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はてなキーワード: お茶屋とは

2023-08-09

植物の断片が入ったパケ

(^^ゞ「お茶屋緑茶サンプルもらったんスよ」

2023-07-30

anond:20230730173410

結局、東京文化って何よ?タワマン文学sapix中学受験文化

儲かってるのかよく分からないお茶屋さんとかが営業しててイオンじゃなくてもお茶っ葉が買える(そして品揃えも良い)とかそういうの。

当然、そういうのがある地方の街は東京じゃなくても文化的ということだと思うよ。

タワマン文学()とかsapix()とかやってるのは一部の勘違いした連中だけで、地方出身者が多数派だと思う。

2023-03-28

anond:20230328174533

まず、経緯もまとまった形で意見を読めたのは面白かった。

でもやっぱり、あんまり興味が持てなかった。

誤解を承知で書くが、そもそも芸能界」というヤクザ商売の中であった話だろう点で異世界過ぎた。

重ねて、ようするに枕営業と何が違うのか(片方が未成年であるのは別問題として。親の斡旋なら、それこそ別問題)、

もしくは江戸時代芝居小屋じゃん?としか思わなかったんだが、お茶屋アングラ現代まで続いてたってだけでは?いや、パトロン限定されてたなら、やっぱ枕では?

みたいな、最初ネットで騒がれた時に抱いた感想から動かなかった。


だって当事者が旅立っている状態で表に出て、それでどうしたいのかピンと来ない。

それこそ増田の言うように被害者ドキュメンタリーに登場しない。

刑事事件民事分からんけれども、個別案件司法でやってもらって。同様の事案で被害者が多そうだ、という意味では大きな事件なので結果は報道して欲しいかな、という気はするけど被害者が納得するなら、別にどうでもいいし。組織的斡旋であれば、それは事件なので報道して欲しい感じだけど、そもそも違うんでしょ?

芸能界構造ガーってなると、それこそ別の切り口が必要では?と思うし。

要するに何がアレで、そんな騒ぐ必要があるのか腹落ちしない。

2023-03-23

anond:20230323113131

公益財団法人京都伝統伎芸振興財団事実確認を行ったところ、

「五花街お茶屋組合役員が集まり以下の通り情報共有とコンプライアンスの徹底を行いました。

舞妓を名乗る『Kiyoha@物書き』さんが所属していたとされる花街からは、ツイートされた内容について、現在及び在籍していたとされる時期においても、そのような行為は一切なかったこと掲載されている写真については事実確認が取れていないこと、の報告がありました。

これまでから法令順守や悪質な顧客から芸妓舞妓を守る取組を進めておりましたが、改めて、『20歳未満の舞妓については飲酒禁止を徹底すること』『芸妓舞妓人権を守ること』など、法令順守やコンプライアンスの徹底を確認しました」

とのこと。

まり炎上目的で頭のおかしな女のでっち上げだと確定した。

2023-02-20

anond:20230220113506

女なら15まで育てて舞妓を飼ってるお茶屋って所に売ればいいで。昔からあるリセマラやで。

2023-02-06

anond:20230205200117

俺は名古屋まれじゃないから(親が名古屋人ではある)見当違いかもしれんが、そのナントカとか言う聞いたこと無いお茶屋がって話なら梅花堂も打って出れるような気はする、知らんけど

2023-02-05

名古屋メシの最終兵器「妙香園」について(再追記)

名古屋メシ、という括り方が正しいかからないが、日本に打って出るポテンシャルがあるにも関わらずそれほど知名度がないという意味で妙香園について語りたいと思う。妙香園というのは名古屋本店を置くお茶屋さんで、売りは焙じ茶である

香園について語る前に、まず、読者諸兄は「焙じ茶」というものに対してどのようなイメージがあるだろうか。商店街お茶屋さんの店舗で茶葉を焙じる機械から香ばしい香りで客を引き寄せ、試飲に誘い、そして100グラムくらいのパックを購入してみるものの、自宅で抽出してみて首を傾げ、そのまま茶葉を使い切ることなく、年末大掃除賞味期限が切れた茶葉を引き出しの奥でみつけて処分する、というそんな印象ではないだろうか。

