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2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。実は三河武士あいだでやたらと流行っていて十人いたら七・八人は唐の頭をつけていたと言われており、というのも唐の頭を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2018-05-13

https://anond.hatelabo.jp/20180502235215

古くは命令形を「希求言」と呼んだ国学者もいるそうで、命令形から命令しているのだと考えるより命令形には応援用法もあると捉えてみてはどうでしょうか。

まず大本に「話者が何かを希み求める」というニュアンスがあり、そこに行為の実行を求める命令(逃げるなど許さぬ戦え)も行為への応援・祈願(健闘を祈る、奮闘を期待する)も含まれているみたいな。

さら強制力の有無や聴者自身がその行為をしたいのかといったことが絡んで命令応援グラデーションを作っているように思います

2017-11-11

anond:20171111120704

新井白石マジでマルチタレントっぷりが異常で、沖縄アイヌ研究みたいな民俗学も事もやってるし、もうなんかすごすぎる。

というか国語辞典作ったおかげで本居宣長みたいな国学者活動が活発化したわけだしだいたいこいつのせい感はある。

何でもかんでも成果出しておいて当時は詩人として有名だったとかいうのがおかしい。

本居宣長の影響力は文学方面ではヤバすぎ、未だに源氏物語読まされてるのだいたいこいつのせいだし、

萌え」「○○主義」みたいなマジックワードっぽいので一転突破する風潮もこいつのせいの部分が大きい。

丸山眞男はもう50年以上も読まれてるし、半分教養みたいになってる部分もあるからこの枠に入ってるんじゃないかなとは思う。

2017-05-19

枝吉神陽

枝吉 神陽(えだよし しんよう、文政5年5月24日(1822年7月12日) - 文久2年8月14日(1862年9月8日))は、江戸時代後期の幕末活躍した佐賀藩思想家教育者国学者藩校弘道館教諭外務卿内務大臣を務めた副島種臣実弟本名は経種。贈従四位佐賀の尊皇派の中心的存在

目次 [非表示]

1 経歴

2 影響

3 同時代評価

4 関連項目

5 参考資料

経歴[編集]

佐賀藩藩校弘道館教授であった枝吉南濠種彰の長男として生まれる。幼児期より神童と賞され、20歳の時には江戸の昌平黌に学んでいるが、ほどなく舎長に推されている。また、漢学に偏重した内容に異議を唱え、国学を学ぶことを認めさせた。

早くから儒教朱子学の教えに疑問を抱いており、佐賀藩哲学である葉隠』をも否定したといわれる。

26歳で帰郷してから弘道館教諭や什物方などを務める傍ら、父南濠の唱えた「日本一君論」を受け継ぎ勤王運動を行った。1850年には「義祭同盟」を結成。天皇を中心とした政治体制である律令制などの知識を伝授するなど、藩論を尊王倒幕に向かわせようとしたが藩主鍋島直正を動かすことは出来ず失敗している。なお、この義祭同盟から実弟副島種臣のほか、大隈重信江藤新平大木喬任島義勇明治維新に大きな影響を与えた人材を多数輩出しており、「佐賀吉田松陰」とも言える人物である。また、水戸藤田東湖と「東西の二傑」と並び称された。

1863年、コレラに罹った妻を看病するうち自身罹患し、死去。享年41。墓所佐賀市本庄町の高伝寺。

影響[編集]

神陽は律令制を学ぶことを奨励したが、彼の教えを受けた江藤新平(初代司法卿)や大木喬任(2代司法卿)は法整備活躍した。また、明治政府が当初導入した太政官制副島種臣が起草したものであるが、ここにも神陽の影響がみられている。

副島 種臣(そえじま たねおみ、文政119月9日1828年10月17日) - 明治38年(1905年1月31日)は、日本江戸時代末期(幕末から明治時代佐賀藩士、政治家書家。勲一等、伯爵。初名は竜種(たつたね)。通称は次郎(じろう)。号に蒼海(そうかい)、一々学人(いちいちがくじん)。

目次 [非表示]

1 生涯

2 書家

3 栄典

4 参考文献

4.1 伝記

5 登場作品

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

生涯[編集]

