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はてなキーワード: 肖像写真とは

2024-10-03

ワイ「自民投票するのやめようかな~」

左翼A「天皇肖像写真燃やしまーすww」

左翼B「ユーミン死ねば良かったのにww」

左翼C「日本が勝って残念ww」

左翼D「安倍晋三殺されてざまあww」

左翼E「サルのやることww」

左翼F「ジャップは劣等民族ww」

ワイ「んー、やっぱり自民ww」

2021-08-05

お盆事件

八つ墓村みたいな辺鄙な村に隠された事件というのは珍しいことではないのかなと思ったこ

僕が約20年ぶりにある山村曽祖父の家を訪れた。僕は東京まれだが戸籍はその山村にある。村の中では一応、名士の家とされていて、お屋敷のような家がある。

明治まれの高祖父国策林業成功したらしい。

でも戸籍からすれば、その4年後に隣村に転住している。理由ははっきりしないが、林業は続けていたらしく、のちの雷災の年には損木の代金で村に神社を建立したという家記録がある。娘が6人いて、中で作家を目指した娘は上京して平塚らいてう会社に入ったそうだ。

娘は美人で転住した年に大阪商業学校出身地元実業家の卵と結婚した。実業家イケメン。そりゃ願ったりの結婚だったことだろう。で実業家の卵は何をしたかというと、結婚早々、家資金で作った水力発電所社長に収まった。約500世帯電気を売っていたそうだ。ただ戦争国策でそれが接収されてから運送業に転業した。

まあそこそこ成功者のイケメンだった高祖父だが、その家には不自然な記録が少なくない。村の人は何故か過去を語らない。

ひとまずその先の主な出来事

林業家の娘と実業家の子は、娘1人を得た。その家族は何故かコーヒーチーズが好物。

・その娘はのちに実業家の親戚と結婚

・娘夫は軍の化学者敗戦後に死亡したが、その場所図書館

神社杜氏名は分かるがどこにあったか、今もあるのか不明

過去の分かる限りのことは

林業家の息子は9歳で家督相続したが23歳で死亡し、林業家がまた家督になった、林業家はのちに実業家家督を譲った

そもそも林業家も婿入りした人物で妻の姓を名乗った

林業家妻は、家が庄屋だったが親が庄屋を退任。つまり父親も婿。

林業家妻の母親戸籍上は転住前に婿夫より先に亡くなっているが死亡日が分からず、位牌や過去帖の記録もない。ただしそのまた両親は記録がある

9歳で家督相続すれば普通はその祖父母は生きてる年だし、実業家肖像写真の中には口ひげに陽気な微笑をたたえたイケメンがいる。涙袋のある顔貌だ。整形かもしれない。いわゆる明治人物にはとても見えず、留学帰りかサイコパス匂いがしてくるほどなのだ

そしてこの家の主な人物の中で死亡日が分からないのは、その実業家義理母のみなのだ

2020-11-06

人には肖像権があるぞ

モザイクかけてても写真を撮っちゃダメならテレビ雑誌ストリートストリートビューダメじゃん

anond:20201106152335

ストリートビューはめっちゃ荒れたがな

庶民大企業による暴力で渋々じゃないの?

金持ちセキュリティばっちりのところに住めるし私設警備員雇えるし気に入らなきゃ弁護士も雇えるからどうでもいいし

 

あと、ストリートビューは、サービス自体がない国、

あるけど公開範囲が狭く写真更新掛けず観光以外は受け入れていない国もあるよ。ドイツとかね

 

ちなみにストリートスナップで過去判例こち

 

事件名】「街の人」肖像権侵害事件

【年月日】平成17年9月27日

 東京地裁 平成16年(ワ)第18202号 損害賠償請求事件

 

第三 当裁判所判断

一  争点(1)(本件写真撮影及び本件サイトへの掲載行為原告肖像権侵害するか否か。)について

(1)何人も、個人私生活上の自由として、みだりに自己容貌や姿態を撮影されたり、

   撮影された肖像写真公表されないという人格利益を有しており、これは肖像権として法的に保護されるものと解される。

 

