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はてなキーワード: 菩提寺とは

2023-10-31

コスプレイベント名誉毀損女性レイヤー罰金10万円の略式命令 

https://news.nicovideo.jp/watch/nw13680404

菩提寺さんが損害賠償をもとめた民事裁判では、投稿した女性2人と、参加者通報してSNS晒す考えを示した男性1人に、計約260万円の支払いが命じられた

男さん「すまん……謝罪する。賠償金も払う」

女さん×2「賠償金払わなきゃいけないんですか?女性なんですけど?」

2023-06-28

×仏教画 ○仏画

菩提寺住職(同世代)にこの間のエントリーを見せた結果、みなさん面白がってくれてうれしいので張り切って書く、と言っていた。

そうして送られてきた日記が、要約すると「猫に網戸を破られたので、網戸を張り替えようと思ってホームセンターに行ったところ、蚊帳が売っていた。そういえば蚊帳を吊れば良いと気がついて、猫のご飯だけを買って、押し入れから蚊帳を出して吊った」で、蚊帳の上でハンモック状態の猫が寝ている写真だったので、彼は天才だと改めて思う。

しかし、異議申し立て(?)されたのは「仏教画」の件である仏画とは言うが、仏教画というのは正式呼び方ではないのだそうだ。

曰く、仏画というのは「道具」なのだそう。単なる美術品ではなく、布教のためだったり、信者に考え方を示したりするときに使ったり、法事の時に使ったりするための「道具」なんだって。で、住職が書いている仏画は、そういったもので、色々なお寺なりから依頼を受けて書いているのだそう。

から、お寺にある仏画の多くは作者不詳で、古くなって、すすけたり破れたりして、使われてきた仏画にこそ価値があると。自分が描いたものもそうやってしっかり使われてほしいと思うんだそうな。額装して飾るもんじゃないんだって

なるほど?

から、おしえているのは基本、仏画じゃなくて日本が寄りの美術だと。

そうなのか。熱く語っていたのでここに記す。

2023-05-19

anond:20230519090056

菩提寺やら位牌やら全部親がやっててワイは何も知らないやで 自分の番が回ってくるのがこわい

2023-04-18

anond:20230418193841

俺はむしろ、「歴史的建物が多い」の方が気になった

自分語りで難だが昔住んでいた杉並区桃井あたりは、鎌倉時代創建された井草八幡宮とか、今川氏菩提寺の観泉寺とか、昭和アニメ史を学べるアニメーションミュージアムとかが徒歩圏にあるのだが(映画館について言えば、西荻窪が一応徒歩圏内で頑張れば吉祥寺にも行ける)、元増田的にはどの程度の水準なら要求を満たすのだろうか

2023-03-28

何で安倍ちゃんが撃たれたところを聖地にしようとしてるんだよw

もう弔われてるんだから菩提寺行け菩提寺

2023-03-15

anond:20230315112636

菩提寺の若和尚(お寺の娘に惚れて坊様になった)、酔っ払ったときに「最初仏教っぽい名前だなーっておもったんですよ。やばいなこれって。でも気がついたら修行僧になってた」って行ってたのを思いだした。

2023-01-13

下流一族歴史なし

なんかさ国会図書館デジタルコレクション先祖名前調べるとヒットするよ!!とかTwitter話題から調べてみたけど。


私のじーさんひーじーさん全くヒットしなかった。だって代々名もなき市民だもん。

そもそも母方のひーじーさんの名前知らんわ。

え、みんな知ってるの?

過去帳?ないよそんなもん。菩提寺ないもん。

ひーじーさん以降は、その辺の町営墓地に埋葬されてるし、葬儀の時は適当派遣のお坊さんが来てくれる。それより前のご先祖は知らない…


格差だなぁと思いましたよ。下流一族には歴史がない…私も「おじいちゃんが本を出してる!」とか言いたかった。


だって私が一族史上初の大卒だもん。

タイムトラベルして、ひーじーさんに、「あんたのボンクラ息子のそのまたボンクラ末息子の娘は東京師範学校(※明治まれにも分かりやすいよう変換済み)出て官吏になってますよ」って伝えたら腰抜かしそう。

いやそもそムカデしか出ないような山の中の暮らしから師範学校かいっても分からんか?


あいいわ、そんなご先祖だって、他家の輝かしいじーさんばーさんと尊さはかわらんよ。

みんな、わしが一族で初めて歴史に名を刻んだるから安心せい!

2022-12-26

もーいくつ寝ると~♪

和尚が二人で、これがほんとの和尚がツーだな」

これは、我が家菩提寺大和尚が述べた、ありがたーい言葉である

正月という言葉を聞くと、このときの大住職の真顔とともにこの台詞脳内流れる

不治の病だと思うので、一生付き合っていくつもりだ。

2022-12-04

おじいちゃんの話。それから

https://anond.hatelabo.jp/20221121085518

 あっというまに、2週間が経ってしまった。

 忌引で仕事を休んだりしたのでまあ周りも知っていることなんだけど、あんまり気を遣われたくなくて、でも誰かに聞いてほしいのでつらつらと書く。おじいちゃんは本当に最後までマイペースだったし、面白い人だった話を、どうか暇な人は読んでいってほしい。

