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はてなキーワード: 塩原とは

2022-05-23

idコールできない方が攻撃性は増すんだが?

はてなブックマークブコメ返信機能が欲しい - 本しゃぶり

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/honeshabri.hatenablog.com/entry/request_to_hatebu

はてブに返信機能を追加してほしい」という要望に対し、ブコメは反対の論調だ。

その理由が「idコールが原因で殺人事件が起きたから」というが、まるでわかっていない。

敵意や怒りが増幅するシチュエーションは何か?

それは好き勝手にいい加減なことを書いておきながら、反論は受け付けない奴を見た時だ。

例えばデマコメントに対して、それを打ち消す返信ができれば、怒りはひとまず収まる。

しか相手が一切の反論を受け付けず、デマが野放しになるならば、次に何を考えるか?

よし、そいつを直接追おう。

そっちがそういう態度を取るんなら、こっちも遠慮する気はない。

実際、朝日新聞社論座eスポーツに関していい加減かつ侮辱的な記事掲載した時、

筆者の塩原俊彦と朝日新聞社憎悪を抱いた。

ただコメントは受け付けていたから、記事への批判を書いてひとまず溜飲を下げた。

しか論座批判殺到したためか、途中からコメント欄を閉鎖しやがった。

から電話で抗議をしに行った。電凸で済ませただけ穏便だと思え。

相手が逃げの姿勢を見せるなら、次に考えるのは「直接攻撃しに行ってやろう」だ。

自分批判されないと高を括ってる奴。

それでいて何かを平気でバカにしてる奴。

そんな奴には殺意を覚える。

2022-04-14

塩原もゆるさん」って文字列を見かけて

高山謝罪しろ」のバリエーションか何かかと一瞬思ったんだよ

2021-12-15

いちフェミニスト温泉むすめに願うこと その2

https://anond.hatelabo.jp/20211215104205 の続き

温泉むすめ探訪は続く


半年の間を置き、2021年3月9日駅メモ!の新たなイベント駅メモ!で巡ろう!観光大使温泉むすめの温泉街」がスタートする。アプリは死んでも温泉むすめは死なない。

小野川温泉松島温泉飯坂温泉鳥羽温泉郷、南紀勝浦温泉湯村温泉を巡るミッションしかも今度は温泉地の最寄り駅だけでなく、温泉街まで足を運んでいくつかのポイントを踏破しなければならない。手に入るユニット小野川小町松島名月、飯坂真尋、鳥羽亜矢海、南紀勝浦樹紀、湯村千代さら8月6日三朝温泉三朝歌蓮、玉造温泉玉造彗が追加になった。

この新イベント温泉むすめは全員が温泉地の公認キャラになっており、温泉地では駅メモ!とのコラボキーホルダー販売されている。こちから探しにいかなくてもパネルもグッズも待っていてくれているのだ。前回の駅メモコラボ開催時は、有馬、道後、尖石(台湾しかなかった温泉公認一年で6か所増やし、さらに次の一年で層雲峡、湯原、湯郷、奥津、三朝塩原玉造松江しんじ湖と8か所増やしている。運営の機動力がやっぱりすごい。

だいたい騒動中に巷間で出回っていた「5年以上続くプロジェクト」「多くの温泉から公認」「観光庁の後援」などのフレーズは相当な過大広告で、半数くらいの温泉むすめはここ一年くらいの間に温泉地に突如出現したキャラしかない。

しろ世間に浸透していくのはこの先のことだろう。公認はまだまだ増える。

温泉むすめ巡りを続ける。まずは新温泉町湯村温泉へ。温泉観光協会で湯村千代パネル撮影し、キーホルダータオルを購入。パネルには「湯村温泉観光大使」のたすきがかかっている。流石は公認キャラ、貫録を感じる。湯煙でけぶっている街を歩き足湯に浸かる。ここは吉永小百合の「夢千代日記」で有名な温泉地なので吉永小百合銅像写真も撮り、ドラマ資料館である千代館を見学ドラマ風景再現した展示場で、湯村が胎内被曝者である千代の街として新温泉町広島市との友好の橋渡しとなり、吉永小百合平和活動の大きなバックボーンとなっていることを学ぶ。最後に薬師湯で温泉を使い帰路につく。

