2014年01月13日の日記

2014-01-13

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じゃあ非モテ男がムリ目な女にアタックしてうまくいくかっていうとねえ。自分とつきあってくれそうな女の子狙うのは彼女作りたいなら正しいよ

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そうやってヘイトを貯めこんでもなにも解決しないよ。

とりあえず少ない給料から融通してSMクラブに通って、嬢を痛めつけて発散しよう。

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何も屁理屈じゃねえだろ。

お前はそういう奴が許せなくてハードル上げたいんだろうけど

ハードル上げたらその分少子化は加速するに決まってんだろ。

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別にアクアはかっこ悪くないだろ。

それに燃費悪くてかっこいいってなんの車種だよ。

燃費悪い=かっこいいとかいって

見る目もない指標が燃費っていう時代錯誤ゴミは消えろよ。

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あんたの言う通りだった

取り越し苦労だったよ

ちゃんと発送された

今の若者はつまらん 

この前女友達何人かに燃費良いアクア燃費悪いかっこいい外車で迷ってるんだけど

デートするとしたらどっちがいい?って聞いたら迷わず全員アクアって答えた

自分もまだ38歳だから若者に入るけど、今の若者がつまらんって言う感覚初めてなった。合理的現実的実用的な考えばかり

エロ本を見てから絵が描けなくなった話

今の俺は絵が猛烈に下手だ。

下手なだけならまだしも、絵を描くこと自体が凄まじい苦痛だ。

それがなぜなのか、何年もぼーっと考えてきたが、やはりこれだという心当たりにある程度確信が持てたので、それを書いてみようと思う。

小学生まで絵を描くのは嫌いじゃなかった。決してうまいというレベルではなかったが、人並みくらいには描けていたし、小学校夏休み課題か何かで、何度か選ばれたこともあるレベルだった。

中学生以降で、絵を描くのが楽しいと思った記憶は一度もない。

おそらく小学校高学年くらいから、絵を描くのが嫌いになったのだ。

まり、その頃に絵が嫌いになった原因はあるはずだ。

実はその頃、俺はエロ本を読み始めたんだ。

俺はその頃、中学受験のために、塾に電車で通ってたんだけど、よくプラットフォームとかにエロ本が落ちてた。

これを塾のある場所に、仲間と溜め込んで読んでたんだ。

俺たちのエロ本の中には、どぎついのも結構あった。

そう、それを読んだ瞬間、俺の想像力がぶち壊されたんだ。

から見たら、女の裸ってのは、ものすごい憧れがあるんだよ。

まして小学校高学年って時期は、セックスって何だろうっていうくらいの、セックスもまともに想像できない時期じゃないか。

よくわからないまま想像して、ものすごく興奮するもんなんだ。

そんな時期に、雑誌でどぎついセックスシーンを見てしまった俺は不幸だったね。

俺の絵心は、エロ本に完全にぶち壊された。

絵心ってのは、憧れそのものなんだよ。

そんでもって憧れってのは、想像力をフルに働かせて楽しむもんなんだ。

それをエロ本ときでぶち壊されたんじゃたまったもんじゃない。

俺はエロ本を何度となく読んだ。

そりゃ読むよ、興奮するんだから

その度に俺の想像力はどんどんぶち壊されて、絵心もなくなっちまった

そう思うんだ。

その点において、俺も含めて今の子供たちはかわいそうだなって思う。

昔の日本エロ本ってのはこうじゃなかったはずだ。

もっとチラリズムを刺激した、品のある本だったはずだ。

セックス本番の写真ビデオってのは、そりゃ売れるだろ。

人間なんてみんな欲望そのもの、刺激には負けちゃうんだから

だが、それは売っちゃあいけないんだ。

実はこれは自慰にも影響が出てくる。

俺は基本、ビデオを見て自慰をするが、それは想像力が欠落してるからってのも理由の一つだ。

よくわかってるんだ。

俺の知り合いには、卒業アルバムだけで何千回も自慰をしているやつや、何もなくても想像力だけで自慰をしているやつもいる。

そういうやつは大抵、エロ本を見た時期が遅いんだ。

俺もたまには想像力オンリーで頑張るが、それは意識的にこのままじゃいけねえって思うからそうしているだけで、すごく苦労するし、それがとてもむなしかったりする。

さらに、こんなつまんねー本読んでなかったら、きっと初めてセックスした時の喜びだって、数倍だったはずだ。

こんなものかなんて思っちまうのは、やっぱり本やビデオでたくさんのいい女を知ってしまっているからだ。

特に日本人ってのは元々欲望が少ない民族だ。

欧米人は、俺たちの数倍の食欲をもち、数倍の性欲をもっている。

さすがに数倍の睡眠欲は持ってねえだろうが。

そりゃ、欧米のどぎつい本で、ちょっとあいつらの想像力が壊された程度じゃ、たいして性欲は減らないだろう。

キリスト教だってあいつらの強すぎる欲望を抑えるために政治が利用したって話だ。

俺たちは仏教で十分な、わりと草食系民族なんだ。

そんな草食系民族には、草食系民族用のエロ本があるはずだ。

俺たちはそれを江戸時代なんかまで遡って、しっかり検証する必要があるんじゃねえのか。

そしてここからが俺の本当に言いたいこと。

から、こういう経験をしてしまった俺たちは、エロ本から子供たちを守ってやらなくちゃいけねえんじゃねえのか。

今はインターネット時代だ。

インターネットエロサイトから子供たちを守ってやらなくちゃいけねえ。

子供たちの想像力を壊しちゃならねえ。

大事にしてやんなくちゃいけねえ。

これは俺たちの使命なんだとそう思うんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20140113172856

これは的を射てる

図星な奴らからガンガンコメ貰って思惑通りだね

ただ、この手の奴らは絶対に認めたくないと思うよ

http://anond.hatelabo.jp/20140113224743

批判する主体は変わるでしょ

同時に二つの派閥から支持を得ることはできないってだけで別におかしいところはない

http://anond.hatelabo.jp/20140110112935

帝京藤田保健衛生、川崎医科大、埼玉医科大、岩手医科大のような底辺医大の連中でも皆それをクリアしてる時点であまり大変だとは思えない

http://anond.hatelabo.jp/20140113192903

「もうやめよう」というエントリを読んで「ホントそれだわ!もっとやろう!」ってレスするとかほんと狂ってる

http://anond.hatelabo.jp/20140113224059

朝日言論統制にも負けず、戦争反対で一貫してたら「朝日戦争という非常時にまで反日姿勢を貫いたことが亡国の一因」とか「戦時中アジア解放を認めなかった朝日戦後になってアジアとの友好を主張してる」とか批判されたと思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140112105237

子育てめんどくせえ」って言う人くらい普通に認める社会にならないと少子化解決なんて絶対無理だと思うけど。

最近の有名まとめブログは全て広告会社とか通信会社が運営してる件

やらおんやオタコムのようにFC化したケースもあるけど基本的JINはちまみたく会社による運営がデフォ

アキバブログなんかはアニメイト社員だしね。

昨今は各ブログステルスマーケティングが指摘されてるけど、それは当然なんだ。

だって取引先なのだからね。

http://anond.hatelabo.jp/20140113222142

いや、その「英霊」の戦略ミスで負けたんですけど。

ていうか戦争反対なの?賛成なの?どっち?

戦争賛成なら朝日が煽ったのも肯定するだろうし

反対なら靖国にも否定的だろうし…

去年流行ったバカッター年末年始からずっと出てない件

もう飽きたんだろうか?

蕎麦屋の一件で裁判沙汰になったりしたから、ビビってしまったのかな。

ホントよえーな、おい。

戦争を煽った朝日新聞大罪

靖国に祀られてる英霊のおかげで今の日本の繁栄があるけど、朝日新聞のせいで数万人か数十万人余計に死んだので、その人らは無駄死に。

冬馬かずさを待ちながら

きっかけはWHITE ALBUM2のアニメ版テレビ放送だった。

悪いのは、WHITE ALBUM2のアニメがあまりにグレートだったかなのだ

起こったのはごく単純なことで、僕はネットたまたまWHITE ALBUM2 の第1話を見て、久方ぶりにアニメの視聴を開始し、第9話をみて、PS Vita本体と、WHITE ALBUM2のダウンロード版を購入した。それだけのことだ。

そして、アニメ最終話までゲームを開始するのを我慢して、いまこうして正月休みゲームクリアしたというだけだ。遣る瀬ない気持ちでキモいサイトを久しぶりに巡って、こうしてどうしようもなく、テキストエディタを立ち上げて、今これを書いている。

冬馬を愛しすぎていたために、"浮気end"(冬馬ノーマルend)の近くまで全く気がつかなかったが、WHITE ALBUM2の物語構造は、裏返しの聖杯探求譚としての"指輪物語"と同じである。それは、冬馬=トラウマを捨て去る地獄巡りの物語なのだ。また、ここからWHITE ALBUM2の本筋は"浮気end"(冬馬normal end)にあることがわかる。"冬馬end"の"雪菜end"の両者とも、トラウマ想像的に解決するに留まっている。例えば、何でもいい、エヴァでもまどまぎでも、ハッピーエンド二次創作が描かれるのも、それは原作のバッドエンドという現実があるからこそであり、それに根ざした幻想であるのと同じことだ。

ところで、ギャルゲーにおいて、トラウマをめぐる物語はありふれている。ギャルゲー歴史に刻まれるべき致命的な傑作である"ONE", "AIR", "Sense off"の3作品を唐突に思い返してみよう。ONEにおいては、トラウマ積極的表象されない("みさお"という引っかかりのない固有名詞わずかなテキスト)空虚として、"Air"においては観鈴の劇症発作の原因として釣り合うはずのないあからさまな幻想として、"Sense off"においては宇宙人超人類といった誇大妄想として存在している。素朴な作品が、トラウマささやか心理学物語還元するのに対し、先の3作品は、トラウマ表象することの失敗を通じて異様なリアリティを放っていた。

さて、対してWHITE ALBUM2では、凡百の作品と同様に素朴に真正からトラウマを描きだそうとするかにみえる。しかし、それはいったいなんという力技であったろう! トラウマの原テクストとしての、"opening chapter"を思い返してみよう。高校3年生の文化祭きっかけとした主人公ヒロイン二人の三角関係の恋は、悲劇的な結末が予告されている謎めいた空間の中で進展する。自分が恋しているかも知れない女のまなざし、謎めいた行動、ほのめかし、光、音楽ー歌とピアノー、いつ痛みに転嫁してもおかしくない、危うい、享楽にも通じる喜び。無意識がすべて通じ合う、情動的な空間。そこにおいては、超絶ギターソロを一週間でマスターすることなど問題ではなく、高めの女に恋されるという奇跡がおきてもおかしくはないだろう。そして予感は、悲劇成就する。喜びが、光が、その強度そのままにそのまま痛みに転換する。男は女を2人とも失う。女はもう1人の女と男を失う。それは、あまりにも強く3人が結ばれていたことの罪なのだろうーー。

大げさに過ぎただろうか。しかしここまででは、単に良くできたメロドラマにすぎないとも言い得る(その意味では、アニメ版の方が、ほとんどあらゆる意味原作に勝っていると思う)。しかしほんとうに凄いのが、ここからの周到さである。"closing chapter"の入りがいい。校内ラジオからあっけらかんと流れ出す、"届かない恋"と、春希と千晶との会話のシークエンス。そう、ここでは、トラウマの種は、世界にあからさまに薄く広く偏在している。"opening chapter"では2人以外の女がほとんど存在しなかったのに対し、攻略対象の女がギャルゲーならばそれが当然とでもいう装いで追加導入され、唐突に、我々が慣れ親しんだ、おなじみのギャルゲー形式のギャルゲーが始まる。決定的なことはすべて過去に起こってしまった薄闇の世界と、主人公を慰めるための都合の良い女性キャラクターたち。ここではじめて、WHITE ALBUM2は、"ONE"や"AIR"の出発点にたどり着く。しかし、ここには冬馬が、われわれが本当に愛した女はいない。その女は選択肢に現れない。だからここで進行するのは、ひたすら耐え忍ぶ、息の長い治療過程である。注意しなければならない。偏在するトラウマは、たえず現在の些細な出来事をきっかけに、"opening chapter"の各シーンをを縦横に引用しつつ実体化する。"opening chapter"における決定的なシーンのみならず、読んだことを忘れるようなささやか日常シーンさえも、絶えず痛みと後悔をともなう新しい解釈が施される。"opening chapter"のあらゆるシーン、あらゆるエピソード、あらゆるささやかな喜びは、それが不在になってしまった現在に徹底的に対比され、恐るべき呪いに転換される。WHITE ALBUM2がそれを成し遂げるその執念、持続力にには驚嘆せざるを得ない。また、トラウマの作動をここまでつぶさに可視化しえた作品は他に思いつかない。つらく長い治療過程においては、悪霊を追い払うために、3人のキャラクターが生け贄に捧げられ、物語の都合に奉仕させられ、使い捨てられる。そしてついに訪れた結末。そこでは、聖なる原典、聖なる楽曲が、新たな解釈を施され再演されるだろう。アコースティックバージョンで歌われる"届かない恋"。そこにやっとたどり着いた男と1人の女。まさに寛解という言葉がふさわしい、穏やかな時間