 11/21のお昼前、母方の実家に着いた。

 突然つれあいをなくしたおばあちゃんは、久々に孫であるわたしの顔を見て笑ってくれだけど、足取りがおぼつかなくて、ただでさえちっちゃい(身長、145センチしかない)身体ますます小さくみえた。「おじいちゃん、座敷にいるから会ってあげて」と言われたので向かう。布団に、顔にかけられた白い布。それを見たらぐっと目が熱くなった。布を取ると、眠ってるみたいなおじいちゃんの顔。この家で夕ご飯を食べると、おじいちゃんお酒を飲んで、その後一緒にテレビを見てるといびきをかきながらうたた寝をしてしまう。そんな時の顔だった。声をかけたら起きてくれそうなのに冷たかった。

 その日の夜、おじいちゃんの家でお通夜をした。数人だけど親戚も来るということで、玄関を掃いておこうと、箒を探しに納屋に入ると、使いかけの肥料や、明らかに「まあどうせ明日も使うしここら辺に置いておくか」って感じで適当に置いたらしい鍬、何日に白菜を収穫するとか来年の作付をメモしていたホワイトボードがあって、ああ、おじいちゃんにとってもこれは急なことだったんだなとぼんやりと思った。

 枕経に来た菩提寺住職さんは、わたしとそう歳の変わらない、若いひとだった。お経をあげてもらい、納棺をする。旅支度をさせて、花をいれて、孫全員(私含め6人いる)の手紙をいれ、お気に入りだったシャツをいれ……その過程で、ずっとぼんやりしていた祖母が棺に取り縋って泣き出した。まだ祖父が死んだ実感が薄かったわたしも、さすがにその姿を直視できなくて目を逸らしたとき、視界の端で住職さんがしきりに鼻をすすったり、マスクを直すふりをして目元を拭ってるのが見えた。なんでも、婿養子として今の寺に来た時に、ちょうど祖父檀家の総代をしていて、祖父はそれこそ孫と歳の変わらない若い彼のことを気にかけて可愛がっていたらしい(親戚談)。きっと仏門に入った人にとって、通夜葬儀日常茶飯事だろうに、その人がそんな感情に呑まれるくらい、祖父は面倒見のいい人だったらしい。妹や従妹もその住職さんが泣いているのを見たらしく、後々孫の間で「もしかしたら他所にも孫みたいな人が他にもいるのかもね」なんて話した。

 その翌日は友引で、葬儀は次の日に延ばし、火葬だけを行った。この日もおじいちゃんはなかなかやらかしてくれた。おじいちゃんを乗せた霊柩車が家を出る時は、集落中の人(ガチ限界集落である)が見送りにぞろぞろと集まって、見送ってくれた。ちょっと壮観だった。

 本来こういう時は霊柩車の後ろに、参列者を乗せたマイクロバスがついてみんなで火葬場に行くものだと思う(というかわたし経験した葬式ってそういうのしかない)んだけど、コロナ禍だし、あとあんまりにも急すぎて来れる人も少なかった(田舎だし、みんなお年寄りなので、足が確保できないと来れないのだ)ので、うちや叔母の家の車3台に分乗して、火葬場に向かった。

 しかし、せいぜいどんなに安全運転しても20分くらいで着くはずの火葬場になかなかつかない。道中の信号うまいこと全部赤で引っかかるのだ。わたしの母は三姉妹の長女で、まだ心ここに在らずな状態祖母と連名で喪主をしていたため霊柩車に乗っていたが、わたしが「おじいちゃん、よっぽど行きたくないんだな……」と言うと父は「だろうな……」と深く頷いていた。

 30分以上かけて火葬場に着いた。そこからはさすがの祖父ももうどうにもできず(?)あっという間で、その後2時間もしないうちに、祖父は骨になった。若い頃(といってもわたしが見た記憶があるのでめっちゃ若いわけではない)に建築業についていて、屋根から落ちて骨折した時に手術していれたボルトがしっかり焼け残っててびっくりした。手先、足先の細かい骨は、年齢もあってさすがに……だったが、大腿骨や肩の骨はがっちりしていた。祖父はこの年齢では背の高い人だった(たぶん170センチ越えてた。祖母と並ぶと身長差がすごかった)のに、結局のところ、最後には母が抱えられるサイズの骨壷におさまった。「こんなに小さくなっちゃうんだね」と母がつぶやいた時は、なんで言っていいのかわからなかった。

 帰りはそんな祖父を抱えた母もうちの車に乗って、また3台の車で祖父の家に帰った。霊柩車で来る時に通った道を避けて帰る、ってのは全国共通風習なのかな……?だから、来る時よりは少し遠回りになる……はずだった。でも20分で帰れた。なんせ信号、全部青。骨壷を渡された時の母の顔はさすがに見ていられなかったけど、祖父の家の屋根が見えてきた時に母は、「帰りはあっという間だったね……」と困ったような笑みを浮かべていた。おじいちゃん、どんだけおうち好きだったんだよ……。

