はてなキーワード: 第一とは
WikipediaのCategory:いじめ自殺事件を参照すれば、地域どころか国レベルで無関係であることは証明されている
次のことをお試しください
少なくともお受験によるウォールによって荒れる可能性は低減できるものの、いじめのリスクを0にすることはできない
むしろこっちの方が更に凶悪な状況になるかもしれないし、第一頭が良くないとこの選択肢は使えない
ゆたぽんみたいなことをしなければ大抵忘れるので恥にもならない役立つ逃げが可能になる
言及で「不登校の奴らもロクな人生を歩んでいない」というのもあるが、ここでは中学で死なないという観点でその選択肢を挙げている
(そういう奴らを淘汰するためのろ過装置と揶揄されること多し)
ここに居る増田の回答を待つ
望み薄
次は採用していない
暗殺などによる自らが犯罪を犯す系の選択肢は全て除外した(よくそういう作品は見るような気はするけどね)
小学生の頃の友人を頼る(中学であっさりと裏切られるのもよくあるパターンでしかないため)
親に頼る(無駄になること多し)
増田の言ってる事はごもっともで、分解して箇条書きに展開すると
と言う所で、これに反対する人はいないんだよな。
これが難しい。
基本的には施策はここをターゲットにするべきで、国立人口問題研究機構などが行っているアンケートでも、実は育てたい人、育てる気概のある人の率は、昭和の時代から大きく低下していない。
では何故ここが問題かと言うと「育てたい人、育てる気概がある人」をターゲットにしていると言っているのに、ターゲットにしてない人から
と言うよくわからない反応が起きること。総論の状態で目標を掲げているうちはそうなのだけど、実際の事業や施策を動かしていくと問題になる。
特に、効果が大きい施策、結婚支援や税制改正、制度改正などで噴き出してくる問題だ。
ただ、こんなことを実際リアルな人間関係の中では言う人は少ないよね。だけど、政治活動の世界では多く発生していると言う不思議がある。
典型的なノイジーマイノリティだと思うんだけど、どうして声が大きく出てしまうのだろうか。
さっきのターゲットの話はノイジーマイノリティ問題だったけど、今度は逆。
子どもをもっと産める状況にするには、増田が言うように経済的な問題が第一だ。金がないのだ。
それに対して、現在行われている「もっと子供を産める状況にする」という方面の対策は、それを助長するような対策ばかりになっている。
これらの施策は子育て支援という名前になってるけど、これは子を産める状況にする、と言う対策では無くて、子育てを行っている層や、その祖父母層に向けた票集めのための施策になっていて、「もっと子供を産める状況にする」の裏返し「子どもを産める状況になっていない」人たちに対する支援になってないんだよね。
例えば、高校の授業料無償化や、小児の医療費の無償化といった施策は行われているが、そう言った施策が広まっていっても子育てにかかる金額ははどめがかかっていない。
これは当然で、子育ては競争という性質が強く、また金があったらいくらでも金をかけてしまうと言う性質を持っているから。
例えば支援無しで100の資金が合った人に、30を援助すると、130の資金にして全部投入されてしまう。
するとどうなるかというと、子育てにかかる金額がどんどん増大して新規参入障壁、つまり新しく子どもをつくりたい、増やしたいという人が増えにくくなっていく。ハードルが上がってしまうのである。
この傾向が最も分かりやすいのが、出産費用と私塾の料金。支援金が増えるとそれと同じだけ価格が上昇してる。
標準的な子育てをシステム化してみなこれをやっておけばよい、と言うメソッドを構築すること。
その代わり。その費用は公的な仕組みで全部出すこと。ちょうど健康保険や介護保険の様な仕組みにする。
例えば、大学学部卒までの学費、食料費など全部含んで自己負担金を、住民税基準のようにゼロからMAX20万円ぐらいまで設定する。
学校はその金額の中で運営し、それ以上は利用者からとってはならないとする。対価がある寄附行為も全部禁止。
また、医療介護の標準のように、標準的に守るべき部分を入れて定期的に監査する仕組みにする。
こうすると、養育費の上限が固定されて、大規模な改変がない限り、大学学部卒業までに、月額いくら払っていけばいいのかが確定する。更にここには保健機能を付加しておいて、何か重大な事故があった場合も保護される。
まぁそうだ。
というか、教育に関しては当時の為政者が住民を都合良く洗脳すると言う過去の経緯があって、政治が絡みすぎている。
例えば大物政治家が不祥事で落選した時、自分と懇意にしている私立の学校法人の教授や理事に収まって政治活動を継続する、と言ったことが凄く多い。
治外法権で聖域化しているし、ここまでの巨大な改革は相当難しいと思うが、そこまでやらないと色々と解決は難しいと思う。
政治に興味を持って投票行動を取る人、と言うのは、結婚したり子どもができたりして意識するようになる人が多いようだ。
一方で独身者の投票率はかなり低い。今となっては、子どもよりも政治的影響力が無い。
そして独身者で投票する・政治活動をする層と言うのは、ノイジーマイノリティ化した層だ。
彼らが意見を代表しているかのように政治に影響を与えてしまう。(統計ベースでは、彼らがノイジーマイノリティであることは明白なのにもかかわらず、だ)
この増区政の人々に味方しても票が増えるわけでは無いのだ。なので、受けない。
地方議会などは、切実にわかっているのでやるのだけれど、より劇場型政治の性質が大きくなっていく国会などではどうやっても優先度が上がらない。
と、思わず読んでいて思いついたので頭を整理する意味でダラダラ書いたんだけど。
どうしたらいいんだろうね。
