はてなキーワード: ポール・グレアムとは
IT技術者はダメな人が多すぎるのでハズレを引かないように色々と考えないといけない。ポール・グレアムもダメなプログラマを雇ったら終わりだと言っている。ではどうやってダメなやつを弾くのか。
元増田です。
なんか、大人しくUbuntu使っとけば問題ないみたいなブコメがあったけど、Ubuntuだって初心者には普通に難しいからな?
それこそWindowsやmacと比べたら、明らかに高頻度で躓くケースが多いね。
だからサポートする方も大変ってか、Windowsやmacよりも手がかかるのが現実。
「お前、Linux使っててそんなとこまで訊くんだったら帰れよ」
と何回思ったことか。
そんな感情を押し殺して
「(しょうがねえなあ~)○○って知ってる?勉強しとけよーw」
で済ますが、正直言って全く気分は晴れない。
何がモヤモヤするって、Linuxを始めとするOSSに馴染んでいる人間ほど、
「確かに取っ掛かりは難しい。でもそれを乗り越えた後に、素晴らしい『自由な世界』があるんだ」
「どのソフトも時に使いにくいとさえ思うくらい個性的な手触りだけど、それこそが多様性であり、善なんだ」
という主旨の内容を、マントラかよって勢いで唱えるわけだが、まあ正論だけどズレてんなーって感じるんだわ。
アレっすか、一億総ハッカー社会を目指してるんですか?あるいはポール・グレアムの言うようにいっぱしの画家気取り?みたいな。
そりゃ、職業プログラマーとかがここらへんの話を知らないとなると、確かにヤバい。
あと、今のソフトウェア開発はほぼネットワークと不可分だったりするので、Linuxを含むUNIX系OSもろくに扱えないレベルの人間が、ネットワークの専門的知識を得ることは不可能という意味で、開発者ならUNIXくらい使えんだろって話もある。
でもさ、そんなんパソコンを仕方なく使ってるような「普通の人」にはどうでもいい話なわけ。
それこそ多様性云々にしたって、例えばTeXやgnuplotやPerlやsendmailやbindといった、便利である以上に、その複雑怪奇な仕様で長年に亘ってユーザを苦しめ続けてきたことの言い訳にはならなくね?
あと日本語処理が、結局Googleが本気でLinuxに肩入れするまで、UNIX系OSでは(少なくともWindowsと比較して)まともに動作していなかったことも知ってるからな。
それにMS OfficeとAdobe Creativeの代替足りうるOSSは、未だ登場していないし。
鼻につくってそういうとこだぞ?わかる?
一般的に、自由であることと快適であることは全く関係ないけど、これはソフトウェアにもまんま当てはまる話だと思うね。
これまたブコメに「Androidは世界で最も成功したLinuxディストロ」とあったから言うけど、Androidよりも、そのパクリ元かつプロプライエタリでクローズドなiOSのほうが、ごくごく普通にスマホ使ってるぶんには遥かに快適だからな?
そりゃAndroidはスマホというハードウェアを自由にいじり倒すには最適なんだろう。
でも多くの人にとっては電話とメールとWebとLINEとゲームとオーディオと写真や動画の鑑賞・撮影くらいがサクッと使えれば良くて、そういうありふれた用途に限定される反面、それらの使い勝手をパッキパキに洗練させた、iOSのほうが使いやすいわけで。
まあ、AndroidスマホがiPhone買えない貧乏人のイノベーションとして、特にまともな回線の整備がおぼつかない開発途上国の通信環境を、少なからず改善したことは大いに意味があるので、まあ認めて「やるか」って感じだけど。
話を戻すと、ぶっちゃけソフトウェアの場合は、自由になるために要求される水準が高すぎるんだわ。
それに無自覚、あるいは気づかないフリをしているOSS論者の多いこと多いこと。
そんなんだから、お前らの言ってることは
という風にしか聞こえないんだよ。
そこも含めて、OSSは思想そのものからして途方もなく左巻きってことには、もっと自覚的になるべき。
まあでも、なんだかんだ言って世の中は左翼によって良くなってきたことも事実なので、それだけでもOSSの意義は十分にあると思うけどね。
続き
つまり、紅組白組の代表による司会もソーシャル・ディスタンスであり、
出演するジ・アルフィーもそれぞれが2m以上離れている
よく知らんけど、AKBのような団体は舞台袖からはみ出してしまうだろう
そして、客席に対しても透明なフィルムがぶら下げられ、
そのフィルムにはバーチャル・ユーチューバーが半透明に表示されるのだろう
漫画家になって後悔するのと同じように思う
個人が主導権を握れる専門分野はメディアのような表舞台に現れない方が強い
それはYコンビネータのポール・グレアムだったか、スケールしないものを敢えて選択することに近い
スケールするニッチな世界は非常に稀であり、もしかしたらもうないのかもしれない
しかし、スケールしない世界、半径5mのような世界には寧ろ何かチャンスがあるかもしれない
何事も行き詰まったら逆に考えてみることが大切だ
元々phpから入ってruby on railsの流行に乗って趣味でrubyやってて一度プログラミングから離れてた
最近本の整理しててハッカーと画家を読んでハマって全く読みこなせかったポール・グレアムのon lispを手にとった
本当になんとなくの気持ちからlispを極めたいという気持ちになった
全く読みこなせかったのが悔しかったのもあるし、読みこなせなかったながらPGの今まで書いた記事を読めば読むほどこのlispというものがとてつもないものなんじゃないかと思うようになったのもある
lispについての概略を知れば知るほど自分の中の厨二をくすぐられる
・60年前のITの速度感で言えば古代のプログラミング言語なのに最新のプログラミング言語はlispの真似をしてるだけで追いついてない
・マクロとCLOSという機能がありそれを使いこなすと強力過ぎて他のプログラミング言語には戻ってこれないらしい
・しかもそのマクロという機能は他のプログラミング言語には絶対に真似できないらしい
・その真似できない理由が()を多様するプログラミングの文法に由来するから
・()を多用するがために他のプログラミング言語の学習者からするとかなり難しく見えるらしい
・マクロというのはプログラムを作るためのプログラムらしい。元々AIがプログラムを作ることを想定してたとか
こんな俺たち(?)の厨二心をくすぐるプログラミング言語ってあるか?絶対に無い
lispを使いこなして他のプログラマが1ヶ月で作るものを1日で作るとかマンガか何かみたいなことがしたい!絶対したい!!
で、俺が今やってることと言えばプログラミング言語というものが何をできるか調査するためにrubyで色々作っているところ
HTMLパーサーとかDBドライバをlispで作るためにrubyのパーサーとかドライバのコードを読んでると、自分が一体何をしてるのか分からなくなる
もちろんそれですぐに飯が食えるようになるのはrubyだ。給料もそれなりに良い。lispの求人を見たことは今まで一度もない
だけどこれもなんとなく遠回りでナンセンスな感じがしてる
直接lispを学ぶのが良いのか、急がば回れでrubyを熟練するのが先か、どうなんだろうか
プログラマーの皆さん教えてください
オッサンになると涙もろくなる。
(多少だが)苦労していると、「この人は真実を語っているな」ということは大体分かるし。
ネットの世界では凄そうな人がいるんだけども、身近な凄い人は案外そういうのと無縁で生きている。
少なくとも、四六時中ネットのリアルタイムの話題にリソースを割くなんて馬鹿な真似はしない。
「ネットはいきなり頂点の人が可視化されるので自信を無くす」という話はよく聞くが、
自分の体験からすると頂点らしいネットの凄い人も身近な凄い人も能力的にはあまり変わらない気がする。
要は「本人がやりたいかどうか(いや、「やるかどうか」)」が問題なだけであって、煌びやかさに惑わされて
能力が無いと思っている人も続けていれば勝手に能力はつく。連戦連敗でも「何割かは勝ち」の場合もある。
それを次につなげれば、逆境であるほどレバレッジがかかって能力が上がる。
ある時、凄く出来る女性プログラマーがいて「どうやればそんなに出来るんですか?」と聞いたことがある。
答えは、「デスマーチをくぐっていけばこれくらいの実力はつく」だった。
だから、能力が無いと嘆く若者も(オッサンも、あるいは女性も)絶望する必要は無いと思った。
単に守りの姿勢、ポジションが安定したので、後は受け身で人生守りに入ろう、となった瞬間に思考が硬直化
するだけの話であって。
とまあ、増田で書いた所で寝言なのだが、「ネットの人がそれほど凄くもない」ということは、
例えば、はてブで上がってくる書籍関係の記事はほとんどフィクション系でノンフィクション系が少ない。
いつだかの村上春樹のネット相談で、「小説をバカにする夫が許せない」みたいな話題があったが、
実際は逆じゃないかな?と思う。「ビジネス書を読んでいる人は意識が高い」と揶揄されるのが
本当のところではないのか。
しかも下らないライフハック系の記事はホットエントリになったりして、Kindleのセールで買えよと思う訳だが、
そんなことを言っても聞き流されるのがオチだと言うことも分かる。
それはともかくとして、最初の話に戻ると、真実を語っている人に弱い。
今日、ようやく仕事に区切りがついたので、ダラダラとネットを見ていたが、久々に再読してフリーでもいい文章が
落ちているものだと思った。上に書いたワイ氏の駄文の何千倍も役に立つ文章が落ちている。
リンクを貼っても読まれないと思うので、抜粋しながら以下に転載したい。
「ハッカーと画家」のポール・グレアムの抜粋だ。ハッカー以外にも役に立つと思う。
転載元:
http://practical-scheme.net/trans/hs-j.html
<版権表示>
本和訳テキストの複製、変更、再配布は、この版権表示を残す限り、自由に行って結構です。
(「この版権表示」には上の文も含まれます。すなわち、再配布を禁止してはいけません)。
Copyright 2005 by Paul Graham
原文: http://www.paulgraham.com/hs.html
日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org)
<版権表示終り>
(「知っておきたかったこと」より)
だから、卒業演説はこんなふうになるだろう。 「きみと同じ能力を持つ誰かができることなら、きみにもできる。
そして自分の能力を過小評価しちゃいけない。」 でも、よくあることだけれど、真実に近付こうとするほど
多くの言葉を費さなくちゃならなくなる。 かっこよく決まっている、でも正しくないスローガンを、 泥を
かき混ぜるみたいにいじってみたわけだが、 これじゃあまり良いスピーチにはならなさそうだ。 それに、
これじゃ何をすべきかってこともよくわからない。 「きみと同じ能力」って? 自分の能力って何だろう?
風上
この問題の解法は、反対側からやってみることだ。 ゴールを最初に決めてそこから逆算するんじゃなく、
より良さそうな状況に向けて少しづつ前に進んでゆくんだ。 成功した人の多くは実際にはそうやって成功したんだ。
卒業演説方式では、きみはまず20年後にどうなりたいかを決めて、 次にそこに至るには今何をすればいい、と考える。
ぼくが提案するのは逆に、将来のことは一切決めないでおいて、 今ある選択肢を見て、良さそうな選択肢がより
時間を無駄にしてない限り、実際に何をするかってことはあまり問題じゃない。 面白いと思えて、選択肢が
増えるものなら何でもいい。増えた選択肢のどれを 選ぶかなんて後で考えればいいんだ。
たとえば、君が大学の1年生で、数学と経済学のどっちを専攻しようかと 迷っているとする。この場合はね、
数学の方が選択肢がひろがるんだ。 数学からはほとんどどの分野へも進むことができる。数学を専攻していたら、
経済学の大学院へ進むのは簡単だろう。でも経済学を専攻して、 数学の大学院へ進むのは難しい。
グライダーを考えてみるといい。グライダーはエンジンを持っていないから、 風上に向かって進もうとすると
高度を大きく失うことになる。 着陸に適した地点よりずっと風下に行っちゃったら、打てる手はひどく
限られるものになるだろう。風上にいるべきなんだ。 だからぼくは「夢をあきらめるな」のかわりにこう言おう。
「風上をめざせ」。
でも、どうすればいい? 数学が経済学の風上だったとして、 高校生はそんなことを知っていなくちゃならないんだろうか。
もちろん知らないだろう。だから、風上を自分で見つけ出さなくちゃならない。 風上を知る方法のヒントを
いくつかあげよう。 賢い人々と、難しい問題を探すことだ。賢い人々は自分達で固まりがちだ。
そういう集団を見つけたら、たぶんそれに参加する価値はある。 但し、そういう集団を見つけることは簡単じゃない。
大学生になったばかりのときには、大学のどの学部もだいたい似たように見える。 教授たちはみんな
手の届かない知性の壇上にいて、凡人には理解不能な論文を 発表している。でもね、確かに難しい考えが
いっぱい詰まっているせいで 理解できないような論文もあるけれど、何か重要なことを言っているように
見せかけるためにわざとわかりにくく書いてある論文だっていっぱいあるんだ。 こんなふうに言うと中傷に
聞こえるかもしれないけれど、 これは実験的に確かめられている。有名な『ソーシャル・テクスト』事件だ。
ある物理学者が、人文科学者の論文には、 知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめにすぎないものが
しばしばあると考えた。 そこで彼はわざと知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめ論文を書き、
一番良い防御は、常に難しい問題に取り組むようにすることだ。 小説を書くことは難しい。
小説を読むことは簡単だ。 難しいということは、不安を感じるということだ。 自分が作っているものが
上手くいかないかもしれないとか、 自分が勉強していることが理解出来ないんじゃないかという不安を
感じていないなら、それは難しくない問題だ。 ドキドキするスリルがなくちゃ。
ちょっと厳しすぎる見方じゃないかって思うかい。 不安を感じなくちゃダメだなんて。 そうだね。
でもこれはそんなに悪いことじゃない。 不安を乗り越えれば歓喜が待っている。 金メダルを
勝ち取った人の顔は幸福に満ちているだろう。 どうしてそんなに幸福なのかわかるかい。安心したからさ。
幸福になる方法がこれしかないと言っているんじゃないよ。 ただ、不安の中にも、
そんなに悪くないものがあるって言いたいんだ。
野望
「風上をめざせ」というのは、現実には「難しい問題に取り組め」という ことだった。そして、
君は今日からそれを始めることができる。 ぼくも、このことに高校にいる時に気付いていたらなと思うよ。
たいていの人は、自分がやってることを上手くできるようになりたいと 思う。いわゆる現実社会では、
この要求はとても強い力なんだ。 しかし高校では、上手くできたからっていいことはあまりない。
やらされていることが偽物だからだ。 ぼくが高校生だった時は、高校生であることが自分の
仕事なんだって思ってた。 だから、上手くやれるようになる必要があることっていうのは、
学校でいい成績をあげることだと思ってた。
その時のぼくに、高校生と大人の違いは何かと聞いたなら、 たぶん大人は生活のために
稼がなくちゃならない、と答えていただろう。 間違いだ。ほんとうの違いは、大人は
自分自身に責任を持つということだ。 生活費を稼ぐのはそのほんの小さな一部にすぎない。
もしもう一回高校をやりなおさせられるとしたら、ぼくは学校を 昼間の仕事のようにあしらうだろう。
学校でなまけるということじゃないよ。 昼間の仕事のようにやる、っていうのは、
それを下手にやるってことじゃない。 その意味は、それによって自分を規定されないようにするってことだ。
たとえば昼間の仕事としてウェイターをやっているミュージシャンは、 自分をウェイターだとは思わないだろう。
同じように、ぼくも、自分を高校生だとは思わないだろうね。 そして昼間の仕事が済めば、本当の仕事を始めるだろう。
高校時代を思い出して一番後悔することは何かって尋ねると、 たいていみんな同じ答えを返す。時間を大いに
無駄にしたってね。 君が、今こんなことをしてて将来後悔することになるだろうなと 思っているなら、
きっと後悔することになるよ。
これは仕方ないと言う人もいる。高校生はまだ何もきちんと出来ないからってね。 ぼくはそうは思わない。
高校生が退屈しているというのがその証拠だ。 8歳の子供は退屈しない。8歳の時には「ぶらつく」かわりに
「遊んで」いたはずだ。 やってることは同じなのにね。そして8歳の時、ぼくは退屈することがほとんど
無かった。裏庭と数人の友達がいれば、一日中遊んでいることができた。
今振り返ってみれば、中学高校でこれがつまらなくなった理由は、 ぼくが他の何かをする準備が出来たからだった。
友達とぶらついちゃだめだなんて言ってないよ。 誰ともつき合わなかったら、仕事しかしないむっつりした小さな
ロボットに なるしかない。友達と出かけるのは、チョコレートケーキみたいなもんだ。 時々食べるからおいしい。
毎食チョコレートケーキを食べていたら、 たとえどんなに好きだとしても、3食目には吐き気がしてくるだろう。
良い成績を取る以上に何かしなくちゃならないと聞いたら、 『課外活動』のことだと思うかもしれない。
でも君はもう、ほとんどの『課外活動』がどんなにばかげたものかを知っているよね。 チャリティの
寄付集めは称賛されるべきことかもしれないが、 それは難しいことじゃない。 何かを成し遂げるってこと
じゃないからだ。 何かを成し遂げるっていうのは、たとえば上手く文章を書けるようになるとか、
コンピュータをプログラムできるようになるとか、 工業化以前の社会の生活が実際どんなものだったかを知るとか、
モデルを使って人間の顔を書くことを学ぶとか、そういうことだ。 この手の活動は、大学入試願書に一行で
書けるようなものにはなかなかならない。
堕落
大学に入ることを人生の目標にするのは危険なことだ。 大学に入るために自分の能力を見せなくちゃならない
相手っていうのは、 概して鋭いセンスを欠いている。多くの大学では、 きみの合否を決めるのは教授じゃなくて
入学管理者で、 彼らは全然賢くない。知的社会の中では彼らは下士官だ。 きみがどれだけ賢いかなんて
彼らに分かりはしない。 私立の進学校が存在することが、その証明になっている。
入試に受かる見込みが上がらないのに多額の金を学校に払う親はほとんどいない。 私立の進学校は、入試に
受かるための学校であることを明示している。 でも立ち止まって考えてみたまえ。同じくらいの子供が、
ただ地域の公立高校だけに行くより私立の進学校に行った方が入試に受かりやすくなるってことは、
君達の多くは、今人生でやるべきことは大学入試に受かるように なることだと思っているだろうね。
でもそれは、自分の人生を空っぽの プロセス、それを堕落させるためだけで一つの業界が存在しているほどの
