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2022-05-20

90年代前半のオリコン月間ランキングを眺めて知らなかった歌手ピックアップしていく

オヨネーズ麦畑

1990年1月の3位。わざとらしく東北弁を効かせたデュエットソング。90万枚の大ヒットだったらしい。

地方出身アーティストが真面目に歌っている…というわけではなく一種コミックソングの扱いだったようだ。

CoCoはんぶん不思議

1990年2月の8位。90年代前半に活躍した女性アイドルグループらしい。

おニャン子モー娘あいだの「アイドル冬の時代」において気を吐いていたアイドルの一つという感じか。

高野寛「虹の都へ」

1990年2月の13位。線の細い感じの男性シンガー

パッと聴いた感じは徳永英明稲垣潤一と似たような印象を受けた。

THE FUSEBoysGirls」

1990年3月の16位。ホコ天で人気のあったロックバンドらしい。

かにそれっぽい曲調。明るくノリのよいビートロック

AURA「愛・オーランド

1990年4月の19位。イカ天出身ヴィジュアル系バンド

当時のヴィジュアル系ってだいたいメタルパンク由来の「硬派」「尖ってる」感じを出してるイメージだけど、

このAURAは、ヘビメタ色の薄いコスプレ的な見た目、コミカルなほど明るい曲調など、後年のヴィジュアル系にかなり近いと思った。

NORMA JEAN「GET A CHANCE!! 」

1990年5月20位。イカ天出身ガールズバンド

いかにもプリプリの影響を受けて出てきましたという感じ。時代を感じる。

ribbon「あのコによろしく

1990年8月の19位。CoCoと同じテレビ番組から登場したアイドルグループらしい。

永作博美ってこれでデビューした人だったのか。

SHORT HAIRS「トランジスタグラマー

1990年9月の18位。レベッカNOKKOが、NORMA JEANの元ギタリストと組んで、レベッカ解散直前に一曲だけ出したもの

ギタリストの人がNOKKOのヘアメイク担当していた繋がりらしい。

BY-SEXUAL「FLAPPER」

1990年11月の19位。正統派な感じのヴィジュアル系ロックバンド

Wikipediaによると「日本一下手なバンド」として有名だったらしい。

丸山みゆきFIRE

1990年11月20位。テレビドラマスクールウォーズ2」の主題歌ということで、1の主題歌ヒーロー」を意識した洋楽カバーにしたんだろうか。

他の曲を聴いてみると、もっと大人しいアイドル然とした曲を歌っていたようだ。

晴山さおり「一円玉の旅がらす

1991年1月の18位。NHKみんなのうたからヒットしたという演歌調の曲。歌手は当時16歳。

消費税導入で(端数を支払うための)1円玉に注目が集まっていたという背景もあるらしい。

BAKU「ぞうきん」

1991年2月の16位。ホコ天出身らしい。

学校に提出するぞうきんのことを歌った明るいユーモラスな曲。

児島未散ジプシー

1991年3月の6位。物悲しい雰囲気歌謡曲

先日亡くなった俳優宝田明の娘らしいが、宝田明あんまりピンと来ないな…。

KATSUMI「Just time girl

1991年5月の6位。爽やかで癖のない男性シンガービーイング系っぽい(ビーイングではない)。

障子久美「あの頃のように」

1991年6月の13位。松任谷正隆プロデュースデビューした女性シンガーソングライター。

歌唱力で売っていた感じなんかな。ちょっと広瀬香美を思い出した(デビューは障子久美のほうが先)。

上田知華I WILL

1991年8月の19位。楽曲を聴いただけではあんまり引っかかりのない普通の曲だという印象。

当時からいろんな歌手楽曲提供して実績のあった人らしい。その中でいちばん有名なのは今井美樹の「PIECE OF MY WISH」か。

昨年亡くなったらしい。

L.L BROTHERS「L.L BROTHERSのテーマ

1991年10月の7位。ヒップホップ系。まだヒップホップが広くは定着してない頃だよねたぶん。

テレビ企画高校生制服対抗ダンス甲子園」で優勝してデビューしたらしい。

SUPER CHIMPANZEE「クリといつまでも

1991年10月の15位。何だと思ったらサザンオールスターズ桑田佳祐だった。

加納さん「加納さんのいいんじゃないっスか」

1991年10月20位。何だと思ったらウッチャンナンチャン南原清隆だった。

楠瀬誠志郎「ほっとけないよ」

1991年12月の7位。ピアノを弾きながら歌ってる映像を見て「愛は勝つ」のKANかと思った。

ピアノ弾きながら歌う系男性シンガーがちょいちょい出ていた時代だったのかな。

