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はてなキーワード: 天守閣とは

2021-04-20

anond:20210420184400

天守閣なんて、上り下りがめんどくさくて、3日も住めばうんざりすると思う。

2021-02-24

anond:20210224204155

いまはこれが精一杯<天守閣のおトイレです。うんち中。

anond:20210224203513

あるとき少年天守閣のおといれでうんちしていたのです。プリッ。

2021-01-05

日本の城って意味不明な作りだったんだな

城は正確には天守閣かいうんだって

分かりにくいだろアホ過ぎる

んで天守閣でそこに偉い奴が住んでるかと思ったらそうじゃなくて

本丸かいうどうでもいいところに住んでいたらしい

いや天守閣に住めよ馬鹿だなぁ

つーかあれ天守閣以外は城なんて認めねえよ

なぁ?

2020-12-12

昨日は城内を登る夢を見た

複雑に木で組まれた城の中を駆けずり這いずり回り天守閣に向かって忍者のように駆け上っていく

夜中に目が覚めたときはもうちょっと詳細に覚えたけど今思い出せるのはこのくらい

おはようございます

2020-11-07

ゆるキャン△大垣城の思い出と堺屋太一世界観団塊の世代

 ドラマゆるキャン△2期の制作が決定したので、記念に大垣城の思い出を書く。ドラマ版の大垣があまりにもアニメ大垣そのままだったことに感動して、大垣関係するものを何かしてみようと思い、大垣観光しようと大垣城へ行った。今年の3月のことだった。

 岐阜県大垣市のJR大垣から歩いて10分で大垣城に到着した。当時は児童・生徒の入場はコロナ禍により制限されていたが、そうでない私は特に問題なく入場できた。大垣城関ヶ原古戦場に近く、最上階の天守閣から西の方を眺めると、南北山地で囲まれ関ヶ原琵琶湖方面への通り道のように見える。もちろん大垣城内の展示では関ヶ原の戦いを売りにしており、戦いの様子を表現したジオラマの展示、当時用いられていた当世具足の展示、武器を手に取って体験できるコーナー、ビデオコーナーがあった。

 私がその中でも気に入ったのはビデオコーナーであった。入口の立て札には「SEKIGAHARA」というタイトル劇画調の石田三成徳川家康の精悍な顔が描かれており、「関ヶ原の戦いはただの権力争いではなく、後世の武士価値観を決定するイデオロギー闘争であった」みたいな感じ(注:正確な文章は忘れた)の煽り文が異彩を放っていた。中を見ると、公立図書館の様な一人再生用の視聴ブースが5つほどあり、映像は全部で2時間説明文にあった。大垣城以外にも「奥の細道むすびの地記念館」など市内をいくつか観光するつもりだったので、10分ほど軽く見るつもりでヘッドホンを装着してDVD再生ボタンを押した。結論から言うととても面白くて、1時間ほど見てもまだ続きが見たかったけど、泣く泣く中断したほどだった。

 私は高校日本史を履修しておらず大河ドラマの類も見たことが無く、石田三成を見ても「誰だっけ?」と思ったほどである関ヶ原の戦いは豊臣と徳川の争いであるとは漠然とは知っていたが、関ヶ原の戦いの時には豊臣秀吉がすでに故人だったことも知らなかった。そんな私でもDVDに夢中になった。

 映像豊臣秀吉の死から始まる。秀吉を豊臣財閥筆頭株主社長に例えて、五大老秀吉にM&Aで吸収合併された競合他社の社長としていた。五大老は自社の株式の全てを秀吉に売り、代わりに秀吉会社から株式を譲り受けて豊臣財閥取締役になったという設定である五奉行執行役員部長秀吉生え抜き社員だという。それぞれの大名石高数は、豊臣財閥の持ち株数で表していた。

 秀吉の跡を息子秀頼が継いだもの未成年で実権がないので、成人するまでは取締役である五大老が秀頼を補佐するようにというのが秀吉遺言である遺言に反して株式保有第二位副社長徳川家康クーデターを企て、それを社長室長企画部長石田三成が阻止するというのが「SEKIGAHARA」の大きな流れだ。250万石もの大資本を持つ取締役副社長家康に対して、わずか18万石の部長に過ぎない三成がどのように対抗するのか。この会社組織で例えた設定がナレーションや図表でわかりやす解説されたので、歴史に詳しくない私でも現代ドラマを見るように楽しむことができた。

 時間がなかったので飛ばしながら見たが、それでも全部見終わることはできなかった。この「SEKIGAHARA」は「原作堺屋太一」とあったので、帰宅後に原作を読んで関ヶ原の戦いを調べることにした。原作小説の「大いなる企て」でも、五大老五奉行会社組織で例えており秀吉の死から物語が始まる。しかし、映像版と原作小説ではストーリー構成が大きく異なっていた。映像版では秀吉の死後に関ヶ原の戦いが始まり合戦の様子を三成と家康のそれぞれの視点で描くのがメインであった。それに対して上下構成になっている原作小説では、朝鮮出兵の和平交渉撤退に三成が中間管理職として苦労する描写に長尺が割かれている。朝鮮出兵から帰還した大名に対して三成が秀吉葬儀を取り仕切り、それがようやく一段落いたころには上巻が終わるという具合だった。関ヶ原の戦いはいつ始まるんだと思っていたが、残念ながら原作小説関ヶ原の戦いが始まる前に完結してしまう。

 原作小説は私の期待に反して関ヶ原の戦いは描かれなかったけれども面白かった。それにしても、原作では三成が中間管理職として苦労する地味なサラリーマン小説であるのに対して、映像ではドラマのようなエンタメに仕上がっているのはどういうことだろうか。気になって原作者を調べてみたが、堺屋太一がただの小説家ではないことが分かった。

 堺屋太一は元通産省官僚であり、大きな業績として大阪万博企画立案に携わったことがある。通産省を退官後は、小説家・博覧会プロデュースドラマなどテレビ番組プロデュース大臣学者政治運動マルチ活躍しており、どれをとっても大きな功績といえるだろう。「SEKIGAHARA」のプロデュース堺屋太一活動の一つだ。「SEKIGAHARA」では単に原作ストーリーをなぞることにこだわらず、大垣城の展示作品としても、エンタメとしても楽しめる物を意識してプロデュースしてきたことだろう。