プロセスに押し込めていることになる。 シニカルになるのも無理ないよ。 君が感じている不快感は、
リアリティTVのプロデューサーや タバコ会社の重役が感じているものと同種のものだ。 君の場合は給料を
もらっているわけでもないのにね。
じゃあどうしようかね。 ひとつ、やっちゃいけないのは反抗だ。 ぼくは反抗した。それは間違いだった。
ぼくは、自分達の置かれた状況をはっきり認識していなかったけど、 なにか臭いものを感じていた。
だから全部投げ出したんだ。 世界がクソなら、どうなろうと知ったことか、ってね。
教師の一人が試験対策のアンチョコを使っているのを見つけた時に、 ぼくはこれでおあいこだと思った。
そんな授業でいい点数をもらって どんな意味があるっていうんだ。
今、振り返ってみれば、ぼくは馬鹿だったと思うよ。 これはまるで、サッカーで相手にファウルされて、
おまえ反則しただろ、 ルール違反だ!と怒ってグランドから立ち去るようなものだ。 反則はどうしたって
起きる。そうなった時に、冷静さを失わないことが重要だ。 ただゲームを続けるんだ。
きみをこんな状況に押し込めたのは、社会がきみに反則したからだ。 そう、きみが思っているように、
授業で習うほとんどのことはクソだ。 そう、きみが思っているように、大学入試は茶番だ。 でも、
反則の多くと同じように、悪意があってそうなったわけじゃない。 だから、ただゲームを続けるんだ。
反抗は服従と同じくらいばかげたことだ。 どちらにしてもきみは他人に言われたことに縛られている。
一番良いのは、直角の方向に足を踏み出すことだ。 言われたからただやる、でもなく、
言われたからやらない、でもない。 かわりに、学校を昼間の仕事にするんだ。昼間の仕事だと
考えれば 学校なんて楽勝だよ。3時には終わるんだし、なんなら自分のやりたいことを 内職しててもいい。
好奇心
じゃあ、本当の仕事は何になるんだろう。 きみがモーツァルトでない限り、やるべきことはまずそれを
探し出すことだ。 やりがいのあることって何だろう。すごい発想をする人達はどこにいるだろう。
そして一番重要なこと:自分は何に興味があるだろう。 「適性」という単語はちょっと誤解を招きやすい。
元から備わった性質のように思われるからね。 最も強い種類の適性とは、ある種の問題に対する
どん欲な興味だけれど、 そういう興味は後天的に獲得するものが多い。
この考えの変化したものは、現代の文化においては「熱意」という言葉で 呼ばれている。
最近、ウェイター募集の広告で「サービスに対する熱意」を 持った人を求めている、というのを見た。
本物の熱意は、ウェイターくらいじゃおさまらないものだ。 それに熱意という単語も良くない。
むしろそれは好奇心と呼ぶのがいい。
子供は好奇心旺盛だ。ただ、ぼくがここで言っている好奇心は 子供のとはちょっと違う。
子供の好奇心は広くて浅い。 ランダムに色々なことについて「どうして?」と尋ねる。
多くの人は、大人になるまでにこの好奇心が全部渇いてしまう。 これは仕方無いことだ。
だって何についても「なぜ?」と尋ねていたら 何もできないからね。でも野心を持つ大人では、
好奇心は全部渇いてしまうのではなく、狭く深くなってゆくんだ。 泥の庭が井戸になるんだ。
好奇心を持っていると、努力が遊びになる。 アインシュタインにとっては、相対性理論は試験のために
勉強しなくちゃならない 難しい式の詰まった本ではなかったはずだ。 それは解き明かしたい神秘に
見えていただろう。 だからたぶん、彼にとって相対性理論を見出すことは、 今の学生が授業で
それを学ぶことほど、努力とは感じられなかったんじゃないかな。
学校で植え付けられる幻想の一番危険なものは、 素晴らしいことを為すには自分に厳しくなければ
ならないというものだ。 多くの科目はあまりに退屈に教えられるから、 自律心が無いと全部に
出席することなんてできやしない。 大学に入ってすぐに、ぼくはヴィドゲンシュタインの言葉を読んで
びっくりした。彼は自律心が無くて、たかが一杯のコーヒーであろうと 欲しくなったら我慢することが
できなかったというんだ。
今、ぼくは素晴らしい仕事をした人を何人も知っているけれど、 みんな同じなんだ。自分を律すると
いうことをほとんどしない。 延ばせることはぐずぐず先に延ばすし、興味のないことをやらせようと
しても全くの無駄だ。そのうちの一人ときたら、自分の結婚式に 出席してくれた人へのお礼の手紙を
出してない。 結婚して4年経つのに。もう一人は、メールボックスに26000通のメールをため込んでる。
自律心が全くのゼロだったら困るよ。走りに行こうかなと思うくらいの 自律心は必要だ。ぼくも時々、
走るのが面倒だなあと思うけれど、 一度走り出せばあとは楽しめる。そして何日か走らないと具合が
悪くなる。 素晴らしい仕事をする人にとっても同じことなんだ。 仕事をしてないと具合が悪くなるし、
仕事を始めるだけの自律心は 持っている。ひとたび仕事を始めれば、興味の方に圧倒されて、
自律心は必要なくなるんだ。
シェークスピアは偉大な文学を産み出そうと歯を食いしばって 勤勉に努力したって思うかい。
そんなわけないさ。 きっと楽しんでいたはずだ。だから素晴らしい作品が書けたんだ。
いい仕事をしたいなら、必要なのは見込みのある問題に対する 大きな好奇心だ。アインシュタインに
とっての一番大事な瞬間は、 マクスウェルの方程式を眺めて、これはどうなっているんだろうと
自問したところにあった。
生産的な問題に照準を合わせるのには長い時間がかかる。 本当の問題は何なのかを見つけるだけで
何年もかかるかもしれないからね。 極端な例を言えば、たとえば数学だ。数学を嫌う人は多い。
でも学校で「数学」の名前でやらされていたことは、 実際に数学者がやっていることとはほど遠いんだ。
偉大な数学者のG. H. ハーディは、高校の時は数学が嫌いだったと 言っている。ただ他の生徒より
高い点数をとれたから選択しただけだったと。 後になって、彼は数学が面白いということに気づいた。
質問に正しく答えることのかわりに、自分で問題を見つけるようになってからね。
ぼくの友達の一人は、学校で提出するレポートに苦しんでいると 母親が「それを楽しむ方法を見付ければいいのよ」
っていうんだとぼやいていた。 でもそれが、やるべきことなんだ。世界を面白くする問いを見つけ出すんだ。
素晴らしい仕事をした人は、ぼくらと違った世界を見ていたわけじゃない。 ただこの世界の中の、
ほんのちょっとした、でも不思議なことがらに気づいただけなんだ。
これは学問だけの話じゃない。
「車はどうして贅沢品じゃなきゃいけないんだ? 車が日用品になったらどうなるだろう?」
これがヘンリー・フォードの発した 偉大な問いだった。フランツ・ベッケンバウアーの問いはこうだった。
そこそこで勤まるなら苦労ねえよ。
確かにそこそこの奴はいくらでもいるさ。
だけど本物は居ない。
理想主義的な、ある意味で原理主義的な科学観に支配されたナイーブな文系諸子(意外なことに、他分野の理系の方々にもいるようであるが)には想像もつかないことかも知れないが、理系という世界には、未だに共有不可能な個人の資質に依存した「職人肌」の世界が存在する。
宇宙やら地球やら、読んで字のごとく天地開闢から存在する”自然界”を観察して研究するだけが自然科学ではない。”自然界”には今まで存在しなかったモノを「作ってナンボ」の世界があるのだ。
誰も成功させたことのない難しい外科手術に果敢に挑んで成功させるスーパードクター、デバイスやソフトウェアを生み出し世界を革新的に変えてしまうスーパーハッカー、複雑な現象を説明するシンプルな物理法則をある日突然思いついてしまう理論物理学者。本当の意味での科学の”前進”は、地道な積み重ねもさることながら、こういう人たちの仕事があってこそのものである。
昨年のノーベル賞を受賞したヒッグス粒子の逸話をもう忘れてしまっただろうか。ヒッグス博士だけではない。ノーベル賞を受賞するような実績と言うものはおしなべてこの種の、天才の”奇想天外な思いつき”、”職人的な仕事”の賜物である。
無論「作ってナンボ」はなんでもかんでも思いつきで作ればそれで良いというわけではない。作った”モノ”が訳に立たねばならぬ。具体的に言えば、その”モノ”を叩き台にして、実用、研究、下世話な話では商売が将来的に渡って発展するかどうかにその評価はかかっている。
