ふと思ったのでとりとめなく書き下し。
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自己犠牲無く愛を築くことは可能なんだろうか。
自己犠牲とは、もののあはれと捉えるのが一般の良識に一番即しているように思う。
犠牲にするものの大きさにもよるけれども、おそらくきっと推奨はされない。
たまに善意とかとも呼ばれるけれど、善意なるものから実行された場合は、
結果的に実行者の達成感とか満足感とかそういうものを対価に得ているので、取引がちゃんと成立している。
メールではちゃんと相手の言ってることにリアクションを返してるし、何が好きと質問もしてる
面白いことがあったら何々があったというようにしてる
これで受け身ならいったい何をすれば受け身じゃなくなるんだよ
内面を磨いている女がいるっていうけど、本当にいるのかよ
掲示板で知り合った女のメル友メールで何回かやり取りしたけど、
きたんだ
今に不満がないのに、過去をぐちぐちと後悔するのは暇だからだよ。
そういう発言が「失礼かも」と思わないの?
他人(男女関係なく)を人として認識できてないんだろうね。
やっぱり分相応の生活をしなよ。
セックスアピールしかとりえがないような女としか出会ったことないんじゃないの?
もしくはそんな女しか目に入ってないんじゃないの?
内面を磨いている女は内面を磨いている男と同じくらい普通にいるから。
とりかえしのつかぬ世界
二度と返らぬ宇宙
永遠に流れ去りゆく夢
冬の夜の酒場で
酒を酌み交わした友人達
何一つない闇の夜空を飛ぶ飛行機
永遠に過ぎ去りゆく夢
とりかえしのつかぬ
二度ととりかえしのつかぬ夢
浦添の夏の闇の中に
咲き狂う菜の花
闇の中に浮かぶサトウキビ畑
そして時を忘れた愛欲の時
すずめ達がさえずり飛びかう夜明
幼き日に住んだ家から
夕方の空に立つイチョウの大樹
すずめ達がさえずり飛びかう夕方
二度と返らぬ日々
蚊取り線香の匂う小さな部屋
日に日に暑さを増す夏の夜ふけ
二度と返らぬ人間達の日々
懐かしい人間達の日々
過去も
現在も
未来も
いとしさに気も遠くなる人間達の夢
気の遠くなった私は
限りなく広がる虚空に溶け込む
かつてしたたか酒に酔った私は
上石神井の静かな夜道を歩いていた
今、したたか酒に酔った私は
二度ととりかえすすべもない夢を
夢見つづけている
この今も又
二度ととりかえしのつかぬ夢であれば
今、したたか酒に酔った私は
夢を見続ける
自分を見つめろって何をすればいいんだよ
今から始めればいいじゃん。