<略>

(イ)これに対し、被告らは、

  ①本件写真一般人であれば公開を欲しない情報ではない上、公開されている情報であるから

   肖像権として保護される情報ではない、

  ②本件写真一般的公共の場所で、原告が単に歩いている場面を原告に何らの心理的負担を与えることな

   撮影したにすぎないから、肖像権侵害するものではないと主張する。

 

 しかし、特定ファッションを楽しむ原告の姿は、原告公道上を歩いているとしても、

 その周囲の人に一時的認識され得るにすぎないが、

 本件写真撮影されることにより原告容貌等が記録され、これが本件サイト掲載されることにより、

 上記の限られた範囲を超えて人々に知られることになる。

 また、本件写真は、原告の全身像に焦点を絞り込み、容貌を含めて大写しに撮影したものであるところ、

 このような写真撮影方法は、撮影した写真の一部にたまたま特定個人が写り込んだ場合不特定多数の者の姿を

 全体的に撮影した場合とは異なり、上記(ア)のとおり被写体となった原告に強い心理的負担を覚えさせるものというべきである

 以上のとおりであるから被告らの上記主張は、いずれも理由がない。

 

(ウ)したがって、原告の承諾を得ずに、本件写真撮影し、これを本件サイト掲載した被告らの行為は、

 原告肖像権侵害するものと認められる。

 

日本ユニ著作権センター判例全文・2005/09/27

http://www.translan.com/jucc/precedent-2005-09-27.html

2019-08-04

anond:20190804141553

トリエンナーレの件、いつものオタク憎しで駆動してる連中が嬉々としてオタク叩いてるのにゲンナリ

まあ、彼ら彼女らにとっての表現の自由ってのはそういうことなんでしょう。

ほんと、フォローしてるオタクの人らのTLでは「たとえどのような表現だろうが表現の自由は守られるべき」って言ってるのに、

オタク憎しさんサイドは「エロ表現の自由しか興味のない表現の自由戦士ガー」っていつもの調子で吼えてたからな。

そりゃ、今回のトリエンナーレでの表現規制に賛同するオタクがいないとは言わんが、さんざん表現の自由侵害だと言っているオタク大勢いることを丸々ネグられると、

ああ、正しい事実認識とか興味ないんだな、オタクが憎くてたまらないんだな、とは思うよねー。

公共の場にふさわしくないとか、俺らさんざん言われてきたわけだが、まんま同じ理屈で殴られてて、

ちょっとは俺らの気持ちがわかった? と思ったら、アテクシたちの表現オタク表現とは違うのにー、と来たもんだ。

もちろん、そんな連中にいくら擁護されていようと、トリエンナーレが不当な表現規制の被害者であることに何ら変わりはない。

京アニ彷彿とさせる脅迫謝罪要求する政令市市長さらには政府も乗り出してくるなんて狂ってる。

国家元首肖像写真を焼けない国は自由な国じゃない。

まあしかしそれはそれとして、オタク憎しの連中とはマジで関わり合いになりたくないな。

でもあいちトリエンナーレ応援してる。変な擁護者がついてるのは彼らの責任じゃないし。不当な弾圧にくじけずがんがれ。

2019-08-03

表現不自由展・その後」を見てきた

せっかく愛知県在住なんだしと思って行ってきた。メモがてら書く。

どんな作品が展示されてるかは主催側が用意したサイトがあるから、そちらを見てもらった方が良いと思う。 https://censorship.social/artists/

会場は愛知芸術文化センター8階。名古屋中心部にある地下鉄栄駅から直結。トリエンナーレのメイン会場は10階で、そこでチケットを買ってから下りる形になる。ちょっとわかりにくかった。

表現不自由展」というくくりで、あくまでもトリエンナーレの展示の1つ。割当も他の展示と同じ「1部屋」で、映像作家作品を大画面で流してるだけの部屋と同じ。展示場所は会場の中では角地にあたり、ここを見なくても他の展示を見れる順路になってる。また、薄いカーテンで区切られていて、その前に、展示の趣旨や「SNS公開禁止」の注意書きが書かれている。

