理由1 はてな社の設定でwww.yomiuri.co.jpの記事が新着エントリー及び検索結果に出ないようにされているので他人が読売新聞をブクマしても分からない。新着エントリーに載らないので自分の意見を人に見せたい人がブクマすることもない。それを乗り越えてブクマが数多く集まれば人気エントリー(ホッテントリ)のリストには時々入っていることがある。
理由2 読売新聞の記事は消されるまでの期間が短かったのでブックマークしておく価値が低いとされていた。
自分で一つ読売新聞の記事をブクマしてそれを検索してみるとそのブクマが検索結果に反映されないことがわかると思う。
読売新聞だけの新着エントリーリストも機能しない。 https://b.hatena.ne.jp/site/www.yomiuri.co.jp/?sort=eid
だからといって読売新聞が全くブクマされないかと言うとそうでもないことは2年前の集計から分かる。 https://anond.hatelabo.jp/c/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88%E3%81%AF%E3%81%A6%E3%83%96%E6%95%B0
参考
読売新聞・毎日新聞は、はてな内の検索よけをしている | 右往左往 https://t-sat.hatenadiary.org/entry/20160730/p1
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
主な方法は二つだ。
件の話でいうならば名前で呼ぶか、役職があればその公式名称で呼ぶことになるだろう。
ただし、これすら適切といえるか、疑問に思われる場合もあるかもしれない。
そういった名前や役職の呼称ひとつとっても、何らかの思想や属性を見出す人間がいる可能性があるからだ。
私はこれを昔から「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない問題」として幾度となく答えてきたが基本は同じだ。
誰に対して言葉を投げかけているかが明らかならば、そもそも呼称なんて必要ない。
これは様々な案件に応用できる。
ちなみに質問の意図と異なるので除外した三つ目の選択肢もある。
それは「気にしない」ことだ。
私が傭兵をやっていた頃の話だ。
所属している部隊に、とある戦場ジャーナリストが引っ付いてきてな。
暇さえあれば意識の高いことを言っていた。
個人的な交流は特になく、あまり記憶に残っていない人物だったが、それでも印象的だったのは彼が銃を携帯していたことだ。
その立会人が戦闘に介入する、できるような武装をすることは欺瞞といえよう。
命の危機が迫っていたと感じたのだろう。
しかし理由が何であれ、カメラとペンの代わりに銃で戦った時点でジャーナリストとしてはオシマイだ。
そしてジャーナリストでなくなった彼は、この戦場において未熟な兵士でしかない。
そんな人間が辿る道は、そう多くないだろう。
彼の放った弾は敵兵士の頬をかすめ、反撃の一発でこめかみにクリーンヒットさ。
私は選んで殺すのが上等だとは思っていないので、ここにいる兵士たちが撃たれることについて理不尽だとは思っていない。
だが、それと同じくらい彼らが撃たれるのも世の常だと思っている。
理想すら抱けず溺死するのが嫌なら、少なくとも自分が兵士なのかジャーナリストなのか位は把握しておいたほうがいいだろう。
私はモンドセレクション金賞受賞者。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
例えば水の入ったコップに、追加で水を注ぐ。
水と水が繋がっている……
つまり“しっぽり濡れている”ということになるわけだ。
人間の体は半分以上が水分らしい。
それを踏まえると我々は常に水と繋がっているとも言えるな。
そういえば水は1日2リットル飲めといわれていたが、最近は果物や野菜から水分を摂った方がいいとされている。
それは自意識と自信がバランスを崩し、自我が不安定な状態となっているからだ。
「自意識÷自信」で求めることが出来る。
ちなみに自信がマイナスだとお気持ち表明文を書くこと自体できないので、基本的に負の数は考慮しないものとする。
私のフレーバーテキストが目安になるだろう。
そもそも不特定多数の場で、理想の読み手を想定すること自体ナンセンスだ。
大衆食堂の利用客に、会員制レストランのようなドレスコードを義務付けるようなものだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
それは彼らが全員オースティン・パワーだからさ、HAHAHA……
はー……オースティン・パワーをご存じない?