美術史家のハインリヒ・ヴェルフリンは、イタリアのルネサンスの絵画と建築に具体化された古典的な美の概念について考察している。
イタリア ルネッサンスの中心的な考え方は、完璧なバランスです。この時代は、建物と同様に人間の姿においても、それ自体の中に静止している完璧なイメージを達成しようと努めました。あらゆる形態は自己存在する存在へと発展し、全体が自由に調整され、独立して生きている部分にすぎません…。古典的な作曲のシステムでは、個々の部分は、たとえ全体にしっかりと根付いていても、一定の独立性を維持します。それは原始芸術の無政府状態ではありません。部分は全体によって条件づけられていますが、それでもそれ自身の命を持つことをやめません。観客にとって、それは分節、つまり部分から部分への進行を前提としており、それは全体としての知覚とは非常に異なる操作です。
古典的な概念では、美しさは、比例、調和、対称性、および同様の概念に従って、統合された部分を配置して一貫した全体を形成することで構成される。
これは西洋の原始的な美の概念であり、古典および新古典の建築、彫刻、文学、音楽のどこにでも体現されている。
アリストテレスは『詩学』の中で、「生き物、そして部分から構成されるすべての全体が美しくあるためには、部分の配置に一定の秩序がなければなりません」(アリストテレス、第 2 巻)と述べている。
そして形而上学では、「美の主な形式は秩序、対称性、明確性であり、数学科学は特別な程度でそれを実証しています。」(アリストテレス、第 2 巻)
アリストテレスが示唆しているように、この見方は黄金分割などの数式に要約されることもあるが、それほど厳密に考える必要はない。
この概念は、とりわけユークリッド原論などの文書やパルテノン神殿などの建築作品に例示されており、また彫刻家ポリクレイトス (紀元前 5 世紀後半から 4 世紀初頭) の正典によって例示されている。
カノンは、完璧なプロポーションを示すように設計された彫像であるだけでなく、今では失われた美に関する論文でもあった。
医師ガレノスは、この文章の特徴として、たとえば、「指と指、すべての指と中手骨、手首、そしてこれらすべてと前腕、および前腕と腕」の比率を指定していると説明している。
その論文で身体のすべての対称性を私たちに教えてくれたポリュクレイトスは、その論文に従って人間の像を作り、論文と同様にその像自体を正典と呼んだ作品でその論文を裏付けた。
古典的なテキストにおける「対称性」の概念は、双方向の鏡像関係を示すために現在使用されているものとは異なり、より豊かであることに注意することが重要。
それはまた、古典的な意味で美しい、物体の特徴である部分間の調和の取れた測定可能な比率の一種にも正確に言及しており、道徳的な重みも担っている。
たとえば、『ソフィスト』 では、プラトンは高潔な魂を対称的であると説明している。
古代ローマの建築家ウィトルウィウスは、その複雑さと、適切であるがその根底にある統一性の両方において、中心的かつ非常に影響力のある定式化における古典的な概念を体現している。
建築は、ギリシャ語でタクシーと呼ばれる秩序と、ギリシャ人がディアテシスと呼ぶ配置、そしてギリシャ人がエコノミアと呼ぶ比例と対称、装飾と配分から構成されます。
秩序とは、作品の細部を個別にバランスよく調整し、全体としては対称的な結果を目指して比率を配置することです。
プロポーションは、優雅な外観、つまり文脈の中で詳細が適切に表示されることを意味します。これは、作品の細部がその幅に適した高さ、その長さに適した幅である場合に達成されます。一言で言えば、すべてが対称的な対応関係を持っているときです。
シンメトリーは、作品自体の細部から生じる適切な調和でもあります。つまり、与えられた各細部が全体としてのデザインの形に対応することです。人間の身体と同様に、キュービット、足、手のひら、インチ、その他の小さな部分から、リトミーの対称的な性質が生まれます。
アクィナスは、典型的なアリストテレスの多元主義的な定式化で次のように述べている。「第一に、誠実さ、あるいは完璧さです。何かが損なわれていると、それは醜いからです。次に、適切な比例または調和があります。そして明晰さもあります。明るい色のものが美しいと呼ばれるのは、このためです。」(『神学教典I』)
18 世紀のフランシス・ハッチソンは、この見解を最も明確に表現していると思われることを次のように述べている。
「したがって、体の均一性が等しい場合、美しさは多様性と同じです。そして多様性が等しい場合、美しさは均一性と同じです。」 (Hutcheson)。
ハッチソンは続けて、最も美しい対象として数式、特にユークリッドの命題を挙げる一方で、次のような普遍的な物理法則によってその根底にある巨大な複雑性を持つ自然を熱狂的に賞賛している。
「美しさはある、と彼は言います。アイザック・ニュートン卿の計画における重力がそれである」(Hutcheson)
美とは部分間の特定の比率の問題であり、したがって古典的な概念に対する一連の非常に説得力のある反論と反例が、エドマンド・バークの著書「私たちのアイデアの起源についての哲学的調査」で与えられている。