 そして11/23菩提寺葬儀をした。

 家族葬だったけど、焼香をしにたくさんの人が来てくれていた。みんな、新聞のお悔やみ欄で見てとるものもとりあえず大慌てで……って感じで来てくれていた。「入院してたのか?!聞いてないぞ!」と言う人もいた。病院には1泊しかしてない、本当に急だったということを何遍も説明する母は、最後のほうはさすがに疲弊していた。ちなみにこの日は大雨だった。無口な従弟がぼそりと「未練あり過ぎだろうが」と言っていた。それな、と返した。

 式自体は身内だけで行って、このご時世だから会食は無しで折り詰めを持って帰ってもらい、また骨と、遺影と、白木の位牌と一緒に祖父の家に帰った。

 とりあえず自分達も折り詰めを食べながら、母は葬儀屋と四十九日の日程をつめ、その後も墓石屋や位牌の手配、この後家に直接弔問に来てくれる人への対応の打ち合わせを叔母たち(と、まだどこか虚ろな顔をした祖母)がやっている時、まだ細々とやることは残ってはいるがひとまずは一通り終わったね、お疲れ様だったね、という空気が流れつつあった。

 でも、ここで終わらないのがおじいちゃんだった。突然この家の固定電話が鳴った。

 母が電話を取ると、相手は伯父(父の兄。他県で父方祖母と一緒に住んでいる)だった。葬儀に花を出してくれたり香典も出してくれたから、今日葬儀だったことはわかっていたはずだし、なんだか様子がおかしい。泣いてるのか笑ってるのかわからない声で喋っていた(母談)らしく、何かあったのか母が(たぶん疲れもあって)少し強い口調で問うた。その返事は、

「○○さん(祖父)からさ、たった今、林檎が届いたんだよ」

 だそうだ。

 祖父は交友関係は広いがそれぞれ相手マメな人だった。うちの父方の親戚に対しても、季節の果物特産品なんかを折々に送っていた(向こうからもよくお返しも来ていた)。この時期は林檎(ほぼ出身地がバレるな……)を、他県の親戚や知り合いに毎年毎年手配して贈っていて、それが、葬儀をやって当の本人極楽浄土に送ろうとしていたっていうのに、それがちょうど終わったタイミング相手に届いた、ということらしい。……それは普段無口な伯父さんも、反応に困っただろう。「○○さんから最後の贈り物だから美味しくいただく。冬にはこっちから蜜柑を送るからよろしく」ということで電話が終わり、私たちは大きく溜息をついた。「たぶん、この調子だともう何軒か送ってそうだなぁ……」とみんなで笑い合った。

 さすがにちょっとしんどかった。

 あまりにも急すぎた。呆然とした祖母を見るのが辛かったし、その祖母の代わりに喪主仕事を引き受けるためにずっと張り詰めた顔をしていた母を見ているのも胸が痛かった。出来ることしか手伝えなかったけど、母から葬儀が終わった後に「あんたら(私や弟妹)がすぐ飛んできてくれて本当に助かった」と言われた時の弱々しさが心配で、結局今いる自分の家に戻って来れたのは11/25だった。

 だけど、そうして過ごす中にも、ふと思い出す祖父の話(孫相手に遊びにムキになったり、高校生の叔母が夜遊びしてぶっ飛ばされた話だったり)や、こうして亡くなった後にもなんだか面白いことをしてくれるおじいちゃんのことを話せる相手は、なかなかいない。

 でも、顔を知らなくて、こんな長文をここまで読んでくれる人に、ちょっとでも聞いてもらえたらなんだか心持ちが楽になる気がして、あと、悲しいだけではないって気持ちになれると思ったので、こうして文章にしてみた。

 読んでくれて、おじいちゃんのことを知ってくれて、ありがとう

余談。

 わたしが今の家に戻る前日、仏具屋に母と行って、位牌のカタログをもらって祖母の家に行った。その後数日、祖母カタログを見て、あと母が撮っていった店頭にあった位牌の写真も見て、散々悩んだけど、そのお店で一番よく出回る、スタンダードものを選んだらしい。「それでいいの?」と母が訊いたら、「わたしが死んだ時は、お父さん(祖父のこと)とお揃いの位牌にしてほしいから。これならすぐお揃い作ってもらえるでしょ」と言ったそうな。お揃いの位牌。ちょっとパワーワードだな、なんて思った。でもさぁおばあちゃん、そんな早くいったらおじいちゃんたぶん額に青筋立ててめっちゃ怒るから、もう少し一緒にいてほしいな。お正月には会いに行くからさ。

2022-10-04

anond:20221004111826

こう言っちゃあれだけど葬儀で一番しきたりに細かいのって実はそんなに付き合いがないけど墓が置いてある…っていう逃げられない菩提寺が多くてね(個人の感想だけど)