次は南紀勝浦温泉南紀勝浦樹紀のパネルは、レンタサイクルの並ぶウッドパネルのオシャレな観光案内所ではなく、古ぼけた温泉旅館組合事務所内に設置されている。この温泉むすめにも観光大使」のたすきがかかっている。パネルの横には驚くほど多種の南紀勝浦樹紀グッズが並んでいる。つい最近コラボが始まったばかりのはずだが本当に機動力がすごい。勝浦は冬のまぐろ祭り太地町落合記念館で落合専用ガンダムエクシア見学するなど何度も訪れているので観光はあっさり済ませる。勝浦漁港カフェまぐろバーガーを食べて、年期の入った建物の天然温泉公衆浴場はまゆで温泉を楽しんで帰る。

鳥羽温泉鳥羽亜矢海は、鳥羽そばショッピングモール鳥羽一番街にいた。キーホルダーは隣接するレストラン農産物水産物直売所である鳥羽マルシェで購入できた。一緒に伊勢茶と伊勢米とアジ干物とカキとサザエも買う。鳥羽温泉にはあまりいい思い出がないので代わりに松阪温泉に入って帰った。

鳥羽亜矢海のデザインはみんな大好きメリーちゃん牛木義隆さんで、肌色成分多めなのにスポーティさが支配する健康的なデザインリボンスカートの裾に入れた和柄紋、ダイビング由来の手の込んだ小物、結い上げた長い髪を下ろせば大きく印象を変えられそうな変身の余地も作って、本当に最高の仕事だった。海の街のご当地キャラデザインとして傑出した完成度がある。鳥羽はあまり好きな街ではないが鳥羽亜矢海だけは推せる。

松島温泉には車で訪問した。松島観光協会タクシードライバー姿の松島名月のパネルを見て、福浦から福浦島に渡り松島風景を楽しんだ。温泉は日帰りで利用できる芭蕉の湯という施設を選んだが、松島名月のパネルは主に海沿いの旅館に設置されていたようで結局出会えたのはタクシードライバーバージョンだけだった。

去年「凪待ち」の舞台探訪で石巻に行ったけど、松島温泉スルーして作並へ行っていた。松島名月のおかげで松島にも温泉があることを知られてよかった。

小野川温泉には米沢駅からバスで向かった。小野川温泉も以前は存在を知らなかったので、訪れる機会をくれた駅メモ!と温泉むすめには感謝しきりだ。この街有馬温泉以来の街ぐるみ温泉むすめを活用している場所だった。至る所にポスターやポップがある。訪問スポット指定されていた甲子大黒天には小野川小町絵馬もあった。共同浴場滝の湯でクソ熱い湯に浸かり、キーホルダー販売している名湯の宿 吾妻荘を訪れるとここにも当然小野川小町パネルが設置されている。もう嬉しくなってしまった。

いくつかの施設の人と話してみても、みな小野川小町に好感を持ってくれており、また温泉むすめが目的で訪れた私に対してもとても親切に対応してくれた。ただ、小野川小町よりもつ最近小野川温泉で大々的なロケを行った江頭2:50の方が遥かに街の人々に愛されているとも感じた。まあ、美少女もいいけど江頭と比べられたらやっぱり負けちゃうよな。

飯坂温泉では“最高の温泉むすめ”飯坂真尋に出会う。福島駅から飯坂線に乗ると列車が既に温泉のれんをかけた車両テンション上がる。飯坂温泉には5年ぶりくらいの訪問になるが、駅を降りた瞬間から飯坂真尋の吊看板観光案内所にも当然飯坂真尋。街中の旅館ロビーではなく玄関先に飯坂真尋のパネルを設置している。自販機には福島県温泉むすめのラッピング。数えきれないほどのポップ。10を超えてからは数えるのを止めた。街が一変している。

飯坂真尋ほど地域の愛を一身に受ける温泉むすめを他に知らない。飯坂真尋は他の温泉むすめと比べて特徴的なルックスではないが、その分アレンジが利かせやすくどんな衣装でも着こなせてしまう。その特性を最大限に活かして、飯坂温泉の数えきれないほどのスポットに様々なコスプレをさせた飯坂真尋ポップが溢れている。

飯坂温泉は町出身オリンピック選手紅白歌手かのように飯坂真尋を訪問客に誇らしげに紹介している。アニメ聖地などではあまり見られない現象だが、飯坂真尋に限っては東京オタクよりも飯坂温泉の住人の方が遥かに飯坂真尋を愛している。二年ほど前に借りてきただけのキャラのはずなのにどうしてこんなことが起きるのか。

宇奈月温泉ももクロに染まるのは理解できる。ももクロの熱には魅了されて当然。でも、同じくらいのテンション飯坂真尋に熱狂する飯坂温泉ちょっと理解の外にある。

自分の好きなアニメキャラ普段アニメを見なさそうな人たちが同じように好きになってくれる様子を見るのが聖地巡礼の楽しみのひとつでもあるが、今日初めてその姿を見る飯坂真尋が多くの人に愛されていることを知って、同じように嬉しく思う。こんな経験は初めてだった。

芭蕉も浸かったという鯖湖湯の隣の鯖湖神社には飯坂真尋のイラスト絵馬がたくさんかかっている。小野川町の甲子大黒天を思い出す。超愛されてる飯坂真尋。でも、よく見るとイラスト絵馬の半分は塩原温泉観光協会プロジェクト88メンバーよりとか書かれてる。互助会だった。塩原温泉グリル三笠オーナー飯坂真尋でなく自分似顔絵絵馬に描くナルシスト鬼怒川温泉が近いせいで塩原温泉は行ったことなかったけど、近いうちに那須塩原温泉むすめにも会いに行こうと思うよ。グリル三笠軒にも寄ろうと思うよ。

愛宕山温泉神社から飯坂温泉の街を眺め、旧堀切邸を見学八幡神社を参拝、鯖湖湯のクソ熱い温泉に浸かってすぐまた波来湯のクソ熱い温泉はしごし、ラヂウム最中ラヂウム玉子お土産に買いこんで、地酒「摺上川」の4号瓶を購入して水郡線水戸に着くまでに全部開けた。ここ飯坂温泉にはまた必ず来るだろう。

8月三朝歌蓮、玉造彗が駅メモ!に実装されるとまた早速出かける。前日は皆生温泉温泉を使い境港海鮮丼を食べて松江ビジネスホテル投宿。翌朝玉造温泉に向かい観光案内所で玉造彗のパネル撮影キーホルダーを購入する。駅メモ!勢が訪れる以前から玉造ファンは相当数足を運んでいたようで、案内所の人も慣れた様子だ。その後、玉造温泉ゆ~ゆという洋式便器のような形状の施設温泉を楽しみ、三朝温泉に向かう。

途中、琴浦町道の駅で「琴浦さん」グッズが復活していないことを確認して、青山剛昌ふるさと館を見学倉吉お土産の梨を買ってから三朝温泉を少し通り過ぎて三佛寺投入堂を参拝、一人では崖の上のお堂まで行けない決まりなので行き会わせた年配のご婦人二人とチームで崖を登る。取って戻して三朝温泉、街には射的のある娯楽場、向かいには右翼事務所、橋の方に向かうと大綱引資料館などという建物もある。小さな銭湯たまわりの湯で温泉に浸かり、観光案内所ほっとプラ座で「みささ温泉観光大使」のたすきをかけた声優サイン入り三朝歌蓮のパネル写真を撮ってキーホルダーを購入する。

三朝歌蓮は儚げな美少女キャラ可愛いのだけれど、その隣に立つ「宇崎ちゃん鳥取で遊びたい!×三朝温泉」の宇崎花と赤羽根健治パネルの方が観光案内所の雰囲気にはマッチしていた。今更だけどやっぱり温泉制服姿は似合わないわ。