彼の芸風は、今で言うスベり芸みたいなものだ。
特徴的なのは、オースティン・パワー自身もそれを認識している点だろう。
でも言わずにはいられないという、自意識と自信が噛み合っていない状態なのだ。
そこで彼はジョークを言う時にヘラヘラ笑ったり、おどけて見せる。
とりあえず率先して笑えば気持ちが追いつくし、誰かがついてきてくれるかもしれないからな。
自分自信が率先して笑っても、繰り返しやっていくと誤魔化せなくなる。
結果、バツが悪そうに、自分の笑い声も少しずつ勢いを失っていくのだ。
そして最終的に我に返り、「自分でもそんなに面白いとは思ってないし」といった態度をとって芸として成立させる。
こう書くとオースティン・パワーは退屈な男のように思えてしまうかもしれないが、役者の演技や作品の演出、客演のリアクションも相まって体感的に面白いように仕上げているんだよ。
そして彼らのゲラも、本質的にはオースティン・パワーの延長線上といえよう。
若者はこのサイドブレーキがそもそもなくて、年寄りはサイドブレーキはあるけど緩んでいるという違いはあるが、その本質は同じだ。
綺麗に止まらなくても、後からブレーキペダルを踏み込むか、そのままアクセルを踏み抜けばいい。
ブコメなどでも駄洒落や親父ギャグを書く者が散見されるだろう。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
実のところ、全ての人間は「スカッとジャパン的なるもの」が好きなのだよ。
これは「愚か者が嫌い」というヒトの本能と表裏一体であるからだ。
そういった愚か者を“スカッとジャパン的なるもの”で撃退したり、或いは玩具にして壊れるまで楽しむ。
そうすることで環境を操作して精神の安寧を図る、いわば防衛機制の一つなのだよ。
君が、ここ匿名ダイアリーで過去に書いた日記、言及記事を思い返してみるといい。
自分がなぜそのような言動をしたか、どういった欲求のもと成されたか。
なんならブクマしている記事の傾向だけでも、“スカッとジャパン的なるもの”を求めている自分が見えてくるだろう。
では、なぜ「スカッとジャパン」に不快感を示す者がいるかというと、その見せ方が露骨だったためだ。
露骨なものは社会通念上「下品」、「低俗」と受け取られやすい。
矛盾しているようだが、我々は理性的であろうとする生き物でもあるからな。
そういった人間は自身を律しようとするあまり、「そうあるべき」とも考えがちだ。
しかし「そうあるべき」という衝動を律することができないと本末転倒となる。
結果、「そうでない」対象に向かって発散してしまい、自分も“スカッとジャパン的なるもの”に踊らされる。
略してスカモン(商標登録済み)。
なので、君の友達にも「スカッとジャパン的なるもの」の欲求は確かに存在しているのだ。
パンチラでも「ちょっと……」って人の場合は、ボトムスなどでもいいだろう。
ボトムスはパンティーそのものではないが、パンティーの可能性を内包しているからな。
面と向かって「パンティーが好きだ!」なんて言うのは気恥ずかしいし、君だってわざわざ言われても困るだろう?
今回、学ぶべき教訓は「我々は“スカッとジャパン的なるもの”から逃れられない」ということだ。
せいぜい何を履くか、露出度をどれだけ気にするか、それが精一杯だろう。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
答えはノーだ。
むしろ量は少ないこともあり、特別グルメでもない人間には不当な値段に映ることもある。
これから私が言うことは君にとって朗報でもあり悲報でもあるのだが……
厳密には「実際のところ良く分からない」というべきだが、そもそも良く分からないものに金を出してる時点で優れた金銭感覚ではないことは認めよう。
しかし、これは私に限った話ではない。
多くの人は一万円のステーキを千円のステーキの10倍の価値があるなんて微塵も思っていないのだ。
では、なぜ食べるのか、金が動くのか。
それは物事の価値というものが、一般社会の基準や、大衆の普遍的な金銭感覚から外れていくほど漠然としていくからだ。
漠然とした価値ほど、値踏みというプロセスも漠然とするのである。
それはモノが内包している価値、金を支払う個人の動機、その実体も曖昧であることを意味する。
何に対して、どの部分に、どれ位の価値を感じて金を支払うかを消費者は具体的に考えない。
下手をすれば、提供側すら考えていないこともある。
基準から外れているか、そもそも基準がないので、回答は出せても解答は出せないためだ。
今回、学ぶべき教訓は「基準にしていないからこそ動く金があり、基準にしているからこそ動かない金もある」といったところだ。
つまり一万円のステーキを食べられるのは“千円のステーキを基準にしていない”から、といっていい。
例えば、私はDAYSやジャンプラなどで無料公開されているマンガをよく読むのだが、単行本や有料エピソードを買ったことはない。
一万円のステーキを食える人間が、百円単位のものを渋るというのは中々に奇妙な話と思われるかもしれない。
それでも確かなことは一つだけある。
「一万円のステーキを食っているときに、千円のステーキの話をすると飯が不味くなる」
同席者にそんな話をされたら、尚さらだ。
もちろん、ハヤシライスのことを考えながらステーキを食べるのも嫌だろう。
なので、君はカレーライスを食べればいい。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
それを別のものとして扱えばよい。
例えばウサギの肉を食いたければ“一羽”と数えて「これは鶏肉だからセーフ」といって切り抜けよ。
相手がウミガメのスープを出してきたら気にせず食べて、後で「あのスープにそんなものが入っているなんて知らなかった」と取り繕えばいい。
そして「私がそれを食べてはダメなことを料理人は知らなかった。誰も悪くない」とフォローしておけば完璧だ。
この二つは様々なことに応用可能なので、君がベジタリアンだったとしても血となり肉となってくれるだろう。
タバコや酒なんてない方がいい、だけどそれを必要としている人間は多くいる。
無理やり取り上げたら何らかの支障が出るが、かといって歯止めをかけないと医療費もバカにならない。
「余分に金を払う」か、「これを期にすっぱりやめる」か。
しかし、それを今まで当たり前のように享受していた者からすれば“その二択を迫ってくること自体”が煩わしいのだ。
レジ袋の有料化が不満なのも、なんだかんだでそこに集約される。
もちろんその他の理由を挙げようと思えばいくらでも可能だが惑わされてはいけない。
彼らは論点を逸らしたり一時的に身代わりを立てて、本当に語るべき問題点を遠ざけているに過ぎないからだ。
私が傭兵だった頃の話をしよう。
同期に「トリガーハッピーのジョン」ってのがいたんだが、奴はその二つ名が示すとおり隙あらば銃を撃とうとする。
そんなジョンの口癖はこうだった。
「俺は好きで撃ってるわけじゃない。この手に銃がなければ引き金を引いてはいなかった」
それは奴の見え透いた言い訳だったが、同時に本質を突いていた。
少なくとも、大量射殺事件に対し「暴力的なゲームの影響が大きい」なんていう大統領よりはラジカルだろう。
「さっさとバッグに商品をつめろ」
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
こういった問題を公的な権力でもって調整することを、いわば「規制」という。
そして「殺す自由」が規制されているのは「生きる自由」の方を公的に支持しているからだといえよう。
だが、ここに屁理屈を足すならば、「殺す自由」は「生きる自由を侵害する行為」であるのと同時に「生きる自由が保障されていなければ行使できないもの」だからだ。
「生きる自由」が保障されていなければ「殺す自由」も行使できないが、「殺す自由は生きる自由を侵害している」という矛盾が発生しているのである。
ちなみに、これがゲームや小説など架空のキャラクターなら話は変わってくる。
その存在に生きる自由は適用されていないので、殺す自由を行使しても侵害にあたらないわけだ。
このように、自由の行使と侵害を臨機応変と手前勝手の狭間で使い分けるのが、現代社会のノブレスオブリージュである。
もちろん昔の私のように、「そんなこと気にしてられるか」と考えている人間もいるが。
やらなきゃ、こっちがやられる。
いや、あれは単なる勇み足だ。
何かを規制するために権力が介入するのは原則として避けるべきだ。
なぜなら特定の自由が、実際どのような、どの程度の損益があり、そして他の自由をどれくらい侵害しているか勘定しきれないからだ。
にも関わらず、それを「声の大きな人」や「多数決」などの権力闘争で決めてしまうのは前時代的だろう?
あれの場合、そういったプロセスすら杜撰だから批判されているわけだが。
今回、学ぶべき教訓は「民意に沿っていなくても法は法。だが言い包められる程度の屁理屈すら捏ねられないならば、それは秩序として破綻している」といったところだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
無論このリストに危害を加えるつもりの相手を挙げてはいけない。
“リストから除外されている”ってことは伝わるのがポイントなんだ。
例えば増田という名前の人物に危害を加えたくて、このリストの人物をあいうえお順に羅列するとしよう。
ま行に増田が入ってなければ、心当たりのある増田はヤキモキすることだろう。
法廷で会おう!
その一部に魂が宿っているならば天国で再会できる。
ほら、たまに「私の腕には神が宿っている」とか言う人がいるだろう?
神は個々の魂に存在するものだから、あれは比喩表現ではないのさ。
注意点として、死ぬ過程で悪さをした場合は地獄に行くため、天国にいる体の一部とは会えないのは知っておこう。
逆も然りで、例えば「この手が悪さをしたんです」と言って切り落とされた手は地獄に行くから、後に善行を積んで自分が天国に行っても再会できない。
今回、学ぶべき教訓は「魂は無条件で存在しているわけではない」ということだ。
生と魂はイコールではない。
中絶が認められているのも、そのためだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
つまり、いっちはどこにも行っていない。
いっちは常に、にっちやさっちの心の中にいるのだよ。
もちろん、君の中にもね。
あれは体に藻が張り付いているだけで、実際の体色は緑ではない。
体を綺麗にしてもらっているから、ワニはほとんどがグレーだろう?
いや、あれはガビアル革だったっけ?
まあ、いずれにしろ緑色のワニは単に汚れてるだけなので、綺麗にしなければ売り物にはならん。
手っ取り早い方法は愛を育むことだ。
“愛を育む”とは言ったが、何もパンツを定期的に履き替えようっていう話じゃあない。
難しいことは一切いらない。
プルタプやバッグ・クロージャーを集めて月面旅行をしようっていうシンプルな話だ。
それで君は「ひょん」になれる。
「一般」は「総合」から「テクノロジー」「おもしろ」「アニメとゲーム」を除いたもので、取り除いて減った分はブクマ数が少ないエントリーが繰り上げで入ってくる。
「総合」は全カテゴリーからブクマ数上位のエントリーが集められる。
カテゴリー | 総合 | 一般 | 世の中 | 政治と経済 | 暮らし | 学び | テクノロジー | おもしろ | エンタメ | アニメとゲーム |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合 | 1517 | 1042 | 329 | 307 | 241 | 88 | 283 | 64 | 77 | 128 |
一般 | 1042 | 1516 | 484 | 468 | 320 | 133 | 0 | 0 | 111 | 0 |
世の中 | 329 | 484 | 1489 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
政治と経済 | 307 | 468 | 0 | 1519 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
暮らし | 241 | 320 | 0 | 0 | 1468 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
学び | 88 | 133 | 0 | 0 | 0 | 875 | 0 | 0 | 0 | 0 |
テクノロジー | 283 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1513 | 0 | 0 | 0 |
おもしろ | 64 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 285 | 0 | 0 |
エンタメ | 77 | 111 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 838 | 0 |
アニメとゲーム | 128 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1026 |
2019年12月の各カテゴリーごとのデイリーのホットエントリーから
世の中、政治と経済、暮らし、学び、テクノロジー、おもしろ、エンタメ、アニメとゲームの間では重複するエントリーはない。
世の中、政治と経済、暮らし、学び、テクノロジー、おもしろ、エンタメ、アニメの各カテゴリーのホットエントリーなること無く総合、一般のホットエントリーになっているエントリーはないようだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.cobalog.com/entry/hatenabookmark_category
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
答えとしてはYESでもあり、NOでもある。
「トラブルに遭わないよう気をつける」という話と、「トラブルに遭った人間側の是非」という話は似ているようで違う。
考えてもみたまえ、そういったトラブルは被害者側が悪かろうが悪くなかろうが起こりえるものだ。
仮にこの世が、「加害者側が100%悪い」という考えが絶対的な世界だったとしても、トラブルに遭う可能性自体はなくならない。
悪くても悪くなくてもリスクが存在するのならば、その軽減について考慮しないのは非現実的だろう。
昔、ゴリラに手ひどくやられたことがあったが、銃を常に持ち歩くべきだったという後悔は私の中で今なお燻っている。
そこで君は、婚約者の両親を何と呼ぶべきだろうか。
「お父さん」と呼んで、「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない」なんてことになったら面倒だろう?
最近、ゴリラみたいな少年に「お父さん」と呼ばれたことがあるが、私も同じように返したよ。
では、そういう場合に相手をどう呼ぶべきかというと、正解は「呼ばない」。
より厳密には「主語を避ける」のだ。
名前を呼ばずとも、対象を指す言葉がなくても、対話は可能である。
実家に挨拶するとき以外にも、距離感を測りかねている相手にも使えるだろう。
天抜きも同じといえよう。
天ぷらを食べたくて蕎麦を食べなければいけないのなら、そもそも蕎麦なんていらない。
だからといって、蕎麦屋で「天ぷらだけください」というのは、不躾に「お父さん」と呼ぶのと同じだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
『王様の耳はロバの耳』の話を知っているだろう。ある床屋が王様の髪を切りに行くのだが、その王様がロバのように特徴的な耳をしていることを知ってしまう話だ。それを知られたくなかった王様は誰かに言えば殺すと床屋を脅した。床屋は誰かに言いたくてたまらなかったが、何とか我慢をする日々を過ごす。
しかし、そのせいで床屋は病気になってしまった。言いたいことを言わないと腹が膨張していき、最終的に破裂するという恐ろしい病である。そこで床屋は、誰もいない林の近くに行き穴を掘って、そこに向かって王様の秘密を叫んだ。察しの通り、これが匿名ダイアリーの起源である。一説にはツイッターの鍵アカウントとする向きもあるが。
しかし匿名だろうが鍵アカだろうが、喋ってはいけないのなら黙っているのが賢明だ。それから季節が巡り、床屋が叫んだ場所に一本の木が生えた。通りがかった男はそれに何かを感じ取り、その木から笛を作ったのである。すると不思議なことに、その笛から「王様の耳はロバの耳」という音色が聞こえてくる。
不用意な発言を別の人間がたまたま見つけ、巡り巡って身バレしてしまったというわけだ。当然、王様は酷く怒ったが、秘密を秘密のままにしたいのであれば、そもそも誰にも明かすべきではない。ましてや昨日今日あった床屋に明かした時点で、王様のプライバシー意識にも落ち度がある。それでは隠しきれないし、暴かれたときには後の祭りだ。こうして王様は仕方なく開き直り、自分の耳を隠さず生きていくことにしたのだった。
ちなみに、主役の床屋以外にも王様の髪を切っていた床屋は何人もいたのだが、彼らが登場しないのは……“そういうこと”だ。
さて、この童話で学ぶべきことは「我々は皆、床屋である」ということだ。人間とは、何かを吐き出さないと死んでしまう生き物なのである。誰か聞いていても、いなくても、表明しなければ腹が膨らんで破裂してしまう。今ここにいることが、何よりその証明であろう。
お喋りな人間は首を切られるが、喋らない人間は病気になって死ぬ。やりたくてやっている人間も勿論いるだろうが、多くの人間は仕方なくやっているに過ぎない。いずれ“そのとき”が来るまで、誤魔化しながら生きながらえるしかないのだ。だから適当な林に行って、適当な穴を掘って、適当なことを叫ぶのである。
ここでいう“適当”を、私がどういう意味合いで使っているかは君への宿題だ。こっちも片手間でやっているから忙しいのである。
よし、では実際にやってみよう。君も、他の生徒たちと一緒に参加したまえ。
では、まず準備からだ。「正しくて綺麗な線」を引くためには、ペンと定規の段階から「正しくて綺麗」なものを用意するのが大事だ。「誰もが納得できる」ことも前提であるため、それらを皆が使えるよう潤沢であることも条件である。言うまでもないが、他の子が持っているのを奪うのはご法度だぞ。
おい、そこ!
……では、行き渡ったところでいよいよ線を引いておこう。おっと、ペンにちゃんとインクが入っているかは確認しておけよ。見えない線を引いたところで、その線が分かるのは自分だけだからな。こらこら、紙に残ったペンの筆圧を「見えているだろう」と言い張るんじゃない。そんな理屈で皆と同じ線を引けたというのは無理があるだろう。
いいか、焦るんじゃないぞ。同じペンと定規を使えば、皆は同じ線を引ける。つまり「誰もが納得できる正しくて綺麗な線」を……どうだ、引けただろう。
んん?
なんだこの線は。
君たち、ふざけているのか。
ペンと定規が同じなのに、なぜ同じ場所に、同じ長さの線を引けないんだ。
ほら、私の
を真似すればいいんだよ。
あれか、私に対する“あてつけ”か?
線を引けると、引こうと思っていること自体が間違っているとでも言いたいのか?
馬鹿言うんじゃない、間違っているのは君たちだ。
いや、違うな。
何となく分かる、私の生徒がここまで愚かなはずがない。
彼奴らめ、諦めてメートル法に従えばいいものを……ぐっ……ふぅ……
……まあ、そうだな、今回学ぶべき教訓は「線は簡単に引けるものでも、引くべきものでもない」といったところだ。
是非もなし。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
『辛くないラー油』からインスパイアを受けて、オマージュしたのだ。
アイデアはすぐに出たが、完成までの道のりはとても辛かった。
ハラペーニョという緑色の唐辛子があるのだが、これを何度も改良してな。
そこまで辛くないものができたら、その種からまた作っての繰り返しさ。
そして最終的に、全く辛くない唐辛子ができたのだ。
しかも身も大きくすることで見栄えをよくし、お得感も上げた。
だが、全く意図しないところでカブってしまい、パクりだと言われてしまったんだ。
辛いな。
何となく分かるが、“プラスチックのあれ”とはロックピンのことを言っているのか?
いや、タグファスナーだっけか。
ああ、部屋に転がっているのは君がちゃんと処分していないからだ。
猫とかを飼っているなら、ちゃんと捨てておきたまえ。
それができないなら、猫の方を捨てろ。
或いは君自身か。
「どれもできませんでした」というのは道理じゃないぞ。
せっかく私が選択肢をいくつも提示したのだから、決断する責任くらいは取りたまえ。
今回学ぶべき教訓は、「疑ってはいけない」ということだ。
疑りつつも首を突っ込んでいる時点で、既に片耳を貸していることに気づきたまえ。
……ああ、すまない。
既に両方とも持っていかれて聞こえないのか。
これでは耳が万単位あっても足りないな。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
無論、ここでいう“ほぼ同じ”とは、はてな用語に基づいたものである。
君が、ここ匿名ダイアリーや、はてブ等で比喩表現を使ったことがあるのならば、それが私の指す“ほぼ同じ”だ。
ちなみに「+」の部分は「イカスミは美味いが、タコスミは不味い」のとほぼ同じ意味だ。
そして私の答えたことについて君が思考した時間がニアリーイコールとなる。
或いはスマートフォンを使う自分が、それに足りえるスマートさを備えているかどうかだ。
せめてフォンさは身に纏うべきだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
何を隠そう、それが私である。
ではなぜ答えるかというと、取るに足らない愚問ほど答えがいがあるからだ。
君もどこかで見たことがあるかもしれないな。
例えばドミノの本来の遊び方や、UNOの公式ルールも私は答えてきた。
蚊に刺されたときは消毒して絆創膏を貼っておけと言ったし、死にそうな人がいれば行って「恐がらなくていい」と言った。
『ワンピース』のキャラクター、シャーロット・ペロスペローのモチーフは『チャーリーとチョコレート工場』に出てくるウィリー・ウォンカではなく、厳密には『チキ・チキ・バン・バン』に出てくるチャイルドキャッチャーだと答えた。
カテゴリーの一覧か、タイトルにもある[FAQ]タグから飛びたまえ。
例えば
とすれば、私のFAQ集2ページ目に向かう。
なお、「FAQ」の箇所を変えれば別のカテゴリーも見れるので、よくある質問に興味がなくても覚えておくといい。
まあ、実はこんなことしなくても簡単かつ便利な方法もあるのだが、それは君には教えられない。
あれだ、情報商材ってやつだ。
といった具合に本サイトの後ろに年月日を書けば、読みたい記事をザックリと絞れるぞ。
上記の場合は2040年の7月15日に投稿された記事が出てくるな。
君も察していると思うが、わざわざ説明しなくてもいいことを説明するのが私の最近のトレンドなのだ。
というわけで説明させてもらうと、もう少し絞りたければ
と貼ればいい。
すると、その日の3時に投稿したものが……出てこないじゃないか。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
チンパンジーを基準にした場合、チンパンエフは大体レモン4個分。
チンパンビーが一般的なハテナ民とされ、100gあたりカルシウムが50mg含まれている。
チンパンエムは、ここ匿名ダイアリーの利用者がおおよその標準とされ、コレステロールゼロ。
そして、私はチンパンエー。
いい質問だ。
昔、胡椒というものを唐辛子と言っていた名残で、柚子胡椒と呼ばれているだけだ。
それに則るなら「胡椒スプレー」とするべきだが、原材料的な話をするならば「唐辛子スプレー」とするべきだろう。
キミが悩むのも無理はない。
そのスプレーが“何のためにあるか”だ。
つまり、柚子胡椒スプレーは柑橘系の刺激をウリにしているため、「柑橘スプレー」として扱うべきだな。
ちなみに経験上、唐辛子スプレーを調味料として使うのはオススメしない。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
これを傘の骨組みに使われている金属が防いでくれるのだ。
電波は脳に強く影響を及ぼすため、差すことに意味があるわけだな。
もちろん、一番いいのは頭にアルミホイルを巻いておくことだが、なんせ蒸れる。
なにより見栄えが悪い。
その点、台風での傘は不恰好じゃないし、不自然じゃないだろう?
今回、学ぶべき教訓は「自然現象には自然に振舞うのが一番」ということだ。
くれぐれも頭に金属を埋め込んだりしないように。
いくつか方法はある。
まずは諦めずに残りの日数通い続けるのだ。
朝のラジオ体操なんてやっているような奴らだ。
多少の情と、菓子の詰め合わせの余りは持ち合わせているはず。
もし余りがないのなら、菓子を手に入れた他の参加者に“分けて”もらえ。
朝のラジオ体操なんて真面目にやるような奴らだ。
菓子だけのために参加するわけもないから、多少貰っても文句は言わないさ。
くれぐれも、変なズルはしない方がいいぞ。
私は拾った体操カードを持って、「娘が風邪なので代理で来た」と言って菓子を貰おうとした。
だが、運の悪いことに、その係の奴が本当の親だったのだ。
だから、どうしても菓子が欲しければ最寄のスーパーなどで購入したまえ。
夏休みを控えている老若男女は是非とも参考にしてくれたまえ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
これは落ちた場所次第だな。
衛星だけが燃えている場合、それを所有している国や組織の管轄扱いだ。
周りに燃え移った場合、地元で起きた火事とみなされて消すことができる。
なぜなら衛星にはその国の“秘密情報”がたくさん詰まっているため、意図の是非に関わらず国際問題となるからだ。
答えはノーだ。
例えば害があるとして始末される一部の獣や虫。
これを加工すれば食品や肥料にもなるし、何らかの素材にもなる。
死んだ後に臓器を生きている人に提供するとしよう。
その人が将来子供を生めば、その子供が将来誰かの臓器を補ってくれるだろう。
生と死のように、二つの相対するものを繋いで循環させることがリサイクルの本質だ。
もし作れた場合、“その料理を食べることができなかった”ため「何でも出来る存在」ではない。
もし食べることが出来た場合、“自分でも食べられないほど熱い料理を作ったことにならない”ため、「何でも出来る存在」ではない。
このままだとイエスともノーとも答えられないので、まずは前提を変える。
例えば「何でも出来る存在」を、「何でも出来る人間」に変えるとしよう。
すると“何でも出来る”というのは、あくまで“人間という生物の枠組み内”という但し書きがつく。
そうすれば自身が食べられないほど熱い料理を作ることが可能というわけだ。
今回学ぶべきは「熱いものを食べる時は気をつけよう」といったところだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
根気強くやれば、いずれ挽回できる。
大丈夫さ、いつか皆が今の君を見てくれるさ。
ドナルドダックだってマジ卍な作品に出てたこともあるが、今じゃその面影はないだろう?