植物界に目を向けると、そこには花ほど美しいものはありません。しかし、花にはあらゆる種類の形とあらゆる種類の性質があります。それらは無限に多様な形に加工されます。 …バラは大きな花ですが、小さな低木の上に生えています。リンゴの花はとても小さいですが、大きな木の上に生えています。しかし、バラもリンゴの花もどちらも美しいです。 … 白鳥は、自白すると美しい鳥で、首は体の他の部分よりも長く、尾は非常に短いです。これは美しいプロポーションですか?私たちはそれが事実であることを認めなければなりません。しかし、首が比較的短く、尾が首と体の残りの部分よりも長いクジャクについてはどう言うでしょうか。 …人間の身体には、相互に一定の比率を保っていることが観察される部分がいくつかあります。しかし、美しさの効果的な原因がこれらにあることを証明する前に、これらが正確に見出されればどこでも、それらが属する人は美しいということを示さなければなりません。 …私としては、これらの比率の多くを非常に注意深く検討したことが何度かあり、多くの主題においてそれらが非常に近い、あるいはまったく同じに保たれていることがわかりました。それらは互いに大きく異なるだけでなく、一方が非常に美しい場合には、 、そしてもう1つは美しさから非常に遠いです。 …人体のあらゆる部分に好きな比率を割り当てることができます。そして私は、画家がそれらすべてを観察し、それにもかかわらず、もし望むなら、非常に醜い人物を描くことを約束します。
そのチームは、はっきり言って、お話にならないくらい下手だった。もちろん技術面でもそうだし、ゲームに対する姿勢そのものがいまひとつ弱腰だった。おそらくだが、このゲームのクランマッチのデザイン自体に、プレイヤーに言い訳をさせるようなところがあるのだ。ふだんはある程度任意の動きを許されているプレイヤー達は、ユーバーチャージが貯まるタイミングでチームプレイにシフトし、まとまって動いていかなければならない。しかし、チームプレイというものには、個別のプレイヤーの動きとは異なり、実体がない。ここに自分への甘えを許す罠がひそんでいるのだ――おれのプレイが悪かったのではなく、チームとしてのまとまりが悪かったのだ、というような。
Nとの出会いと「MGE」
折しも大学に合格したばかりで浮かれていた私自身も、この甘えに参加していなかったかと問われれば、違うとは言い切れない。そんな私とともにこの悪い流れに拍車をかけていたNも、私がチームに参加しはじめたころは、手数よりも口数のほうが多い人間だった。他のメンバーに不出来なプレイを指摘されると、よくもまあそんな理屈をすぐに思いつくよなと感心するほどの切り返しで、「だって」から始まる台詞を連発した。
「だって、ソルジャーが付いてこなかったんだ。」「だって、相手がゴリ押ししてきたんだ。」「だって、おれは下手なんだ。」おそらく連日の負け続きのために、彼自身にどうしようもない負け犬根性が染みついてしまい、しかも彼はそのことを自覚できていなかったのだと思う。チーム自体にはおもしろい人間が揃っていたし、Nもまた日常会話ではとても楽しい思いをさせてくれたが、勝負事となるといかんせん悪いところが出てしまっていた。
「第一回プニ4トーナメント」が開催されるころには、すでに多種多様な戦法が開発され、そのうちのいくつかは創始者の名前を冠するほど有名なものとなっていた。たとえば「エアショ」という技術は、語感から空中にいる相手にミサイルを当てるものだと想像できると思う。しかし、たとえば高所に立っているプレイヤーの視野の狭さを逆手に取り、地上からミサイルの直撃を狙う「タンザナイト」や、攻撃を避けるために圧倒的な地形的有利をあえて捨て、さらに対戦相手の動揺を誘う「ハイペリオン」、その派生系の「疑似ハイペ」などは、あの当時の盛り上がりと、そこで活躍したプレイヤーの革新的な発明がなければ生まれなかった、奇跡的な語彙と言っていい。
「MGE」は、相撲と将棋を掛け合わせたようなゲームだった。要するに、狙ったところに駒を正確に打つために専門技術が要り、しかも持ち時間はゼロなのだ。技術、体力、精神力、集中力、持続力――思いつく限りのあらゆるゲーミングスキルが試され、しかも言い訳はできない。繰りかえすが、負けは負け、勝ちは勝ちなのだ。私たちは否応なく加熱していく舌戦とともに、ただ次の戦いに勝利することだけを望み、全身全霊をかけてこのゲームに臨んだ。
そして、いつごろからか、あれだけ言い訳ばかりしていたNが、「プニ4」での試合に限って、だんだんと自分の欠点を認めるようになっていった。あそこで高所から降りるのは悪手だった、あそこで狙いが乱れたのは集中力不足だった、もっと大胆に動くべきだった――そんな言葉が彼の口からいくつも溢れだし、その希望を象徴するかのように、彼の強さを表すポイントは天を突くような勢いで伸びていった。
そして5年が経った。先日、私はこのゲームの思い出を記すために、かつての「山本Gaming」のメンバー、Gにコンタクトを取った。彼は快く私を迎えてくれ、ボイスチャットに誘ってくれた。矢のように過ぎ去った時をほんのすこしでも埋めようと、Gと話をしているとき、仮眠から目覚めたNがボイスチャットに現れた。どう話を切り出したものか迷っていたが、私が「プニ4」という言葉を口にすると、Nの口から光に満ちた言葉がとめどなく溢れだした。彼は昔とおなじように、私のスクリーンネームを短く縮めた「ロールさん」という言い方で、私のことを呼んだ。
「ロールさん、これだけは言っとくよ。もし『プニ4』がなければ、いまのオレはないよ。オレはあそこで、勝負のおもしろさを知ったんだ。あれがなければ、おれはこんなふうに戦えていなかったよ。たとえば、いま、負けるとするじゃないか。でも、そんなことは当たり前のことなんだよ。負けるなんて当然のことなんだよ。だってオレは何百回も、何千回も、何万回もあそこで負けてきたんだ。でも、そのたびに取り返してきた。戦ってきたんだよ。いまやっているゲームだって、負けることは当然ある。でも、そんなこと、ほんとうに当たり前のことなんだよ、ロールさん。だって、オレの心は、絶対に負けないんだから。勝つために、オレたちは戦い続けることができるんだから。」
1. コナンには幼少期から慣れ親しんでおり、当然のものであるため、受け入れている説
→ただ好きなだけ
→何いってんの?
デマはやめろ!!