文政11年(1828年)、佐賀藩士・枝吉南濠(忠左衛門、種彰、30石)の二男に生まれる。父は藩校である弘道館教授を努める国学者で、兄は同じく国学者枝吉神陽。母は木原宣審の娘・喜勢。父と兄の影響により、早くから尊皇攘夷思想に目覚める。弘道館で学び、この間に江藤新平大木喬任と交わる。

嘉永3年(1850年)、兄・神陽が中心に結成した楠公義祭同盟に加わる。嘉永5年(1852年)、京都遊学、漢学・国学などを学ぶ。この間に矢野玄道らと交わる。さらに、神陽の命を受けて大原重徳に将軍廃止天皇政権による統一を進言する意見書を提出して青蓮院朝彦親王から藩兵上洛を求められるが、藩主鍋島直正に退けられた上、藩校での国学教諭を命じられた。

安政6年(1859年)、父の南濠が死去し、同年3月には同藩士の副島利忠の養子となる

元治元年(1864年)、長崎に設けた藩営の洋学校・致遠館の英学生監督となって英語等を学ぶ。慶応3年1867年)、大隈重信脱藩するが、捕らえられて謹慎処分を受ける。

明治維新後は慶応4年1868年)、新政府参与制度取調局判事となり、福岡孝弟と『政体書』起草に携わる。明治2年(1869年)に参議、同4年(1871年)に外務卿となり、マリア・ルス号事件において活躍する。マリア・ルス号事件では、助けを求めた中国人奴隷解放したことで、正義人道の人と国際的に支持された。

明治6年(1873年)2月には前々年に台湾で起きた宮古島島民遭難事件台湾出兵も参照)の処理交渉特命全権公使外務大臣として清の首都北京派遣され、日清修好条規批准書の交換・同治帝成婚の賀を述べた国書の奉呈および交渉にあたった。この間、清朝高官との詩文交換でその博学ぶりを評価をされている。同年10月征韓論争に敗れて下野し、明治7年(1874年)には板垣退助らと共に愛国公党に参加、同年には民撰議院設立建白書を提出したものの、自由民権運動には参加しなかった。西南戦争中は、中国大陸中南部旅行滞在している。

明治12年(1879年)、宮内省一等待講。明治17年(1884年)、伯爵明治20年(1887年)に宮中顧問官、明治21年1888年)に枢密顧問官明治24年(1891年)に枢密院副議長になり、明治25年(1892年)には第1次松方内閣において内務大臣を務めた。

明治38年(1905年)、脳溢血のため死去[1]。

2016-07-23

日本起源説(2chで見つけたコピペ)

日本起源説

石川県・・・石川県の"モーゼの墓"は税金管理されている』

青森県・・・梵天山の釈迦堂山には"釈迦の墓"がある』

広島県庁・・・広島県庁社団法人広島県観光連盟は葦嶽山を"世界最古のピラミッド"と発表している』

青森県新郷村・・・新郷村役場は"キリストの墓""キリスト遺書"の存在公式に認めている』

出口王仁三郎・・・日本人シュメール起源説』 『世界最古の文明を作ったのは日本人

日本画家鳥谷幡山】・・・ピラミッド日本起源説』 『日本ピラミッド発見

漢方医学中山忠直】・・・日本ユダヤ共同起源説

国学者大石凝真素美・・・神代文字論』

牧師勲五等酒井勝軍・・・日本ユダヤ共同起源説』『ピラミッド日本起源説』 『日本ピラミッド発見』『古代イスラエルオニックスを日本発見

アイヌ研究家小谷部全一郎・・・源義経ジンギスカン説』 『日本ユダヤ共同起源説

【皇祖皇太神宮神主竹内巨麿・・・竹内文書』 『神代文字』 『日本人類発祥の地』 『モーセキリストムハンマド釈迦来日天皇に仕えた』 『青森で"釈迦キリストの墓"を発見

