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2019-04-10

日本人宗教とか信じてる奴ってきもいよね」

外国人日本仏教は後期密教が入っていない点に加え、海を隔てているという地理的な条件により周辺国からの影響が少なくチベット仏教と並んで特異な仏教文化を育んでいる」

日本人「俺たちの国すげーだろ?俺たちの文化ってすげーんだわ」

日本人歌舞伎とか能とか見たことねーし」

外国人Oh! Kabuki is great!!」

日本人「だろ?歌舞伎とか超しぶいよな」

日本人日本文化ってすげーかっこいいよなー!」

外国人あなた日本文化のなにに興味がありますか?」

日本人「えーっと、んー、仏教とか?神道とか?あと歌舞伎とか?(どれも知らんけど」

外国人神道って何ですか?」

日本人日本の伝統的な宗教です!雅楽とか神道ベース日本で育まれた素晴らしい音楽もあるのです!キリっ」

外国人「迦陵頻伽などの演目仏教由来ではありませんか?色の配置など極めて仏教的な要素が強い上に、神という概念仏教とともに中国から渡ってきたという日本人論文があります

日本人「」

日本人サムライジャパン!!サムライかっこいい!」

外国人鎌倉時代のような実力主義から儒教が中心に据えられて権力者には歯向かわない牙を抜かれた犬がかっこいい?儒教年功序列は捨てた方がいいですね」

日本人儒教なにそれ?」

日本人ってなんだろな。

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2019-02-12

だいもん、生きてて欲しい

東宝ファントム千秋楽ライブビューイングで見てきた。

去年の1月雪組の望海さんと真彩さんのお披露目公演を、東宝で見てから

お二人の、特に望海さんが大好きになってしまった。

地方在住もあって、劇場に足を運ぶこともあまり出来ない。

だけど、このファントムだけはライブビューイングで見よう!そう決めていた。

公演中はもちろん大号泣だし、終演後はもぬけの殻になってしまうほど感動した。

望海風斗さんと娘役の真彩希帆さんの歌唱力がまさに圧巻だった。

二人がデュエットしてるだけで、私は涙が溢れてしまったよ。


でもさ‥

あぁ、また、だいもん 死んじゃった‥

望海さんがトップになってから作品

ことごとく、主人公が周りからまれ

最後は苦しみながら、でもヒロインの愛に包まれ、死んでいくものばかりのような気がする。

(といってもまだ二作品だけだけど)

そして次回の大劇場公演の演目は、壬生義士伝‥。

原作通りの結末ならまた死んじゃう‥。

望海さんの苦しそうなお芝居を見るたびに、お願いだから生きて幸せラストが待っている演目にして欲しい。

と、知識の浅い私は思うのでした。

2019-01-29

なんでもないこと

佐藤流◯さんのファンを辞めることにした。

一部で話題になってる、大阪ライブでのレポをみて踏ん切りがついた。断捨離みたいなものだ。

思えば、一年前くらいから辞めるタイミングを伺っていたのかもしれない。ただ黙って辞めるのもこの数年間の自分可哀想なので文章にしてみる。人に読ませるというか、自分のために書く。

多分、私にとって最初最後推しだと思う。もともと、舞台に興味があった人種ではないから。私は、上京してテニミュ観劇する機会がなければ出会うことのない世界だった。ただ、舞台上に立っているだけであのキャラクターが生きている。観劇経験がない私にとっては衝撃的だった。自分が1番好きなキャラクターをこんなにも巧みに演じてくれる役者がいるのか、とその巡り合わせに感謝すらした。勝手に恩義を感じて、その後の仕事も追いかけ始めた。といっても、舞台だったら複数回入るだけ、イベントも1回参加できれば良しとしている側から見れば緩いオタクだった。けれど、少ない給料から家賃生活費を出した残りからだけだが、彼にお金を使えるということが嬉しかった。何度も同じ演目を観ても、違う表情を見せてくれた。観劇って、好きな役者ががいるって、こんなにも楽しいものなのかと幸せだった。

低くて通る独特の声を客席から聴くとワクワクした。

日々、アプローチを変えるお芝居への探究が、舞台生物体現していていつまでも観ていたかった。

どこか煙に巻くようなカーテンコール挨拶をしつつも、周囲の人々への感謝を忘れない姿勢がなんだか誇らしかった。

友人が、誰も名前を知らなくても堂々とこの役者が好きだと言えた。

でも、もう応援する気が失せてしまった。この人をみていたいという気持ちよりも、チケット当たったし、行かなきゃなという義務感が強くなってきた。

元々やりたがっていた音楽活動をやり始めたからなのか、刀のミュージカルソロライブをやり始めたからなのか、彼のSNS存在意義が分からなくなったからなのか、彼より年下の役者発言の方がしっかりしているのがだんだん目につくようになったからなのか、どれがキッカケか分からないけれど、少しずつ蓄積されていったんだと思う。

しまいには、有名な人と共演する機会を得た舞台を観ても、自分のなかの蟠りのせいで余り楽しめなかった。

私みたいなのは彼の想定するお客ではなくなってしまったんだろう。悲しいが、彼にとっては数多くいるファンが1人消えるだけでなんでもないことだ。

今回のレポを受けて、すぐに事務所ファンクラブを解約した。

2月ライブチケット譲渡に出した。3月舞台チケットも友人に譲った。

キッカケがどうであれ、初めて推しを降りるという経験をした訳なのだが、嘆き悲しむかと思いきや通常運行で日々を送っている。そもそも、ここまで3次元人間に入れ込んでいたのが24年生きてきたなかでたった数年だ。こちらのほうが異常だった。でも、そうまでして応援したいと思わせるものを彼が持っていたのも事実だ。

SNSで彼に感じてしまった不平不満を発信したことはないが、多分壊死する呪いをかけられる側のファンであったことには違いない。

キッカケはそうだとしても、彼にそこまで価値を感じなくなっていた私にとっても、彼のファンを辞めたことはなんでもないことだった。

2019-01-16

教師百姓は絞れば絞るほど出る

それがはてブの総意じゃなかったの?

教員の働き方がブラックすぎて、教育学部の倍率がヤバイことに。 - Togetter

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1309183

日本英語力は国際的に見ても壊滅的だから英検上級TOEIC高得点を持っている教師に低学年からの厚い教育を期待するんじゃなかったの?

情報理論時代遅れ知識ではなく、プログラミングの実務面にも明るい教師を求めるんじゃなかったの?

運動会で組み体操などの危険演目に走らずとも児童全員に見せ場を用意し、児童安全にも完璧配慮できる教師を求めるんじゃなかったの?

児童エスニックバックグラウンド多様性配慮して、日本語が拙い児童にも個別ケアし、場合によっては外国語しか話せない保護者の方ともコミュニケーションを取りつつ、誰もが劣等感を抱かず自分アイデンティティに誇りを持てる教室作りを目指すんじゃなかったの?

発達障害運動協調障害児童にも配慮して、誰もが自分のペースで学びを深め、体育の時間にも競技安易やらせて終わり、ではなく運動が本当は楽しいことを伝えるべき素質が教師に求められるんじゃなかったの?

糖尿病や重度身体障害知的障害児童特別支援校や特別学級へと排除するのではなく、適切なケア提供しつつインクルーシブ教育を推進するのが今の教師なんじゃなかったの?

家庭科では子供を持たない人生もあっていいことなど多様なライフタイル存在を伝え、ジェンダー平等の追求だけでなく性的少数者児童にも寄り添い、誰もが自分の性のあり方に誇りを持てる性教育実践家としての教師、じゃなかったの?

アルビノの生徒に髪を染めさせるような人権侵害言語道断として、そもそも無意味校則子供達を縛るのではなく、自主性を尊重した上で公共心を養わせ、自分達の手で自然ルール作りを行うことのできる場を教師提供すべきなんじゃなかったの?

さくらんぼ計算や掛け算の順序、漢字の瑣末な書き順といった意味不明カリキュラムに拘泥するのではなく、生徒の多様性教育本質理解し、かつ学びが速い生徒の能力尊重してカリキュラム外の高度な代数三角関数を用いた解法を用いた算数の答案にも合格点をつけられる教師21世紀のありうべき教師像じゃなかったの?

イジメを未然に防げるよう児童同士の関係性を日々気にかけて、それでも起きてしまったら迅速な関係児童へのケアと関連公的機関との連携さら社会へのコンプライアンスを全うできない教師は失格じゃなかったの?

