「遊女」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 遊女とは

2024-02-18

性的衣装とは何か

性的目的で考案、作成された衣装(A)」又は「元は異なる目的のものであってもある状況下で性的目的に用いられるとのコンセンサス社会的に生じた衣装(A')」を指すと仮定する。

たとえば「穴あき下着」は前者A、「亀甲縛り」は後者A'の例だろう。そして、それらが批判対象とされるのは、

「それらが性的喚起力を高くもつとの合意が現に社会的に維持されている(B)」こと、そして「性的存在として眼差すことへの禁忌社会的存在する対象にそれらの衣装を着ける(C)」ような場合(つまりAorA'、かつB&Cの場合)と仮定する。この場合、結果として現れる表象それ自体公序良俗の取り締まり基準を満たしているか否か(D)とは、また別の問題として扱う必要がある(Dは、どんな文脈でも社会的提示するのは一発アウト、みたいな基準と考えられたい。生性器のドアップ写真、とか。ただこの場合も、「公序」の制限とかけはなれた特殊な状況、場所で許容されるのは言うまでもない。医学書とか。)。

以上を前提として、先日話題になった「オーストラリアのH&M広告炎上」の件と、昨日来話題の「咲バニーガール衣装」の件を合わせ論じたい。先に結論を述べれば、A~Cの基準が異なれば議論が噛み合わないのは当然であり、相手非常識扱いしてヒートアップするのではなく「相手との間で異なっているのは何か」を考える必要がある。相手が、いかなる表現100%許されると考えている人(つまりDなどないよ派)でない限りは、見解が異なるだけで、対話余地はあるはずだからである。ではまず、オーストラリアH&Mの件を整理しよう。

オーストラリアのH&Mが子供向けに「新学期ファッション」をテーマとした広告を打った。広告は、通学バス社会を想起させる色合い・デザインの背景に、かわいい通学服を着た女児2名がちょっと生意気そうな雰囲気で振り返り、「この子らを新学期ファッションに振り向かせよう」みたいな煽り文句がついていた。これが炎上謝罪撤回に追い込まれた件である

まず、この広告がDに違反していないことは言うまでもなく、それでも炎上したことに対して、いろいろと文句をつける人がいた。多くの人は「こんな程度でいちいち文句をつけるなんてちょっとヒステリックでは…」みたいな反応であり、個人的にそう感じる気持ちもよく分かるのだが、でもちょっと待ってほしい。女児制服ファッションとして扱うのは、このキャンペーンがまさに狙っていることであり、ファッション一種性的喚起力だととらえるなら、この広告は「生意気そうなモデルの表情」「かわいい制服」といった文脈で、Bを印象付けたわけであり、その結果、制服がもともともつA'の文脈制服に対して性的視線を向けるという界隈の文脈)を喚起した結果、Cに抵触する(保護されるべき女児制服を着せあざとい表情をさせて晒し上げる)という批判を生んだという風に考えることができる。このことは、A'に陥りがちな服装ファッショナブルな(あるいは扇情的な)存在として扱うときには常に注意すべき危険であり、BからA'→C違反、という道筋がすぐ描かれてしまうことに、広告関係者は神経を尖らせる必要があるだろう。その意味でこれは、「月曜日のたわわ」の一件との連続性が高い問題だった。あれも、Dには全く違反しておらず、おそらく制服でなければ問題化もしなかった広告が、一言の少しだけ扇情的キャッチコピーを添えられただけで炎上したが、これはもともと危うい位置にある存在で更に一歩危うい方向へと歩を進めることで起きたトラブルなのだと考えるのが適切である

ただし、表現とは常に時代の尖端で社会常識と切り結ぶのが仕事であり、そういう突破力を否定し切るのもいかがかと思う。社会的に(まだ)アウトですよ、と指摘するのはいいが、相手悪魔化したり、あまつさえ、様々な社会問題の根源や責任がそこにあるかのように攻撃したりするのは、慎むべきだ。社会の様々な問題は、多くの場合間違いなく社会のものの中に有り、そちらをまず片づけるべきであるゴミの多い都会を描いた漫画があるとすれば、取り組むべきは都会のゴミをまず片付けることであって、漫画の取り締まりではない。

次に、「咲にバニースーツ着せた姿の広告炎上」した件。これに対して「高校生バニーガールなどという性的衣装を着せた絵が広告として駅頭に出るとは、常識外れもはなはだしい」という指摘が出た件である一見すると、上のオーストラリアの件以上にひどい案件に聞こえ、即取り締まられてもおかしくないように感じられることだろう。この場合、それが一般的公序良俗違反(D)の案件である必要はない。たとえば、制服の上から亀甲縛りをした少女を描いた広告にOKが出るか、と考えてみればすぐ分かる話だ。Dに違反していなくても、これはA'かつBかつCで明白にアウトである。では、「咲+バニースーツ」はどうなのか?