 堺屋太一を知らない人でも、「団塊の世代」という言葉は知っているだろう。「団塊の世代」は元々堺屋太一小説タイトルで、当時「戦後っ子」と呼ばれた戦後まれ世代が、将来社会でどのような役割を担わされるのかを予想した近未来小説である。この小説も私は最近読了したので感想を述べてみる。

 1970年代中頃に連載した当作は80年代90年代バブル景気とその崩壊予測できなかったものの、団塊世代出世頭打ちになること、無駄役職者が高い人ばかりになり組織ピラミッドが歪になること、人余りの団塊世代関連企業へ出向されるなど、年功序列型の賃金上昇や終身雇用が維持できなくなる現在予測している。

 団塊世代は今でこそ巨悪と描かれることが多い。昨今話題になったドラマ半沢直樹もその一つだ。ドラマでは銀行マン無双というタイトルが似つかわしいほどの勧善懲悪痛快劇であるが、原作小説では「オレたちバブル入行組」のタイトルの通り、バブル世代である半沢直樹らが団塊世代復讐をする世代対立物語である。ただ、原作でも世代対立の色合いは作品を経る毎に薄くなり、三作目で「ロスジェネの逆襲」というタイトルで半沢らより下のロスジェネ世代人物を多く登場させながら、ロスジェネ世代バブル世代や団世代に逆襲をするというわけでもなくタイトルに反して半沢直樹無双となっている。四作目ではとうとう世代対立関係なく、その時話題になっていたJAL再生タスクフォース民主党事業仕分けネタにして半沢直樹無双をやるだけになってしまった。ドラマ2期で過剰な演技や顔芸ばかりが取りざたされることに批判もあるが、原作もこの様なものである

 閑話休題しかし、「団塊の世代」を連載した1970年代中頃では、団塊世代はまだ二十代の若造である。その頃から戦後っ子が老害へと変貌する未来予測したのは流石としかいえない。「団塊の世代」の4話では1999年舞台になっており作中では、団塊世代既得権益をむさぼりレジャーうつつを抜かして経済技術の発展を妨げた、と批判がなされている。大阪万博など一大レジャーを築いた堺屋太一自らがこのように評するのは痛快にして皮肉でもある。

 ちなみに、堺屋太一1935年まれ2019年に故人となっている。多くの業績を残したすごい人を亡くなって1年も経ってから私が知ることになるとは何て残念なことだろうと思ったが、それで堺屋太一小説面白さが色あせることもないので今も読んでいる。

 ゆるキャン△ドラマ2期決定を機に大垣城の思い出を述べてきたが、関係ない話が長くなってしまったので、この辺で筆を折ることにする。

2020-07-25

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今日は朝から四国水族館に行こうと思ってましたが朝調べたら再入場できないことをしりとりあえず18時半からイルカショーが見たいので後にすることにしましたわ!

金刀比羅に行くことにしましたわ!金刀比羅って何かわからないけど御魔羅一種に違いありませんわ!違いしかありませんわ!

琴電琴平駅に着いて向かうは金陵の郷ですわ!

https://www.nishino-kinryo.co.jp/museum/

酒造の博物館的なところですわ。歴史的な作り方を学べるのですが説明に全てに今では機械でうまくやってます的な文が付きますわ!なにかと若い衆が説明に出てきて色々やらされてるのが草でしたわ!

お土産は一合の木升とここでしか買えないという金陵 楠神 特別純米酒原酒720mlですわ!ちなみにわたくしは枡を集めてますわ。

次は海の科学館に行きましたわ!海……鯖チャンスですわ!でも船系だと調べは付いていましたわ!いませんでしたわ!船にまつわるお話を学べるところでしたわ!

https://kotohira.kaiyohakubutukan.or.jp/

その次は金刀比羅宮を目指しましたわ!途中、金刀比羅宝物館と金刀比羅表書院に行きましたわ!

階段多すぎて死んだンゴでしたわ!と金刀比羅宮のキャラクター笑顔元気くんが不安になりましたわ!http://www.konpira.or.jp/charm/smile/smile.html

その後は下山して旧金毘羅大芝居に行きましたわ!歌舞伎劇場的なところを見学しましたわ

https://www.konpirakabuki.jp/history/reform.html

電車に乗って丸亀城へ行こうと思いましたがもしや四国水族館整理券の都合で18時半に入れない可能性があるのではと思い四国水族館直行しましたわ。宇多津駅から歩いて十数分でしたわ。15時くらいに着いて16時だか16時半から整理券をくれるらしかったのですが選べるというので18時〜18時半のを貰いましたわ。

電車で亀丸城に行き入場16時までのギリギリくらいで天守閣に入りましたわ!

https://www.marugame-castle.jp/

一通り見た後四国水族館に向かいましたわ。電車本数の都合で1710分くらいのに乗らなくてはならず途中ホテルチェックインしてたら結構ギリギリでしたわ。水族館には17時半くらいに着いたので整理券30分早くてもよかったですのって思っていたら今は普通に入場できますアナウンスが流れたのでそのまま入りましたわ!スタンプブックを買ってウキウキですわ!ちなみに四国水族館最近オープンした水族館ですわhttps://shikoku-aquarium.jp/

最初イルカプールの下から見るやつを見ましたわ。その後は動かないアシカやらケープペンギンを見ましたわ!ペンギンは動かなくてもそれなりに良いのですがアシカはぐったりしたおっさんみたいなもんであんまりですわ!

そしてマアジの群れ!サバはどうした!!!ですわ

イルカショープールに行ったら18時にもなってないのに人が大勢でしたわ!でも場所取るのも時間もったいないので他を周りましたわ。

とりあえず暗くなる前に外展示を周りましたわ!そしてイルカショーですわ!売りとしては夕陽が見え曇りですわ!

結構おしゃれ系の展示にしかたにもかかわらずイルカショーは普通の感じでしたわ!なにがおしゃれ系かというと、曲面水槽を多用、説明文無しで名前だけ、暗いという感じですわ。綺麗なのは新しいかそもそも綺麗に決まっていますわ。名前が1つしか書いてないのに複数種いるのはやめて欲しいですわ。説明写真もないのでどれかわかりませんわ!まあ書いてあってもわたくしはすぐに忘れるから問題ありませんわ!