毛布を身に纏い、ビニールの玩具剣を持って、それっぽい口上を述べたりしていた。
旧友もやっていたが、彼の持っていた玩具剣はカメムシ色でダサかったのを覚えている。
私は気を遣って自分の玩具剣を貸してやろうともしたが、彼は頑なに受け取らなかったな。
「糖分を失ったんじゃないか?」と皮肉を言ってやると逆鱗に触れたらしくて、彼は「サンダー」と称して自作の静電気発生装置を私に使ってきやがった。
軽くビリっとする程度だったが、明確な敵意を感じ取った私はヤクザキックをお見舞いせざるを得なかった。
あの出来事をきっかけに、私の学校では勇者ごっこがタブーになったな。
それが5本目だからだ。
梅昆布茶を飲みたまえ。
恥ずかしながらイエスだ。
雇ってもらえたのはいいが、フリーランスなのも相まって足元を見られてね。
敵がどこにいるかも分からない、銃撃音だけがするような酷い環境で働かされたよ。
まあ、もしもゲームのようにいったらチーターに蹂躙されるのがオチだから、そういう意味では不幸中の幸いだな。
もちろん常に考えている。
それは「誰かが必要しているが、未だにないもの」か、「既にあるもので画期的な使い方を提供する」かだ。
そこで考えたのがは「接着帽子」。
これを着けて電車や乗り物の座席に座れば、居眠りして首をコックリしなくても済む。
もうひとつ考えてある。
箸に取り付けるクーラーだ。
熱いものを食べる時にフーフーしなくていい。
……全部、既に存在していた。
私が言うのもなんだが、考えたやつは頭がおかしいんじゃなかろうか。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
たくさんあるとは思うが、私が知っているのは『タイドライン・ブルー』というアニメだけだな。
アニメの内容自体はほとんど覚えていないのだが、そこだけはなぜか妙に印象に残っているな。
いい質問だ。
イラストレーターや漫画家がTwitterやPixivで二次創作絵を描いているようなものだ。
売名のためではなく、息抜きのために普段とは違うアプローチをしたいのさ。
チョコによるとしかいえないが、大まかな基準としては板チョコ一枚分だな。
なぜチョコによるかというと、主な理由はカカオや砂糖の含有量だ。
そもそも猫は甘味を感じないので食べさせるだけ無意味なのだが。
美味さの話じゃないぞ。
せいぜい一欠片がギリってところだな。
というか、「そもそも食べさせるな」という話なのに、「どこまでなら大丈夫なのか」っていう君の質問はおかしいぞ。
今回、学ぶべき教訓は「人間のために作られた食べ物を安易に動物に与えるな」、だ。
持て余しているのなら、犬にでも処理させればいい。
その石川という人物に工面できるアテがないのなら、別のところから金を借りてきてもらうのがよいだろう。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
例えば刺身に菊を乗せる仕事があるとして、それを機械にやらせれば効率が上がるだろう。
だが、本当に効率重視ならば、そもそも菊なんて乗せなければいいのである。
となると、菊を乗せる仕事の人と、その菊を作っている人の仕事がなくなるわけだ。
奪う、奪われるという関係性ではないわけだ。
機械がやるような仕事を人間がやる必要はないし、その逆も然りである。
もし機械に仕事が奪われる人が実際にいるならば、それはそういう仕事しかやっていない人間側の落ち度ということになる。
端的に言ってしまえば「適材適所」というやつだが、その原則を無視したときこそ本当の意味で“機械が仕事を奪う”時ともいえるな。
断っておくが、私が傭兵をやめたのは、機械に仕事を奪われたからではないぞ。
我々だって人間に同族意識は感じるが、哺乳類くらいの共通点しかないならほぼ別種族だろう。
グーフィはたくさんいる。
君の知っているグーフィは、いわば大衆向けのイメージキャラクター。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
答えはイエスだ。
ベジタリアンというのは「野菜を食べる人」のことを指すと思いがちだが、これは厳密には異なる。
「肉を食べない(動物を殺さない)主義」の人といった方が適当である。
極端な話、肉も野菜も食べない主義の人がいたとすれば、それも広義的にはベジタリアンの枠組みというわけだ。
せいぜい草食動物とかを殺さないようにしつつ血を吸うようになる程度の変化だ。
答えはNOだ。
私が昔やっていたRPGの話をしよう。
中々ダメージを与えられないボスがいて、私は友人たちに有効な攻撃方法がないか求めた。