薄いカーテンの向こうは、結構人口密度。他の展示とは明らかに違っていて、関心の高さを伺わせた。ただ、これは展示レイアウトも悪い。入り口すぐの廊下状の細いところで、そこそこ長い映像作品(「映像・遠近を抱えて」)を流してるから、そこで人が滞留してしまうのだ。

入ると大浦信行「遠近を抱えて」。昭和天皇肖像写真コラージュ作品1986年富山県立近代美術館での展示が問題視され、図録も焼かれたという。「本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる」という言葉が浸みる。

また、その後に作られた同趣旨映像作品が流れている。戦中の音声に乗せて「海ゆかば」が流れる。年配の女性がそれに合わせて口ずさんでいた。その次の従軍看護婦の手記の朗読では、その人は涙ぐんでいた(隣の若い女の人も)。そして、その後、昭和天皇肖像が焼かれるシーンに移るのだが、そのシーンではなんとも言いがたい表情をしていた。

ちなみに、映像を見ていたら、金髪芸術監督が通っていった。ちょくちょく様子を見に来てるのかな。

廊下を抜けて広いエリアに。

大きな音ではないが、ヘイトスピーチの音声が聞こえる。展示の1つとして、慰安婦写真展示への反対活動ドキュメンタリーが流されていた。

正面に慰安婦像こと「平和少女像」。やはり客の関心は高そう。

説明文として「《平和少女像》に込められた12象徴」という説明文。肩にとまっている小鳥や手の形などの意味についての説明がある。像の後ろに「ハルモニ(おばあさん)になった影」が描かれているのは初めて知った(画像を見ると大使館前の像にも影がある)。

椅子自由に座れる趣旨のことが書いてあった。写真を撮る人が途絶えたタイミングを見計らって座ってみたら、スタッフ札を付けた人に声をかけられた。「叱られるか!?」と思いきや、「写真を撮りましょうか」と。撮ってもらったら、なんか囚人みたいな写真が出来上がった。他に座る人はあまりいなかった。自分がいた間で、他に1人ぐらいかな。

個人的に興味深かったのは、Chim↑Pomの「気合100連発」「耐え難き気合100連発」。福島県相馬市若者達がガレキの中で円陣を組んで「気合い」を入れる様子を描いた映像作品。「福島ガンバレ!」「彼女欲しい!」とか叫んでる中に、「放射能最高!」とかヤケっぱちの言葉が混じる。「国際交流基金よりNGが出た」とき提案した「NGワードをぼかすような編集」版と同時に流れていて、そちらは、たまに「ピー」音が入って英語字幕にも黒線が入る。編集版と同時に流すことで、ある意味完成した形にも見える(ちょっとヤラセくさくも感じた)

観客の様子も気になっていたのだが、本当に「普通の人たち」という感じだった。普通美術展よりは、少し若め&男性が多めだったかも知れない。

映像・遠近を抱えて」の前半部分は、かなりの人が涙ぐんでいた。それだけに、後半のパートの衝撃は大きいだろう。まさしく現代芸術だ。

最後に。

「抗議の声も含めて作品」「政治家横槍も含めて作品」と言う人もいるが、「表現不自由展」は、この一部屋だけで作品としてしっかり完結していると感じた。「表現自由への反対」という声すら守れない、あるいは何の罪もない職員が身の危険を感じるような状態は、決して看過してはいけないだろう。