そんなこんなでイルカショーに満足したわたくしは他を見て周りましたわ。そして大水槽にサバらしきサバ発見しましたわ!!!!

でも展示の魚の名前は1匹だけ『スマスマスイの友情出演ですの??https://kobe-sumasui.jp/

見てまわりましたがやっぱり説明文があったほうが楽しいですわ。でも実際問題読んでる人の方が少数派な気はするので仕方ないのかもしれませんわ。あとどうでもいいですけれど記念メダルオープン記念版が売り切れていたので普通のを買いましたわ。そういえばマスコットキャラクターシュモクザメがなんかコロナ立ち入り禁止区域の向こう側でしか見えなかった気がするのですがそんなもんですの?

あと隣でやってるソラキンに行きたかったので20時くらいに出ましたわ。眠いので明日書きますわん

2020-02-28

マスク難民より除菌シート売り切れの方がはるかに深刻だろ

城門を固めるより先に天守閣の守りを心配するような馬鹿馬鹿しさ

2019-11-12

anond:20191112115112

やっぱそうよなわかってるよ、防衛線が城じゃないなら、ヨーロッパとか中国の長城も現代意味での城じゃなくなるな

じゃあやっぱり特になにか説明が無い限りは「城」ってのは石垣天守閣のある城を指すな。

日本語的に考えても「城」や「築城」って言って防御陣地やその形成のことを指すと思う人はほとんどいないんじゃないの?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E#%E6%97%A5%E6%9C%AC

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%9F%8E_%28%E3%81%97%E3%82%8D%29/

anond:20191112100957

天守閣があって石垣があって…」といった安土桃山時代以降の建築様式だけを城だと思い込むことこそ問題だが?

2019-08-05

あいちトリエンナーレ河村市長のこと

あいちトリエンナーレ2019の「表現不自由展・その後」に河村たかし名古屋市長が口を挟んだ件についてつらつらと書く。

そもそも自分の知る限り、河村氏は、慰安婦問題にそこまで興味は無い。国会議員時代議員連盟慰安婦問題南京事件の真実を検証する会」会員ではあったが、氏の興味はどちらかというと父親軍人として進駐していた南京のようだ。そちらに関しては「南京事件はなかった」発言騒動を起こしている(2012年)。

では、なぜ???…という話をしたい。

前提として、あいちトリエンナーレは「あいちトリエンナーレ実行委員会」の主催である会長大村秀章愛知県知事で、他のメンツは→らしい(昨年3月運営会議参加者)。 https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/190223_445551_misc.pdf

名古屋市河村たかし市長はここに載っていないが、「会長代行」であることが報じられている。愛知県が8.5億を出資する一方で、名古屋市も2.8億だしてるので、その肩書き自然だが、運営会議参加者として名前が載ってないことからもわかるように、あまり積極的ではないように見える。あのオッサンは、自分が目立てないことには興味が無いのだ。

河村市長大村知事は、ある程度、共闘したりもしていたけれども、最近は、何かと対立している。

近いところでは、名古屋市が手がける名古屋城天守閣木造復元工事について舌戦を繰り広げたりしている。つい半月前の話だ。 https://digital.asahi.com/articles/ASM7J3K6FM7JOIPE009.html

また、政策としては、「国際展示場問題があった。「東京五輪間中ビッグサイト代替日本の展示場の国際競争力不足/愛知県産業(自動車)の振興」といった目的で、愛知県名古屋市国際展示場を作る話があった。ところが、市と県が折り合えず、最終的に県単独中部国際空港島に建設することに(2017年)。その展示場は「Aichi Sky Expo (愛知県国際展示場)」として今月末にオープン予定。かっきり五輪に間に合わせた。恐らく河村氏としては面白くないだろう。

この8月あいちトリエンナーレは、基本的には県の事業だ。名古屋市は目立てない。そして、月末にはAichi Sky Expo開業名古屋市にとっては関係がないどころか、屈辱的ですらある。ついでに、当初は河村氏だけだったコスプレサミットでのコスプレも、大村氏もやるのが定番になってしまった。


ここまでが前提としての状況。

そこに、ある連絡が入る。「日本維新の会」の松井一郎からあいちトリエンナーレでの『少女像』展示が伝えられた。維新は、河村氏の地域政党減税日本」にとっては共闘相手である。先の参議院選でも維新公認で2人の候補を出している(2人とも落選)。つまり、どちらかというと借りがある側。


維新との協力関係愛知県(大村知事)が目立つ事への嫉妬自分が目立ちたい・南京を介した歴史修正主義への親和性

松井からの連絡の一本で、これらが、すべてが繋がる。

維新に恩が売れて!!」「大村知事事業をぶっ潰せて!!」「自分が目立てる!!」

市長、おめでとうございます何とも困ったもんだ。

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2019-01-27

屍臭の記憶

これを読まれている方の中で、屍臭というものを実際に嗅がれた方がどれ位おられるのか、ちょっと予想ができない。家族、友人等の死を経験し、その遺体荼毘に付されるまで傍におられた方は複数おられるだろうと思う。しかし、そこに屍臭を意識させるような手抜きの仕事を、この国の葬祭業の方々がするとも思えない。だから実際のところ、そのような経験があっても、そこで屍臭を感じられた方はおられなかろうと思うわけだ。

私はこれまでに二度、強烈に屍臭を経験することがあった。あの臭いは、間違いなく、経験した者にとって一生忘れ難いものだ。不快だし、そう何度も体験したいものではない。そのことは体験する前から今に至るまで変わりはないのだけど、その臭いの向こう側にあるものまで体験すると、屍臭に向かう姿勢とでもいうのか……そういうものが確実に変わったような、そんな気がするのだ。人生観が変わった、などと大袈裟なことを言うつもりはないけれど、そのときの話を記録がてら書いておこうと思う。

初めてそれを感じたのは、高校に通っていた頃のことだった。私の通っていた高校は、太平洋戦争末期に空襲で焼かれるまで天守閣が建っていた場所で、四方を崖に囲まれた、自然要塞のような高台に建てられている。登校するときには、深い谷にかけられた橋を渡ってすぐの正門を通るのだけど、学校の周囲の崖のあちこちに獣道のような抜け道があるので、授業時間中や放課後時間には、その道を通って麓のコンビニに買い物に行ったりするのが日常だった。

時々、鉄道の駅まで出る必要があったのだが、本来ルートで行くと毎回かなりの回り道で、友人に面倒だとこぼすと、グラウンドネットの破れ目から崖を斜行して下の道に出る抜け道を教えてくれた。春先でまだ雑草も深く繁茂しておらず、これは便利な道を教えてもらった、と、毎回のようにそこを通って駅に抜けていたのだった。

そして、夏が近付いてきたある日。一週間ぶりにその抜け道を通ると、何とも言えない厭な臭いがしたのだ。蛋白質の分解された臭い。それも、肉だけでなく、皮や毛や、通常なかなか分解されないものまで分解された挙句のような尋常ならざる臭いが、崖の獣道に立ち籠めている。雑草結構な高さに繁茂していて、辺りにその源らしきものは見えない。日が経つ毎にその臭いはどんどん濃くなって、私の服や髪に染み付いてしまうのではないかというような粘着性すら感じさせる。私は確信したのだ。辺りの何処かの草に隠れて、何かの骸が転がっているに違いない。しかし、とにかく質・量共にそれまで一度も体験したことのない、凄まじい臭いだったので、小さな動物……鼠とか蛇とか……がただ死んでいるだけとは到底思われなかった。

道を教えてくれた友人にもこの話をしたのだが、彼は笑って取り合ってくれなかった。それに、と彼は言う。俺最近あそこ全然使わないからさ、調べる機会もないんで、まあそんなに気になるなら自分で調べればいいじゃん。ひどい奴だと思ったけれど、まあ自分からわざわざ積極的に屍臭の源を探しに行く奴もいないだろうから、彼を責めても仕方ないだろう。

もう季節は真夏になっていた。熱風と熱線が渦巻くような崖の獣道を通る度に、私は時々、わざわざ道沿いの茂みに踏み込んでみたりもした。しかし源は見当たらない。ただ、その酷い臭いけが常に辺りに立ち籠めている。その臭い我慢して近道をするか、遠回りして臭い回避するか……その選択がある時点で逆転し、私はまた遠回りして駅に出るようになった。しかし、その源が何なのか、ということが、私の頭から消えることはなかった。

私は疑っていたのだ。その源が人間ではないかと。受験意識する時期だったので、公営図書館勉強室にこもることが増えていたのだが、休憩を取ろうと勉強室の外に出ると各種新聞の閲覧スペースがある。行方不明者等の情報が出ていたりしないかと、必ず地方欄に目を通すことが習慣になった。成人だったら、あれ位では済まないかもしれない。女性の方が体は小さいだろうが、女性脂肪組織が多い分屍臭もきついという話を何処かで読んだ。ということは、あれは子供なのではあるまいか……図書館で休憩する度に、私は新聞子供行方不明記事を探している。我ながら何をやっているんだろうと思ったけれど、もう新聞の陳列を見る度にあの臭いを思い出し、記事を探さずにおれなかった。

そして季節は晩秋になった。駅に出る日に、いつもよりも学校を出るのが遅くなった。ちょっと考えた。もう夏も過ぎたし、あの臭いも薄れているかもしれない。グラウンドネットの破れ目は何も変わっておらず、そこをくぐって崖に出ると、あれ程繁茂していた雑草も、盛りのときの半分もない程に枯れてしまっている。私は崖の獣道を進んでいった。傾斜のきつい崖なので、スキーの斜滑降のような進路になるように道は形成されている。ターンする角に来て、ふと何気なく、いつもと違う進路の正反対、崖を斜め上に見上げるような向きに目を向けたとき視野に初めて、あの屍臭の源が飛び込んできた。

それは一頭の犬だった。もう骨に皮が少し被っただけという外観で、その周囲には蛆なども見当たらなかった。大きな犬で、おそらくドーベルマンとかレトリーバーとか……それ位の大きさの骸だった。ドーベルマンレトリーバー全然違うだろう、とか言われそうだが、変色して干涸びたその骸からは、それ以上のことは分からなかったのだ。もう臭いはあまりしていない。私は急いでいたのも忘れてそこにしばらく立ち尽した。あの夏の頃、臭いの源を発見したら大声で叫んでしまうに違いないと思っていた。しかし、今のこの落ち着きは何なのだろう。本当に、自分でも驚く程に、心は静かだった。ああ、人じゃなかったんだ、それはそれで良かったけれど、こいつ、どうしてここに骸を晒していなければならなかったんだろう。野良犬というのもほとんど見ないようになった頃で、こんな大きな犬がそこらをそううろうろしているとも思えなかった。ひょっとしたら、飼い犬が亡くなった誰かが処置に困ってここに骸を捨てたのだろうか。死を看取るまで犬を飼っていた人がそんなことをするというのも変な話なのだけど、他に説得力のある理由を思いつかなかった。

あの臭いがし始めた頃から、こいつはここにあった。そして、あの燃えるような夏の間、道を外れて鬱蒼と草に覆われた中、あの強烈な屍臭を放ち、蛆等に組織をついばまれながら時間が過ぎていった。そしてその臭いも薄められ、ここにこいつはまだある。本当は埋めてやりたかったが、手元にその用意もないし、そのときにようやく自分が急いでいたことを思い出した。クリスチャンの私は十字を切り、天の国で平安と安息のうちにありますように、とだけ祈ってそこを去った。何日かして再びそこを通ってみたら、もう骸はなかった。誰かが気付いて、埋めるか他に持っていくかしたのだろうか。そこまでやってやれなかったことが心残りだったが、せめて祈ることができただけでも、少しはましだったか、と今も思う。

そして二度目。それは、ある自動車関連企業のお膝元である某県の地方都市に住んでいたときのことだった。私は単身者複数入居している安アパートに住んでいた。よくあるプレハブ二階建の長屋みたいな造りで、外の階段で二階の並びに上がるような、室内は6畳とユニットバスみたいな、そんなアパートである。私にとってそこは家というよりただ寝る為だけの場所で、仕事が終わるとそこに入って寝て、朝はシャワーを浴びてそこを出る……そんな毎日を過ごしていた。おそらく、他の部屋に暮していた人々も、私と同じような日常を過ごしていたに違いあるまい。

そんなある日。部屋を出たときに、ふと厭な臭いがした。ゴミのせいか……と最初は考えた。私の部屋は一番階段に近い二階の部屋で、階段真下のスペースがゴミ置き場になっていた。仮に凄まじい悪臭を放つゴミが捨てられていたら、そういう臭いを部屋のドアの前で感じることもあるかもしれない。鍵を締めて階段を降り、ゴミ置き場の前に立ってみたけれど、そもそもその日はゴミ収集日ではなかった。そこまで行く経路上に、ゴミから出た汁等がこぼれたような形跡もなかった。気のせいか、あるいは自分臭いの源なのか……服などをチェックしてみたけれど、どうも自分ではなさそうだ。

翌日、そしてその翌日、と、その臭いは更に強くなっていく。深夜近くに帰宅して、周囲の住人の迷惑にならないように注意しながら二階の並びを歩いてみると、どうも自分の部屋から少々奥に行った辺りでその臭いが一番強くなっているような気がする。隣か、そのまた隣か……しかし、どういう生活をしていたらこんな臭いがするのか。それにしても、この臭いにはどうも心当たりが……と、そこでようやく思い当たったのだった。これは、あの臭いだ。高校の獣道で嗅いだ、あの臭いだと。明日になったら管理会社電話しようと決めて、部屋に戻って寝た。

そして翌朝。出勤の支度をしていたらチャイムが鳴って、ドアを開けると警官が立っている。

「あのー、変な臭いとか、されませんでしたか

と訊かれ、実は何日か前から……という話をして、

「あの、何かありましたか。私もここの住人なので、差し支えない範囲で教えていただけませんか」

と言うと、警官は言いづらそうに、この部屋の二つ隣で、住人の女性が亡くなられていたんです、何かご存知のことはありませんか、と言う。しかし、隣室の住人の顔もよく知らないような状況で、その更に向こうの住人のことなど知る由もなかった。

職場でその話をすると、皆さん興味本位で色々と仰る。うわー気持ちいねーもう引っ越した方がいいんじゃない?……まあ、よくあるパターンだ。そりゃあ、家の近くで人が亡くなっていたというのはそれなりにショックだったわけだけど、私は違うことを考えていたのだった。自分と同じように独りで暮していた人なのだろう。あの部屋のドアは結構密閉性が高いので、ああい臭いが出てくるまでには相応の時間がかかったに違いない。その間、その人はずっとそこに骸を晒していたわけだろう。これはその女性ではなく、自分に起きたことだったかもしれないのだ。その間にはおそらく何も違いはあるまい。ひょっとしたら、私が骸を晒し、あの臭いを発していたのかもしれないのだ。そう思ったら、興味本位の人と一緒に騒ごうなどと、考えられるはずがないのだ。

皮肉ものだ。屍臭の向こうに、かつてあった生とその現状があるのを思い知らされ、そして私がそのときたまたま傍観者だったというだけで、いつ私が骸を晒す側にならないとも限らない、ということを思い知らされたのだ。私はその晩、帰宅してからその部屋の方を向いて、あの犬のときと同じように祈った。それ位しかできなかった。調子の悪いときに出喰わすことができていたら、とも思うけれど、それはもうどうしようもない。ただ、高校とき体験に、同じ人間という更なるリアリティを裏打ちされて、私の中に今でもこのとき記憶は強烈に残っている。去年は有名人でも亡くなる人が本当に多かったわけだけど、誰かが亡くなる度に、私はこれらのことを思い出すのだ。

2019-01-20

四国、寝台

寝台では浅く眠っただけだった。起きるとそこは横浜駅を発車したばかりで、車内は人々がまばらに朝の眠気を横たえていた。

金曜、仕事が定時を少し回って終わった。

エンジニアとして現場研修をしている私は、帰路につくためバスから電車へと乗り換える赤羽駅にいた。

――どこか遠くへ行きたい

そう思いたち、改札を抜ける前にみどりの窓口へと向かった。

「22時東京発、寝台券はまだありますか」

用意されたのは、琴平行きの座席特急券。それを手にしたあと、大宮にある自宅へ一旦戻って、身支度を始めた。

最低限の替えの着替えと、歯ブラシタオル文庫本リュックサック突っ込み、口座から少しだけ金を引き出し、気付くと東京駅9番線ホームサンライズ瀬戸を待っていた。

人生初の寝台列車だ。

入線してきた赤色薄茶色の車体に乗り込み、間もなく発車したサンライズ瀬戸号の車窓へ目を向ける。

通過する品川駅にはまだ多くの通勤客が帰路を急ぐ。彼らを裏切るかのようにして、私は東京を離れた。

小学生遠足ときのように、興奮で眠りは浅く、然し心地の良い揺れはまるで子守唄のようだ。

沼津を過ぎるまではそんな調子で、しかし体がいよいよ慣れたのか、それから岡山出雲市行きと分割するまでぐっすり眠った。

瀬戸大橋線に入り、車窓には瀬戸の島々が並ぶ。それまで横になっていた私は、その時を待っていたかのようにすぐさま体を起こし、洗面台で丁寧に顔を洗い、歯を磨いた。高松では多くの乗客が下車し、それから延長運転を行う琴平行きの車内は伽藍であった。

定刻で琴平に到着したサンライズ瀬戸は、しばらくホームに身を横たえ、旅を始める我々を見送っていたように思えた。

観光案内所も閉まっている。まだ9時前だった。

急ぐ必要もない私は、とりあえずその足で気の向くままに、初めて足を踏み入れた四国の道を歩き出した。

金比羅山の長大で急な階段参道はやはり足に堪えたが、御本宮からの眺めを見てそれも消えてしまった。

初詣からまだ数週間足らずで再びお参りをするのは変な気分だったが、この旅の無事を願い、参道列に加わり手を合わせる。

いきあたりばったりでこのあとの予定も何一つ決まってはいない。不思議とそれが心地よかった。

来た道をそのまま下り琴平駅に戻る間に土産の品をいくつか買った。飴、手ぬぐい(今治のものだ)、饅頭

すれ違う人々は意外にもスーツ姿の団体が多く、1人の私は割に目立った。それもまた不思議と気分を高揚させた。

琴平から土讃線上り特急に乗り、松山を目指す。

予讃線に乗り継ぐ多度津駅で近くの食堂に入り、日替わりの昼食を注文した。

予想はしていたが、メニューにはナチュラルうどんが設定されていた。かき揚げおにぎりと一緒にいただく。もちろんとても美味しかった。

予讃線下り松山行きの特急いしづちしおかぜ自由席は半分ほど埋まっていた。

空いている窓側席に腰を下ろし、金比羅山で蓄えた疲労をしばしの間、癒やす

文庫本を開いてすぐ眠ってしまい、松山駅の到着案内で目を覚ますことになった。

松山駅を降りると、失礼ながら想定していた風景とはだいぶ違った街並みが広がった。

すぐそば伊予鉄道路面電車が走り、人々が休日らしい顔持ちで道を往きかっていた。

バスターミナルにて1Dayパスを購入し、中心市である大街道電停に向かう。

大街道電停松山城の目と鼻の先にあり、電停を降りる瞬間、目に入った。

琴平駅では松山方面に向かうか、高知方面に向かうか一寸悩んだのだが、松山に来て正解だったようだ。非常に立派な天守閣だった。

城を横目にマンホールカード収集のため坂の上の雲ミュージアムに赴き、1時間ほど観賞したのち、喫茶店に入りたばこを吸った。

道後温泉行きの時刻に合わせて喫茶店を出て、再び路面電車に乗り込む。

きっとこのまま温泉宿に泊まるのだろう。車内は温泉客でほぼ席が埋まっていた。

道後温泉街は本当に賑わっていて、改めて今日土曜日だということを私に再認識させた。

――少し急がなければ。

人混みを縫うようにアーケードを抜け、道後温泉本館で湯に浸かった。

復路の寝台が高松駅を21時半前に発車する。

琴平駅のみどりの窓口ですでに確保していた、その列車のことを念頭に置きながら、再び路面電車に乗り、JR松山駅前電停で降りる。

駅前キオスクで少しのビールつまみを購入し、もうすぐ発車する高松行きの特急に乗り込んだ。

もうこの旅も終わりだ。

余韻と若干の寂しさを感じながら、日が暮れかかっている四国風景を見て、ビールを飲んだ。

2時間以上瀬戸内海のふちを走りきり、降り立った高松駅は、高層ビルがいくつかそびえ立つ、立派な港町だった。

連絡船時代面影をほんの少しだけ残したホームでまたうどんを食べ、キオスクビールつまみを買い足す。最後の晩餐ともいえるような光景だった。

もう少し、ここにいたかったな。

そんな気持ちを奪い去るようにして、寝台特急サンライズ瀬戸高松を出発。途中の岡山出雲市から来た列車と連結し、東京に私を運んだ。




追記

座席特急券

往路はノビノビ座席を、復路はソロ寝台券を取りました。

座席特急券」と書いたのは、ノビノビ座席について、寝台券必要がなく座席として発券される特急券というニュアンスを込める為です。

高知について

今回でサンライズが大好きになったので、また近いうちに乗って、高知城も見てみたいです。

あと、四万十川も。

2018-11-23

大阪出張記録5日目~大阪城・帰宅編~

4日目デリヘル編はこちら→anond:20181121204805

  

前日にデリヘルギャルといちゃついて上機嫌だった俺だが

大阪から帰るということで寂しい気持ちになっていた。

  

チェックアウト後、ひとまず小腹が空いたので

サンドイッチを食って、ここでまだ時間に余裕があると気づき

大阪城に行くことにした。

  

環状線大阪城公園まで行く。

なんだ割と近いじゃないか!これなら余裕だなぁと思って増田を見る。

  

大阪城なんて何もないし、行くまで遠いしでなんもないぞ」

  

ふふっ。地元の人だとこういうこともあるんだろうなぁきっと

って鼻で笑う傲慢さがこの時の俺にはあった。

  

10分くらいで大阪城公園駅に到着して旅行カートロッカーへ。

  

そこから歩く。普通の一直線の道。

さらに歩く。曲がり角があって、まっすぐまっすぐ。

2階建ての飲食店やら何やらがある通路に出る。まっすぐまっすぐあるく。

  

俺(なんだ・・・?本当にここに大阪城があるのか・・・?)

  

そしたら石垣や門が見えた。

なーんだ。これっぽっちじゃないか。ったくもう増田ってば大袈裟なんだから

  

門をくぐる。

そしてまた大きな道にでる。そこから聳え立つ大阪城が見えた。

  

俺「遠くね?」

いや言葉にしてだした。ちょっと遠い気がした。あれ?あんなとこまでいくの?

嘘だろ?

  

脳内(歩こう~歩こう~私は元気~)

3日目で20000歩、4日目で10000歩あるいた俺の宿命なのか?

流石にちょっと歩き過ぎじゃないかなぁなんて思ったので

  

脳内アルコールアルコール!私はビール~♪)

ちょっと脳内おかし物質が生成されていると危機感を持った。

そこから橋を渡り坂道上りゆっくりゆっくりとの大阪城に近づいていく。

  

この時点で多分20分くらいかかっていた。

増田(確か大阪城まで20分くらい歩いたな)

  

俺はこの増田ジョークうまいなぁ最近増田プークスク

なんて思っていたのを謝罪したい。本当に侮っていた。

申し訳ございませんでしたぁ!インターネッツなんて嘘ばかりと思っていた俺を

殴りたい。ぶん殴ってやりたい!

  

そんなこんなでようやく城の近くまでたどり着き。チケットを買う。

チケットを買うのに並んで15分もかかった。

  

ほぼ外国人しかいねぇえよ!?

月曜日の昼間だしそんなもんかと思ったが多すぎる。

  

それから…城門のあたりで人ゴミが激しくなってきた。

俺(うあーなんでこんないるんだようあああああああ!)

  

ようやく中に入って、観光開始だったのだが、

まさかここまで時間がかかると思ってなかったので

天守閣までさっさと向かった。そして!

  

うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

  

俺は感動した!なぜなら!

  

  

特に何もなかったから!!

  

ごめんなぁ!俺!景色がいいとかそういう気の利いた言葉

思いつかないタイプなんだよ~!

オチがなくてごめんな!ほんっと増田の言う通りだった!!!

  

何もないじゃん!いや!見晴らしはいいよ!うんうん!

見晴らしね!いいよいいよ!あっしゃちほこだぁ!

うんうん。うんうん。

  

男だから城に憧れただけなんだよーー!

男だから!男だから城の中を探検したいお年頃だったんだよー!

  

天守閣をなんとなく堪能したらそこから階段下りる。

  

途中、高松城の戦いで秀吉水責めしてたと書いてあったので

あぁ俺も昨日はデリヘルギャルにローションで責められたなぁ

なんて感激していたのを思い出していた。

  

なんとなーく色々と見て十分楽しんだのでお土産だけ買った。

  

そして帰り道。

俺(ここからまた20分かよ!)

  

歩いたよ歩いたよ!歩きましたよ!

中小腹が空いたのでうどん食いましたよ!

  

そして環状線に乗って大阪駅に。

そこから空港行のリムジンバス乗り場へ…。

  

あぁ帰りかぁ…と段々と帰りたくない気分が強くなる。

だが帰らねばならない。

そんな思いでぼけーとしてると

  

おっちゃん「ァなるっすか?ジェルっすか?」

俺「は!?

おっちゃん「アナルっすか!!ジャルッスカ!?

  

イミワカンナイっすけどwwww

なんかリムジンバス職員みたいなおっちゃんが話しかけてきた。

よくわからはいはいみたいに答えた

  

おっちゃん「アナルっすね。ほいほい」

俺(???wwwwwなんじゃらほいwwww)

  

って言われてカートシールを張られた。

  

俺(ああっ旅行カートのか!?

  

周りを見渡す。

おっちゃん「ANAっすか?JALっすか?」

  

今度ははっきり聞こえた。

俺(難聴主人公か俺はwwwwww)

  

何がアナルだよボケ!!!

最後最後に笑わせんなよくっそ!!!

和ませてもらいリムジンバスに乗り込む。

伊丹空港ではANAJALで乗り場が違うのでそのために聞いてきた

  

20分ほどして空港へ。

手続きをしてお土産を買い、そして待機所へ。

  

色々あったなぁ。疲れたなぁ。

大阪しかったなぁ。Mちゃん可愛かったなぁ。

Yちゃんともやりたかったなぁ。

USJしかったなぁ。あぁー楽しかったなぁ。

たこ焼きお好み焼きもうまかったなぁ。

酒も上手かったなぁ。

  

アナウンスがきた。飛行機に乗り込む。

1番最初に乗り込んだのでCAさんとちょこっと話す。

俺「USJ大阪城も楽しかったです。ぜひまた来たいです」

CAさん「よかったですね。またいらしてください」

  

気分よく座席へ。

サヨウナラオオサカ。

サヨウナラサヨウナラサヨウナラ

飛行機が加速する。離陸。そしてイヤホンをつける・

  

ファイナルファンタジーⅦ  空駆けるハイウインド 」を聞く。

  

あぁー終わった終わった。はー寝よ。

ぐったりしているうちに。地元へ着いた。

  

旅行カートを受け取り、出口へ。

  

俺「あー腹減った。はぁ。」

  

腹が減ったので空港内のレストラン

  

俺「なんか食うか。よし景気づけに!」

  

  

俺は牛タン定食を食うことにした。しばらく待つときた。

  

俺(うめええええええええええええ!)

俺(うめえええええ!やっぱり食事地元が1番だぜ!)

俺(牛タンうめえええええ!やっぱり地元世界一だぜ!)

  

大阪ことなどすっかりどうでもよくなり、満腹になった。

  

俺(おし帰るわ。)

  

そして帰宅

  

俺「あっあーーー家は最高ゥゥゥ!」

俺「風呂入って片付けして寝るかぁああああ!」

こうして、俺の大阪出張は幕を閉じた。

  

  

後日談

職場上司大阪しかたか?」

  

…一瞬考えて

  

俺「ぼちぼちでんな!」

職場上司「wwwwそうかそうかw」

  

大阪出張記録 完

2018-11-19

[]【6】2018 晩秋広島博多別府

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anond:20181119230657





4日目



慣れてしまえばどうって事ない


目を覚ましてカーテンを開けると、結露のモヤの向こうに広島の晴天が広がっていた。

窓の外には気持ちの良い冷気があるのだろう。

東京から南に移動したとはいえ、同じ日本なので11月気候にそれほど大きな違いはない。

今日がこの旅では広島最後の朝、昼には新幹線博多に向かう。

チェックアウト前に最後の一風呂を浴びる事にした。


初日否定的レビューをしてしまったホテルだが、古い設備バストイレ別の狭い部屋も慣れてしまえばどうということはなく、フロントは丁寧だし、サウナも使えるし、立地も便利だしで、これで1泊あたり3,500円ならコスト分の満足は超えていると思う。

実際、2泊通してフロントには出張族と思しきスーツ姿やツナギを着た現場仕事の兄ちゃんが引っ切り無しに訪れており、底堅い需要存在を感じさせた。


洗い場の排水改善された大浴場で朝風呂を浴びてホテルをチェックアウト、清涼な空気を吸いながら、遠回りして広島駅へ向かう。

と、スマホ地図確認していると、広島城が案外近い事を発見した。

平和記念公園宮島観光時間を使い切ったと思ったが、この距離なら新幹線の出発前に回れそうだ。


江戸時代以前の城は火災戦争などで城そのものは失われてしまっていることが多いのだが、広島城は戦後天守閣復元されており、中は歴史博物館になっていた。

海運の要衝として発展した広島歴史築城した大名、城内や城下暮らしなどの展示を見た後、登っていくと、ショウケースの中に幾振もの日本刀がその刃に輝きを湛えて横たわっていた。


チェックアウトの前にニュースサイトをチェックして目に留まった件がある。

全米ライフル協会医師発言揶揄するツィートをした事に、医師たちが猛反発し、抗議のツィートが全米で広がっているというニュースだった。

全米ライフル協会のツィートには「なんでこんな無神経なことが言えるのだろう」と、瞬間 疑問に思った。


アメリカ選挙に影響を与える資金力が良く話題になる全米ライフル協会だが、それを支えるのは「銃を持つ事を肯定する思想と無数の感情」だろう。

アメリカは「政治暴走した時に民兵が蜂起して正しいアメリカを取り戻す」という思想の元、市民の銃の携行が権利として認められているという。

でも、そういった政治思想より「銃を取り上げるな」という感情が個々人の心になければ、銃の携行はここまで生きた頑強な権利として存在し得ないと思う。

銃社会でない日本にあって、その想像は難しいと思ったが、日本刀を説明する時「侍の魂であり、日本の誇るべき美の結晶」という様な言われ方をするのを考えれば、わかる気がした。

