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はてなキーワード: エッシャーとは

2021-10-06

おっさんになるとゴッホとかゴーギャンとかムンクが好きになる

若い頃はドラクロワとかゴヤとかダリとかエッシャーとかミュシャが好きになる

  

嘘やけど

俺だけやけど

2021-06-28

anond:20210628224229

はい隠遁するにもカネが必要

方丈記鴨長明荘園持ち。偉そうなこと書いてたけど今で言う

「両親が残してくれた不動産収入暮らします

カネにならない不思議な絵を書くエッシャーも、結婚後も親の仕送り暮らしてるクソニート。

はーふざけんな。労働者は働くしかない。

2020-09-02

anond:20200827182934

易経とニーモック表を小学生に教えちゃえばいいんだよ。

個人的には小学生の時点で詭弁論理学逆説論理学が一人で読める地頭ある子供

中学上がる冬休みゲーデルエッシャーバッハ読む輪読セミナーの機会ぐらいあってもいいと思ってるが。

2020-08-30

Gorogoaの物語

ホットエントリーに上がっていたこんな記事にふとした気まぐれで目を通した。

業界人が選ぶ、過去10年で最も優れていたビデオゲーム(IGN Japan

https://jp.ign.com/games/46189/feature/10

 

ゲームは年に1本買うか買わないかライトゲーマーなので大半の作品タイトルも知らなかったし、業界人たちのコメントを読んでいてもピンと来るものはなかった。しかしその中でひとつコメントちょっと心が動いた(太字筆者)。

簡単な答えは『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』ですが、統計的な考え方では、私は『Gorogoa』を選びたいです。デモの早期リリースと、その結果である早い時期でのハンズオン体験のおかげで、本作は何年にもわたって私のGOTYであり続けました。『Gorogoa』は魔法のように魅惑的で斬新なゲームです。明確なビジョンに基づいたこ作品は、ゲーム作りの過程が全く想像できないほどの複雑な成果をもたらしました。新しいメカニクスと新しいインターフェイスを持つ本作は、芸術技術物語正真正銘パズルシームレスに融合させています。これは私がエッシャー作品や、キット・ウィリアムズ絵本、「まほうの筆(The magic paintbrush)」をはじめとする私の好きなおとぎ話から得たすべてのものを凝縮した体験です。『Gorogoa』はハッと息を呑むような驚きを私に与え、私の心を喜びで満たしてくれました。開発者ジェイソンロバーツにはこの作品に満足したまま何もせず、別のゲームを作らないでほしいと私が願うほど、『Gorogoa』は本当に唯一無二の傑作です。

(Drowning a Mermaid Productions サム・バーロウ氏)

本職のゲーム開発者がここまで絶賛するゲームとはどんな作品なのだろう、と急に興味がわいた。

元来パズルゲームは好きなほう(MYSTシリーズは全部やったし、ふだんも数独倉庫番をヒマつぶしに遊んでいる)なので、ちょっとやってみようかという気になった。PlayStation Store で1,528円。安い。

遊んでみた。雷に打たれたような体験だった。まるでマグリットの絵の中で『無限回廊』を遊んでいるような感じだった。

感想については私の拙い語彙でくだくだしく書くよりももっとすぐれたテキストネットにあるのでそれを見てもらえば十分だ。

 

『Gorogoa』認知フレームを軽やかに飛び越える絵画パズルゲームインディーゲームレビュー 第40回】(ALIENWAREZONE)

https://alienwarezone.jp/post/1321

 

GOROGOA が見ている(ゲーム感想)(S. Miyata)

https://note.com/38tter/n/nb58c34279de7

 

そして本稿で私が書きたいのはこのゲームの紹介ではない。

この何の説明もなく謎だらけでタネ明かしもない不条理ゲームに、どうにかして「解釈」を与えたくなったので、そのメモである

以下は断定形で書いていてもすべて私の解釈である

後半に至ってはほぼ創作だが、ゲーム中では語られなかった「裏設定」を私が想像で補完したものだ。

 

ロゴアの物語

 

ある日、街に巨大な謎のクリーチャーが出現する。街並みに隠れて全容は見えないが、アパート屋根ごしにカラフルなたてがみが見えるほどだからかなりの巨体だ。

書物をひもとき、それが伝説の聖獣ゴロゴアだとわかる。

古文書には、五色の果実が盛られた器を若者と年配者がふたりで支え捧げる様子が描かれている。

聖獣ゴロゴアの怒りを鎮めるには、世界に散らばる五色の果実をすべて集めて捧げなければならないようだ。

 