しかし、観光案内所で最も強いインパクトを残したのは、三朝歌蓮でも宇崎花でもなく、三朝温泉マスコットキャラクター湯けむり怪獣ミサラドンだった。有袋類怪獣らしくお腹ポケット赤ちゃん怪獣も入っている。こいつが三朝温泉温泉むすめでも良かったのに。ミサラドングッズはタオルストラップシールを買う。

ほっとプラ座には他の温泉地の温泉むすめの缶バッチも売られていて、ご婦人方が入れ替わり立ち代わり缶バッチを熱心に見ていた。本当はご当地キティを探していたのかもしれない。

その後、鳥取市のビジネスホテルに泊まり、翌朝すなば珈琲に寄って砂丘に寄って岩美町で「Free!」の聖地巡礼をして余部鉄橋見て帰路についた。

その後も、駅メモ!と関係なく修善寺透子、高山匠美、白浜帆南美、十津川飛香と出会ったり、別府奥飛騨では温泉むすめパネル存在は知っていたけれど設置場所まで足を伸ばすのが面倒でスルーしたりした。それが今年10月までの話だ。

つづく

2020-09-10

物産展アンテナショップが盛り上がらなそうな都道府県

ぶっちぎりの1位は埼玉だろう。

想像してみなよ。

埼玉物産展埼玉アンテナショップ、誰がわざわざ出向く?

埼玉に住んでたこともあるが、旨いものがないわけではない。むしろけっこう多いと思う。ブランディングが下手だ。

埼玉に移り住んだ人にとってはなかなか珍しい食べ物を推さず、妙にオシャレぶった(そして客観的にみてオシャレでもない)思いつき商品推してる。そこらへんがダサイタマだと思うんだけどな。

土着の埼玉県民が食ってる食べ物はまあまあ旨い。

武蔵野うどん、いがまんじゅう所沢だんご、すったてうどん焼き芋、さいぼくハムせんべい

ほぼ全部茶色いからばえないけど。

2位は迷う。花輪がなんもないことを強調する佐賀と迷ったが、やはり埼玉同様に北関東枠の栃木が僅差で2位だろう。

どこにでも売ってる菓子(クッキーだとかチーズケーキだとか)に那須とか日光とか固有名詞をつけただけの土産物しかない。実は那須日光乳製品を使ってるわけじゃない。

かつては温泉地として栄えた鬼怒川塩原が落ちぶれたのは痛い。温泉以外ブランドを作れなかった印象。温泉リゾートとしての需要熱海箱根に取られてしまった。純粋温泉としての知名度では群馬草津伊香保に敵わないしね。

ぶっちゃけレモン牛乳宇都宮餃子しか集客力がない。一度は買って帰るとしても、「普通だね」という感想を持たれるからリピーターがない。

3位は佐賀だな。

有田焼伊万里焼吉野ヶ里遺跡がなかったら、誰も興味ないだろう。焼き物以外で佐賀名物なんてあるのか?ムツゴロウくらい?

佐賀ちゃんぽんは旨いけど、知名度じゃ長崎に敵わないしね。イカも旨いけど、知名度じゃ函館にかなわない。

異論は認める

2019-11-14

anond:20191114163008

北陸新幹線

佐久10万)、上田(15万)、長野(37万)、直江津高田(19万)、富山(42万)、高岡17万)、金沢(46万)

東北北海道新幹線

小山17万)、宇都宮(52万)、塩原12万)、郡山33万)、福島(29万)、仙台110万)、古川(13万)、一関11万)、水沢江刺11万)、盛岡(30万)、八戸(22万)、青森28万)、函館(25万)

上越新幹線

六日町十日町11万)、長岡(27万)、燕・三条(18万)、新潟(80万)

