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はてなキーワード: 東海道とは

2020-03-18

これからすごく下品で罰当たりなことを言います、ごめんなさい

昔は女性器のことをホトと呼んだそうです。古事記では秀処という漢字を当てています。くぼんだ土地にホトとついているのは、それが語源だとされることもあるそうです。東海道保土ヶ谷も、そうした説があります

それはそれで構わないのですが、仏ということばは「ホト」に「ケ」で陰毛という意味になってしまうのではないでしょうか。大変罰当たりで申し訳がないのですが、仏教を受容した飛鳥時代日本人は、どうして「ブッダ」を「ほとけ」と訳したのでしょうか。

ブッダ」と「ほとけ」は音が似ていなくもない気がするのですが、当時の日本人は、「ほとけ」という言葉を聞いて、淫猥意味に聞こえなかったのでしょうか。上代特殊仮名遣いか何かで、別の音だったのでしょうか。

たいそう罰当たりで恐縮なのですが、仏教古代日本語に詳しい方に、お尋ねしたく思います

本当に下品で罰当たりでごめんなさい。でも気になっているんです。

2020-03-12

anond:20200312112236

じゃあ電車アカンのか。東海道北海道飛行機も。大声じゃなきゃいいとか無いし

正直年寄り病気持ちのために自粛したくないんだよ。2週間は我慢する。それくらいは仕方ない。

でも1ヶ月、2ヶ月は正直辛い。むしろ重症化して肺炎になって死ぬ人は死んでくれ。そしたらSARS-Cov-2もただの風邪菌になるし

2020-02-23

[]anond:20200223190101

森之助と更科姫は諏訪ヶ原をよく治めていた。

あるとき夫婦山中で道に迷い、たまたま村上家の武芸指南役・井上九郎と再会した。

村上家を出奔したのち隠居していたとのことで、喜んだ森之助は、鹿之助を鍛えてもらえるよう頼みこんだ。

井上九郎のもとで五年ほど鍛えられ、鹿之助は武芸百般に通ずる立派な若武者となった。

その頃、信玄はすでにこの世を去り、武田勝頼が後を継いでいた。

馬場美濃守は己の死を覚悟し、もはや武田家の滅びは避けがたいので城を退去せよと森之助に伝えた。

まさに長篠の戦いにおいて武田大敗を喫し、馬場美濃守が討ち死にするに至り、北条家の軍勢諏訪原城に押し寄せた。

森之助は馬場美濃守の言うとおりに城から去ることにした。

城にはただ更科姫と鹿之助だけが残り、母子北条軍勢をさんざんに打ち破ったあと、二人は落ち延びていった。

ところがその途上、更科姫と鹿之助の夢枕に、承久の乱で亡くなった中御門宗行という貴族の霊が立ち、

鹿之助は見どころがあるので、自分の子である中御門宗教を頼っていけば立身出世は間違いなしである、と告げた。

更科姫は、これぞ霊夢であろうと鹿之助を励まし、鹿之助は惜しみつつも母と別れてひとり京へ向かうこととなった。

東海道を進む鹿之助は、その途中の村にて、盗みをして焼き殺されるところの大谷猪之助という怪力の若者を助けた。

猪之助によると、いまは落ちぶれ、母のために盗みに手を出してしまったのものの、元は武士の息子であると言うので、

鹿之助はいずれ身を立てたのちには家臣として迎えると約して、二人は主従の契りを結んだ。

その猪之助が、鹿之助へ料理を振る舞おうと、大きな古猪と格闘してこれを退治したので、

鹿之助は激賞して、彼に「大谷古猪之助」と改名するよう言ったのであった。

2020-02-14

anond:20200214103828

保育園以来の友達んち

・親戚のいる最寄り新幹線駅×5

福山岡山広島福岡小倉(うしろの2つ東海道じゃないけど)

2019-12-20

anond:20191220082746

東海道53次とかかわらばんとか、

どうだろうな

東方見聞録日本の食い物があったとしても挿絵があるかどうか

という世界から

研究機関でないとわからん

2019-12-18

anond:20191218113607

東海道京浜東北かに乗るけど降りる駅の近くになったら扉の前に行くことなんて不可能だよ。

2019-09-13

anond:20190913135736

雑誌も置いてあったし充電も各席にあった気がする。

東海道しか乗ったことないけど。山陽新幹線のほうはもっと豪華ときいたことがあるよ。

もうしばらく乗ってないけれど。あの光量落とした電球色の空間もいい。

値段に見合っているかというと、ゆっくり気持ちよく過ごせる、という意味ではちょっと高いけど価値はあると思う。

2019-09-09

anond:20190909163739

仕事いってねぇぞって話なんだが

あと交通機関普通に乱れたぞ

環状線運転見合わせが相次いだし東海道山陽線も朝は動いてない

夜が明けてから動いたってのは同じ

2019-07-03

東海道線路内立ち入りで止まって10分たった

どこのキチガイババアだよ殺してしま

2019-06-14

anond:20190614142330

神奈川弁と言われることが多いが実は三河弁東海道経由で伝わった説が有力

まぁくだけた標準語なんぞではない明らかな方言

2019-05-07

今日はどの路線が止まるかな!

人枠一番中央線

人枠二番京浜東北

人枠三番東海道

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。実は三河武士あいだでやたらと流行っていて十人いたら七・八人は唐の頭をつけていたと言われており、というのも唐の頭を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2019-02-13

47都道府県 所在地を間違える高校 代表

平成31年2月15日コメント追記

北海道

北海道福島商業高等学校福島町には青函トンネルあるし有名か)

東北

青森千葉学園高等学校私立。たぶん千葉さんがつくった)

岩手福岡高等学校

宮城松山高等学校

秋田国学高等学校国士舘でも国学院でもない)

山形北村高等学校音頭は踊らない)

福島川口高等学校鉄ヲタは「会津川口」でインプットされてる)

関東

茨城東海高等学校原発あるし有名か)

栃木壬生高等学校(駅名にもあるし間違えないと思われるが、歴ヲタは釣れるかも)

群馬常磐高等学校(陸ヲタはむしろ常識だろうけど)

埼玉霞ヶ関高等学校霞ヶ関カンツリー倶楽部やアリさんマークの引越社で有名になったけど)

千葉鶴舞桜が丘高等学校愛知でも東京でもない、もちろん京都でもない)

東京富士高等学校(こう見えて公立

神奈川金沢高等学校赤い電車ヲタは「文庫」「八景」で間違えないか

北陸

新潟荒川高等学校

富山福岡高等学校

石川飯田高等学校

福井三国高等学校三国競艇あるし有名。ただこれ以上間違える高校なかった)

中部

山梨ひばりが丘高等学校パルコはないし二郎もない)

長野池田工業高等学校(むしろ長野アバンギャルド高校名が多い↓)

岐阜益田清風高等学校(陸ヲタには有名。読み方は「ました」)

東海

静岡横須賀高等学校神奈川はもちろん、愛知にもあるため東海道は全部横須賀

愛知福江高等学校

三重代々木高等学校私立三重は激戦区↓。三重だけで打線組める)

近畿

滋賀愛知高等学校(読み方は「えち」読み方でも混乱を招く)

京都南陽高等学校公立は洛つけすぎ、私立は京つけすぎ)

大阪渋谷高等学校

兵庫自由ケ丘高等学校

奈良郡山高等学校金魚あるし甲子園何度も出てるし有名。でも他の候補がない)

和歌山:桐蔭高等学校甲子園何度も出てるし有名。でも他の候補がない)

中国

鳥取日野高等学校

島根:大東高等学校

岡山高松農業高等学校備中高松城で有名。なお、香川県には高松農業はない。あるのは県立農業経営高等学校

広島千代田高等学校広島も激戦区↓)

山口宇部フロンティア大学付属高松高等学校山口と見せかけて香川と見せかけてやっぱり山口

四国

徳島名西高等学校名古屋の西ではない)

香川飯山高等学校

愛媛小松高等学校

高知高岡高等学校

九州

福岡京都高等学校(読み方は「みやこ」森脇健児が来てた)

佐賀白石高等学校(陸ヲタには有名。でも他の候補(ry

長崎小浜高等学校Yes, We canのあとはどうなった?)

熊本大津高等学校

大分三重総合高等学校

宮崎福島高等学校

鹿児島福山高等学校

沖縄石川高等学校

惜しくも地方大会で敗退

池田清里伊達双葉北海道

十和田増田湯沢ゆり支援学校秋田

基督独立学園(山形

日々輝学園(栃木

豊岡松山松山女子埼玉

清水若松あずさ第一千葉

飛鳥国立千早安部学院・日出(東京

志賀・アットマーク国際(石川

エクセラン・コードアカデミー地球環境長野俊英・松本秀峰・UWC ISAK Japan(長野

池田鶯谷・聖マリア学院岐阜

湖西・吉原・星陵(静岡)(松井秀喜は星稜)

上野川越神戸青山三重

佐野鶴見商業豊島長野福井三島淀川清流・むらの高等支援学校大阪

千種阪神特別支援学校三田学園百合学院兵庫

宇治勝山西大寺松山鹿島朝日岡山

加計賀茂祇園北・河内佐伯豊田沼田府中・AICJ(広島

清水太平洋学園(高知

小郡新宮常磐福岡

鳴滝・純心女子聖母騎士長崎

みなみのかぜ支援学校宮崎)(そういや南の風風力3ってどこへ行ったんだろう)

2019-01-23

anond:20190123132211

東海地方って東海道から来てるんじゃねえの?

東海道京都が中心だった頃にできた名称だろ?

から東で間違っちゃいねえよ

2018-09-24

anond:20180923163749

修学旅行ディズニーランドに行ったとき、一人で来ている男性の方がいて、驚いた記憶がある。けっこういるのね、おひとり様

一人永谷園がいけるなら、一人東海道中も行けそうだよね。

2018-09-18

anond:20180918003342

御茶ノ水代々木新宿(総武と山手)、小竹向原表参道赤坂見附京急蒲田京浜東北山手東側、戸塚あたりは便利。

総武快速と各駅の錦糸町東海道京浜東北川崎駅は何とかならなかったのかなあ。あと品川新駅山手京浜東北とで乗り換え便利にして欲しかった、大井町方と大崎方の相互向けに。

2018-06-20

東海道のど真ん中にある名古屋が何故か日本の中心になった事がないって

結構面白い話と思いませんか?

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