ひとつめの赤い果実は、とある民家の庭木の枝になっており、車椅子に座った謎の男が見守っていた。

枝にとまった烏がつと飛び立つと、赤い果実は器の中に転がり落ちた。

 

ふたつめの緑色果実は、町はずれの穏やかな公園女神像が手に持っていた。

廃墟にたたずむ松葉杖をついた男性がゴロゴアの姿を思い描くと、廃墟壁紙の紋様はゴロゴアの瞳となり、その緑色の瞳は果実となって器の中に転がり落ちた。

 

ランプの灯りをたよりに仄暗い部屋で寝食を忘れて何ごとかを熱心に研究する男性。部屋の片隅には松葉杖。この男も足が悪いのか。

ランプのひとつひとつに星の明かりを捕まえ、その明るさに惹き寄せられて来た蛾たちに導かれるままに道を進むと、夜空の星のひとつ黄色果実となって器の中に転がり落ちた。

 

気づくと色あせた写真の中にいた。壁にかけられた五枚の写真のうちの一枚だ。

杖をついて世界の果てを巡礼して回る男に助けられながら写真から写真へと歩みを進めると、どこにあるとも知れぬ神殿に捧げられた青い果実を手に入れた。

 

たくさんの資料に埋もれるように何かを研究する初老男性。部屋の片隅には愛用のステッキ

蜘蛛の巣のように街を縫って走る路面電車初老男性の助けを借りて乗り継いでいくと、高い塔の頂上で最後果実紫色果実を手に入れた。

これですべての果実がそろった。ついに儀式の時が来た。

 

果実の盛られた器をゆっくりと宙に捧げると、五つの果実はまばゆく光りながら激しく燃え上がった。

 

──その時、突然器が砕けた

そして聖獣ゴロゴアはそれを許さなかった。

ロゴアが怒り狂うと、空には虚無の淵がばっくりと口を開け、世界は暗黒の炎に包まれた。

儀式は失敗したのだ!

 

私は身体を闇の炎に焼かれながら尖塔のやぐらから転落し、瀕死の重傷を負った。

長いあい車椅子生活余儀なくされたが、頭はゴロゴアのことでいっぱいだった。

何がいけなかったのか。どうすればあの獣の怒りを鎮めることができるのか。

 

聖獣ゴロゴアは時おり暴虐の限りを尽くした。

ロゴアが暴れると街は爆撃を受けたように廃墟と化し、あちこちで火の手が何日もくすぶり続けた。

 

どうにか松葉杖で歩けるようになると、私は情報収集を始めた。

焼け残ったがれきの中から資料を掘り出し、聖獣ゴロゴアをよく知ることにつとめた。

 

一方、気まぐれに襲ってくるゴロゴアの攻撃の合間を縫って人々は街の復興を始めた。

がれきを片付け、建物を建て直し、鉄道を引き、時おりゴロゴアによる破壊を受けながらも、それを上回る勢いで街は発展を続けた。

 

私の部屋の壁はゴロゴア関連にとどまらず、世界の様々な伝説伝承考古学書物で埋め尽くされた。

時おりゴロゴアの来襲があると電気は止まり、暗い中でランプの灯りをたよりに研究することもあったが、私は寝食を忘れて研究に没頭した。

 

その間中、私は「何かの視線」を常に感じていたが、それが何かはわからなかった。

ただ、私の研究が、誰とは知らぬその視線の主の助けになっている、そんな実感がなぜかあった。

 

研究を進めるうち、私の心のうちには、ゴロゴアに対するどこか畏敬の念のような気持ちが芽生え始めた。

そしてその畏敬の念は、やがて純粋信仰心へと変化していった。

ロゴアの怒りを鎮めるには、我が身と心をゴロゴアに捧げなければならない。そうすることでしか儀式はきっと成功しない。

私はそう思い詰めるようになっていった。

 

私は巡礼者となり、ゴロゴ信仰の源流をたどって世界各地を巡礼することにした。

灼熱の太陽が照りつける砂漠、寒風吹きすさぶ高地

体調は決して万全とは言えなかったが、ゴロゴアにこの身を捧げるという信念が痛む脚を前へと運ばせたのである

 

研究の進捗が遅々として進まず年月が無為に流れていくばかりになると、時おり深い絶望に襲われることもあった。

無力感にさいなまれるそんな時には、決まってあの悪夢の日、儀式に失敗した日の転落の記憶フラッシュバックした。

そうした場面にも、常に「あの視線」は私とともにあった。

 

月日は流れ、私も初老と呼ばれる年齢になり、髪も髭もすっかり白くなってしまったが、私の研究は大詰めを迎え、ついにひとつ結論に到達しようとしていた。

 

古文書には、五色の果実が盛られた器を若者と年配者がふたりで支え捧げる様子が描かれている。

 

この記述によれば、儀式ふたり人間によって為されなければいけなかったように思える。

しかに、最初儀式自分ひとりで行ったために失敗してしまった。

では、儀式成功させるためには、あらためてふたりで執り行う必要があるのだろうか?

 

そうではなかった。

 

絵図に描かれたふたつの人物像は、「時間を隔てたひとりの人物」を表していたのである

儀式はひとりの人物によって二度行われなければならなかったのだ。

 

思えば一度目の儀式へと至る道のりでは、さまざまな場面で陰日向に何者かの協力を得ていた。

その役割なくして儀式は成し得なかったとさえ言えるのだが、その協力者は、ほかならぬ私自身であったのだ。

 

時空を超えておのれ自身と手をたずさえ、二度の儀式を完遂させる。

それこそが聖獣ゴロゴアとの魂の交歓を成立させるための条件だったのだ。

 

私は今、復興いちじるしい街並みを見下ろしながら、二度目の儀式のために尖塔を登っている。

 

この儀式が終わった時、ゴロゴアと人間の間には新たな関係が訪れるのだ。

2020-04-05

三大「映像化不可であろう日本小説」といえば

星新一解放時代

荒巻義雄エッシャー宇宙殺人

他にも何かある?

2019-12-26

無能の人

高校以前

私は比較好奇心が強い子供だったと思う.小さい頃から親になんでなんでと訪ねては疲れさせていた.小学生の頃,調べ学習が大好きだった.調べ学習時間では,その時間が始まるといてもたっても居られなくなり,先生の言うことを聞かずに行動して怒られたりしていた.

中学生の頃は,物になぜ色がついて見えるかを調べた.それを調べている時はとても楽しかった.階段状に並んだタイルの総数を考えたり,N次元空間に置かれた立方体がある視点から見える最大の面数は何か疑問に思ったりしていたこともあったっけ.

母親は欲しい本はなんでも買ってくれた.ラノベ宇宙の本を買ってもらった.雑学の本も好きだった.ブラックホールが発生してから蒸発するまでの話に私はとてもワクワクした.

私が友達なんていらないと思うようになったのは,中学生の頃,同じクラス女子が原因だった.彼女は手下にできそうな私を見つけて,私を支配下に置いた.私はそれ以来人間不信のような状態になった.

私が自尊心がないのは両親の不仲が影響しているようにも思う.父親が帰ってくるたび毎日家がピリピリしていた.母親は私が中学3年生の頃家出してしまった.その時は毎日泣いていた.学校休みがちになった.父親料理ができないから,コンビニ弁当ばかりだった.その頃,母親浮気していたと思う.私はとても寂しかった.人生は結局一人なのだと思った.

けれど,母親は結局,私を別居先のアパートにいさせてくれた.学校をサボって,会社をサボっている母親映画を見た.映画のシーンでセックス描写があったときに後ろから目隠しをされた.母の手は暖かくて,なんだか嬉しかった.

高校時代

高校受験の時は,親に経済的負担をさせるまいと,確実に合格できる公立商業高校情報処理科を受験した.

高校では友達を作らないようにしようと自分の殻にこもった.入学直後,女の子がお弁当を一緒に食べようと誘ってくれたが断った.友達になろうとしてくれた人の誘いはほとんど断っていた.

けれど,部活には入部した.商業高校だったもの科学への興味があったため科学研究部に入ったのだ.

生物ドクターを出た先生顧問だった.高校2,3年生の頃は水生生物調査が主な活動だった.部活顧問は「お前はドクターまで進学した方がいい」と助言してくれていた.

この頃も,宇宙の本を読んでいた.その本は量子力学に関する奇説を扱う本だった.この宇宙は,あらゆる状態分岐に応じて,並行して無数に存在しているという説もあった.今生きている私というのも,無数に存在する宇宙のうちの一つの認識している自我しかないのかもしれないと思った.宇宙にとって私とはエネルギーの濃淡の揺らぎ,またはセルオートマトンの点滅.私が生きていようが死んでいようがどちらも美しくなりたつ宇宙に思いを馳せた.