2019-06-04

anond:20190604141649

女性動画撮っていたとしても、盗撮だし迷惑行為だぞ。

対象者同意なく他人撮影し、写真動画ネット上に掲載する行為は、肖像権侵害として違法になる可能性があります

肖像権とは、『みだりに自己容貌や姿態を撮影されたり、撮影された肖像写真公表されたりしないという人格利益』などとされ、

過去裁判例でも認められています

具体的な撮影行為違法となるかどうかは、撮影対象が誰であるか、

撮影場所撮影目的撮影態様など、さまざまな事情考慮して決定されます

肖像権侵害にあたるか否かはさまざまな事情考慮して判断されるので、

撮影者が有名人ではなく一般人であっても、ほかの事情から肖像権侵害判断されることはあり得ます

また、撮影場所が部屋の中などプライバシー空間ではなく公共の場における撮影であっても、肖像権侵害判断される可能性はあります

今回の動画については、電車内という公共の場にて撮影されたものと考えられますが、個人の顔が明確に判明する態様撮影されています

また、撮影および動画アップの目的も、被撮影者の言動非難するためにされたと考えられるものであり、被撮影者の心理的負担を生じさせる可能性があると考えられます

したがって、今回の動画撮影およびネット上へのアップ行為肖像権侵害評価され得る行為であることは免れません。

https://biz-journal.jp/2016/12/post_17559_3.html

2018-08-29

逆に増田自分の高祖父母の名前と顔を知ってる人ってどれくらいいるの?

うちは高祖父のひとりが地元郷土資料館肖像写真あるからそいつだけ知ってる。

2017-12-20

ハルキムラカミ的構想による「クトゥルーの呼び声」をめぐる三章

  1.粘土でできた羊


 思うに、人類にとって幸福なことは、ばらばらに与えられた情報ひとつにまとめることができないということだ。

 それはたとえば、象について何でも知っている人が、象使いについては何も知らないというように。


 ぼくは、こういったどうでもいいことの大半をデレク・フリンフィールド小説から学んだ。

 デレク・フリンフィールドが書いたのは、たとえばこんな話だった。

 ある男が毎夜、悪夢にうなされていた。

 男は悪夢で見たものモデルに、粘土像を作った。それは羊に似た何かだった。

 彼は、その意味を知りたくて粘土でできた羊を、ある考古学者のもとへ持っていった。

 考古学者はそれを見てとてもおどろいた。彼はアフリカで、ある部族につたわる伝説研究していたとき、現地の老人からこの世でいちばん恐ろしいものとして聞かされていたのが、《粘土でできた羊》の話だったからだ。

 その数日後、考古学者は突然心臓が止まって死んでしまう。それがこの小説の結末だ。

 これで、デレク・フリンフィールド作品としては、まともなほうなのだ

 この小説家は、母親の死を知らされると、チェ・ゲバラ肖像写真を抱いてビルから飛び降りしまった。

 やれやれ


  2.スパゲッティモンスター1973


 1973年のこと。

 その年、ぼくは毎日のようにスパゲッティをゆでていた。

 そのうちスパゲッティについて、とてもくわしくなっていた。

 いいかげんゆでるのにもあきた頃、Kのバーへビールを飲みに行った。

 しばらくピンボールをやってからカウンターに座った。

 すると女の子が話しかけてきた。

「ねえ、スパゲッティモンスターの話を聞きたくない?」

「聞きたいね」ぼくは答えた。

 ぼくはスパゲッティについてはとてもくわしかったが、スパゲッティモンスターについては何も知らなかったのだ。

ルイジアナの沼地に、ある宗教団体が住みついていました」

「ふむふむ」

「その団体の人たちは、近所の人たちをさらってきてはひどい方法で殺していました」

それはひどいね」

「それで、警察が出動して、ピストルばんばん撃って、信者はみんな逮捕されたんだけど、その時、狂信者の一人が大事そうに抱えていたふしぎな金属でできた彫像を、警察押収したの」