「オーストラリアは共同での養育から方針転換」というのはデマです。
以前からあったデマだが、梅村みずほ議員が実際にピーター・ロバーツ首席公使(在日オーストラリア大使館の首席公使)に会った際に「再確認」しているぞ。
よく読め↓
https://twitter.com/mizuho_ishin/status/1744614404895965334
梅村みずほ 【STOP!児童虐待】日本維新の会 参議院議員 大阪府選挙区
@mizuho_ishin
単独親権に拘る方々の中には未だ「オーストラリアは共同親権からの揺り戻しが起きている。共同親権は危険。」という方がいらっしゃるそう。
再確認しましたが、オーストラリアは単独親権制度への転換など全くお考えではありません。
子どもの権利を第一に考える同国の姿勢を参考に今年こそ民法改正へ。
@AusAmbJPN
ピーター・ロバーツ首席公使が、日本維新の会が主催する共同親権に関する勉強会に出席し、家族法の改正について有益な意見交換をしました。
@osaka_ishin
サッカー界では去年の夏から欧州リーグからサウジアラビアリーグに移籍するビッグネームの選手が増えてきた
まだトップリーグで戦える年齢にも関わらず彼らがサウジに行った理由は、年俸がヨーロッパよりも高いから
そんで久保がサウジから年俸20億だかのオファーを断ったみたいな話があった時には
「まだ若いんだからスペインでプレーする方がいいに決まっている。断って正解」
こんなコメントばかりだったわけ
これに関しては賛成だけど、仮に移籍していたら見損なっただの代表に呼ぶなだのといった中傷で溢れてたであろうことは予想できる
大谷に関しても、彼が水原から金を盗まれていた口座に一切タッチしていないとの報道が出るや否や
日本のエリート層が結婚すると、最初パワーカップルでお互いキャリア積むんだけど、なんやかんやあってしばらくしてから、貯蓄もできたし、 よし子供産むかって重い腰あげて、ゴムを外し、勃起不全とセックスレスと戦い、産婦人科に通い、高齢出産ギリギリでようやく第一子を授かるこの感じ、極めて不健康で良くないよね。男女教育と性教育の賜物なんだろうけどね。性行為を目的でなく手段化してる時点で不自然だよ。
人間にはちゃんと本能が備わってるんだからさあ、もっと、あっデキちゃった、くらいでないと。年齢いってから出産すると、親の援助もうけられないし、それどころか面倒みつつの子育てになるからね。若いうちに産めばなんとかなるのよ。
子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。
子どもたち「絵、うま!どうして?」
親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」
子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。
こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。
ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。
最近はオタク文化が根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく)
というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…?
ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。
*
初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。
想像が目に見えるという楽しさで描いていた気がする。
しかし当時は
みたいな時代だった。それか自分の学校の治安が悪かったのかもしれん。
「うえ~wこいつ絵なんて描いてるぜ~wキッショ!」
である。
移動教室でちょっと自分の席を離れていたら、しまっていた自由帳を黒板に張り出されているし。
色鉛筆や道具箱消えているし。
女キャラを描いていたら
「おっぱい描いてるwきっも~~~www」
だ。
しばらくして図工教室に籠もるようになった。
担任も「絵なんて描いてないで外で遊ぼう!」しか言わんかったし。
その中でも絵を描く同士で集まって、出始めたころの初音ミクの衣装を考えてみたり、好みのイラスト本を共有し合っていたりした。奪われて晒されて怒られたこともあったけど。
同士がいることは本当に心強かったな。
絵がとんでもなく上手い奴がいたのだ。
マジで上手い。
な…なんだ…これ…背景?!…ぽ、ポージング?!横顔?!うま?!なんで?!
自分の絵なんて赤子どころではない。猿がかいた…いや猿の方がもっと上手い。
下手すぎる。なんだよ横顔をかけないからって逃げるなんて。
しかも鈴木は堂々と絵を描いていた。小学校時代に怯えながら描いていた自分とは違う。
「増田、どうしてそんなキャラをたくさん生み出せるの?!え、漫画も描いてる?!すごい!」
いいやつすぎる…なんだこいつ…。
私立だったからしらんけど、絵描きをいじめるやつはいなかった。
そして鈴木を中心にどんどん上手い奴が集まってくる。
「うまくならなきゃ!!!みんなに失礼のないように!」
鈴木がコミケに遊びに行こうと誘ってくれて、デジタルというのを知り親に頼んでみる。
「パソコンで絵が描けるみたいだけど、何か知ってる?」と父親に相談した。
父親は電化製品が大好きで、PCを自作するタイプの人間だった。
父親はペンタブという存在を知っていた。イラストソフトっていうのも知っていた。
「一緒に買いに行こう」と初めて秋葉原に遊びに行った。
すげぇ…あんなに迫害されていたオタクという文化が街に存在している…。
逆に渋くてかっこいいのもある!
ペンタブというものがあり、デジタルだとあんな絵が描けるというのも知った。
レイヤー?バケツ?解像度?ペンの種類多すぎじゃね?色どうやって作るの?絵の具とは違う?
でも毎日触っていた。機能がわからなくてもペンを動かすのは同じだったから。
このくらいからまわりが「アニメ絵やポップな絵が欲しいなら増田に頼む」という認識になった。
鈴木が「めっちゃ絵上手になれた。増田のおかげ」と言ってくれたこともあった。
自分にとって、鈴木は目指すところだし、憧れて悔しいところもいっぱいある。
でも一緒に上手くなっていくのが楽しかった。ライバルってこんな感じかもしれん。
鈴木にもようやく追いつけたぞ!と思った。
Twitterが盛り上がり時期で、このあたりでネットにも投稿し始めた。
ネット上にはもっともっと上手い人がいる。激うま。みんなプロじゃないのか?
でも自分の中では「自分はまだ高校だし」と思って、いつも通り適当に絵を描いていた。
大学受験が疎かになってペンタブを没収されるくらいに絵を描いていた。勉強しろって話だ。
変わらず授業中に絵は描くし、風邪ひいていても絵が描きたくて起きたり、兎にも角にも絵が描きたい!!!!!!!!!!という中高時代だった。
そう、これがやばい。
第二の衝撃。
みんな………………絵が………………うますぎる。
え?みんな先月まで高校生だよね?
え?え?
鈴木の絵は上手いと思っていた。まじでリアルの周りで頂点だと思っていた。全然だった。
鈴木の5000000000000000倍上手い奴らしかいない。(鈴木も十分上手い)
(ネット上だとプロとかもいるしと、なぜかフィルターをかけて「しょうがないよね」ってなってた。たぶんネットだから実感がなかったんだと思う)
比較して鈴木が下手の分類になると、必然的に追いつけたくらいの自分はもっと下手になる。
改めて自分の絵を見る。
へっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっただな!!!!!!!