バニースーツがAであることは誰も否定はしない。従って、論点は、B「それが性的喚起力の高い服装であるとの社会的合意があるか」、また、高校生が「性的存在として眼差すことへの禁忌社会的存在する」ことは前提とした上で、これらの少女が「高校生である」ことが明示されているか、の2点ということになる。

C 「咲」に登場する少女高校生であることは明示されているか? これについては、残念ながらこの広告に関する限り、疑わしいとしか言えない。批判者は咲が麻雀部に所属する高校生であるとの知識をもって批判しているが、咲はそこまで社会的認知度が高い漫画ではない。アニメ化されたとはいえ視聴率は1%に届かない程度、DVD売り上げでも、1期7758枚、2期4939枚、3期4565枚…。(※)アニメファンには実写化映画化……とされた人気作のイメージがあるかもしれないが、社会現象になった数々の作品に比べれば売り上げが一桁少ない。加えて作品ジャンルが「麻雀」という、一般的にいって高校生とは結び付けづらいものだ。この広告を見た多くの人が「高校生バニースーツ」という風に見る、と主張するのは難しい。ただし、一定年齢層以上の人で、アニメ画は全て少女ロリ)にしか見えない、という意見をお持ちの方がいることも、一応認識はしている。

(※DVD売り上げはhttps://nizilove.com/category/number-of-anime-sales/page/2/の値。)

B それが性的喚起力の高い服装であるとの社会的合意があるか? おそらく批判者が一番「何を言ってるんだ?!」と思うポイントであり、今回一番議論が噛み合っていないところだと思うが、Aのような服装時代を下るにつれてBの意味合いを失っていくことは、歴史的にはよくあることである。たとえば、髪型一つとっても、「結わない髪は淫らである」といった固定観念が、遊女などの流行を取り入れつつ徐々に変遷し(※)、現代の人は単に「かわいい」という感覚で振り乱した髪の毛を奔放になびかせているのはご存じのとおりだ。「そんな髪型は昔は遊女流行らせたもので…」と説教をして、いま、一体誰が首肯するだろう? 時代が下ればある衣装が「もともともっていた意味合い」が薄れていっても、何も不思議はない。つまり、たとえAであったとしても、時代によってBではなくなるということは別に不思議ではないのだ。

(※たとえば参考:「『女髪結』考」https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/21365/files/KU-1100-19940930-01.pdf

では、バニー衣装はどうなのか、といえば、これはまさに時代が変化しつつある過程なのではないかと思われる。自分は決して専門の立場ではないが、そもそも夜の店の主流がキャバレーキャバクラ等へと変遷していく過程で、「性的接待衣装としてのバニーガール姿」というのはもはや古典的イコンとなり、現役の「風俗衣装」としての意味合いをかなり失いつつあるのではないか。たとえば「社長さん」御用達で半世紀以上の歴史を誇る「エスカイヤクラブ」では、支援の声を受けて「ワンランク上のおもてなし」としてバニーガールによる接待をうたっている(https://www.esquire-club.co.jp/general/about01/)が、これなど、バニーガール姿がほとんと「祇園芸妓」的な存在と化しつつあることの表れではないだろうか? そもそもの出発点においてからが極めてトレードマークコスプレ的な衣装であったバニーガール衣装が、現代においてコスプレ的ではなく生き延びている事例というのがどれほどあるだろう。

そのような時代の変化の過程において、「バニースーツ性的!」という批判と「ただのコスプレじゃん?」という意見が、まさにBをめぐる議論として立ち現れてくるのならば理解ができるし、それははっきり言えば単なる「時代感覚の差」の問題に過ぎないと思われるのだ。たとえば、高校生文化祭メイド服を着る、あるいは、小・中学生習い事ポールダンスを学ぶ……ある年代以上の人からすると、目が点になるのか三角になるのか知らないが、そんな事例であろう。だがそれらは、時代の変化の中で起こるべくして起こる変化の一様態しかない。

まり、これらは決して表現の自由だとか差別かいった問題ではなく、単なる「年寄り若者時代感覚の違い」に起因する問題だと認識した方がいいと思う。ならば、相互批判しあう人たちも、この問題からいずれも学ぶことがあるはずなのだ。こういった問題で、敵味方を作ってがあがあがなりたてるのはよろしくない。何よりも必要なのは、分断ではなく対話理解であるはずなのだから

2024-02-11

anond:20240209211134

なんか遊女とか売春婦の話って「売り飛ばされた」とか被害者史観男性嫌悪で語られがちだけど

大多数だった「お金が欲しいけど労働はしたくなくて」「男ゲットするために」「楽したいから」みたいな堕落史観売春婦を語る展覧会見てみたいな

奴らがどれくらい堕落したやつでだらしない生き方をしていて、性を利用して不当に利益を得ていたか語って欲しい

2024-02-10

anond:20240209211134

そもそも遊女」なんて今は使ってないじゃんね

廃れたか安心しる!

anond:20240210014016

吉原は本当に華やかで、大名であっても花魁にフラれることがあった。

それ吉原遊女の中でも限られた最上級遊女だけ、しかあくま伝説であって本当にそんな風習があったかは怪しいんだが

実際にあったかどうか怪しいしあったとしてもごく限られた人の話が吉原スタンダードだと勘違いしてる人がいるほどに

吉原は美化されている、って事だわな

2024-02-09

anond:20240209211134

女郎」も「遊女」と似たようなものだろ

もともと高貴な女性を指していた言葉売春婦を指して使われるようになった

たぶん無難呼び名としては「娼妓」でいいんじゃないの?

私は「遊女」という言葉が嫌いだ

ちゃん理由がある

遊女語源は遊行女婦とされている

この遊行女婦は宮仕えの男性相手にした、教養を持った売春婦とされている

よくある吉原の◯◯太夫イメージは遊行女婦を起源としている

もともと、遊行女婦は女性だけで組織されていたのだが、いつの間にか男性支配され、今で言う管理売春組織になった

なので、管理売春された売春婦を当時遊女表現していても、現代人が遊女と呼ぶのは間違いだと考えている

言葉は悪くとも、吉原などの遊郭や飯盛旅籠で働いていた女性淫売とか女郎の方が適切だろう

ただ、残念なことに世の中そんなことを知っている人はあんまりいない

吉原太夫とか花魁という言葉がいつ使われていたのかも知らないと思う

知らないなら使うな、とは言わないけれど、知ろうとしてほしいと考えている

そして、知ろうとするきっかけは沢山あった方がいい

大吉原展がどのようなものになるのか知るはずもないけれど、知りたいと思えるような展示であればいいと願っている

2024-01-29

anond:20240129011301

( ^ω^ )

現代に続くハイヒール起源の説はいくつかあり、定説は定まっていない。

紀元前400年代アテネで、背を高く見せるハイヒール遊女間に流行した。これは男性も履いていた。

15世紀からイタリア、及びスペインで、チョピンというファッションオーバーシューズ貴族女性や高級娼婦流行する。

16世紀末に欧州現代に続くハイヒール生まれる。

町に溢れる汚物を避けるために生まれたという説もある。

ルイ14世は背を高く見せるために愛用していたなど、前近代から近代初期にかけては男女を問わず履かれていた。しかし、ナポレオン戦争が始まり各国で国民軍が創設されると、戦場を駆け回るために男性機能的な靴を選ぶようになったため、ハイヒール女性の履物と見なされるようになった。」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AB

2024-01-20

鬼滅の遊郭編は「鬼の過去が泣ける」とかいうからどんな悲愴ものが描かれるのかと思ったら

遊女が客にブチギレて片目を刺して潰したら客にやり返されて殺されてつれえって流れで

苦界の苦しみをもっと丹念に描くとかそういうのだと思ったら浅いし別になにも心動かされなかった

まあジャンプだしな

2024-01-06

anond:20240104134221

人による、としか言えない

夫に行ってもらいたい妻もいれば

妻が行くのは絶対イヤな夫もいるでしょ

相手遊女でもヨソの女に変わりないし

半分の妻はイヤなんじゃないの

恥ずかしい みっともない いい年 汚い 人身売買、とか思うんじゃない?

堂々とは公言はしないしね

妻の両親親戚に普通は言えないでしょ

2023-11-06

anond:20231106131243

割とまじで日本の文化からだろ

ホストから色恋営業を取っ払った代物が正に吉原だし

その吉原戦争が終わってGHQが来て帰った後くらいまでは残ってたのがこの国やで

社会の一部と認識してるもんは規制すんのが難しい、異常と思うことができんから

実際吉原が無くなった時に無くすように動いたのはキリスト教系の団体日本思想人間ではない

ちなみに吉原日本人の女に行われていたことを当時日本領だった朝鮮で同じように行ったのが慰安婦やな

慰安婦はあばずれの商売女とかいう論を聞く度にこいつら吉原の中の日本人女もあばずれの商売女だと思ってんのかなって思ってるわ

まあでも遊女人権なんて気にする奴はこの国にはおらんからどうでもいいな

まとめると日本には『借金漬けの女』という穢多非人階級があるというのが分かりやすいんじゃねえか

2023-11-03

anond:20231103201602

増田すごく誤解してると思うけど、弱者男性にも女性があてがわれていた時代なんて存在しないんだよ

今は平和世界の中で一人寂しく過ごしている弱者男性は、ちょっと前の時代では、戦場慰安婦しか知らずに死んで行ってたのだろうし、もっと前の時代では吉原バカにされて一番安い遊女を抱けるか抱けないか暮らしてたのだろうし、どこにも救済なんてありはしないの。

女性権利制限したとしても、その権利を握るのは強者男性であり、弱者おこぼれは回らないんだよ。

猿山だってヒエラルキー下のオスは山を追われてビクビク隠れながら暮らしてるんだから

2023-10-24

もう遊郭システム復活させて金で遊女を身請けできるようにした方が婚姻率上がるんじゃないだろうか

パパ活とか蔓延してるよりマシな気がする

2023-09-14

anond:20230914181322

明治時代の大物政治家には遊女結婚した人間がたくさんいたのに、今だと蔑まれそうだから、むしろ社会は退化したのでは。

2023-07-22

娘の名前を「遊女(ゆめ)」にしようと思うんだが

これってキラキラネームじゃないよな?

2023-05-20

歌舞伎世界男色に染まりやす理由

歌舞伎そもそも女人禁制である

これは江戸時代に遡る。歌舞伎を作ったのは女性の人だが、しばらくすると遊女と客も交えた性交劇と化した。今で言うとストリップ劇場ハプニングバーが合体したようなもの。そのため風俗上不味いとなり女人禁制となった。

https://tokubooan.jp/wabi-sabi/kabuki-female.html#ng

から必然的に男の園となり、男色に染まりやすい。

2023-05-02

anond:20230502171549

それは遊女相手感情じゃん

恋愛遊女とするもの結婚相手はイエのための道具であり産む機械、ってのが日本スタンダードだろ

女の方も恋愛をするのは玄人だけで素人の女は父親の道具として生まれて育ったら夫に売られる存在だし

2023-03-31

お茶を ❌引く ⭕️挽く anond:20230330232330

茶を挽(ひ)く

① 茶臼で茶の葉をひいて抹茶を作る。

② 〔昔,遊里で,暇な遊女などに茶の葉をひかせたところから〕(遊里・水商売などで)客がなくて暇である仕事をせずに,ぶらぶらしている。お茶を挽く。

2023-03-27

anond:20230327193601

昔の遊女は線香で陰毛を焼いたというが……

それは多分、はさみとかで切るとセックスの時にチクチクするからなんだろうね。

2023-02-12

anond:20230211233407

遊女を数百人かかえていて、中には10歳くらいなのも交じってたらしい

小田原征伐にも遊女を連れて行ったのはとても有名

 

吉原発祥秀吉がつくった大阪遊女小屋というのも有名

2023-01-22

多くの人が同担拒否理解できない理由

anond:20230121222629

興行でやっているキャラクター実在人物は、多くのファンを構築してサービスの対価でお金を稼ぐ。

同担拒否はこれに真っ向から対立する感覚だ。

衆人に愛される存在とせず、自分けが対象を愛したい。

ここには多くの人が不可解に感ずるであろう点がふたつあるように思う。

一つ目は多くの人に発信をしている対象を、ある1人が独占できるわけがないこと。

二つ目はその人間対象を独占した時に経済的に支えられないこと。

同担拒否はこの辺りの想像力が欠如した稚拙な態度だ。

ただ、誰しもがちょっとは「あの人を独占したい」と心の中で思うことはあるだろう。

そして、それと同時に「うん、そんなのは無理だな。みんなと一緒に応援しよう」と想像する。

同担拒否は程度の差こそあれその辺りの想像に何らかの短絡が起こっている。


ただ可能性はある。

前近代旦那たちは遊女を身請けした。

すなわち面倒を見ることを前提に買い取るのだ。

同担拒否を貫徹するのであればライブで隣に同担が被るとかどうとか細かいことは放擲するべきだ。そんなことは気にすんな。

堂々と事務所に行って金か石油有価証券わからんが支払って身請けすればいいのだ。

そうすれば究極的な同担拒否権発動である

社長になって金を稼いで身請けすればいい。

同担拒否とは本来こういうスケールのでかい話を言うのではないだろうか。

2022-07-22

ホモだらけの戦国時代

『奥羽永慶軍記』には、景勝は身辺に女を一切近づけないほど極端な女嫌いで、当然ながら正室菊姫と非常に不仲[注釈 18]であると共に、衆道を甚だしく好み、身辺にはもっぱら美貌の少年達のみを侍らせていたという話がある。しかし、この話には側室の四辻氏の出自大谷刑部の家臣の娘であった遊女とし、直江兼続が世継ぎを生ませる為、この女を男装させて景勝に引き合わせて定勝を生ませたが、このことを知って激しく嫉妬した正室菊姫の怒りを鎮めるためにこの女は自ら自害したとし、それを知って恨みを抱いた定勝が兼続を自らの手で殺害するという明らかに史実と異なる記述や考証がされており、信憑性には問題がある。景勝は慶長17年(1612年)8月衆道禁止令を発布しており(「三重年表」)、これを根拠として男色家ではないとする説もある[注釈 19]。

本当だと思います

理由は家光の近習に男装させた女性を密かに配した事などあったからです。

家光は10代の頃に大奥に忍び込み、母親侍女を孕ませています

当然大奥の風紀を乱したという事で騒動になりましたが、次期将軍たる家光の不祥事は弟、忠長の増長さらに生むなど家光にとって大変に不利になる為に小姓の伊丹権六を犯人に仕立て、権六並びに侍女共々見せしめ処刑されました。

これ以降家光は近くに女性を寄せ付けない様になっています

将軍就任後もこれは直らず、見かねて女性を小姓に男装させて家光近くに置かなくてはならない程でした。

家光の女嫌いが直ったのはおそらく、大病をして万が一今自分死ね子供がいない為に4代将軍を尾張義直か紀伊頼宣に取られてしまう。と思ってからの様でこれ以降男装の小姓をお振として側室にし、姫を設けたり尼僧に一目惚れして無理やり還俗させて側室にしたりする様になりました。

また春日局の勧める、町娘のおらんには"らん"は戦乱に通じるから不吉と名前をおらく、お楽と改名させるなどの気遣いも行う様になっています

家光は自身の過ちから兄弟の様に寝食を共にしてきた伊丹権六を殺してしまい、それがトラウマとなって女性嫌いになった様で、これは将軍就任後も変わりませんでしたかが、東照神君家康公の申し子を自認する家光に世嗣ぎが居なければ、大事徳川宗家血脈を絶やし、家康申し訳立たない、また目の上のたんこぶの様な尾張義直に将軍を取られては沽券に掛かると考え直したのではないでしょうか。

ちなみに正室の鷹司孝子に対しても長年手を付けなかったそうで後に孝子の推薦する公家女性側室に迎えています

2022-06-27

江戸時代芸妓舞妓遊女の引き立て役だった

から芸妓舞妓が客とエッチするのはご法度だった。

芸妓舞妓が宴席を盛り上げつつ、最終的に客は遊女エッチした。

ところが、法律遊女禁止になってしまった。

その結果、遊女役割を引き継いだのが、芸妓であり、舞妓なのである

しか本来エッチ禁止のはずの芸妓なので、初対面の客とは絶対エッチしない。

何も知らないおのぼりさんは、芸だけ見て帰るから健全水商売だと勘違いする。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん