はてなキーワード: 超法規的措置とは
業界団体では政治家を支援し、参院比例代表では会員に対し、支援する政治家への投票を呼びかけるわけだ。
うちの業界はそんなに大きくないから組織内候補なんて出しておらず、業界の議員連盟加入の議員の中から、自民党からの指示で投票を促す候補を決めるわけだ。
で、投票を呼びかけた政治家が統一教会と関係を持っていたことが報道された。
いや、増田は以前から知っていたんだけどね。カルト問題を追っている人をフォローしていたから。
でも業界のために働いてくれる議員さんのネガティブな情報なんて共有しない。
業界発展のため俺はあえて、あえて社会道徳をかなぐり捨てて、見て見ぬふりをしなければ。そうなのだ、これは『超法規的措置』!
俺は業界のため、多くの霊感商法被害者の人生をあえてあえて見て見ぬふりをするのだ。あーっ! 最低だ最低だ。俺はなんと最低な業界幹部だ。
今後の選挙で、会員の会社・店に支援する政治家のポスターを貼ってもらうことができるのか。
お客さんから統一教会とのことを責められたら、会員だって回答に窮するだろう。
開き直られたら会員が困るんだよ。もちろん幹部も会員から突き上げを食らう。
金と票と、選挙運動員を吸い上げただけで、統一教会の宣伝になるような挨拶はしていません、というのだったらまだマシかも知れないが。
北海道で観覧船が沈んだ件で、遺体が見つからんかったら7年間は保険が下りなかったりするのかな?
と思って調べてみたんだけど、これって2パターンあるっぽいんよね。
2 戦地に臨んだ者、沈没した船舶の中に在った者その他死亡の原因となるべき危難に遭遇した者の生死が、それぞれ、戦争が止んだ後、船舶が沈没した後又はその他の危難が去った後1年間明らかでないときも、前項と同様とする。
船舶が沈んだ時に船内にいた人間の生死がわからない場合は1年で死亡扱いになる。
ちなみに『前項』っていうのは生死不明の人間は7年で死亡扱いにできるという項。
水難、火災その他の事変によつて死亡した者がある場合には、その取調をした官庁又は公署は、死亡地の市町村長に死亡の報告をしなければならない。但し、外国又は法務省令で定める地域で死亡があつたときは、死亡者の本籍地の市町村長に死亡の報告をしなければならない。
戸籍法第89条に基づいて自然災害で生死が不明(だけどほぼ死亡が確実な場合)各官庁は該当者の死亡を認定することができる。各官庁が探索をおおよそ終えて、見つからなかったけどこれで打ち切りですとした時点で認定される。
遅くてもだいたい3か月くらいで認定されるっぽい。
大震災なんかの場合はこっちで死亡認定されることが多いらしい。
東日本大震災のときはもっと簡易な超法規的措置がとられたとのこと。
色々見てみるとどちらが採用されるかは「どれくらい死亡が確定的か」で変わるらしい。
多分今回の場合は、発見された人がほぼ全員死んでいるので見つかってない場合も認定死亡が採用される。
後者の認定死亡の場合は「生存が証明された」時点で死亡認定を取り消すことができるが、
前者の失踪宣告の場合は「生存が証明された」としても裁判所で「失踪宣告の取消し」を行って
ちなみに、死亡が取り消された場合、死亡したことによる相続や離婚は取り消される。
いじめが何故起き、そして何故黙認されるのか、それは学校という空間が異常だからだ。
個人的背景も経済的背景も違えば勉学に対する意欲も成長の度合いも違う人間を集めて管理するなどそもそも無理がある。
その無理をどうにかするために行われているのが学校の治外法権化である。
治外法権となれば当然「外の世界」の法律は適用されなくなり、中の都合によって法は定められていく。
多くの教師が考えているのは生徒を管理下に置くことであり、分かりやすいヒエラルキー構造が教室に広がるのは管理するのには都合がいいのだ。
端的に言えば教師にとってはいじめは程度さえ大きくなければ歓迎してもいい状況である。
個人が個人の感情で暴力を奮っても、力関係が強いものがやったのであれば黙認されるべきであるという風潮は、教師が体罰をするにあたっても都合がいい。
クラスのリーダー的な存在が生まれれば、教師が機嫌を取るべきはそのリーダーと取り巻きであり、下位層にいる生徒は卒業までの間に壊れないかだけを注意しておけば良くなる。
社会が教職者に押し付けた無理を、教職者は学校という空間の法とモラルを歪めることで解決しているのだ。
もし、その歪んだ法を正そうとすれば何が起きるか?
「いじめ問題だけを隠蔽することを辞めさせれば良い」なんて簡単に考えているのだろうか?
そんなことを生徒や親が許すはずがない。
生徒が法によって裁かれるなら教師も同じでなければならない。
逆を言えば、生徒が法で裁かれることを免れているという後ろめたさが学校の治外法権化を支えているのである。
鎖はどれか一つの輪が断ち切られれば全体が意味を為さなくなるという話である。
学校とはそもそも教育施設を兼ねた監獄であり、現代の社会が抱える無理難題を無理矢理に押し込めた地獄の釜である。
この状況を生み出しているのは教育の現場であり、そこに子供を預ける両親たちであり、子供というものを無知な獣としか思っていないこの社会全体である。
そもそもをして全く違う背景を40人の人間に対して1人の人間が監視を行って管理するということ自体が容易ではないのだ。
これはなにも相手が子供だからではなく、大人であっても同じだ。
免許の更新、職場における集合教育、失業保険目当てで通う職業訓練センター、そういった所で後ろ側に席をとって周りを見渡せば話を聞いているフリをして寝ている大人やバレないようにスマホを弄っている大人が如何に多いかを目にできるだろう。
大人か子供かではなく、意欲もないのに教育の場に参加させれば自然とそうなるのである。
だが多くの大人たちはそういった場面で見かけ上はマジメに聞いている。
彼らには、免許を更新したいとか、教育を受け直しになりたくないとか、失業保険が欲しいとか、そういった極めて直接的な理由がある。
だが、小学校や中学校においてはこういった要素が薄く、それこそ出席をしなくても卒業をして次のステージに進むことが出来てしまう。
学校という空間は如何にして1人につき40人を真っ当な報酬系統も存在しない状況で監視するという異形をなしているのだろうか?
答えはシンプルだ。
教師と生徒という関係に超巨大な傾斜を設けて、教師が白を黒といえば生徒はそれに従うほどの力関係を用意するのだ。
これにより教師が与える体罰、精神的苦痛、各種のハラスメントは教育という概念として昇華され、一生傷が残る行為と物理的な接触を伴うセクハラ以外はあらゆる行為が黙認されることになる。
そもそもをして、強制的に集められた40人を1人が管理するなど、こういった異常な環境下でなければ容易には実現し得ないのだ。
もちろんキチンと環境を構築するという容易でない道を選ぶことも出来るが、それを実行しようとしたものもゆくゆくは燃え尽きていく。
25歳で教職についたとして定年までは40年、個々人の意欲のみを報酬とするには長すぎる時間なのである。
かくして学校という空間は独自の法によって運営される出島、監獄となる。
ではこの監獄島に外の世界をルールを真っ当に適用したらどうなるだろうか?
教師と生徒が平等になれば、暴走する生徒を止める手段は通報のみとなる。
教室において教師が出来るのはハラスメントにならない範囲までの注意、いわば善良な管理者の注意義務までである。
その範囲は決して広くはなく、今までであれば先立って体罰によって躾けることで無理やり予防できた数多くの人災に対処が及ばなくなるだろう。
教師は超人ではないので、人間としての限界を超えることは出来ないが、法の縛りを逸脱することを許可することで擬似的に半超人化していたものがなくなるのである。
授業や生徒の管理を妨害された時、今まであれば超法規的措置によって体罰をして解決していた。
だがそれが不可能になったらどうなるか?
証拠を集め、公務執行妨害を適用し、少年院に送られてもらうことを選ぶしかない。
他の生徒のことを考えればそうならざるを得ない。
生まれついての犯罪者として真っ当な職業に付く機会は、少なくともテレビで名前を聞くような企業に入る機会は場末のアルバイト以外では望めないだろう。
今までであれば鉄拳制裁を受け、顔の腫れが3日後に引けば終わったものが、これからは一生消えること無い履歴書の傷を引きずって生きることになるのだ。
そしてこれは何も極めて救いがたい悪童に対してのみ行われるのではなく、多動性を持つ生徒、注意力散漫な生徒、偶然虫の居所が悪かった生徒、いわばほぼ全ての生徒がそう言ったリスクを背負って通学するようになるのである。
元からそうだったと言いたい人にはこう言おう、もし治外法権がなくなれば通報されるリスクが10000000倍になった学校に通うことになる、と。
我々が声高に「いじめをなくせ。隠蔽を辞めさせろ」というのは簡単だ。
だがそれは「学校への治外法権の適用をやめろ。これからは学校で起きたありとあらゆる犯罪行為が法的措置の対象となるべきだ」ということなのだ。
さて、貴方の家の子供は悪戯の一つもしないで今日まで生きてきただろうか?
悪戯とは、相手が許さなければ犯罪になる行為であり、犯罪歴がつけば人生の可能性が半分以上消えるということを理解できているだろうか?