政治家考古学地質学山根キク】・・・キリスト日本渡来説』『青森キリストの子孫を発見

日本探検協会事務局長幸沙代子】・・・漢字発明したのは日本人

東大経済学部探検協会会長高橋良典・・・『太古、日本の王は全世界を治めた』

【帝大(東大)卒歴史学者木村太郎・・・世界文明起源日本だとする"新史学"を提唱』 『世界中古代遺跡日本人によるもの』 『邪馬台国古代エジプトにあった』

ホメロスの「オデュッセイア」は「平家物語」や「太平記」を元に書かれた』『ムハンマド日本神話の本牟知別命であり桃太郎。この伝説英国に伝わり「ハムレット」になった』

ソクラテス日蓮プラトンは日昭』 『西郷隆盛自刃せずベトナム脱出した。"サイゴン"は"西郷"の名からつけられた』 『イタリアシシリアン江戸の町奴だった』

2016-06-07

クレヨンしんちゃんばっかりおかしくないですか?

知名度の問題なのか。




日本型リーダーはなぜ失敗するのか」

も買ってました。


舛添氏は,平成23年10月福岡県内の書店で,コミッククレヨンしんちやん北与野

博士編」 , コミックイナズマイレブンSPECIAL<1> 」 , クイズ本「ひっかけク

イズ最強イジワル王への挑戦」 , クイズ本「大人にはないしょだよ超スペシャル版ひっ

かけクイズ」 ,児童書幽霊屋敷レストラン」を購入し,それらの代金は,新党改革支部

から書籍代金として支払われた。なお,その際, 「ヤマの記憶山本作兵衛聞き書き」 , 「筑豊炭田に生きた人々望郷の想い近代編」 , 「緒方竹虎リベラルを貫く」 , 「筑

前の国学者伊藤常足と福岡の人々」も一括して購入されている。

舛添氏は, 「クレヨンしんちゃん北与野博士編」などコミックや「ひっかけクイズ

強イジワル王への挑戦」などクイズ本について, 「児童保護者から子供が悪い言葉

いをまねたり,テレビクイズ番組などを見て勉強しないので困るので,政治の力でなん

とかなりませんかとの陳情を受けたことから,実際にコミック等でどのような表現がなさ

れているのか,また, クイズ番組教育に役立たないものなのかを確認するために,購入

した。 」と説明している。

http://big.assets.huffingtonpost.com/20160606masuzoe.pdf

とのこと。

児童保護者から子供が悪い言葉遣いをまねたり,テレビクイズ番組などを見て勉強しないので困るので,政治の力でなんとかなりませんかとの陳情を受けたことから,実際にコミック等でどのような表現がなされているのか,また, クイズ番組教育に役立たないものなのかを確認するために,購入した。 」

よくわからない。

保護者が、クイズ本やクレヨンしんちゃん2002年のもの)の言葉かいが悪いから「政治でなんとかしてくれないか」と要望されたから買った?ってことかな。

舛添が言葉かいが悪いというのは考えにくい。クイズ番組に舛添がでている可能性もある。

クイズ番組教育に役立つかなんて「クイズ番組次第」である。くだらない豆知識ばっかりのクイズ番組もあるし。

さて、クレヨンしんちゃんが「下品であることは否定しない。

最近そこそこのクオリティで”ぶりぶり”ざえもんが復活したし、ケツだけ星人、親に向かって「みさえ」と呼び捨て、女たらし、

それでも(一時的には放送ストップしてたが)放送され続けている。映画もいい作品多い。

下品なことがダメであること、それを教えてそれでも子供下品なことを言うおかしさを教えたり、家族愛などクレヨンしんちゃんの根幹を伝えることはできないのか。

私は政治の力でクレヨンしんちゃんの素晴らしさを伝えてほしい。

2014-03-08

挺対協などの慰安婦訴状要旨 翻訳

●정대협 등의 위안부 고소장 요지 - 시스템클럽(挺対協などの慰安婦訴状要旨-システムクラブ)のGoogle翻訳

정대협 등의 위안부 고소장 요지

Google翻訳

読みやすくなるように改行した。

Name ジマンウォン

Subject 挺対協などの慰安婦訴状要旨

訴状

日本軍慰安婦被害者日本軍慰安婦」問題の解決のために活動している民間団体である韓国挺身隊問題対策協議会挺身隊対策協)とナヌムの家などについて虚偽の事実を流布する文を作成し、2005年4月13日から連日システムクラブホームページに公開して、名誉を毀損したジマンウォン刑事告発しようとする。

告訴人は121人の日本軍慰安婦」の生存者の中で海外に居住している被害者と公開を憚る被害者30人などを除く80人のおばあさん ​​たちとナヌムの家、挺対協である

我々はジマンウォン日本軍慰安婦被害者挺身隊対策協、分かち合いの家だけの名誉を毀損したものではなく、全国の各地域に住んでいる被害者の世話をし支援している市民集会や市民団体にも深刻名誉を毀損したことを確認させようとする。

 これ今日記者会見には、日本軍慰安婦被害者挺身隊対策協、ナヌムの家、従軍慰安婦お婆さんと一緒にする市民の会(大邱)、日本軍慰安婦」とされる統営、巨済市民の会、釜山市民の会と韓国女性団体連合韓国教会女性連合韓国女性民友会、韓国女性電話連合、全国女子大生代表者協議会など挺対協の21の会員団体が参加している。

 被告訴人は、自分の文で2つのことを主張している。

 (1)第一は、偽物と本物の日本軍慰安婦」があるのだが、その中でも中国から来たおばあちゃんは偽であり、需要デモにも出て日当を受けるなど、偽物が本物のふりをしているものであり、

 (2)第二は、挺対協とナヌムの家がおばあちゃんを利用して募金をしてお金横領しエングボルことをさせるなど、むしろ本当の慰安婦を困難に作りながら、団体利益のみを取りまとめてきたものである。 これらの被告訴人の文は、過去15年間、ひたすら、日帝侵略の下で日本軍性奴隷として酷使喫した慰安婦問題を解決し、日本帝国主義の真の謝罪被害者名誉回復のために頑張ってきた告訴人の名誉残酷に踏みにじる行為である

 何よりも、おばあちゃんを本物(20%)、偽(80%)で区切りながら、まるで何の正確な根拠資料があるひたすら割合区分し、おばあちゃんの名誉を深刻に毀損する行為を犯した。

   1。日本軍慰安婦ハルモニたちは、とても恥かしがり記憶さえしたくない過去を、日本の「慰安婦犯罪婦人科隠蔽 ​​が続いている状況では、過去を明らかにすることは本当に私たち歴史を上記し後世に残すために生きる道だと考えられ、歴史定義をために生きる道だと考えられ勇気を持って明らかに立って証言をした。「露呈」を通して勇気を得たおばあさん ​​たちはその後、個人の平安と手間のかからを拒んで水曜デモなど、国際会議での証言などを通じて、日本真相究明と賠償、謝罪を促す努力を今まで払ってきた。

    ○しかし、被告訴人ジマンウォンは文で本当の「慰安婦ハルモニたちは恥ずかしくて人々と接触していない奥まったところに住み、TVに顔写り込みを嫌って、一度も公開されたことがないし、逆に推論することで、まるでTVに出たり、需要デモなどに顔を見せて公開証言をしたおばあちゃんは、偽であると断定している。だけでなく、被告訴人は、最近TVで見られる慰安婦おばあさん ​​たちの中には、延世大がそこまで多くも見えず、健康にも非常に良い見え、声も元気な方がある」としながら、デモTVに出てくる人は偽と主張している。

  被告訴人の被害者に対する名誉毀損はここで終わらない。「最近TVで顔を照らしているおばあちゃんの中には中国から来た5人ほどのおばあちゃんたちもいるが、彼 ​​らは日本大使館の前に出ると引き換えに、一日に数千円ずつの日当を受ける」と主張し、中国から帰国したおばあちゃんが偽物だとしていている。

   ○「慰安婦ハルモニたちは皆若い年齢で工場就職するとし、勉強させてくれると、あるいはサルガマ重量を計るスケールで重量を量ったところで重さを量ると、時にはハーブ掘っが見知らぬ日本軍人に巻き込まれてトラックに乗せてて、日本軍慰安所に配置されて少なくは1年の間、多くは14年の間に日本軍によって監禁された状態で、兵士を拒否すると、暴力に振り回されながら、タバコの火で焼いられそう性奴隷となった。これらの経緯については、これまで多くの学者研究者が直接調査して採集した記録に残っており、政府のお届けの要求に応じて、慰安婦ハルモニたちが申告した後、研究者が直接聞いて周りの人から確認した証言集にその内容が明らかにされている。 すでに日本政府1992年7月6日旧日本軍韓国人日本軍慰安婦」の募集管理慰安所の設置の監督等に直接関与したと初めて公式に認めたし、1993年8月4日には、「慰安婦」の募集慰安所管理などに強制があったと公式に発表するまでにした。

   ○現在、毎週水曜デモに出てくるおばあちゃんは、告訴黄金株ソウル86歳、キル·ウォンオク(ソウル)78歳、イ·ヨンス(大邱)78歳、ダイオキシン金(ソウル)、92歳、ドアの筆記(景気光州)80歳、ベチュンフイ(景気光州)82歳、ハンドスン(景気光州)85歳、イオクソン(景気光州)78歳、川の日の出(景気光州)79歳、バクオクソン(競技光州)82歳、バクオクリョン(景気光州)86歳など10前後である

  これらはすべて日帝の下で慰安婦として言えない被害を受けた人々である日本政府真相究明と謝罪を促すために、高齢にもかかわらず、毎週水曜デモに参加し、若い学生たちに生きている歴史教科書がされていてくださって、時には日本修学旅行団、労働組合およびその他の国学者学生平和運動家などに歴史を証しする証人として参加している。

   ○また、若い年齢で、中国連行されたが、解放後、日本軍戦場にそのまま彼女たちを捨てて避難したため、お金もなく、道もわからない戦場にそのまま捨てざるを得なかった女性韓国中国が国交正常化がされていない状況で、故郷に帰ってたくても来られなかった方々 、韓中修交が行われた後やっと民間団体や個人事業家などの助けを借りてやっと故郷に戻ってくることができましたが、すでに若き日の生活はすべて根こそぎにされてしまった後、あった方たちの痛みにはものともせず、何の根拠もなく、そのおばあちゃんを日当を受けて水曜集会に動員された偽物だと主張している。

   ○このように、日本右翼でもない韓国人である被告訴人がおばあちゃんたちに「自発的な売春婦」という妄言健康に見え、偽の、中国からの輸入は、当該日当を受け水曜デモに動員された偽物などの表現を使いながら、被害者の胸に傷をつけ、名誉を毀損した。

  被告訴人のこのような主張は、おばあちゃんたちが直面している生活を貶めるだけでなく、お金をもらって動員された人々であると考えて水曜デモ主催してきている挺対協の水曜デモを主管している挺対協の会員団体市民団体の活動の道徳性を毀損し、一緒にしているおばあちゃんたちの名誉を毀損したことが明らかである。これ我々は、このような妄言には、法の決定的な審判が下さないと主張する。

  2。被告訴人は、挺対協とナヌムの家に対して「慰安婦を利用して募金をして募金したお金を分けて引けるない水曜デモに祖母を日当を与えて動員して、エングボルにして国際恥さらしをさせて通う「集団的に描写して挺身隊対策協とナヌムの家の名誉を毀損した。

  ○挺対協は37室の市民団体と個人たちによって1990年設立された連合である。その中挺対協の会員団体の一つだった仏教人権委員会は、挺対協の代表者会議でおばあちゃんたちが安定した居住空間がなく、苦労して住んでいるという報告を受けて、挺対協は運動を中心にして、仏教人権委員会がおばあちゃんの家を用意するという決議をした後の推進をすることになった。

  この意味同意した方々が、1992年6月に「ナヌムの家>建設推進委員会を構成し、仏教界や社会各界に呼びかけ、多くの方々が参加して京畿道光州にナヌムの家が建てられ、社会福祉法人設立されるまでに至った。ナヌムの家は、関連機関の厳格な監督を受けており、慰安婦ハルモニたちの住居施設として日本韓国日本の歴史に興味のある方と日本良心ある団体や個人が日本軍慰安婦」問題解決のための分かち合いの家訪問して歴史を学び、被害者証言を聞いて、奉仕活動を通じて、自ら問題解決の練習に参加することである。 ところが、被告訴人は、まるで告訴挺対協やナヌムの家が営利を図っており、祖母の福祉には全く気にしないず、このような商売のための水曜集会に中国に来たおばあちゃんたちに日当を与え続けて引いていくかのように描写している。

  ○特に告訴人挺対協、ナヌムの家の被害者を「エングボル」で掲げて募金をして、営利を追求と表現するなどの表現は、深刻な名誉毀損として、到底見過ごすことができないばかりか、もし国際社会にこのような被告訴人の話が日本によって悪用されることを考えると、本当に情けなくて絶望感がないはずがない。

   これは、被害者を卑下して冒涜するものであり、過去数十年にわたり「慰安婦」問題の解決のために努力してき挺対協とナヌムの家に深刻な名誉毀損をかけているのだ。 告訴人挺対協は慰安婦問題でどのようなお金ももうけていない。むしろ毎日の不足している予算でいくつかの国内外事業を展開するのに活動家たちの労働搾取しているのが実情である

   また、告訴人挺対協は、おばあちゃんたちにどのような形でお金を稼ぐということもなく、お金を払ってもしない。現在の我々の政府被害者に毎月100万ウォン余りの生活費支援するため、告訴人挺対協などが被害者お金支援する活動をしていない。

   ただし、その方たちが被害者であり、ほとんどが一人暮らし高齢者であり、家族存在しない死別するなど、孤独に苦しんでおり、若い頃の痛みが原因で多くの病気を持っているので、ボランティア接続訪問相談心理療法などの活動を通して、その方たちをサポートし、上にしてくれる活動をして来ただけだ。 慰安婦ハルモニたちの活動は、すべて本人が決めて行われます

   被害者の中では一生続きはお金現在の挺対協が推進している[日本軍慰安婦」の名誉人権のための戦争と女性の人権博物館]に出した方もおられ、また、他のお客様にもベトナム戦争で被害を受けたベトナム女性のためのビジネス平和博物館建設事業などにも高額を全快するまで言われた。

   こんな方に「エングボル」は本当に洗えない侮辱である。愕然とするだけだ。 加えて、被告訴人ジマンウォン私たちに与えられた名誉毀損は続いている。それをいちいち表示されていることさえも私たちには苦痛になって重く迫ってくる。 解放後60年となった。そして、日本軍慰安婦」問題が公開されたのも15年が過ぎた。解放後、半世紀の間、ひたすら恥ずかしさと残酷記憶のために胸に埋めてやってきたその悲惨な痛みの記憶を本当に苦痛ながら歴史のために証言して、雨や風がブナ日本大使館前で日本政府公式謝罪と賠償真相究明、歴史歪みの中断を叫んできたおばあさん​​たちの名誉をこれ以上誰も傷つけていないことを願って、もはやその方たちを傷つけることがないように願って、私たちはジマンウォン名誉毀損で訴えている。

   国家民族社会安全と安危のために、刑事法体系存在する場合は、誰よりも被告訴人が処罰されなければならない。ただの妄言であり、非常識な人のことだと恥部でせせら笑っ打って過ぎ去るには、被告訴人の妄言社会と次世代に、そして国際社会に及ぼす影響がゾーンだと思う。どうぞ法が生きていることと、法の厳しさを見せてくれて被告訴人を厳罰に処せられてくださることを訴える。

 2005。4。 など<80名> ナヌムの家·日本軍慰安婦」とされる統営、巨済市民の会·日本軍慰安婦」と釜山市民の会·挺身隊おばあさん​​と共にする市民の会(大邱)·韓国挺身隊問題対策協議会<5個 など<21挺対協の会員組織> ------------------------------------------

  1。告訴人たちの代表に対して 告訴に参加した80人のおばあちゃんは、アドレス名前と印が押されている模様である。さすがにすべてのおばあちゃんがアドレスを公開して参加したのか?これらのおばあちゃんの秘密は、これまで極秘だったことが分かる。今後、これらのおばあちゃんたちの名簿が公開されると、おばあさん ​​たちの立場が非常に困って質のはずなのに、なぜ区生まれの祖母を前に出すかという問題である

   もう一つは、このおばあちゃんたちが慰安婦資格チャーターネトヌン ​​ガの問題である政府社会団体の主張では、韓国人慰安婦規模が20万人とする。筆者を訴えた慰安婦80人が果たして20万人を表すか?筆者は強制的慰安婦20%、自発的慰安婦が80%ということを、シムミジャ祖母が調査した61人のサンプル調査を引用して発表しただけである。 このような状況で告訴をした80人ほどのおばあちゃんたちの主張は何ですか?「なぜ私を80%に属したとしたのか? "なのか、それとも「100%をなぜ20:80に分割した」のか?筆者は「日本軍慰安婦従軍慰安婦比率20:80とする」とシムミジャおばあちゃんの統計引用しただけで、告訴をした80人の祖母を80%に属すると言わなかった。偽物と実際に表現しなかった。しかし、なぜナソヌンガ?

 2。告訴要旨:6つの虚偽の事実

 (1)「偽物と本物の日本軍慰安婦」があるのだが、その中でも中国から来たおばあちゃんは偽であり、需要デモにも出て日当を受けるなど、偽物が本物のふりをしているのだ。何よりも、おばあちゃんを本物(20%)、偽(80%)で区切りながら、まるで何の正確な根拠資料があるひたすら割合区分し、おばあちゃんの名誉を深刻に毀損する行為を犯した」

 (2)挺身隊対策協とナヌムの家このおばあちゃんを利用して募金をしてお金横領しエングボルことをさせるなど、むしろ本当の慰安婦を困難に作りながら、団体利益のみを用意してきて国際恥さらしをさせて通う集団に描いた"

 (3) "本物の"慰安婦"おばあちゃんは、恥ずかしくて人々と接触していない奥まったところに住み、TVに顔写り込みを嫌って、一度も公開されたことがないし、逆に推論することで、まるでTVに出たり、水曜デモなどに顔を見せて公開証言をしたおばあちゃんは、偽物であると断定している」

 (4)最近TVで見られる慰安婦おばあさん ​​たちの中には、延世大がそこまで多くも見えず、健康にも非常に良い見え、声も元気な方がある」としながら、デモTVに出てくる人は偽物だと主張している」

 (5)「最近TVで顔を照らしているおばあちゃんの中には中国から来た5人ほどのおばあちゃんたちもいるが、彼 ​​らは日本大使館の前に出ると引き換えに、一日に数千円ずつの日当を受け取ると主張しながら、中国から帰国したおばあちゃんが偽物だとしている。 "

2009-08-14

国家神道

国家神道って王政復古の尻馬に乗った神職とおもに平田派の国学者たちがでっちあげたものだから、たとえば出雲派なんかとは軋轢を起こしている。寺院幕府の出先という役割を負っていたために神職僧侶に支配されていた。そのルサンチマン廃仏毀釈なんかの過程で、かなり恥ずべき所行をした。このときの調子に乗った連中の行いは、実際、愚劣の一言に尽きる。

その後も権威を背景に持ってるもんだから、民間の神道思想家というのは、まあ、ひっどいもんで、碌なものではない。もちろん、廃仏毀釈が落ち着いて以降は、地方神職たちは、別に普通で、非難すべきものでもないんだが、このあたりの民間のプロ神道思想家たちのイデオロギー的で誇大妄想的なことといったらない。

平田派の思想というのはキリスト教にヒントを受けた一神教的発想で神道を再編成したものだから、非常に観念的で神道の実際の伝統とは切れている。

現代の神道の問題は、皇室祭祀との関係から政治とも皇室という特定の家系とも縁を切れないこと。もっとも似たようなことは英国国教会にもいえるけど。

2008-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20080722170942

ttp://www.kvision.ne.jp/~momorx/nen-p.htm

すぐ見付かったのはこの辺とか。

12月12日高杉晋作らと英国公使館を焼討ち

12月21日、山尾庸三とともに、国学者・塙次郎を斬殺する

この辺はたくさんのサイトが取り上げてるね。

戦後自民党メンバー自体を引き継いでるわけだから無関係ってわけにはいかんでしょ。これが無関係で済むなら今の共産党関係ないとも言えるわなあ。

伊藤博文って、お札に使われる程度には今でも尊敬されてんじゃね?

伊藤博文の行動は、彼の所属していた党派(ええと、長州藩士か)が掲げる攘夷思想の元に行われたわけで。

 
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