叩き台になるのは”モノ”である。もちろん知識の共有には言語化は欠かせない。しかし、結局使える”モノ”がなければ、論文だけいくら取り繕っても役には立たないし、逆に”モノ”さえあるなら、論文などと言うものはオマケの説明書のごときものにすぎない……それが、「作ってナンボ」の世界である。
原理原則で言えば、論文の誠実な執筆、厳密な論理によった世界観の構築は科学を支えるひとつの柱である。しかしながら、「”モノ”があるんだから、理屈がどうであろうとあるものはあるんだよ」と言う楽観的な自然体もまた、”自然”科学という理念の欠かせない骨子なのである。
その点で言って、現在のところSTAP細胞に関連して「将来的な展望」を本当の意味で否定するような話は、今のところ何も出ていない。もちろん”モノ”自体がやはり使えない代物である可能性は0ではないが、「論文が」「コピペが」などと言うような議論はまさに薮の周りを叩いているだけに過ぎない。
現在本当の意味で冷静に事態を見守っている人々の大半は、このような科学と言うものの素朴な実態を知っている。かといって「論文なんか屁の突っ張り」などと言うのもいささか乱暴に過ぎるので、今はあまり声も上げずに温和な進展を期待している。これこそが、実はナイーブな文系(一部理系)諸子の読めていない科学界の空気の実態である。
「ハッカーと画家」のポール・グレアムはハッカーに論文を書かせることの愚を語った。ついこの間(今さら、何故か)ネットの文系知識人界隈で流行っていた様に見えるこの著者のメッセージは、残念ながら、読者には伝わっていなかったようだ。
あ、まず前提として、
はたして貴女を幸福にするかどうか、それはまた別問題だけれど。
IT系の超かしこい男なども多く、
多くっつーかIT系でないのにプログラミング大好き男っていうのは超かしこい学生(まぁこれは有望株)か研究者系なんか、
あとはまったくかしこくもないクセに頭いいつもりして「Lispやってます(キリッ ハローワールドくらいですが」とか言っちゃうアホしかいないわけで、
したがって、釣り師たる女たちにとっては、
なかなかあなどれない釣り場です。
では、プログラミング大好き男に「どの言語が好き?」と訊ねられたとき、
まず最初に、その男がCOBOLのようなタイプのレガシーコードと
あとはC/C++、そして(TechEdに参加するほどではないけれど)VisualBasicが大好きな、
貴女はかれの目を見て、微笑みとともに質問など無視して、こう言いましょう、
「わたしが、仕様書を作ってあげる♪」
これこそまさに必殺の答えです。
そこでプログラミング大好き男が、えへへ、とやにさがったならば、
貴女は、ひそかに、「コピペ量産しやすい技術的ポイントを抑えた仕様書」あたりを
ひそかに練習しておきましょう。これで成功まちがいなしです。
しかし、ここでは、もう少しハイブロウな(?)いわゆるプログラミング好きの男の
落とし方をお伝えしましょう。
「わたしは、JVM上のScalaが好き。
型推論もあるしラムダ式やクロージャもスクリプト言語みたいに書けるの、豊富な組み込みのコレクションメソッドはいつも便利だし、
XMLリテラルもCaseクラスによるパターンマッチもTraitベースのMixi-inも、大好き♪」
もしも貴女がそう答えたならば、
かれの貴女への恋心は、
20%増量になるでしょう。
なぜって、Scalaは、
コンパイルは遅いながらも、そこがまた
ちょっぴりメモリを多く積めばいい富豪プログラミングみたいなふんいきをかもしだしていて。
質高くふるまっていて、なおかつ、
JVM上で動くくせにJavaが「やるやる」と言ったまま実装してなかったラムダ式と仮想拡張メソッド、型推論を実装した功績もあって。
したがってScalaこそは、
本来なんの接点もないまったく縁もゆかりもない別々の世界に生きている、
インタプリタ言語大好きな綺麗系OLと、玉もあれば石も混じっている、そんなプログラミング大好き男たちが、
この世界で唯一(いいえ、JVM系列のJRuby、Clojure と並んで唯三)遭遇しうる場所です。
●
では、参考までに、危険な回答を挙げておきましょう。
プログラミング大好き男に「どの言語が好き?」と訊ねられたとき、
「MicrosoftのVisual Basic for Applicationが好き♪ 週3回は Excelでコーディングするの。」
特にOfficeは平凡ながら、ま、無難にまとめてあるものの、
しかし、「新UIのリボンUI!」「メトロUI対応!」とかなんとか無意味な自慢を吹聴し、
VBAはさらにプログラミングについての謬見を撒き散らした罪がありますから、プログラミング大好き男にとっては天敵なんです。
ティーガー戦車乗りのオットー・カリウスは「ティーガー乗りなら誰でも片側の履帯がはずれ僚車に牽引されて帰ってきた経験を持つはずだ」 って言ったけど
社内SEかSIerなら誰でもクソみたいな前任者が書いたクソみたいなExcel-VBAコードを直した経験があるはずなんです。
また、もしも貴女が「PHPが大好き♪ あたしが書いたPHPのWebサイトが、さくらサーバに7件あるよ♪」
と答えたとしても、同様の効果をもたらすでしょう、
なぜって、PHPは、1990年代にはWeb系を目指す人にとっては簡単で要件を満たすWebサイトが簡単に作れる輝きの道だったものの、
しかし2000年代そうそうから、セキュリティ関係の問題で転落し、
いまや、あの貧弱な言語能力では、Rubyの魅力に遥かに及びません。
(注1)
「わたし、.NET FrameworkのC#が好き、フォームアプリでも書くけど、
最高に好きなのはASP.net♪ SQLServer連携も、ajax control toolkitもすっごくおいしいの。」
と、答えたとしたらどうでしょう?
なるほど、貴女の趣味は高く、
たしかに.NET Frameworkは、C# が cool であるのみならず、
.NET Framework上で動く F# や IronPythonやIronRuby、マネージJScriptも最高においしいんですけれど、
しかし、貴女の答えを聞いて、プログラミング大好き男はきっとおもうでしょう、
(なんだよ、MS信者な女だな、カネかかりそう)って。
(注2)
貴女が、プログラミングが大好きで、言語の名を挙げるにしても、
たとえば、JavaScript(node.js)ならば安心でしょう、
なぜならば、JavaScriptは、かけだしのプログラミング初心者にもマニアにもともに愛されるめずらしい言語で、
貴女がその名前を挙げても必ずしも、(jQueryがやっとの初心者と思われることはあっても)あなたがプログラミング言語おた宣言をしているとは受け取られないでしょう。
むしろ「へぇ。ちゃんとprototypeは使ってる?」と聞かれたら「当たり前じゃない。むしろnode.jsでいいMVCフレームワークが分からないんだけど…」と話を振ってみましょう。
男は嬉々として、30個くらいのnode.jsのフレームワークを教えてくれることでしょう。(まぁどれもどれで帯に短し襷に長しなんですが)
あるいはRighno上で動かしたコードをnodeへ移植する話とか、CoffeeScript、甚だしきはClojureScriptを振ってみてもいいかもしれません。
しかし、たとえば、世界が(つーか竹内先生とポール・グレアムが)誇る超絶関数型言語の名作、Common Lispにせよ、
selfと書きまくることと海外で使われてることに定評のあるPythonにせよ、
バージョンアップごとに言語仕様が変わり、かなり素敵なものではあるもののobsolatedな罠にはまりやすいRubyにせよ、
まったく読めない$_だらけで頭悪い仕様をリセットしてPerl6にする(そしてまた全く読めない)Perlにせよ、
気さくなクジラ飛行机さんがふるまう素敵においしい日本語プログラミング言語のひまわり・なでしこにせよ、
基地外トリッキー言語の代表BrainFxck・Glass・Missa・WhiteSpaceにせよ、
ましてや貴女が、「Haskellが大好き♪ わたし、プロジェクト・オイラーの問題もうほとんどHaskellで、解いちゃった♪」
と答えたならば、どうでしょう?
