ。

たとえば昼間の仕事としてウェイターをやっているミュージシャンは、 自分をウェイターだとは思わないだろう。

同じように、ぼくも、自分を高校生だとは思わないだろうね。 そして昼間の仕事が済めば、本当の仕事を始めるだろう。

高校時代を思い出して一番後悔することは何かって尋ねると、 たいていみんな同じ答えを返す。時間を大いに

無駄にしたってね。 君が、今こんなことをしてて将来後悔することになるだろうなと 思っているなら、

きっと後悔することになるよ。

これは仕方ないと言う人もいる。高校生はまだ何もきちんと出来ないからってね。 ぼくはそうは思わない。

高校生が退屈しているというのがその証拠だ。 8歳の子供は退屈しない。8歳の時には「ぶらつく」かわりに

「遊んで」いたはずだ。 やってることは同じなのにね。そして8歳の時、ぼくは退屈することがほとんど

無かった。裏庭と数人の友達がいれば、一日中遊んでいることができた。

今振り返ってみれば、中学高校でこれがつまらなくなった理由は、 ぼくが他の何かをする準備が出来たからだった。

子供であることに飽きてきたんだ。

友達とぶらついちゃだめだなんて言ってないよ。 誰ともつき合わなかったら、仕事しかしないむっつりした小さな

ロボットに なるしかない。友達と出かけるのは、チョコレートケーキみたいなもんだ。 時々食べるからおいしい。

毎食チョコレートケーキを食べていたら、 たとえどんなに好きだとしても、3食目には吐き気がしてくるだろう。

高校で感じる不安感はまさにそれ、精神的な吐き気なんだ。

良い成績を取る以上に何かしなくちゃならないと聞いたら、 『課外活動』のことだと思うかもしれない。

でも君はもう、ほとんどの『課外活動』がどんなにばかげたものかを知っているよね。 チャリティ

寄付集めは称賛されるべきことかもしれないが、 それは難しいことじゃない。 何かを成し遂げるってこと

じゃないからだ。 何かを成し遂げるっていうのは、たとえば上手く文章を書けるようになるとか、

コンピュータプログラムできるようになるとか、 工業化以前の社会生活が実際どんなものだったかを知るとか、

モデルを使って人間の顔を書くことを学ぶとか、そういうことだ。 この手の活動は、大学入試願書に一行で

書けるようなものにはなかなかならない。

堕落



大学に入ることを人生目標にするのは危険なことだ。 大学に入るために自分の能力を見せなくちゃならない

相手っていうのは、 概して鋭いセンスを欠いている。多くの大学では、 きみの合否を決めるのは教授じゃなくて

入学管理者で、 彼らは全然賢くない。知的社会の中では彼らは下士官だ。 きみがどれだけ賢いかなんて

彼らに分かりはしない。 私立の進学校存在することが、その証明になっている。

入試に受かる見込みが上がらないのに多額の金を学校に払う親はほとんどいない。 私立の進学校は、入試

かるための学校であることを明示している。 でも立ち止まって考えてみたまえ。同じくらいの子供が、

ただ地域公立高校だけに行くより私立の進学校に行った方が入試に受かりやすくなるってことは、

私立の進学校入試プロセスをハックできるってことだ。

君達の多くは、今人生でやるべきことは大学入試に受かるように なることだと思っているだろうね。

でもそれは、自分の人生空っぽプロセス、それを堕落させるためだけで一つの業界存在しているほどの

プロセスに押し込めていることになる。 シニカルになるのも無理ないよ。 君が感じている不快感は、

リアリティTVプロデューサータバコ会社の重役が感じているものと同種のものだ。 君の場合給料

もらっているわけでもないのにね。

じゃあどうしようかね。 ひとつ、やっちゃいけないのは反抗だ。 ぼくは反抗した。それは間違いだった。

ぼくは、自分達の置かれた状況をはっきり認識していなかったけど、 なにか臭いものを感じていた。

から全部投げ出したんだ。 世界がクソなら、どうなろうと知ったことか、ってね。

教師の一人が試験対策アンチョコを使っているのを見つけた時に、 ぼくはこれでおあいこだと思った。

そんな授業でいい点数をもらって どんな意味があるっていうんだ。

今、振り返ってみれば、ぼくは馬鹿だったと思うよ。 これはまるで、サッカーで相手にファウルされて、

おまえ反則しただろ、 ルール違反だ!と怒ってグランドから立ち去るようなものだ。 反則はどうしたって

起きる。そうなった時に、冷静さを失わないことが重要だ。 ただゲームを続けるんだ。

きみをこんな状況に押し込めたのは、社会がきみに反則したからだ。 そう、きみが思っているように、

授業で習うほとんどのことはクソだ。 そう、きみが思っているように、大学入試茶番だ。 でも、

反則の多くと同じように、悪意があってそうなったわけじゃない。 だから、ただゲームを続けるんだ。

反抗は服従と同じくらいばかげたことだ。 どちらにしてもきみは他人に言われたことに縛られている。

一番良いのは、直角の方向に足を踏み出すことだ。 言われたからただやる、でもなく、

言われたからやらない、でもない。 かわりに、学校を昼間の仕事にするんだ。昼間の仕事だと

考えれば 学校なんて楽勝だよ。3時には終わるんだし、なんなら自分のやりたいことを 内職しててもいい。

好奇心



じゃあ、本当の仕事は何になるんだろう。 きみがモーツァルトでない限り、やるべきことはまずそれを

探し出すことだ。 やりがいのあることって何だろう。すごい発想をする人達はどこにいるだろう。

そして一番重要なこと:自分は何に興味があるだろう。 「適性」という単語はちょっと誤解を招きやすい。

から備わった性質のように思われるからね。 最も強い種類の適性とは、ある種の問題に対する

どん欲な興味だけれど、 そういう興味は後天的に獲得するものが多い。

この考えの変化したものは、現代の文化においては「熱意」という言葉で 呼ばれている。

最近、ウェイター募集広告で「サービスに対する熱意」を 持った人を求めている、というのを見た。

本物の熱意は、ウェイターくらいじゃおさまらないものだ。 それに熱意という単語も良くない。

むしろそれは好奇心と呼ぶのがいい。

子供好奇心旺盛だ。ただ、ぼくがここで言っている好奇心子供のとはちょっと違う。

子供好奇心は広くて浅い。 ランダムに色々なことについて「どうして?」と尋ねる。

多くの人は、大人になるまでにこの好奇心が全部渇いてしまう。 これは仕方無いことだ。

だって何についても「なぜ?」と尋ねていたら 何もできないからね。でも野心を持つ大人では、

好奇心は全部渇いてしまうのではなく、狭く深くなってゆくんだ。 泥の庭が井戸になるんだ。

好奇心を持っていると、努力が遊びになる。 アインシュタインにとっては、相対性理論試験のために

勉強しなくちゃならない 難しい式の詰まった本ではなかったはずだ。 それは解き明かしたい神秘

見えていただろう。 だからたぶん、彼にとって相対性理論を見出すことは、 今の学生が授業で

それを学ぶことほど、努力とは感じられなかったんじゃないかな。

学校で植え付けられる幻想の一番危険なものは、 素晴らしいことを為すには自分に厳しくなければ

ならないというものだ。 多くの科目はあまりに退屈に教えられるから自律心が無いと全部に

出席することなんてできやしない。 大学に入ってすぐに、ぼくはヴィドゲンシュタイン言葉を読んで

びっくりした。彼は自律心が無くて、たか一杯のコーヒーであろうと 欲しくなったら我慢することが

できなかったというんだ。

今、ぼくは素晴らしい仕事をした人を何人も知っているけれど、 みんな同じなんだ。自分を律すると

いうことをほとんどしない。 延ばせることはぐずぐず先に延ばすし、興味のないことをやらせようと

しても全くの無駄だ。そのうちの一人ときたら、自分の結婚式に 出席してくれた人へのお礼の手紙

出してない。 結婚して4年経つのに。もう一人は、メールボックスに26000通のメールをため込んでる。

自律心が全くのゼロだったら困るよ。走りに行こうかなと思うくらいの 自律心は必要だ。ぼくも時々、

走るのが面倒だなあと思うけれど、 一度走り出せばあとは楽しめる。そして何日か走らないと具合が

悪くなる。 素晴らしい仕事をする人にとっても同じことなんだ。 仕事をしてないと具合が悪くなるし、

仕事を始めるだけの自律心は 持っている。ひとたび仕事を始めれば、興味の方に圧倒されて、

自律心は必要なくなるんだ。

シェークスピアは偉大な文学を産み出そうと歯を食いしばって 勤勉に努力したって思うかい

そんなわけないさ。 きっと楽しんでいたはずだ。だから素晴らしい作品が書けたんだ。

いい仕事をしたいなら、必要なのは見込みのある問題に対する 大きな好奇心だ。アインシュタイン

とっての一番大事な瞬間は、 マクスウェル方程式を眺めて、これはどうなっているんだろうと

自問したところにあった。

生産的な問題に照準を合わせるのには長い時間がかかる。 本当の問題は何なのかを見つけるだけで

何年もかかるかもしれないからね。 極端な例を言えば、たとえば数学だ。数学を嫌う人は多い。

でも学校で「数学」の名前でやらされていたことは、 実際に数学者がやっていることとはほど遠いんだ。

偉大な数学者のG. H. ハーディは、高校の時は数学が嫌いだったと 言っている。ただ他の生徒より

高い点数をとれたから選択しただけだったと。 後になって、彼は数学面白いということに気づいた。

質問に正しく答えることのかわりに、自分で問題を見つけるようになってからね。

ぼくの友達の一人は、学校で提出するレポートに苦しんでいると 母親が「それを楽しむ方法を見付ければいいのよ」

っていうんだとぼやいていた。 でもそれが、やるべきことなんだ。世界面白くする問いを見つけ出すんだ。

素晴らしい仕事をした人は、ぼくらと違った世界を見ていたわけじゃない。 ただこの世界の中の、

ほんのちょっとした、でも不思議なことがらに気づいただけなんだ。

これは学問だけの話じゃない。

「車はどうして贅沢品じゃなきゃいけないんだ? 車が日用品になったらどうなるだろう?」

これがヘンリー・フォードの発した 偉大な問いだった。フランツ・ベッケンバウアーの問いはこうだった。

「どうしてみんな自分のポジションに留まってなくちゃならないんだ? ディフェンダーシュートしたっていいじゃないか。」

2015-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20151026181038

お前はなんでもかんでも自分が正しいと思い過ぎなんだよ単純に

つのテクストがあればその読み方なんていくらでもあるし正しい読み方も正しい学び方もお前の中にしか無いんだよ、あるつもりでもな

2015-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20151024023259

 にもかかわらず、エピローグでは、全人類意識ハーモニクスされたように書かれている。

 書かれていない。

 この作者は、自分が書いた設定を忘れている!