香園に関していえば、そのような存在とは真逆のものであると私は胸を張って言える。自宅で妙香園焙じ茶を淹れると、まさに店頭のあの香りが自宅のキッチンで立ち上るのである。残念ながら、名古屋人たち自身はこの妙香園の実力について認識していないように思う。筆者は東海地方出身東京での生活20年以上なのでそれが残念なのである

冒頭の記事タイトルに戻る。名古屋メシというものは、全般的に、味覚の総量が大きく、コスパがよく、それでいてカジュアルさがあるという共通点がなんとなくあるように思う。そういう意味において妙香園は(食い物ではなく茶だが)まさに名古屋メシカテゴリとして語られるべきものだと思う。名古屋に行った時には名駅地下街で妙香園焙じ茶を買おう。私自身はほかで茶葉を買うということ自体が少ないので分からないが、大した値段ではないと思うし店の敷居も低い。名古屋人のあなたは、いつも名古屋土産として買っている、坂角ゆかり赤福やらうなぎパイではなく、妙香園を買ってみよう。あなたにとっては只の妙香園に過ぎないが、彼らは妙香園焙じ茶を知らない可哀想な人々であるあなたが妙香園を与えることによって、彼らがもともと持っていた焙じ茶に対する限定的イメージ拡張し、つまりは彼らの人生を豊かにすることになるのだ。

追記

コメントトラバが付いているのが嬉しいので追記する。誤字を少し修正した。

私自身の妙香園エピソードを少し語ろう。引越しの時に、地元母親が持たせてくれた妙香園手土産として各部屋に持参して行った。マンションの上階に住んでいた大家が後日、「あのお茶すごいね、あの香り!」と褒めてくれた。いや、勿論社交辞令かもしれないが、「香りに対する驚き」というのは妙香園に関する特有の反応だと思う。

名古屋人だが妙香園については知らなかった

そういえば、積極的テレビCMとかを打ってるわけではないのでそんなものかもしれないな。売店自体はいろんなところにあるから試してほしい。

焙じ茶といえば〇〇だけど

あんまり、有名どころの焙じ茶とかと飲み比べてるわけじゃないから、リアクション鈍くてごめんな。

ステマだね。宣伝だね。

俺が妙香園関係者ではないと強弁したところでそれを客観的に示すものなどない。妙香園のことが好きだという意味では身内みたいなものかもしれない。妙香園認知が上がれば俺の幸福度があがるので、その意味では利害関係者とも言えるな。どう?この回答でいいかい、坊や。

赤福三重だよね。うなぎパイ静岡だよね。

これは全くそう。俺が思っていたのは名駅新幹線売店土産を買う時の選択肢が、坂角赤福うなぎパイ三本柱なんだが、名古屋人はそのローテーションで満足してないか、ということである。ここまで熱弁しておいてなんなのだが、俺自身新幹線売店で買えるのが楽で、名古屋土産のメインは坂角の徳用パック(箱に入ってないやつ)なんだよね。ちょっとこれから気合を入れ直して、土産で妙香園を配りまくるようにしてみようと思う。

追記

一点書き忘れたことがある。焙じ茶はいくつかのラインナップがあるが、私がいつも飲んでいるのは「強火」と書かれた、赤緑のおしゃれなパッケージである。同じおしゃれパッケージだと、水出しやテトラパックもいいと思う。「強火」以外の妙香園焙じ茶は飲んだことはないが、母親によると「強火」こそ妙香園らしい濃厚な香りと旨みが楽しめるらしい。

https://www.myokoen-shop.com/view/category/houji

2022-07-06

anond:20220706123244

ここ10年でかなり変わったよね。

ゼロ年代インターネットで「ヤバい地帯」みたいなイメージ拡散されてて今もそういう記事残ってはいるけど、当時の面影ほとんどないよ。

2010年赤線廃止後もモグリでやってた売春ありのお茶屋摘発されたあとは、五条楽園看板撤去されたり、お茶屋の古い建物も潰れたりリノベされたり。暴力団ビル解体されたしね。梅湯も「タトゥOK」ってので外国人観光客サブカル御用達になったし。

任天堂創業家があのあたり再開発するとか言ってるから、今後はシャレオツ地域になるんじゃないの?