これはかなり博打な答え方で、
なるほど、Haskellは、純粋関数型でありつつも副作用のある操作が行える超絶名言語ゆえ、
あなたがそう答えた瞬間、プログラミング大好き男がいきなり超笑顔になって、
「へぇ、やっぱりHaskellなら大抵の問題は4行以内くらいで解いちゃった?」とか言いながら
鼻の下がだら~んと伸びちゃう可能性もあるにはありますが、
しかし、逆に、(なんだよ、この女、プログラミングおたくかよ)とおもわれて、どん引きされる可能性もまた大です、
なぜって、必ずしもプログラミング大好き男がプログラミング大好き女を好きになるとは、限らないですから。
男たちは、女を導き高みへ引き上げてあげることが大好きゆえ、
もしも貴女が、「Haskellが大好き♪」なんて言ってしまうと、
そこにはもはや、男が貴女に圏論のモナドを教育する余地がまったく残されていません、
したがって貴女のその答えは、
プログラミング大好き男の貴女への夢を潰してしまうことに他なりません。
ま、ざっとそんな感じです、貴女の目にはプログラマーたちはバカでスケベで鈍感に見えるでしょうが、
しかし、ああ見せて、プログラマーはプログラマーで繊細で、おざなりに扱われると傷つきやすく、ローカル変数の名前一つにも気を使い、女と自分の将来に夢を持っています、
貴女の答え方ひとつで、プログラマーの貴女への夢は大きくふくらみもすれば、
一瞬で、しぼんでしまいもするでしょう。
●
では、スキットを繰り返しましょう。
「わたしは、JVM上のScalaが好き。
型推論もあるしラムダ式やクロージャもスクリプト言語みたいに書けるの、豊富な組み込みのコレクションメソッドはいつも便利だし、
XMLリテラルもCaseクラスによるパターンマッチもTraitベースのMixi-inも、大好き♪」
そして、その瞬間、プログラミング大好き男の目がらんらんと輝いたなら、
貴女はこう重ねましょう、
「それからね、いま、わたしが使ってみたいWebアーキテクチャは、
Play Framework、素敵なリアルタイム嗜好のアーキテクチャって噂を聞いたから。
あなたのお暇なときがあったら、わたしをPlayへ連れてって♪」
これでもう完璧です。
PlayFrameworkと、Play(遊ぶ・じゃれる)のダブルミーニングでかれの股間も刺激しちゃえます。
そうなったらこっちのもの、
デートの日には、ペアプロ用に Happy Hacking Keyboard をばっちり決めて、かわいい下着をつけて(注3)、
github.comの通販で売ってるoctcatのTシャツか、facebookの「いいね!」ボタンがムネのところにあるTシャツ、 あるいは初音ミク(ないし彼のお気に入りのアニメキャラ。北米ならMyLittlePonyで鉄板なんだけど)のコスプレを着てゆきましょう。
その日から、プログラミング大好き男は貴女の虜になるでしょう。
注1:
(と、書いたもののPHPの現状をよく知りません。グローバル変数だらけになるのとか旧ASPみたいなもんなのかなぁ。count($array); とか書くのアホと思うがpythonも同じだった)
(あと、マジで単機能とかTwitter連携とか診断メーカー的なのでもPHPで7つも作ってる女子居たら付き合いたい)
注2:
もっとも。objective-Cなんていう言語をやることに比べれば個人で行う程度なら金のかからない手法もなくはないのですが。
注3:
プログラマーにとっての「かわいい下着」と、女性にとっての「かわいい下着」の定義にずれがあるので注意。
半数くらいのプログラマーはしましまぱんつが可愛いと思ってる気がするので、妙齢の女性が着用するには抵抗あると思うが、ボーダー柄のコットンショーツ(ただしキャラ絵のは除く)とか、
過度でないていどにフリルがついたものがオススメ。また、色は、レッドだとプログラミング大好き男は引いてしまう(だってそれはコンパイルエラーのときの色だ)ので、薄ピンクかホワイト、薄ブルー、せめて黒(に差し色でピンクとか)あたりに留めたい。
補記:
元ネタ: http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002457/dtlrvwlst/3464106/
補記2:
「プログラマー」か「プログラマ」かの問題については、特に意味は無いが前者を採用した。
補記3:
言うまでも無いけど、ネタです。
http://d.hatena.ne.jp/oneshotlife_tom/20130418/1366264835
"on lisp"でぐぐるとトップに出てくる草稿置き場を見ずに
Download 無料で手に入るものにお金を払うってどうよ?! ポール・グレアム氏の知に対して対価を支払うのではなく、質の悪い翻訳に対して対価を支払っているのかと思うと悲しくなってきた
(注 現在この文は変更されている模様)
とか言っちゃってるのがなんというかかんというか。
なおon Lispの日本語版は決して質の低い翻訳ではありません。野田くんは、2005年の時点ではすでに翻訳を開始していた(と思う)。で、2005年だったか、2006年だったかに出版の話があったようでその後2007年に発売されたわけだが、当時Lispの情報ってあんまりなくて、翻訳苦労してるみたいなことをはてダに書いていた(ような気がする)。
あと学術関係の書籍は逐語訳をすれば出来上がるものではなく、まだ存在していない語を新たに作ったりとか、日本人が正しく元の言語と同じイメージを描けるように訳語を変える(数学系か物理系か情報系かでまたイメージするところが変わるので難しいが)とかいろいろ工夫が必要。また、実践系の書籍、特にWebに挙がってるタイプや、著者がつらつらと書いたタイプ(レガシーコード改善ガイドみたいな)とかは元の文章が読みにくかったり、例に間違いがある場合もあり、それをわかりやすく整理するのも訳者(編者)の仕事になっていて、日本語のほうがよっぽどわかりやすい場合もある。そういう編集作業に対価は発生しているのだ、となんで考えないんだろう。
というか良い物をただで貰えるというのは単に著者が良い人なだけで、基本的にはよいものを手に入れたらそれに対価は払うべき。なにただのりしてんだよ、というのもある。
しかも2007年発売で未だ発売されてる本だぞ。評判とか前もって検索しなかったのか?今買っときゃなくなる本でもあるまいに本屋で見かけてから家に帰って調べる時間くらいあるだろう。ネットで買うならその前にググれば草稿版も原文もでてくるのに。
というわけで表題に戻るわけだが、世の中には著しく情報検索能力もしくは試行錯誤能力が劣る人々がいるらしいということは、僕もそろそろ大人になったので理解している。情報検索能力(もしくはその情報の精査能力)というのがなければ対価を払って上げ膳据え膳で情報をもらうしかないんですよ。そこらへんはビジネスチャンスになるので、頭の良い人はみんな情報検索能力をもっとあげるべき!とは言わない。むしろ知らなくていいよ、日本語だけ出来ればいいのよというだろう。そんで文句をいってもちゃんとはいはいって言って聞いてくれる。それはビジネスだから。
ググりはするけど試行錯誤能力が異様に低い人間というのもいる。まぁいってしまえばググって上の3つの候補しかみない、みたいな。3つの候補で目的を達成することのできる検索能力があればそれはそれで構わないとは思うが、大抵の場合そういうわけにはいかないわけで、候補からキーワードを抽出してそれでググり直して、もしくは不要な語を覗いて再検索をかけて目的の情報に到達するためにはやはり試行錯誤能力が必要だ。もちろんできなくてもたぶん問題ない。それもビジネスチャンスになるから、代わりに調べてくれて代わりにやってくれる人もいる。それで文句を言ってもやっぱりはいはい聞いてくれる。ビジネスだから。
俺は面倒くさがりなのと自分を棚上げして文句いう奴嫌いなのでとっととググれクソが、と思うけどな。ていうか金がもったいないならググれよ!ケチならケチなりにただで提供していただいている検索エンジンをおもいっきり活用して、必要なところに必要なだけ金を使えよ。対価を支払うべき相手にきちんと自分が得た価値の分だけ対価を払えよ。それができないなら頭下げて金でも払ってろうんこうんこ。
そこまでルサンチマン溜められるのなら、それはもう一つの才能だよ。
だから芸術活動するなり執筆するなり、何らかの形で創造力に変えていけばいいんでないでしょうか。
「似たような人いないかな」なんて言ってるうちは甘くないか?多分、あなたは何らかの形でマイノリティなんだよ。
自分の生き方を貫けよ。こないだ逝去したジョブズの名言にも「絵に描いたような明るく楽しい青春?間抜けのから騒ぎだ。」ってのがあるじゃない。
そのその無駄なプライドとルサンチマンを原動力に「普通のヤツらの上を行け」(ポール・グレアム)よ。
もっとも、車輪はずれて自爆するか、大成功するか、ギャンブルないばらの道かもしれないが。
文面からすると、あなたは女性かもしれない。だったら酷な話だろう。
でもじつは、あなたから恋人と多くは無い友人を除外したらそのまま僕なんだ。だから自分への鼓舞っていう意図もあるわけで、キツイ口調も許してほしい。
まあ、目が覚めて良かったね、というか。まだ若いんだから大丈夫大丈夫。
そのポール・グレアムは何て言ってる?
