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2024-03-09

名古屋には観光地がない」に対する個人的見解

たびたび話題になるので、自分の考えをメモしておく。

名古屋人が「ない」というのにはそれなりの理由がある。

名古屋」とは

地元民以外が「名古屋」と聞いて想像しているのは「名古屋都市圏 - Wikipediaなのだろうが、地元民はあくま自治体としての名古屋市内かその周辺を指していると考えている。

あと、名古屋人は尾張か否かに妙にこだわる(愛知県尾張三河で二分される)ので、尾張じゃないところはエリア外。

犬山地理的には尾張なんだけど、名古屋市民から見ても「ちょっと足を延ばして観光に行くところ」のイメージが強い。

例えば「川崎観光地には中華街がある」と言われたら違和感があるように、「名古屋には明治村がある」は違う。

そして、そういうのが挙げられる時点で「名古屋には観光地がない」という意識がより強固になる。

「他の都市には何かある」と思っている訳ではない

名古屋ほどの知名度があるのに、観光地はない」という意識がある。

大阪福岡札幌はいろいろあると思っている。

修学旅行の行き先が名古屋」とかないでしょ。

お出かけスポットがないとは思ってない

東山動物園名古屋水族館名古屋市科学館とかが、立派だと思ってないわけではない。

ただ、それを観光地だとは思ってない。

どこの地域でもそうだと思うけど、上記のような施設観光客向けではない。(旭山動物園例外だけど)

個人的には、水族館はもうちょっとがんばれると思うんだけど…(海遊館とか美ら海水族館とか鳥羽水族館とか、観光客にも人気な水族館は少なくない)

遠足社会見学で行くところがたくさんあるのは知ってる。企業系の博物館とか楽しいよね。

名古屋観光地聞かれがち

ビジネス名古屋に行く人が多いので、「(出張のついでに寄れる)おすすめある?」と聞かれがち。大概日帰り。

けど、そういうのは余りない。

ビジネス街は普通の街なので、ただ仕事に行くだけだと特に見るものはない。

ナナちゃん?

みたければみればいいけど、渋谷ハチ公みたいなただの待ち合わせスポットだよ。

そもそも名古屋感」がない

横浜神戸は海沿いの公園に行くだけでその街の風を感じるけど、名古屋にはない。

個人的には、名古屋はいいところだと思ってるけど、現実的には観光地化に何度も失敗している。狭いので。

大阪博多とかはその街独特の風情があるけど、名古屋にはそういうのがないと思っている。

というか、東京が圧倒的すぎて普通繁華街には特に魅力がないと思ってる。地方から来る人なら普通に買い物とかで便利なのでは。

歴史が好きなら…

それはそう。

けど、名古屋人は「三英傑は皆地元を捨てた」と思ってる。

天下取る前の旧跡(普通神社とか)が点在してるので、大きな施設がドーンとあるわけではない。

名古屋城はちゃんと行くならいいけど、近くに寄るだけで(天守に入らなくても)お金がかかるので、ちょっと見に行く感じにはならない。

熱田神宮あたりは最近観光地化しようとしてるらしい。

名古屋飯は…

好き嫌いが別れるので万人にお勧めはできない。

食べ歩きとか酒のつまみとかじゃなくて、がっつり一食分なものが多い。

自分名古屋行くときに一番悩むのが、食べたいものの数に対して食事の回数が足りないこと。

特定の有名店がよく挙がるけど、普通食事をする店でありいわゆる観光地ではない。

大概のもの名古屋駅の地下街で食べれる。

(追記)名古屋城は…

80年代頃の名古屋弄り(ナゴハラ)の筆頭が名古屋城だったので、名古屋人は名古屋城を推さない傾向にある。

名古屋城にはエレベーターがある」は定番ディスりネタ名古屋人の心の傷は深く、今でも市長名古屋木造再建を目指している。

近年、本丸御殿が忠実再現されたりはしてる。

(追記)レゴランドは…

ネット民の目の敵にされてるので…‥

そして挙げられる「マウンテン

あれは学生街喫茶店おもしろメニューだしてるだけなので。

話のネタになると思うなら行けばいいけど、観光地としてお勧めはしない。

稀に名古屋飯の文脈で紹介されることがあるが、それは絶対ちがう。変わった人がたまたま名古屋にいただけ。

(補足)

…いろいろ書いたけど、結局は名古屋人の自虐ネタに過ぎないのだよ。

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(追記)

このエントリーは「名古屋人が『名古屋には観光地がない』といいがちな理由」の個人的見解を書いただけで、「名古屋には観光地がない」と主張しているわけではないです。

十分な時間目的があれば、数日じゃ回りきれないくらい色々あるのはそのとおりだと思います

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(追記)

カニンガムの法則とはよく言ったもので、結果的名古屋周辺の観光情報が沢山集まりました。

せっかくなので地図マッピングしてみたよ。元のTogetterで挙げられてたのも入れたし、ネタ的に挙げられてたのも見境なく入れた。

名古屋観光のお供にご活用ください。

名古屋には観光地がない - Google マップ

2024-02-19

anond:20240218142207

ダンジョン起源を知りたい、そんな貴方にピッタシの記事があるよ

https://sandmann.hatenadiary.jp/entry/2024/02/12/000000

ポイントとしては

本来ダンジョン」に迷宮意味は無い、「城の天守」という意味

RPGダンジョン起源トールキン指輪物語におけるモリア)は影響を与えていない

RPGウォーゲーム攻城戦起源説」は正しくない(てかウィキペディアTRPG関係記事は間違いが矢鱈多い、誤訳ソース当たったら存在しないとかザラ)

2023-12-26

anond:20231226174504

安土はそれほど防御に力いれてないかもだが

その後のほかの大体の天守は完全に戦闘第一施設だよ

どこからでも見える=どこからでも天守から撃たれるように設計されている

江戸時代戦争がなくなったか象徴みたいになっとるけど戦争がないから焼け落ちても再建されなかった(政治的必要なら再建されてる)

2023-12-07

anond:20231207191506

天守台も含めると、江戸城3代目天守の高さはなんと約58m! 20階建てビルに相当し、現存木造建築では日本一の高さとなる東寺五重塔3m上回る高さでした。日本一天守であったのはもちろん、当時は世界最大の木造建築だったのです。

2023-11-09

anond:20231109101350

ベタ王道ええんやで。小田原城、行っとき

小峯御鐘ノ台大堀

dpzでも記事になってるというか、小田原オススメスポットはこの記事めばええんちゃう?みたいな。

  >小田原にはトリックアートみたいな不思議景色がある~地元の人頼りの旅in神奈川県小田原市~ :: デイリーポータルZhttps://dailyportalz.jp/kiji/170915200663

堀秀政墓所

石垣山一夜城ちょっと遠いのだけど、行くなら坂の途中の堀秀政墓所にも寄るのをオススメ景色バツグンによいし、墓所の脇のオバケのような樹木も味わい深い。

八幡山古郭

小田原城の模擬天守がよく見える

御幸の浜

明治天皇皇后が立ち寄った海岸。まあ、そういうの抜きにしても、海を見るのは一年中いつだってええものやないの。

酒匂川

まれ河川敷に鹿がいる。

大久保忠世・忠隣の親子が酒匂川の土手を整備し、小田原合戦で荒廃した土地を見事に復興させた。

のちに酒匂川富士山の宝永噴火で大量の火山灰で土砂が堆積して水害が頻発するようになった。

幕府災害処理の痕跡があちこちに残っている。

総世寺

自慢のイチモツポロリして「ちんちんぶらぶら総世寺」と言えば彼女爆笑まちがいなし。

小田原合戦の際に豊臣秀次本陣があった。

近くに古墳群がある。

一号墳の主は百塚の王の異名を持ち、古墳から足柄平野を一望できる。

周辺は古墳以外には畑しかない。

小田原漁港早川漁港

dpzでも取り上げられている。なぜかGoogleマップでは早川港になっている。

ちょうちん型の灯台面白い

相模湾日本三大深湾のひとつで、多種多様な魚が生息している。

これからの季節はアンコウ鍋なんかがいいのでは。

しか島津斉彬参勤交代江戸に向かうとき小田原アンコウ鍋をつついていたはず。

https://anond.hatelabo.jp/20231109101350

はじめて行くのか、2回目か3回目か、

どれくらいのマニアなのかによる。

小田原城復元天守で、中身はとてもよくできている

最新にアップデートされたミュージアム。逆にいえば、本物ではない。

一夜城もいいけど、小田原しかないものは「惣構え」。

ある程度のマニアで、2時間くらい歩くのが苦にならないなら

とてもおすすめ

センゴク』14巻以降を読んでからいくと、なお良し。

城攻めの高揚と絶望体感できる。

https://www.odawara-kankou.com/tour/hajimete-sougamae.html

https://www.city.odawara.kanagawa.jp/global-image/odawaraArch/11207/pdf/20190701101222.pdf

2023-04-16

音霊魂子(panana#4949)のVALORANTの試合をまとめました

21759.匿名@嫌い派 04-07 14:23 [通報] [非表示] [返信]

音霊魂子(panana#4949)のVALORANTの試合をまとめました

https://docs.google.com/spreadsheets/d/18tsDF5V6p6kFVKyCLYp0xH6Kf6ctkbaOnltCtI8EWrc/


21760.匿名@嫌い派 04-07 14:24 [通報] [非表示] [返信]

音霊魂子(panana#4949)とVALORANTの試合で同じパーティになった回数をまとめました

【410回】

ごず(はちみつりんご#のど飴)@_gozu777@gozukundayo

【262回】

ろこそら(Origin Roco#べんとう,わんりきーろこ#ぱわー)@okuraroko@uirougashi

246回】

02,れつ(ぽかりのみたい#pokar,おむらいす#omu,ぱんなこった#3392)@02pokari@02pokari_sougo

【196回】

最中かーる(monaka0033#7733)@curl_Q_@curl_sub

【185回】

クタリアス(サター#JP1)@sakutariasu@sakutariasu0204@gakkunyama@sakutariasu1234

173回】

ゆう。(ゆうまる#pyo)@_Yuou@Yhuous@Yuoumr

【167回】

リーゼフェルト(LyzeFelt#めがね)@LyzeFelt

【148回】

はちてん(HxPHachi#6451)@hachiten8@hachiii810

【90回】

meteoo#001

【89回】

ペケペケ(pekepeke717#9498)@peke_peke717@peke_Sab

【88回】

マキオ(大阪在住33歳#4525)@makio_elecom@V_04510

【74回】

筋肉本舗#JP1

【71回】

MIZUKING(Clutch MKing#Movie)@mizuki_mov@mizukichi_mov

【60回】

春希(春希718#3975)@hrk7aui@hrk7aui_sub@hrk7ura

【53回】

Valshe427#123,VALSHEV#8646

【50回】

びとー(怪奇ハチミツぺろぺろ男#6101,bitooo#6101)@b1too_h

【47回】

KYOJYUR0(KYOJYUR0#3676)@Cos_Kyojyuro_V@COS_840

【41回】

muu#Purin

ナナクラタクミ,七瀬タク(7T4KKK#古関ウイ)@IAM7T4K@7se_taku@7se_otakukun

【32回】

れいきら(おしり#ぺんぺん)@reikira_yutube@reikira_sab

【29回】

おいなりせんせー(シルベスタスタスタスタローン#歩くな)@oinari_sensei@sub_oinari

【27回】

Raze only#KING

こんだみん(kondamin#5678)@kondamin0413@sabu_kondamin

【22回】

LEIA(LEIA#iskw)@Leia_yAy

20回】

石狩あかり(NIGHTFALL石狩#AKARI)@ishikari_akari

mepo#001

【19回】

ゆきみだいふく#yuki

17回】

うにいくら#sushi

aba(aba18135#9006)@OPENREC888

【16回】

bokua#7161

【15回】

Patrick#RIP

あんくん(ゆあんくん#clpc)@YuaPyoon

【14回】

栗駒こまる(坂上智代#2222)@kurikoma_komaru

がんばります#777

【13回】

uma(uma#7215)@COS_uma

12回】

Bosna(Bosna#2931)@BosnaYT@bosmm2

夜乃すみ(YorunoSumi#9233)@Yorunosumi_vt

11回】

じゃへい(jaheyhey#4141)@jaheyproject

10回】

直死の魔眼#1225

賭雨るぅる(青色たぬき Twitter#0001)@kake_r@kake_ta

Sou(SOUCHANBLUE#2525)@nico_nico_sou@s0q0u

カエル(pakael#8376)@paka_el@P4K4EL_sub

【9回】

ガッシュ3g隊#JP1

瀬島るい,そらいろくぅP(ruiseshima#9310)@Rui_Seshima@sorairo9p

ばたーくっきー(ばたーくっきー#758)@sexyBC69@butterrrrr2nd

水城碧(aoi#0626)@HP_mizukiaoi@aochan_sb

初世いと(110#0110)@uise_ito

PizaCG(pizacc#2356)@Piza_ch

【8回】

天守なこ(呼吸が上手#777)@AmamoriNaco@naco_ura

山黒音玄(nekurooooon#2653)@yamaguro_nekuro

ミラージュボンバー(蜃気楼爆弾おじさん#Hello)@MirageBomber@MirabomSub

なんこつ#8221

弦月藤士郎,尾北ねむ。(GALmindBABY#ゥチら最強)@1O46V@Gn2qi@x2zzx

【7回】

みこだよ(みこだよ#d4yo)@M1ko_d4yo@sab_d4yo

hamadi(はまたにえん#2815)@hamadi_jp

ようづき(ようづき#shiro)@Shiro_Youduki

yue(yue#0000)@64xk@btikuuu

tomo#7211

【6回】

moa#7275

魔冬あんず(しにかけ明太子#2525)@SUSHIANZ

roro(和田正雄#1952)@micromacro_@rorozatu@rorozonesu

LOB(FAV L0Bgachi#L0B,kÄni#6762)@LOB__LOB

ZackFirst#4286

【5回】

Soma(soma#0311)@Soma_sss_311

chi7,ちなち(ちなち#TxT)@Qooix@qb_chi7

万屋ニコ(よろにこ#正面突破)@uni_yoronico

なさん(nasann0409#JP1)@nasann0409@HonmaNasann@eiji39641224

優木なお(naochixxxx#エビフライ)@yu_kinao@naochixxxx

Ak1to(Ak1to#2222)@Ak1to_JP@Ak1tosub

胡麻乃りお(LIOGOMANON#1050)@gomalio_y@gomanoliov@gomanoliosan@gomalio_ica

あるまじろ(よわよわぽてと#115)@aruma_zilou@mazilo_sub

まめ(mame#2615)@mm_23_22@mameshichan

ななかぐら,カグラナナ(kanimitainaikura#7525)@nana_kaguraaa@Kagura_Nanaa@kagura_pepper@nana_kagu_ra

ととみっくす(tototMix#JP0)@mix_totot@Marltoto

椎名唯華(siinatra#417)@yuika_siina

【4回】

ユリイ・カノン(YURRYCANON#2556)@yurryCanon@xxi_world

ふたつ(onigiri#7266)@hutatsutwo

たなか,ぼくのりりっくのぼうよみ(tanakadesu#6335)@aaaaaatanaka@sigaisen2

なつざわ(onatsu#おちゃ)@natsu_26za@natsu_sub26

あしたがんばるる#7286

三角でるた(HSGWKIT#2286)@SANKAKU_DLT@sankakuDELTAkun@HSGWKIT

おだのぶ(おだのぶVTtuber#0819)@oda_nobu_ga

nakinaki0108#5015

【3回】

大代真白(米騒動#2640)@oshiro_mashiro

やす(YASU#610)@yasuhito199279

モニ研(モニ研#7777)@medifav@monikensub

河原まゆ(河原まゆ#0817)@_mayuuu___@tanrei315

霜月めあ(めあ太郎#JP1)@melomea030@meachan_honpo

ワルキュアーレ・ユノ(綾波レイ#Ayaka)@VaLkyareYuno@SabkyareYuno@AyanamiREve@MinaByleth

こまつば(koma28#光が丘公園)@Leaf2110_

わんず(Meteor わんず#8492)@ones_hbp1216@Snobby_ones

SHOGO(究極天星龍SG#4380)@shogoxazm

ほうき(ほうき#0213)@Houki_0213@0213sub

Nii(野比のび太#ドラえもん)@nobinobita_d93

くお犬(これはもしかしたら#inu)@kuoinu@kuoinu_sab

日向夏レト(日向夏レト#みかん)@xOretochanOx@subrtc_1224

れい(Rerei#1863)@Rerei_V@Rere_Sb

鬼多見アユム(nikuudon96#1723)@kitamiayumu

CHiCO(CHiCOちゃんまん#1824)@CHiCOxxx_tweet

錦山夢鷹(Mut4ka#3967)@mutaka_cheriko

頑張るます#Anya

ミュシャ,葉桜このは(tempuraoisii#6439)@misa_chainchroA@konoha_hazakura

おとぎ(Otogi#JP1)@tweet_otogi@otogisub

ひまわぴ(himawapi#1762)@hima_wapi@himawari_nstar

【2回】

不磨わっと(김민규#4444)@Wat_Huma

クタン(フクタン#9065)@zero1fukutan

Middleee(MIDDLEEETV#1234)@MiddleeeTV

10N(10N#0000)@game_chunky

natumi yume#8866

蜻蛉むつみ(Mukun#0623)@TonnboMutsumi@623_Sub

アンチエコ#JP11

いかさん,松岡侑李(oikasano Twitch#7923)@oikasano@ikasan_sub@otakosano@ikasan_sing

yuukare#9384

白熊りん(白熊りん#1480)@9m_lynn@9mly_sub

天羽咲(sakinyan#4278)@amh_cos@amh_sub@sakinyan_cos

アステルレダ(ねむめろ#mymlo)@astelleda

ツカハラミノリ(minorinko#JP1)@minori_sisiza

コロクリームカニッケ#おいしい

白栖(shirasu#8009)@Shirasu_ne5

セヲハヤミ,ぼくをすこらねば(セヲだよ#1393)@seohayami83@sukoraneba

じょじょおじ(JOJOOG#4772)@PUBG_JOJOOG

小雀とと(Toto0v0#4940)@toto_kogara

夜絆ニウ(うにょ#0427)@niu_yozuna

星屑よぞら,嫉恋魔なのか(星屑よぞら#ついっち)@HoshikuzYozora@JirenmaNanoka

【1回】

月夜魅(いちごぐーにゅー#JP1)@15GuNyu@51GuNyu@87GuNyu

ぽてうさ(poteusa#JP1)@culq_@cyantikt

無印良品#2929

二番煎じ(2ban1000ji#6426)@2ban1000ji

みざ(始めようグランブルーファンタジー#miza)@ru324@ru324d

亜咲花(究極封眠龍AK#0215)@AsakaOfficial

Luk4s(Luk4s#8260)@Luk4svalo

栢森エマ,八重なとり(ごいごいすー#2960)@Emma_Chouette@YaezawaNatori

シノノメイト(シノノメイトVT#666)@ShinonomeIto@ShinonomeIto2

ヒヅキミウ(miu#3003)@HizukiMiu

四宮ロゼ(しのレンジャー#0123)@SRoze_SBI

2022-12-18

信長「えっ?天守に住まないの?住んじゃだめなの?」

2022-01-15

魔法使い認定証が郵送されてきた。

簡易書留受領印を押して気づいた。

まれていらい36年間童貞だった。

認定証に同封されていたパンフレットには各省庁への登録方法が載っていた。

登録してから数日たったこ防衛省からメッセージがとどいた。

召集令状と出撃命令書、集合場所と日時を記したpdfファイルが添付されていた。

作戦指揮所は大阪城天守だった。

淀川遡上するゴモラ大阪城迎撃するため全国から魔法使い招集されていた。

天守から見る大阪城近辺は魔法使いで埋め尽くされていた。

1万や2万で済む数ではなかった。

魔法使い指揮官はちいさな女の子だった。

女の子モモと名乗った。

つぎの瞬間モモ自衛隊将校の姿になっていた。

金髪で青い瞳だった。

みんなで魔法呪文練習をしてからきつねうどんを食べた。

ゴモラが来るのは来週になるらしい。

2021-09-20

国宝姫路城戦争中、大天守焼夷弾が直撃したが不発弾だっため延焼しなかった。

2021-05-10

吉幾三×バイオハザード歌詞で「村なのに城がある」って言うけど

これって日本城下町とセットになった近世城郭価値観ヨーロッパの城にあてたナンセンスツッコミだよなぁ

日本でも中世なら町に関係しない山城がたくさんあったし

ヨーロッパではその手の城が石造りで割合残っている上に

近世王侯貴族によって別荘に改修されたり懐古主義で新設されたりしているのだから

村に城があっても何ら不思議ではないはず

逆に明治時代に城が破壊された日本で、これだけ近世城郭価値観が通じていることを興味深く思うべきかもしれない

天守は破却されても城の痕跡はそれなりに残っているから?

追記

ゲームの内容を反映した歌詞ってだけなのか。すまん。

追記

わかりにくかったかもしれんが本文は、日本で「村」に城がなくなったのは近世江戸時代に入ったから(一国一城令)と書いていて、明治では近世城郭の多くが潰された現代でも城下町意識が残っていることが興味深いと書いているので一部のブコメ混同しないでくれ。

ちなみに一国一城令は徹底されず伊達黒田領地などには機能する支城が残っていたとの話。

2021-04-04

旅行ができる障害者権利主張を報道しないでほしい

なぜ報道しないでほしいか

旅行にいける程度に経済的社会的障害的に余裕のある人よりも、その余裕のない人にリソースを向けてほしいから。

さら障害者がリソース要求することが報道されるとバックラッシュが起きるから

身体障害者旅行での権利主張とは

熱海旅行でのJR乗車拒否のケース

奄美大島関西空港間での飛行機搭乗拒否問題

名古屋城木造天守エレベータの設置を障害団体要求したケース

この3つのケースを想定している。

これらに共通しているのは、彼ら彼女らが旅行に行けるお金があること、友人や子どもなどがいることだ。

熱海のケースでは、友人1人、子ども2人を含む5人での旅行

奄美大島のケースは、友人5人との旅行

名古屋城は友人子どもにはわからないが、やはり観光のできる層が主張しているのは変わりない。

さらに、どのケースでも健常者から障害者への批判という形でバックラッシュが起きている。

旅行の余裕のない人とは

身体障害者以外の知的精神発達障害者

以下にみるように平均賃金正社員比率、平均勤続年数いずれも身体障害者に比べて大きく劣る。

数字はいずれも厚生労働省調査 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_05390.html による。

平均賃金

身体障害者は21万5千円

知的障害者は11万7千円

精神障害者は12万5千円

発達障害者12万7千円

正社員比率

身体障害者は52.5%

知的障害者は19.8%

精神障害者は25.5%

発達障害者は22.7%

平均勤続年数

身体障害者102月

知的障害者は7年5月

精神障害者は3年2月

発達障害者は3年4月

なお、身体障害の人すべてが経済的に余裕があるとは限らず障害によっては就労が難しい人がいることは注記しておく。

まとめ

知的精神発達障害者はこのように、身体障害者よりも圧倒的に貧しい状況にある。

また、経済的理由障害上の理由の両方で、身体障害者のように子どもや友人を持つことが難しい状況にある。

社会障害者に与えるリソース配慮支援・譲歩)は有限である。そして障害者がリソース要求するとバックラッシュが起きる。

だとするならば、旅行にいける程度に経済的社会的障害的に余裕のある人よりも、まずはその余裕のないこうした人達へ救済のリソースを向けてほしい。

2020-07-16

沖縄旅行してきた(最後の方にGoToの話)

 京都が雨続きでうんざりしていたところ、天気予報を見ると沖縄だけ晴れているので、7/11-13に旅行することにした。

 多少コロナが増えてきたとはいえ一日十人程度の京都しか京都市ではなく田舎の、未だ感染ゼロ自治体住民なので、行くことに躊躇はない。

 これで「誰かに移したらどうするんだ!」なんて言う奴は、何でお前は死なないのと言いたい。お前が生きて活動してる限り、誰かにコロナを移す可能性はゼロじゃないんだからさ。

 もちろん手洗いとマスクは徹底するが、熱中症もあるので屋外ではマスクは外す方針とした。一人旅なのでどのみち喋ることはほとんどない。

 関空からLCCで2時間那覇に到着。

 驚いたのが国際通りガラガラだったこと。

 土曜の昼なのにほとんど人が歩いてない。牧志駅から向かったので、県庁側は違ったかもしれないが、それにしても大きな土産物屋に客はゼロ店員が暇そうに立っている。

 やはりどの県も観光業やばい状況である……誰かが行かないと。

 とはいえ着いたばかりで荷物は増やせないので、申し訳ないが通り過ぎて壺屋焼物博物館へ。

 こちらも来館者は他には二人くらい。見る分には見やすいのだが、どうしても心配になる。

 隣の陶芸センターも客ゼロで、二千円の酒器を買って『やちむん通り』に向かうが、やはり人影はほとんどなし。

 国際通りに戻ってレストランへ入るも客は自分だけで、一人で山羊刺しなどを食べる。

 ゆいレールの延伸部分を乗ってからバスうるま市へ。

 途中で金網に囲まれ米軍基地が見える。

 よりによってこの前日、基地の中で感染者が数十人見つかったとのこと。

 まあ米軍関係者接触するとも思えないので、気にせず続行。

 途中で普天間宮の洞窟を見せてもらった後、海中道路を通って、浜比嘉島ホテル投宿した。

 翌日は今回の主目的である勝連城へ。客はちらほら。

 登るのは辛いが青空石垣が映え、天守からの海の眺めも最高である今帰仁中城訪問済みなので、残る世界遺産は座喜味城のみだ。

 向かいの休憩所で土産を買ってからバスを待ったが、四十分ほどの間に購入者自分だけだった。

 バスで戻って海中道路のあやはし館へ。こちらの客は結構いた。

 沖縄そばやブルーシールアイスもずくグルクン天ぷらを食べる。

 二階が海の資料館になっており、コロナ対策に連絡先を書く方式だった。前の人が書くのが遅くて待たされたし、個人情報を書かされるのは少々不安大阪の追跡システムが広まればいいのに。

 ホテルに戻って近くの小さなビーチへ。

 ここも日曜なのに泳いでるのは数人で、海の家は採算取れてるのか心配になる。

 一人海水浴は手間がかかる割にあまりやることはなく、ナマコが多い海底を見てから10分ほどで上がってかき氷を食べる。

 この日は途中でマスクを紛失してしまい、離島ではドラッグストアもなく、ハンカチを巻いて代用する羽目に。

 予備を一枚持って行くべきだった。

 最終日は琉球開闢神話聖地であるシルミチューへ。

 バスが一日四本しかないので、行きだけ使う。

 海中道路から離島側は『うるま市有償バス』というマイクロバスだが、いつも結構乗客がいて、マスクをしてないおじさんもいたけどまあ喋ってなかったか大丈夫だろう。入口に消毒液があるのは嬉しかった。

 バスを降りて、コロナで封鎖されたビーチを横目にシルミチューに向かう。

 帰路の二人とすれ違っただけで、他に人影はなし。さすがに霊場となると人がいない方がありがたい。

 鍵のかかった洞窟の前で、柵越しに雰囲気ある聖地を思う存分拝んだ。

 意外だったのが中にあった大正時代の石碑に、日章旗が二つ描かれていたこと。別に撤去したりはしないんだな。そりゃそうか。

 三十分歩いてホテルに戻る。汗が噴き出す暑さ。

 「気温だけなら真夏京都の方が高いし大したこといかも?」とか思ってたがそんなわけはなかった。

 しかし車のめったに通らない島の道路を、さとうきび畑を眺めながら歩いていくのは趣があるな。

 ホテルを発って那覇へ戻り、途中でマスク調達する。

 最後に行くのは首里城。12年ぶりだが、まさかあんなことになるとは。

 以前にはなかったインフォーメーションセンターができていたが、こちらも寂しい状態

 平日とはいえカフェに客はなし。

 守礼門で視界に入るのが数人、城内では係員しか見えないことも。

 コロナのせいと火事のせいと両方あるのだろうけど、沖縄最大の観光名所でこれは心が痛い。

 有料エリアでは再建工事中で、壁の向こうでクレーン車が働いている。

 焼け残った龍柱や、燃えて髭だけ判別できる龍の飾り、遺構などを見学した。悲惨事件だったが、今しか見られないものからね。

 前は入れなかった東のアザナの展望台では、狭いのもあってさすがに多少の客が滞留していたので早めに退散。

 再建の募金をした後、土産物屋でお釣り二千円札をもらった。

 珍しかったが、本州で使える自信がないので、駅で切符を買って千円札に替える。

 空港職場へのお土産を買って伊丹に戻った。うちの職場旅行を叩くような陰湿な人はいいからね。

 帰宅途中にニュースを見たら、米軍感染うるま市の肝高公園無許可BBQしてたからって。

 よりによってうるま市かよ! まあ米兵には会わなかったし……。

 帰った後は世間GoToキャンペーンで騒がしくなっていた。

 俺はキャンペーン関係なく行くのでどっちでもいいのだが、観光地の閑散ぶりが本当にやばいので、多少の感染増は覚悟して決行するしかないのではと思ってしまう。幸い重症者は少ないようだし。

 大阪知事は「まず近場で」と言ったようで、それも分かるけど近場は五月六月にもう行ってるんだよな。

 嵐山金閣銀閣龍安寺三千院平等院東大寺通天閣ガラガラだった。

 コスモタワーコロナ関係なくいつもガラガラだが。

 唯一人が多かったのは、紫陽花が見頃の三室戸寺だけ。

 やはり地元人間は、「いつでも行ける」観光地にはなかなか行かないのだな。

 京都の人は京の名所には行かないって、前々から言われてるしね。

 宿泊土産を考えても、やはり遠くから人を呼ばないとどうにもならんのじゃないかなあ。

 もちろん自分が周る分には人は少ない方がいいし、五月末の誰もいない祇王寺の、青紅葉と苔が溶け合う風景には感動した。

 でもその時は、こんな京都は今だけだな!と思ってたんだ。

 あれから一ヶ月半後に、まだ回復しないどころかさらに悪くなりそうとは予想しなかった。

 一人旅では焼け石に水だろうけど、もっと観光地に金を落としに行かねば。

 無論むつ市みたいに来るなと言ってるところは行かないなら、来て欲しくない人は首長に働きかけてくれな。

2019-07-20

名古屋城が焼け落ちる姿を目にした当時の名古屋の人々は、こんな気持ちだったのかなと思う。

出来る限り元通りの天守を作って欲しいけど、耐火設備にも十分力を入れて欲しい。

2019-07-01

喜多川右府薨去の事

天下布武を唱え、腹心であった飯島摂津守及び家臣団五人衆、すなわち中居弾正、木村内匠、稲垣五郎右衛門、香取金吾、草薙武蔵らの離反も、その強大な力により押し潰し、今や鳥を落とす勢いであった喜多川右府が、突如、京にて薨去されたとの噂が、日の本じゅうを駆け巡った。

ある者は流行病によるものと噂し、またある者は家臣による毒殺とも噂しあったが、果たしてその真相は、右府の生死も含めて杳として判らなかった。

マスメディアが十分に発達した現代とは違い、当時は、重大な事件は全て人々の口伝えに頼らざるをえない。戦国武将達は、不確かな状況の中で自らの去就を決めねばならず、その対応如何によって、ある家は栄え、ある家は滅びるといった悲喜劇が、絶えず繰り返されたのであった。

ところで、右府のもとには、二人の有力家臣がいた。木村内匠と滝沢左近である

木村内匠については、飯島の乱において仲間の謀議を主君へ密告した功により取り立てられ、右府からの覚えもめでたく、非常に権勢を振るったことは、既に述べた。(https://anond.hatelabo.jp/20160119162624

もう一人の重臣滝沢左近は、元は一介の素浪人であったが、右府に仕官すると俄に頭角を現し、今や右府の最側近として大いに活躍していた。

さて、両者ともに、この悲報に接したのは、京から遠く離れた土地であった。

その時、木村内匠は、右府の命を受けて城攻めを行っていた。梅雨空の下、城の周囲に幾重にも堤を築き上げ、増水した川の水を中へ流し込む「水攻め」を行うこと約1ヶ月、もはや天守は湖の中の孤島と化していた。

「ってゆーかさぁ、もうそろそろ落ちるんじゃね?」

そんなある晩のこと、勝ち戦への楽観が広がりつつあった木村陣営に、突如、右府逝去の激震が走った。京からも離れていたため情報錯綜し、いつしか町奉行である東山越前守により弑逆されたとの誤報にすり替わっていたのだった。

突然の悲報に接し、大声を上げて悲嘆する木村内匠に、その妻、静御前冷徹言葉を投げかけた。

「殿さま!今すぐ京へ引き返して、逆賊越前守を討ち滅ぼし、御館様の無念を晴らすのです!」

「よく言うた。それでこそ我が妻よ!」

木村は電撃を受けたように飛び上がると、すぐさま敵方講和を取りまとめ、全軍を京へ向けて引き返し始めた。

一方、滝沢左近は、遠く関東にてこの悲報に接した。ただし、右府の側近中の側近であったことが幸いし、在京東山越前から直接、正確な情報書簡で受け取ることとなった。滝沢左近は、俄に活発化した敵勢と対峙しつつも、手堅く京へ軍勢を引き返した。

実際のところ、この時点では右府はまだ逝去してはいなかったが、今で言うところのクモ膜下出血により、ほぼ危篤状態であったらしいので、死へ向かいつつあったというのが真相であろう。だが、意識を失う直前、右府は「余の影武者を立てて、死を三年間、隠すように」との遺言を、側近の東山越前守へ伝えていたため、先のような虚実入り混じった噂話を生む結果となってしまったのだった。こうして、両者が接した情報の確度の違いが、やがて両家の命運を全く違うものにしてゆく。

まずは木村内匠であるが、弔い合戦のつもりで軍勢摂津山城国境山崎まで進めたところで、東山越前守の軍勢対峙することとなった。

東山越前守は単騎で進み出ると、大音声を上げた。

「やれ、賊軍ども、なにゆえ京へ攻め上った!御館様に楯突くものは、尽く成敗してくれる!」

木村内匠、答えて曰く、

「傍ら痛いわっ!お前こそ、御館様の亡き後、政を私しようとする賊軍であろう!」

「何をたわけたことを!ここに、御館様はおわすぞっ!」

銅鑼の合図とともに東山軍が左右に割れると、その間から見覚えのある輿が進み出てきた。そう、それは右府の豪奢な輿であった。

「やばっ!御館様!」

突然の状況に、木村軍は戦わずして敗走を始めた。更に間が悪いことに、関東より引き上げてきた滝沢軍が退路を断つ形になり、木村軍は徹底的に殲滅されることとなった。

ちなみに、東山越前守の機転によって引き出された輿であったが、その中には、既に意識のない主人が乗っていようとは、木村内匠は知る由もなかった。

こして敗退した木村内匠は、ひとり戦場より落ち延びると、ある禅寺でひっそりと出家して生き延びたという。一時は、かつて裏切った自分主君であり、既に出家して名を改めていた飯島摂津守の元に、弟子として身を寄せていた時期もあったようであり、何とも皮肉人生である

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2018-12-01

詭弁のガイドライン2018年版)

使いやすさと面白さを重視。

参考にしたサイトhttp://lelang.sites-hosting.com/naklang/fallacy.html

ストローマン

藁人形論法

相手の主張を一部分だけ引用したり、極端な形に言い換えたりして、反論やすいかたちに改変してから論破してみせること。

チェリーピッキング

多くのデータの中から自分にとって都合の良い例だけを取り出してきて、都合の悪い例は無視すること。

Whataboutism

そっちこそどうなんだ主義

自分の行動が批判されたときに、それ自体には反論せず、「お前も同じことをやっているじゃないか」と相手の過ちをあげつらう論法

多重質問

互いの合意が得られていない前提が含まれている質問のこと。

最近漫画がつまらないのは出版社のせいだと思うか?」という質問は、「はい」と答えても「いいえ」と答えても「最近漫画はつまらない」という前提を認めてしまうことになる。

最近漫画面白いと思うなら、そもそも前提が間違っているということを指摘しなければならない。

偽のジレンマ

実際には他にも選択肢があるにもかかわらず、0か100かの極端な選択肢だけを提示し、相手を回答不能にさせること。

スリッピースロー

滑り坂論法

いちどでも要求を認めれば、次々と要求を認めなければいけなくなるので、最初要求を認めてはならない、という詭弁

たとえば「いちどでも賃上げ要求に屈せば、どんどん給料は吊り上がって、会社倒産してしまうだろう」といったようなもの

ガリレオギャンビット

迫害を受けたガリレオ結果的に正しかったように、私が批判されているのも私の主張が正しいからだ、といった論法

ガリレオの代わりにセンメルヴェイスやヴェーゲナーが引用されることも多い。

シャーロック・ホームズ誤謬

複数の仮説のなかで、間違っているという証拠があるものを除外していき、最後に残ったものが(どんなに信じられなくても)真実である、という誤謬

言い換えると「間違っているという証拠が見つかっていないか真実だ」と言っているに等しい(未知論証)。

アド・ノージアム

ad nauseam」はラテン語で「いやになるほど」という意味

何度も何度も何度も何度も同じ主張を繰り返すことで、批判者を疲弊させて撤退に追い込み、第三者にはそれが真実であるかのように刷り込む。

「嘘も百回繰り返せば真実になる」。

ラブジョイ抗弁

ある主張に反対するために「子供たちのことを考えろ!」というフレーズを用いること。

ここでいう「子供たち」は主張者に都合の良い架空存在である

ラブジョイアニメザ・シンプソンズ」の登場人物

ゴドウィンの法則

インターネットでの議論が長引くほど、ヒトラーナチスを引き合いに出した不適切比較が行われやすくなる、という法則

あるいは、ヒトラーナチス比較した時点でそれを言った側の負けだ、といったルールのこと。

ヒトラーとの不適切比較は「ヒトラー論証」と呼ばれる詭弁であるが、ゴドウィンの法則自体にも「適切な比較すら封殺する」という批判がある。

モット・アンド・ベイリー論法

常識的な主張と過激な主張を使い分け、過激な主張を批判されれば「私が本当に言いたいのは常識的なことだ」と弁解し、常識的な主張の同意を得れば「過激な主張が立証された」と強弁する論法

本来は「小高い丘(モット)に建てられた天守」と「平地を外壁(ベイリー)で囲った曲輪」で構成された城のことを指す。

「真のスコットランド人ではない」論法

No true Scotsman。「本当の○○は××しない」。

スコットランド人はそんなことをしない」という主張に対し、「俺の知り合いのスコットランド人はそれをしていた」と反例を挙げられたとき、「その人が真のスコットランド人ではないからだ」と定義を変更することで反例を排除する。

ムービング・ゴールポスト

相手の主張に対して根拠要求し、それに回答があると、しれっと要求を変形させて「これでは根拠になっていない」と言う。

醤油ラーメンいちばん人気があるという根拠はあるのか?」「ラーメンの人気ランキングはこれだ」「俺は東京ラーメンについて聞いたんだ、東京に限ったランキングを出せ」といったもの

ギッシュ・ギャロップ

専門家でさえリアルタイムでは答えられないような細かい質問を次から次へと投げかけて相手を回答不能に陥らせる手法

草むらに連れ込んで絞め殺す誤謬

ギッシュ・ギャロップを繰り出し、相手ひとつでも答えられなければ「彼はこの問題について無知である、よって議論に参加する資格がない」といった結論に持っていくコンボ

以下、名前が見つからなかったけどネット上ではよく見かけるやつ。

対案を求める論法

「反対をするなら対案を出せ」というもの

具体的な問題解決しないといけないときに、出てきた対策に反対ばかりしている人に対しては成り立つが、余計なことを始めようとするとき現状維持を望むのは、それ自体が対案となる。

TINA(There is no alternative)」と呼ばれることもあるが、TINAは「他に道はない」と言って押しとおすことなので、微妙に違う気がする。

これを批判するならあれも批判しろ論法

何かを批判している人に対して、まったく別の領域類似問題を挙げて、「これも批判しなければダブスタだ」と言うことで、際限なく戦線を拡大していき、相手対応できなくなることを狙う。

Whataboutismの仲間か。

集団内の複数意見を一人の意見とみなす論法

集団内でも意見が異なることはあるものだが、集団ひとつ人格とみなすことで、異なる意見存在することを矛盾とみなす

右翼Aが「天皇を守れ」と言った、右翼Bが「今の天皇左翼から退位させろ」と言った、それを見て「右翼天皇を守ると言っていたのに退位させようとしている」と主張する、といったもの

2017-07-26

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おじょうさばぶ」と入力すると最初に「お嬢差バブ」と変換されるのですわ。

本日は苗木遠山資料館と苗木城、中津川市鉱物博物館に行ってまいりましたわ。

苗木遠山資料館では「苗木藩の参勤交代」展を開催中でしたの。

1万石の小藩ですけど、大名行列は約140人になったそうです。

一度の出費が200両で、別の展示によれば藩の財政赤字が年に932両ですから

幕府からみれば「効いてますわ。効いてますわ」ですわ。

中山道標高ビニールテープで表示して、

宿場距離別に人形と一緒に展示していて工夫が感じられましたわ。

常設部分とあわせて今の金額に換算することが好きな学芸員さんがいらっしゃいますわ。

苗木城には運動をかねて登ってきました。

資料館から天守台まで登りが13分、寄り道しがちな下りが16分でしたわ。

登りで3匹の下りで5匹の立派なトカゲさんを見かけました。

花崗岩露出した地帯なのでトカゲさんのひなたぼっこに最適なのですの。

最近岐阜マチュピチュを名乗っているようです。

大矢倉は無理すればそのように見えないこともありませんわね。

とても暑くて高山の涼しさとは無縁ですけど・・・・・・

中津川市鉱物博物館は「あおい鉱物みどりの石」展を開催中です。

あおい鉱物として見事に結晶したラピスラズリ(のラズライト部分)が

目玉でしたわ。表面がシャープで、面から一様の反射光まで出してくれる結晶は初めて見ましたわ。

他にもタンザナイトなど美しい鉱物が多くて目の保養になりました。

日本の人造鉱物ヴィクトリアストーン」も素敵でしたわ。

それとそれとマダガスカル産の緑柱石が入っているローズクォーツが立派でしたの。

前回苗木遠山資料館 https://anond.hatelabo.jp/20161012225131

前回鉱物博物館 https://anond.hatelabo.jp/20170320210505

2017-05-24

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豊田市美術館に行ってまいりましたわ。

平日なのにすごいお客様で驚きました。大半がお年寄りでしたわ。

敷地の端に建っている櫓をみて盛んに「城」とおっしゃっているのを耳にして、

天守どころか櫓でも城とイコールにされてしまうのだと世間感覚を思い知りました。

ここのものは七州城の復元櫓ですが、あのような認識の方が多いのでは

復興天守流行るわけですわ。

さて美術館の中では二十世紀画家東山魁夷による

唐招堤寺御影障壁画展が開催されていました。

歴史教科書でも有名な鑑真和上に捧げられた御堂の襖絵が、

そのままの配置で展示されています

恥じらいもなく大量の群青と緑青を使った波濤の絵は圧巻です。

岩に張り付いたど根性松には絵なのに思わず

声援を送ってしまいそうになりますわ。

和上の故郷である中国の襖絵は墨絵で描かれています

なぜか「黄山暁雲」だけは襖の金具が気になってしまいました。

全体的に薄暗くなっていたのは、顔料が繊細な日本画の保存のためだと

思われますの。

透明感のある青みがかった緑色の出し方を知りたいものです。

また抽象の力展も同時開催されており、

扇で口元をおおって賞玩されがちな戦間期以降の抽象芸術

頭の良い監修者がうまく説明されていました。

なにせミュージアムショップカタログが売り切れているというのですから

監修者も豊田市民もたいしたものですわ。

フレーベルモンテッソーリ知育玩具が素敵で、

これをおもちゃに育った子供お話してみたくなりました。

コンクリートの容器に、コンクリートの破片を詰めた高松次郎作品

コンクリートの単体」はわたくしには理解しかねました。

からないものでもヒルマ・アフ・クリントの初期抽象作品はなんとなく

好きになれました。

いちばん分かりやすかった抽象芸術コンスタンティンブランクーシ

若い男のトルソⅡ」ですの。

これはどうみても、こんじきのぉちんちんですわ!!!

こんな破廉恥な展示が許されるのかしらと作品の前でどぎまぎしてしまいましたわ。

対応しそうな作品としてルーチョ・フォンターナのピンクに塗りたくったキャンバス

赤い縦の貫通穴をほどこした作品もありましたけど、

コンスタンティンブランクーシのせいで、そういう目になっていただけかもしれません。

あと、追悼小嶋悠司展も開かれていて、仏教画に影響を受けた

恐ろしげな世界をあじわえました。

ファイナルファンタジーの初期イラストを描かれた天野先生作品

少し印象が似通っています

小嶋悠司作品抽象の力にあった、熊谷守一作品「轢死体」とならんで

SAN値を下げてくださいました。

再入場できない東山魁夷作品最後に見るべきでしたわ・・・・・・

豊田市美術館建築もたいへんおもしろもので、

抽象の力展で使われている展示室は入った瞬間に行き止まり

感覚を与えながらちゃんと次の展示室に繋がっています

唐招堤寺御影堂の間取り再現するスペースをもっていたりして、

実用性・採光性・空間演出力を兼ね備えた優れた建築であると感じましたわ。

2017-04-30

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岡崎城に行ってまいりましたわ。

城内は公園化しつつも売店や神社が散在しておりカオスな状況でした。

わたしくの行ったことのあるお城では博多城に似ていますわね。

展示施設は「三河武士のやかた家康館」と「復興天守」がメインになります

三河武士のやかた家康館は、増田先駆者である家康公と

彼を支えた三河武士を展示の中心に据えている建前になっています

ところが目玉的な展示は、ジオラマ映像関ヶ原の戦いを描くものですの。

東軍の主力は外様で、三河武士の精鋭は秀忠と一緒で間に合っていませんわ・・・・・・

井伊直政の抜け駆けと本田忠勝の働きはありましたけど、正直物足りなかったですわ。

長篠なら大久保兄弟酒井が、姉川なら榊原康政活躍しますのに--

三河武士全員が活躍する合戦を探すのは難しいですわね。

あえて言えば三河一向一揆でしょうか。

家康が陣を前に押し出して全軍の士気を高めたことが

強調されていたのは展示側にもその自覚があるからでしょうか。

あと大谷吉継隊の模型が回転しきらずに止まってしまっていて非常に気になりましたわ。

本来は壊滅して盤面上から消えるはずのシーンで、

やっと回転しきって残っていましたわ。

復興天守の方では刀剣甲冑の展示が目立ちました。

甲冑レプリカも含めて三河武士のやかたにも多数あり、

甲冑好きには良いところだと思います

フレームストラクチャーを思わせる刃紋が浮かんだ刀剣武蔵藤原永道が気に入りました。

鞘に緑のラメが入っていましたの。

加茂一揆ジオラマ展示があり、農具に毛の生えた武器をもった一揆勢を

岡崎藩兵が弓矢鉄砲を使って容赦なく鎮圧する様子が描かれていました。

おそろしいおそろしいですわ。

城下町の一日というジオラマシアターもあって、

江戸時代宿場町で横行した強引きわまる客引きを見ることができますの。

女性がやっていても強盗誘拐との区別がつきませんわ。

家康生誕の岡崎城最後に治めたのは本多忠勝系の本多家ですけど、

幕末には最終的に徳川家を裏切っています

ただし、それを決断した藩主養子だったとか。

三河武士のやかたと謳いながら、ちょっと後味の悪い話ですわ。

陽気と有名な藤の花のおかげもあって結構な人出でしたわ。

追記

id:hilda_i様 マリー・アントワネット様にあやかるのは、すでにやったのですわ

http://anond.hatelabo.jp/20161217235117

2016-04-03

こんばんわ。工作員です。

みなさん、岐阜県はいいところですよ。

冬はスキーが楽しめますし、これからの季節は新緑に囲まれ登山が出来ます

少しでも興味がある方は、まず一度岐阜城にいらしてください。

ロープウェーで登れば素晴らしい眺めが待っています

もしよろしければ、近くの犬山城にも是非足をお運びください。

天守国宝認定されております。今の季節ですと桜もきれいです。

純粋に城を楽しみたい方は犬山城の方がいいかもしれませんね。

それでは、お待ちしております

2009-03-12

さっき池田三左衛門の姫路城を見たが、本当に唖然としたでござるよ

http://anond.hatelabo.jp/20090308223942

さっき池田三左衛門輝政めの姫路城を見たが、本当に唖然としたでござる。

拙者、断言致すが、あのシックイむき出しの天守を見て感動している下民は馬鹿でござるな。これは十割断言でき申す。

何であれがいいと思うのでござるか!?

なんであの天守みたいなのをよその城主も真似するのでござるか!?

本当に分からぬ。あれシックイまんまでござらぬか。シックイむき出しでござるよ?

誰だってあれ見てシックイだって言うのは一瞬で分かるでござる。それで感動するって本気で馬鹿でござろうよ!? 

あれがいいっていうのは、頭がおかしいとしか言いようがない、というか、脳が退化してるんでござるな。

それしか説明がつかぬよ。つまり、丁寧に黒漆塗りの下見板張りで作られた黒い天守シックイむき出しの建物の区別が下郎にはつかんのでござるな。だからいいと思って真似る。これは馬鹿としか言い様がないですな。日の本の将来は大丈夫でござるか?

前にもちょっと池田三左衛門めの城が出た時、Googleすとりーとびゅう(こんなもの拙者は見たくなかったが)で見たが、なんであんな人気あるんでござるか。あとついでにその池田の城を模型にしたのも見たでござる。これならまあ100歩譲って納得できなくもないが、ただ当然先の関白太政大臣秀吉公のおつくり遊ばされた黒漆塗りの下見板張りの大坂城天守模型とは比べるのも失礼な程でござるし、タダならまあ一回組み立ててもいいかな、という程度でござった。何回も組み立てるほどではないでござる。ただコメントは絶賛の嵐でござった。下民は馬鹿でござるな。本物を知らない素浪人ばっかなのかあそこは。ろくなもんじゃないでござる。

拙者ははっきり言うが、もっと黒漆をしっかりと塗っている天守を建てるべきでござる。じゃないとおかしゅうござる。作事奉行が毎日どれだけ苦労してるか知ってるでござるか? 漆職人がかぶれと悪戦苦闘しているのを知ってるでござるか?板職人、足場作りと書けばきりがないでござる。大好きな酒、タバコも我慢して頑張ってる人もたくさんいるのでござるし、侍みたく安定した職じゃないから毎日不安と戦ってるのでござるよ。そういう方が心を込めて塗ってる天守を建てずに、シックイの天守を建てる。ほんと拙者切歯扼腕にござる。どうしてあのシックイむき出しを建てるかね。わからぬ。世の中不思議だらけでござるな。

本当におまえら頭冷やして考え直したほうがようござるよ。おまえらは馬鹿か、さもなくんば「ぶーむ」とやらに乗せられてるだけでござる。まあそれを馬鹿と言うんだがな。故千利休宗匠も黒く塗れとおっしゃっていたでござるよ。

芸州広島城主 福島左衛門太夫

 
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