彫像?」

「そう、それがスパゲッティモンスターだったのよ」

「ふうん、で」

「これでこの話はおしまい

「えっ」

おしまいなの」

「ふうむ、その、スパゲッティモンスターって、《粘土でできた羊》みたいなものかな?」

 ぼくがたずねると女の子はきょとんとしていた。

 もちろん女の子は《粘土でできた羊》のことなど何も知っちゃいないのだった。

 やれやれ


  3.船が沈む話


 1984年ごろ、ぼくは広告関係仕事についていた。

 ある日、くだらないパーティに出席することになった。

 それはとても退屈なパーティで、ぼくは退屈していた。

 ある男が話しかけてきた。

「船が沈む話をしてやろうか」

「ああ、聞きたいね

 ぼくは退屈していたのでどんな話でもよかった。

「あるところにノルウェー人の船員がいた」

「ふむ、ノルウェー人ね」

「彼は船に乗って南太平洋を旅していたんだが、ある時、海図に載ってない無人島を見つけた。つまり海底から隆起した新しい島なんだな」

「ふむふむ」

「船員たちはその島を調べるために上陸した。するとそこには非ユークリッド的な建築があった」

「ううむ」

「その建築神殿のようなもので、大きな扉があった。船員たちが近づいて行くと、扉が開いてそこから恐ろしい怪物くるとぅーが姿を見せた。船員たちは皆あっというまに怪物に食い殺されてしまったが、スウェーデン人の船員一人だけは、何とか船まで逃げ帰り、島を脱出することができた。だが怪物は海まで追ってきた。そこでスウェーデン人は船を反転させ怪物にぶつけた。とぅくるーは沈んでゆき、船も沈んだ。スウェーデン人ボート脱出漂流することになった。その間、彼はくとぅるーの夢を見つづけ、救助されシドニー病院収容されたときには、すっかり気が狂っていたんだ」

「その、くとぅるーってどんなやつなの?」

「頭がスパゲッティみたいな怪物だよ」

「うーん、それってスパゲッティモンスターのこと?」

「何でもいいんだよ。何なら、《粘土でできた羊》でもね」

「えっ、……」

「それでな、そのノルウェー人の船員は、故郷ノルウェーの森に帰って、そこで井戸を掘りながら死んだそうだ」

「ん、ノルウェー人なの?」

「そうだよ」

「生き残った一人はスウェーデン人じゃなかった?」

「……どっちだっていいんだよ。何ならデンマーク王子ってことにしてもいい」

「あ、そう」

「じゃあ、こんどはデンマーク王子スパゲッティモンスターと闘う話をしてやろうか」

「もう、いいよ」

 ぼくがそう答えると、男はその場からはなれて、どこかへ行ってしまった。


 ぼくは家に帰ると、南佳孝の「スローブギにしてくれ」をかけながらビールを飲んだ。

 そしてその日11本目のタバコに火をつけた。

 吐き出した煙が流れて消えていくのを、ぼくはぼんやりながめていた。

2015-10-06

松永寛和「ライトノベルの著者近影論」

本発表ではライトノベルの著者近影を一〇〇〇枚以上取集した調査の結果を報告すると共に、その変遷の意味を論じる。

著者近影は読者に対し著者をいかに提示するのか、という点において大きな役割果たしている。

我々は漱石や太宰といった作家達の顔を簡単に思い浮かべることが出来る。

その知識、記憶テクストを統括する人格存在を暗示する。

著者近影は近代文学においては作家主義を補強する機能果たしてきた。

しかし、ライトノベルの著者近影は現在近代文学のそれとはかけ離れたものとなっている。

その変遷には作品作家、読者との関係がいかに変化していったのかが表れている。

収集したサンプルは以下の通りに分類した。

1、顔が鮮明に映っている。

2、サングラスや手、帽子などにより風貌を隠している。

3、自分身の回りのモノの写真

4、イラストを使用している。

これらを年代順に並べることによりライトノベルの著者近影がどのような変遷を辿ってきたかが明らかになる。

一九九二年以前は、ライトノベルの著者近影も近代文学と同じように著者の顔をはっきりと映していた。

けれど、一九九三年、神坂一が著者近影にイラストを使用したのを一つの契機として、同様の例が増え始める。

その後、二〇〇〇年に時雨沢恵一がモノの写真を使用したことから、身近なモノの写真が著者近影に使用されるようになる。

現在ではライトノベルの著者近影はイラストかモノの写真にほぼ大別される。

メディア論重要批評家であるヴァルター・ベンヤミン肖像写真と接する時、人々は唯一性、一回性ばかりに注目してしまうと論じている。

近代文学はそのような写真の力に依拠し、著者近影によって作家性を強調していた。

しかし、ライトノベルの著者近影はイラスト、あるいは身近なモノの写真へと移り変わった。

ライトノベルは著者を特別主体としてではなく、どこにでもいる、大衆に埋没するような存在として提示している。

http://amjls.web.fc2.com/PDF2015/P06-25_123.pdf

 
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