 忘れていないと思う。

 以下、簡単に異論を述べておこう。

 まず最初に、すでにはてなブックマークコメントなどでかるく指摘している人もいるようだが、実はこの小説エンディング近くの箇所(以下、「エピローグ」と記す)では「全人類意識ハーモニクスされた」とははっきり記されていない。

 そう読むことも可能だが、べつの読み方をすることもできるのだ。

 おそらく、上記の文章書き手が「全人類意識ハーモニクスされたように書かれている」と考えたのは、結末間近の以下の箇所から推測したからだろう。

 これが人類意識最後の日。

 これが全世界数十億人の「わたし」が消滅した日。

 本テクストは 、それについて当事者であった人間主観で綴られた物語だ。

 「人類意識最後の日」ということは、この日を境に全人類意識喪失したはずだ。おかしいじゃないか、矛盾しているじゃないか、破綻しているじゃないか、こんなものを崇めるSFファンなんてろくなものじゃねえ、と考えることはわからなくはない。

 しかし、ここでは「人類」とは書かれていても「全人類」とは書かれていない。したがって、この「人類」という表現には解釈余地がある。ここで書かれている「人類」は「一部の人類」のことなのでは?

 いや、何も言葉遊びをしようというわけではない。ほんとうにそう読む余地が残されていると思うのだ。というのも、このエピローグでは、かなり慎重な書き分けがされていると考えるからだ。たとえば、この箇所。

 あのコーカサス風景の後の話をしよう。

 トァンが下山して間もなく、老人たちは意識の消滅、社会構成員の完全な一致を決断した。権限を持つ老人たちそれぞれの部屋で、端末にコ ードと生体認証入力される。瞬間、その調和せよという歌を天使たちは携えて、WatchMeをインストールしている人々の許へ、あまねく世界へ、その羽を広げていった。天使の羽が人々の脳をひと触れすると、もうそこに意識意志はなかった 。

 ここでははっきり「WatchMeをインストールしている人々」と書かれている。また、以下の箇所。

 だから暴動はすぐに収まった。

 皆それぞれが思い出したかのように社会システムに戻っていった。WatchMeをインストールしていた世界数十億人の人間は、動物であることを完全にやめた。

 ここでも「WatchMeをインストールされた世界数十億の人々」と限定的表現が使われている。これらを読む限り、作者は「ハーモニープログラム」の効果がWatchMe使用者限定的であることを自覚しているように思われる。

 そう考えることのほうが、作者が突然健忘症にかかって自分の書いた設定を忘れてしまったと考えるよりも常識的ではないだろうか。

 しかし、このエピローグでは再度「人類」という表現が出て来るところがある。

 医療産業社会との完全なハーモニーを見た人類

 今からは推測することも難しいが、かつて「わたし」や「意識」「意思」が選択において重要役割を果たすと信じられていた時代は決して短くなかったのだ。システムに完全に準拠した現在人類にとって、旧人類がヒーローや神と呼んでいたようなアイコンはまったく不必要だが、それを知っておくことも無駄ではない。

 天国なるものがこの世のどこかにあるとしたら。

 完全な何かに人類が触れることができるとしたら。

 おそらく、「進化」というその場しのぎの集積から出発した継ぎ接ぎの脊椎動物としては、これこそが望みうる最高に天国に近い状態なのだろう。社会事故完全に一致した存在への階梯を登ることが。

 といった箇所、そして、ラストの、

 いま人類は、とても幸福だ。

 とても、

 とても。

 という結びのことである。これらの「人類」をも、「一部の人類」のことだと強弁することができるだろうか。

 実はできると思う。というのも、二番目に引用した個所でさりげなく現在人類」と「旧人類」が分けられているからだ。

 ここから、これら一連の引用個所で書かれている「人類」とは「現在人類」だけを指し、「旧人類」とその子孫を廃した言葉であると推測できる。

 「現在人類」とは、当然、ハーモニープログラムによって変容した人類のことを指しているから、つまりエピローグで書かれている「人類」はすべてハーモニープログラムを受けて変わった人類「のみ」を指していると考えることができるだろう。

 ようするに、そのプログラムによって一段階「存在への階梯を昇」った人物にとって、もはやそうでない存在人類として認識されていないと考えられるということなのだ。

 これは、エピローグ書き手プログラムを受けて「進化」した人類のひとりであるらしいことを考えればさほど無茶な想像ではないと思う。

 つまりエピローグにおいてもなお、広い意味での人類すべてがハーモニー化したわけではないかもしれないということである

 そう考えれば、この結末に特に大きな矛盾はないし、破綻しているわけでもないということができる。

 この話には、根拠がある。エピローグ中の以下の箇所だ。

 老人たちがそれぞれのコード入力し、ハーモニープログラムが歌い出した瞬間、人類社会から自殺は消滅した。ほぼすべての争いが消滅した。個はもはや単位ではなかった。社会システムこそが単位だった。システムが即ち人間であること、それに苦しみ続けてきた社会は、真の意味自我自意識自己を消し去ることによって、はじめて幸福な完全一致に達した。

 「ほぼ」すべての争い、と記されていることに注目してほしい。

 これを読みかえると、「(人類社会から)完全に争いがなくなったわけではない」というふうに読める。

 それでは、いったいなぜ争いが残っているのだろう? ハーモニー化して「たましい」を失った人類に争いの種があるわけがない。考えられる結論は、ひとつだ。

 少なくともこの時点では「人類の外部」との戦いがまだ残っていたのだ。その「外部」とは何か? それはまだWatchMeをインストールされていない子供たちかもしれないし、WatchMeが普及していない地方の住人かもしれない。真実はわからない。

 いずれにしろハーモニープログラムエピローグの時点で完全無欠でないこと、そしてどうやら作者がそのことを意識していたことはこの箇所を読めばはっきりしていると思う。

 あるいは作者は、さらなる続編を意識していたのかもしれないが、いまとなってはすべての可能性は失われてしまった。しかし、

 この作者は、自分が書いた設定を忘れている!

 以上のような根拠をもって、この主張は間違いであると考える。

 この作品日本SFオールタイム・ベストに挙げることが正しいかどうか、その成否はぼくが決めることではないが、少なくとも作者が自分作品の設定を忘れているに違いないというのは、端的に正しくないと考える。

 ぼくとしては最低でも上記に引用した箇所はみな作者の計算範疇であると読むほうがよほど常識的だと信じる。

 裸の王様なんていなかったのだ。

 そう思いませんか。

2015-10-12

orangestar 教授愛称アジ子ちゃん)による増田学(II)講義ノート

忘れてる学生も多いと思うけど、村立増田大学北海道)は祝日も授業日ぞな。

ところが、それを知らずに休むやつ、知ってたけど忘れて休むやつ、わかってて休むやつがわんさかいるので、講堂は毎回すっからかんぞなもし。

普通大学でまともな神経を持っている教授なら、こういう日の講義をおまけみたいな扱いにして出席すらとらないことも多いぞなよね。

が、増大はまともな大学でなく、教授陣もまともではない。慈悲を期待するほうがバカぞな。

史学科の orangestar 教授にいたっては「この日にむしろ重要な事をやります」といったスタンス

可愛い顔したぼっちゃんのくせに、心は筋金入りの村ウォッチャーぞな。こわいぞなもし〜。

しかしわしら増田助け合い精神ぞな。

ここに講義に出席してなかったやつらのためのアンチョコを用意したぞな。試験にでるらしい。

録音書き起こしなんで、誤字脱字あるかも。

 ……増田テクストに取り組む基本的規則は、読者が暗黙のうちに元増田と「虚構約束」を結ぶことですが、kanose はこれを「不信の停止」と呼んでいました。

 読者は自分に向かって語られていることが架空の話であると知りながら、それでもなお元増田が嘘をついているとは考えないことが必要なのです。単純には、シロクマが言ったように、元増田真実を述べている「ふりをしている」のです。わたしたちは虚構約束を受け入れ、元増田は本当に脱糞したのだというふりをします。

 自分の書いた二本の記事が数百のブクマカの手元に届くという経験をしたおかげで、わたしは、異例ともいえる現象精通することになりました。一般に数十ユーザーズ(この数は内容によって異なるでしょうが)までは、虚構約束をきちんと理解している村民に巡りあうものです。それ以降、とくに百ユーザーズを超えてしまえば炎上危険地帯、つまり読者が虚構約束に通じている保証のない領域に確実に突入するのです。……



残りは寝ぼけてるあいだにレコーダースイッチ切っちゃったらしく、覚えてないぞな〜

あとでアオニサイくんにノート貸してもらうぞな〜

http://anond.hatelabo.jp/20151011221528

2015-10-06

松永寛和「ライトノベルの著者近影論」

本発表ではライトノベルの著者近影を一〇〇〇枚以上取集した調査の結果を報告すると共に、その変遷の意味を論じる。

著者近影は読者に対し著者をいかに提示するのか、という点において大きな役割果たしている。

我々は漱石や太宰といった作家達の顔を簡単に思い浮かべることが出来る。

その知識、記憶テクストを統括する人格存在を暗示する。

著者近影は近代文学においては作家主義を補強する機能果たしてきた。

しかし、ライトノベルの著者近影は現在近代文学のそれとはかけ離れたものとなっている。

その変遷には作品作家、読者との関係がいかに変化していったのかが表れている。

収集したサンプルは以下の通りに分類した。

1、顔が鮮明に映っている。

2、サングラスや手、帽子などにより風貌を隠している。

3、自分身の回りのモノの写真

4、イラストを使用している。

これらを年代順に並べることによりライトノベルの著者近影がどのような変遷を辿ってきたかが明らかになる。

一九九二年以前は、ライトノベルの著者近影も近代文学と同じように著者の顔をはっきりと映していた。

けれど、一九九三年、神坂一が著者近影にイラストを使用したのを一つの契機として、同様の例が増え始める。

その後、二〇〇〇年に時雨沢恵一がモノの写真を使用したことから、身近なモノの写真が著者近影に使用されるようになる。

現在ではライトノベルの著者近影はイラストかモノの写真にほぼ大別される。

メディア論重要批評家であるヴァルター・ベンヤミン肖像写真と接する時、人々は唯一性、一回性ばかりに注目してしまうと論じている。

近代文学はそのような写真の力に依拠し、著者近影によって作家性を強調していた。

しかし、ライトノベルの著者近影はイラスト、あるいは身近なモノの写真へと移り変わった。

ライトノベルは著者を特別主体としてではなく、どこにでもいる、大衆に埋没するような存在として提示している。

http://amjls.web.fc2.com/PDF2015/P06-25_123.pdf

2015-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20150824154356

増田ハディース学を知らないのかな?