ちなみにはてな初代社長(現会長)の会社運営してるコワーキングスペースもあるよ。https://unknown.kyoto/

2022-06-30

メモ

https://archive.ph/20220630020350/https://twitter.com/sachimiriho/status/1542180604288303104

2022-06-28

人権を盾に舞妓を潰すのは辞めてほしい

いい加減にしてほしい

ほとんどの置屋では今時、性接待飲酒はないし、水揚げなんて死語

親に売られるわけでもなく、むしろ親の反対を説得して地方から舞妓を目指す芯の強い女の子たち。

 

タダ働きというのも言いがかりに近い。

女の子稽古代、着付け代、髪結い衣装居住食をすべて置屋負担している、 

お金をかけても一人前になる前に辞めてしまう子も多い。

それでも女将さんは実の娘のようにあたたかく育てる。

学費寮費無料の全寮制学校のようなもの

その上労働者として給与なんて払ったら置屋お茶屋はすべて潰れる。

給与を払うなら稽古代も衣装代も自前になる。するとお金持ちのお嬢様しか舞妓になれなくなる。 

23時過ぎたら座敷にいることはないし、朝は8時まで寝れる。昼間は自由時間もあるし、定期的に休みもある。例えば高校で厳しい部活やってるような子は朝練などでもっと辛いのでは?

舞妓無償労働なら、例えば教育実習生とか介護実習生無償労働だよね?って話。

接客人間関係を学び、芸を磨くための大切な修行。艶やかな美しさと優雅所作で客をもてなすのも立派な伝統芸能


舞妓芸妓を目指す女の子たちの夢を奪い、伝統芸能を潰すのは辞めてほしい。

anond:20220628001406

「“お風呂入り”は祇園秘密の遊びなんだけど。

でも『林先生が書いてくれはった後、舞妓ちゃん芸妓ちゃん父兄からあんなこと本当にやっているのかって、心配して見番に電話があったんどすえ』

ってお茶屋のおかみさんに言われました」

舞妓の親は実情を知らないってことなのね。

anond:20220627103235

花街置屋さんからお茶屋さんの間ぐらいは歩いてるしたまに見かけるけど、そんなにぶらぶら街歩きしてるわけではないからけっこうレア

anond:20220628121553

2010年平成22年10月28日11月18日の両日にわたり京都府警によりお茶屋置屋の統括責任者経営者ら5人が売春防止法違反容疑で逮捕された

これに尽きるんだな。

地方の人は、あそことそこの区別なんてつかないもん。

anond:20220628115309

2010年平成22年10月28日11月18日の両日にわたり京都府警によりお茶屋置屋の統括責任者経営者ら5人が売春防止法違反容疑で逮捕された。これを受け、10月28日よりお茶屋置屋は一斉に休業している。

古くからのしきたりで、女性は陰部に塗香を付けてから茶屋を訪れるのが慣わしであった。

anond:20220627233915

京都の市政も警備警護も財界メディアもみんなお茶屋に首まで浸かってる。メディア行政も反応できるわけがない。無視だよ。無視

anond:20220627233915

京都の市政も警備警護も財界メディアもみんなお茶屋に首まで浸かってる。メディア行政も反応できるわけがない。無視だよ。無視

2022-06-27

anond:20220627170136

からでたマコトというか、あのツイート呼応するように、

お茶屋バイト未成年飲酒を口止めされていた話や、

舞妓になった子が自殺未遂してクビになった話が出てきたわけですよ。

騒げば騒ぐほど、新たな真実が出てくる。

訴訟なんて起こした日には、もっと他の闇が明らかになってお茶屋自体が終わってしまうので、裁判にはならんでしょ。

2022-05-21

ルピシアちゃんとしたお茶屋さんです

こんにちはルピシアに悪いイメージを持っている人間がいるようですが、ルピシアちゃんとしたお茶を売っているちゃんとしたお茶屋さんです。

このようなコメントルピシアをまともに利用したことがなく紅茶特に好きではない人の持ちがちな偏見典型です。

xevra ルピシアは人工香料ガンガンぶち込んだど素人向け紅茶なので紅茶好きにオススメしたら怒られるだろJK

かにルピシアと言えばイチゴピーチで着香したチャラチャラしたお茶イメージがありますが、お前らが知らないだけで硬派なお茶もたくさん売っている良いお店です。われわれ紅茶マニアも(全員が全員ではないものの)重宝しています