何、あらゆる事態対処できる有能な人材は有限だとか、私生活のことも考慮すると教師一人一人の時間は有限だとか、トレードオフ構造を今さら理解しましたみたいに、皆しおらしくなっちゃってるのよ。

2019-01-07

から書けばいいかからない

昨日、今日卒業してしまアイドルライブに行った。

今日卒業の日、記念公演も行われるがその場に私はいない。今はアパート玄関にいる。

ももち(嗣永桃子さん、Berryz工房でした)に次ぐ円満卒業卒業先のレールが見えた卒業スムーズな移行、その子卒業を前のように称す人は多々いる。

実際にそうである。華々しいのかは見る人によるだろうが、ファンの贔屓目込だろうと言われてもこんなに華々しい卒業はないと思う。

昨日は卒業匂いをさせないという意志に楽しさを纏わせて色とりどりにした塊をぎゅうぎゅう詰めにしたカプセルを弾けさせるような、楽しすぎてせつないライブだった。

新メンバーの加入やメンバー卒業・脱退を機に最近はあまりライブイベントに通うこともなく、新曲リリースエアチェックする程度だった。いわゆるヲタ卒だろう。

それでもその子推し ※以後「推し」と書く のことは大好きで気がかりで(心配する余地がないくらいに幸せそうでもある、心配すべきなのは自分の将来なのだが)ブログをよんだりラジオをきいたりしていた。

話は戻るが、卒業の発表は突然だった。来るか来るかと〇〇推し ※ファン がソワソワする機会は何回もあった(結婚も)ため、こんなことを言ったら〇〇推し失格だと言われてもおかしくないと思う。なんだか笑えてくる。

その後ポップアップストアに行き、ひたすら眺めて、寄せ書きを書き、写真を撮り、自撮りを友人に送った。少ない小遣いをかき集めて親を説得しライブに行ったり、Twitterでできたコミュニティ友達と話したりしたのが懐かしかった。おすすめCD欄を見ると、推しきっかけで知ったいろいろな趣味を思い出しいつもいつもきっかけを作ってくれていたんだなと感じた。

どこにでもあるハート型のダイカットのふせん、あんなに小さい紙切れにすらうまく気持ちを乗せられず手が震え、3枚無駄にした。有名レコード店さんごめんなさい。後からSNSに行ったよ〜の報告があり、それに映る寄せ書きは自分が見たときより遥かにたくさんで誇らしくなった。愛されていることが嬉しい。

昨日の話に戻る。

新メンバーを嫌ってしまうと思ってライブに行けていなかったが杞憂だった。めちゃめちゃいい子。

会場は空席が見つからいくらいに埋まっていた。初めて行く会場がこの子たちのライブで本当に嬉しい。

演目はこれまでの歴史を凝縮したようだった。グループごと終わりに向かっているな、などと感じてしまったが元からタイムリミットが近いと言われてきたことを忘れていた。これだけ続いていること自体奇跡なのだろう。

これ以上書くとネタバレ感がある。

エアチェックでフルで聴くのがほぼ初めてのような曲ばかり脳内リピートしている。まだまだ続くんだね。

帰りのバスでは推しの子の本を読んだ。一緒な時間をたくさん過ごせて幸せだったなと思う。ステージからペンライトまでの距離が遠くなっても狭い会場でのライブをやろうと努力してくれるところが好きだ。わけのわからないダンスも歌も大好きだ。隣にいたカップル子供も口上を歌う空間が優しい。あなた美学あなた達の美学がかっこよくて好きだ。

悩み悶えるあの頃の私にたくさんの面白いものを教えてくれてありがとう。たくさんのきっかけを作ってくれてありがとう。その時の悩みを笑い飛ばせるようになった私には新しく辛いことが生まれ生きることが辛いけれど生きています。今までなんとかやってこれたのは本当に本当にあなたあなた達のおかげです。

感謝は尽きないけれど、笑って見送ることができない自分を不甲斐なく思う。アイドル必要なくなるくらい幸せになってほしいと言うけれど、まだまだ私には必要だ。

私の家はスカパーがつながらない。

行けるホテルにはすべて電話したが、見れないらしい。

カーソルの上に来るバーの色。

明日から人生が辛くて怖くて仕方がない。

手紙を書こうと思うが、何から書けばいいかからない。

推しが増えたとしても、寂しいよ。

2018-12-16

anond:20181216150046

あー、マイノリティ女性)の真似をマジョリティ男性)が行う演目ということで、ミンストレルショーとか文化簒奪って言われちゃうのかな

もっともこのような時代にあっては、宝塚男組もまたFtMなどとのコンフリクト回避しえない訳だけども…

2018-11-25

浅草ストリップ全然エロくなかった件

からなんとなく気にはなっていて、先日、浅草ロック座に行ってみたのである

場所浅草演芸ホールからちょっと行ったあたり。「浅草ロードエイ」なる名前がついていて、幅は広いが車は入らないようになっている。向かいリッチモンドホテルの下層に「まるごとにっぽん」とかいう明らかにインバウンド狙いの商業施設はいっていたり、案外こぎれいな場所だ。道路もふくめて近年だいぶ整備されたんだろうという雰囲気

ビルには大きく「ROCKZA」書いてあるがこれまたこれい入り口にはファンから出演者に贈られたらしい花が飾ってあったり、出演者顔写真が飾ってあったりするが、そんなにいかがわしい雰囲気はなく、階段を上ったところで昔ながらの映画館の窓口みたいなところでチケットを買うとすぐモギリのおっさんがいて「もうすぐ最終回はじまりますよ」と言われる。

公演は毎日午後1時から同じ演目を4回やっていて、料金は5000円(シニア女性学生カップル割あり)、入れ替えなし。ただし、2010以降に入場して4公演目だけみれば3500円。とりあえずこの割引時間帯にいったのである

狭いロビー結構な人でごった返している。

客層は推定45歳以上の小市民風なおっさんがメイン。競艇場ほど「怪しそうな人」は見当たらず、妙な酔っ払いとかもいない。普段はそれなりに真面目に仕事してそうな人も多い感じ。

サブカル好きっぽい女子二人組みとか、そこそこ若いあんちゃんとかもいないわけではない。

劇場内は、やや縦長の長方形で、ざっと120~130人くらいが座れる感じか。客席の両脇と最後部には寄りかかって立ち見するのにちょうどよさそうな手すりも完備している。

ほぼ満席だが、幸い空席をみつけて着席した。

舞台は真ん中から客席中央あたりまで花道が延びていて、花道の突端は丸い舞台になっている。

あそこで女性あんポーズやこんなポーズをとるのだな、と思っているうちに開演。

場内に朗々と、映画サウンド・オブ・ミュージック」の主題歌(The hills are alive with sound of music~ ってやつ)が朗々と流れて、一応、ジュリー・アンドリュース演じるマリア意識したんだろうな、という衣装(ただし、安っぽい)を着たお姉さんがバレエのようにくるくる回ったりしながら踊ってる。

曲が終わったので、いよいよ次は脱ぐのかと思ったら、子供役と思しきお姉さんも7人でてきて、「ドレミの歌」が始まった。

古い映画なので知らない人も多いと思うが、「ドレミの歌」というのは、厳格な軍人の家であるトラップ家に家庭教師にきたマリア子供達に音楽をおしえる、というテイの歌なのであるちゃん振り付けも、子供達にドレミを教えるっぽいミュージカルっぽい感じになっている。一応、映画オマージュ的なことなのだろう。

で、ドレミの歌が終わると、子供役のお姉さんの一人がネグリジェみたいなカッコに着替えていて、マリアに手を引かれて、花道突端の円形の舞台までつれてこられた。

BGMは、これも「サウンド・オブ・ミュージック」の曲なのかどうかは良くわからないが、なんか英語で「さあ、今夜もゆっくり休み」みたいなことを子守唄風のメロディーで歌っている。

そうこうするうちに、マリア子供を寝かしつけて舞台から引っ込んでしまった。

そして、この女の子が目覚めるテイで起き上がると、一枚一枚服を脱いでいくのである

正直、ここまでの流れにいささか関心してしまった。いや、なんか、「ちゃんとつくってる」じゃん。

正直、踊りのレベルがどうとか、そういうことは素人なので良くわからん

土屋太鳳ときおり「アタシ大学ダンスやってたんです」ってことでやってみせるモダンダンスよりはレベルが低そうに感じた。



脱ぎ始めたときBGMは、なんか「ええ歌風のJ‐Popのバラード」みたいなのだった。詳しくないので、曲名からないけど。

怪しげなトランペットサックス扇情的メロディで「ちょっとだけよ、アンタも好きねえ」という雰囲気ではない。踊りもなんというか「エロじゃなくてアートです」という感じ。もちろんストリップからあんな格好したりこんな格好したり、足を大きく開いたりもするわけだが。


あと、以前タモリ倶楽部でやっていた、職人芸的なリボンも、本当にやっていた。

これは、ボランティアファンが、絶妙タイミングリボンを投げる職人である

本当に絶妙タイミングで、観客やお姉さん方の邪魔にならない方向にリボンを投げ、するすると手元に巻き込む様は、ベテラン漁師一本釣り漁をみているようですらある。

そんなわけで関心しきりのうちに一演目が終わると、会場内にド演歌が流れ始めて、歌舞伎の「道行」みたいな、和装の二人連れが出てきた。男性役は男装した女性。一応、なんか逃げるように駆け落ちした二人、みたいな設定、らしい。

なんだか、振り付けに「ロボットダンス」みたいな動きがはいって独特な・・・と思って気がついたのだが、そうか、これ、人形浄瑠璃パロディなのか!?