クソみたいに下手な絵だな?!?!?!これで投稿していたんか!!!
みんななんで上手いんだ?!デッサンしたほうが良いのか?!
でも、デッサンをやっていない人ばかりだし、それでも絵が上手いってなんでだ?!
息をするように神うま激うま絵が出てくる!!
困惑しつつも、成人して鈴木と一緒にコミティアに出た。イラストと漫画。
計5部くらい売れた。終わり。
ようやく現実を突きつけられた。
「自分はうまくないんだ…」
鈴木は楽しそうだった。上手い・下手だけで生きていない聖人だったから。
「もっとうまくなりたい」とぼやいたら「向上心の塊か?なろう!もっと高みに行こう!」と言ってくれた。
何をすれば絵がうまくなるんだろうと悩んだ。
ペンを動かしても「違うよな…」となった。
塗り方を変えてみたりした。
たくさんのメイキングを見たり、ペンには何があるか、生物の構造は何があるかちゃんと勉強した。
なんとなく模写していたら上手くなっていたし、ちょっと意識すれば上手くなったからだ。
でも限界があった。
嘘みたいに絵を描く気力が落ちていった。
だって自分より上手い人なんてごまんといる。比べ始めてしまった。
絵を描いて…何がしたいんだろう。仕事にしたいわけじゃない。
どんなにインプットしても思い通りに描けない。アウトプットがうまくいかない。
授業中に絵を描くのは大学生になっても続いていたが、なんか満たされない。
片道2時間半の通学も車窓の景色を見つめてぼーっとしてしまう。
周りの真似や、メイキングをあさっても、なんかピンとこない。
「十分上手い」と言われても自分では納得できなかった。
つか、上手いってなんだ?何をもって上手いなんだ?
人体通りに描けていれば上手いのか?
でもそうじゃない人もいる。
崩しが上手い人、デフォルメが上手い人、モンスターが上手い人…。
ここで初めて「絵が上手い≠綺麗に人体が描ける」と思った。
絵が上手くなりたい。でも明確なゴールって?
鈴木を超えたら終わり?
楽しければいいと思っていたが、うまくなればもっともっと楽しい。
でも上手いってなんだろう?
『芸術は人の感情を動かすことができる。自己完結ではなく、第三者に影響を及ぼせる。
技術も科学も芸術も一人で終わってはいけない。第三者に影響させてこそ輝く。
社会貢献という形で自己の確立にもなるんだ。すでに君たちは与える側に立っているんだ』
その世界が伝わるから絵を見ることは楽しいし、すごいってなる。感動する。
絵を描き続けるだけが楽しいと思っていたが、元はそうじゃないって気が付いた。
想像を形にして、自分にそれが伝わるから楽しい。絵で感動しているからだ。
なら第三者に伝えられることができればもっと楽しいのでは?!感動させたら?!
せっかく芸術系の大学に入れたんだ!しかも他の学科も受けれる大学だ!
他のジャンルの授業を受けてもっともっといろんなものを見よう!
そこから自分が手にしたい絵柄、表現にたどり着こう!第三者に伝えられるように!
それでこそ自分の想像が完成する!自分の勘違いで終わらせない!
という結論になった。
流行りやあこがれで選んでいた絵柄は自分では表現しきれないと諦め、アニメ・ギャル塗りを極めようと絞った。
そして、好きなものは何だろう。自分が良く描くものは?と徹底的に自分が100%実力が出せるように調べた。
大変だった。
初めて絵を描いて「違う!!」「こんなの下手すぎる」となった。
漫画を描いてもストーリーはまた別の技術。これまた自己嫌悪になった。
何を描いても必ず楽しいにはならなかった。
「ゴミみたいな作品生みやがって…」と自分にキれることも増えた。
何作も描き終えては「ゴミだな…」となり、試しに小説を書いたりもした。
「くそみたいな話だな…微塵も面白くねぇ…」と二度と読み返さないのも増えた。
ふと、気が付いたらなんか想像していた通りの絵が描けた。
急にだった。どうした?
徐々に上手くなったのかもしれないが、突然意識して「あれ?上手くね?」となった。
無我夢中だったのか?
SNSでも反応が増え始めた。
完売した。50部
え…?
え……?
た、たどり着いたってこと?!
人生で積み重なって山になった自信がようやく噴火した瞬間だった。
つか作るのたのしぃ~~~!!
思った通りに!意のままに!絵が描ける!描けている!自分の勘違いじゃない!
賞をいただけて、意図が伝わっている!
伝わっているってこんなにも楽しいなんて!
20何年。ようやく堂々と絵が上手いと言え、それにうなずいてくれる第三者がいる。
なんとなく絵が上手いよねくらいじゃない、絵が上手い人にへと!
*
「「ずるい」は、自分に有利にするために、汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま。」ってgoo辞書にある。
どう見たってずるじゃねぇだろうがい!!!と叫びつつ、これをどうにか圧縮して投げつけたい。
「絵が上手いね。どうして?」と言われたら
「ずっと描いていたからね」と回答する。
とりあえずの最適解なんだよな。
でも、これを3年くらいでやってのける人間もいるしな~。世界は広いよな。
自分の絵は上手いと思うが、でもやっぱり去年の絵をみて「まだまだ」と思う。
だからおおっぴらに自慢できないけどさ、ここに残しておいてもいいよな。
AI絵とかできて自分の絵は不必要になるかもだが、それでも描いていたい。楽しいんだもん。
ちょっとでも誰かがすごいって感情が動いて、感動してくれれば、自分がこの現実に生きているって思えて嬉しい。
考えればこの親もずるいっていう感情が生まれている。嬉しいことかもしれない。
<余談>
鈴木のことは超えられない。というか超えるっていうの止めた。
鈴木も当然とんでもなく絵が上手くなっていて、すごいことになっている。
絵のジャンルは違うけど、いまだに嫉妬しつつ憧れているし、お互いの絵を褒め合って羨ましがって「いいだろ~」「お前上手いな!」と言い合っている。
私のやうに諦めよく、楽天的な人間といふものは、凡そタノモシサといふものが微塵もないので、たよりないこと夥しく、
つまり私は祖国と共にアッサリと亡びることを覚悟したが、死ぬまでは酒でも飲んで碁を打つてゐる考へなので、
祖国の急に馳せつけるなどゝいふ心掛けは全くなかつた。
その代り、共に亡びることも憎んでをらず、第一、てんで戦争を呪つてゐなかつた。
呪ふどころか、生れて以来始めての壮大な見世物のつもりで、まつたく見とれて、面白がつてゐたのであつた。
私が最も怖れてゐたのは兵隊にとられることであつたが、それは戦場へでるとか死ぬといふことではなくて、
物の道理を知らない小僧みたいな将校に命令されたり、ブン殴られるといふことだけを大いに呪つてゐたのである。
ぐうたら戦記 坂口安吾
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42917_25521.html
個人相手の場合だと「自分が悪いかどうか」はマジで関係がなくて相手との健全な関係を続けたいという意思表示で謝ることあるよね?
もちろん悪い部分がないとも思ってなくて、悪い部分については本当に謝りたいと思ってる。
ただ「悪いと思ってるか」とか「どっちが悪いか」とかにフォーカスしたいわけじゃなくて、そろそろ和平調停を経て平時に戻りませんか?と言いたいだけなの。
これ以上相手との喧嘩を望んでないから仲直りの第一歩として謝る姿勢を見せてるのに、「本当は悪いと思ってなくて謝れば済むと思ってる」とか言って喧嘩継続の姿勢で返してくるの傷つく。
傷つくから何だとか傷付いたら被害者だとか言いたいわけじゃいない。「仲直りしたいんですけどどうですか?」ってこと。わかる?
というのが特徴でそのバランスが凄く良かった
当時は「完全にフィクション」か「現実的なドラマ」のどちらかに偏りがちだったけれど
YAIBAも最初は剣道漫画っぽさがあったけどフィクションを混ぜてきて
龍神剣復活に向けて日本の各地を巡るとか信長御前試合とかそういう要素が良かった
4番サードもまさしくコレ
それを受けてからのコナン連載開始で、第一話を読むと途中までは
「やっぱりそうでなくっちゃ!」
という感じでウケたのが始まり
なので最近のコナン映画でも「そんなわけねーだろ」っていうフィクションシーンがあるけど
怪盗キッド初登場も「怪盗1412号」とかいうわけわからん名前で
「なんだよキッド出せよ」
見せ方が上手いんだよね
第一条 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
② この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。
どうもこんにちは!
じいちゃんばあちゃん若返る の第一話を見て、どうしても突っ込みたいところを突っ込むので気が向いた人だけ読んでくれ。
漫画の方は今後買う予定だけど今月クレカの支払いがヤバいので来月以降の予定。
ちなみにこれは「こう書かなきゃ行けない」という話では無く、興味を持ってくれた人により深く楽しんでもらうための解説であるからして、そのつもりでひとつよろしく。
りんごは高木にあたるので、そのままにしておくと凄く大木になってしまう。すると作業性が著しく悪くなる。剪定、収穫、防除が難しくなる。
また、日の光が均等にかからないとまずいので、背が高くならないように、また横に向かって伸ばすように育てる。
そのため、上から見ると、枝が放射状に横に向かってにょろにょろと手を出すように広がっていく。
ただし、こうするとりんごの実がることによって枝が折れたりする。それを木の棒で支えている。これも作中で描かれているね。
じいさんばあさんが昔植えたという、そして黄金りんごを実らせた木がこれにあたる。古木に多い。
一方で、作中には、並木状になっているりんごの木があったと思う。これを「矮化栽培」という育て方だ。
先ほど言ったように、りんごというのはそのまま置いておくと大木になる。またコントロールが難しい。そこで、わざと大きくならないりんごの木を作って、それを高密度に植える育て方、それが矮化栽培だ。
りんごに限らず果樹は基本接ぎ木苗である。根っこの部分には生命力と根が強い木を台木にし、更にその上に目的の木を接ぎ木する。通常はそれだけなのだが、そのままでは大木になる。
そこで、根っこの台木の上に、一度矮台という大きくならない木を間に挟んで、更にその上に目的の品種を継いだ特殊な苗を使う。これを矮化栽培という。これによって木が大きくならずに育てる事ができる。
のだが、しかしこの矮化栽培も、だんだんと木が大きくなってきて、旧来型の丸木栽培に近くなっていく。こうして、並木のように並んでいる大きなりんごの木ができる。
じいさんばあさんは戦中派なので、最低でも90歳オーバーであることを考えると、ちょうどこの矮化栽培の普及時期に開拓をしていると思われる。
若返ったので、今後、じいさんばあさんは改植を進めていくものと思われる。
大きくなった矮化栽培は、矮化栽培のメリットがほぼ無くなる上に、丸木栽培よりも高密度なので丸木栽培のメリットも無い。と言う事で、通常は一定より大きくなったら切り倒してしまって、新しい苗を植える。この時に最新の品種を取り入れたりする。これを改植と言って、果樹農家は基本的に絶えず行っていく。
のだが、改植すると当然一時的に収入が減る。また高齢になってくるとなかなか未来の事を考えて行動するということができにくくなってきて、改植が進まない。