アメリカで銃が民政象徴として説明される様に、日本刀も忠義や克己の象徴として思想的な説明が試みられる。

しかし、銃も刀もその道具としての核心的機能は「暴力行使」だ。

自分を脅かすものや気に入らないもの暴力排除できる」という自信が携行を望む個人の心の核心にあるのだろう。

侍の帯刀も銃のオープンキャリーも「それを取り上げられたくない」という感情の根は共通である様に思う。


ただ、それを本当に人に向けるとはどういうことなのだろう。

倫理でも哲学でも政治でもない。感情として。

日本刀の分類上、刃渡り60cm以上は太刀や刀に属するという。

展示のそれを見てもはっきり言ってリアリティがなかったが、すぐ側のショウケースの中にある脇差小刀普段料理に使っている包丁と大した違いはない。

「これを人に向ける?刺すのか、これで?本気か?」

膝がすくみ上る気がした。

俺には無理だ。

だけどすぐに次の言葉が心に浮かんだ。


「きっと、慣れてしまえばどうということはない」


【7】2018 晩秋、広島・博多・別府 3日目|グローカル へ >>

2018-08-05

城での観光の楽しみ方

お城を観光で見に行くとき、いつも自分だったらどう攻めるかイメージして楽しんでる

天守閣の頂上に着くまでにいつも100回くらい殺されているが(笑)

特に姫路城は撃たれるポイントが多すぎ

2018-05-22

名古屋天守閣エレベーター問題、身障者の人たちが猛反対してるようだけど、なくて正解だろ・・・

元の図面があって再現しましょうっていう歴史価値の方がずっと上だろ

エレベーター付きの天守閣現代建築のどこに意味や意義があるんだ?

ましてや横穴あけてエレベーターとか、そんなんだったら身障者だけで金出し合ってやってくれよ

こんな簡単な話、おめーらが健常者だったらすぐわかんだろ・・・

2018-04-01

[]

さーて今週のお嬢鯖は!?サバスです🦈お嬢鯖が出張で前泊なので観光に来ています🚄寝坊⏰したので行けたのは岡山城後楽園・県立博物館の三本です❗️来週もまた観てくださいねじゃんけんぽん✌️ウフフフフ

締めないでくれませんこと。今日岡山にお出掛けですわ。

二年ぶり二度目ですわ。前回もあまり時間がありませんでしたので岡山城後楽園でしたわ。確か後楽園は夜営業をやっていた時期でしたがライトアップ前に出てしまいましたわ。

今回もまずは岡山城に参りましたわ。黒い天守閣でしたわ。中は博物館みたいになっていましたわ。あまり有名どころの名前がない気がしましたわ。わたくしあんまり日本史に明るくありませんわ。

その後は後楽園に行きましたわ。売店で独歩ビールコイのえさを買いましたわ。矢でも鉄砲でも火炎放射機でも持ってこいやですわ!

コイに餌をあげていると

体が緑でミドリガメ!耳が赤くてアカミミガメ!鯖がいなくてお嬢鯖!わたくしですわ!わたくしですわ!わたくしでしたわ!

あと前回は6時くらいから閉まってしまって見れなかったタンチョウを見ましたわ。他には奥の方の桜が満開っぽかったですわ。ゆっくりたかったのですが博物館に行きたかったのですぐに出てしまいましたわ。

県立博物館は小さい博物館でしたわ。刀と木像が印象的でしたわ。何かが特別展示的なのだったはずですが展示のしかたが特別っぽくなかったのでどれだったかよくわかってませんわ。


食事エビめしを食べましたわ。

鯖は食べませんでしたわ!鯖は食べませんでしたわ!

2017-04-21

天守閣石垣

安土城が始まりであるとしてよさそうな天守閣天主)、それはキリスト教天主を祀る場所であった。石垣を積んだのは、石工(フリーメイソン)たちであった。城のそばでは、キリスト教ミサにならった祭礼(茶の湯)が行われていた。日本はとっくの昔に精神をのっとられていた。

2017-03-23

何だかんだ言われてもやっぱり宗教って怖い

とあるバイトを辞める前日、たまたまいつも一緒にシフトに入るおばちゃんと休憩時間がかぶった。

だいたいいつも笑顔な人当たりのいいおばちゃんで、嫌いな人じゃなかったから休憩室に二人でも嫌ではなかった。

お菓子いる?いただきます、って刺し障りのない会話をしてて、

何がどうなってそういう流れになったか覚えてないんだけど宗教の話になった。

今思えば誘導されたんだろうな。

おばちゃんは俺がどこの宗教にも入ってないとわかるとおもむろに城が印刷されたパンフレットを取り出して、

ここには神様がいるの、と城の天守閣を指さした。

(嬉しそうにこの城は私たち寄付で建てたのよ、とも言われた)

最初は何言ってんだこの人と思ったんだが、いか自分信仰する神様が凄いかを延々と力説され続け、

眼の光が異常に強いこともあり段々と気持ち悪くなっていった。

今まで普通のおばちゃんだと思ってた人が突然わけのわからないことを喋り、コミュ障オタクのように一方的にこちらの反応を無視して話す姿は、一瞬で宇宙人に入れ替わったような感覚に陥る。

雰囲気に呑まれものの、最終的に休憩時間が終わりに近づきパンフレット押し付けられるに留まったため、ゴングに救われた形となった。

その日のバイトの帰り道、もう明後日にはここには来ないんだな、と思った瞬間

おばちゃんが今まで影すら見せなかった勧誘をなぜこのタイミングでしてきたのか繋がった。

職場信者であると漏らされる危険性、それによって自分を見る周囲の目がどう変わるのかを良くわかっていたのだ。

あれだけ盲目的な様子だったのにちゃんとリスク管理客観視ができているのはなんだか狂気的で背筋が寒くなった。

これだけで一概に宗教否定する気はないが、そこに属していない人間からすると何だかんだ言われてもやっぱり宗教って怖い。

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