・・・と、そんなこんなで、どの演目結構ちゃんと」つくっていた。

演目とも前半はなにかしらのモチーフを基にしたダンスミュージカル風な踊りをやって、後半は脱ぐ、という展開。

銀河鉄道の夜」のパロディ演目では、インカムつけたお姉さんが「そのよる、ボクはカンパネルラと」とか朗読はじめちゃうし、きゃりーぱみゅぱみゅ音楽にあわせて、おもちゃ兵隊が踊る、みたいなのがあったり。

尾崎の「アイラブユー」に合わせて、何だが不幸な恋愛をしてっぽい二人がじゃれあったり抱き合ったりしてる、という演出もあり。

つの演目10数分である


脱ぐときBGMはなぜかJ‐Popが多い。ゆず版の「見上げてごらん、夜の星を」とかミスチルとか、意外なほどに合ってたりする。これはJASRACと契約してるんだろうなあ。


公演時間は2時間強。間に10分ほど休憩時間が入る。

休憩中に、幕をスクリーンにして「本日演目紹介」が投影されていて、最初演目ちゃんと「サウンドオブミュージック」だった。先ほど「アイラブユー」にあわせてやってたのは「ロミオとジュリエット」だったらしい。なるほど。

本日最後演目は「チャップリンの独裁者」らしい。何をやるんだろうか・・・と思っていたら、これまたなんか真面目だった。

ステージにはミリタリーっぽい服をきたお姉さんが立った・・・と思ったら、どこからともなく演説が聞こえてきた。

これ、あれや、「独裁者」の最後主人公が全世界に向かってやる演説高校とき英語教科書に載ってた。自由の尊さを訴えた名文やで。

やがて、演説かぶさるようにピアノが流れてきて、お姉さんが踊っている。

はじめは何かに束縛されてるような踊り方だったのが、どんどん激しくなっているのは、多分、スピーチテーマにあわせて、支配から自由表現している・・・というのは、こっちの勝手解釈だが、でも有名な振り付け師でも出てきて「そうなんですよ」といわれれば納得してしまいそうな気がする。

最後自由への戦いに立ち上がったかのようにこぶし突き上げポーズで一旦とまり、そこから曲が変わって脱ぎだすわけだが、これもあれか、支配から自由の行き着いた先は、「洋服」という束縛からも完全に自由になるということなのか。(深読みしすぎ)



視点での感想も入れておく。

なんというか、みなさん、「売れない劇団看板女優」みたいな雰囲気。体のラインはさすがに、それなりに美しい。ただメイクばっちりで色とりどりの照明もきついので、正直年齢とかは良くわからん

あと、これはどこまで書いて良いのかよくわからないのだが、服は全部脱ぐ。で、それなりに高々と足を上げたり、のけぞったり、いろんなポーズをとる。

ちょうどかぶりつきに結構若いお兄ちゃんがいたのが、まさにかぶりつくように見ていた。

ま、ああいシチュエーションあんなふうに見るのって、なかなかないからなあ。

そりゃ、かぶりつきますで。

あれが現在日本刑法上、どういう扱いになるのかはよくわからないが、平然とやっているところをみると、「わいせつ」とは扱われてはいないのだろう。

個人的にも「わいせつ」とは思わなかったが。

なんというか、美術館で裸体画をみている感覚に近い。

その昔のストリップ劇場は、観客が舞台にあがって女性あんなこんなことができちゃう「ナマ板ショー」やら、個室で二人きりになってあんサービスを受けられる設備やらがあったり、そりゃもういろいろある風俗だったらしいが、今の浅草にそんな雰囲気はなく、観客もいたって真面目に鑑賞しているのであった。

ま、各演目の前半はとくに興味ない風な客も多そうだが。

にしてもあのネタは誰が考えているのだろう? 作家とか演出家とかいるのかな?

なんか「昔、寺山修二や唐十郎に憧れてたじいさん」とかが裏でいろいろ携わっていたりするのかもしれない。全般的ネタが古いし。

というわけで、3500円が高いとは思わなかったが、まあ、どうしてももう一度みたいというほどでもないかな。

まあ、興味の沸いた人は話の種に一度くらいみておいても損はしないと思う。

にしてもあれだ。演目とか興味深かったので思わず、軽くメモをとってしまって、だからこそこんな増田もかけているわけだが、ハタからみたら「超熱心なストリップファン」に見えてしまたかもしれないと思うと、ちと恥ずかしい。

ま、どうせ知らない人ばかりだし二度とあうこともない(多分)だろうから、いいんだけどさ。

2018-11-20

anond:20181120145937

これ。

映画館ってのは、基本的テレビが家庭に普及する前の興行。だから演目には金を払う。これが普通しかし初期のテレビ無差別配信するしかなかったので、集金システムが構築できなかった。こっちが特殊

しか特殊なほうが大きく広まってしまった。

から映画差別化を図るために「無料配信してたらコスト的にとても無理な作品を作って放映するための集金システム」になっていった。

集金システムが先であり、大画面だのは集金を可能にするための道具に過ぎない。

動画配信は、この集金システムをもろ食い物にしに来ており、元増田みたいな奴が出てくるのも当然と言える。

でも集金システムがあるおかげで大作映画が観れるところはやっぱりあるからな。

2018-11-14

俺も漫画好きっすよワンピースとか←何で嫌なのか

ワンピースは膨大な巻数が出ているし、あれを通しで読んでるなら漫画好きでいいんじゃね?と思うんだが。

例えば私が「趣味歌舞伎」って人に会ったとして「私も好きです坂東玉三郎とか」と答えたとする、嘘ではなく好きだが坂東玉三郎を数回見た程度だ。

他の歌舞伎役者のみで興味のない地味な演目なら見たくない。

歌舞伎で語れることは何もない。

でも興味のある演目好きな人なら数千円出して見に行こうかと思う程度には好きだ。

こんなので嫌がられたらめちゃくちゃ面倒だと思う。

2018-10-09

ヲタクの仕方が分からない。

中学生からおっかけになって、かれこれ15年くらい何らかのヲタクをやって生きている。ジャニーズお笑い女子アイドル…いろいろなものを追い掛けて、応援しているのが生き甲斐だった。逆を返すとそれ以外生き甲斐のない人間だ。だから自分の持ちうる時間お金も全力で注ぐのは苦痛じゃない。幸い、今まで好きになった人たちは上昇志向が強く、明確な目標があって、ファン応援必要としている人ばかりだった。はてブロtwitterなどで良さを広める、チケットを買う、CDを買う、友達を連れて行く、感想手紙を送る。奢りかもしれないけど、上昇志向の強い芸能人応援する上で、自分ヲタクのやり方が間違ってはいなかったと思う。

晩夏、新しい人を好きになった。誰かを好きになるのは理屈じゃなくて一瞬だ。それは恋愛だって、追っかけの対象だって同じなのだ

新しく好きになった人は劇団俳優さんだった。いま、私はどうやってその人の応援をすれば良いかからない。

多分、現状に満足していてこの状態が続けば良いと思っている。劇団仕事以外はほぼ仕事がない。けれど上昇志向はない。大きな劇団の中堅の俳優さんなので首になることはまずないだろう。特に自分個人へのファンは求めていない感じがする。劇団へのファンは歓迎の節だが、自分ファン、というものに対しては反応が薄い。

彼の舞台を見るのは楽しい。胸が高鳴るし、同じ演目でも何度だって見たい。

なのに、やっぱり何故か満たされない。とてもショックだ。けれど、それは満たされないことに対してではない。求められたくてヲタクをしているわけではない、と思っていたのに、私はやはりどこか求めてほしかった、ということに気付いてしまたからだ。自分のしたことを喜んでもらえる、目に見えて反応がもらえるということの甘美さに私はちっとも気付いていなかった。すごく、すごく、恥ずかしい。

書いていても何を言いたいかからないんだけど、とりあえずいま、どういう風に応援したら良いかからない。いや、ファンなんだから普通に見に行けばいいんだけど。だけど反応がないとどうしても悪い考えがよぎる。ファンレターも迷惑かもしれないし、多ステも気持ち悪いと思われてるかもしれない。逆に、じゃがいもみたいに何とも思われてないかもしれない。私は気持ちが悪いことにそのどちらも嫌なのだ。個としての認知はいらないが、ファンの塊として「いつもありがとう応援してもらえて嬉しい」とは思ってほしい。気持ちが悪いけど、どうしてもその欲を捨てられない。

友人みんなからあなたに合ってない推しだね」と言われる。私もそう思う。応援されるのが好きで、褒められるのが好きで、愛されるのが好きな人応援する方が私は幸せだと思う。でも、好きなのだ舞台の上で一瞬で分かるその声が、情けない役ほど似合う困り顔が、日替わりで繰り出す小ボケが、キメるときはキメる姿が、とにかく大好きなのだ。いつか、この気持ちも笑い話に出来るかもしれない。