そんな自信は自分にはないなあ
人々が好感度や人気のによって態度を変えるのはその通りだろう。
ただしこの件に関して冷笑的な、というより嘲笑的で侮蔑的な態度をとる人々に対する「ご説明」がそれで十分とは思わない。
長くなるのでまず結論から述べると、「サイゲームス社(以下、CG社)は『ウマ娘』の二次創作に対して制限をかける正当な権利を持っている」という当たり前の話である。
本質的に重要なのは、民主的に正当な手続きをへて定められた法とそれに基づいて司法が積み重ねた判例であり、それらに裏打ちされた権利を有する者のみが他者の権利を制限しうるという法治主義の精神である。この文章ではその観点から「ウマ娘」の性的描写を含む二次創作の禁止について整理する。
1. 馬主や競走馬生産牧場等、「もとネタ」としての馬の所有者
彼らはこの件に関して(現行法下においては)直接行使しうる権利を持たないと私は認識している。過去に、競馬をテーマとしたゲーム作品について馬主らがゲーム会社を相手取り、損賠賠償と販売や流通の差し止めを求めて訴訟を提起したギャロップレーサー事件(くわえてダービースタリオン事件)の最高裁判決において競走馬の名前に対するパブリシティ権は否定されている。
2. CG社
結論でも述べた通り、彼らは『ウマ娘』に関する各種知財の権利者であり、そのパロディ作品の公表や流通にたいして制限を課す正当な法的権利がある。
一方で、「ウマ娘における性的表現の禁止は馬主らの意向である」との見解もしばしば耳にする。過去の訴訟等の事例に照らせばその可能性は大いにあるのだろう。ただしこれは馬主らが『ウマ娘』に対して何らかの法的な権利を有していることを意味しない。これは先述した「ギャロップレーサー事件」の最高裁判決も以下の通り指摘するところだ。
競走馬の名称等の使用料の支払を内容とする契約が締結された実例があるとしても,それらの契約締結は,紛争をあらかじめ回避して円滑に事業を遂行するためなど,様々な目的で行われることがあり得るのであり,上記のような契約締結の実例があることを理由として,競走馬の所有者が競走馬の名称等が有する経済的価値を独占的に利用することができることを承認する社会的慣習又は慣習法が存在するとまでいうことはできない
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/332/052332_hanrei.pdf
つまりCG社が馬主らと良好な関係を築くことを目的として、自社コンテンツの翻案権や同一性保持権を行使した、と解釈できる。これは何ら不自然な事でも不当な行為でもない。
正当な権利の行使と、こともあろうに弁護士資格を有する人物が何の法的根拠もないのに触法行為であるかのように言い募ってSNS上で扇動し、ポスター引きはがそうとした行為を混同してはならない。現行法に不足や不備があると信じるならば正当な手続きでもってそれを改正することを目指すべきだろう。
おそらく彼らは他者の、というより敵とみなした集団の一貫性の欠如を指摘したかったのだろうと思う。
「お疲れさまでした」と同僚に挨拶し更衣室でスマホを手に取った
着信11件・・・またマスコミからの取材・・・それとも・・・と考えながら着信履歴を見て晴子は凍りついた
「理化学研究所から なんで!?」色々と考えてはみるが今更電話がかかってくる理由が思いつかない
駅まで歩きながら心を落ち着かせようとしたがやはり無理 当然電話をする気にもなれない
「コロナのせいでお客さんも激減だし このままだと今のバイトも・・・」そう考えながら電車の中で
スマホを見ていると晴子の目にとんでもない記事が飛び込んできた
「STAP細胞にコロナウイルスの活動を抑制する効果」着信の理由はこれなの!
電車を降り理化学研究所に電話をかけると昔の同僚がすぐに応対してくれた
「ニュースみたんだけどこれって」
「記事の通りよ 国内ではまだ承認出てないから無理だけどアメリカではトランプ大統領の
超法規的措置で既に投与が開始されててもう何百人もの患者が回復してるんだって」
「でも、誰が もうSTAP細胞なんて誰も」
「バカンティ教授がずっと単独で研究を続けてたみたいなの あっちの会見で本人が経緯を説明してたわ
それを受けてこっちでもこれから会見やるのよ マスコミが押しかけてて大騒ぎなの 晴子も早く来て」
「何言ってるの 晴子がいなかったらマスコミが納得しないわよ
全世界を救うコロナ治療を発見した張本人が不在なんてあり得ないから
今からタクシー乗れば間に合うでしょ 20時開始だけど晴子が来ないと始められないよ」
時刻は19時過ぎ 確かに今からタクシーで行けば20時前には理化学研究所に着く
晴子は決心するとすぐにタクシーを呼び止め乗り込んだ
一体記者会見で何を言えばいいのか・・・今日のこんな服装じゃみっともないな・・・
「コロナウイルスの治療法が発見されたというのは本当ですか?」と記者からの質問が飛び交う中で
晴子は同僚から受け取った純白の割烹着を身に纏いそして高らかに叫んだ
~完~