そこで、じいさんばあさんは大きくなった矮化の木を残していた(矮化栽培は枝を支える手を使うレベルまで育てるのは育てすぎ)と思われる。
が、若返ったので、この後は矮化栽培を進めていくと思われる。
さて、今の時代は、更に進んだ栽培方法がある。じいさんばあさんは、日本でりんご栽培が本格化するところ、その近代化を担ってきた世代である。当時最先端の技術を使ったベンチャー企業みたいなものだ。そう言う精神を持っている2人なので、今後は新しいことを入れていくと思われる。例えば以下の様な栽培方法がある
まず、OP 果樹農家が使うのは三脚なのだが、これが脚立になっているのは、おそらく参考になる品物が近くになかったからかな。
基本的に果樹農家が使うのは三脚である。足が多い方が安定するように思うかもしれないが、三脚の場合は3本目の足の位置を調整することで下が安定していない坂などでも安全に安定させる事ができると言う特徴がある。これが脚立の3本足だと、一本が浮いてしまうのだ。
日本では、伝統的に平坦な場所はコメまたは麦を育てる場所として使われる。そのため、果樹園は傾斜地にある事が多いのである。
りんごの栽培が本格化したのはここ150年ほどで、更に言うと戦後である。戦争から引き上げてきた人々が、食っていくために開拓をした土地にりんごを植えた所から本格化している。
日本の農業は米を重視していて、それに適した所はほぼ開拓されていた。その残りと言うのは、傾斜地で水がなかったりとするところである。そこを開拓した所だ。
じいさんばあさんは戦中に生まれ、若い時期を戦後の混乱期を過ごした人たちなので、恐らく先祖伝来の土地よりも、自分たちで開拓した土地の方が多いと思われる。
ただ、聞くところによると、2人とも元々地元の豪農の生まれらしいので、そういう点ではあるのかもしれない。
全国から考えると比較的収益性が高く後継者も多い優良な事例が多い。また、じいさんばあさんは最低でも90歳と考えると、恐らく息子さんは定年直前ぐらいではにだろうか。
一緒に暮らそう、と言うよりも、どちらかというと定年帰農を考える話になっていくのが現実によくある話だと思う。
そうすると話が複雑になってしまうので、省略されたのだと思う。
つまりここの円高で発狂してるはてなーたちは「まさに0か1かの脳みそツルンツルン思考のこれ以上ない実例」なのか・・・
https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5630421.html
gam_gam_gam | 超円高放置と尖閣諸島、でも悪夢で言えば今の方がだいぶ悪夢 | hedgehogx,ysync |
sekreto | 円高放置が一番ダメ。野田さんの増税は、世間では受けないと思うが評価している。/追記、埋蔵金もやな。 | yymasuda |
roja123 | 円高放置で中国とかに工場建てて技術奪われて製造業の競争力奪われた事のとんでもなさだろ( ・ω・)レキシテキアクムダロ | oyagee1120,soitan,kast |
mkotatsu | 円高株安放置、外交の酷さ(https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2013/02/201301_115.pdf)結果アレでも「外交の安倍」とまで言われるほどに。お友達大好きな現政権下はお偉方にとっては天国だろうけど庶民は悪夢の色が変わっただけ | yP0hKHY1zj,daigan,kast |
sainokami | ガソリン値下げ隊・円高放置・経済音痴 | |
yymasuda | 円高株安の放置 あとはポピュリズム政策で釣っといてそうでしたっけうふふとかその場しのぎのトラストミーとかね 経済も防衛もぼろぼろに 投資に金が回ってる今のほうがまだまし。これはリーマンショックの性だが | nippondanji,suisuin,taruhachi,hgs_n |
workingasadog-kt | 強烈な円高と東日本大地震で、平成不況に耐え続けた日本の電機電子業界が世界のトップから完全に落ちた。後から見れば、日本の競争力がガクンと落ちた契機だと思う。 | mkotatsu,yymasuda,yymasuda,yymasuda,oyagee1120,oyagee1120,neonlight_il,Mods13 |
wataken44 | 当時電機業界にいたんすけど、円高放置で国内産業がぼろぼろになって派遣切りや社員切りが行われたんすよ。切られたのは民主党の支持基盤の電機業界の労働者だったんすよ。今でも意味わかんなくて草。 | yymasuda,mutwma |
going_zero | 円高放置などのデフレ政策は犯罪的。政策一つで猛烈な円安にできることは安倍政権が証明した。 | yymasuda,yymasuda,yymasuda,spin8823,spin8823,mkotatsu,oyagee1120,snaflot,hgs_n |
lady_joker | 円高の放置。鳩山さんによる沖縄問題の再燃。菅さんと野田さんが震災直後に公約にない消費税増税に突っ走ったこと。閣僚の問題発言連発。党内の足の引っ張り合い。 | MASMAT,d346prt,metamix,t-murachi,spin8823,spin8823,spin8823,satomi_hanten,Shin-Fedor,urananakyu,shxxx,hgs_n,brain-box,qrucifix |
YukeSkywalker | 円高放置とか? | MASMAT |
the_sun_also_rises | 超円高が本当に困った。これでビジネスが立ち行かなくなった。稼がねば食えないが民主党政権は稼げない環境を作った。安倍政権もぐだぐだだがコロナ以前は十分稼げたよ。災害は政権のせいではないが経済は政権の実力 | MASMAT,gesyo,metamix,spin8823,spin8823,oyagee1120,snaflot,y-wood,vndn,h1roto,yamigome,sichimin,hgs_n |
Gka | 円高放置による産業空洞化、公共事業削減の緊縮財政…常識的にどれもリーマンショック後の不況時にとる政策ではない。コロナ禍に伴う世界的不況が迫る中、無意識に民主党の系譜に強い拒絶反応がでるほどのトラウマ。 | envygreedlust,MASMAT,yuru_harukaze,yymasuda,yymasuda,yymasuda,spin8823,spin8823,oyagee1120,neonlight_il,h1roto |