でも、きっとしばらく私はヲタクの仕方が分からなくて、気持ちが欲しくて、悶々とするのだ。

2018-08-08

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.リア充は誰が作った言葉ですか。

オカマとか、腐女子を作った人と同じだ。

ああ、まなざし村は別の人だから間違えないように。

ここだけの話、私も少し前までは誰が作ったか見分けがつかなくてな。

今でも百合とか薔薇とか、右とか左とか、リベラルの種類やPCあたりは正直なところ記憶が怪しい。

たけのこが山で、きのこが里だっていうのはさすがに覚えたが。

Q.しょうもない増田記事ばかりがホッテントリになるのはなぜですか。

ブクマの多さがホッテントリに密接に関係している以上、「ブクマしている人間しょうもないから」というのが答えになってしまうな。

まあ、あくまで君の主張に則った上での回答だが。

まり、その「“しょうもない”中に君が含まれていない」というのが本質的な回答になる。

君がその“しょうもない人間に加担した覚えがあるなら自明の理だが。

今回学ぶべきは、「大局的に見れば、しょうもないモノの方が遥かに多い」ということだ。

その次元内では、しょうもないと思っていないかブクマしているかもしれないし、思っていてなおブクマしている人間だっているかもしれない。

そうして、しょうもないものホッテントリになるわけだ。

幸か不幸か、私の質問会場はしょうもなくないことが多いが。

Q.あなたがやってきた仕事で、最も理解に苦しんだ内容は何ですか。

十数分に一回くらいのペースでボタンを押すだけの仕事だ。

スープにできた膜を食べる仕事も大概だが、こっちはまだ理解できる方だからな。

Q.現代私刑行為が認められた場合、どのようなことになるでしょうか。

昔の日本でも敵討ちは認められていたから、そんな感じになるだろうな。

そういったものを題材にした演目もいくつかあるので、私刑行為ってのは古今東西需要があったわけだ。

私が知っているレベル時代劇とかでも、基本的には悪い奴らを非合法手段や、超法規的措置で成敗するものが多いしな。

はいっても演目になる程度には、理想現実が異なっていることの証左でもあるが。

多くは返り討ちに合うか、そもそも相手出会うこともないまま旅の途中で死んでいたようだ。

武家とかは仇を討たないと家督を継げないなんていう風潮もあり、嫌々やらされることも珍しくなかった。

まり何かを公に認めるということは、しがらみも多くなりやすいってことだ。

まあ、今ではそういうのを司法とかが担ってくれるから、いい時代だよな。

悪い人間自分の代わりに殺してくれるから楽だ。

anond:20180808075938

ぐだぐだ言わずにやってみればいいのに。一ファンとして言わせてもらうと、

このゲームの核になるのは、「ノイズ」という魔法生物によって掘り返された思春期女子が抱える葛藤や悩みを、

精神世界に入って「調律」していくノベル作品としての価値で、シナリオと演技の出来がすこぶる良いことに強みがある作品だ。

きちんと読み進めていけば、きっとそんな難癖思考は消えているはずだ。

しろ思いの外フィクション範囲で上手にまとめていると感心できるはずだ。

章を進めるたびに、その章の主役(調律対象)となった子を好きにならずにいられない、老若男女に勧められる作品だと思う。

楽器編成がぐちゃぐちゃなことも、部長性格と絡めてたいへんボジティブに解釈できるようにきちんと描かれている。

だいたい、エレキギター和太鼓のようなも入っているのだ。

そしてファンブックを読めば分かるが、担当楽器は固定ではなく、演目に合わせて別楽器を扱うこともあるようだ。

の子オケ編成にあわせづらくて、今回はコントラバスで…と思案するような展開もある。

呪い」のせいで散り散りになる前の器楽部の奏でる音は常識はずれで荒削りだけど、

それが人の心を奪う「魔法の音」だったのだという。そう、これは魔法少女ものでもある。

チュートリアルでいきなり終末感漂う異世界で戦っていて、北欧神話登場人物出来事も入り混じっている。

そういうファンタジーな作品でありつつ、青春部活ものでありつつ、楽器音楽モチーフに上手く物語に取り込んでいる、奇跡的なバランス作品だ。

から一面的で野暮な茶々を入れられているのをみるのは悲しい。

2018-07-27

宝塚の人事にブチのめされるファン1年生のはなし。

愚痴というか呪というか晴れることのない胸の内を整理させてほしい。

ファン1年目である

それまでも観劇していたが、演目を楽しんでいるだけで他の舞台映画趣味と変わらずに見れる時に見る。その程度だった。それが1年ちょっと前にAllforOneという公演がはじまりよくわからないまま惹きつけられ複数回見るファンになった。組ファンになりスカステに加入しぐんぐん知識を蓄えて地方ツアー複数回見た。本拠地小箱公演はチケットが取れないので行けなかったけれど、ポスター素敵だなと思った。

2月からの本公演は芝居はともかくショーが熱かった。まだ終わって数か月なのに、万が一タイムマシン発明される瞬間まで長生きしていたら預金年金ねじこんであの時間に帰りたいと思うくらいに重症ではある。

AllforOneも鳳凰伝もBADDYも、真ん中のふたりが大好きだった。

群衆芝居でも真ん中にすっと立ち、努力の跡が芸事の極みとして上塗りされて洗練されたたまきさんと

孤高の存在のようでいて、血が通って暖かく、時に激しく、あふれる涙をたまきさんにぬぐわれて笑うちゃぴさんが

書いてて泣くくらい今も大好きだ。

そのふたりを見られるのは次の公演で最後になる。

有難いことに1月からその事情は発表され、演目も発表になり、製作会見もあり、こちらが冷静になる時間は存分にあった。ただ冷静になるのと実際その時が近づくのは人間が出来てないせいもあって乖離しがちではあるが。

たぶんこのふたりだったから、ファンになったのだろうと思う。

今は組子にもたくさん好きな子がいるので、組ファンとしてトップコンビを愛せることのありがたさを漢字で書いて丸めて飲み込みたいくらいではある。有難い。そう、有難い。

難しいことなのだ。トップコンビが大好きというのは。宝塚という組織の人事と自分の好みが合致するというのは並大抵のことではないのだ。

特に路線と言われる分野にあまりひかれない自分のようなファンにとっては。

先日、次期娘役トップが発表された。

じわじわと、そうじゃないのかなと噂されていたとおり、組内からの抜擢となった。

自分が関与できることではないので、比較的冷静に受け止めつつも軽く貧血になったりもして、この件に関する大喜利を見て笑って心を落ち着かせたりしつつ、あぁでもしんどいな。というのが今も晴れない心の底の本音である

ごめん。

なんか、ごめん。

応援するとか組ファンとか自称しといて一度の人事で打ちのめされるとか100年以上続く宝塚舐めてんのか、ってなる。うん。

なので、ごめん。

トップ内定娘役さんについては

AllforOneでは、複数回見るうちに姪っ子ーズの中で面白い顔芸の子がいるなぁっていう程度でまぁ面白がって見ることもあった。

小箱公演は見てないのでわからないけど、特に気にすることもなかった。

因みにそれ以前の公演については全然把握していなかった。

もちろん新人公演というのがあることも1年前に知ったくらいなので見ていない。

2月からの本公演の芝居で、彼女の役はアイドルアスリートだった。演出の指示なんだろうが相当アホっぽくて見ているのがつらかった。なのに子供ができて引退を決意するところではじっとり重い雰囲気芝居で、あれ?二重人格???え?なんか怖い。とうっすら思った。別に見なくても芝居は進むので見ないことにした。相手役のまないくんが見れないのは非常に残念だったしなるべくかぶらないところで見るように心がけたけれどほぼ見ていなかった。他に見るべきところもあったので仕方ないと思っていた。

ショーでは、悪役チームの二大美女であった。こちらもほかに見るところがあったのであまり見なかった。ショーは本当に観客それぞれで見ている視点が違いすぎるそれもまた面白いみたいな感じだったので、気にしないようにした。だが実はちょっと気にしていた。

声は仕方ないとして、視野に入るとなんかしんどい

姪っ子のとき面白かったのに。

単品で見ると面白くてかわいかったのに。

なんかしんどい

けど、好きな人もいるしわざわざ言い立てることでもない。心に仕舞った。

梅雨時に、季節柄というか雨をモチーフにしたミュージカル公演があった。

退団を発表しているちゃぴさん(現娘トップ)は本拠地小箱で主演をされるので、たまきさんを単独で見るのははじめてになる。

(スカステや映像ではちゃぴさん以外の娘役と組んでるものもたくさん見た)

相手役が、ちょっとしんどいなと思っていた彼女だったので内心ドキドキしていた。

予想は悪い意味で的中した。

真ん中が見れなかった。

ちょっとしんどいが、めっちゃしんどい進化していた。

彼女に思いを寄せるたまきさんが信じられなかった。笑。

複数回見ても、何も変わらず、たまきさんを見れないのがしんどいな。。。ということに気づきつつも、相手役を脚立に見立ててみたりするのもしんどかった。脚立って。無機物

いつしか、次期娘トップの話になっていった。世間は。

ひたすら彼女じゃありませんようにと願った。できることならあの子がいいという対抗馬も特に掲げず、彼女じゃなければ誰でもいいと思った。

脚立再び。

別組の子でもいいし、路線じゃない子だっていい、なんだっていか彼女じゃありませんようにという非常に失礼で勝手なことを思う自分が嫌で疲れた

しんどいと思いながら見ていると、自分自身がしんどくなってくる。

だったら見なきゃいいじゃん。正論です。

でも組子の頑張りは見たい。たまきさんだってまだ応援したい。

真ん中見れないでどう応援したらいいのかわからない。

真ん中で輝く(んだろう)彼女を見て「うちのナンバーワンですよ!かわいいでしょ!」って言える日が来るのだろうか。

今んとこ難しい。

でもいつかなってるかもしれない。

その日にこのエントリーを思い出して笑えるといい。

前向きになるには一度吐き出さないとならない、面倒なファン申し訳ない。1年目だから一喜一憂の高低差についていけてないのか、いやたぶん宝塚ファンに向いてないんだよねってことはうっすら自分でも気づいている。

ファンを続けるには自衛必要

不要情報仕入れない。

内部の事情考察しない。

舞台に出ているそれが全て。

その舞台を見てムリだったらたぶん全部ムリ。

(戻っちゃった)

ショック療法でたくさん見たら慣れるかと思って

おめでとう!なツイをいろいろ見てみたけど、ニュースに使われてるおとめの写真の耳たぶが気になり過ぎてもうダメだと気付いた。

やっと気づいた。

これは生理的に受け付けないというやつだ。理由などない。

目指すは解脱。これっきゃナイ☆

2018-07-24

メタルマクベスdisc1がエンターテインメント全部詰めで楽しすぎた

先日「メタルマクベスdisc1」という演目豊洲IHIシアターで見て来たんだけど、本当にカルチャーショックだった。

演劇って聞いてたけど、遊園地みたいだった。

まず、客席が回る。何を言ってるのか分からいかもしれないけど、とにかく客席が回るのだ。

そんでもって、ステージ上に生バンドがいてライブのようにメタル演奏し続けている。音が良すぎ。

更に、演者の生歌が痺れるくらいに良い。

演技のこととか話のことはよく分からない。普通に面白かったけど。自分普段あんまりお芝居見ないから。

他にも舞台装置LEDとかキラキラしたり、バイク走り回ったり、エレベーターあったり、とにかく凄かった。

連れて行ってくれた友人の話だとあんまりチケットが捌けてないらしい。

もったいない!もったいなさすぎる!

お芝居普段見ないって人ほど行ってほしい。

4時間続くアトラクションだよ、本当。

http://l-tike.com/play/metalmacbeth_disc1/index.html

2018-07-19

おじちゃーん今期のアニメ考察して―

大場ななちゃんイメージカラーバナナ黄色茶色キリンも同じ色。つまり彼女実態はあのキリンであり、演目に参加して競い合っているように見えて実際は観客席から劇を俯瞰する立場にいる」

すごーい

意味わかんね―

もっともっと

2018-06-28

生きにくい世の中だ

「みな平等最近はずっとこればっかり。

嫌いな奴にも平等に接しろ。(社会人なら嫌々接してるだろうが)

面白いこといえない奴が可哀想から、言うのをやめろ。

○○できないやつがかわいそうだから、お前はやめろ。

演目で主役になれない子がかわいそうだから、皆主役をやらせろ。

日本人気質は、根っからネガティブな奴が多いのか?

頑張って努力している奴がいたとしても「他のやつがかわいそうだからやめろ」って禁止する。

そんな世の中になって本当にすばらしい未来が来るとでも思ってんのか?

段々、言い分が極端になってきているのに気づいていない奴がいるのか?

これがどんどん進んでいくと

・嫌いな奴を避けることは許されない。⇒ストレスでぶっ壊れて暴走するやつ増加

努力しない奴と同レベルにしないと怒られる

 「素敵な絵を描きたい!と努力しても「うちの子が出来なくてかわいそうでしょ!」と弱者(?)正義時代

金持ちの金が分配されて、みな平等になり、誰も仕事をしなくなる

 (仕事をしたら、「仕事ができない人が可哀想!」と騒がれる)

・「日本人、何もしねぇな」と外国から言われる

・何でもかんでも「○○が可哀想でしょ!」と言っていたら相手の行動を制限できる

こんな時代くるの、俺嫌なんだけど。

2018-06-07

メモデレステミリシタ 要望

以下は、あとでデレステミリシタ運営へ送る要望の保存用メモなので(外出先で打って保存)、そのうち消します。

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デレステ1

 

 いつも楽しくプレイしていますアイドルの可愛さもゲームの楽しさも味わえる神アプリになっていると思いますスタッフの皆さんに感謝いたします。

 さて、本日要望が3つあってメールしました。

 

 

1.ユニット単位アピールする機能がほしい

 昨年実装された『誕生日カード作成機能』『フォトスジオ機能』は素晴らしいです。「ウチのアイドルは素敵だろ!」とアピールし合う事こそが最終目的の『アイドルマスター』に相応しい神機能だと思いますありがとうございます

 この素晴らしい機能に加えもう一声、『2~5人のユニット単位アピールできる機能』が欲しいです。モバゲー版『アイドルマスターシンデレラガールズ』の『アイドルLIVEロワイヤル』のように、「これがウチのユニット!」「この組み合わせ良くない?」をみんなでシェアしたい。

 モバゲー版の『ドリームLIVEフェスティバル』のライバルユニットデレステ誕生日カードのように、複数人アイドルイラスト特技発動時に出てくるもの)を同一画面内に表示してユニット表現したり、モバゲー版の『ぷちスナップ機能』のように、3Dモデル複数人表示させてポーズを取らせて写真を撮りみんなに自慢できる機能があると、よりプロデュース活動が楽しくなると思います。また、名刺機能でも「このユニット担当!」と言えると嬉しいです。

 

 

2.トレチケタイムスケジュール表が欲しい。

 トレチケタイム機能はありがたいのですが、「あれ、今日は何時から何時がトレチケタイムだっけ」というのが分かりにくいのが玉に瑕です。当日から3日~7日くらいのトレチケタイムスケジュール表がどこかに表示されていると、生活の中にデレステ組み込みやすくなると思います

 

 

3.営業の一覧性を高めてほしい

 『営業』も楽しい機能です。沢山抱えすぎたアイドルみんなに活躍の場が与えられるし、忙しい時にスタミナをパッと消費できるのもありがたいです。

 ただ、「6時間コースでトレチケが手に入る営業はどこだ?」「4時間コースで特訓アイテムが手に入る営業は?」みたいに、望みの営業先を探すのが若干面倒に感じます。小さなアイコンでいいので、全体マップに、各エリア内のどこにどんな営業があるかが表示されてるとありがたいです。

 

 

 以上3つになります。何卒ご検討の程お願い致します。

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デレステ2

 いつも楽しくプレイしていますコンスタント改善と要素の追加とで、とても楽しく遊びやすくなっていますありがとうございます

 さて、本日要望が5つあってメールしました。

 

 

1.『ススメ!シンデレラロード』での獲得ポイントに対するステータス閾値公表

 『ススメ!シンデレラロード』、とても面白いイベントだと思います。声が実装されていないアイドル活躍楽しいし、ゲームとしても、参照されるステータスが毎度変わるので飽きが来ません。

 ただ、「獲得ポイントに対する参照ステータス閾値」が公表されていないため、ユニット編成に面倒を感じたり、思考放棄してゲームの楽しさが減退してしまうことがあります効率的に楽しくユニットを組むためにも、各ステータスについて閾値公表して頂きたく思います

 

 

2.『LIVEParade』で、公演目標を常に参照したい

 『LIVEParade』も各タームで達成条件が違って、ユニットを考える楽しさがあるイベントなのですが、曲を選んでいる最中アイドルを選んでいる最中に公演目標を見られないのが不便です。

 「コンボが求められているからこの曲とこのアイドル」「ハイスコアが求められてるからこの曲とこのアイドル」のように、せっかくの「いろんな曲やアイドルを選ぶ楽しみ」を活かすためにも、曲選択画面とユニット選択画面でも公演目標を表示したいです。

 

 

3.Pの性別選択

 ネット上の言説やライブを見ても、過去と比べ女性プロデューサーの増加は顕著です。ぜひ、Pの性別選択できるようにしていただきたいと思います。(アイドルセリフ等は大分配慮されているように見受けますので、Pの一人称などを修正するだけでだいぶ変わると思います

 

 

4.曲の得意不得意を数値化したい

 これは『LIVEParade』をやっている時に特に感じるのですが、「結局自分はどの曲が得意で、どの曲なら高スコアを出せて、どの曲ならコンボを繋げられるのか」を、感覚ではなく数値で知りたいのです。

 要するに、「『ミリシタ』で最近実装された『パーフェクト率』の実装」「フルコンボ数に対しどれだけコンボ数を出せているかの『コンボ率』の実装」「『パーフェクト率』『コンボ率』を軸にしたソート実装」を検討して頂きたいです。少なくとも『LIVEParade』の期間中だけでもお願いしたいです。

 

 

5.アイドル所属枠の拡張

 色々な人から要望があると思います。かなりきついです。ぜひお願いします。

 

 

 以上5つになります。何卒ご検討の程お願い致します。

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ミリシタ

 いつも楽しくプレイしていますサービス開始当初は「んっ」と思いましたが、システム改善、度重なる良曲の追加、そして豊富サービスによって、『デレステ』にも負けない神アプリになってると思います。わかちこPをはじめスタッフの皆さんに感謝いたします。

 さて、本日要望が4つあってメールいたしました。

 

 

1.自分の得意曲でソートしたい

 最近実装された『パーフェクト率表示機能』、いい機能だと思います。「パーフェクト率を高めていく楽しみはあるけど、ゲームとして報奨対象にしない・高めることを必須にしない」というバランスが素晴らしい。ただ、せっかくなので、このパーフェクト率を基に「自分の得意曲が何なのか」を、感覚ではなく数値で知るためにも使いたいです。「フルコンボ数に対しどれだけコンボ数を出せているかの『コンボ率』表示」「『パーフェクト率』『コンボ率』を軸にしたソート機能」も実装して頂くと、今後のゲームプレイ練習がよりスムーズになると思います

 

 

2.Pの性別選択

 ネット上の言説やライブを見ても、女性プロデューサーの増加は顕著です。ぜひ、Pの性別選択できるようにしていただきたいと思います。(アイドルセリフ等は大分配慮されているように見受けますので、Pの一人称などを修正するだけでだいぶ変わると思います

 

 

3.初期曲への歓声SEの追加

 『Happy Darling』や『エターナルハーモニー』は、曲や歌やダンス楽しいですが、所謂"俺たち"のコール楽しいです。まるでライブBDを観ているような、ライブに参加しているような感覚を味わえます。「ライブを楽しくするのが到達点」のミリオンライブにふさわしい機能だと思います。亜利沙の曲も楽しみにしています

