はてなキーワード: 中等教育とは
Fラン大学とは、定員割れしているような私立大学のことである。
しかし筆者は、今の時代だからこそFラン大学は、社会的に非常に意義が大きいと考える。
筆者は公立高校で教諭をしているが、どうにも限界を感じることが多い。
それは中学や高校といった日本の中等教育におけるリソースの少なさである。
彼と飲んだ時、高校でもっとちゃんと文章の書き方を教えてほしいと言われた。
彼は1クラス10人ほどの文章執筆の授業を受け持ち、学生に毎回文章を書かせ、それを添削し、さらに個別に改善点をフィードバックしているらしい。
最初はまったく書けなかった学生も、しっかりと指導すれば、それなりの日本語が書けるようになる。
ちゃんと教えれば出来るようになるのだから、こういうことは高校までで教えてほしい。
そうしたら大学では、もっと高度な、高等教育機関にふさわしい授業ができる。
私は反論した。
高校は1クラス40人である。しかも一人の教員が毎日、朝から夕方まで授業しないといけない。
40人に文章を書かせたとして、それを丹念に添削し改善点を指摘するだけの時間的余裕がまずない。
1学年6クラスあれば、計240人の文章を読まないといけない。
授業のほかにも部活もあるし、まずリソースとして、大学のようなきめ細かい指導は無理なのだ。
教師と学生の比率、ST比も全然違うし、さらには教員の質も大学と高校で全く異なる。
あなたの大学は、学費に見合った教育をしているから、学生の文章力を伸ばすことが可能なのだ。
日本の中等教育では、せいぜい筆記試験の対策しか教えられない。
それはもう仕方ない。
私がそう言うと、友人は、そんなものですかねー、と返事した。
大学の女子枠についての話題をよくみるけど、私は最近ジェンダーについてリベラルの最右翼みたいな考えをしてるので、中等教育の共学なら男女別定員すら撤廃すれば良いと思ってる。
そもそも男女比なんてジェンダーフリーとして考えるならなんで分ける必要あるの?って感じよね。
中等教育に女子校男子校はあって良いと思うけど、共学なら男女でわかるのやめればいいよ。上から成績順に取ればいきじゃない。年によって男女比率変わったって問題ないでしょ。多少、トイレなどの設備に面倒は起きるかもだけど。男女比という概念がそもそもジェンダーフリーじゃないよね。
そう言った意味で、大学に女子枠がある必要は一切ないと思うけどね。
そういった意味では女子大は廃止にしていいと思う。学問に男女は関係ないでしょ。
中等教育までは、まだ子供として扱うことで、生物学的にわけた教育の意義を学校側が提示できるなら、良いと思うけど。これは別に明確な理由があるわけじゃなくて、なんとなく。
大学の女子枠についての話題をよくみるけど、私は最近ジェンダーについてリベラルの最右翼みたいな考えをしてるので、中等教育の共学なら男女別定員すら撤廃すれば良いと思ってる。
そもそも男女比なんてジェンダーフリーとして考えるならなんで分ける必要あるの?って感じよね。
中等教育に女子校男子校はあって良いと思うけど、共学なら男女でわかるのやめればいいよ。上から成績順に取ればいきじゃない。年によって男女比率変わったって問題ないでしょ。多少、トイレなどの設備に面倒は起きるかもだけど。男女比という概念がそもそもジェンダーフリーじゃないよね。
そう言った意味で、大学に女子枠がある必要は一切ないと思うけどね。
そういった意味では女子大は廃止にしていいと思う。学問に男女は関係ないでしょ。
中等教育までは、まだ子供として扱うことで、生物学的にわけた教育の意義を学校側が提示できるなら、良いと思うけど。これは別に明確な理由があるわけじゃなくて、なんとなく。
AIさん、また自信満々に嘘ついてない?
ジェンダー:15回
ジェンダーバイアス:1回
男女共同参画:8回
25回(ジェンダー平等2回、ジェンダー視点3回、ジェンダー問題0回、ジェンダーバイアス1回)
人文社会科学系のGender Equality Matters ─日本学術会議総合ジェンダー分科会第24期の成果から─
「学術支援・研究職」の現状と課題 ─ジェンダー視点からの検討─
「卵子の老化」が問題になる社会を考える ─少子化社会対策と医療・ジェンダー─
若手研究者養成とジェンダー ─人文・社会科学領域における女性・若手研究者養成の支援―
減災の科学を豊かに -多様性・ジェンダーの視点の主流化に向けて-
教養教育は何の役に立つのか? -ジェンダー視点からの問いかけ-
日本のジェンダー平等の達成と課題を総点検する -CEDAW(国連女性差別撤廃委員会)勧告2009を中心に-
8回(特集7件)
日本の戦略としての学術・科学技術における男女共同参画 ―「第4次男女共同参画基本計画」との関わりで―
男女共同参画の一層の推進に向けて
どこまで進んだ男女共同参画
2回(ジェンダーと1件重複)
仏フィガロ紙
数週間前の医療制度に続き、今度は教育制度が英国のジェンダー問題に一石を投じようとしている。
木曜日に政府の公式サイトで発表された声明で、教育省は、性自認の概念を中等学校で教えないようにし、性教育のコースを9歳以下の生徒には与えないようにすることを望んでいる。これらの措置は、「デリケートなテーマに関する不適切な教育から子どもたちを守りたい」という政府の説明に基づいている。
性自認の問題に関して、政府の立場は、近年英国がこのテーマに関して取ってきた道とはまったく対照的である。「キャス・レビューに照らして」と政府文書は説明し、「学校はこのデリケートなテーマを教えるのに慎重なアプローチを採用することが重要であり、ジェンダーはスペクトラムであるという見解を含め、論争になっている見解を事実として提示しないことが重要である」と述べている。
この方向性を継続し、同省は最終的に、ジェンダー論はもはや小学校で教えるべきではなく、中等教育では生物学的な観点からアプローチすると発表した。「中等教育では、生徒たちは性的指向や性別適合などの特性について学ぶが、学校は性自認の概念を教えてはならない」。
トランス終了やね
tribird 学校指定の学生服やかばんはいいの?この人はどこまでなら許容できるんやろ。
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ultimatebreak
ultimatebreak そんなこといったら義務教育そのものが人権侵害になってしまわないか・・・?
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n_vermillion
n_vermillion 田舎の中学校だったけど、部活が強制入部だったのに入りたい部活がなかったのは理不尽だったといまだに思っている。新規に部を立ち上げるぐらいの柔軟性はあっても良かったと思うんよね。
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hiro7373
hiro7373 反論多いけど、会社で考えたら普通に嫌かな。何で学校だと許容されるんだろうね コメント
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f_oggy
f_oggy こういうの見ると別け隔てなく受けられる義務教育って大事だなって思うわ
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chinu48cm
chinu48cm 行かない自由はあるぞ。熱出ていけなかった勢ですし
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sekreto
sekreto 体育祭ならわかる
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yoiIT
yoiIT 「喧嘩せず自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない?その訓練じゃないか、学校は。友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。」ヒロト
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tuuz
tuuz 歳を重ねるほど思うということは嫌でも思い出してしまうトラウマになるような出来事があったんでしょう。でも楽しかった人も多いから具体的に書かないと同情してもらえないよ。
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ftq
ftq 歳を重ねてから思うことか?もっと早く気づけよ。参加するという選択をしたのは誰?
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lifefucker
lifefucker この辺の感覚は学校や教師や時代によって分散大きいだろうな。なのでブコメもバラける
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nakag0711 教育というのは生徒を一人前扱いしないであれこれやらせるわけで、形式的には人権侵害の面があるが、だから止めろと簡単には言えない
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nagahitoo
nagahitoo 年重ねてるのにまだ学生時代のこと繰り返し思い耽ってるの…
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ringonouen
ringonouen いや人権侵害なんか無いほうがいいでしょ。個人の人権侵害してまで県外に出る必要もない。トップブコメが軒並み「それ含めていい経験」みたいな論調なのが解せない
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellowyellow
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rain-tree 個人の宿泊旅行が一般的になった今は本来の役目を終えたといえるかも。だが最初はそうでなかったから公教育の枠組みの中で全員に機会を提供する意味があったし、或いは恩恵を受けた同級生が増田にもいるかもしれない
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cl-gaku
cl-gaku 重ねるほど薄れるんじゃないのか
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sumanhoho
sumanhoho 部活も修学旅行もお金ないと出来ないよ(実体験)
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quick_past
quick_past 嫌でも参加すれば、後でいい思い出になる。なんて言い方よくあるけど、参加しようがしまいが、いい思い出もわるい思い出もあるし、人生なんて比較対照しようがない。毒親の虐待すら肯定しうる考え方。
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellowyellow
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songe どんな齢の重ね方やねん
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PrivateIntMain
PrivateIntMain 修学旅行はさておき、部活は特段の事情が無い人は全員どこかに所属しないといけないとか謎すぎるだろと思って適当にやっていた。まああれも人は1人じゃ生きてけんのよって教育だったのだろうと勝手に思っている。
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pekee-nuee-nuee
pekee-nuee-nuee 生徒本人の希望制にしたら良いし、金の話は公立校なら公金で負担してやるべきだ
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eiki_okuma
eiki_okuma うちの中学、海岸から島まで6km遠泳させられたが……なんだかんだ泳げるようになったので良かったとおもう 絶対大人になってからやらないし……
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mirakukira
mirakukira 子供時代に仲間と一緒に何かをするという経験を積んでおくことは大事だよ、そういう仲間増田にもいるでしょ
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wuzuki
wuzuki 理由は分からないけど、修学旅行に行かなかった同級生いたな。私も身内の不幸と重なって行ってない修学旅行がある。まぁ、そのときは苦手な子と同じ班だったから行けなくても別に良かったけど。
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LethalDose
LethalDose 楽しくはなかったけど、家族旅行をしない家だったので、そういう行事がないと交通機関の使い方がわからなかったかも。本でなんとなく方法は理解していたけど。
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keren71
keren71 高校は任意だった。修学旅行に海外とか選択肢がある学校は羨ましい限り。
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Karosu
Karosu 修学旅行は、乗り物の乗り方を体験するという意味で必要かな。部活は入りたいっ部活がないなら、自分で部活を作れることを示すならば教育的に悪くはないと考える。
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ayumun
ayumun 修学旅行は当日病欠できるから、休もうと思えば休める
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atoh
atoh 中高ともに部活必須でなかったのは幸運だったな。部活してないと受験面接の時に部活やらなかった理由聞かれたりするんだって?大変やな。 増田 部活
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mtoy
mtoy 嫌なことから全部逃げて、人生がうまくいくとは思えない。嫌なことを経験してそこから学べることも多い。俺も部活は嫌いだったけどやってよかったと思っている。
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corydalis
corydalis 黎明期は日本人も娯楽が少なかったし江戸期同様生まれた土地で一生過ごす人も多かったので意義もあったが、今となっては修学旅行親のカネを旅行業者に流すためだし部活はお守りを教員にやらせてるだけ。やめるべき。 自民党の悪政大人とは世も末老害犯罪これはひどいあたまがわるい
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daysleeeper
daysleeeper なにをいまさら。自分は部活嫌で帰宅部、修学旅行も運動会もバックれて全く参加してないけど、授業はふつうに出てたし、ふつうに卒業して、いまもふつうに社会人です。サラリーマンではないけど。後悔もゼロ。 増田教育
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inuinumandx
inuinumandx ワイ中学も高校も修学旅行京都だったの。だから、別の所行きたかった。京都いい所だけど…見る所大体一緒じゃん。あとお金ないとつまらない。
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minaminoani
minaminoani 片田舎の公立校だが中高と部活が強制だったことは無かったなあ。今から思えば不思議だが、修学旅行はクラスメイトに恵まれたせいか、嫌な思い出がない。あの頃のまま育てば陽キャになってたのかなあ。
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um-k3 あと「皆仲良くしよう」とかいうイジメの発端になるクソな考え方な。早く「皆仲良く」なんて無理だと気づいて、嫌いでもいいけど事務的な対応だけはしようねって教えるようになればいいのに
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natumeuashi
natumeuashi 嫌な経験や理不尽な思いもしてみないと想像すらできないから、若いうちにできるのは貴重だよ。(学校の教師はそんなこと微塵も思ってないのが胸糞だけどー‥)
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listeningsuicidal 部活はそう思う。中学は特に選択肢だいぶ限られてたし。
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MacRocco
MacRocco 歳を重ねるほど思うけど、校則違反とかちょっとしたことでガチギレする教師達ってすべからく頭おかしいと思う
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hate_flag 修学旅行はあんまり行きたくなかったが行ったら楽しかった。でも部活動は運動部しかない上に全員強制参加で「殺す気か」と思った。幽霊部員になるというライフハックを学んだのでヨシ!