イスラーム聖典の一つであるハディースには「イスナード伝承経路)」と呼ばれるセンテンスがあって、各パラグラフは次のような構成になっていることが多いんだ。

「「「「「~」と、ムハンマドが言った」と、アル・ナントカが言った」と、アブドゥルナントカが言った」と、イブン・アル・ナントカが言った」

本文だけ読みたい非イスラーム教徒が見るとうんざりするような引用の入れ子だけど、当時においてはこのイスナード存在が「出典の担保」という重要な役目を果たしていたんだ。ムハンマド死後の神学者重要仕事は、イスナードに現れる学者名前をすべてクロスチェックし、信用できる引用とそうでない引用を分けることだった。だからイスラーム神学実証主義歴史学の走りだと言う人もいる。

 

さて我々が倫理価値観などについて議論を戦わせる時は、引用を重ねるよりも意味を確かめることを重視するよね。「つまりこういうことかい?」と言い換えて理解のすり合わせを行うこともあるだろう。論理妥当性をめぐって話し合っているのだから論理が正しく伝わるかぎり表現には変化の余地がある。間違って伝わっていたなら改めて別の表現で伝え直してもいい。

しかし究極に高まった存在である高能様のお言葉を読むときには、「こういう意味かな?」などと自分なりの解釈を試みてはいけない。それはお言葉論理の枷をあてはめようとする冒涜行為となる。そうではなくお言葉テクストと捉えて歴史学アプローチ採用し、他分野の人にとっては冗長とも見えるような引用を用いてでも、「一言一句誤りなく伝わっているか?」を重視する必要があるんだ。伝承真正性さえ確かならば意味や角度について思い悩む必要はないんだよ。それらは人生の中でおのずと明らかになるはずだから

 

※括弧の数を直すついでにちょっと編集しました

2015-02-14

( ・3・) クラシック好きの上司ジャズを聴きたいと言いだして・続

承前

http://anond.hatelabo.jp/20150214223556

9. スティーヴ・レイシーソプラノサックス

Steve Lacy (1934-2004)

――スティーヴ・レイシー独立独歩ソプラノサックス奏者です。サックスといえばアルトテナーだった50年代からソプラノを吹いていました。

Evidence (1961) http://youtu.be/X9SBzQw2IJY?t=5m42s

( ・3・) 面白いテーマの曲だな。真面目な顔で冗談を言っているような。

――セロニアス・モンクが書いた曲です。レイシーはモンクの曲をたくさん演奏しています。一方、ハリウッドブロードウェイの曲はとりあげない。レパートリーに関しては人文系古本屋の主人みたいなところがあります

( ・3・) みすず書房とか白水社とか、そういう本ばかり並んでいるわけだ。

――白水社といえば、レイシーはサミュエルベケットと面識があって、ベケットテクストに基づいた作品も発表しています

( ・3・) 「真夜中だ。雨が窓に打ちつけている」

――「真夜中ではなかった。雨は降っていなかった」――と、ベケットごっこはともかく、演奏どうでしょう

( ・3・) まっすぐな音だな。あまりヴィブラートをかけない。アタックの瞬間から音程の中心を目指している。必ずしも正確な音程というわけではないけれど。ソロのとり方としては、テーマとの関連性を保って、構成を考えながら吹いているように聴こえる。言うべきことだけを言って余計なことはしゃべらない。

――そういう点では、プレイヤー資質としてはマイルス・デイヴィスに近いのかもしれません。マイルスとも少しだけ共演したことがあるのですが、もし正式バンドに加わっていたら歴史が変わったかも。 [6]

Reincarnation of a Lovebird (1987) http://youtu.be/FbaKNB4cIlc

――こちらは後年の録音。ギル・エヴァンスという編曲仕事で有名な人がエレピを弾いています。この人も指だけ達者に動くのとは対極にいるタイプで、柔らかい音色中和されていますが、ずいぶん込み入った和声です。

( ・3・) そこらじゅうで半音がぶつかってるな。

――でも美しい。

10. ビル・エヴァンスピアノ

Bill Evans (1929-80)

――昔、レコードを扱う仕事をしていたので確信をもって言えるのですが、日本いちばん人気のあるジャズミュージシャンビル・エヴァンスです。マイルス・デイヴィスよりもリスナー裾野は広いかもしれません。

( ・3・) 俺でも『ワルツフォー・デビー』を持ってるくらいだからな。でもどうして「とりあえずエヴァンスを聴け」みたいな風潮になってるんだ?

――まず、彼がピアニストだということ。もしベース奏者だったらここまでの人気は得られません。それからロマン派印象派に慣れた耳で聴いても違和感がないこと。ジャズに関心がなくてもエヴァンス聴く、というケースは大いにありうるでしょう。最後に、みもふたもない言い方ですが、彼が白人で、細身で、眼鏡をかけていたこと。

( ・3・) 知的で繊細に見えるのな。

――知的で繊細なジャンキーでした。もっとも、最後の要素はなかったことにされがちなのですが……。

( ・3・) ダウナーな面も併せもった音楽だと。

――はいエヴァンスチェット・ベイカーに深く共感してしまう人は、モルヒネ代用として聴いているのではないかと思います。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」という有名な曲をとりあげたいのですが、エヴァンスの前に、まず歌の入ったものからフランク・シナトラヴァージョンです。

My Funny Valentine (Sinatra, 1953) http://youtu.be/z9lXbgD01e4

( ・3・) 金の力に満ちた声だな。His voice is full of money.

――マフィアを怒らせるようなことを言わないでください。折り目の正しい編曲で、ポップスとしては非の打ちどころがありません。ボブ・ディラン新譜シナトラカヴァー集らしいのですが、ディラン子供のころにラジオで流れていたのはこういう音楽です。当時のアメリカ人にとっては、ほとんど無意識に刷り込まれた声と言っていいでしょう。

My Funny Valentine (Baker, 1954) http://youtu.be/jvXywhJpOKs

( ・3・) 出た、いけすかないイケメン

――チェット・ベイカー。午前三時の音楽です。もう夜が明けることはないんじゃないかという気がしてくる。どんな曲か覚えたところで、エヴァンスを聴いてみましょう。

My Funny Valentine (Evans and Hall, 1962) http://youtu.be/ReOms_FY7EU

( ・3・) 速い。

――速い。そしてちょっと信じられないクオリティ演奏です。ジャズはいつでも誰でもこれくらいできて当然かというと、そんなことはないので安心してください

( ・3・) 別に心配はしていないが。やっぱり即興なのか?

――別のテイクではちがうことをしているので、ほとんど即興だと思います。決まっているのはコード進行だけ。

( ・3・) コード構成音をぱらぱら弾いてもこうはならんわな。自分の頭の中にあるモチーフを発展させるのと、相手の音を聴いて反応するのと――そういう意味ではチェスに似ている。

――この演奏は一対一ですからね。集中力は同じくらい必要かもしれません。しかも持ち時間ゼロという。互いに相手の出方を読んでいるうちに一種テレパシーが起こって、3分50秒あたりにはふたりの脳がつながっているような瞬間があります

( ・3・) このギターを弾いてるのは?

――ああ、忘れていました。ジム・ホール。偉大なギタリストです。悪魔に魂を売って人並み外れた演奏技術を手に入れるというブルース伝説がありますが、ジム・ホール場合は魂ではなく頭髪を犠牲しました。

( ・3・) また好き勝手な話をつくって……。

――いえ、本人がそう語っています。ジミー・ジューフリーバンドいたころ、どう演奏すればいいのか悩んで髪が薄くなったと。 [7] でも、髪なんていくらでもくれてやればいいんですよ。肉体は滅びます芸術永遠です。

( ・3・) ジミー・ジューフリーって、あのドラムのいない現代音楽みたいなジャズをやってた人か。そりゃ大変だったろうな。

おいとま

持参したCDを一通りかけて、そろそろ日が傾いてきた。彼はライナーノーツをめくりながら「はーん」「ふーん」などとつぶやいていたが、夕食の邪魔にならないうちにおいとましたほうがよさそうだ。

「もう帰るのか?」

はい。きょうはもうおしまいです」

「そうか。わざわざ悪かったな。よし、ちーちゃんお客様にご挨拶だ」

彼はそう言って猫を抱き上げたが、ちーちゃんは腕をまっすぐにつっぱって、できるだけ彼から離れたがっているようだった。

「きょう持ってきてくれたCDは、うちに置いていっていいからな」

「置いていっていい?」

だってほら、いちど聴いただけじゃよく分からんだろ。そのかわりと言ってはなんだが、シュニトケ弦楽四重奏曲集を貸してやろう。何番が優れていると思うか感想を聞かせてくれ」

それから

まだCDは返ってこない。「返してほしけりゃ取りに来い」と彼は笑うが、その目はハシビロコウのように鋭い。ただ来いというだけではなくて、また別のCDを持って来させる魂胆なのだわたしはどうすればいいのだろう? ただひとつの慰めは、彼の娘さん――父親との血のつながりが疑われるかわいらしさの娘さん――の耳に、エリック・ドルフィーオーネット・コールマンが届いているかもしれないということだ。サックスを始めた彼女の頭にたくさんのはてなが浮かばんことを。

Further listening

http://www.nicovideo.jp/mylist/34787975

[1] http://www.redbullmusicacademy.com/lectures/steve-reich-the-music-maker?template=RBMA_Lecture%2Ftranscript

[2] http://www.nytimes.com/2009/10/18/books/excerpt-thelonious-monk.html

[3] http://nprmusic.tumblr.com/post/80268731045/

[4] Frederick J. Spencer. Jazz and Death: Medical Profiles of Jazz Greats. University Press of Mississippi, 2002. p. 36. "A diet of honey is not recommended for anyone, and especially not for a diabetic, or prediabetic, patient."

[5] http://www.furious.com/perfect/ericdolphy2.html "'Eric Dolphy died from an overdose of honey,' arranger/band leader Gil Evans believed. 'Everybody thinks that he died from an overdose of dope but he was on a health kick. He got instant diabetes. He didn't know he had it.'"

[6] http://www.pointofdeparture.org/archives/PoD-17/PoD17WhatsNew.html

[7] http://downbeat.com/default.asp?sect=stories&subsect=story_detail&sid=1111

2014-11-30

モバマスさようなら。今までありがとう

「ここにいるメンバーと、ここにいないメンバーと、これから増えるメンバーをこれからも応援してくださいね!」

今日の2ndLIVEで大橋彩香が、よりにもよって346プロダクションシンデレラプロジェクトを発表した直後に告げた言葉が決め手になった。

アイドルの中心はゲーム中のイラストテクストにあるのではなく、たまたま声の役を仮託されてるにすぎない声優中心主義だったのだ。

「ここにいないメンバー」に声なき148人は含まれないのだ。

加えて「シンデレラプロジェクト」という明確な次への線引きだ。

俺の担当アイドルに声が付く以前に、声あるアイドルでさえも区別されることがはっきりと示された。

デレマスがソシャゲの外に展開してゆくために、いつまでも曖昧なまま先延ばしできないことが、ようやく明らかにされた日が今日だった。

俺のアイドルで次へ連れてゆかれない。

この思いが抱え込んだまま熱中できる限界を越えてしまった。

万が一俺の担当アイドルに声が付いても、他の声なきアイドル担当しているプロデューサー仲間に申し訳なく向ける顔がない。

から潮時だ。

今までありがとうございました。

2014-09-08

僕の好きなゲームと嫌いなゲームを紹介しまからオススメゲームを教えてください

○はじめに

 ミステリの本読めばって言われそうですが、年間100冊ぐらいは読んでます

○好きなゲーム

チュンソフトゲーム

 最高はトリックロジック

 ぞんびだいすきだってEVE new generationだって大好きです。(ライターの関連作なども含めてチュンソフト連作は全てやっています、という意味です)

ダンガンロンパシリーズ

 コナ金だって大好きです。

テクスト。のゲーム

 書淫も2ndLOVEも黒の断章も大好きです。

科学ADVシリーズ

 オカルティックナインは積んでます

○逆転シリーズ

 4だってゴーストトリックだって大好きです。

○Infinityシリーズ

 code_18だって大好きです。

白衣恋愛症候群

 ソルフェージュはあまり好きではないです。

○THE推理シリーズ(THE鑑識官、THE裁判

 最高はTHE裁判将棋エピソード

 携帯用の奴はやってないです。

○THE裁判員

 解放少女 SINは嫌いです。

有罪×無罪

 一番好きなのは最後エピソード

ブーストオンの存在

 存在が愛おしい会社は始めてです。

※追記

御神楽少女探偵団シリーズ

 完結してときがたっているので忘れてました。

 新も含めて大好きです。

 まずあの時代感の雰囲気がたまらないんですよねえ。

○銃声とダイヤモンド

 サントラを買うぐらい、まずサウンドが気に入りました。

 唇とダンゴという曲が名曲中の名曲ですね。


○嫌いなゲーム

○一柳和の受難シリーズ

ミッシングパーツ

 風雨来記3はやってないです。

クロス探偵物語

探偵 神宮寺三郎シリーズ

 死んだ人を悪くいう趣味はありません。

レイトン教授シリーズ

 理由は6のネタバレを踏んだからです。

○なく頃にシリーズ

 漫画版うみねことは結構好きです。

○シングのゲーム

 AGAIN FBI超心理捜査官はそこそこ好きです。

スパイク存在

 ゲームがどうとかでなく、存在が気に食わないです。

ミステリートっていうかあの人

 XboxOne? 当然買いましたよ?

須田51


レス

aoi_tomoyukiさん

>428はやったか? 日本一でも流行り神面白い

チュンソフトゲームは全てやっています

日本一でも、というかFOGが嫌いなだけで、日本一本体には悪意はありません。

流行り神のようなホラーゲームは完全に私の好みから外れているかなーって思ったのですが、そうでもないですかね?

123、真、とありますが、もし一本だけやるならどれでしょうか?


>babamin ゲーム ミステリ

>「ミステリートっていうかあの人」 死んだ人か、それとも墓場を掘り返して蘇らせた人か、どっちを指してるかで、意味正反対になるなw

あっ本当ですね、シューティングゲーム作ってる人が苦手です。

(顔は好みですが)

>new3 増田

エロゲー好きそう

えええええええええええ、エロゲーですって!?

恥ずかしい!

そんなエッチゲームが好きそうに見えますか、私?

なんか淫乱な女だと言われたようでショックです。


>bern-kaste

ノベルゲーとうみねこ好きな人はなんとなく相性良い人多そうだなというバイアスの元、ギャングスタリパブリカというゲームをすすめてみる(合わなくても責任持ちませんがっ

そのライターさんは未来にキスを面白すぎて、もう逆にいいや感があって追ってませんねー。

でも面白そうなのでWindowsを買った暁にはプレイしたいと思います

貴重なご意見ありがとうございました。

>aukusoe

DSサスペンスシリーズは以外と本格っぽい雰囲気があるよ

西村京太郎山村美紗が本格ですか?

にわかに信じられないんですが、わざわざ「本格」なんてキーワードを出されてしまったら挑戦せざるをえませんね。

安い上に、ハードも持っているので今度買ってきてやろうと思います


>kskotetsu

ミッシングパーツクロス探偵物語ダメだったか、、、ではジ・アンソルブドで

なにこれめっちゃめちゃ面白そうです!

オススメされた中で一番気になりますPSアーカイブスに出てないのが残念ですが、

PS1なら、PS3プレイできるのでやりたいと思います

ありがとうございました!

>ossan3

>かげろうは涼風にゆれて 、蜃気楼教室、ひとかた、マイメリーメイビー

マイメリーメイビーはプレイ済みで、評価普通な感じです。

それ以外も面白そうですね、Windowsフリーゲームは完全に範疇の外にあったので、今後掘り下げて行きたいテーマの1つかもしれません。

ただ、今、Windows機が手元にないので、お金がたまったらプレイしたいと思います

貴重なご意見ありがとうございました。


>tana_bata

御神楽少女探偵団…って書こうと思ったんだが…

>ublftbo

御神楽少女探偵団特に完結編)

>Zephyrosianus

>かなりの上級者な雰囲気。ざーっと見て思いつくのは御神楽少女探偵団くらいかな?エッチい方はそこそこ値はるが、全年齢版がPSアーカイブスにあったはず。って更新したらかぶってた。

あっ、とんでもない名作を書き忘れてましたね。

すいません、プレイ済みです、好きなゲームにあげさせてもらいます


NOV1975

西村京太郎は「殺しの双曲線」を読むべきでしょう

了解です、今度読みます

>cider_kondo

増田感性が合う部分と違う部分があるけど、とりあえず解放少女 SIN自分はやらない方が良さそうだと直感できたので読んで良かった(いや何かゲーム推薦しろ

やらなくていいですよ。

>north_god

>嫌いな方を殆ど知らないのでわからんが、密室ミステリが好きそうかなーということで「慟哭そして」

やりたい、やりたいんですが、SS持ってないんですよね(涙)

お金持ちになったら、ハード毎買ってやりたいソフトの1つです。


>T-3don

シュールド・ウェーブの「ノスタルジア1907」、と無茶を言う。PRESENCE(プレゼンス)のが良いがソッチは無茶を通り過ぎてるし。あと「Es方程式」かしら。

エックスロッパーとか無茶を言わんといてください。

Es方程式プレイ済みです。

>smith009

沙耶の唄

このライターさんは、ファントムしかプレイしてないので、いつかまとめてプレイしようと思っています

>nyapoona

科学ADV好きならブレイブリーデフォルト

ライター作品ですね、プレイ済みです。

ただ、例のループのところで積んでしまいました。

で、積んでる間にネタバレをくらったので、もういいかなーと思っています

>locust0138

>古いが、ファミコン探偵倶楽部シリーズ

>oscdis765

新・鬼ヶ島

えーっと現行ハードだと、WiiUバーチャルコンソールプレイできますね。

いつかハードを買ったらプレイしたいと思います

Wii売っちゃったんですよねえ、もったいないことをした)

>grizzly1

>ジ・アンソルブド、夢見館の物語

またでましたね、ジ・アンソルブド、これは興味がどんどん増して行きます

夢見館の物語メガドラですか、無茶を言わないでください(涙)

>syudousiki

Ever17はやってない訳がないしなぁ。ゲームとは言いがたいけど、送電塔のミメイとかボーッと読むのもいいかも。えぇぇーっ、消火栓落とせないんですか?雑誌かなんかについてたロムがあるからいいけど、時代を感じる

>Hoodedcrow1

乙女ゲでもいいなら、「暗闇の果てで君を待つ」。あとフリーゲームでもいいなら「氷雨」「煉獄 -かまいたちの夜2 another-」「ある夏の日、山荘にて」「アキトDATE」辺り。神南さつきや消火栓はもう落とせないな。

Ever17は当然プレイ済みです。

「暗闇の果てで君を待つ」は初見ですね、でも面白そうです、ハードも持っているのでやってみたいと思いますありがとうございます

あとは、Windowsフリーゲームですね、このジャンルは奥が深そうです。

パソコンかったらやりたいと思います

>atsushifx

>すでにでているけど御神楽少女探偵団。あれは本格推理が楽しめる。

>migrant777

トリックロジックが好きとはわかってるねぇ!ダンガンロンパが好きなら圧倒的に御神楽

ごめんなさい、プレイ済みでした、追記しておきました。

>Yuzuemon game

>好きなものダンガンロンパが挙がってるのにスパイク存在が嫌いって矛盾してない?

スパイクゲームが嫌いとは言ってないです、スパイク存在が嫌いなだけで。

>NMDA

エロゲー好きそうってのはギャルゲー的ノリも楽しめそうということだろうとマジレス。残念ながら薦められる物はないので一方的に参考にさせてもらう。

ごめんなさい、ネタ反応でした。

>gohankun

>銃声とダイヤモンドオススメです。

当然プレイ済みです、チュンソフトは全てが好きだと。。。

あっそうか、麻野一哉さんはもうチュンソフトを辞められたんでしたね、忘れてました。

ついつい、ゲームクリエイター単位ゲームを見てしまう癖があるので、書くのを忘れてました、追記しておきます

ありがとうございます


ao-mid

シュタゲEver17とかミステリテイストSFって観点からCROSS†CHANNELとかどうだろう。

プレイ済みです。

田中ロミオさんは素晴らしいライターさんですよね。

最果てのイマが僕は好きです。


>yamadadadada2

>「御神楽少女探偵団」って文字列を見て「東京魔人學園剣風帖」を思い出した。あれはいゲームだったぜよ。

ふむふむ、調べて今度やってみますね。

cad-san

>僕の知る範囲で勧められそうなのは、もはや手に入らぬやもしれんが、ルクスペインくらいか。 癸生川シリーズ微妙だしなぁ。

ルクスペイン! ありましたねえ、積みゲーにおいちゃってます

でも進められたからには、今度プレイしようと思います

癸生川シリーズ微妙ですよねえ、好きでも嫌いでもないので書いてませんが。

>seikenn

ストーリー重視 + 他とは違ったゲーム性を持ったゲームが好きそうに思えたので、以下の3本をオススメします。9時間9人9の扉、ゴーストトリックすばらしきこのせかい

すばせか以外はプレイ済みです。

すばせかは、うーん、ちょっとRPGタッチアクションは苦手なので、ごめんなさい。

>nagyurita

ファミコン探偵倶楽部難易度理不尽じゃなければ勧めたいんだけどなあ。ディスクシステムであの音楽、あのシナリオ、あの音楽ってのはそれ以降のADVが好きなら敬礼すべきだと思う

むむむ、こう何度もオススメされると気になってくるなあ。

今調べたら、3DSVCでもあるみたいなので、それで今度プレイしてみます

ありがとうございました!

>YU_Trash

流行り神は1のPSP版かDS版をおすすめします。真は確実に増田の好みじゃないと思うので除外、1〜3は主人公達が同一のシリーズなので、出来れば1作目を。/トリックロジックは新作出して欲しいなあ

なるほど、一作目ですね、了解しました。

今度やるゲームにいれて、ちゃんとプレイさせていただきます

PSVITADL版がプレイできるのもいいですね。


>tencafu

オホーツクに消ゆ新・鬼ヶ島さんまの名探偵が思い出に残ってる。

FC時代ADVほとんど手つかずなんですよねえ。

いつかまとまった時間ができたら、ガツンとまとめてプレイしたいと思います

>vndn

>好きなゲームと嫌いなゲームをまったく見ずに愛姉妹4を推す

えええええええ、えっちなげーむは嫌いです、ぷんぷん!

>Borom

スパイクが嫌いでチュンは好きっていう今のスパチュンが矛盾の塊みたいな言い草に笑った。タイトル「ゲーム」ではなく「ノベルゲー」とした方が集まりやすかったのでは。

いやもう、不思議のダンジョンノベルゲームリリースされない今のスパチュンはただのスパイクでしょ。

タイトルはそうだっかもしれませんね、ただもう今更なので、このままにしておきます

ご指摘ありがとうございました。

2014-08-20

読解の難しさ

理解されないと日本語読解もできない小学生と煽るのが我が国のインターネッツでは定石である


しかし、正確な読解というのはプロ学者でも困難を極めるんだよね。自分が関わる哲学でも誤読日常茶飯事で、人に指摘されてもずっと理解できないでいることも多い。

そらバカ学者もいるだろって思うかもしれないけど、全然そんなことはない。語学天才と言えるほど語学に長けた人が後年振り返るとありえないような読解ミスを平気でするの。

まり誤読というのは一部の言語力に欠けたバカけがするものではなくて、誰でも頻繁にやっていることなんだよね。


学問におけるハイレベルな読解と日常会話とではレベルが違うと思うかもしれない。確かに使われる概念抽象度や馴染み深さ、伝えんとする内容の複雑度には大きな隔たりがある。

しかし、誤解が起きやす構造日常会話だろうと厳然と存在しているんだよね。そして問題本質はそこにあるんだ、抽象度や馴染み深さや複雑度なんかじゃなく。


その構造とは、人は先入観にきつく縛られており、そんな人がテクストに書かれた「価値」を理解しないといけない、という構造だよ。

殆ど文章には価値の言明が含まれている。理系論文だろうと純粋に数式だけで書かれていてその裏に価値の伝達など全く意図されてないものは考えにくい。

そして価値理解するには、自分自身価値に対して自覚的でなければならない。これがものすごく難しい。

例えば、女性蔑視している人が性別論に関する文章を読む時には、自分女性蔑視バイアス世界を見ていることを念頭におきながら、1つ1つの文章を注意深く読まないといけないということなんだ。

でないと、結局は自分が正しいことを確認して安心するためだけの読書になり、書き手の言わんとすることは全く理解できないだろう。


先に語学天才の例に触れたように、語学力がいくらあっても誤読問題は起きうるんだ。

確かに、日本語能力が欠落しているがために齟齬が起きることはある。でも、それは一部のケースであって全ての場合に当てはまることではない。

誤読問題は、「誰にでも」「いつでも」起きうる。内容の抽象度や馴染み深さや複雑度に関わりなくだ。だから深刻なんだ。


大学受験国語において、ロジカルな読解が強調されることがある。確かに論理的に読解することは重要だ。しか論理あくま事実エラーチェックができるに過ぎない。

価値の(理解の)エラーチェックが直接できるわけではない。価値の背景にある事実の一部をチェックできるだけだ。したがって、価値の言明を多分に含んだ文章においては、

ロジカルリーディングだけではまるで正しく読解できない、ということも多い。論理に凝り固まった人間哲学書を読むときに冒す間違いの多くもこれに起因する。


まり語学力論理的思考力は必ずしも問題ではない。常について回る最大の問題は、先入観問題ということなんだよね。

人は先入観から自由ではいられない。しか先入観自覚することはできる。先入観自覚しながら色んなテクストに触れることで初めて人は新たな価値理解することができる。

それなのに自らの価値に対して自覚的に生きていない人間殆どである。そればかりでなく自覚的になろうという発想すらない人がほとんどである。そこに問題根本があるんだよね。

2014-04-21

円城塔もっと楽しむためのノンフィクションはこれだ!

SFもっと楽しむための科学ノンフィクションはこれだ! http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20140417/1397744529 を受けて10冊選んでみました。

「『現実とはなにか』という認識が変わっていく」ような本はありません。

言語

ヨーロッパにおける完全言語を求める歴史を扱った『完全言語の探求』と多くのプログラミング言語設計者へのインタビューをまとめた『言語設計者たちが考えること』は、あまり読者が重なっていない気がしますが、円城塔きっかけにして両方読んでみるのもいいのではないでしょうか。

つぎの著者につづく」(『オブ・ザ・ベースボール』収録)の冒頭で語られるエピソードが『完全言語の探求』から引いたものであることは単行本収録時に追加された注で明示されていますし、「道化師の蝶」に出てくる無活用ラテン語についても『探求』で触れられています

一方『言語設計者たちが考えること』については、読書メーターで「小説を書く人も読むと良い」(2010年12月10日)とコメントしていて、『本の雑誌』の連載でも取り上げています(2011年11月言葉を作る人たち」)。また『本の雑誌』の連載では『言語設計者たち』以外にも時々プログラミング言語言語処理についての本が取り上げられています

最近連載のはじまった「プロローグ」(『文學界掲載)も今のところ、より望ましい文字の扱いや処理についての話をしているので、いささか強引な解釈ですが『完全言語の探求』『言語設計者たちが考えること』と繋がっている小説です。

翻訳

ロシア語作家として出発しアメリカ亡命後に英語作家に転身したナボコフは、自分自身の書いた文章を別の言語翻訳する「自己翻訳」を相当数おこなっていますが、それを主題とした評論書です。

円城塔本人も語っていますが、「道化師の蝶」ではナボコフモチーフとして使われています。友幸友幸が「希代の多言語作家であることもナボコフへの参照のひとつでしょう(若島正は『乱視読者の新冒険』のなかでナボコフを「稀代の多言語作家」と形容しています)。その希代の多言語作家の「わたし」とそれを翻訳する「わたし」が重なるようで重ならない「道化師の蝶」の筋立てにも、同じ作品について作者と翻訳者の両方の役割を演じたナボコフの影が見出せます。また「道化師の蝶」の姉妹編といえる「松ノ枝の記」での、相互翻訳相互創作する2人の作家という設定も「自己翻訳」の変奏と見ることができるでしょう。こうした創作翻訳交錯する2編を再読する上でも、この評論書が良い補助線になるのでは。

読書メーターコメントは「素晴らしい」(2011年4月28日)。

数学 全般

最初期に書かれた『Self-Reference ENGINE』や「オブ・ザ・ベースボール」「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」(『虚構機関』収録)などに顕著ですが、円城塔小説には、掌編の積み重ね(積み重ならず?)によって全体の物語が作られるという構造がよく現れます。これは辞典を順番に読んでいく感覚ちょっと似ているかもしれません。『数学入門辞典』を読んでいると、たとえあまり数学に詳しくなくても、円城塔小説に対してしばしば言われる「よく分からないけど面白い」という感覚を味わえると思います。ただし、円城塔小説に出てくる数学用語がこの辞書に出てくるなどと期待してはいけません。

一家に一冊」だそうです。 https://twitter.com/rikoushonotana/status/402707462370758656/photo/1

数学 数学者

円城塔小説には数学者やそれに準ずる人が多く登場しますが、『史談』は数学者を語った本として真っ先に名前のあがる定番の名著です。著者は類体論確立したことあるいは解析概論の著者として知られる高木貞治。かの谷山豊はこの本を読んで数学者を志したそうです。

数学部分については河田敬義『ガウスの楕円関数高木貞治先生著"近世数学史談"より』という講義録があるくらいには難しいので適当飛ばしましょう。

考える人2009年夏号 特集日本科学者100人100冊」で円城塔が選んでいたのが高木貞治とこの本でした。

数学 モンスタームーンシャイン

ムーンシャイン現象は、『超弦領域』収録の「ムーンシャイン」の題材で、他に「ガーベジコレクション」(『後藤さんのこと』収録)にも単語だけですがモンスター群とコンウェイが出てきます(コンウェイは「烏有此譚」の注にも言及あり)。作品内に数学的ホラ話といった雰囲気がしばしばあらわれる円城塔にとって「怪物的戯言(モンスタラスムーンシャイン)」はいかにもな題材かもしれません。

ムーンシャインを扱った一般向けの本というとたぶん最初に『シンメトリーモンスター』が挙がるのですが翻訳が読みにくいし『シンメトリー地図帳』にはあまり説明がなかった気がするので、この『群論』を挙げます

数学の専門書ですが、第4章「有限単純群の分類/Monsterとmoonshine」は読み物風の書き方になっています。ただし詳しい説明なしでどんどん話が進んでいくところも多く、きちんと理解するのは無理です(無理でした)。

第4章を書いている原田耕一郎はモンスター群の誕生にも関わりが深い人で、多くの文章モンスタームーンシャインについて触れているので、雑誌などを探せば難度的にもっと易しい文章が見つかるかもしれません。

数学 確率

円城塔小説には「オブ・ザ・ベースボール」のように確率についての言及もよく見られます。『数学セミナー』『数学のたのしみ』『科学』等で高橋陽一郎が書いた確率論についての諸入門解説記事、は探すのが面倒だと思われるので、もっと入手しやすいこの本を。

確率微分方程式で有名な伊藤清エッセイ集です。「確率」より「数学者」の項に置くのがふさわしい本ですが確率の本として挙げます

読書メーターコメントは「素晴らしい」(2010年10月24日)。

数学 力学系

やはり専門が力学系ということもあり、力学系関連もしばしば登場します。

本のタイトルを見て「力学系力学は違う」と指摘されそうですが、副題は「カオスと安定性をめぐる人物史」。力学系歴史に関する本です。実のところどんな内容だったか覚えていないのですが、「いわゆるこの方程式に関するそれらの性質について」(単行本未収録)で引用文献に挙がっているか大丈夫でしょう。

数学 ロジック

Nova 1』収録の「Beaver Weaver」をはじめ、ロジック(数学基礎論)関連も円城塔小説に頻出する素材です。

とりわけ計算可能性、ランダム性、busy beaver、コルモゴロフ複雑性……とあげてみると、まずはチャイティンの諸作が思い浮かびますが、あれはむやみに勧めていいタイプの本なのかちょっと疑問なので避けます読書メーターでは、最近出た『ダーウィン数学証明する』に対して「 チャイティンチャイティンによるチャイティンのためのいつものチャイティン」(2014年3月20日)とコメントしています

これという本が思い浮かばなかったので、いくらかためらいながらもこの本を挙げました。『メタマジックゲーム』か、あるいはヒネリも何もなく『ゲーデルエッシャーバッハ』でよかったのかもしれません。ただ『ゲーデルエッシャーバッハ』だけを読んでもほぼまちがいなく不完全性定理理解できないということはもっと周知されるべきじゃないかと思います

円城塔はこの本について「すごかった。(但し、かなりハード。)」(2011年3月27日)とコメントし、『本の雑誌』でも取り上げています(2012年10月ゲーデルさんごめんなさい」)。

初心者向きの本ではありませんが、不完全性定理について一席ぶつ前に読んでおくといいでしょう。


天体力学パイオニアたち』が上下巻なので、以上で10冊になります

別にノンフィクションを読まなくてもフィクションを楽しむことはできますが、ノンフィクションを読むことによって得られるフィクションの楽しみというのもまた楽しいんじゃないでしょうか。

追記: 小谷元子編『数学者が読んでいる本ってどんな本』に寄稿している13人のうちのひとりが円城塔なので、そちらも参照してみるとよいと思いますリストに挙げられている約50冊の本のうち半分くらいがノンフィクションです。上に挙げた本とかぶっていたのは『数学入門辞典』『天体力学パイオニアたち』『ゲーデル定理 利用と誤用の不完全ガイド』でした。また、はてブコメント言及のあったイエイツ『記憶術』もリストに入ってました。

2014-04-07

ナウシカあらすじ01

マンガ風の谷のナウシカあらすじ

まずはじめに、マンガナウシカ」をお読みになっていない読者のために、そのあらすじをやや詳しく説明しておこう。

すでに多少説明したことでもあるし、本書の読者であれば、マンガナウシカ」を読んでおられなくても、すでに何度となく

テレビで放送され、どこのレンタルビデオショップにも置いてあり、へたをすればほとんど国民映画扱いのアニメナウシカ

をごらんになっているであろうからアニメ漫画双方に共通する限りでの設定の説明は省略する。

 

しかし、漫画ナウシカ」のストーリーはきわめて複雑に錯綜しているため、必ずしもテクスト通りには整理できないがご容赦いただきたい。

もちろん、この記述で納得なさらずに漫画ナウシカ」のテクストに実際に当たられることが一番である

物語の発端はアニメナウシカ」と同様に、風の谷」付近の「腐海」でのナウシカとユパの再会、ユパの風の谷訪問である

平和なこの国も別転地ではなく、「腐海」の毒は確実に浸透し、人口は年々減り続けているし、近々始まる戦争ナウシカ

時期族長として、病める父、ジルに変って、同盟宗主国トルメキアの軍に従軍しなければならない。

そんな時、谷付近で不時着した飛行船から隣国ペジテが同盟であるトルメキアから滅ぼされたとの報が入る。

飛行船に乗っていたペジテの姫ラステルはいまわの際に、ナウシカに謎の「秘石」を渡し、それをトルメキアの王に渡すことな

兄の元に届けるように依頼する。

ペジテ避難船の動向を察知したトルメキアの部隊は程なく、風の谷に現れ、谷の代表として対峙したナウシカと一瞬即発の事態

空気が流れるが、ユパの仲裁によって事なきを得る。しかしその際トルメキア兵を一人殺めてしまったナウシカ自分の中に

眠る力と凶暴性に恐怖する。

出発前夜、ユパはナウシカ管理する城の地下最下層にある部屋に案内され、そこでナウシカ管理する「腐海」の植物群を

目にする。通常の「腐海」の環境下では瘴気を発する植物群も、清浄地下水と土で育てれば、毒を発しないのである

これを見てユパは腐海生態系が土壌中の有害物を還元して無害化し、かつての産業文明汚染した地球環境を浄化している

という自らの仮説に確信を抱き、独力で実験的に結論に到達したナウシカこそ、人類未来を握る存在だと直感する。

ナウシカは谷の将来のためにあえて、若者を残し、老人達ばかりの戦闘従者率いて、ガンシップ(小型の戦闘用高速飛行艇)とバージ(艀

ガンシップに牽引されて滑空する輸送グライダー)で、近隣の、同じく「腐海」のほとり(この地域は「辺境」あるいは「エフタル」と呼ばれる。)に位置する小国家郡の軍勢とともにトルメキアの部隊に従軍するべく出立する。彼女達が合流する部隊の長はトルメキアの第四皇女クシャナである彼女は本来一大軍団の長であるが、自軍の兵力の大半を主戦線に召し上げられ、今はペジテ攻略のためのわずかな兵力しか手元にない。彼女任務は当初、ペジテで偶然発見され、その危険性を察知したペジテ当局によって封印された最終戦争「火の七日間」の超兵器巨神兵の奪取だったが、其の復活の鍵である秘石の紛失によって当面巨神兵は役に立たない。

ついで新任の参謀クロトワによって、現有兵力プラス辺境諸族の同盟軍によって「腐海」を突破し、主戦線とは別方向から遊撃を行えとの指令が中央からもたらされる。彼女の側近たちは激昂し、この作戦自体彼女の政敵である皇子たちによる、彼女を陥れる為の罠ではないかと憂慮するが、クシャナはおとなしく指令どおりに行動することを決める。

クシャナの軍とナウシカ辺境諸族の軍は「腐海」上空で合流するが、ランデブーポイントに突如ペジテのガンシップが飛来し、攻撃を仕掛けてくる。それはラステルの双子の兄アスベルであった。攻撃に巻き込まれて風の谷のバージは牽引ロープを切られ「腐海」に不時着する。

初めて本格的な戦闘行動に直面したナウシカは、機敏な行動でバージを不時着へ誘導し部下の命を守ったものの、殺戮に軽いパニック状態になりテレパシーでアスベルに攻撃をやめるよう呼び掛ける。

そのため隙を作ったアスベルもまた、クロトワの操るコルベット戦闘用高速飛行艇撃墜され「腐海」に不時着する。

腐海」に降りてバージを救ったナウシカは、そこで「腐海」の主とも言える巨大な蟲王蟲と接触し、アスベルの生存を察知し、ただ一人メーヴェ(一人乗りの動力凧)に乗って救出に向かう。辛くも生き残ったアスベルは「腐海」の蟲たちを殺しすぎ、蟲の群の集中攻撃を受けていた。

ぎりぎりのところでナウシカはアスベル救出に成功するが、二人して「腐海」最下層へ落ちてしまう。気を失ったナウシカを守ろうとするアスベルの前に現れた王蟲は、ナウシカを小サキ者と呼び、彼女がそう望むからさない、早く去れ、自分達は助けを求める遠い南の森へ行く、と言い残して去る。

腐海」最下層は瘴気が無く、空気も水も清浄場所であった。ここでナウシカは「腐海」が地球環境を浄化しているという自らの直感の裏づけを得る。そしてナウシカとアスベルメーヴェで「腐海から脱出するが(ここまでで単行本第一巻)

2014-01-13

冬馬かずさを待ちながら

きっかけはWHITE ALBUM2のアニメ版テレビ放送だった。

悪いのは、WHITE ALBUM2のアニメがあまりにグレートだったかなのだ

起こったのはごく単純なことで、僕はネットたまたまWHITE ALBUM2 の第1話を見て、久方ぶりにアニメの視聴を開始し、第9話をみて、PS Vita本体と、WHITE ALBUM2のダウンロード版を購入した。それだけのことだ。

そして、アニメ最終話までゲームを開始するのを我慢して、いまこうして正月休みゲームクリアしたというだけだ。遣る瀬ない気持ちでキモいサイトを久しぶりに巡って、こうしてどうしようもなく、テキストエディタを立ち上げて、今これを書いている。

冬馬を愛しすぎていたために、"浮気end"(冬馬ノーマルend)の近くまで全く気がつかなかったが、WHITE ALBUM2の物語構造は、裏返しの聖杯探求譚としての"指輪物語"と同じである。それは、冬馬=トラウマを捨て去る地獄巡りの物語なのだ。また、ここからWHITE ALBUM2の本筋は"浮気end"(冬馬normal end)にあることがわかる。"冬馬end"の"雪菜end"の両者とも、トラウマ想像的に解決するに留まっている。例えば、何でもいい、エヴァでもまどまぎでも、ハッピーエンド二次創作が描かれるのも、それは原作のバッドエンドという現実があるからこそであり、それに根ざした幻想であるのと同じことだ。

ところで、ギャルゲーにおいて、トラウマをめぐる物語はありふれている。ギャルゲー歴史に刻まれるべき致命的な傑作である"ONE", "AIR", "Sense off"の3作品を唐突に思い返してみよう。ONEにおいては、トラウマ積極的表象されない("みさお"という引っかかりのない固有名詞わずかなテキスト)空虚として、"Air"においては観鈴の劇症発作の原因として釣り合うはずのないあからさまな幻想として、"Sense off"においては宇宙人超人類といった誇大妄想として存在している。素朴な作品が、トラウマささやか心理学物語還元するのに対し、先の3作品は、トラウマ表象することの失敗を通じて異様なリアリティを放っていた。

さて、対してWHITE ALBUM2では、凡百の作品と同様に素朴に真正からトラウマを描きだそうとするかにみえる。しかし、それはいったいなんという力技であったろう! トラウマの原テクストとしての、"opening chapter"を思い返してみよう。高校3年生の文化祭きっかけとした主人公ヒロイン二人の三角関係の恋は、悲劇的な結末が予告されている謎めいた空間の中で進展する。自分が恋しているかも知れない女のまなざし、謎めいた行動、ほのめかし、光、音楽ー歌とピアノー、いつ痛みに転嫁してもおかしくない、危うい、享楽にも通じる喜び。無意識がすべて通じ合う、情動的な空間。そこにおいては、超絶ギターソロを一週間でマスターすることなど問題ではなく、高めの女に恋されるという奇跡がおきてもおかしくはないだろう。そして予感は、悲劇成就する。喜びが、光が、その強度そのままにそのまま痛みに転換する。男は女を2人とも失う。女はもう1人の女と男を失う。それは、あまりにも強く3人が結ばれていたことの罪なのだろうーー。

大げさに過ぎただろうか。しかしここまででは、単に良くできたメロドラマにすぎないとも言い得る(その意味では、アニメ版の方が、ほとんどあらゆる意味原作に勝っていると思う)。しかしほんとうに凄いのが、ここからの周到さである。"closing chapter"の入りがいい。校内ラジオからあっけらかんと流れ出す、"届かない恋"と、春希と千晶との会話のシークエンス。そう、ここでは、トラウマの種は、世界にあからさまに薄く広く偏在している。"opening chapter"では2人以外の女がほとんど存在しなかったのに対し、攻略対象の女がギャルゲーならばそれが当然とでもいう装いで追加導入され、唐突に、我々が慣れ親しんだ、おなじみのギャルゲー形式のギャルゲーが始まる。決定的なことはすべて過去に起こってしまった薄闇の世界と、主人公を慰めるための都合の良い女性キャラクターたち。ここではじめて、WHITE ALBUM2は、"ONE"や"AIR"の出発点にたどり着く。しかし、ここには冬馬が、われわれが本当に愛した女はいない。その女は選択肢に現れない。だからここで進行するのは、ひたすら耐え忍ぶ、息の長い治療過程である。注意しなければならない。偏在するトラウマは、たえず現在の些細な出来事をきっかけに、"opening chapter"の各シーンをを縦横に引用しつつ実体化する。"opening chapter"における決定的なシーンのみならず、読んだことを忘れるようなささやか日常シーンさえも、絶えず痛みと後悔をともなう新しい解釈が施される。"opening chapter"のあらゆるシーン、あらゆるエピソード、あらゆるささやかな喜びは、それが不在になってしまった現在に徹底的に対比され、恐るべき呪いに転換される。WHITE ALBUM2がそれを成し遂げるその執念、持続力にには驚嘆せざるを得ない。また、トラウマの作動をここまでつぶさに可視化しえた作品は他に思いつかない。つらく長い治療過程においては、悪霊を追い払うために、3人のキャラクターが生け贄に捧げられ、物語の都合に奉仕させられ、使い捨てられる。そしてついに訪れた結末。そこでは、聖なる原典、聖なる楽曲が、新たな解釈を施され再演されるだろう。アコースティックバージョンで歌われる"届かない恋"。そこにやっとたどり着いた男と1人の女。まさに寛解という言葉がふさわしい、穏やかな時間

ーーそして、唐突に、"coda"が始まる。

冬馬かずさが回帰する。それはまさに運命的な、恐怖とも歓喜ともつなないつかない瞬間であり、われわれはただ滂沱の涙を流すほかになす術がない。これは感動などというものではない、あまりに強烈なドラッグ強制的に注入された生体の防御反応としかいいようのない、デトックスの涙である。われわれが唖然とするのは、冬馬のあまりの弱さ、あまりのいじらしさ、あまりの変わらなさである。なにしろ5年ものピアノ毎日10時間引き続けながら、その実、ピアノを通じて毎日はるきと会話を続けていたというのだ。なんたる痛切な、ほとんど自傷的な喜び。何も変わらない。何も終わってはいない。そして再会を果たした二人は、おたがい避け難い力でからあいながら蟻地獄のような愛の日々に巻き込まれていく。もとより、"opening chapter"の神話的な磁場により張り巡らされたリアリティが、"closing chapter"において、はるきが冬馬曜子の雑誌記事を書くあたりでほつれてはいものの、"coda"のマンションの隣の部屋での生活に至って、ほとんどギャルゲーのように(ギャルゲーだが、、)ほどけさってしまう。われわれは一方で熱が冷めるのを感じながら、しかし、他方では、そこで演じられる距離0の愛の関係、おたがいまる馬鹿のように傷つけ合い、愛し合うほかはないその様子から目を離すことができない。冬馬がもともと備えていたはずの、凛とした、というキャラクター造形は、ほとんど"浮気end"の最後まで見る影もなくなっている。しかしそれは、最後最後に鮮烈なかたちで炸裂する。ふたたび悲しみをもたらすために。ふたたび作品に残酷リアリティをもたらすために。

"浮気end"において決定的なことが起きてしまったあと、いわば、エピローグの序曲ともなる、短い小春日和の瞬間において、ふと、この、ダンテの"神曲"のように長い螺旋を描いて進んできたこの物語総体、ただ一人のキャラクタのためにすべての女が動員される大伽藍起源が問われることになる。冬馬は問いかける。なぜ私のことが好きになったのかと。決定的な問いである。そして春希は惑いもせずに答えるだろう。終局において、作者に課せられたあまりの重荷、あまりの苦難のあまりほとんどシンジ君のように幼児退行してしまった春希が、もともと持っていた率直さ、本当に貴重な少年らしい生真面目さ、控えめな正義感、雪菜も冬馬も本当にそれが好きだったはずの少年ファルスの片鱗を、かすかに遠くこだまさせながら。

顔が好みだったからだよ!

一目惚れだよ!

これが、この巨大な地獄起源だったのである。何とシンプルで、何と美しい言葉だろう。ふと、地獄のなかにぽっかりと真空地帯が発生し、なにごともなかったような日常現実が発生したかのような、はっとさせる言葉だ。大団円といってもよい。我々は涙を飲み込みながら思う。これは、この巨大な物語の終局にふさわしい。しかし、何も終わらない。決して、終わることはできない。だとしても、冬馬は成仏することはない、、、

* * * * *

ギャルゲーにおいて、われわれは徹底的に受け身な、マゾヒスティック主体たらざるを得ない。ギャルゲーにおいては、本来テキストスキップ機能など必要なく、われわれは、永遠とも思える退屈のなか、ひたすら単調にマウスクリックを続け、何度でも、水増しされたテキストをめくり続けるだろう。なにがしかの男らしさを発揮するために、全てのヒロインを"攻略"(ギャルゲーにおいてこの言葉ほど空疎ものがあろうか)し、CGコンプするという仮の目標を設定することはあまりにいじましい偽の能動性としかいいようがなく、雪菜を選んで胸を撫で下ろしたり、"不倶戴天の君へ"に救いを感じてしまうのはヌルオタとしかいいようがなく、よく訓練されたギャルゲーマーは、すすんで空虚のなかに留まり自らの空虚に向き合うことで快感を汲み上げ続けるだろう。そして、画面を閉じてもゲームは終わることがなく、ギャルゲーマーがとるのは、ただひたすらの"待ち"の体勢である。"coda"において、"浮気end"において物語はまた振り出しに、"closing chapter"に戻ってしまった。"opening chapter"の一撃によって生まれた世界は、"coda"によりいっそう強く永遠に閉じられてしまったのだ。われわれは、それらの各シーンをときにふれ思い出しながら、ひたすら待ち続ける。冬馬を。もう一度彼女に会いたい。いや、彼女はいる。われわれは知っている。われわれは、いや、わたしだけが彼女が全宇宙に偏在していることを疑うことはないだろう。

ここにいたって僕に残されたささやかな唯一の希望は、アニメ版2期, 3期においてよりいっそう美しくバーョンアップした冬馬が再臨してくれることである。もう一度お別れをするために。僕は、つまりは、よく訓練されたギャルゲー主体は、さよならをいうために、すべてが終わってしまった後の世界で、はてしなく続く終章のなか、冬馬かずさを待ち続ける、、、

2013-12-22

虚構新聞UK氏の個人サイト自己紹介文を読み返す

以下、とりとめのないメモすみません

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何やら虚構新聞が話題になってるのを見かけ、ふと思い出して久しぶりにUK氏の個人サイト「楠木坂コーヒーハウス」をのぞいてみた。

http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/

まだサイト生きてたんだ…

(というかわりと最近にも日記更新してるのね)

ここでやってたエイプリルフールネタ記事路線を煮詰めて作られた姉妹サイト虚構新聞、という流れだったっけ。

2000年代前中半の日ハム助っ人外人名前ネット上で表記ブレてる状況を調べる企画(http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/eche.html)とか、ドラクエの一人クリア日記http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/dq_mokuji.html)とかわりと素朴な、いい意味でどうでもいいことやってて微笑ましい感じ。

いまは虚構新聞でどこかユーモア精神にこじれが出てきてたり商業ライターっ気を帯びてしまってたりもするけど基本のノリはこういうのなんだろうね。

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んで、けっきょくUK氏ってどんな人なんだったっけとサイト自己紹介ページを確認。

http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/writer.html

■■■■以下抜粋■■■■

寺子屋経営する管理人。「黒わんこ」こと抑うつ神経症治療中。

テクストと戯れずにはいられない活字狂。虚構新聞社主・日本ひよこ党選対本部近畿事務長を兼任

【好きなもの

動物ねこペンギン

食べ物:ベークドチーズケーキコーヒーゼリー

ゲームICO

まんが:金田一蓮十郎ゴツボ×リュウジ小田扉犬上すくね山名沢湖岩岡ヒサエオノ・ナツメ浅野りんTAGRO冬目景おがきちか

アニメ灰羽連盟蟲師

音楽小島麻由美

その他:ヴィレッジ・ヴァンガードモンティ・パイソン無印良品ソニー

■■■■抜粋終わり■■■■

ああ、そういえば書評ではご自身の抑うつ神経症状についても引き合いに書いておられたなあとまた思い出す。

(このへん→ http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/dokusyo_05_1.html

虚構新聞ブレイクしてからはあんまりうつについての自己言及はしてない印象だけど(ツイッターフォローしてないのでそこでは何か言ってるのかな?)、最近の批判への反論というか愚痴の文にはちょっとピリピリしたものが漂っていて、私は氏とはまったく関係ない身ながら軽く心配にもなった。

上記のプロフィールうつ云々がそもそも虚構でキャラ作りしてただけなら杞憂だけど。余人にはたしかめようがないからなー。

以上、ほんとにとりとめないメモでした。失敬。

2012-05-03

NTR好きな俺が遂に出会った至高のまとめについて意見を伺いたい

彼女の家行ったら知らない人とセクロスしてた 」

http://eegg.dip.jp/text/20080527070822.html


7年前の書き込みだし、有名かどうかはわからんが。

数ある体験談の中でもダントツに後味悪いので是非読んでみて欲しい。

俺は4日前にこれを読んで、いまだにモヤモヤが消えない。

概要

遠距離彼女の住むマンションに、連絡なしに尋ねて驚かそうと思っていた彼氏が見たのは知らないDQNとのセックス光景だった。

彼女バイト先の先輩だったDQNは、大人しい彼女を半ば脅し、強引に関係を持ったらしい。

ドアにロックをかけていても、大声で怒鳴るストーカー気質。気づけばセフレの関係に。

会うのはいつも彼女の家で、週に1〜2のペース。

煙草が大嫌いなはずの彼女の部屋にある吸い殻を見てショックを受ける彼氏

D「大体あいだっていきまくってんだぜ?エロい体してるよな。フェラとかとかあんまりさせねえんだって?」

俺「そういう話してるんじゃないだろ。」

D「フェラとかとかあんまりさせねえんだって?」

俺「そういう話してるんじゃねえだろ?」

D「フェラとかとかあんまりさせねえんだって?答えろよおい。俺にばっか質問してんじゃねえよ。」

俺「いい加減にしろよ」

D「お前がいい加減にしろよ。フェラとかとかあんまりさせねえんだって?」

結局、バイト先と話し合い、DQNは制裁を受け、彼女引っ越し、一件落着。

なんてことはなく、異常なまでのもやもや感が残る。

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彼氏が振られる訳でも、彼女DQNにどこか惹かれているわけでもないのが、より虚しさを感じさせる。

このモヤモヤを晴らすために、また、この一連の出来事の不条理さを納得させる為に、重要な要素を挙げていく。

サイコパス気味なDQN

浮気現場を目撃されたのに「何?」なんて返したり、全く悪びれる様子が無い。恐ろしい。

こういうサイコパス気味な奴と出会ってしまうのは一種の事故で、対策をとるのも難しいだろうなと思う。

美人ってこういう訳解らん奴いっぱい寄ってくるだろうから大変だ。

流され気味な彼女

最初に無理矢理ヤられてしまったのがそもそもの間違い。

もし家に上がらせたのがサークルの同期だったなら、手を出されても抵抗できただろうに。

DQN彼女の心理的な立ち位置ってのに差がありすぎて。男は皆オオカミだと思って欲しいですね。

正直、この文章自体に書き手(彼氏)の主観(惚れ)が入りすぎていて、この彼女イメージする事が難しい。

クラスで1、2番目の美女なんだから、ある程度は華やかだろうし、被害者100%を意識するのは間違っている気がする。

文中にもあるが、SEX自体は普通に恋人とやるようにやっていたんだろうなあ。

1度やったらあとはズルズルなんてよく言うが、彼女自分の中で整合性をとるために、少しずつ気持ちが動いていったのだと思う。

彼氏SEXダメなところとか笑いながら挙げていたんだろうなー。

====

俺が、拙い想像力で考えうるディティールはこのくらいなんだけど。

皆さんがこのテクストをどう読んだか、是非意見を伺いたいのです。

特に女性から見て、この出来事がどう見えるのかが気になります

2012-02-04

さようならツイッター

ああ、君らは一様に面白くない。本当に、つまらない。ロクに酒も飲めず、リアルで他人を魅了する技能も持たず、普段キーボードを前にして語る勢いも、他人の目を見ればたちどころに失われる。服装も髪型メイクもイケてなければ、クラブで踊り狂うこともない。そのくせ一丁前に音楽を語り、恋愛を語り、社会を語る。時に開き直り自虐に酔う。(ふぁぼでも欲しいのだろうか?)そして殴り合いの喧嘩もせず、無鉄砲セックスに学ぶこともない。いつも鼻声でひそひそ話し、机上の理論を重んじ、実(じつ)を批評せずクソ下らない批評二次批評し、バーチャル世界安息を求め、それを「生」だと勘違いする。ついでにRADWIMPSが好きだ。はっきり言おう。君らはキショい。

トゥギャッターなどを見ていると、ごく稀に例外はいるが、普通、そんな奴に面白いツイートができるわけがない。そしてマトモなツイートができない代わり、安易な散文詩モドキか下らないネタか「メタ批評」だか、何だか知らないが、分かりきった、まるで喜怒哀楽や生活や人生に関係のないテクストを書く。世界を揺り動かすことなんて簡単なのに、それすら考えず、やろうとしない。ただひたすら小さなコミュニティでくだらないリツイート連鎖同意を要求し、鬱をぶちまけ、インターネットで身に付けた(アホか)小さな小さな自信を拡大させて生きている。ねえ、ここには何もないよ。ツイッターなんて、唯のツールだ。

僕は金輪際オフに出ることはないし、&lt;スカイプ&gt;なるもので見知らぬ人と話すこともない。時間無駄だ。そしてこれは個人的な決別宣言であり、恐れ多くも「真理を突くようなもの」とは無縁のものだ。君らはこんなバカの言うことに何ら惑わされることなく、君らの創り上げた世界安心して楽しんでいればいい。本当に楽しんでくれ。おそらく、それが真実だ。

そして、さようならツイッター

2011-11-23

相次ぐ有名人訃報に「今年はおかしい」とか言う奴なんなの

名の有る人なんて海外の人物も含めればそれこそ万といるんだから、そりゃ毎年誰かしら亡くなるだろって。

そこに凶年という物語性を見出したい気持ちはわからんでもないけど、そのテクストはどこでも通用するものじゃないということだけは覚えておいてね。

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