沿線人口が違いすぎるんだよなあ

羽越新幹線として秋田辺りまで延伸すればまた違うんだろうけど

2019-11-12

先月28日、雪の積もった富士山に登る様子を動画配信サイトライブ配信していた人が滑落する姿が流れ、警察が捜索した結果、2日後、7合目付近標高およそ3000メートルの辺りで、遺体が雪に埋まった状態で見つかりました。

警察が調べたところ、亡くなったのは東京 新宿区に住む塩原徹さん(47)と確認されました。

ライブ配信をしていたとみられる人のツイッターアカウントから都内から富士山の5合目に向かうバス乗車券写真などが投稿されていて、警察によりますと、塩原さんが高速バス乗車券を購入した履歴があったということです。

警察ライブ配信していたとみて詳しい状況を調べています

なむー

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2010-08-02

2007/3/28配信 川島織物セルコン 人事および機構改革

川島織物セルコン 人事および機構改革 (株)川島織物セルコンは、3月27日開催の取締役会において、取締役並びに執行役員の異動を下記の通り決定した。(以下敬称略) 役員の異動 1.退任予定取締役(6月21日付)株式会社紅粉屋取締役社長平田恒治(現・取締役常務執行役員身装・美術工芸事業部長) 2.執行役員 (1)新任執行役員(4月1日付)自動車事業部第2営業部担当山本和秀▽同商品部長=草川貢▽インテリア事業部九州地区担当平田康晴▽同広域営業部長=中納敏和 (2)退任執行役員(3月31日付)株式会社川島織物インテリア取締役社長=田邉純夫(現・執行役員、?川島織物インテリア取締役社長には引き続き就任) 事業部長の異動(4月1日付)執行役員身装・美術工芸事業部長杉本一郎(現・執行役員インテリア事業部生産部長) 新役員体制(4月1日付)代表取締役社長=青戸紘▽代表取締役副社長中西正夫▽代表取締役専務加藤鈴夫▽取締役常務執行役員奥野信三▽取締役常務執行役員=森仁士▽取締役常務執行役員平田恒治(6月21日付退任予定)▽取締役執行役員大西裕▽執行役員平石惠和▽同=杉本一郎▽同=鈴木久和▽同=福島聖▽同=澤野樹義▽ 同=福井実▽同=加納章▽同=野口満▽同=山本和秀(新任)▽同=草川貢(新任)▽同=平田康晴(新任、?セルコテクノ取締役)▽同=中納敏和(新任)▽常勤監査役塩原正道▽同=本郷多實司▽社外監査役坂本正寿(弁護士)▽同=高谷晋介(公認会計士税理士)▽補欠監査役森田雅之(弁護士担当業務の異動(4月1日付)代表取締役社長=青戸紘(業務監査担当)▽代表取締役副社長中西正夫(研究開発部担当インテリア事業部長お客様相談担当)▽取締役常務執行役員=森仁士(経営企画部・情報システム部・人事部・総務部担当)▽取締役常務執行役員平田恒治(身装・美術工芸事業特命事項担当)▽執行役員平石惠和(インテリア事業部専門店営業部長)▽同=杉本一郎(身装・美術工芸事業部長)▽同=福島聖(インテリア事業部営業推進担当)▽同=野口満(身装・美術工芸事業部関係会社担当、?じゅら取締役社長人事異動部長級(4月1日付)インテリア事業部チェーン店営業部長河合明彦▽同貿易部長=広岡慎一▽同東京営業部長=廣田正明▽同大阪営業部長=赤山洋二機構改革(4月1日付) (1)インテリア事業部海外営業部(廃止)、(2)インテリア事業部広域営業部(旧部署名インテリア事業部東日本営業部、同西日本営業部)、(3)インテリア事業部専門店営業部、同チェーン店営業部、同貿易部(旧部署名インテリア事業部マーケット営業部)、(4)インテリア事業部東京営業部、同大阪営業部(旧部署名インテリア事業部首都圏営業部、開発部)、(5)インテリア事業部生産部(同スペーストータル商品部に統合)、(6)業務企画部(経営企画室に統合

 
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