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kagerouttepaso
kagerouttepaso 年代にもよるのかも。上の年代は体育マットで簀巻きにして殺されてもオタクならしょうがないって価値観だもんね。
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plmoknijb 集団行動とか社会規範ニガテだけど義務教育あれこれは辛いことも含めて良い経験になったと思っている。なお高校は行ってない。大学は集団行動とか社会規範への不思議を紐解きたいという興味で選んだ
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dazz_2001
dazz_2001 修学旅行は社会経験の一環だからなぁ。飛行機に乗った事がない。電車に乗った事がない人とかね。プールやスキー学習とか。学校のスキー学習がなかったらスキーとかやっていないので感謝している…
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beed
beed 条件的には他の授業と同じだろうと思うが。音楽や体育、数学やりたくない人もいるだろ。自分が嫌だったものだけ切り出して人権侵害とか言ってもなぁ。
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kettkett
kettkett 確か体調不良で行けなかったんだけど。詳細思い出せない程度には記憶から消してたんだなと。このまま忘れてしまいたかったなあ
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kalmalogy トップブコメ、一定理解は示すが修学旅行の積み立てできなくて行けない家庭もあるから強制感を出せば行かせてもらえるような書きぶりもどうかなぁ。ケチりたい親、下手すると子供にバイトさせて賄うよ?
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katte
katte まあ強兵のために作られたから。
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exciteB
exciteB 年を重ねると、「生み落とされたこと」が圧倒的に人権侵害だとよくわかる。結局は老化して病気で死ぬ。
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Baybridge
Baybridge コロナで修学旅行行けなかった世代が大卒就職するまであと数年。/コンプレックスになる人と開き直ってネタにする人どちらが多いんだろう。 増田旅行人生
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ykktie
ykktie 高校の修学旅行のときは精神状態が激悪で、前髪を伸ばして周りから目が見えないようにしてたくらいなのに、何故か嫌な記憶がない。というより昔過ぎて細かいことは忘れたのかも
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porquetevas
porquetevas 小中学校つまらなすぎて行きたくなかった。この世の理不尽さを学べたことだけが良かった点
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oeshi 表向きには示されてないけど行きたくないって言えば行かなくても良くなるんだよ…ちなみに一部底辺校では面倒だし仲間で行った方が楽しいから行かないって子が結構いるんだよ…
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lavandin 小中と修学旅行がホントに嫌で嫌で高校でも行きたくない!!と騒いだが、実際行ってみたら面白すぎてなんだかんだで別の国だけど海外住んでるから必要だったかな。でも妹は体調崩して海外ダメになったし一長一短
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sukekyo
sukekyo おれは学生生活って強制的な人権侵害があったのは絶対に良かったと思ってる。「行きたくなかった」「嫌だった」って感情や記憶も込みで大事。いろいろな気づきや思いや考えを得られるから。今後も続けるべきと思う。
2024/02/19 リンク yellow18yellow 3 clicks
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rakugoman
rakugoman 若い頃から最適化されてると、つまんない人間になるぞ。本当に歳を重ねたのかい?