ルピシアちゃんとしたお茶であることを証明するために、一例としてダージリンを見てみましょう。

ダージリンマニアダージリンを買う際は次の要素を気にします。ルピシアは、マニアが気にする要素をすべて明記している数少ないお店の一つです。

 ・ダージリン割合ダージリンは偽物が多すぎる。ホンモノであったとしても数割しか入っていないブレンド茶葉が普通ルピシアにもブレンドダージリンはあるがブレンドにはブレンドと明記されている。

 ・収穫時期。ダージリンの主要な収穫時期は春夏秋の年3シーズン。時期によって味が全く違う。スーパーデパートダージリン基本的に収穫時期を明記しないが、ルピシアは一部を除いて収穫時期を明記。

 ・茶園ダージリンには90もの茶園があると言われており、茶園によって味が違う。ルピシアには複数茶園ブレンドして味を無難に仕上げたダージリンと、特定茶園100%ダージリンが両方ある。

 ・等級紅茶には茶葉の特徴を表す「等級」が付与される。ルピシアピュアダージリンには基本的等級が明記されている。

 ・ロットダージリンは収穫した日付順にロットナンバーが振られる(ダージリン以外の付加価値の低い茶葉では行われない慣習)。同じ茶園同じ等級でもロットが違えば味が違う。ルピシアは基本明記。

ルピシアは以上の情報を正確に記載している信頼できるダージリン取扱店の数少ない中の一つです。

ここでルピシア2022年摘みの春摘みダージリンラインナップを見てみましょう。

https://www.lupicia.com/shop/e/eDJF22C/

マーガレッツホープキャッスルトン、ナムリン等の手堅い有名茶園の茶葉を取り揃えながら、それほど有名ではないマニアックな茶園ラインナップにあります。これほど多くの茶園を取り扱っているお店はなかなかありません。

またマーガレッツホープ茶園紅茶だけを見ても「スプリングディライト」「ムーンライト」「FTGFOP1」と複数等級を取り揃えていることがわかります

2022年産の春摘みダージリンだけをとっても、これだけのラインナップがあるのがルピシアというお店です。

これほど多くのダージリンを取り扱っている紅茶専門店はなかなかありません。

個人的感覚になってしまますが、茶葉の品質の割に値段も適正だと思います

ルピシアガチさはダージリンに限った話ではありません。

紅茶だけでも、セイロンアッサムやニルギリ等の特定産地の旬の茶葉を数多く取り扱っている日本随一の紅茶店です。

もっとセイロンラインナップを充実させてほしいとかもっとマイナーな産地も取り扱ってほしいとか言いたいことが無いわけではありませんが、弱いところは他の茶屋で補えば良いだけの話です。

また紅茶以外のラインナップ(日本茶、ウーロン茶中国茶、ルイボス、その他ハーブティー)も非常に充実しています。(そもそもルピシア=紅茶屋、という認識がお前の勘違いで、ルピシアは全てのジャンルお茶を取り扱う総合お茶店です)

イチゴや桃の香料を使ったチャラチャラしたフレーバー茶は、ルピシア提案する多彩なお茶の楽しみ方の極一部にすぎません。

フレーバー紅茶の印象が強いのでお前はフレーバー紅茶のお店として認識してしまっていたのかもしれませんがルピシアお茶の様々な楽しみ方を提案してくれる素晴らしいお店です。

現代日本喫茶文化リードするルピシア無知や誤解で批判するのはやめましょう。

ルピシアラインナップのおすすめ商品掲示しておくので反省した方は購入しなさい。

https://www.lupicia.com/shop/g/g12421005/

ダージリン好きで知らない人は居ない有名茶園キャッスルトン」の春摘みダージリン。昨日発売されたばかりで僕はまだ買ってないけどキャッスルトンは毎年美味いから間違いないだろう。

https://www.lupicia.com/shop/g/g12421094/

キャッスルトンが高くて買えないならこれを買え。様々な茶園ダージリンブレンドしてバランスを整えた茶葉。春摘みらしいフラワリーな(花のような)香りが特長。美味い。

https://www.lupicia.com/shop/g/g12405127/

ユニオンジャックブレンド茶葉。バランスが良くて美味い。値段もダージリンよりは安い。

https://www.lupicia.com/shop/g/g12408201/

茉莉春毫。ルピシアで一番高級なジャスミン茶。全ジャスミン茶で一番うまいハゲるくらいうまい

以下のコメントをした人は反省しましょうね。玄人ぶっていてキツいですね。

cha49 ただの偏見なんだけど、ルピシアって紅茶界のラッセン的なイメージ好きな人は好きなんだろう。

xevra ルピシアは人工香料ガンガンぶち込んだど素人向け紅茶なので紅茶好きにオススメしたら怒られるだろJK

inaoxxx LUPICIAそもそも紅茶好きにはあまりウケが良くない印象があるので眉唾ものだな〜

von_walde ルピシアはなぁ、、、、

preciar はいはいステマステマルピシアは「品質は良くないけど地方にも店がある」のが特徴じゃん。本気でほめてるならよほど普段ろくなもの食ってないのでは?

2021-02-15

anond:20210215083353

大人遊郭のこと知らなさそう。お茶屋舞妓遊びで何やってると思ってるんだろう。

2020-12-23

anond:20201222221112

古くからお茶屋海苔屋は、兼業してるところが多い。

それは、製品を運搬保管するための茶箱・海苔箱が、同じサイズ構造兼用できるから都合がいいのだ。

これ豆なw(って、所さんのそこんトコロでゆってたw)

2020-04-20

中華街お茶屋さんでいろんなお茶中国式?で淹れて頂いたのは良い経験だった

2019-12-10

anond:20191210090405

あいうのの期間限定モノはハズレが多いね

特にお茶系はダメだ、お茶屋さんの茶葉をふんだんに使ったお菓子の方が美味しいに決まってる

2019-07-27

俺がインドで遭遇したトラブルを振り返る

多分に漏れ大学生の頃に量産型バックパッカーとして世界一周をしていた際、

インド北部を1ヶ月旅していたのでその時のことを振り返ってみた。

コルカタ

・到着即詐欺師に絡まれ

毎日ダルストリートに行くと同じ詐欺師がいる

ホテルが空いておらず詐欺師紹介のホテルに泊まる

詐欺師ホテルまで遊びに来る

詐欺師友人とチャイを飲みに行く

詐欺師に偽物パシミーナスカーフを売られた云々という日本人女性に絡まれ

・宝飾店に連れて行かれる

ブッダガヤ

トトロの木を見に連れて行ってくれるというインド人のバイクに乗る

・道端で話しかけられてインド人と一緒にご飯食べる

ウォッカを煽られる

電車が取れずとインド斡旋バスに乗る

バス停までは斡旋インド人のバイクで向かう

バラナシ編

定番火葬詐欺

から占い師詐欺にまんまとついていく

・ガートで手を揉まれて金をせびられる

・頭も揉まれて金をせびられる

自称インドトムクルーズに付け回される

観光に連れて行ってくれるという男にまんまとついていく

・男友人の家で朝ごはんをいただく

自分希望寺院ローカル生活を見せてもらう

・翌日の帰り際、弟が病気からという理由で3万円くれないかと打診される

トゥクトゥク目的地と全然違うホテルに連れて行かれる

・駅までトゥクトゥクに乗るものの、FIXした金額の数倍を請求される

・支払いを渋った結果、「日本人は金払いがいい。お前はケチから本当は韓国人だろ!」と言われ、すぐ近くにいた韓国人激怒する

トゥクトゥクドライバーとの値段交渉の結果、道中で怪しいお土産屋に3件連れて行かれる

・タージマハルの裏の入り口を紹介される

デリー

悪徳トゥクトゥクに声を掛けられ続ける

ジャイプール

ホテル場所を尋ねると、そんなホテルはない。うちに来い。と。

・遠くまで行きたくてトゥクトゥクドライバーを1日チャーターした結果、実家に寄ったり息子のお迎えに付き合ったりする

トゥクトゥクドライバーから毎日電話が掛かってくる

バイクに轢かれる

・明らかに封を開けた川の水を汲んできたであろう水を売られる

ジョードプル

ホテル場所を尋ねると、そんなホテルはないと…

・道に迷っていたら、弟が結婚式ハッピーなんだ。お前も一緒にお祝いしてくれないか云々…と話しかけられる

風雲たけし城の話をきっかけに、怪しいお茶屋さんに連れて行かれる

ジャイサルメールトラブルはなかったはず。


いま振り返ると完全にアウトな件がいくつもある。

よく法外な請求怪我もなく帰ってこれたな自分

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

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