菩提寺にアンタの家どうなってんの?これ?って言われたらまた精神疲労が増えちゃうんだ

しょうもない事が積み重なっていつか爆発するんだ

anond:20221004111245

元増田だけど

例えば義理の嫁が送ってるのに実の娘の夫が送ってないのはどうなのとか始まるかもしれない、近親者だけの葬儀から家族が気にしない?でも菩提寺は?とかまた始まるんだよ

葬儀屋がちゃんアドバイスしないから ってのは本当にそう いつもごめんね

2022-08-30

クソ坊主リアル

当方、現役の住職で、初増田です。

昨今、テレビネットで「宗教」が悪い意味クローズアップされることが多いので、

多少なりとりも宗教に関わっている人間として思っていることをとりとめもなく書いてみる。

このエントリは「宗教信じろ」とか言うつもりは無いし、何か提言をするわけでもない。

目的はなんだ、と聞かれたら愚痴相談に近いのかもしれないし、

ブクマをもらって、ただ承認欲求を満たしたいだけなのかもしれない。

そして自分は俗にいう「寺の後継ぎ」であった。

〇〇平和連合とか××学会とかでは無く、大手宗派のフツーの田舎寺の生まれで、社会人を経てから東北とある寺を継いでいる。

真面目にやっているつもりではいるが、カツカツ状態でお寺を運営している一応の「宗教運営サイド」である

僧侶として不適切表現があるかも知れないが思うことをリアルに書いてみようと思う。


ネットのよくある論調に対して思うこと~

「坊さんて生臭坊主クズばっかだよな、潰れろよwww


こういうネット論調に対して、別に否定はしない。実際にそういう人は目立つし、まぁ多いんだろうな、と思う。

たぶんお金のある環境で何不自由なく育ち、社会にも揉まれずに、資格だけ取って親の跡を継いでるのだから

悪く言ってしまえば、中小企業無能ボンボン2世社長みたいなイメージなんだろうか。(もちろん厳しい修行は経ている)

一方で、もちろん真面目なお坊さんもいるし、先代住職の後をきちんと継ごうと頑張っている若い子もいる。聖者かよ、ってレベル住職もいる。

特に、小さいお寺で住職だけじゃ食べていけない比較的若めな人ほど、副業をやりながら、

きちんと社会と関わりを持っているからマトモな感覚を持っていると個人的には感じる。

やはり前者の「クズ」とネットで呼ばれる方はでかい寺のボンボンドラ息子が多いんじゃないかな。

センス悪い真っ赤なBMW乗り回して、キャバクラ行ってるような生臭坊主。そんなネット上で揶揄されるイメージとそこまでかけ離れて無いと思う。

ただ宗教法人本部側、もしくはお檀家さん側から見て、1番ヤバいのはこういうタイプがやっている寺ではないと思う。

彼らにはまだ、人とコミニュケーションを取れる、という立派な能力があるからだ。


~1番やばいタイプ~


結論から言えば、前述のようなテンプレ的なクソ坊主(以下テク坊とする)よりヤバいのは、

発達障害の方が継いでいる寺なんじゃないか個人的に思っている。

発達障害の方自体をどうこう言うつもりは全くないし、彼らに社会ケア必要だと思うし、本題から逸れるので置いておく。

そもそも「寺の跡を継ぐ」だいたいのパターンとして寺生まれの子高校卒業後に専門の大学に入って資格を取り、寺に戻るルートが多い。

発達障害の彼らもテク坊も同じルートを辿ってお坊さんになる。

しかし彼らは陽キャテク坊とは違う。大学時代テク坊が親の金クラブで遊び呆けている一方で、

人とマトモなコミュニケーショが取れない、文字がすらすら読めない、簡単なことが覚えられない、優先順位がつけられない、何度同じことを注意されてもできない、大学に来なくなりがち等、

見ているとこんな子がいるのかとびっくりしてしまう程だ。

発達障害エピソードなんかは他のエントリでも言及されている通り。

別に彼らを馬鹿にしたりとか、彼らのやばいエピソードを列挙・紹介したりとか、そういう目的では無いので詳細は省く。

そして、もちろん彼らは悪い子ではない。

高校を出たての18歳で、地方から単身、大学のある都市に出てきて彼らなりに努力しているのだと思う。

本来なら「彼らにもできること」を職業として、何かしらのケア気遣いを受けながら生きていくのだと思う。

しかし彼らは(親の意思であれ)お坊さんになる道を選んでしまったのである


~何がやばいか~


お坊さんという仕事は、言ってみればイチ法人社長みたいなものだ。

檀家さんや地域の方とコミュニケーションは必須だし、当然一定タスク処理能力もいる。

人の生き死ににも関わる仕事なのでイレギュラー対応も多々起きる、体力のいる仕事だ。

テク坊は生臭坊主かもしれないけど、寺が回っているなら一応やることはやっているはずなのだ

また、ひと昔はお坊さんになるのにも、一定の選別は行われていたのではないか、と思う。

長男が無理なら次男が継ぐってパターンもあったろうし。

しかし今は少子化も進み、在家から出家する人も減ったろうし、そもそも職業として倍率が減っている。

なので、どんな子であろうと、なんとかして跡を継いでもらわないと、田舎なんかだと寺自体が潰れてしまうかもしれないのだ。

宗教法人本部からしてもそれは避けたいし、何より坊さんを養成する大学側も継いでくれる彼らを見捨てるわけにはいかない。

昔と比べて志望者は減り、入試の倍率はほぼ1倍に近い、いわゆるFランで、入学後も彼らを(大学とは思えないほどに)サポートする。

優しく、とても優しくお坊さんになるまで見守ってあげるのだ。

一般的職業であれば選考過程でふるい落とされる彼らは、

そうして見事生き残ってしまうのである。(もちろん修行から逃げてしまう子もいる)

