はてなキーワード: 子守唄とは
会話2はYES+補足やで
YOU
ChatGPT
はい。赤ちゃんは通常、生後数か月から笑顔を見せることがあります。一般的に、視線を合わせ、声をかけ、顔を近づけて愛情を示すと、赤ちゃんが微笑んだり笑ったりすることがよくあります。この反応は、赤ちゃんが周囲の人とのコミュニケーションを楽しむ一環です。
ただし、全ての赤ちゃんが同じように即座に反応するわけではなく、個々の赤ちゃんによって異なります。また、笑顔や笑いは成長とともに変化していく可能性があります。
YOU
Gemini 回答案 2
はい、赤ちゃんは笑いかけると笑うことがあります。特に、生後2ヶ月頃になると、人の顔や声を認識し始めるようになり、笑いかけられると笑って返すようになる赤ちゃんが増えます。これは「社会的微笑」と呼ばれ、赤ちゃんが周囲とのコミュニケーションを楽しもうとしている表れです。
ただし、すべての赤ちゃんがすぐに笑うわけではありません。中には、人見知りをする赤ちゃんや、笑うタイミングが遅い赤ちゃんもいます。また、体調や気分によっても、笑う頻度が変わることがあります。
赤ちゃんが笑うかどうかは、その赤ちゃんの性格や成長によっても異なります。そのため、あまり焦らずに、赤ちゃんのペースに合わせてコミュニケーションをとることが大切です。
赤ちゃんが笑ってくれたら、たくさん褒めてあげましょう。そうすることで、赤ちゃんは笑うことが楽しいことだと学習し、さらに笑顔が増えていくようになります。
自分
Copilot
こんにちは、Copilotです。赤ちゃんの笑顔についてお聞きになりたいのですね。😊
赤ちゃんは生まれてすぐに笑顔を見せることがありますが、これは「新生児微笑」と呼ばれる反射的なもので、自分の意志で笑っているわけではありません。¹²
赤ちゃんが自分の意志で笑う「社会的微笑」は、生後2ヶ月頃から見られるようになります。¹²³ 赤ちゃんは周りの人の顔や声に反応して笑顔を見せてくれるようになりますが、最初はママやパパだから笑うというわけではありません。²⁴
赤ちゃんがママやパパを認識して笑顔を見せてくれるようになるのは、生後7~8ヶ月頃になります。¹⁵ このような笑顔は「社会的微笑」と呼ぶ人もいます。² 赤ちゃんは自分が大切な存在であることに気づき、ママやパパへの信頼感が生まれ、笑顔を見せてくれるようになるのです。¹
赤ちゃんの笑顔を引き出すためには、笑顔で話しかけたり、アイコンタクトをとったり、一緒に遊んだり、スキンシップをとったりすることが大切です。²⁴⁵⁶ 赤ちゃんの笑顔は、成長の目安やコミュニケーションの手段です。²⁴⁶
赤ちゃんの笑顔の頻度には個人差がありますので、あまり心配しすぎないようにしましょう。²⁴⁵ それでも赤ちゃんに何か発達の問題があるのではないかと心配なときは、お医者さんに相談してみましょう。²⁴⁵
https://anond.hatelabo.jp/20230112145739
妊娠〜出産〜産後と、色々とトラブルもあったけれど、全て結果オーライ。ベイビーは健康で丸々としていてよく笑う、超可愛い、大好き!