大学受験では,文系高校から理系大学への進学は難しかったが,やはり理学への興味が尽きなかった私は,理系へ進学することを決断した.高校では数学はIとIIしかやっていなかったため数学受験勉強は独学で行なった.私はひどく頭が悪いわけではないけど,かといって大して頭がいいわけではないから,低い偏差値大学の推薦入学だったけど,それでも苦労した.

何回か,母の前で自殺するふりをした.反抗期からか,勉強ができないストレスか.ある日,母に他の男の気配を感じた.当時の私はそれがたまらなく許せなかった.死んでやる,といって包丁を持ち出して,自分首に突き立てたりした.本当は死ぬつもりはなかったけど,別に死んでも構わないとも思っていた.

大学時代

高校で,中学生の頃いたような人間には出会わなかったので,大学では友達を作ろうと思った.

また,研究に対して大きな憧れを持っていた私は,すぐに研究室に配属を希望した.その教員は快く迎え入れてくれた.3年生の頃には,先輩の卒論を手伝うほど知識がついていた.今思えば,あの頃が最も楽しく知識を身につけていたと思う.授業でも良い点を取ろうとか考えてなかったので,授業を聞かずにオリジナル(?)のアルゴリズムを使って手書きボロノイ図を書いたりして自由に楽しんでいた.外部発表もしたし,卒業論文特に苦労もなく書き終えた.この頃,「ゲーデルエッシャーバッハ」という本に出会って,その本に魅了された.

大学院 (修士時代

いつからか,「論文を出さなければならない」,「自分は周りと比べて劣っている」,という考えにとらわれるようになった.体調的にも良くなかった.学部の頃からカフェインの大量摂取昼夜逆転生活慢性的睡眠不足運動不足栄養不足などが祟ったのである.締切前になっても全く焦りが働かなくなった自分に気付き,おかしいと思って心療内科に通院し始めた.修士論文も提出しなければいけないのに全く取りかかれなかった.学部の頃からお世話になっていた指導教員ではないO先生がそんな私を見かねて,一緒にLaTeXを書いてくれた.一応提出はできたけど,修論発表を終えた後は悔しさで泣いた.

大学院 (博士時代

それでも私は博士へ進学してしまった.修士の頃からドクターは進学しようと決めていたし,エネルギーの低くかった私は,判断を変えるほどの力がなかったのかもしれない.正直,そんな覚悟博士をやっているのは日本でも私ぐらいなのだろうと時々思う.幸い,修士から学費生活費は奨学金授業料免除アルバイトで何とかして親に頼らずにいられた.

博士の間はずっと,健康を取り戻すために時間を使ってしまった.カフェインを断ち,夜更かしを辞め,休日は一切休むことにして,睡眠を十分にとり運動もして,という生活を送った.論文よりも睡眠運動を優先した.O先生博士の間もずっとメンタリングしたりしてくれた.なんとか学会論文を2本書いたが,卒業要件でもあるジャーナル論文が完成しない.とうとう何もできないまま3年生になってしまった.

現在: 自分について考える

O先生に,成果という葉にとらわれず自分という根を大切にしなさいと教えられた.成果にばかり気を取られていると自分エネルギーが朽ちてしまうというのだ.確かに思い当たると思った.そもそも自分ってなんだっけ?と思った.ドクターには,「自分」が必要なのだ.でも私はそれがなかったのだ.目の前の成果だけしか考えていなかった.

自分はなんのためにドクターをやるのだろう?一瞬,救済を必要とする人や弱い立場の人のためになりたい,と思ったけど,本心からそう思っているか自信がない.ひとまずそう思うことで安心したいと思っているだけかもしれない.自分とは,ちょっとした好奇心を満たすのが好き,それだけだった.

私はなんのために生きているのだろう?私は高校生の頃からセルオートマトンの瞬きにしか過ぎない人生などに,意味を見出すことはできなかった.

死の淵に立てば,生きる意味が見出せるかもしれないと思った.服薬自殺病院巡りをして薬が準備できるのに時間がかかりそうだし,飛び降りは失敗した時が怖いと思った.死ぬときは失血死か,首吊りかどちらかにしようと思った.結局,なんとなく気が進まなくて,自殺の手筈を整えるのはできなかった.