「すごいことを成し遂げた人を見て、自分とは人種が違うと思うかもしれない。…こう考えるのは、おっかないことだ。彼らがぼくらと同じなんだとしたら、彼らはすごいことを成し遂げるためにものすごい努力をしたってことになる。そう思うのはこわいから、ぼくらは天才というものを信じたがるんだ。ぼくらが怠けている言い訳ができるからね。」
成功は一種類だけじゃないし、そこに至るルートも色々だ。一種類の人間だけが作る世界は息苦しい。世の中ってのは、パズルみたいにいろんな人間がいるから成り立ってるんだろ。他人のうまくいった人生と比較して何になるよ。やりたいことをとことんやるだけでいいんだよ。よそ見してる暇があったらさ。20過ぎになってから目覚めたあんたにしかできない何かが、もしかするとあるかもしれない。今日から始めればね。
(それでも成功するのは運次第だけど。少なくとも、人生の終わりに後悔することは少ないんじゃないかな。)
Shut the fuck up and write some code, or just do whatever you love.
ここしばらくのところ、開かれた人間と閉じられた人間、ということを考えてきた。
それを考えるに至った理由は、高校時代には良いことだと思ってきた好奇心が、
大学に入って、なんだか悪いことのように思えてきたからだ。僕自身、周りの影響を受けて遠慮するようになってきたのだ。
それが大人になることなのかもしれない。だけど全く楽しくなかったし、読んできた無数の本の内容が
全て否定されるような気がした。それに否定してくる人たちはみんな退屈だったんだ。
退屈は悪いことだ。新しいものを生み出すことをしない。
退屈の空気に慣れると、変化を嫌がるようになる。
だけど変化を否定した組織や共同体は、死んでいるんだ。変わるとしても、腐敗するだけなんだ。
僕の周りでは、どうやって変えるかについて議論をする奴はいなかった。
開かれた人間は閉じた人間には興味がなくて、自分たちでやっていけばいい、と言うんだ。
そうなのかもしれない。変わりたくないって言ってるやつを無理に変えることはない。
でも、変わりたいけど変わり方がわからないやつに対して、何ができるかを考えることには意味がある。
それともう一つ。この文章をここまで読んでいるだけでも、完全に閉じてはいないことを分かってほしい。
僕の周囲を見渡してみると、好奇心を肯定する人間と、否定する人間、そういう基準で人間を二つに分けられることに気付いた。
ここで書かれている「好奇心」は、質問を歓迎するか、ということで言い変えてみてもいい。
好奇心を肯定する人間は吸収し続けている。これを開いている人間と呼ぶことにしよう。
好奇心を否定する人間は、ルールを学習した後は、それを変えることを好まない。
これを、閉じている人間と呼ぶことにしよう。
一般的に学校の先生は殆ど閉じている。学校という組織が開くことを否定するものだからだ。
彼らは、質問はありませんか、と言う。
だけど、僕らの疑問に興味を持ってはくれないんだ。
予習が足りないとか、授業をちゃんと聞けとか、そんなことを言うんだ。
開かれた人間は大体が、閉じられちゃったら仕方ないよね、と考えている。
諦めてしまっているんだ。ただ開かれている人間を見つけたら、一気に仲良くなる。
で、僕が考えるのは、なんとか人間をこじ開けることができないかということだ。
それを小説でやろうと考えていたんだが、小説を動かすエンジンになる「思想」
が明確化されていないのに小説の結論を出すのは難しい。
だからエッセイを使ってみることにしたんだ。
http://blog.livedoor.jp/simoom634/archives/50189369.html
というエッセイで言及していたことだ。
つまり、頭の中で考えるんじゃなくて、文章にして考えてみるんだ。
グレアムの流儀に従ってみることにしよう。
エッセイは質問から始まる。
閉じた人ってどんな人?開かれた人ってどんな人?って具合に。
で、僕にはあらかじめ考えがあったわけじゃないんだ。どこにたどり着くかもわかってないんだ。
ここで2つ目の質問を出そう。これは大事なテーマだ。
「閉じた人はどうやったら、開いた人になれるの?」
これは最初に書いた定義に従えば、どうすれば好奇心を取り戻せるかってことだ。
それは閉じた組織にいるときには難しいことだ。閉じた組織は疑問を持つことを否定するんだ。
じゃあどうする?反抗するのがいいのか?従って、だけど頭では違うことを考えているのがいいのか?
これはどちらも間違っている。
反抗したところで、閉じた思考の持ち主は、とりわけあなたの上司は、閉じることに関してはあなたよりも一枚上手だ。
なにしろ彼はあなたよりも長い間、どうやったら疑問を抑えられるかを学んできたのだから。
もし従ったならば、あなたの思考は多かれ少なかれ、それに適応してしまう。
開かれた人間はコースアウトするんだ。面白そうなところに向かおうとするんだ。
そして自分のルールを見つけて、楽しく生きるために必要な原則を見つけるんだ。
開くために必要な手段は、素朴な疑問を持って、それを潰さないようにすることだ。
それと、楽しんで生きることができる例をもっと沢山知ることだ。仕事は義務で、趣味に生きるっていうのではなくてね。
開かれている人の集まる場所を考えてみよう。一人になることだって、麻痺させないためには悪くないんだけど、
それは寂しいし、慣れないだろう。
だから開かれた人のいる場所を考えてみることにしよう。
彼らは大体が一人でいるか、小さな組織にいる。
もしくは、大きな組織の中でも、独立性の高い小さな組織にいる。
大きな組織と開かれた人は相性が良くないんだ。
彼らが彼ら自身のルールに従うから。。
子供の頃はみんな開いている。みんな素朴な疑問や、旺盛な好奇心を持っている。
それが「正しい」ものかは別にしてね。
それが大人になるにつれて、規律とか、常識とか、空気とかを理解するようになっていく。
親や学校や社会の教育で、そういうものに従うのが正しいものだと思うようになっていく。
閉じた人間はこう答える。でもこれは伝統だから。歴史には理由があるんだよ。
もっと閉じた人間はこう答える。これはルールだから。ちゃんと守らないと。
それはトートロジー(Q女とは?A人間のうち男でない方みたいな説明のこと)じゃない?って疑問には、沈黙を持って答える。
どちらでもない人間は迷う。おかしいなあ、と思う。
それを開いてやろう、とぼくは思うわけだ。
音楽や小説や映画やエッセイや美しい学問は、人を開く役に立つ。
必要なのは、相互に矛盾するような性質のものを両方受容することだ。
こんな具合に。
だけど、どちらでもない人間は、少ししか空いてないわけだ。
だから一度に沢山の物を入れることはできない。
それに強烈なメッセージには拒否反応を示すかもしれない。
始めは、変わってしまうのは怖いことだから。
「教え」が入り込んでくるのは、自分が自分でなくなるような気がするからだ。
だけど、「考え」だって、「教え」の総和にすぎないわけだ。
素敵な大人達が厳選したものではあるけどね。
それに対抗するには、沢山の教えを学んで、シャッフルすることだ。
沢山の教えの中には、閉じたものも、開いたものもある。
だけど歴史に残るものには、開いた人の作るものが圧倒的に多い。
彼らが何かを変えてきたからだ。
だからそういうものを受け入れることによって、開いた人になることができる。
だけど、閉じた大人たちだって、本を読めとは言うんだ。
どの本を読めとは言わないけどね。
それは彼らがどの本が良いかを理解できないからだ。
そういう訓練を(つまり沢山の本を読むことだ)してこなかったからだ。
別に本に限らないんだ。音楽でも、映画でも、漫画でもいいんだけど。
とにかく自分の中に規制を設けないことだ。読みもしないのに、聞きもしないのに批判をしないことだ。
そしてとりあえずちょっとずつ試してみることだ。
何か気に入ったものがあれば、その作者の他の作品や、その作者が好きだったものや、薦めているものや、
amazonで薦められているものを調べたりしてみることだ。
一つ注意点。昔の小説は、昔の作品は、長い前置きがあるんだ。
忙しい現代人の為には作られていないんだ。
それを耐えるためには、読みやすい文章のものを選ぶこと。そしてそういう事実を理解することだ。
だけどそうやって開いたところで、社会の押し付けはしつこく続く。
これに対抗する方法は、戦うことじゃない。さっさと逃げることなんだ。
素晴らしい場所を見つけるんだ。技術や知識を磨きながらね。
なんなら素晴らしい場所を作ったっていい。
素晴らしい場所を作るっていうのは、尊敬できる友人と起業するってことだ。
そうすれば素晴らしい人生を送れるはずだ。少なくとも閉じた人間よりは、沢山のことを見ることができるし、
沢山の感情を感じることができるんだ。
らいおんの隠れ家 - ポール・グレアム「良い後回し、悪い後回し」
ある仕事のかわりに何をするかで、3種類の先送りがある。
(a)何もしない
(c)もっと重要なことをする で、最後の奴は良い後回しなんだ。
「うっかり博士」は、面白い問題を考えこんで、ヒゲ剃りや食事、どこに行くつもりだったのかさえ忘れてしまう。
頭が別の世界でフル回転してるから、現実の世界に心がないんだ。
[仕事][選択と集中][KFS][全体最適][パレートの法則][仮説実践検証][PDCA][時間管理マトリックス][改善]
404 Blog Not Found:coders.each{|you| you.get(this) if you.langs[0] != 'ruby' } # - 書評 - 初めてのRuby
1章 ようこそ、Rubyのある生活へ
1.1 Rubyの特徴
1.1.1 オブジェクト指向言語
1.1.2 より良いPerl
ある研究によれば、生産性はそれぞれのプログラマでそれぞれ違う。
でも、あるプログラマに着目すれば、
そのプログラマが時間あたりに書けるコードの行数は、プログラミング言語によらず決まっている、
たとえば一年に50,000行なのだそうだ。
行数が決まっていたら、
どの言語で一番多くのことを達成できる?