ーーそして、唐突に、"coda"が始まる。

冬馬かずさが回帰する。それはまさに運命的な、恐怖とも歓喜ともつなないつかない瞬間であり、われわれはただ滂沱の涙を流すほかになす術がない。これは感動などというものではない、あまりに強烈なドラッグ強制的に注入された生体の防御反応としかいいようのない、デトックスの涙である。われわれが唖然とするのは、冬馬のあまりの弱さ、あまりのいじらしさ、あまりの変わらなさである。なにしろ5年ものピアノ毎日10時間引き続けながら、その実、ピアノを通じて毎日はるきと会話を続けていたというのだ。なんたる痛切な、ほとんど自傷的な喜び。何も変わらない。何も終わってはいない。そして再会を果たした二人は、おたがい避け難い力でからあいながら蟻地獄のような愛の日々に巻き込まれていく。もとより、"opening chapter"の神話的な磁場により張り巡らされたリアリティが、"closing chapter"において、はるきが冬馬曜子の雑誌記事を書くあたりでほつれてはいものの、"coda"のマンションの隣の部屋での生活に至って、ほとんどギャルゲーのように(ギャルゲーだが、、)ほどけさってしまう。われわれは一方で熱が冷めるのを感じながら、しかし、他方では、そこで演じられる距離0の愛の関係、おたがいまる馬鹿のように傷つけ合い、愛し合うほかはないその様子から目を離すことができない。冬馬がもともと備えていたはずの、凛とした、というキャラクター造形は、ほとんど"浮気end"の最後まで見る影もなくなっている。しかしそれは、最後最後に鮮烈なかたちで炸裂する。ふたたび悲しみをもたらすために。ふたたび作品に残酷リアリティをもたらすために。

"浮気end"において決定的なことが起きてしまったあと、いわば、エピローグの序曲ともなる、短い小春日和の瞬間において、ふと、この、ダンテの"神曲"のように長い螺旋を描いて進んできたこの物語総体、ただ一人のキャラクタのためにすべての女が動員される大伽藍起源が問われることになる。冬馬は問いかける。なぜ私のことが好きになったのかと。決定的な問いである。そして春希は惑いもせずに答えるだろう。終局において、作者に課せられたあまりの重荷、あまりの苦難のあまりほとんどシンジ君のように幼児退行してしまった春希が、もともと持っていた率直さ、本当に貴重な少年らしい生真面目さ、控えめな正義感、雪菜も冬馬も本当にそれが好きだったはずの少年ファルスの片鱗を、かすかに遠くこだまさせながら。

顔が好みだったからだよ!

一目惚れだよ!

これが、この巨大な地獄起源だったのである。何とシンプルで、何と美しい言葉だろう。ふと、地獄のなかにぽっかりと真空地帯が発生し、なにごともなかったような日常現実が発生したかのような、はっとさせる言葉だ。大団円といってもよい。我々は涙を飲み込みながら思う。これは、この巨大な物語の終局にふさわしい。しかし、何も終わらない。決して、終わることはできない。だとしても、冬馬は成仏することはない、、、

* * * * *

ギャルゲーにおいて、われわれは徹底的に受け身な、マゾヒスティック主体たらざるを得ない。ギャルゲーにおいては、本来テキストスキップ機能など必要なく、われわれは、永遠とも思える退屈のなか、ひたすら単調にマウスクリックを続け、何度でも、水増しされたテキストをめくり続けるだろう。なにがしかの男らしさを発揮するために、全てのヒロインを"攻略"(ギャルゲーにおいてこの言葉ほど空疎ものがあろうか)し、CGコンプするという仮の目標を設定することはあまりにいじましい偽の能動性としかいいようがなく、雪菜を選んで胸を撫で下ろしたり、"不倶戴天の君へ"に救いを感じてしまうのはヌルオタとしかいいようがなく、よく訓練されたギャルゲーマーは、すすんで空虚のなかに留まり自らの空虚に向き合うことで快感を汲み上げ続けるだろう。そして、画面を閉じてもゲームは終わることがなく、ギャルゲーマーがとるのは、ただひたすらの"待ち"の体勢である。"coda"において、"浮気end"において物語はまた振り出しに、"closing chapter"に戻ってしまった。"opening chapter"の一撃によって生まれた世界は、"coda"によりいっそう強く永遠に閉じられてしまったのだ。われわれは、それらの各シーンをときにふれ思い出しながら、ひたすら待ち続ける。冬馬を。もう一度彼女に会いたい。いや、彼女はいる。われわれは知っている。われわれは、いや、わたしだけが彼女が全宇宙に偏在していることを疑うことはないだろう。

ここにいたって僕に残されたささやかな唯一の希望は、アニメ版2期, 3期においてよりいっそう美しくバーョンアップした冬馬が再臨してくれることである。もう一度お別れをするために。僕は、つまりは、よく訓練されたギャルゲー主体は、さよならをいうために、すべてが終わってしまった後の世界で、はてしなく続く終章のなか、冬馬かずさを待ち続ける、、、

http://anond.hatelabo.jp/20140113213544

お前の知ってる戦争悲惨さなんて、東京大空襲悲惨さに比べればハナクソみたいなもんだよ

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