wildhog | 日銀総裁を白川さんにしたせいで円高デフレになったことかな。他は今の腐敗した政権より全然良かった。誠実に頑張ってた。 | t-murachi |
KoshianX | まあいろいろあったけど円高を放置してたのが一番かなあ……。あれで工場がどんどん海外流出して「日本にはもはや玉ねぎを切る仕事もない」というコピペがあったり…… | yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,oyagee1120,neonlight_il,yamigome |
lli | 初っ端から藤井財務大臣のトンチンカンな円高容認発言に頭抱えたわ | gesyo,sm4100,yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,oyagee1120,medihen |
t-oblate | 円高放置と緊縮路線じゃない?ここさえ反省してくれればもう一回、という気持ちもあるのだけれど…。とはいえ個人的には検察庁法のやつでまた「自民以外ならどこでも良い」フェーズに入っ | |
envygreedlust | 円高放置が一番悪影響が大きい 日本のモノは全て割高になり、モノには労働力も含むからちょうど求職・第二新卒年代だった団塊ジュニアが職を失うことに 「日本人に職を与えるより中韓生産の方が良い」を後押しした | tomoP,yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,yymasuda,oyagee1120,neonlight_il |
oyagee1120 | 「コンクリートから人へ」からの建設業焼け野原、麻生並に高齢な財務相&日銀総裁の円高放置で製造業焼け野原&株価ボロボロ、この2点だけだがあまりに致命的な2点/現政権のコロナ対応と民主党の円高対応がそっくり | contrapunct,ysync |
natu3kan | 円高のおかげでPCなどの輸入品と海外旅行は安かったくらいしかいい所ないよな。最後っ屁で消費税を8%にしていくし。雇用ではアベノミクスの第一の矢と偶然重なった世界的好景気のおかげで民主党より遥かにマシだった | Shin-Fedor,ysync |
nack1024 | 円高放置の一点のみ | oyagee1120,t-oblate,togusa5 |
kuzumimizuku | その前の自民党政権時代からの流れもあったとはいえ、株安、円高を放置して、必要だったはずのものを「無駄」扱いして排除したこと。当時悪影響を受けてない人、今、悪影響を受けてない人と同じくらい少ないと思う。 | augsUK,Werewolf |
Yagokoro | 円高放置、公共事業削減、原発停止でしょ。 | hurafula,oyagee1120,tomoP,ss56235,MASMAT,spin8823,spin8823,spin8823,spin8823,neonlight_il,neonlight_il,ysync |
snowboard_fan | なぜか韓国ドラマが流行って、テレビ局が韓国を持ち上げまくって韓流ブームが再来した。そのあと円高になって日本の製造業が大ダメージを受けた。あと、新キャラみたいな大臣がいっぱい出てきた | tomoP,ss56235,MASMAT,sichimin |
dc42jk | 鳩山由紀夫と円高放置。その他は自民党政権と比べてたいした違いはないだろうと思っている。 | hagakuress,flytales |
・結婚できる気はしない
・まともになりたいなー
35歳
【活動の進行】
3月半ばより開始
申込みして受けてもらえる率は全体平均とまあ同じくらい 2ヶ月分の申し込み22件フルで使って、4件受理
申込みは、先月は入会ボーナスで8件 今月は3件
最近日程調整をしていて、この三週間で合計12人に会う予定 そしてこの週末の3日で5人にお会いした
ネットの婚活ブログのようなヤバい人が来るのかな〜と思っていたら5人とも普通の男性だった
容姿面では多少劣るところがあるかもしれないけど、コミュニケーションや態度は本当に普通の人たちだった
一問一答尋問の人とか全然いない どの人も気さくで会話自体はしやすい
会話は一応弾んだが、向こうが話しを合わせてくれてる感じがあった
1回目の面接では4人に振られた
一人だけ2回目に進めたが、この人は多分誰でも一回目はオッケーしてそうな感じだった 2回目で振られるやろな
会話がだめなんだろうな キモさが出るのだと思う
他に若くてきれいな候補者がいるのでお断りした とかなら救われるのだけど、他に候補がいなかったとしても私の人格でお断りされてる気がする 苦しいなー
同じ条件の人と並べても異常で、劣っているとはねられるつらさ 就活を思い出す
就活のときは自分の条件がかなり良かったから、中身を見て落とされる自分のことがもっと惨めだった
結果的には独身を貫くことになると思っているが、自分に結婚は無理でそれ以外選べる道がなかったのだと言い張れるように、100人と見合いをすることを目標する
100人という数字は、就活でも苦労して100社受けた末に受かった会社でそこそこに働けているところから来ている
とりあえず婚活も同じようにやってみるつもりでいる
とりあえずアクティブに動きまくるつもりだが、婚活をやった末に何があるのか考えてしまう
とりあえず老後の面倒を見てくれる子孫を残すためには今動かなければまずいよな〜っていう危機感でやってるが、人と暮らしたくはないし子育てと仕事の両立もきっついだろ!って思ってる 年齢的に子供が産めるかそもわからんが
ぶっちゃけると結婚したくはない でもそれはみんなそうだと思う
はてなでも結婚は老後のため仕方なくにした 独身は計画性のないバカ!がまんしろ!という記事をよく見かける(オタク女子の自分語りに多い気がする)
やりたくないことでもやらないと、評価されず社会から弾かれる とても怖い
こういう思考自体がだめなんだろうが、根幹の思想を変えるのは難しい なので行動から変えてゆくのだ!と婚活をしたり、他にも集まりに参加したりしてはいるが‥ 生来のキモさとコミュニケーションのまずさに加えて、こういう思想も透けてでちゃってるとは思う
結婚できる気がしない
結婚できてしまったとして、その結果不幸な家庭を築いてしまいそうで怖い
結婚できなくてもできても怖い
まともになる道がなくてどん詰まり感がある
まあ結婚するしないはおいておいて、どんな人生を送るにしても良い第一印象を与え、また会いたいと思わせる技術はあったほうが良い人生をおくれるはずだ
思想を切り離し、印象の良い人間となるべくトライアンドエラーを繰り返すしかない
見合い数10人超えたところでまた経過を書こうと思う
良い変化があればいいが