そう、Rubyだよね。
例えば C のプログラムより 50 倍遅くなったとして、実行時間はどのくらい変わるだろうか?
もし C のプログラムが 0.01 秒で終わる としたら、
Ruby 版は 0.5 秒。あなたのプログラムは 0.49 秒速くす るために C で書く価値があるのか?
プログラムは開発の時間よりも保守の時間のほうがかかるというのはもはや常識だけども、
Ruby で書いてあれば例えば、
そういう点でも Ruby は非常にいい。
だいたい、スピードに対してごちゃごちゃ言うなら C じゃなくアセンブラで書けばいい。
それをなんで C で書いてるのかって言えば、
それはもちろん「コードがわかりやすい」とか、「早く書ける」って のが理由だろう。
そして、Ruby は C よりわかりやすいし速く書ける。
404 Blog Not Found:「PHPなめんな」と「(Perl|Python|Ruby)をなめんな」の違い
実行速度より実装速度(前編) - Object Station
圧縮アルゴリズムそのものを新規に考えたら高校生じゃなくても随分凄いだろ。既存の技術を組み合わせて実装するぐらいなら俺も高校生の頃にやってた。
HDDの中にあるファイルを片っ端から圧縮してみたら平均してPKZipの5%増しぐらいのサイズにはなってた。だから存在価値は無かった。
でもそれ危ないよな。ジョエルのおっさんもこう言ってる。
しかしポインタと再帰の明らかな重要性以上に重要なのは、これらの学習から得られる精神的な柔軟さと、これらを教えている授業からふるい落とされないために必要な精神的態度が、大きなシステムを構築する上で欠かせないということだ。ポインタと再帰には、ある種の推論力、抽象的思考力、そして何よりも問題を同時に複数の抽象レベルで見るという能力が要求される。そしてポインタと再帰を理解できる能力は、優れたプログラマになるための能力と直接的に相関している。
オールJavaのコンピュータサイエンス教程では、こういった概念を扱うための頭の回転の良さを持ち合わせていない学生をふるい落とせない。程度を下げた新しい授業はどうにか切り抜けられるが、Java会計アプリケーション以上に洗練されたプログラムを作れるほどには頭の出来の良くない卒業生たちを、Java 100%スクールが量産しており、その様を私は雇用主として目の当たりにしている。そういう学生はMITの6.001やイェールのCS 323を決して生き抜くことはできない。最近オールJavaになったデューク大や、私と友人がひどい目に合ったCSE121の言語をSchemeとMLからJavaに変えたペンシルベニア大の学位よりも、MITやイェールの学位に重きを置く理由がここにある。優秀な学生でもデューク大やペンシルベニア大を出た人は雇いたくないと言っているのではない。ただ優秀なのが誰なのかを見分けるのがすごく難しいのだ。かつては学生の出来がいいかどうかは、再帰アルゴリズムを数秒で書き出すことができるかとか、連結リストを操作するポインタを使った関数を、ホワイトボードに書くのと同じくらいの早さで実装できるか見れば良かった。しかしJavaスクールの卒業生たちについては、彼らが躓いているのが十分な教育を受けていないためなのか、それとも優れたプログラミング仕事をするために必要な脳の部分を持ち合わせていないためなのか、わからないのだ。ポール・グレアムは彼らをほげプログラマと呼んでいる。
7 : ペスト・コントロール・オペレーター(長野県):10/07/27 16:27 ID:VXzEcToP
俺も人を信じないけど表面上は信頼してるように見せないと色々面倒だろ
その程度の処世術は遅くても中学までに会得しておくべき
コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である。
The greatest problem in communication is the illusion that it has been accomplished.
George Bernard Shaw
[8760時間][2920時間][可処分時間][可処分所得][年収][時給]
誰のことばにも耳をかせ。こちらのことはむやみに話すな。 シェークスピア
君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し
[友人][友達][友情]困難な情勢になってはじめて、誰が本当の味方だったかわかるものだ。
世間の人が友愛と呼んでいるものは、ただの社交、欲望の駆け引き、親切のとりかえっこに過ぎない。結局自愛が常に何かの得をしようとする一種の取引に過ぎない。
友人友情は偶然や便宜のための付き合いやなじみ深さをいうに過ぎない
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない。
すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。シェイクスピア
私たちは「一日に平均二回」の嘘をつく(ヴァージニア大学調べ)
彼女にも、友達にも、上司にも、部下にも嘘を付く
建前と本音
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
「なんとなく」を可視化し、「変えられるもの」に集中する - 点と点をつなぐためのメモ - connecting the dots
最近、他人を説得したり、意見することにエネルギーを使うことをやめました。それよりも、自分を変えることが大切。
私は他人の心を理解するだなんて超能力を持ち合わせてはいない。できるのは、他人の心を推測することだけ。
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
完全に自分の事をわかってもらえない、完全には相手の事がわからない
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちている
「人間の性は、本来、傲慢、卑劣、邪悪、矛盾であるが故に、私は人間を根本的に信用しない」
[人間関係]「僕は全く誰にも期待しない。だから幸せなのさ。」
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
朝起きたら自分にこう言い聞かせる。おせっかい、恩知らず、威張りやさん、裏切り者、やきもち焼き、社会性のないやつ、こういう連中を避けて通ることはできない。
人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。ゲーテ
他人をあてにしてはならない。それは期待するほうがまちがっている。
リチャード・ハミング「あなたとあなたの研究」前半 - らいおんの隠れ家
2 それに取り組んでいますか?
3 なぜ取り組んでいないのですか?
らいおんの隠れ家 - ポール・グレアム「良い後回し、悪い後回し」
[代返][録音][ICレコーダー][声紋鑑定][除籍][退学]
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
[上層ノンマニュアル][文化資本][文化的再生産]裕福な家庭の子が進学で有利
慶應義塾大学-塾生HP-平成26年度(2014年度)塾生スケジュール(学事日程)
青山学院大学 | 学事暦・行事・イベント - 学生生活・進路
「frepa」サービス終了のお知らせ - ソーシャルネットワーキングサイト (SNS) - フレパ
[悪口][ICレコーダー][録音]口の虎は身を破り、舌の剣は命を絶つ。
頭まで登って、顔まで舐めだす奴がいる。 俺はそういう奴が大嫌いなんだ。
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない。
全ての人を疑ってはいけない、然し、全ての人を信用してもいけない。
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、人格的にも優れてると思い込んでしまうケースが挙げられる。
また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品やサービスを実際に使ったりみたりした事がないにも関わらず、良いイメージを与える。
それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。
[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]
はてなブックマーク - 【2ch】日刊スレッドガイド : 大学の学食で、楽しそうに談笑するサークルの連中を見て嫌な気分になった・・・
若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。
外見には自信のなさが滲み出ている。
気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。
はてなブックマーク - Discommunicative - 大学における準ひきこもりという存在
FrontPage - 大学生にもなって今さら聞けないコト。まとめwiki
すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。シェイクスピア
大学生活の根幹を形成している諸処の行為を充実の中行っている人間を指す言葉である。
「リア充」に慣れるか否かの決定的要因となるのは、
新しく作られるコミュニティに対しすぐさま順応できる能力を持っているか否かであり、
また見ず知らずの他人に対し仲良く話しかけることが出来るか否かである。
これは「リア充」と呼ばれるにふさわしいテニサー達の行動を見ていれば分かる。
あの行動の源泉になっているのは他でもない「コミュ力」であり、
1 名前: 早稲田大学助教授 投稿日: 2001/04/19(木) 20:16 ID:l0RjqOe.