夫はベイビーに夢中で、家にいるときは、ずっとカワイイカワイイ言いながら抱っこして、チュッチュしている
ベイビーも夫が大好きみたいで、抱っこされてるときはとても機嫌がいい
大好きな夫が幸せそうで、
大好きな二人が、仲が良さそうで本当に嬉しい
気苦労は増えたけれど、夫と二人でベイビーの何か言いたげな顔や仕草を一生懸命に夫婦で読み取りながら、家族三人で協力しあって生活ができている
夫とは色々話し合う。
「この子、左利きかもよ、オモチャを左手ばかりで触ってる」「野球をやらせれば左打ち左投げ選手になって重宝されるね」
「愚図ったときに『ガンダーラ』を子守唄に歌ったら泣き止んだよ」「この前、『いい湯だな』をYouTubeで流したら、すごくテンションが上がってた」
「あと15年もしたら、ババアうぜーとか言うかもよ」と言われたときは、ムカついたので私も「親父、臭いんだよとか言われないようにね!」と言い返した
そのうちテキトーに反抗期を迎えるのがいいよ、親の顔色ばかり伺うよりよっぽど良いよ、20年くらいかけて、ゆっくり大人になればいいんだから、と日々ベイビー本人に言い聞かせてるけれど、伝わっているかはわからない。
どうかこの柔らかな生き物が、周りからたくさん優しさを分けてもらえますように。
………
以前書いた日記が、たくさんの方からのコメントやブックマークをいただけたこと、嬉しかったです。
辛いときに何度も読み返しては元気をいただいていました。
温かいコメントをくださった方々本当にありがとうございました。
オスプレイってなに? という歌があるらしい
オスプレイって 何のこと
男の遊びじゃ ありません
何度も 墜落 繰り返す
■こわいこわい 悪魔です
オスプレイって 何のこと
コスプレの仲間じゃ
ありません
日本中を 飛び廻り
危険な 飛行を 繰り返す
■こわいこわい 悪魔です
●みんなで 反対続けよう
見た瞬間「しょうもない歌だなぁ…と思ったのたが
私はふと考えた、もし上司とカラオケ行った時に上司が歌い出したどうしようかと。カラオケに登録されてないじゃんとかそんな問題じゃない、アカペラでも歌えるしスマホで音源流すことだって出来るしとにかく歌わない絶対はないのだ。
もし歌えなかったら、翌日から上司の嫌がらせが始まることは必須だろう。そうなったら私は会社を辞めなければいけない。労基に相談するのかその場合は?「あ、会社のカラオケで上司がオスプレイの歌をですね…それで翌日から嫌がらせが」
嫌だ、ぜったいにそんな説明したくない!
うふむら うどうんなじょうながい
みみちり ぼうじぬたっちょんどう
いくたい いくたい たっちょみせが
■みっちゃいゆったい
■たっちょみせん
我が家は子供が生まれた直後からスマホとタブレットのお世話になりまくりで有難うございます。
YouTubeは広告解除の課金して好きなだけ触らせて時間制限もしてない。
電子デバイスは発育にイカンという人がいるが、エビデンスねぇし、気にしてないなう。
画面上部に垂れ下がって表示される、
タップしちゃうとアプリが開いてしまうので3,4秒待って自動で閉じるのを待っていた。
鬱陶しいと思いながらも雨予想の通知は便利なので我慢していた。
先日、出先でタブレットが無く俺のスマホでYoutubeを見せていたときのこと。
件の通知が出たのだが、子供はごく自然にスワイプして消しやがった。
あ!そうやって消せるのね(´・ω・`)
多分こんなタイトルぶっ叩かれると思うけど、どうしたって言いたいから聞いてくれ。
昨日、映画を見に行った。
25周年記念で再上映されている「七夜の願い星ジラーチ」を、正月ぶりに帰って来た兄と、母と、私と3人で。
そして私と母2人で映画はよく行くが、兄もいるのは何十年ぶりとか、そういうレベルだった。
楽しみだった。私も母も兄も楽しみにしていた。何十年ぶりに見る懐かしい映画を、家族で見られるのは嬉しかった。
私は身内に障がい者はいないし、調べたこともないので詳しくはない。だから病名が何とか、どういう原因だとか、そんなのは知らない。だから事実だけを述べる。
始まるまで静かだった成人女性は、映画が始まった瞬間に、映画館に響き渡る大声で喋り出した。
隣にいる親らしき人が注意する気配はなく、女性は大声でしゃべり続ける。
女性は一緒に歌う。静かな感動シーンはあっさり台無しになった。
キャラクター同士が喋るシーン。
女性はまた反芻する。そして勝手に相槌を打つ。笑えるシーンも笑えない。
結局最後まで女性が黙る気配はなく、私のささやかに幸福なはずだった1日はあっさりぶち壊された。
感動のシーンも、笑えるシーンも、応援上映でもないのに大声で喋る女性。注意しない親。
勿論別に、その女性にだって親御さんにだって、誰かと同じ様に映画を楽しむ権利はある。当たり前だ。娯楽は誰にだって平等で、その権利は誰かに奪われるものでも何でもない。
私にだって、家族にだって、劇場いっぱいにいた他の人たちにだってある。
じゃあ何で、あの2時間はあの2人のせいで壊されたんだ。
あの日たった2時間楽しく幸せに過ごすだけの権利を、奪われたんだ。
「上映中は静かに」なんて、映画の前のCMで何十回も見たルールだ。
そんなもんも守れないのに、来るなよ。
別に見るのは良い。さっきも言った。
でも映画館っていう提供側からも厳重に言われてるようなルールを守れない奴は、障がい者とかそうじゃないとか以前の問題じゃないの?