文系先生に生きる意味相談したところ,その先生四諦八正道の考えを教えてくれた.確かに考えても意味はないのかもしれないが,考えるのをやめることは難しかった.

哲学科の先生にも訪ねた.私の考えはニヒリズムに分類されることがわかった.達成することに意味がある,後世に何か残すことに意味があると見出すのはナチュラリズム と呼ばれるものらしい.私はどうもその考えはしっくりこなかった.その先生ニヒリズムの考えを持つ中島 義道という哲学者を教えてもらったので,後でその人の本を読んでみようと思う.また,哲学の入門として,図書館にある,哲学雑誌現代思想を読んでみることを勧められた.

現代思想出会った

現代思想12月号は巨大数特集だった.2chの「一番でかい数を書いたやつが優勝」スレから始まった日本巨大数ブーム歴史や,ふぃっしゅ数小林銅蟲(パルの人)の漫画が載っていた.11月号は確か,反出生主義についてがテーマだったと思う.

まだちゃんと読んでないけれど,あぁ,私はこういうものを読みたかったのだ,と幸せを感じた.

私は毎日,贅沢ではないけれど,質素暮らしていけるだけのお金があって,現代思想とかを読めればそれだけで幸せなのだと悟ったのだ.

これからについて

諦めずにドクターを取得するのか,ドクターをやめて就職活動をするのか,決断しなければならない.

私は毎日研究室のデスクに座っては,ぼーっと研究以外のことをして時が無情に流れていくのを待っている.

こんな私が社会に適合できるのかどうかわからない.これから私は一体どうすればいいかからない.

2019-07-27

三大、美術知識がなくても一目見て「すげぇ!」ってなる

絵を描く画家といえば

ダリ

エッシャー

かに誰か居る?

2019-07-13

電子書籍について

年末から電子書籍を利用し始めた。

これまで数十冊購入(漫画含)してきて感じた紙の書籍と比べた際のメリットデメリットをつらつらと挙げてみる。

なお、利用しているサービスAmazon Kindleである

 

メリット

 

①安い

 大抵の本は電子版の方が割引価格販売されている。セールでは半額ということも。

 

場所を取らない

 電子書籍に興味を持った一番の理由はこれ。大して読書量が多い方でもないにも関わらず、

 以前は直ぐ部屋に本の山が築かれていた。

 

③持ち運びが容易

 何百冊でも端末に入れて持ち歩ける。言うまでもなく紙ではこうはいかない。

 複数同時並行で読むタイプなので、以前のように今日はどれを持っていこうかと悩む必要がなくなった。

 

洋書が読みやす

 自分語学力だと一日にせいぜい数ページしか読み進められないのだが、

 そのために洋書を一冊持ち歩くのはハードルが高い。

 電子であればその点気にする必要はない。

 単語長押しでその場で辞書を引くこともでき、

 気になるフレーズハイライトしておけば後で調べるのも容易。

 

複数端末で利用可

 専用端末の他にタブレットPCスマホアプリインストールして利用している。

 通勤時に専用端末で読んでいた続きを、勤務中にサボってスマホで読めたりする。

 技術書場合PC画面に表示すれば作業が快適。

 

フォントサイズ自由に変更可能

 老眼な方に。

 

デメリット

 

コンテンツを所有できない

 あくまコンテンツ所有権ではなく無期限に利用する権利を購入しているだけなので、

 サービスが終了して所有している本が利用できなくなる可能性もゼロではない

 読まない本は持っていても意味が無いと思って割り切ろうと思う。

 

電子化されていない作品も多数

 移動時にしか読書をしないので分厚いハードカバーにはなかなか手が出なかったが、

 そういった本で未だ電子化されていないものは少なくない(ゲーデルエッシャーバッハとか)。

 これはいずれ解消される可能性もあるので、あまり大きな問題ではないかもしれないが。

 

書籍内でのページ移動は紙に劣る

 専用端末の場合ページ移動はタップスワイプで0.5~1秒程度かかるので、

 紙の本のようにパラパラめくって目当ての場所を探すという風にはいかない。

 

以上思いつくままに書いたが、個人的にはメリットの方が圧倒的に多いと感じているので、

今後も利用を続けていこうと思っている。

2019-06-24

人生を変えた1作ってある?