学生さんを見ていて思うことは、やはり大学生活が楽しいものとなるか
つまらないものとなるかの決め手は積極性が全てのようです。
なんだ、簡単じゃないと思う方もいると思いますが、この積極性があるか
ないかを大きく左右するのはマスクの良し悪しにかかっているのではないでしょうか。
マスクがある程度よいと、自分に自信ができるため自然と積極性も身についてくる
ものです。ところがそうでない人は、どこで何をしても誰も評価してくれないので、
ますます消極的になりついにはひきこもりにまで発展する人も多いようです。
皆さんの小中高時代を思い出してください。
登校拒否やいじめられっこというのは大抵肥満児やマスクが悪いおとなしい子が
多かったのではないでしょうか。木村タクヤさんのような顔で、
登校拒否というのは例がありません。特に我が早稲田大学の場合、
学生の数が著しく多いため、マスクが悪い人は相当な苦労を要しているようです。
さらに本学の定期試験は、過去問が大量に出回る為それを手にいれるか否かが
重要なポイントになっています。これは大学側が仕向けていることであり、
早稲田大の定期試験は社会に出てから要求されるこれらの能力を試す
留年する人は、いわゆるチャライ人ではなくおとなしい学生が多いのはこの為です。
就職でうまく行く人も、授業に毎日出ているまじめな人ではなく、
サークル恋愛アルバイトをこなす活発でおしゃれな学生が多いようです。
これは就職課でも言われていることです。
受験生の皆さんはこのあたりのことも充分考慮してください。
学部生の頃には勉強が好きでもなく、試験前の一夜漬けで単位を稼いでいただけの奴らが、どんどん論文を書いて実績を残したりしている。
彼らは既に現在世界を舞台に活躍しつつある。
釈然としないが、それが現実だ。
私と彼らの明暗を分けたのは何かと考えるとき、どうしても才能とか努力以外の点が目についてしまう。
彼らは平気で先輩や教官に頼った。それでも彼らのプライドが挫けることはなかった。
知識も経験もないくせに、やりたいことだけは一人前に主張した。
「努力していなかったのだから今できないのは当然、でも俺はやればできるんだ」そう思ったことが彼らの勝因だったのだろう。
自分より優れたるものを自分の周りに置きし者ここに眠る。カーネギー
遠くを見通し得たとするならばそれは巨人の両肩の上に立っていたから
【処世術】馬鹿のように見せかけ、利口に活動すること【処世訓】
成功するのに実力なんて半分くらいしか影響しない。残りの半分は人との駆け引き。
はてなブックマーク - コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由 - 分裂勘違い君劇場
はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):「講義ノート屋」氷河期 京阪神の大学で「閉店」続出 - 社会
一人で行動して「あいつは友達がいない」などと見られるリスク(必ずそう見られる訳ではない)はありません。
しかし、いつも同じ人といることで時間を束縛されるように感じたり、自分の思うように行動できない、
相手に合わせてしまう自分を変えたいと感じている人は、
高校までのやり方と自分を少しずつ変化させようと試みていると思うのです。
アルハラ、アルハラ、アルハラ。一日目からこんなことをやらされるとは思わなかった。
オリ合宿ではもっとひどいという。コールだとか馬鹿らしいからやめてくれよ。テストは適当に切り抜けてあとはコンパ、サークル、バイトって・・・そんなんでいいのかな。これが「常識」となっているのって少しおかしくないの?
入学おめでとう。ところで中退した気になって完全燃焼してみないか。
その頃の出会いのためにはいくら金と時間を使っても高くない。冬学期までにそういうAクラスの名刺を100枚は集めとけ。4月中に自分の名刺作れよ。生協で作れるから。
[友人][友達][友情]お互い友人だといっても、それを信じるのは愚か者。
友人友情は偶然や便宜のための付き合いやなじみ深さをいうに過ぎない
ヤピカメハメ日記:西川史子の本。 - livedoor Blog(ブログ)
いい学校に行く意味は自分が努力してもかなわなかったりすごい先生や友人に出会える確率が少しだけ高いことである。
自分より優れたるものを自分の周りに置きし者ここに眠る。カーネギー
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
友達が
いて非常に迷惑だった。
☆ゴミの通院日記☆:波浪注意報 - livedoor Blog(ブログ)
私はあんたのことなんて知らない、お前が男とどうなろうがしったこっちゃない。
言いたいのに、いえない。
私へのメールは日記じゃないのです。
うざいからやめてくれない?
泣きながら電話するのやめてくれない?
「次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。
第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。
第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、思ってはいけない」
政略論 211頁
噂が怖いのは、聞き耳を立てその噂をかぎつけた人は、今度はそれを他人に言いふらすからです。
見出しのコトワザのいうように、
とくに他人の噂を伝えてくれる人や、
あなたのことを根ほり葉ほり聞きたがる人には、
気をつけなければなりません。
その人はあなたの噂を次の人へと伝えるからです。
「信じて打ち明けたら次の日みんなが知っていた!どひゃー!」なんてこともあるのではないでしょうか?
話をしているうちに彼女が、なんだか私の噂を他の人間に言いふらしているということに気づいたのです。
元々噂話が好きな友人で他人と盛り上がるのも分かるのですが、
さらに私自身の所謂女性関係を私に気づかれないように探ろうとしているのです。それがありありと分かるのです。
私がそれに気づいるか否かを彼女自身が気づいているかは別として、
話の展開をコントロールされてなんとなく時間を損したと同時に、
無神経な彼女にショックを受けました。
844 :可愛い奥様:2007/08/16(木) 16:48:00 ID:fnRtS9eLO
友達付き合いは腹六分が一番だね。
裏も清い人間なんてまずいない。
全て晒け出すと相手への尊敬はなくなるわ、秘密握られて怖いわ、ろくな事ない。
飲みの席で過去の心の傷(中絶)を告白した子(友達の友達で私にとっては知り合い程度)がいて、
その流れで友人が私に目配せで「あんたも最初の子流産した話しなさいよ」と訴えてきた時はぞっとした。
26の既女となった今、残っている友人は皆、距離をわきまえ尊敬出来る人。
友達は「大好き」でなく「好き」で十分。
「大嫌い」な部分がないことが重要。
中2の女子です。他人が信じられなくなりました。他人の心は読むことはできないと思います。 - Yahoo!知恵袋
他人の心は読むことはできないと思います。
自分の心も、表情とかにださない場合は他人にはわからないと思います。
私は心の中では最低な人間です。
他人のことをけなして、けなして、関わらないでくれ、と、つねに考えながら、笑顔でお友達と話をあわせているんです。
そんな自分が最低だということがよくわかっているからこそ、
他人も同じように考えているのではないか、と考えてしまい、不安で不安でしかたありません。
三人いる所で言ったり、したりしたことは、秘密にはできない
誰のことばにも耳をかせ。こちらのことはむやみに話すな。 シェークスピア
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
行動は必ずしも幸福をもたらさないかも知れないが、
行動のない所に幸福は生まれない。
[上層ノンマニュアル][文化資本][文化的再生産]裕福な家庭の子が進学で有利
[書評]私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵): 極東ブログ
本当に食べていくだけで精一杯だったんです。そんな鼻つまみ者扱いが、
大学が決まっただけで「あ、早大生なんですね」って周囲は好意的に受け入れてくれるようになったんです。
決して「早稲田大学が日本一の大学です!」、「学歴がすべてです!」なんて思っているのではなく、
ある程度の大学にいるというだけで、社会的な信用度が大きくなり、
有名大学って入ってみるとお得な身分だなって、つくづく思います。
それまでの「え、○○短大卒なの?」って眉をひそめられていたのとは違う現実を突きつけられる。
社会って、不思議な世界で、私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、大学の看板があるだけで扱いが変わるんですね。
「社会は、人々に機会を均等に与えるべきだ」という理念があるはずなのに、現実はまったく違います。
でも、大学の看板ひとつで、今まで得られなかった幸運やチャンスが巡ってくるなら、有名大学に行くのって悪くありません。
生まれた時代や、環境、性別から生まれる差は、自分の努力だけでは乗り越えられないものかもしれないけど、
受験は努力と運でなんとかなるから。