障がい者だったら映画館で喚き散らしても許されるのか。障がい者だったら他人のささやかな幸せを奪っても許されるのか。
結構なことだ。じゃあ障がい者だったら人を殺しても許されるんだな。
親心だったのかもしれない。子の楽しみを奪いたくなかったのかもしれない。
でもそれで犠牲になった劇場いっぱいの誰かの2時間の事も考えて欲しかった。
そこに居る人が、人達が、楽しみにして、計画を立てて、見に来ていることを、少しは想ってみて欲しかった。
やり様はもっとあっただろ。
土日に人が多いのなんて目に見えてるんだから、平日に身に来ればよかった。
映画館でなくともスクリーンを借りられるところはあるんだし、DVDでも借りてそれで見れば良かった。
子の事を優先して映画を見に来るその努力を、もっと別の方向に向けて見て欲しかった。
私は障がい者が嫌いだ。
都合が良い時は「普通の人間だ」「普通の人間として扱ってくれ」って言う癖に、自分の都合が悪くなったら「障がい者だから」って言い訳する。
普通の人間として扱って欲しいなら、普通の人間相応の注意をされて怒るなよ。
変えようとしろよ。変わろうとしろよ。他人に許容を強制する前に、自分が許容してもらえるように努力をしろよ。
みんなそうやって頑張って生きてるんだよ。上手く行かないことも苦手な事もやりたくないことも、「普通」であるために頑張ってるんだよ。
独善で子を優先する親も嫌いだ。
あの場の誰もに、「障がい者だからしょうがないだろ」って暗黙の許容を強制して、私達の楽しみが奪われる事は気にしもしなかった。
そうならないようにする努力もしなかった。
「親心だから」って正当化して、誰かへの愛情が根源だったら何したって許されるのか?じゃあ家族の為だったら犯罪を起こしたって許されるのか?
他人には自分の正しさを押し付けておいて、楽しむ権利は特に尊重しようとしないんだな。
「しょうがないよ」って問題行動を許して、それって最後、本当に本人の為になる?
障がい者は障がい者って生き物じゃない。いつか親だって死んで、放り出される1人の人間だ。常識もやっちゃいけないことも怒られないまま甘やかされて、絶対いつか困るのは本人だろ。
押しつけの善意で考えてあげてるふりばっかすんなよ。
どうせ善人ぶってみたいだけじゃんか。
私の幸せを返せよ。
久しぶりに会う家族と一緒に映画を見て、楽しんで、良かったねって笑って帰るはずだったあの時を返せよ。
どうせこんなこと言ったって、返ってきやしないけど。
ぶっ叩かれるだろうなと思う。最初にも言った。
だから一応弁解しておくけど、障がい者みんな悪だ、公共の場に出んなとかは1ミリも思ってない。差別もしない。普通に生きてくれればいいと思う。
そうして私達と平等に同じな1人の人間だと思うからこそ、じゃあ人に迷惑かけるなよって言ってるんだ。ルールは守ってくれ。
それが出来ないなら、じゃあ来ないで欲しい。
ルールはルールなんだから、障がい者とかそうじゃないとか関係なく守れないなら全員、どんな場所だってお呼びではない。
最後に、このブログにご意見を送るやつも、ぶっ叩くやつもいると思う。
返信とかする気は無いので、全部この後の文で片づけます。
皆それぞれ正しさを持っていて、他人の正しさを否定する権利なんて誰にもない。
別に意見押し付けてないんで、勝手に押し付けるのやめて下さい。
この文章は私の憎悪と後悔と憎しみの供養の為のものであって、誰かに殴られる覚悟はあっても誰かを殴る気はありません。
そんで私は障がい者の存在でも障がい者がそういう行為をしてしまうという事でもなく、ルールを守らなかったという事に怒っています。
論点はそこなので間違えないで下さい。
これは何年か前の私の実体験だ。
身バレを防ぎたいのでボカさせてもらうが、図書室の利用カードだったりPCのIDだったり、購買のポイントカードだったりを思い浮かべて欲しい。
カードを落とした私は警察に連絡を取り、「これこういう物をなくしました」と伝えた。
身バレを防ぎたいのでコレもぼかすが、スポーツチームのロゴだったりアイドルの顔写真だったりを想像して欲しい。
私が事前に伝えていた通りのシールも貼ってあったし、落とした時期も私が事前に伝えたとおりなので、まず間違いないとのことだ。
だが、電話の主はそのあと「では、カードの番号を教えて下さい」と伝えてきた。
え?待ってくれよ。
「某大学の、変なステッカーが貼られたカードで、最近ソレを落としましたと言われ、まさにドンピシャのものが見つかった」
ここまで状況証拠が揃っていてまだ本人確認が済んでないと言うのだ。
警察はおざなりな態度で「分からないなら学校に確認してくださいよ」と言ってきた。
仕方ないので学校に落とし物をしたことを話すと「いや、学生番号とかで管理してないから。分からんわ。再発行の書類書いて1000円くれたら再発行するから書いて」と帰ってきた。
警察に最終確認をして5分で終われば時給12000円じゃんと私は最後の確認を警察に取ることにして少し待ってもらった。
結果は言うまでもない。
警察は「番号が言えないなら本人とは断定できない。無理だ」の一点張りである。
5分ほど押し引きがあったが警察は「番号が言えないと渡せない。そう決まっている」と譲らない。
私は諦めて1000円払うことにした。
彼らはそれを決して返そうとしないから。
あとあと考えてみればそれは公務員的な処世術として完璧に近い。
落とし物を探すことを受け付けなければ怠慢となるが、もし曖昧な情報で渡していると難癖をつけられれば問題になるという矛盾を見事に解決している。
預かるだけ預かっておいて、難癖をつけて本人には決して返さず、そうして期限切れを理由に捨ててしまえばいい。
賢い。
どんなに聞き慣れても子守唄の代わりにはならないあの騒音、そして時折聞こえる極めて民度の低い叫び声。
神奈川において県民を守るためには警察は強くあらねばならない。
強く、強くあろうとした結果として、人の心を捨てる必要があったのだ。
なお、この話はフィクションです。
私に3万円くれたら子守唄と寝かしつけしてあげるよ?
静かな夜だった。
幼い娘が電気を消して欲しいと言うから、わたしは寝室の常夜灯を消して、ベッドに横たわる彼女の隣に寄り添った。
「ママ、苦しくない?」
娘はそう言うと、チューブを自分の鼻から外して差し出した。わたしはそれを受け取らず、代わりに小さな手を握り返した。
「お母さんは大丈夫、もう少し吸っていなさい」
そう言うや否や、自分の肺の底から咳が込み上げてきた。身体を反転させ、娘に背を向けて咳き込んだ。
同じ病気にかかっているから、こうすることにたいした意味はないのに。
わたしは枕元のチェストに置いたティッシュペーパーをとって痰を吐き出した。
薄闇の中で、それはどす黒い血のようにも見えたが、さすがに気のせいだろう。
娘は健気にわたしの背中をさすり続けた。その柔らかな皮膚と荒いスウェットの生地が擦れる音は、世界で一番優しい音だと思った。
幼な子の咳は軽やかで愛らしいけれど、自分が重たい咳を吐き出すときよりもよほど強くわたしの胸をしめつけた。
......あのとき帰省しなければこんなことにはなっていなかったかもしれない。ワクチンだってまだ打ってなかった。
そのことを娘に詫びると、彼女はこう言ったのだ。
「そうだね、流れ星も見れたね」
あの夜、星が天球の上を一筋に流れたとき、とっさに願ったのはこの子の幸せだった。
「ねえ、ママ、お水が飲みたい」
「待ってて」と言って、わたしは橙色のルームランプをつけ、スリッパを履き、ベッドから立ち上がった。
足元には、フローリングを埋め尽くすほどたくさんの観葉植物が並べられていた。
わたしたちの感染がクリニックの外来で証明されて、だけれども入院できる施設がどこにもないと知ったとき、帰りに立ち寄ったドラッグストアで買ったものだ。
髪の薄い男性店員が、眉を八の字にして申し訳なさそうに宣告した。
だったらどうしたらいいのよ! といつものわたしだったら食い下がっていた場面だろう。
もうそんな元気がなかったのもあるし、何より社会全体が何かを諦めてしまったかのようなムードに包まれていたから、わたしは何も言えなかった。
調剤室の前のベンチにはたくさんの人が座っていた。
みんな、まるで負けることを知った試合を消化するチームメイトのように、うつむいて、冴えない顔つきをしていた。
結局、わたしたちは酸素ボンベの代わりに、たくさんの鉢植えを買ってきた。
植物が光合成をしてくれたら、部屋の酸素濃度が上がるかもしれないという、浅はかな考えだった。
ドラッグストアからの帰路、緑を満載した赤いコンパクトカーの後部座席で娘は咳き込みながら笑った。
「また行きたい、フラワーパーク」
「うん、行こうね、必ず連れていくよ」
返事はなかった。
白いマスクと、冷えピタシートに挟まれた可愛い目を細めて、彼女はそのまま寝てしまったのだ。すーすーと穏やかな寝息を立てながら。
わたしは安堵して、赤信号が青に変わったのにしばらく気がつかなかった。発進を急かすクラクションがやけに遠くから聞こえた。
あれからまだ三日しか経っていない。いや、二日だったか? すでに、寝室とダイニングキッチンを往復するだけでも身体が重く、息苦しい。
洗っていないコップに水を注いで、一口飲む。
水はもとより味がないから助かる。
昼間に食べた卵がゆは、まるで湿地帯から採取した粘土のようだった。まだ喉の奥にひっかかっている気がする。
味が濃いはずのものを口にして、その風味を感じられないことがあんなに不愉快なこととは知らなかった。
昼間に洗って水切りかごに伏せておいた子ども用のプラスチックのコップに水を注いで、寝室に戻った。
ルームランプに照らされた黄色いコップには、アニメのキャラクターがプリントされていて、屈託のない笑顔を永久に固定していた。
娘はマットレスに手をついて起き上がると、壁にもたれかかって、コップの水をゆっくり飲んだ。
枕元に転がっている酸素ボンベをちらりと見る。これが最後のボンベだった。
フリマアプリで、とんでもない高額で取引されていたものだ(たぶん違法だ)。だから何本も買えなかった。
配送を待っていられなかったから、車で片道二時間かけて取りに行った。古い戸建てに住む、中年の男性だった。
まいどあり、と言ったあの笑顔が、がたがたした歯が、家の臭いが、忘れられない。
......彼は一体どうやってあんなにたくさんのボンベを手に入れたのだろう……どうだっていい!
帰りの高速では意識が朦朧として、事故を起こしそうになったっけ。
黒光りする筒の頭の部分におもちゃみたいなメーターが付けられていた。針は、かなり傾いていた。
パルスオキシメーターで測定したわたしたちの酸素飽和度は、故郷の山の、空気の薄い山頂にいるくらい低い。
どうりで頭がぼおっとするわけだ。
N-95マスクをつけた医師に、少なくとも一分間に五リットル以上の酸素は必要と言われたが、もったいないからもっと絞って使っている。
酸素に味はないけれど、吸えば少し楽になるのがわかる。
「美味しかった」
娘がコップを差し出した。まだ水は半分も残っていた。
もういいの? うん、もういい。
チェストにコップを置くと、ランプを消して二人で横になった。それから娘の体を抱きしめて、小さくて丸い頭を撫でた。
髪の毛は柔らかく、少し湿っていて、甘い匂いがするような気がした。
「ママ、それ、ほっとする」
腕の中で彼女はそう言った。子守唄を歌ってあげたかったが、もう声を出すのもしんどくなっていた。
確かに、わたしの身体は震えていた。でもそれは寒さから来るものではなかった。
「大丈夫、咳を、こらえて、いる、だけ」
声がなるべく震えないように、切れ切れに言って(あるいは本当に息が続かなかったのかもしれない)、わたしは頬を伝う一筋の涙が彼女に落ちないように頭を上の方に向けた。
それにつられて、娘も顔を上げた。
ベッドサイドのチェストの上に窓があった。正方形の小さな窓だ。
ただ今が真っ暗な夜ということだけがわかる。
娘が、ママ、とささやいた。
どうしたの? と尋ねると、彼女は目をつむってこう答えた。
「星が、きれいだね」
わたしは頷いて、
「ねえ、あのとき、流れ星を見て、何をお願いした?」と聞いてみた。
返事はなかった。
(2021/08/11) 追加しようとするとテーブルの表示が崩れるようになってしまったので新エントリに移行