もう一度言うが、発達障害の彼らをどうこう言う気は無い。

ただ彼らの能力的におそらく無理であろう、さらに寺の住職という少し特殊職業に就いてしまう、就かされてしまうそんな構造ヤバいと思う。

想像してみてほしい。自分家族や親戚が亡くなった時に来たお坊さんが、ほぼコミュニケーションが取れず、小さな声でボソボソと下手くそなお経を読んでいる光景を。

いや、そもそも予定を覚えられず来ないかもしれない。彼らにとっても、ご遺族にとっても最悪だと思う。

言い過ぎだろうと思う人もいるかもしれないが、彼らを見ると本当にあり得ると思う。

一般的仕事であれば、当然そんな人に需要はなくなるし、潰れて当然だろう。

この時代宗教なんて要らなくなるのかもしれない。

から冒頭のネット論調のように、坊主が嫌われてるのも分かるし、自分在家の生まれだったら不要と思うかもしれない。

でも自分は寺の生まれで、亡くなった先代に反抗してた時期はありつつも、結局継ぐことを選んでしまった。

まとまりも無く、長いこと書いたけど特に結論も無い。

これから宗教法人の行く末を不安に思っているだけで無力な一僧侶だ。

あえて言いたいことがあるとすれば、

住職としゃべってみてやばいと思ったら菩提寺を変えてみた方がいいかもしれない。

仏教のありかたをとして必要なことは現代でもきちんとあるし、それがきちんとこなせる方へ。


さて、自分世間からどういうお坊さんに映っているのだろうか。

2022-07-27

郅都

郅都(?) -?) 前漢時代河東郡楊県(現在山西省宏道県東南部)の出身である。 漢の文帝の時代には、漢の役人を務めた。 警部補時代法律を厳格に執行し、権力者を寄せ付けなかったため、「鷲」と呼ばれるようになった。

内容

1 バイオグラフィー

1.1 生まれから最初の数年間

1.2 強力なもの抑制する

1.3 強者に挑む

1.4 皇太子妃の不興を買う

1.5 閻魔大王総督

1.6 イーグルの死

2 評価

3 関連項目

4 参考文献

バイオグラフィー

最初の数年間

漢の文帝の時代、志杜は文官となり、次いで文帝の家来となった。 景帝の時代になってから将軍に昇進した。 その勇気ある助言によって、大臣たちを説得することができたのだ。

ある時、景帝に随行して上林宮に行った時、随行していた賈詡トイレを使っていると、突然イノシシトイレ突入してきたことがあった。 皇帝は志杜に、その目で嘉吉を救うように指示したが、武器を持った志杜は皇帝の体を守るだけで、行動を起こさない。 景帝が自ら武器を取って助けようとすると、子都は景帝の前にひざまずいて、「一人の妾を失えば、また一人が宮入りする、世に嘉吉のような女が不足するだろうか」と言いました。 陛下がご自身安全を軽視されるのであれば、国や皇太后をどこに置くというのですか?" 漢の景帝は、志杜の言葉を聞いて、賈賈をおいて、結局、イノシシは誰も傷つけずに、便所から逃げ出したのです。 この出来事を聞いた皇太后は大喜びで、志都に金百枚を褒美として与え、漢の景帝はそれ以降、志都を重用するようになった[1]。

強者への抑圧

前漢の初め、宮廷黄蓋の術によって国を治め、何もせずに治めるという方針をとった。 済南県には300余りの謝氏一族がいたが、彼らは強大で狡猾なため、済南の将軍は何もできなかったので、景帝は志都を済南の将軍に任命し、地方の有力者を治めるように命じた。 彼が済南県に到着すると、謝氏一族悪党の長をすべて処刑させ、他の謝氏一族は恐怖に震え、二度と法を犯すことを恐れなくなった。 済南県に赴任して1年後、県内には一切の残骸がなく、周辺の十数県の知事たちは皆、彼を上官のように尊敬していた[2]。

強力なものを避けるのではなく

その後、中尉に昇進し、北軍と都の警備を担当することになった。 有力者の顔色をうかがうことはしなかった。 宰相の周亜夫(しゅうあふ)は傲慢(ごうまん)で横柄(おうへい)だったが、彼に会うと頭を下げるだけで、ひざまずかないのだ。 文帝と景帝の時代には、民衆搾取が減り、平和で満足な暮らしができ、法を犯す人もほとんどいなかった。 法律王族親族貴族執行し、法律を破った者は官吏や人に関係なく、法律に従って厳しく罰せられました。 王室からは嫌われ、恐れられ、横目で見られ、陰では「鷲」と呼ばれ、その激しい法執行比喩とされた[3]。

皇太后陛下のご不興を買う

紀元前153年、漢の景帝の長男である劉栄が皇太子に任命された。 紀元前150年、劉協の母・王耀が密かに大臣を唆して景帝に李自成を皇后にするよう依頼し、景帝は激怒して劉協を臨江王として退位させた[4]。

紀元前148年、劉栄が勅令違反して菩提寺土地を流用して宮殿を建てたため、景帝は劉栄を呼び寄せて謁見させることにした。 劉栄は江陵現在湖北省江陵県)の北門から出発し、乗り込んだ馬車が壊れてしまったのだ。 江陵の人々は皆、目に涙を浮かべながら、「私の王は帰れない」と内心で言っていた[5]。

都に入った劉栄は、裁判のために尉官室に呼び出された。 劉栄は恐れをなして、景帝に礼状を書こうと筆と剣を求めたが、景帝はそれを許さなかった。 魏斉の侯爵、斗英は人を遣わして劉栄に静かにナイフペンを渡した。 長男の死を知った皇太后激怒し、法律を厳格に執行して甘受しようとしない財津を憎んだ。 景帝は彼を故郷罷免したが、その後、使者を送って延門県知事に任命し、近道で直接赴任させ、県の事務を処理する特権を与えた[6]。

燕門総督

漢の景帝の時代匈奴鉄騎兵が長年国境を侵し、国境の県は長い間未開拓のままであった。 彼の清廉潔白の名声を慕っていた匈奴は、彼が燕門の総督に任命されたことを知り、恐れおののいた。 匈奴の騎馬隊は退却し、燕門から遠ざかった。 死ぬまで延門に近づく勇気はなかったという。

匈奴はザイドゥの形をした人形を彫り、匈奴騎兵が馬上から撃つための標的として設置したのです。 ザイドゥを恐れて、匈奴騎兵は誰も目標を達成することができませんでした[7]。

イーグルの死

景行が再び財津を利用したことを知った道太后激怒し、直ちに逮捕を命じた。 景帝は「宰子は忠臣である」と宰子を擁護し、釈放の準備をした。 孫の劉栄の死も忘れず、斗太后は「臨江王は忠臣ではなかったか」と言った。 彼女仲介で、ついに志杜は殺された。 彼の死後まもなく、匈奴騎兵隊が燕門に再侵攻した[8]。

評価

彼は忠誠心が強く、公正で正直な官吏で、内部では権力者や有力者に立ち向かい、外部では外国侵略から身を守り、匈奴の神経をすり減らすほどの勇気を持った人物であった。 親族を倍加して仕えれば、政府の下で死んでも妻にはこだわらない」という有名な言葉があるが、これはまさに彼の官僚としての生き様を表している。 後世の人たちは、財津を高く評価していた。

司馬遷は『大史記』-巻122-「涼官伝説」の中で、「彼は素直な人であり、天下を争うほどの人であった」と賞賛している。

漢の成帝の時代大臣の顧雍はメモで志都を論じ、「趙に連波と馬遂がいて、強い秦は井戸を覗く勇気がなく、近漢に志都と魏商がいて、匈奴は砂幕に南下する勇気がない」と述べている。

唐の古書』巻194には、唐の中宗皇帝時代に、右補奇人陸遜が「漢が宰子を祀ると匈奴国境を避け、趙が李牧を任命すると臨湖は遠くに逃げた」と発言したことが記されている。

上記名前から、志都は戦国時代の趙の連波、趙奢、李牧など、「戦国武将国家の手先」とされた名将と肩を並べることになる[10][11]。

https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%83%85%E9%83%BD

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

2022-02-08

anond:20220208145326

23歳で初めて藤澤清造作品出会った時は「ピンと来なかった」というが、29歳の時、酒に酔って人を殴り、留置場に入った経験から清造に共鳴するようになり[3]、以来、清造の没後弟子自称し、自費で朝日書林より刊行予定の藤澤清造全集(全5巻、別巻2)の個人編集を手掛けている。

清造の墓標を貰い受けて自宅に保存している他、1997年ごろから[3] 清造の月命日の毎月29日には清造の菩提寺浄土宗西光寺(石川県七尾市)に墓参を欠かさない。2001年からは自ら西光寺に申し入れて「清造忌」を復活させた他、清造の墓の隣に自身生前墓を建ててもいる。

 

藤澤清造に心酔していたこから石川県七尾市にある藤澤の墓の隣に自身生前墓を建てていた。



安らかに眠れ

2021-10-14

anond:20211014155259

墓碑銘って言うの❓横に石板があって歴史を彫り足していく板があるお墓もあるよね。菩提寺があれば過去帳もある。

一族歴史だ。

2021-08-28

Yahooニューストップ見出し

8/28(土) 17:00更新

東京都 新たに3581人が感染 730

接種後感染し母重症化 娘の訴え 1736

信長愛した女性菩提寺 解体へ 1165

介護10年 でも辞めなかった仕事 47

米AppleCEO 825億円相当の賞与 907

五輪代表 MF相馬勇紀が結婚 130

結婚直後に右腕切断 パラ銀で涙 619

丸山桂里奈 結婚生活で妊活意識 217

昨日https://anond.hatelabo.jp/20210827173355

2021-07-08

大阪柴島という地名がある

猫の相島うさぎ大久野島のように柴犬がたくさんいる島だと思って行ってみると浄水場があるただの陸地なのでがっかりする。「しばじま」ではなく「くにじま」。

柴島の近くに淡路という地名があるがこちらも淡路島ではない。菅原道真が「ここが淡路島か!」と勘違いしたので、淡路。まさに日本西インド諸島

淡路の近くには崇禅寺という細川ガラシャ菩提寺として知られる寺がある。崇拝の崇だが「すうぜんじ」ではなく「そうぜんじ」である。「ソーセージに似ている」と覚える。

2021-01-01

ぼくには、菩提寺もないし

お墓もない

とられちゃったし

冗談を言うお寺とは付き合いにくい

冠婚葬祭冗談にはなりにくい

 

親族のだれかがやるだろうし

僕は結婚もできないだろうから

無縁仏のお墓に入れてほしいと

生前にいっていたと伝えてほしい

 

でもどっちでもいい

しょせん骨

 

笑えない冗談を言うからつきあにくい

それでも

わらっていないといけないのが辛いお寺だった

 

1年経って やっと当番が終わって 息がつける

冗談をわらえなかった。冗談じゃないならしょうがないし、冗談ならわらえなかった。

2020-12-29

[]110日目 『夜明け前』を読んだ

なわとび:602回

ボクシング:126kcal

年末で忙しくて疲れてたら前回から一週間以上経過していた

『夜明け前』読みおわった

まあ、実は読み終わったのは結構前なんだけど、せっかく読んだからなんか書いておきたいなと思ってから実際に書くまで結構時間がかかった

最初の巻を読んだのは実は結構前で、もう15年以上昔のこと。以来続きの巻をそのうち読もうと思いつつなんだかんだで今まで来てしまった

kindleを導入したときに、手持ちの本をいくつか電子書籍と置き換えようと思って、青空文庫に入っている本をいくら処分したのだけれど、その時ついでに続刊を持っていなかった『夜明け前』を全部揃えてあとで読むリストに放り込んでおいた

まあ、それからも1年以上放置したわけだが

一度、どうにか読んでしまおうと思って自動読み上げ機能に読ませてみたこともあるのだけれど、漢字の読みがぐっちゃぐっちゃで、たとえば「金兵衛」を「きんひょうえ」と読んだりする

これを聞きながらちゃん理解しようとするよりは、自分で読んだほうがまだ脳みそリソース消費が少ないなと思って断念した

あとで読むリストに入れて毎日目にしているとなんとなく爪のささくれのように気になるもので、今年とうとう一念発起して読んでしまうことにした

実はこのあとにまだ20年積んである破戒』というのも控えているのだけれど、まあこれは来年あたりに読んでしまおうか

こっちは一冊で終わるし

さて読み終わってみると、まず第一になぜ藤村父親の一代記とも言うべきこの本を書こうとしたのかということを考えるわけだけれども、これはやはり父親精神を病んだからというよりも、その過程で家の菩提寺でもあり、代々深い付き合いのあった万福寺放火しようとしたことの原因を探ろうという意味合いがあったのではないかという気がする

物語はすべてこの放火事件へ向かって流れていき、この事件のあとはすべてエピローグであるように自分には読めた

ところで、物語は半蔵の父親吉右衛門時代は万事が概ね順調で、半蔵の世代に移ってからは半蔵自身の才覚のなさもあって波乱万丈なように見えるが、これはたぶん作者自身が実際に見たのが半蔵の時代だったか祖父に当たる吉右衛門時代理想的に見えているだけで、実際には吉右衛門時代吉右衛門なりの苦労があったのはもちろん、彼なりの不手際軋轢もたくさんあったのではなかろうかと想像する

半蔵は半蔵なりに精一杯その時代を生きたし、それは彼の父親吉右衛門も変わらなかったろうと思うから

つの時代もどんな人であっても安気に暮らしている人はそうそういないもので、その人なり、その時代なりの苦労をそれぞれ背負って生きているものだろうと思う

これはまあ4冊も通して付き合った半蔵に対する同情でもあるけれど

個人的な興味関心との関連でいうと、一つは、最近登山をするようになって各地の山にある神社仏閣を訪れる機会が増えて、その由来などを調べるにつれ、明治廃仏毀釈いかに激しかたかを知り、なぜあのようなことが起きたのか興味があったので、その思想的背景の一端を知れたことは良かった

とはいえ平田国学から廃仏毀釈へと至る背景にはさら江戸時代寺院がかなりの権力を持っていて、その弊害が大きかったらしいこともうかがえるので、むしろ平田派の思想きっかけに過ぎなかったのかもしれない

このへんはまた機会があったらちゃんと調べたいところ

もう一つ、この前恵那山にも登ってきて正直面白みの薄い山だなと思っていたのだけれど、木曽路から見る恵那山描写を読むとこの山はむしろから眺めることにこそ面白さがあるのかもしれないと思ったりした

2020-10-08

バタメ家には墓がない

前回の日記結婚して妻の姓になり7年がたった

僕は前回が初増田だったのですが、予想以上にバズってびっくりしてます。今見たらトラバもまたすごいブコメ数だし……。

前回のおさら

生天目(ナバタメ)家の長男だった増田は靏岡(ツルオカ)姓の女性結婚し、増田の方が名字を変えてツルオカになりました。養子縁組はまだなので、純粋名字だけです。例によって固有名詞は全て仮名です。

今回は前回の続編と言えばそうですが、名字やら手続きマニアとは関係ないつまらない話です。こういう他でできない自分語りができるのが増田醍醐味ですよね? 使い方あってる?

母の葬式

なんやかんやあってその後母も亡くなりました(父はこの10年以上前他界)。これはその時起きたエピソード。父が死んだ時には茫然自失で何も記憶がない僕ですが、母が死んだ時にもやはりだいぶ参っていたようで、以下の話は後から聞いて知ったのでした。

通夜の席でのことです。母は近隣の八木(ヤギ)家の出身でしたのでその場にはヤギ家の面々が勢揃い。遠方のナバタメ家はちらほら。妻のツルオカ家はもっと遠方でしたのでその時には妻以外おりません。そこでナバタメ家のミキコ叔母さん(父のすぐ下の妹。長女)が発言したのです。

「ショウコさん(僕の母)はナバタメのお墓に入るのだけど、私の代はともかく、息子の代になってもお墓がきちんと管理できるかわからないの。だからしばらくしたらキョウイチ兄さん(僕の父)共々別にお墓を作って移って欲しいわね」

その場で僕は生来の暢気な気質からなのかあるいは精神が参ってどうでもよくなっていたのか「へえ。それは大変ですね。そうしましょう」と答えたのです。

しかしこれにはヤギ家の面々が激昂。「ふざけるな!葬式から墓を出ろとはなんという言い草だ!」いやあ、これはもっともですね。ミキコ叔母さんも流石に空気が読めなさすぎです。

お墓を移る

バタメ家は結構大きく、正月には一族女性が作ったおせち大広間で食べ、子供たちは当主である祖父から順にお屠蘇お年玉ををもらうような家でした。僕の父は当主である祖父長男だったのです。でもなぜか父は家を出て若くして死に、祖父が死んだ時には僕は母に相続放棄をさせられました。何があったんでしょうね? 母はナバタメ家に隔意を抱いていたみたいだし、僕の改姓にあんなに反対しなくっても、ねえ?

さて、その通夜の場は無事に終わった(らしい)のですが、結局お墓は移ることになりました。とはいえ、昨今そんな簡単墓地は買えませんし、墓石を建てるお金もありません。

ここで非常に運が良かったのは、ナバタメ家とヤギ家のそれぞれの菩提寺、大妙寺と寂光寺は宗派が同じであることでした。寂光寺にはヤギ家の納骨堂があり、そこに骨壷を移すことを両寺の和尚様に了承していただけたのです。

大妙寺の和尚様の立会いでナバタメ家の墓から父と母の骨壷を取り出しました。墓石の下部には蓋のついた空間があり、そこに骨壷を入れることができるのです。知ってました? 僕はてっきりスコップで土から掘り出すのかと思ってましたよ。

そして骨壷を抱えて母の地元にある寂光寺に向かいました。人生経験豊富はてなー諸氏におかれましても、両親の骨壺を持って旅をした人はなかなかおりますまい。割れたらえらいことになりますからね。緊張しました。

後日談

この後も納骨堂追い出され未遂やら遺産相続争いなどの面白イベントがあるのですがそれはまた別稿に譲りましょう。最終的には、数年後にナバタメの叔父から連絡があり、この問題解決しました。

ミキコ姉さんがそんなことを言ったのだとは知らなかった(叔父通夜の席におりませんでした)。ナバタメ家の墓はこれを機に姉さんではなく自分管理するようにしたか問題ない。もしそちらが望むなら、キョウイチ兄さんもショウコさんも戻ってきて構わないよ。」

一体姉弟間で何があったんでしょうね? 僕はあんなこと言われましたが、ミキコ叔母さんのことはさっぱりして好きなんですよね。空気の読めないところとか僕も似てますし。まあ母はそういうところが苦手だったんだろうな、とは思いますが。

骨壺どうしましょうかね? とりあえず、いざというときに行き場がないということだけは避けられたようです。よかったよかった。

まとめ

  • 通夜の場では当事者より周りの方が神経質になっている。迂闊な発言は慎もう。
  • 菩提寺和尚様とは昵懇な方が良い。せめて宗派くらいは把握しとこうね。

特殊な家の特殊な話なので、あんまり参考にならないと思うよ!

2019-08-16

anond:20190816231401

ネトウヨくん早く実家にお電話してお袋さんに留袖の背中と袖についてる紋と菩提寺とお宮参りどこ行ったかぐらいは聞いとき

オモニだったら無理だろうけどwwww

anond:20190816231401

十三参りは知らないけど母方の女紋なら男の俺でも知ってるよ

菩提寺は毎年二回のお彼岸でお世話になってるしこれからさき墓守り継ぐことになるだろうから知ってないとヤバいやつ

氏子はどうだろうな~?でも最低限お宮参りがどこだったかぐらいは親に聞いて知ってるよね?

先週ネット右翼的な人物お話しできる機会を得て

常に日本凄い日本凄いをされているだけあって

さぞや日本人としてのルーツ日本人らしい生活

誇りを持って日々暮らしておられるのだろうなあと思って

どちらの氏子さんで?ご母堂のお使いの女紋は?菩提寺はどちら?

十三参りは?と聞いたらどれもご存じないらしくてお返事いただけなかった

はーーーあんたさんほんまどこから来はったん?

それこそお隣の国から来たぽっと出のにわか日本人?

まさかネット上だけでエアプ日本人してはったとはねぇ~

気が付きませんでほんま悪いことしたわぁ~

2019-05-10

anond:20190510210113

だよねえ

天照大神の子孫の癖して、菩提寺をもって仏教帰依していた皇族歴史枚挙にいとまはないし、天皇=神道、というのは短絡的すぎる

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