「脱糞」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 脱糞とは

2020-08-03

anond:20200803194931

TPOを考えろよ

自宅から持参した人糞と目の前で脱糞した人糞ではインパクトが違うだろ

持参糞は冷えた陰湿さを与えたいシーン向けだし

脱糞熱量世界を救うんだよ

anond:20200803191547

糞どもの目の前で脱糞して糞どもに投げつけろ

2020-08-02

脱糞経験する以前と以後で、価値観が変わった

人のベール意識するようになりましたね

2020-07-30

anond:20200730232633

そういうことよくあるの?

脱糞とまではいかないけど、尻に糞が挟まっている過程までは進んだ状態

あんまりよくあるようだとお医者さんにいったほうがいいし、ほぼ脱糞と見られても仕方ないと思う。

2020-07-27

anond:20200726133446

年取ると肛門ってゆるくなるんだよね

それも4050代以降の話じゃなくてアラサーあたりから来たりする

新人たちも実際に不意脱糞しなくてもわかってくれる日が来るよ

次回の「ますだぶっ!」 7/27放送

3年副部長増田です。

増田全国大会はなくなったが新たに現れた世界増田の猛者達の「世界増田化」計画を食い止める事になった私たち

増田高校増田部と増田工業文芸部増田大学附属高校増田部で作られた「日本総合増田連盟

3校で力を合わせないといけない時に仲間割れ

そんな時に一回戦の相手の「米国の暴れパンティー」と恐れられるアメリカ増田大会総合優勝者が視察に来た!

圧倒的なアメリカ特有のパワーを見せつけられて怯む連盟メンバー達…

新入り増田…?その力はいったい!?

次回!

米国の暴れパンティー死す 脱糞パンティーにかけた26年」

お楽しみに

2020-07-26

会議中に脱藩した

まあタイトル通りなんだが、会議中に脱糞したわ。

新人教育の一環で貸部屋を借りさせて会議を行ったんだが、指導役の俺に便意が到来。

立ち上がって「トイレに行きま」と言った瞬間にブブブブリッッッッ!!!!と出た。水状のやつだった。

そのごまかしようもない巨大な音に大勢新人空気が止まる中、俺は硬直した。

なぜかわからないが、立ち上がった衝撃と発音した時の力み、そして柔らかい便が最大の要因となって出たらしい。マジで頭が真っ白になった。

無言でトイレに行って、彼女パンツズボンを届けてもらってその日は病欠した。

次の日出社しても誰も何も言ってこなかったが社内では噂になっているようだった。耐え忍んで半年ほどで噂は消えた。

あの悲しみを成仏させるためにこれを書いた。

2020-07-23

4連休からアナルを育てよう

アナル快楽を知らずに死ぬな生きるな生き長らえるな

アナルは老若男女問わずついている

使え

答えはそこにある

ワセリンと指だけでいい最初はそんなもんでいい

弄る前にシャワー浣腸しろ

風呂場で脱糞するならトラップ構造はずしておけ

からはとりあえず以上だ

4連休からアナルを育てよう

アナル快楽を知らずに死ぬな生きるな生き長らえるな

アナルは老若男女問わずついている

使え

答えはそこにある

ワセリンと指だけでいい最初はそんなもんでいい

弄る前にシャワー浣腸しろ

風呂場で脱糞するならトラップ構造はずしておけ

からはとりあえず以上だ

次回の「ますだぶっ!」 7/23放送

よぉ 三年の増田だぜ!

増田全国大会に現れた謎の集団増田連盟」

そのリーダーは山で行方不明になった増田副部長だった!

増田副部長…どうして…

副部長の野望は増田オープン化によってT○itterを凌駕する最強のミニブログサービス

そんなことは絶対にさせない!

俺たち増田部が絶対に食い止めてみせる!

それが増田副部長 俺たちの引退試合だ!

次回「ますだぶっ!」

増田連盟壊滅 パンティーと脱糞布教にかけた3ヶ月」

お楽しみに!