ないんだよな……。

間接的な影響を考えると月姫KANONなんだよ。子供の頃好きだったブログ、あの頃は個人HPだったかな。リアルちょっと接点があった従兄弟よりもう少し遠い血縁にいる面白いちゃんがやたらと面白い面白い言っててさ、それで気になって、結局ゲーム自体はまだやってないんだが気づいたらそういう道にな。

その兄ちゃんがそういうゲーム始めてなかったら、きっと俺ももっと別の道を進んでたんだよ。ゲームといえばFFスマブラモンハンでさ、大学ワンダーフォーゲル部にでも入って適当彼女でも作ってさ、そういう人生だったんだと思うんだ。

んでまあ今は当然のようにいい歳こいてゲーム漫画に相変わらず囲まれてるんだけどさ、それでも人生を変えた作品とかねえなあって。

あと強いて言うなら小さい頃に読んだ王泥棒ジンかな。

コミックボンボンって言う今はもうオタクぐらいしか覚えないような子供漫画雑誌に載ってた漫画なんだけどさ、エッシャーとかティム・バートンの影響とか受けまくってるような作風でさ、子供心にセンスいい漫画もあるんだなって思ったんだよ。王泥棒ジン普通に面白いから読んでくれよ。キノの旅ルパンティム・バートンを足して割ったような漫画だと思ってくれれば大体合ってるからそれで興味持ったらオススメな。

小学校以降に読んだ作品特にコレに影響受けたーってのはないんだよな。読んであーなるほどなるほどーってなる作品はあっても、価値観が揺さぶられたりはせんのよな。lain攻殻機動隊見てスーパーハカーかっけーと思っても自分IT系に行きたいとは思わなくて、今は普通に商社マンだしさ。銀河鉄道の夜を5年おきぐらいに読み返すと、妹萌えとかBLとか少しずつ理解していってる自分が汚れたのか多様な価値観を学んだのか考えちゃうけどさ、だからって俺には萌える妹も男友達もいないからかんけーし。

たまに有名人が「この作品人生変わりましたー」って言うけどそういうのあるのかね。イラストハウツー本買ってお絵かき始めた時はこれで人生変わると思ったけど、気づいたら10年ペンタブ握ってねえしなあ。何も変わってねえよ。太った後でダイエット本読めばなんか変わるのかな。

不良にでもなろうと思ってた時にファイトクラブ見て俺はここまで出来ねえからグレるのは無理だなーって諦めたとか、メンタル死にかけてる時にニュー・シネマ・パラダイス見て涙流してからふと俺にここまで最高な関係は一生気づけねえんだろうなあってスタンド・バイ・ミーラストみたいな事考えていよいよ死にたくなかったら精神科のドア叩いたりしたけどさ、そういうのって作品がなにかを及ぼしたんじゃなくて、俺の中で1週間後に組み上がる予定だったパズルをその予定よりちょっと早く予定通りの形で組み上げただけだから人生変えた」じゃないんだよな。

寂しいわ。

俺の価値観人生を変えるような作品はどこにあるんだろうな。

2019-05-19

anond:20190519172936

増田です。コメントありがとうございます

そこなんです、地道にやっていってもうまくいく気がしないんですよね。

さながらエッシャーの滝のように、一歩進んだと思ったらまた元の地点に戻ってます。1〜10が出来るようになって、さあ次へ進むぞ!と思うと、なんか3とか8とかが急にできなくなっているんです。

発達障害以外の人だと、あまりからない感覚なのかなとも思います

2019-05-09

世の中には二種類の人間がいる

エッシャー無限階段を登り続ける人と降り続ける人である

2018-08-19

面白い学術読み物教えて

サイモン・シンとか好き。ジャレド・ダイアモンドも。

今『眼の誕生』読んでるけどちょーたのしい。

こういう、非専門家にもわかりやす解説していて、

古今東西知識を集結しつつドラマ読み物としても楽しい本、

あったら教えてください。

個人的には戦史とか全然苦手なので、苦手意識を克服してみたいとも

思うけど全然違う分野でもいいです。

追記

現代知識チートマニュアル

アマゾンレビューとか見ると、ガッツリ読むというよりも暇つぶし雑学本としてぱらぱらめくるのによさそうだね

ゲーデルエッシャーバッハ』『ひとの目、驚異の進化

これは欲しいものリストはいったまんまだったけど、ぽちます。うーん、値が張るので来月。

サピエンス全史』は上巻途中までKindleで読めるようなので手を付けてみます

ありがとう。ほかにもどんどん教えて。

追記2

いつもブコメトラバひとつふたつくらいなのでこんなに伸びててびっくり。ブコメも追い切れないっすみんなありがとう

2018-05-16

心理学専攻に進学したら

もともと工学部志望だったのだが、

イラスト美術が好きで、特にエッシャーとか。

その流れで錯視に興味が出て

文転して心理学を目指し、入学したら

メンタルやられている人が多すぎて、連休明けですが早くも失敗した感がつよい。

自分がやられている人は、心理学専攻とかへ行く前に病院に行った方が良い。

2017-08-13

https://anond.hatelabo.jp/20170813013829

風船で抜いてる奴と同じく、無視するしかない存在じゃねーか?