すると友人Aは特定の属性、魔法で攻撃するとよいとアドバイスしてくれた。
しかし続く友人Bは、魔法で味方を強化すればいいと言い出した。
すると友人Cは、なら魔法で敵を弱体化させればいいと言ってきた。
この友人Bと友人Cの答えは、私の想定していた範疇ではない。
私は“有効な攻撃方法”を求めたわけで、味方を強化するだの敵を弱体化するだのといった提案は迂遠なのだ。
だが、「ダメージの通りにくい相手にダメージを与えたい」という目的は最終的に満たせている。
その点で二人のアドバイスは間違っていないんだ。
それでも驚いたのは、友人Dのアドバイスだ。
「回復を小まめにやってれば勝てるよ」と言ったんだ。
ここまでくると的外れもいいところだと思うが、それでも完全に間違っているわけではない。
なぜなら、ダメージの通りにくいボスに有効な攻撃方法がないかと求めたのは、とどのつまりはスムーズに「勝ちたい」からだ。
その点で、時間はかかるものの安定して勝てる友人Dのアドバイスも、趣旨を理解していないだけで最終的な目標は満たせている。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
例えば、私は卵にコレステロールがあるという“情報”をまず提示する。
だが知っての通り、卵のコレステロールが血中のコレステロールと関係あるかは別の話だ。
ここで、そのことを隠して「だから卵を食べ過ぎてはいけない」なんて答えるのは、ただの欺瞞である。
例えに例えを重ね、君が混乱してきたところにソースを混ぜ合わせるんだ。
そうしてマカロニサラダが出来るというわけだ。
つまり、卵コレステロール論は協議会の抗争によって巻き起こった陰謀だ。
まあ、から揚げの衣だけ食べるのは好きだが。
ということは猫は人間ではない。
義務教育の段階で覚える、「基本無料」の「基本」の意味くらい基本的なことだぞ。
「右向け右の2回分くらい」と覚えておけ。
去年は別国の民話を参照にして、干し柿とトラの融合モンスターをやった。
いいチョイスだろう?
だが予定外のことが起きてな。
このバグベアは妖精の一種なんだが、実はゴブリンでもあるんだ。
最近、ゴブリンのスナッフフィルムが巷で出回っているという情報を手に入れてね。
つまり、そのスナッフフィルムの内容は、ゴブリンのコスプレをした人間の惨殺記録ということになる。
不謹慎は大好物だが、必要以上に敵を作るリスクと見合わないからな。
下手をすれば、私がそのスナッフフィルムの新作に出演するかもしれないし。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
私は自分の書いたものが怪文書だと思ったことは一度もないが、君がそう思うことは尊重しよう。
興味本位でマネをするためにかける労力と、それで得られる快感は割に合わないからだ。
ここ匿名ダイアリーには様々な常連の書き手がいるが、彼らの真似をすることは難しくはないだろう。
当然、私のFAQだって例外ではなく、やろうと思えば誰でも出来る。
そして、それを継続して、相応の精度で出来る根性があるかとなったとき「何でそんなことしないといけないんだ」という答えに誰もがたどり着くだろう。
今回、学ぶべき教訓は「誰でも出来ることは、誰もがやりたいことではない」といったところだ。
出来たところで何の還元もないなら尚更な。
魚が食べられない者でも、何回かは食べるときだってあるし、食べたいかもと思うこともあるだろう。
だが、そのために綺麗な魚の食べ方を学んだところで大した意味がない。
魚を食べずに生きていけるよう努められるなら、そっちのほうが遥かに良いだろう。
短期的な興味本位は身を滅ぼすことになるというのに、それでも知りたいのか。
まあ、勿体つけるようなノウハウは何一つないので答えよう。
私が意識しているポイントは「個々の点に関しては一定の理があるが、繋がりは抽象的であること」かな。
例えば私がクリエーターだとしよう。
そして薄給だ。
そのことに不満を抱いている私は、ある日「私たちクリエーターに金が降りてこない」という告発記事を書くことにする。
その証拠として、スタッフ、スタジオやスポンサー企業などの問題点を散りばめていくんだ。
なぜなら、それを書いた私は“金の流れは分からないが、流れが止まっているのだけは分かっている状態”だからだ。
にも関わらず、自分が問題だと思っているものを挙げまくって、無理やり繋げ合わせる。
当然、傍から見れば「なんか問題提訴したいのは分かるけど、とっ散らかってて漠然としすぎている」という印象を抱かれるわけだ。
だが、そういう抽象的かつ不当な内容の文章でも一定の効力はある。