2020-07-22

anond:20200708161958

昨年の冬、とある日、

普段まり着ないスーツをビシッと着こみ、

ホテルラウンジで、重要な商談を済ませたんだ。

商談後、談笑していると、強烈な腹痛を感じて、

半ば強引に急用でもあるかのようにその場を立ち去りつつ

一番近いトイレを急ぎ足で探した。

ヤバい、何これ

え、本当にヤバい。どうしよう

ヤバい、とにかくヤバい

本当に漏れ

あ、やばい

やっと空いている多目的トイレが見えたその時

小学生2年以来、

人生2回目の脱糞をした。

重要な商談を終えたばかりの38歳経営者です。

この時の記憶が薄れることは決してないだろう。

2020-07-20

次回の「ますだぶっ!」 7/20放送

こんにちは、1年の増田です!

先輩たちが増田高校に潜入したのがバレて部長は死亡…増田部どうなっちゃうの!?

私は増田先輩の勧めで増田町にある増田教室に通うことに

そこは歴戦の増田排出した超エリート増田教室だった!

そこで因縁増田高校の新入り増田出会う私

!?まさか同じタイプ増田使い!?

次回「ますだぶっ!」

増田教官死す 脱糞パンティーにかけた78年間」

お楽しみに

2020-07-19

次回のますだぶっ!

こんにちは増田です!

夏の全国大会に向けて執筆に精を出す新入りの増田

増田メンバーはそんな彼を助ける為に毎年優勝している増田高校に潜入!?

そこで出会ったのは部長因縁相手増田

増田高校増田部長増田即興増田勝負しかけられて大ピンチ増田部長

そこに増田高校新入りのエース増田も登場!?

次回「ますだぶっ!」

増田部長死す 脱糞パンティーにかけた18年」

お楽しみに!

クソみたいなウミガメのスープ

気合いの入った生き物」

ケイユリはとっても仲良し。

2人がある日散歩をしているときユリお腹が痛くなってしまいました。

近くにコンビニがあったのでケイはガムを買い、ユリ路上脱糞してしまいました。

いったいどういうこと?

2020-07-18

ドラゴンいつも脱糞してるけど

鳥みたいに垂れ流しなのかな

2020-07-14

なんでヒトは脱皮しないの?

なんで毎日脱皮もせずに脱糞ばかりなの?

2020-07-09

anond:20200708161958

昨年の冬、とある日、

普段まり着ないスーツをビシッと着こみ、

ホテルラウンジで、重要な商談を済ませたんだ。

商談後、談笑していると、強烈な腹痛を感じて、

半ば強引に急用でもあるかのようにその場を立ち去りつつ

一番近いトイレを急ぎ足で探した。

ヤバい、何これ

え、本当にヤバい。どうしよう

ヤバい、とにかくヤバい

本当に漏れ

あ、やばい

やっと空いている多目的トイレが見えたその時

小学生2年以来、

人生2回目の脱糞をした。

重要な商談を終えたばかりの38歳経営者です。

この時の記憶が薄れることは決してないだろう。

2020-07-08

anond:20200708161958

20代女性ですが、どうしても四半期に一度は脱糞をしてしまうので、下着ビニール袋を持ち歩いています。長めのパンティライナーを使うと被害局限できます。え、そういうことじゃないって?

2020-06-24

増田諺「嘘から出た脱糞

増田に嘘の脱糞報告をしているといつか本当に脱糞することになる(経験者)

2020-06-18

薄い本で油断してて脱糞が出てくるとうぎゃああああてなる

表紙に書いててよ

2020-06-13

相次ぐ爆破予告インターネット宗教戦争の余波だった

4月以降断続的に発生している爆破予告がゆゆうたと恒心教徒ゆゆうた攻撃派との「宗教戦争」の余波であることが分かったのでメモ

ゆゆうたとは

https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%86%E3%82%86%E3%81%86%E3%81%9F

https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%86%E3%82%86%E3%81%86%E3%81%9F