風船で抜くのは内心の問題で、誰にも害を及ぼさないか放置していて構わない。児ポは内心の問題だが、製造過程児童危害が加わるからその行為を取り除くべき、というのが児ポ規制の建前。

でも現実には児ポ製造している親は野放しで、それを解釈した方が問題とされていて、それは建前と違うよね? ダブスタだよね? 内心の自由という上位の原則に反するよね? ってこと。

実際にその写真で抜いている人間いるかどうかは極論どうでもいい。お前もそうだけど結論を決めて響きの良い原則論をつぎはぎして適用するのはただの少数派弾圧近代以降のやり方ではない。

近代国家市民のつもりなら理屈くらいはちゃんと立てろ。「気持ちの悪いオタク排除すべき」という主張がしたいなら構わないがはっきりと口に出してそう言え。エッシャーの絵みたいな罵声を振り回すな。

2016-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20161127082710

とりあえずイーガンクラークも行けるんならハードSFとつくものをあさっていけばいいとおもう。

超高重力下の中性子星で生きる生命とか、中性子星に行くにはどんな装備が必要かとかが詳細に描かれた『竜の卵』とか、ちょっと話のノリ自体ライトすぎるかもだけど『マッカンドルー航宙記』とか。

もちろん気に入った作者のそれぞれの続編読んでもいいけど2001年シリーズ最終作の3001年は読んじゃダメ。巻末でずっこけるから

イーガンに関しては順列都市ディアスポラいけるんなら他の短編集や長編もそんなのばっかりだから楽しくて仕方ないはず。

意識関係イーガン読んじゃうと他は少し物足りなく感じちゃうので、(もう売ってないけど)『マインズ・アイ』とか『ゲーデルエッシャーバッハ』とかの心の哲学系の本にまで手をだすハメになる。

2015-11-21

AV風俗エロマンガ

期せずしてゲーデルエッシャーバッハみたいになってしまったがそんなに高尚なことを書くつもりはない。AV、風俗エロマンガとどれもエロを扱っているという共通点はあるのだが、やはりそれぞれに特徴があるのだなとふと思ったのでメモ的に。

一つ目は、電マの扱いが異なるということ。AVではかなり電マが多用され、電マを主題とした作品も少なからずある。風俗では使えるところが多いがオプション料金としては高めで高い金貰わないとやってられないできれば避けたいものであり、エロマンガでは電マが登場する作品はかなり少なく、タイトルにするくらいの扱いとなると見たことがない。(しーらかんす先生のGood Timeでは表紙の娘が持っているし使っていたけどそれくらい?)これは、AVでは1日あたりの撮影本数が、風俗よりも少なくイキ過ぎて体力的に辛いということが起こりにくいことと、感じ方の強さが強い方がカメラ映えするという理由によるのだろう。エロマンガでは感じ方の強さなど作者次第でどうにでもなるのであえて電マを使う必要がない。


二つ目は、アナルの扱いが異なる。アナルが多用される順は、エロマンガ、AV、風俗の順となる。これは、エロマンガでは前に入れようが後ろに入れようが、絵を描く手間にそれほど大きな違いはない、キャラクターがNGを出すことがない、という理由で気軽に使えるが、AV、風俗では、少なからず体にダメージがあるため気軽には使えないのだろう。それでもAVの方が風俗でよりも見かけることが多いのは電マと同様に撮影本数、営業本数(?)の差ということだろう。


以前から、AVで流行ったプレイは、数年以内に風俗オプションとして人気になるなどという言い伝えがあったが、そろそろエロマンガから風俗へというルートも出てきているという話はまた次回にしますね。

2015-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20150813032839

そのような疑問に囚われたのならとりあえず『ゲーデルエッシャーバッハ』などのホフスタッターやデネットの本読むことを勧める。

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