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tome_zoh 部活は機会や課外活動の場の提供という意味で意義あると思うけど、全力以外認めないみたいなのやめてほしい、特に強制所属なら。やる気がないとかゆるくやりたい子の逃げ場はあっていい。
2024/02/19 リンク yellowyellowyellow
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north_god
north_god 参加してつまらなかった、嫌な思いをした、は次の反省点として向いてない事はやらないとか能動的な選択に繋がるが「〇〇やれなかった」はただの後悔にしかならない。一生向いていない事を切り捨てられんよ
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellow
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tokitori わかる~。代表学年だけのとこもあって地域性あるんだろうけど、卒業式とか何で関係ない学年が出席して馬鹿みたいな余興みたいなのせないかんのだよ、とか小学4年生の時には思ってた
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deep_one 修学旅行がなんなのかいまだに分かっていないようだ。/「全員参加の部活」がやりたいことはわかるんだが、あれは「本気で部活する人」の妨げにもなるのよね。うちの学校は確か「本を読むだけ」とかの部活があった。
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edam 学校が嫌だった過ぎて子供産んであんなとこ入れるの可哀想は結構ある思想だと思う。
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valvelde 修学旅行を希望制にするなら毎日の授業も希望者だけでいいはず
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ledsun それを言い出すと「義務教育は人権侵害」も言えちゃうぞ
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hobbiel55 それが人権侵害なら、教室にみんなで閉じ込められて勉強させられるのも人権侵害にならないか? educationtravelanond
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keidge 確かにまともに集団生活する機会なんて学生時代くらいしかないよね。私も苦手なタイプだったけど、得られるものは多いと思うよ。知識より経験の方が何倍も強いのが現実だし。
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zubtz5grhc 学校に通わせられるのも働かされるのも金がないと生活できないのも人権侵害だわな。私は考えるのをやめてるが。
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mtk_inrs そう、希望制にすると親の都合で行かせてもらえない子が出てきてしまうかもしれないからね、、DX進めろ進めろ言うけど当たり前のように家にWi-Fi飛んでない家庭もあるからなかなか
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rna 初等教育全般が人権侵害的と言えばそうなんだけど、一定の知識とスキルを身につけないと本人が自分の権利を守れないからなぁ。軍隊教育由来の部分とか時代に合わせて何が必要かは再検討が必要だけど。
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songsfordrella
songsfordrella 高校の修学旅行、おそらくは外で干したのだろう宿泊先の宿の布団がブタクサの花粉だらけで、ひたすらくしゃみをしていた記憶しかない。そんなしょうもない思い出でも今となっては懐かしいもんです。
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chihiru
chihiru 中学の修学旅行は積立式だったけどそのお金を親が出してくれなかったようで不参加だった子がいたな…お金のことよくわかっておらずみんな当たり前に行くもんだと思ってたから少しショック受けた当時
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mur2
mur2 拒否すれば参加せずにすんだのでは?/自分もSoundCloud聴きながら2時間でも3時間でも長風呂してしまうのでいつも最後に入るようにしてる。
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unakowa
unakowa いじめられていたら話は違うが、そうでないなら集団 Permalink | 記事への反応(0) | 19:51
もうかなり前です。
留学した当時は,その大学はスポーツ推薦はありませんでした。それが誇りでもあったと聞いたことがありますが,さすがにコンファレンスでいい成績が出ない。僕が帰国してからだったと記憶しますが,スポーツ推薦を始めたようです。
ただし,その大学だけじゃなく,最近バスケットボールで留学した渡邊君も言ってましたが,学期ごとに成績がある基準を下がると試合には出られなくなります。
ですから,そうなりそうな学生は,同級生の中からチューターを雇用して(もちろんお金がかかります),夕食後に図書館などで深夜まで勉強を教えてもらっていました。スポーツができるだけでは卒業はできない仕組みです。
さて,講義レベルのことですが,まず米国の入試では,共通テスト (SAT) 等以外に筆記試験がありません。
つまり日本の一般入試というシステムではなく,日本のAO(今の総合型)入試が,米国入試を真似たシステムです。
そして,共通テストの内容は,日本人の高校3年生が受ければ,多分簡単です。中学校レベルに毛が生えたくらいだと言われることもあります。これは,米国の中等教育の
しかし,SAT の成績がいいから合格するってわけでもありません。MIT も昨年度までは,入試の合否で SAT などのスコアを使っていませんでした。つまり面接や応募書類の中身で合否判定をしていたわけです。
しかしとうとう,今年からだったか MIT も共通テストのスコアを参考にすることになったようです。
秋ごろの日本の全国紙に,ハーバード大学が調査した大学卒業率の記事がありました。
米国の全国大学平均で,卒業率は50%,つまり二人に一人は退学になって卒業できないんです。これが入試に筆記試験が無いからなのかどうかは,記事には書いてありませんでしたが,さすがにハーバード大などの研究型大学の卒業率はもちろん90%を超えます。当たり前です。
さて,そういう事情ですから,例えば米国の研究型大学1年生と,東大の1年生に,東大の理科 I 類の1年生の数学の中の線形代数の試験を受けさえると,東大生が80%は合格するのに対し,米国大学の学生は20%しか合格しないかもしれません。
僕は留学先で,試しに1・2年生を対象とした複素関数の講義の一回目に(ひやかしで)座ってみました。日本の大学の数学の講義よりも丁寧で,分かりやすいです。
ところが60分の講義が終わった途端にひとりの学生が挙手をして質問しました。「先生,この時間内でしょっちゅう出てくる i って何ですか?」です。
日本の大学生なら,文系の学生でもこの発言にはびっくりしますよね。
つまり虚数単位を知らない学生が,世界大学ランキングで東大よりも上位の大学の1年生に,少なくとも一人はいたわけです。
これが,米国の高校までの教育目標と日本のそれが異なることの一例ではないでしょうか。
ところが,例えば工学部3年生以上の講義科目の内容を日米で比較してみましょう。ほぼ同じです。実際僕は,その両方を履修していますから,これは本当のことです。
僕の知人が勤めている日本の旧帝大工学部のある学科は毎年のように優秀な学生で英語で不自由しない3年生を,1年間の交換留学させていて,米国で取得した専門科目の単位を持ち帰ること(読み替えること)が可能でした。
ところが,東大よりもランキング上位の大学に留学した旧帝大学生の成績があまりにも悪いということが数年続いてしまいました。
講義内容は,3年生なら日米ではそんなに違いがありませんが,quarter 制度のあの詰め込み講義と毎週の宿題と,応用問題が出される期末試験でいい成績をおさめられないってわけです。
卒論は,オプションです。やる学生は圧倒的に少ないと感じましたが,これについては統計も何も持っていません。
僕が勤めていた大学では,工学部3年生の応用数学や力学などの一部の講義をすべて英語で実施しています。
これは,交換留学の公式のプログラムに,欧米やアジアの成績がいい3年生が半年か1年留学受け入れがあり,その学生が,日本人に提供している講義を一部だけ全部英語で実施しているものです。
僕の英語があまりにも上手だからでしょうか,日本人の学生には不評な講義でしたが,日本人の学生も80%は70点以上をとります。80点前後にピークが来ます。70点あたり
「 女性はITなどの理系能力が得意な人より 感性と共感の能力を必要とする仕事を得意とする人が多い 」
言及記事主だけどこの部分だけは現代の教育界では明確に否定の方向に向かってるのよ。OECDがやってる国際学力調査TIMSSだと日本の男女は理系科目の成績差はあれど今の現状ほど女性が理系職につかないほど明確に成績差はないんだわ。で、昨今の理系職労働力不足の対応としていわゆる「リケジョ」の開拓に高等教育界は必至なわけだ。
https://gendai.media/articles/-/88240?page=3
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r01/zentai/html/honpen/b1_s00_02.html
まあ現代は経団連の会長が「夫婦別姓にして!」って要望するぐらい経営側は日本の優秀な中等教育の成果を活かして女性にも労働市場に出て欲しいけど、受け手の一般社会は元記事のようなコンサバな結婚観とか女性は理系が向いてないみたいな考え方がメインなんで上手くいってない印象かな?後ツリーにある「皆が稼げる職業にはつけない」はその通りだけどなぜそこに男女差がつくのかは「女性に働く気がない」だけで説明つくかな。そもそも一般社会が「女性は働かない」「みんなハムスター」って最初から仕事で評価する気がないわけで、そこから仕事の評価を得るのは大変よ。まあほとんどの一般的な能力の女性はハムスター化えらぶかもね。例外は「看護師」「介護士」みたいな伝統的に女性の職業として確立された分野か、わいのいるITみたいな新興産業完全実力主義な業界でコード一発書けば男女関係なく評価えれる業界に仕事する気ある女性は流れるだろうなあ。評価えるの楽だもん。私は「ハムスター」って思われてる上司に自分の業務成果アピールするのはIT以外では自信ないわw。まあこれは卵が先か鶏が先かみたいな話だけど一般的な能力の女性が「女も家族の将来に責任を持つ、女も稼いで家族を養う、自分の機嫌は自分でとる」はしばらく先かなと思った次第。一般的な男女とも望んでないのよ。
https://anond.hatelabo.jp/20230808222237
首都圏は中等教育における後進地という意見には賛同も意外と多くてほっとしたのだけど、その中でdisった埼玉の公立別学進学校にはまあまあ批判があった。主だった意見を書くと
・男子校と同レベルの女子校があるので差別ではない。よく知らない地方のことを語るべきではない
・男子校も女子校もニーズがあって成立している。悪いものではない
と言った具合だ。これが九州のことだったらクッソミソにdisるだろうに、首都圏のことになると突然甘くなるよねーぐらい思っていたら、衝撃的なデータを見つけてしまった。
文科省が出している都道府県、男女別大学進学率だ。大学進学率はジェンダーギャップ指数でも使われる男女差を図る重要な指標だ。
https://www.mext.go.jp/content/20201126-mxt_daigakuc02-000011142_9.pdf
「大学進学率は東京と徳島を除き男性の方が高く、男女の進学率の差は山梨県14.3ポイント男68%、女53%)、北海道11.3ポイント(男51%、女40%)、埼玉11.4ポイント(男59%、女48%)、千葉県8.9ポイント(男58%、女49%)の順で高い」
いや、埼玉は同レベルの女子校があるから差別じゃないんじゃなかったんかい。現に進学率という差となって出ているじゃん、公立男子校・女子校による差が。
山梨は謎だが、北海道とかは大学に1人行かせるなら息子を……とかありそうだし(それはもちろん差別だが)、同情しなくもないが、大学も選び放題、県別所得でも上位の方の埼玉が全国トップクラスの男女差別県なのは、明らかに公立高校の別学教育の影響があるのでは???
というか埼玉の話とか直接関係ないけど、徳島とか褒め称えられるべきだろ。伊達にスタンフォードに送り込んでない。
ちなみに全国平均は男54%、女49%。九州はというと福岡は全国平均より差が少ない男50%、女47%だし、一番離れている鹿児島はも男43%、女36%だ。鹿児島以外の県はほぼ全国平均より少ないかほぼ同等程度の差しかなく、九州地方という括りでみたとき他の地方と有意な差はない(それより大学進学率の地域格差の方がやばい……マジで北海道、東北、中国四国、九州向けの奨学金作った方がいい
九州は男尊女卑とか大騒ぎする暇があるなら、首都圏の人たちは自分たちの足元をみてくれ。埼玉だからとか言って切り捨てずに、激ヤバ埼玉の教育改革をみんな主張してほしい
大学受験一発逆転組。
初等教育、中等教育で常に一定の成績を取り続けることが出来なかった人を排除する仕組みが必要。
日本ではなぜか一発ペーパーテストを過度に尊重し、日頃の成績を軽視するどころか馬鹿にする風潮まである。ちなみにペーパーテストを無意味だと言っているのではない。アイビーリーグの学部生たちもペーパーテストは受験する。
大学受験一発逆転組が大学で全く勉強に打ち込まないことは大学職員や教員の間では既に知れ渡っている。
世の中には「小中高と全く優れた成績を取らず、大学受験期のみ猛勉強して大学に進学し、大学進学後も講義には全く出席せずに学外活動に力を入れてきた」という経歴を辿った上で実社会で活躍する者は多くいるが、彼らが活躍するフィールドは起業やビジネス、芸能界においてであり、ならば大学に進学させる必要はない。時間は有限なのだから大学で彼らの言う無駄な時間など過ごさせずとっととビジネスや芸能の世界に進ませれば良い。学術分野においてはそのような人物は少ない。もちろんゼロではないが。
G7において日本の大学の論文引用数は最下位である。ドイツやフランスにおいて「(日本の)小中高(に相当する教育機関)と全く優れた成績を取らず」という人間はその時点で高等教育から排除されている。
よく「推薦入試や内部進学組は勉強ができない」ということが言われるが、これは全くの間違いである。だいたいこういうことを言い出すのは大学教育に全く関わったことのない人間だ。慶應義塾大学を例に出す場合、文理、学部に限定されず成績、学力の最底辺は内部進学組であるが頂点も内部進学組である。学部からの外部生はその間に分布しており、どちらかと言えば最底辺の内部進学組に近い。
とあるフォロワーが鹿児島から久留米まで新幹線通学をしている女子中学生の報道を引用して、「鹿児島のラサールは男子校。女子の教育機会が奪われているのを放置し、鹿児島は性差別的なところだ」という話をしていて、いやいやいやいややってなってしまった。
九州は男尊女卑的であるという偏見の目でこのニュースを見るとそう見えるのだろう。
九州の進学校事情に多少詳しい人からすれば、それはただの偏見による観測なのだ。
そして、九州の進学校の花形は二つの私立進学校の例外を除いて、たいていの地方と同じように各県の公立トップ高たちだ。福岡であれば修猷館、熊本であれば熊高(くまたかと呼ぶ)、鹿児島であれば鶴丸といった県立トップ進学高たちだ。
東日本の学校のように一高が実質男子校、二高が実質女子高のような伝統もなく、主要な公立進学高校はもちろん共学だ。
異常でしょ関東。というか、北関東の公立男子校群なんなん。よっぽどこっちの方が女子の教育機会奪ってるだろ。
九州の公立2は鹿児島にあるらしいが、どちらも共学化が決まっているようだ。
一応、種明かしをすれば、公立は前述の通りだが、九州の私立男子校が急減したのはここ20年の動きだ。
確かに私が20年前に中学受験したころは頭のいい女子は受けるところがほとんどなくて、塾のトップクラスにいた自分も塾の講師が同級生の女子に「女子なんて勉強したって入るところないだろ」とか暴言を吐いていたのも観たことある(今考えると本当にひどい環境だった。暴力もあったし)。そんな環境で、塾の実績作りのためとはいえ、桜陰に合格した子もいたのは今考えると本当にすごいことだ(その子は公立中→県立トップ高→東大と進んだ)。
ところが、少子化の最前線の九州地方、生徒募集に苦労した各校は次々と共学化し始める。その中でもエポックメーキングだったのが、ラ・サールと並ぶ九州の私立進学校の雄・久留米大学附設高等学校の05年の共学化だろう。結果として、周りの学校が共学化し偏差値が上がる中(単純に募集できる対象者が倍増するのだから)、附設より低いレベルの男子校進学校もほとんど共学化することとなった。その数少ない例外の一つがラ・サールだ。とはいえ、ラサールを除き、主要進学校はほとんど共学化している。
その証拠にネットから拾ってきた九州の東大合格者ランキングがこれだ。
熊高(公立・共学)
青雲(私立・共学)
明善(公立・共学)
元々地方なので公立が強い地域だし、附設、青雲、大濠と私立組が共学化したことによりずらりと共学が並ぶ。
渋幕(私立・共学)
改めてみてもひどい。
よくこんな地域に住んでいる人が九州に向かって「女子を教育から排除」しているなんて口が利けたものだなぁ~と思うのだが、そのことを指摘すると東京の人たちは「男子校は悪いことではない」「優秀な女子高もある(1校しか入ってないやんけ!)」、「九州には〇〇という性差別があり~」とか話をそらし始めるのだが、今は中等教育の男女差別の話をしているんですよ。関東が女子の中等教育における後進地区って認めろよ。東大の女子比率下げてるのおめーらじゃねーか、と思うのだが。。。
というわけで、冒頭の鹿児島から久留米に新幹線で通う私立中学生の話に戻る。件の私立中学生は鹿児島から久留米大附設まで新幹線で通っているわけで、それ自体はもちろんひえ~~という話なのだが、そもそも論として附設やラ・サールレベルの私立中学校は九州にこの2校しかないのだ。
普通に考えればわかるとおり、久留米や鹿児島が通学圏内にない九州の人たちだって多い。そのため九州の主要私立進学校はだいたい寮を持っている。ラサールは6割、附設は3割が寮生のようだ。ところが、附設は男子寮しかない。というわけで、件の女子中学生は鹿児島から新幹線で通うことを選択したのだろう。
もちろん、ラ・サールが男子校であることや附設が女子寮を持っていないことが女子教育の排除に繋がっていると言われたら全くその通りなのだが、一私立高校にそこまで負担を求める(特に女子寮の増設)のはいくら何でも厳しいだろう。だいたい関東の国立の男子エリート進学校という何故国税をつぎ込まないといけないのかよくわからない存在に比べれば、ラ・サールや附設だけに罪を被せるのはアンフェアだろう。
当たり前の話だが、九州の他に同レベルの学校がないのだから、附設やラサールへのアクセス可能性を九州の人に平等に担保すること自体不可能だ(寮に入ると授業料と合わせて月10万程度になり、経済的に負担できる家庭は多くないだろう)。そもそも関東とは違い九州で中学受験する人は親が教育熱心な一部の家庭だけだし、附設やラサールという二つの例外を除けば、たいていの田舎と同じように県立トップ校に行って、いい大学に行くというのが九州の人の普通のエリートコースなのだ。その環境を背景にすれば、この事実を持って九州は最高レベルの教育から女子を排除している!というのはさすがにナンセンスだろう。
もちろん、大学進学の時点で男子は東大目指すけど、女子は九大や地元国立でいいでしょう、という話は今でもあるだろうし、女子は医学部志向が強い(九州全体としても医学部志向は強い)。医学部も悪くはないが、東京で知見を広めることもいいのにな、と思うのだが、就職や家業・本人の志向の問題もありなかなか難しい。
九州は世帯の平均収入が低く、それが大学進学率にも影響をしている。
九州にももちろん教育における男女差別は存在する。それは解決すべき問題だ。
とはいえ、鹿児島の大学進学率は43.6%、東京都69.8%だ。こんなにひどい地域格差は見もしないのに、鹿児島から久留米に通う女子中学生のニュース一つで九州は男尊女卑だと吹き上がる。ここまで述べてきたとおり、九州の中等教育において少なくとも「制度的」には、女子の教育の機会はある程度担保されている。もちろん、制度ではないところに差別はあるだろうが(女子はそんな勉強せんでええ的な)、男子校が進学実績トップにずらっと並び「制度」すら保証できない関東に比べればはるかにマシだろう。特殊な一中学生の例をあげて、九州の男尊女卑的な偏見を用いて煽るのは地域への差別以外の何物でもないろう。
昔、はてなで許される唯一の差別は地域差別です、というブコメを見て本当にその通りだなぁ、となったのだが、地域への差別や格差にも少しは目を向けてもらえませんかね。
https://anond.hatelabo.jp/20230712112116
この「完全にお局様と化してつらい」って話で思い出した事がある。
はてブで『管理職でも無いのに部員の進捗管理したり仕切ったりするな。』っていう、例によって、はてブらしい優しくも厳しすぎるコメントに星が大量についていたが、これについてだ。
話はこうだ。うちの娘はアメリカで小学校に通っている。幼子の頃からいるのでコミュニケーションの問題等はないのだが、娘からすると教室でちょくちょく他の生徒がうるさ過ぎると感じるらしい。(はっきり言って娘だってめちゃくちゃうるさい方なのだが)
それほど時には凄い騒ぎになるようだ。それが気になるらしく娘は皆に先生の話を聞こうなどと注意していたらしい。
これを聞いて皆さんはどう思いますかね?創作に良く出てくる委員長タイプの人間なんだなとか思う人も居るかもしれないが、基本的には娘は「良い子」だねって事になると思う。
ところが娘はこれを先生に怒られたそうなのである。曰く、「子どもを注意するのは先生の仕事なので、あなたはやってはいけない」ということであった。
これを聞いて俺はすごく教えられたと思いましてね。まだ大学を出たばかりのような若い先生だったけど、ここまでビシッと言えるのは凄いと思った。そんな騒がしくなるくらいなので、先生もあまりやる気がないのかと思っていたんだけど線引きが違っただけのようだった。
それ以来、俺も同僚や職場のことには意識して世話を焼きすぎないようにしている。皆で助け合うことは良いことだけど、職場やあるいは教育現場の中にはまず第一に根底に契約や役割がある。
なので先のブコメに今は同意なんだけど、俺のようになかなかそこから抜けれないことは多いと思う。それは元を正せば、一般的な日本の教育現場の中では色々な責任が曖昧になっているから。
日本の初等教育、中等教育は素晴らしいんだが、その辺りの責任関係の曖昧さは先生の過剰負担とかにも繋がってくる課題だと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230712112116
この「完全にお局様と化してつらい」って話で思い出した事がある。
はてブで『管理職でも無いのに部員の進捗管理したり仕切ったりするな。』っていう、例によって、はてブらしい優しくも厳しすぎるコメントに星が大量についていたが、これについてだ。
話はこうだ。うちの娘はアメリカで小学校に通っている。幼子の頃からいるのでコミュニケーションの問題等はないのだが、娘からすると教室でちょくちょく他の生徒がうるさ過ぎると感じるらしい。(はっきり言って娘だってめちゃくちゃうるさい方なのだが)
それほど時には凄い騒ぎになるようだ。それが気になるらしく娘は皆に先生の話を聞こうなどと注意していたらしい。
これを聞いて皆さんはどう思いますかね?創作に良く出てくる委員長タイプの人間なんだなとか思う人も居るかもしれないが、基本的には娘は「良い子」だねって事になると思う。
ところが娘はこれを先生に怒られたそうなのである。曰く、「子どもを注意するのは先生の仕事なので、あなたはやってはいけない」ということであった。
これを聞いて俺はすごく教えられたと思いましてね。まだ大学を出たばかりのような若い先生だったけど、ここまでビシッと言えるのは凄いと思った。そんな騒がしくなるくらいなので、先生もあまりやる気がないのかと思っていたんだけど線引きが違っただけの違ったようだった。
それ以来、同僚や職場のことには意識して世話を焼きすぎないようにしている。皆で助け合うことは良いことだけど、職場やあるいは教育現場の中にはまず第一に根底に契約や役割がある。
なので先のブコメに今は同意なんだけど、俺のようになかなかそこから抜けれないことは多いと思う。それは元を正せば、一般的な日本の教育現場の中では色々な責任が曖昧になっているから。
日本の初等教育、中等教育は素晴らしいんだが、その辺りの責任関係の曖昧さは先生の過剰負担とかにも繋がってくる課題だと思う。
何に必要なのですか
沢山の可能性というのか、能力が未知の子供達の脳の発達に必要なんじゃ?
これからどの道に進むのか分からない子供達の行く末に必要になるかもしれない、
若しくは、今はまだ開花していないが、何らかの学問を進める事でその道(例えば数学や物理)で
開花するかもしれない子供達の為に、高等教育に到達する前の準備として、
んー、言葉にしようとすると長たらしくなってめんどくさい。
多くの人達は、三角比とか三角関数とか、微積分なんて卒業したら使わないよ。
(俺は仕事で少々使ったけど、学問の範囲から言ったらそれは微々たるものだと思う。)
だからと言って学ばなくて良いものかといったら、そうではないと思うよ。
色んな人が可能性を持ってい居て、誰が数学に関心が有るとか、数学の方面で伸びるとか、誰にも分からないだろうし。
それに、脳みその発達の為にも色々な事を勉強する事で脳に刺激を与えることになって、発達が促進されるとか言われてなかったっけ。
同じ事ばかりやってても脳の発達は促進されないような事を言われてたと思う。
筋力トレーニングも同じようなもので、毎回同じようなトレーニングばかりしていると、
筋肉に対する刺激が少なくて、発達しにくくなるから違うメニューを取り入れるとか。
家の子は将来音楽家になりますから数学は不要です、という親がいたとしたら、その通りにさせてみたい。
興味を持ってくれてありがとう。
私が考える「つまる人生」すなわち面白い人生とは、一言で言えば内発的な動機と偶然性に彩られたものです。
内発的な動機とは何か。
人はそれぞれ違った関心や性質を持っています。度肝を抜かれるほどの変人や天才はほんの一握りだけれど、それでも誰もがそれなりにはユニークです。
大勢の人と社交するのが楽しい人がいれば、独りで黙々とこなすのが好きな人もいる。競争や勝負に燃える人がいれば、それらに興味のない人もいる。絵を描かずにはいられない人、気がつけば星空を見上げている人、なぜか魚類に深く心を寄せる人。
そのような、その人だからこそ持っているものを突き詰めたり、大いに発露している様をとても興味深く感じるのです。
たとえそのような生き方が、世間的に評価されず、まったく金銭的な価値を生み出さず、場合によっては呆れられたり白い眼で見られるものであったとしても。
なぜ登るのかという問いに「そこに山があるから」(正確には「そこにエベレストがあるから」であるようですが)と答えた登山家の話はあまりに有名ですが、内発的動機というのはまさにこれです。
私は登山どころかアウトドアに全く親しみがありませんが、彼が見事に言い表しているように「ただ、そうしたいからそうする」という生き方に心を打たれるのです。
もう一つ、偶然性とは何か。
人がそれぞれ違っているように、一人の人生の中で起こる出来事も様々です。何が起こるかを予測することはできません。
この時代に日本に生を享けたという出生の偶然性に始まり、実に様々な偶然性に晒されながら人生は進行していきます。そういう偶然性の一片に、人生全体を方向付けるものがあったりするものです。
重い病気に罹った自分や家族を治療してくれた人への感謝と畏敬の念から、医療の道を志すとか。ある芸術作品に衝撃を受けて、創作や研究活動にのめり込むとか。
もし、それに出遭っていなければそうはならなかったかもしれない、でもなぜかその出来事が起こって現にこうなっているという面白さ。似たような経験した人は他にもいるはずなのに、その人にとってはそれが決定的に働いて今があるという不思議さ。
偶然性そのものは何でも良いのですが、偶々起った出来事とか人や物との出会いによって人生が動かれていくというのが、また人生の妙味だと思うのです。
こうやって考えていくと、内発的動機も偶然性の一つと言って良いのかもしれません。
(なぜか分からないけれど、それをしたい。そういう性質に生まれた、あるいはそういう経験をしたという偶然性。)
「激レアさんを連れてきた。」という番組がありますが、そこに登場する人にはそのような面白さを感じることが多いです。(たまたま何度か見たことがある程度で、特に熱心に見ているわけではないですが)
そんなにレアではなく、経歴や属性だけ聞くと凡庸に思えても、内発的な動機に突き動かされて、そして不思議な縁に引っ張られて生きていれば、それはとても面白いものです。
なので、元増田の人生もつまらないものでは全くなく、とても面白いのかもしれません。普通の家庭を持ったサラリーマンとしての側面しか記述されていませんが、その仕事は(なんらかのきっかけで深い関心を寄せて)人生を捧げるようなライフワークとして取り組んでいるかもしれないし、あるいは賃労働とは別の社会貢献活動に情熱を注いだり、何らかの創作に精力を傾けているのかもしれません。
ただ、大多数のレールとしてある学歴を重ね、就職するものだからという常識で就職して、結婚した方がいいという観念で結婚して、子どもを産み育てるべきだという規範でそうする・・・そういう既定路線・予定調和的なものを逸脱するものを見出したいという思いがあります。
常識を逸脱するもの・普通を横溢するものを、(程度の差こそあれ本当は誰しも持っている・出遭っているはずなのに)無いことにした生き方を「つまらない」と思うのです。
そういうわけで、私は、ライフプランとか人生設計とかいう考え方が嫌いです。
何歳ごろに結婚して、何歳までに子供を何人産んで、それから家を建てて、教育費がこのくらいで、老後の生活費がこのくらいかかるから、貯金がこのくらい必要で・・・とか、そういうやつです。
(「一流のプレイヤーになる」とか「自分の店を持つ」とかの目標を持つことは良いと思いますが(持たなくても良いと思いますが)、それは志とか野心とか呼ぶべきもので所謂ライフプランとは別です)
中等教育くらいまではこの社会を生きていく前提としてレールの上を歩くということで良い(そうでなくても良い)と思いますが、そこから先は偶然性の織りなす世界で自分の心の赴くように生きるものだと思っています。
人生で何が起こるのかなど分からないし(極端に言えば明日死ぬかもしれない)、自分の考え方だって変わります。貯金とか保険とかある程度の備えは必要と思います(生き方によってはそれすら無くても良いけど)が、結局その場その時で決めていくしかないし、その方がきっと面白いはずです。
プランなど立てるのは偶然性を塗りつぶす所業であって、人生の醍醐味を毀損するものとしか思えないのです。
最後に「つまる」人生ということで、私が大好きな映画を紹介しておきます。
デヴィッド・フィンチャー監督の『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』という映画です。
もちろんフィクションなのであまりにドラマチックなのですが、この作品には人が生きるということの面白さ(内発的動機と偶然性)が詰まっていると思うのです。
この映画の中で何度か主人公が口にするセリフ(それがこの作品のテーマでもあります)が、「人生、何が起こるかわからない(You never know what’s coming for you.)」です。
未見でしたらぜひご覧ください。