2015年からニコニコ動画例のアレ(淫夢などの日本独自インターネット文化総称)カテゴリでの活動を始めた動画投稿者

現在Youtuberとして活動している。

恒心教徒とは

唐澤貴洋弁護士に対する誹謗中傷嫌がらせを行う集団総称

この弁護士誹謗中傷されるようになった原因・経緯については今回の件とあまり関係ないので割愛する。

なぜゆゆうたは恒心教徒から攻撃されているか

ゆゆうたの最大のヒット作が『弾き語り一般男性脱糞シリーズ」』である

これは恒心教徒弁護士揶揄するために作成した「一般男性脱糞シリーズ」という作品をゆゆうたが弾き語ったものだ。

この動画も公開当初は「注目度・知名度こそ高いが、恒心関係脱糞だけの一発屋記事も書きにくい(のでWiki個別記事を建てない)」として教徒特に気にとめていなかったが、

2020年1月吹奏楽関東サウンドプロジェクト一般男性脱糞シリーズを400人で演奏したこと教徒はこれを文化の盗用として反発。

とくに一部の教徒(ゆゆうた攻撃派と呼ばれる)は

特にゆゆうたは恒心ネタを冒用しているだけで布教に全く貢献しない上、自己利益を求める恒心営業によりタレント化を押し進める臭芋であるからポアしなければならない。

として攻撃を開始することになる。その一連の攻撃の一つがゆゆうたの本名を名乗って行った爆破予告である

 

なお、この攻撃について教徒見解は一致していない。

379 名前一般ノルウェー市民:2020/06/13(土) 08:13:24.81 ID:aVKQqpPY0

攻撃をやめないだの攻撃するぞだのなんでゆゆスレ民はwikiトップにそういう宣言文載せたがるの?

新規記事SEOなんてDMCA適用ですぐ弱体化させられるオチだというのに 

もうドメイン自体カルマ引き継いで直接通報してる人物項目以外でもほぼ出てこなくなったんだっけな

 

380 名前一般ノルウェー市民:2020/06/13(土) 08:40:38.66 ID:tNxsjk+x0

そらもうお客さんのゆゆアンチと元からいた教徒過激派共鳴して炎上に酔っちまったからよ

2020-06-11

死んだ猫の重みを知る人へ

 この世界人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である

 数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。


 この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに分けられる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である

 どんな記憶忘却可能性を含んでいて、それがいか尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである

 とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるものだ。例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類だ。

 これから話す記憶は――意外だと思われる人もいるかも知れないが――恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は(少なくとも僕にとっては)、一度忘れしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要記憶ではないということになる。

 あるいは、死んだ猫の重みを人生最後まで引きずっていく人もいるのかもしれないけれど、僕がこの世界からいなくなる時に、多分、死んだ猫の記憶は僕の傍にはいない。


 人生というのはタフなもので、多くの場合予断を許さない。例えば、猫は前触れなく死んでしまう。そこに救済は存在しない。

 猫は突然死ぬ

 重要命題である

 だからこそ、我々はタフにならなければならない。タフな(きつい)人生に耐える為には、我々自身精神的にタフにならなければならないのである

 して、タフな人生を生き延びるために重要資質とは何だろうか?

 僕が思うに、恐らくそれは一種判断能力である。つまり重要もの重要でないもの区別する為の判断能力である

 この世界において、重要もの重要でないもの比較すれば、前者は圧倒的に少なく、後者は圧倒的に多い。これは考えるまでもなく当然のことである重要ものが我々の前に際限なく溢れ返っているのであれば、我々の人生もっと救済に満ちたものになる筈だからだ。でも、現にそうなってはいない。人生における重要事物は泥の中の砂金と同じである。それは、恐らくは多くの人が感じていることだろうと思う。