山本英美Christmas in the Blue

1991年12月の16位。名前女性かと思ったら男性シンガーだった。

「X'mas in the Blue」と「Christmas in the Blue」とがあって発売時期も違うみたいだが何が違うかよくわからない。

中西圭三Woman

1992年2月の13位。声のいいおっちゃんが歌ってるソウルっぽい楽曲

ZOOの「Choo Choo TRAIN」とブラックビスケッツの「Timing」の作曲者なのか。そう聞くとなんかすごい。

デイト・オブ・バース「ユー・アー・マイ・シークレット」

1992年2月の19位。アーティスト名も楽曲名も歌詞英語洋楽かと思った。

妖しげでトリップ感のあるサイケ楽曲時代を感じさせない。個人的いちばん気に入った。

島田歌穂ステップバイステップ

1992年3月12位。これは洋楽カバーなのか。ミュージカルっぽい発声…と言われたらそうかも。

エリート一家に生まれ英才教育を受けて子供の頃から現在まで芸歴を重ねているらしい。すごい(小並感)。

GAO「サヨナラ」

1992年7月10位。性別不詳の歌手っていうコンセプトがすごいな。確かに見ても性別わからん

RABBIT「Thank you my Girl

1992年7月17位。当時としてもオールスタイルだったのではないかと思われる正統派ロックバンドっぽい感じ。

イカ天出身バンドの中では最初メジャーデビューしたらしい。

KIX-S「また逢える…」

1992年8月の8位。B'zの女性版として企画されたらしい。

ビジュアルはまさに女性版B'z。こういうタイプ女性デュオって他にあんまり思い浮かばないし新鮮だな。

でも楽曲あんまりそれっぽくないな。VガンのEDテーマ歌ってる人なのか。そっちの曲は知ってた。

陣内大蔵「心の扉」

1992年8月の16位。じんのうちたいぞう。すごい名前だ。本名らしい。なんかネットリした歌い方をしてる。

西川幸一リキッドマン

1992年10月の15位。ユニコーンドラマーらしい。

当時、ユニコーンメンバー連続ソロシングルリリースするという企画があったらしく、この曲はその一環ということのようで。

なぜこの曲だけランクインしたのだろう…。

浜田麻里Cry For The Moon

1993年2月11位。女性ロックシンガー草分けとしていくつかのヒットを飛ばした人らしい。

雰囲気としては大黒摩季っぽいかもしれない(もちろん浜田麻里のほうがデビューは先である)。

久松史奈天使の休息」

1993年2月の18位。こちらも女性ロック歌手らしい。

なんか系譜を感じるな。もうちょっと後に相川七瀬とかが出てくるのか。

USED TO BE A CHILD「僕らが生まれあの日のように」

1993年3月の6位。出生率低下を受けた厚生省の「ウェルカムベビーキャンペーンの一環として結成されたチャリティーグループらしい。

メンツ小田和正チャゲアス飛鳥カールスモーキー石井玉置浩二徳永英明浜田麻里山本潤子となかなか豪華。

ちなみに翌年1994年出生率ちょっと回復したらしい。

MULTI MAX勇気言葉

1993年4月17位。こちらはチャゲアスチャゲを中心としたユニットらしい。

チャゲの歌い方って単体で聴く井上陽水に似てるな。

THE WAVES「WE ARE THE CHAMP 〜THE NAME OF THE GAME〜」

1993年5月の13位。これはサッカーの「オーレーオレオレオレー」か。Jリーグ開幕だなあ。

ZYYG「君が欲しくてたまらない」

1993年6月の3位。グループ名と曲名ビーイング系っぽいと思ったらビーイング系だった。

デビュー時は二人組、曲調はロック色が強い感じで、ちょっとB'z的なコンセプトだったのだろうか。

コルベッツ「瞳を僕にちかづけて」

1993年6月20位。ちょっと古くさいロックバンドという感じ。いまでもメンバー変わらず活動しているらしい。

本城裕二「夢 with You

1993年7月の6位。テレビドラマ「チャンス!」の企画として、久保田利伸の同名の曲を、主演の三上博史が役名でカバーしたもののようだ。

Z団「江ノ島

1993年9月の6位。サザンオールスターズ絡みの企画らしい。よくわからん

Voice24時間の神話

1993年9月17位。男性二人組ユニット双子らしい。ちょっとフォークっぽい曲調。

久宝留理子「男」

1993年10月の13位。女性目線で男を扱き下ろす歌詞おもしろい。ちゃんと本人の作詞なのも良い。

REV抱きしめたい

1993年11月の15位。ビーイング系。クソイケメンやな。

もともとZYYGベースの人と二人で組む予定だったのが音楽性の違いにより決裂してソロユニットになったらしい。

ちなみにZYYGベースの人は音楽性の違いによりZYYGからも早々に脱退しているらしい。

松田樹利亜「だまってないで」

1993年12月の16位。ほのか90年代後半っぽさが混じってきた気がする。

何も知らずに「実は小室ファミリーですよ」と言われたら信じるかもしれん。

高山厳「心凍らせて」

1993年12月の19位。こっちはド昭和だなあ。分類としては演歌になるのか。

東野純直「君だから

1994年2月の19位。爽やかな感じの男性シンガーいかにも90年代っぽいバラード調の曲。

いまは「支那ソバ玉龍」というラーメン屋をやっているらしい。音楽情報ラーメン情報が入り交じるTwitterアカウントおもしろい。

熊谷幸子「風と雲と私」

1994年3月12位。松任谷正隆に見いだされて他のアーティストへの楽曲提供も多数。「第二のユーミン」という異名もあったらしい。

この曲は明るい前向きな感じだけど、他の曲を聴いてみると郷愁を誘うような独特な曲調でちょっとジブリっぽいかもしれない。

池田聡「思い出さない夜はないだろう」

1994年3月の19位。80年代ぽさもある哀愁の漂う歌謡曲という感じ。

藤川賢一「大切な君の胸へ…」

1994年3月20位。しっとりとして高音が綺麗な曲。曲調だけならビーイング系DEENとかFIELD OF VIEWっぽいかもしれない。

To Be Continued「君だけを見ていた」

1994年4月の7位。楽曲としてはあまり癖のない感じ。ボーカル岡田浩暉俳優としてよく見かける(名前は知らなかったけど)。

ICE BOX「冷たいキス

1994年5月12位。こういう氷菓子あったよな、と思ったらガチ森永の「ICE BOX」の企画で結成されたグループらしい。

しかボーカル女性以外のメンバーは、中西圭三池田聡・(久宝留理子「男」を作曲した)伊秩弘将という、この記事で取り上げた人たちばかり。

点と点が線でつながった感覚やね。なんかこの曲の「令和バージョン」もあるらしいよ。

橘いずみ永遠パズル

1994年5月の19位。「女・尾崎豊」と言われたらしい。

暗めの歌詞をパワフルに歌う女性シンガーっていうとあいみょんあたりの先祖なのかもしれんね。

GEISHA GIRLS「Grandma Is Still Alive

1994年8月17位。お笑い芸人ダウンタウン白塗り芸者コスプレして歌うという企画らしい。作曲坂本龍一

Be-B「憧夢~風に向かって~ 」

1994年8月の14位。ソロ女性シンガー

見た目はかっこいいんだけど歌は意外にポップというか可愛らしい。ちょっとリンドバーグっぽいか

しまえに「家、ついて行ってイイですか?」に出演していたらしい。

山下久美子DRIVE ME CRAZY

1994年11月の18位。80年代から活躍しているアイドル(?)らしい。

この頃には30代半ばのはずだけどコロコロとした可愛らしい声だな。

Wikipediaによると「胸キュン」という言葉最初に発した人物だとか。マジかよ。

Dual Dream「Winter Kiss

1994年12月20位。男性ツインボーカルというのが特徴的だ。雰囲気TUBEっぽい。冬だけど。

ソースhttps://cd100.net/oricon/

2020-07-15

相棒」見てる人たちは当然のことながら「刑事貴族2」「刑事貴族3」も見てるんだろうと思って聞いてみるんだけど見てる人ほとんどいないんだよね

右京さんより本城さんの方が恰好いいし、寺脇康文とか地井武男とか痩せてる彦摩呂とか見どころ満載なのになんであまり人気ないんだろう

あの面白さを知らずに相棒だけ見て満足するなんてお恥ずかしったらありゃしないぞ

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2018-06-05

今までの恋人名字

本城とか柳とかかっこいい人が多かったんだけど、一人だけ「田中」がいたんだよな

なんだよ田中って結婚してもその名字にはちょっと抵抗あるよって今ふと思った

2017-08-17

ドラえもん のび太パラレル西遊記について

Abemaで今一挙放送中なんだけど、パラレル西遊記特に好き。

妖怪本城バーミヤン本店だし、危険が危ないという迷台詞があるから

あとは途中でカツドゥーンを食べるし、最後はこれでもかと主題歌流れるから

夢幻剣士に比べれば後味すっきりだから何度見ても面白い

でもコメントきじゃなきゃ見る気がしない、実況を楽しむアニメだね。

 
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