 ただ、新規実装された曲がここまで楽しくなってくると、今度は逆に初期実装の曲に歓声が少ないのが気になります特に『素敵なキセキ』! コールの楽しさ・ライブ現場での楽しさもミソとなっている曲なので、この曲に歓声が少ないのはとても寂しいです。『Thank You!』なども含め、是非とも初期曲への歓声の追加をお願いします。

 

 

4.名刺ユニットを表示

 名刺で、例えば「クレシェンドブルー担当です!」「灼熱少女担当です!」とアピールしたり、あるいは「『美希、貴音、響のユニット』の担当です!」「『琴葉、恵美、エレナユニット』の担当です!」とアピールする機能が欲しいです。LTPやLTH以降、素晴らしいコンビユニットが生まれていったミリオンだけに、需要があると思います

  

 

 以上4つになります。何卒ご検討の程お願い致します。

2018-05-28

昨晩スカイプで姪っ子甥っ子がダンス披露してくれた

運動会演目らしい

見ててとても楽しかったけど、ばあば達のが喜ぶのでは

と思いながら水をさすと思い言いそびれた

3曲ほど踊って生ライブ終了

2018-05-18

2018/05/12 アイドルマスターMR 千早主演公演第3部に参加して  その3/3

https://anond.hatelabo.jp/20180518014637 の続きです。

長すぎて途中で切れたので、そこから再開しま

記事全体の構成

2018/5/12に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSICGROOVE☆」の如月千早主演公演第3部に参加してきました。この公演では如月千早が体調を崩し、歌うことが困難になるというトラブルが起きました。ここでは、その公演で私が感じた感情とその後考えたことを整理するためにまとめた文章を公開します。


レポート感想というよりは感情吐露です。また、如月千早は私が一番好きで応援したいと思っているアイドルです。そういった人間が書いたということを念頭においていただけると全体のめんどくささを予想、納得いただけるかと思います


※注意※

・公演の詳細に触れますので内容を知りたくない方はご注意ください。

基本的自分千早観丸出しなの独善的解釈を多く含みます


構成

●公演の概要

感情の整理。

●少しだけ理性を取り戻して。これから出来ること。


●少しだけ理性を取り戻して。これから出来ること。

注意:ここから先は今井麻美さんについても必要場合言及いたします。

【実現したいこと】

1.如月千早約束をかなえる⇒リベンジMR公演を実現させる

2.今回のようなことを防ぐ⇒アイマスイベントで体調を押して演者が参加することを防ぐ


2.今回のようなことを防ぐ⇒アイマスイベントで体調を押して演者が参加することを防ぐ

結構大きな問題だと思っています

基本的後遺症が残ったり、長期間治療リスクを発生させるようなことは、たとえ可能性が低くても絶対に避けるべきです。

どういう理由があってもです。

何よりこんな思いはもうしたくないのです。

からこそ、何か防ぐために出来る事があるならやっておきたいと思いいろいろと考えてみました。


【今回の公演について】

それはそれとして、私は今回の公演を否定しません。如月千早のやったことを否定しません。

彼女の何を思って舞台に立ったのか、それを考えれば考えるほど、その選択をした彼女はまさに私が応援してきた如月千早のものであり、私が支えたい、応援したいと思ったアイドル選択として痛いほど苦しいほど納得できます

からといって、彼女が傷つく姿を見るのは何より辛いです

公演が成功だったとは口が裂けてもいえません。

が、それでも私は、「避けるべきリスクを避けずに行われたあげく、結果製品レベルサービス(すなわちちゃんと歌えるソロパート)が提供できなかった」という理由をもってして、「今回の公演はすべて失敗でありあらゆる判断は間違っていた」と結論付ける事は絶対にしたくありません。なのでしません。

これはこの章においてなお理性の1000倍存在する感情判断なので、理性に欠けておりいろんな意味でよくない判断だと思います

それでも私は如月千早舞台に立ったこと、そしてその決断をした背景と意思否定したくありません。

如月千早は観客のことを思い舞台に立ちました。

結果、第三部は互いに傷ついてぼろぼろになりながら何とか最後までたどり着くというかたちになりました。

多くの部分で良くも悪くも感動があり、大きな心の動きがありました。

私はより如月千早を好きになり、応援したいと思い、支えたいと思いました。

でもこんなライブは二度とごめんですし、絶対に繰り返してほしくないですし、繰り返させないようにしたいです。

その上で、がんばった千早とその思いは否定したくないのです。絶対に。

なので私の中でこの公演については例外として扱います。唯一無二の例外です。

これ以外は絶対にもう二度と同じようなことは認めません。というつもりで生きていきます


今井麻美さんについて】

今井麻美さんについても言及します。

目的は3つです

1)今回のような事態リスクの重大さを確認するため

2)今井麻美さんに対するポエムを書きたいか

3)今回のような事態アイマスにおいて防ぐ方法分析のため


今回の件のリスクの重大さを理性的判断するには今井麻美さんにも注目する必要があります

なぜか。今回のような無理をしてリスクを背負うのは如月千早今井麻美さんであり、実存存在今井麻美さんだからです。

今井麻美さんは声優であり歌手です。したがってのど・歌声というのは命と同じぐらい大切なものです。

そこにリスクを負うということが今回行われました。これは大変なことです。

今井麻美さんは如月千早役だけをやっているわけではありません。

歌も歌いますし他のキャラクターにも声を当てます

そしてそれを生業として人生を歩まれています

一個のコンテンツが、ひとつイベントが、その人の人生を左右するようなリスクを背負わせていいのか?

一般的に言えば「コンテンツ側の都合だけで持たせるのは絶対NO」です。


以上が(1)の確認です。アイマスを長く続けるためにはコンテンツ全体でこういった事態を招かないような仕組みを保持し、信頼を獲得する必要があるようにも思います


さて、リスク確認できたところで(2)のポエムを挟みます

確認したようにリスクを負うのは今井麻美さんです。

このことから今回の件については、今井麻美さん自身も少なくない割合で「如月千早舞台に立たせる」という判断をとったのではないかという推察が出来ます

リスクを負う本人の意思はまったく考慮されず、ライブ制作側(バンダイナムコから強要だけで強行ということは考えにくいからです。

あくまで推察であり、経緯の詳細が判明することはありませんが、少なくとも今井麻美さんの判断0で決まったということはないでしょう。(そんなことしてくるような極悪人集団と10年以上辛酸をなめながら同じコンテンツを作るなんて到底無理です。)

これは逆も言えることで、演者が無理を押して出たいといっても主催側がOKを出さなくては舞台が始まらないはずです。

主催側にはいろんな事情がありそうです。

1つ前の公演の終了が会場時間の1時間半前ということも考えると、主催側としても公演の中止や内容変更についてかなり厳しい状態判断する必要があったであろう子とも想像できます


では、今井麻美さんは何を思いあの舞台如月千早を送り出したのでしょう?(ポエム開始)

今井麻美さんにとって如月千早が大切で特別存在であるということは随所のインタビューコメントなどで知ることが出来ます

今回はその如月千早MR公演の初回であり、現実世界における初めての舞台でした。

私はおそらく世界で一番如月千早のことを思う今井麻美さん自身が、少なからず今回の公演を予定通り実施することにこだわった可能性はあるのではないかと思っています

千早を最もよく理解し、千早とともに悩み、歩き、喜びと苦しみを分かち合ってきた今井麻美さんだからこそ、ゆずれないものがあったはずです。

自分負担とか不利益とかそういったことを超えて、如月千早にとっても、今井麻美さん自身としても、逃したくないもの、失いたくないもののために、今この時をどうしてもゆずることができない。

そういった感情があったのではないでしょうか。

如月千早絶対にやりきるはずだ。やりきってみせる。彼女の志を、積み重ねを嘘にしないために。

そういった思いがあったのではないでしょうか。

そういう妄想です。


(3)について。

ポエムでもちょっと触れましたが無茶をする背景には演者舞台主催側両方の都合があるはずということです。

ではどっちかを説得できれば今回の事態は避けられるということで、そこにヒントがありそうです。


ポエミーおおめの前置きが長くなりましたが、私としては

といった意見です。


上記を踏まえ取り組んでいくとよさそうなことを考えてみました。


・本件の神格化美談化を防ぎ「好ましいモデル」になることを防ぐ

最近ではもう前時代的な感覚になってきていると思いますが、スポーツ競技特に若年層の部活動などでは怪我や不調を押してチームに貢献しようと試合に出たりそれで結果を残したりする選手が居ると、美談化され感動物語としてもてはやす風潮がかつて見られることがありました。

これは結構危険です。

「その選手自分意思でやってんだからいいやろ!」というのが有りますがそういう問題だけではないです。

どちらかと言うとその選手の周り、コミニティ価値観が作る空気のほうが問題になってくると考えます


ミニティの中で上記のような行動がもてはやされていると少なからずそれを強制する力が働き、場合によっては逃げられなくなります

チームの柱、そいつが居ないとどうしても戦えないような試合エース限界を超えて延長戦永遠に出場し続ける。

そうするとほめられる風潮がそれを後押ししている可能性は大いにあります

そして一番厄介なのがその風潮のせいで「そうしないといけないのでは?」「そうしなかったら私は薄情ものになるのでは?」と言う気持ち選手に抱かせる可能性があるということです。

「みとめてやらなくちゃいけないのでは?」「こいつの意思を踏みにじるだめな大人なのでは?」という迷いを監督指導者に抱かせる可能性があるということです。


関係ない話に見えますが構図は似ているように私は感じます

アイマス元祖である765ASの歌姫、蒼の系譜如月千早が行った今回の公演が美談化され神格化されたとしましょう。

そんな中、ほかのアイマスアイドル演者達が似たような窮地に立たされたとしたら。

演者は何を思うでしょうか。現場は何を思うでしょうか。


防ぐ必要があります

今回の事はあってはならぬこと、深く反省し戒めるべきことだとコンテンツ消費者側が認識していることを表明する必要があります

皆さんお気づきの通り私はこれを行うことが出来ません。

私は先ほど自分勝手な感情論で「今回の公演を絶対否定しない」と決めたからです。

ですので皆さんが私の代わりに、今回のような体調不良を押して、後に影響が残るかもしれない健康身体リスク演者に背負わせる公演はダメ!ということをコミニティ共通認識にしてください。

プロデューサー達はアイドル健康について大変関心が高く、無理をすることを好まない」

これは予防としては大変効果的だと考えます

私はその動きに参加も貢献も出来ませんが、邪魔絶対しません。


アンケートで体調を押しての出演はやってくれるなと伝える

意思決定機関の内の一方、舞台主催であるアイマス制作陣営に「消費者演者の体調が優れない場合は、公演強行よりも中止や代打演出変更での対応を高く評価する」といった認識を伝えるということです。

これが最も直接的で効果的だと思います。そしてそれ以外ほとんど手がないようにも思えます

どうやったって当日現場でまさに今判断とき!となっているところに私達は口を挟めないです。

ですので、中止や代打演目変更が妥当で最善だと判断させるための材料を事前に送っておくしかないでしょう。

私は、今回のMRアンケートにはかなり強めに複数個所「今後はもう絶対にやめてほしい」と意見を書きました。

これは私にとって直接第三部公演を否定しない行為だったので何とか実施できました。


最後

5/17の深夜(正確には針はてっぺんを越えているのでもう5/18です)、果たして明日の公演はどうなるのか。

複雑な思いを抱えながらこの記事をアップしています


はじめはネットに散らばる色々なプロデューサーの記録を拝見することで感情を整理しようと考えました。

色々な意見見方、捉え方が有り、千早へのアイマスへの愛がありました。

そして多くの方の思いに触発され、私はよりいっそう色々と考える結果になりました。

そんな中、自分感情を整理するために怪文書をしたためたわけですが、いまだに様々な感情の渦が心をめぐり、落ち着きません。


結局、元気に力強く歌を歌う千早に再び出会うことでしか整理できない何かを感じているのかもしれません。

彼女の窮地に手を差し伸べることが出来ず、逆に彼女に救いを求めているというなんとも情けない状況です。


情けなくても何でもいいので私は心から如月千早に元気になってもらいたいです。

如月千早回復と復活を祈ります

今井麻美さんの回復と復活を願います

今後も如月千早応援し続けます


健やかに歌う如月千早が帰ってくるよう祈り続けます




2018/05/18追記

2018/05/18に開催された千早主演公演に参加してきました。

結果、彼女はこの日の公演をすべて歌いきってくれました。

参加した1部、2部公演の感想レポートにまとめました → https://anond.hatelabo.jp/20180518235241

2018-03-15

多ステって悪ですか

自分とあるユニットファンだ。

そのユニットはまぁまぁそこそこ人気があり、イベントやらステージやらがあるとチケット争奪戦になる。

そういう機会の度に毎度モヤっとしたり腹が立ったりすることもあるが、普段なかなか言えないので長くなるけれども吐き出したい。

少し前にそのユニット舞台チケット当落があったときに、知人が2回いけることになった。

最初本人の申し込みが落選したことを残念がっていたのだが、恐らく一緒に行こうとしていたご友人は当選したのと、あとは別の人がお誘いをしたことでいけることになった。

だが2回いけることをツイートしたらそれを見たフォロワー引用RTをしてバッシングをはじめた。

相互フォローだったようだが直接リプライするわけでもなくエアリプで取り上げ、別のフォロワーと2回行く行為についてバッシングしまくった。

"自分だったら行けない人に譲る、それをしないなんて”、という観点でのバッシングであった。

行けない人がいるならばそちらにチケットを譲りたい、という広い心はいいと思うが、それはあくま個人の考えであって、自分はこうするから他の人もこうすべき、という押し付けはいかがなものかなと思い、モヤモヤとした。

自分立ち位置としては一つのイベントについて行ける限り複数行くタイプだ。

ただチケットが取りにくいものに関してはそういう行動について目に付くところに出すと面倒ごとが起きると思っているので出さないし、知人についてそれを表に出してしまたことは迂闊だったなと思う。

この知人に限らず、チケット当選したというだけでブロックされたという話も聞いたし、「見たい人がいるのに何回も行くなんて○○さん(ユニットメンバー名前)が聞いたら怒っちゃうよ」とか本人が言ってもいないことを出してバッシングする人も出てきた。

そんなに複数回行くことが悪なのか。

マナーとまで言えるようなことなのか。

自分正義だと振りかざせるようなことなのか。

正直疑問なのだ



舞台などはチケットを買う機会は色々ある。

ファンクラブ、携帯サイト会員、劇場先行、主催先行、プレイガイド先行(有料会員先行も別にあったりする)、一般発売

一般勝負のものもなくはないけれど、大体何かしらの先行がある。

ということであればなんら違法なことをしなくても一人の人間複数チケットを手にする機会が存在するということだ。

まぁ先述のような人たちはFCなどで当たったらそれ以降申し込みすべきでないというスタンスなのかもしれないけれども、公式がご用意している限りは持っている権利だと自分は思う。

で、よく耳にする文言としては「行きたくても行けない人がいる」というやつなのだけれども、その「行きたい」とはどの程度行きたいのか。

どの先行も申し込んでも申し込んでも落ちてしまうのは運だから仕方ないというところは実際ある。

でもその落ちてしま理由っていうのもただの運だけじゃないと自分は思う。

例えば、申し込む全てが東京初日や楽日、土日に集中して、多くの希望者がいるところだけだった場合、当然当選率も落ちる。

それは「自分が都合のいいときに行けない」であって本当に「行けない」というのとは違うんじゃないだろうか。

例えばそういう日程ばかりでしか申し込まず、全然当たらない…と言ってる人に対して、交通費が多くかかる地方でのチケットがあると言ったら行くだろうか。

自分も勿論人気の日程も行きたい気持ちもあるが、申し込みをするときにはまず「行く」ことを優先して、場所、日程共にどこだったらば当選率が高いかを考えて申し込みをする。

駄目元で人気日程を申し込みをすることもあるが、そのときは申し込み枠を半分捨てる気持ちは持っている。

それで確実にチケットを取っていき、各先行でチケットを増やしていく。

また、先行だけじゃなくても、友人などがチケットを被らせてしまって譲渡をしたいというのであれば迷う余地なくすぐに譲ってもらう。

それが飛行機に乗らなければならない距離であったとしても。

公演日直前になって同行者が行けなくなったとか、 外せない仕事でいけなくなってしまったとかで席が空きそうという連絡を貰えば最大限調整をする。

その他おけぴ等のチケットお譲りは随時チェックを欠かさないし、有難いことに友人からのお誘いもあって何回も行けることが出来る。

利益を上乗せしない個人間の譲渡がアリかどうかという点については今回の論点ちょっとずれるのでおいておく。

ただダフ屋のような転売には一切手を出さないし、当落の後、落選の怒りは全部オークション転売サイト違反報告にぶつけている。

友人から譲渡等については本当友人に感謝しかないのだが、そういう繋がりでのやりとりを快く思わない人もいる。

最初に出した知人の件だが、知人にチケットを譲った人は、知人をバッシングした人とも繋がりがあったらしい。

知人は、その人に譲ればよかったのかな、と落ち込んでいた。

もしその人がバッシングした人の方に譲ると言っていた場合、どういう行動を取ったのだろうかな、と思ったりもする。

この件とは全く別の件だが、同じように一回行けたなら行けてない人に譲るべき!と息巻いていた人がいたが、蓋を開けてみたら抽選形式の当日券にて何度も観に行っていたりして、どの口が言っていたのかと思ったことがある。

他の人は譲るべきで自分だけはいいのか。

から先ほどの件もバッシングの仕方を見て下衆な憶測をすると、自分と繋がりがあるにも関わらず、自分ではなく他の人に譲られるのが腹が立ったんじゃないかなと。

でもその譲った人は知人に譲ったわけで、恐らくそこには知人と相手との交友関係があったからで、そのバッシングした人は譲渡した人とそこまでの交友関係を築いていなかったわけで。

日頃交友を結ぶことへ労力をつぎ込んでおくのも大事なことであり、普段そういうことをしないでチケットだけ勝手に舞い込むなんてあるわけがない。

仕事があるし遠征は難しい、という人もいる。

本当にそうなんだろうとは思う。

でも、そういう道を選んでいるのは自分自身だと思う。

自分は昔休み自由が利かない仕事を長らくしていて身動きが取れなかったときがあったが、自分が行きたい舞台にもろくにいけない生活に正直心は死んでいた。

今は自分時間がある程度コントロールできる仕事をしている、が給料は安いし、不安定雇用形態だ。

だとしても自分が行きたいとき自由に動ける立場というのが自分の中ではとても大事で、それで貧しい生活になったとしても何も苦ではない。

から仕事で行けない、と理由を言う人については仕事を変えればいいじゃないと軽率に思うし、それが出来ないのであればその舞台より仕事の方がずっと大事なのだから行けないのも仕方ないじゃない、と思う。

あっちもこっちも全部成り立たせようというのだから無理が出てくる。


こんなことを改めて思ったのは、件のユニットとは別にチケットを取ろうとしたものがあり、先行が連続で落ちてしまって取れなかったことがあったからだ。

その界隈に明るくなかったからそこまで人気だということを知らなかったので甘く見ていた。

別に見たいだけで席はいいところでなくてもいいし、夜の公演なら仕事終わってからでも十分間に合う時間だし、と考えながらの申し込みだった。

しかし先行も落ち、一般ぴあの端末まで行っても惨敗

落ち込んだところで友人に言われたのが「○○(地域名)ならあるみたいだよ」とのこと。

日帰りで行けなくはないが、ちょっとしんどい距離

そこだけでなく、大きい都市以外の地方チケット一般でも全然残っており、行きたければ行ける状況。

その状態でも自分は「あぁ、行けないなぁ」と思った。

から、その状況における自分の”行きたい”は所詮そんなもんなんだな、と思った。

そんなことがあって、複数ステを悪とする人の言う「行きたい人」ってどれほど行きたいものか、と考えた。

自分が追っかけているユニットについては、東京だったら行きたい、とか、土日なら行きたい、という人の”行きたい”より、どの地域でもとにかく行きたい自分の”行きたい”方がより強い欲求、強い熱量だと思う。

それだけ行きたいなら行けるように自分環境を整えろよ、いろんな先行に目を光らせろよ、有料の会員になって申し込めるタイミングを増やせよ、日々チケットを探す手間を惜しむなよ、普段から交流してネットワーク作る努力しろよ、それらを惜しんでただぼんやりチケット欲しいなぁ~って人が口を開けてるだけで来るわけがない。

勿論ビジネスとして行きたいと思ったまだ浅いファンや、ちょっと興味を持った人が行けない状況というのはファンの間口を狭めることになるので、行きたいと思った人が皆行けるのが理想ではあるが、なにぶん入れる人数に限りがあるので難しい。

その分、チケットが取りづらい為に楽日などには全国の映画館ライブビューイングもやって、見たいけど見れない人の受け皿をちゃんと作っている。

ちょっとチケット代も安いので、初心者にはそれくらいがちょうど良かったりもするんじゃないかと思う。

それこそ、一人一回しか見るべきではないという制限をつける方がビジネスとしては厳しい状態になると思う。

都会はチケットがなくなるけれど、田舎はガラ空き、そうなったとするとその実施地域では採算が取れないということになり、今後そのエリアでの上演はなくなってしま可能性も十分に考えられる。

実際、全国を回るツアーなどでの観客のそこそこの人数は遠征してきている人たちだ。

少し話はずれるが、その実施地域についてはその地元の人が行くべきで、遠征組は控えろという意見も見たことがある。

だが地域としては地元民だけではなく、遠征人間がその土地へ行き、観光をし、普段の食よりちょっと奮発していいものを食べ、お土産を買ったりすることでその地域の為になることも少なくない。

一人一回とかにすることで得られるメリットより、その制限を設けることで損失することの方が多いのではないかと思う。

沢山ある演目中連日盛況でチケット争奪になるものというのは偏りがある。

行われる多くの舞台ではチケットが残り続けたり、盛況に見せるためにあまりすぎた公演はチケットプレイガイド社内で配って客寄せをしたりすることだってある。

地方が空いているのであれば一度見に来てくれている人がまたお金を出して来てくれるのはありがたいことだ。

それを複数行くことでメンバーが怒るとか、本人が思ってもいないであろうことをなに勝手に代弁しているんだと思う。

他の人が行く為に自分が一回しか行かないという心がけは結構

だがその価値観はけして他の人に押し付けるべきじゃないし、マナーでも、正義でもなんでもない。

違法行為でもないことについてそこまで言及出来るまでの根拠自分にはわからないし、そういうと「違法じゃなければしなくていいわけじゃない」とか言うゆるっゆるな根拠が出てくる。

チケット当落とかある度にモヤっとしている。

2018-02-13

平昌オリンピックは「ベルリンオリンピック」と同じ役目を担っている

https://anond.hatelabo.jp/20170523204731

前にこんな話を書いた。

端的に言うと「歴史が繰り返されるのは『役者』が変わってるから一見して同じ演目をやっていると気づかない」という内容だ。

この後日本の政治は激動したが、結果的に「二・二六事件」は起きなかった。

前回も描いた話だが、安倍晋三という人物は散々ヒトラーに例えられて、マスメディアでも散々危険視されてる。

これだけ警戒されてる人間は、最後まで危険な企てを達成できない。

一部の人たちはよく自分に都合の悪い選挙結果が出ると「愚民」だなんだというが、日本国民の大半は馬鹿じゃない。

「一度やったパターン」なら、回避できる。歴史勉強して、メディアも散々その危険をあおってくれるからだ。

からこそ、俺は次に「ヒトラー」になれるのは、これまで一度も「ヒトラー」に例えられてない奴だけだと思っている。

小池百合子は、そういう意味ではとてもいい線を行っていた。

カイロ大学で学んでいたせいか彼女民主主義を軽視し、独裁的な手法で次々と物事を決めていたが、メディア小池百合子を一度もヒトラーとは言わなかった。

俺は、小池百合子選挙に勝って勢力を広げていくのを見ながら、この政治家は、次の独裁者役割を担える「役者」だと思った。

国政に出てきたときはいよいよ危ないと思ったが、「排除」の一言で最大の味方だったメディアからそっぽを向かれ、反乱は不発に終わった。


ただ、最近テレビを見ていて「結局、歴史は繰り返しそうだな」という思いが増してきた。

連日開催されている、平昌オリンピックがその理由だ。

今行われている平昌オリンピックは、1936年の「ベルリンオリンピック」と同じ役目を担っているように見える。

ベルリンオリンピックは、ヒトラー政権化のドイツで開催された夏の五輪だ。

ヒトラー自身オリンピックを「ユダヤ人の祭典」とみなして毛嫌いしていたが、周囲からプロパガンダ活用できる」と説得され、力を入れて実施する方向に考えを変えた。

その後の歴史を知っていれば、「なぜヒトラー政権下でオリンピックができたんだ」と不思議に思う人も多いだろうが、このときヒトラー重要な決定を下していた。

それが、「人種差別政策の一時凍結」だ。

国内からユダヤ人迫害を煽る看板などを撤去し、ユダヤ人を含めたさまざまな人種の出場を認めることで、ヒトラーは無事ベルリンオリンピックを開催にこぎつけた。

その後ヒトラーは「聖火ランナー」をはじめ、これまでのオリンピックになかった演出効果的に取り入れることで、大会成功に導いた。

大会の様子は世界中テレビ中継され、世界中の人々が釘付けになった。

意思勝利」の監督でもある女性映画監督リーフェンシュタールによって、この大会は「オリンピア」という名前映画化され、その映像国内外で絶賛された。

この歴史をふまえて、今の平昌オリンピックの様子を思い出してほしい。

開催されているのは韓国平昌だが、その話題の中心は北朝鮮だ。

開催直前に、金正恩対話姿勢を見せたことで、文在寅は喜んで北朝鮮選手団を迎え入れ、統一チームさえ作った。

開会式には金正恩の妹・金与正が派遣され、世界中メディアが、その姿を連日報道し続けている。

美女応援団は堂々とスタジアム内での応援を許され、明らかに金日成のものと思われる「美男子仮面」まで取り出したが、お咎めはなかった。

これらの様子は、世界中メディアが「融和」の言葉とともに連日報道し、誰もが金与正、美女応援団存在を知っている。

見事なプロパガンダだ。

アメリカペンス副大統領は、世論が「朝鮮半島の融和」一色に染められないよう、

北朝鮮拉致され拷問死した大学生オットーワームビアの家族とともに北朝鮮訪問していたが、

そのことを取り上げたメディアはごくわずかだ。地上波で取り上げられた時間は、金与正の百分の一以下だろう。

金正恩北朝鮮は、オリンピックを利用したプロパガンダに、現在進行形成功している。

その意味を、どれだけ多くの人が真剣に捉えているのか、正直疑問だ。

さらに悪いことに、ヒトラーと違って、金正恩は「核兵器の廃棄」を約束すらしていない。

オリンピックが終われば、すぐにその野心を隠さなくなるはずだ。


ベルリンオリンピックが開催されたのは、1936年だった。

次の開催予定地が何処だったか。思い出した人は、俺が言いたいことを理解してくれていると思う。

1940年の開催予定地は、東京だった。

いわゆる「幻の東京オリンピック」の年だ。

俺は、2020年オリンピックが幻になる可能性は、ゼロじゃないと思っている。

前回は、開催される可能性は「50%くらい」じゃないかと書いたが、今は、その可能性はもう少し下がったと思う。


プロパガンダに利用されたオリンピックが、この21世紀にまた生まれしまった。

歴史は、役者を変えながら繰り返している。

2018-01-16

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

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