 そう、我々が人生を全うする為にもっと重要能力は、数少ない重要物事出会った際に、その重要出来事を迷わず掴み取る能力なのである

 タフな人生を本当に生き切る人間に備わっている素質は、恐らくはそれだ。彼らは汚泥の中の砂金を迷わず掴み取り、幸運の女神の前髪を毟り取らんばかりに握る。僕も、そういう人間になろうと日々心掛けてきた。この世界に溢れ返る物事の中に、ほんの僅かに存在している、かけがえのない事柄。あるいは、溢れ返る人々の中に存在している、かけがえのない人々。そういう人(もの)に出逢えば、できるだけそれを失わまいとしてきた。

 人物だけではない。記憶に関しても同様の態度を取ってきた。

 我々の心の中には無数の記憶存在している。その多くは、断言するに無意味記憶に過ぎない。病院記憶体育館記憶商店街記憶――はっきり言って、その殆ど無駄記憶だ。重要記憶というものは一握りしか存在していない。

 我々の人生には限りがある、その限られた人生の中で、無意味記憶無意味な情愛を注ぐことだけは避けなければならない。情愛を注ぐべき人を選び、情愛を注ぐべき記憶を選別すること――自分にとって重要ものを、重要でないものの中から選び抜くこと――それが本当に大切なことなのだ。だから、我々は、警戒しなければならない。一見重要であるように装っておきながら、実際には全く我々の人生無意味事物……そういうものへの執着を捨てなければならないのである

 書いていて思うが、幾分このような視点には屈折の気配がある。勿論、それは自分でも分かっている。でも、やはり我々の人生は貴重なものであり、貴重でないものと触れ合うことで、その輝きを鈍らせる必要はない――そういう視点が一抹の正しさを備えていることも、また事実なのだ

 はっきり言おう。

 これから語る記憶は、決して僕の人生重要ものではない。むしろ、どうでもいいものなのだと。

 

 大した記憶ではない。

 道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。

 その肉体の損傷は一見して分からなかったが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っていた。既に絶命していた。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの運転手ゆっくりと車を走らせていた。つまり道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。

 猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉運動はとっくに停止している。

 僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を自転車に乗って通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見ていた。

 通り過ぎる。

 川沿いの道を走り、こじんまりとしたアパートに辿り着く。駐輪場自転車を停め、アパートの裏手へと回り込むと、階段を上った。

 階段を上る度に、カンカンと乾いた金属音がこだまし、やがて僕は二階の自室の前へと辿り着いていた。

 鍵を開け、扉を開け、自室へと体を滑り込ませる。

 薄暗いアパートの自室はひんやりとしている。

 猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートル距離があって、僕はあらゆる意味当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン手袋を取り出した。

 再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートル距離時間はそれほど掛からず、辿り着いた時にも猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。

 僕は歩道自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に轢かれる心配のない路端へと引きずった。

 そう、引きずったのである

 抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。猫の頭部がごろりと動いた。

 猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレン手袋に付着した。

 そこには愛情は無い。僕の人生残留するべき温かい思念というもの存在していない。

 だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミング忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。

 僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである

 猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである

 ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。

 僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。

 初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路中間辺りから続く夥しい血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、たまに、盗み見るように視線を向けた。本来当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。

 やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。

 彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。


 やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車だった。

 この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフ二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。

 僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレン手袋を処理した後で、日常ルーチンへと戻っていった。


 多分、この記憶は僕の人生残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が死んだ猫の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。

 しかし、それはあくま一般的な教訓に限っての話だ。僕個人の、個人的な教訓に関しては、少しばかりはあるかもしれない。


 多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタルな――欠くことのできないほど重要な――部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情記憶であり、誰かから愛情記憶である

 そういうものを欠くと、我々のバイタルな部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。

 とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。

 これまで僕が延々と語ったこ記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。

 でも、と思うのだ。

 この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。

 記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者記憶の方が圧倒的に多い。この世界殆ど記憶後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。

 それでも、と僕は思う

 その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。

 僕の記憶の中で息をしている。

 猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。

 多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。

 僕が猫のことを忘れ去るその時を。

 じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん