はてなキーワード: 笑点とは
2023年3月、埼玉県の高校生が東日本大震災をネタにした動画をインスタグラムに投稿して問題となった。
東日本大震災のこれを見てる方、生きていてとても嬉しいです。
また死んでしまった人は、お墓で聞こえないと思うが(笑い声)ほんとに悔しいです。
ここでは、その投稿の何がいけなかったのか考えてみたい。
この動画のセリフには被災者を侮辱するようなフレーズは含まれていない。
東日本大震災の被災者を侮辱、というと私ならこのくらいのものを考える。
・行方不明者捜索という中身のない仕事。また警察がパフォーマンスだけしてる
(当時の2ちゃんねるのスレタイは不謹慎ネタが好きな私ですらドン引きした。さすがにあれは規制してもいいと思う)
六代目三遊亭圓楽氏(あ、こっちも死んでた)はよく人の死をネタにしていた。例えば
これだけでも特定個人を侮辱する内容だ。それ以外にも、IKKOのマネで
・火葬場。「半焼け~」
なぜこいつらだけ笑って許されるのか。
被災者を侮辱するフレーズはなかったとしても、笑っていたことが自称正義マンの癇に障ったのかもしれない。
だとすると、終始神妙な顔持ちで上記を言えばいいのか。
最後のフレーズ「ザーメン」、要するに「アーメン」をもじったものがいけなかったのだろうか。
だとしたら、せめて「ラーメン」か、その部分をカットすればよかったのだろうか。
色々原因を考えてみたが、なにがいけないのかがわからなかった。
つーか、非難している人に何人東日本大震災の被災者がいるんだよ。
被災者の気持ちとかいうけど、どれだけ正確に気持ちを読み取っているんでしょうかね。読み取ったふりをしていい気になっているだけではないのか?
日頃のストレスがあるから正義の味方になったふりをして叩きやすい対象を叩いてるだけでしょ?
もしそれが侮辱だと思うなら、裁判所に開示請求及び損害賠償請求すべきです。裁判を受ける権利は誰にでも保障されています。
法律で規制すべきと考える場合も同様、早くアクションを起こすべきです。
ちなみに、いくら正義のつもりでも個人を叩きすぎると、逆にあなたが侮辱罪や名誉毀損罪にあたり、刑事罰や民事上の責任が発生します。
父親、70代前半。
元々障害(軽いと言えば軽い)あったり、脳梗塞かなんかでちょい体動かしにくくなったから元増田のとことどっこいどっこいかな。
定年後もめちゃくちゃ元気だったけど、入院した後、飲酒とDVD鑑賞の毎日。加えて去年一昨年と立て続けに父親母親亡くして一気に老け込んだ。
すごくキレっぱやかったけど、なんか感謝とか労い聞いたこともない言葉を口にするようになったり人の心っぽいものを手に入れた(フリはできるようになった)
元々人の気持ちがわからない人間で相談と🦀は乗ってくれないし相談しようとも思わないけど(他の兄弟も同じ気持ちだったり心配かけたくないとかで相談とかしない)
多少の友達が残ってて、月に2~3回は父と遊んでくれている。
加えて町内会みたいなの(田舎なので)があってそれだけはなんとか出席してる。
王様、独裁者タイプだけど、お金は持ってて人に振る舞うのが好きなので仲良くしてくれる人が残っている。実は寂しがりなんだろうし。
お酒を買っておくとほんとに出かけなくなるので、酒は自分で買いに行ってもらってる。
近所のコンビニだと4~5本ぐらいが限界。カート使えるディスカウント店とかで箱買いしてちまちま運び込んでたりしてる。
衝突回避システムを信じてるよ。ちょいちょいぶつけるので、本人も自覚あるのと、朝から酒飲んでるので、乗るのは月に2~3回に激減した
晩飯は週に5日か6日、都合悪い時以外は作ってて、都合悪い日の前日はカレーとか作りおいてたけど、色々面倒になってたまにしか作らなくなった。自分の分のお米炊いたりはしてるけど
食が細いので、2~3回に分けて食べてる。あとはカップラメーンminiとかふりかけごはんとか
冷食とかあったら勝手に食べてる
昔切れ散らかしてたのがウソのように丸くなった。
相撲と笑点はわざわざテレビのある部屋に来てリアタイで見てる。あと前シーズンの朝ドラと。今のは見てないっぽい。
あと、新しい番組とかついていけてないようで、昔から何度も見てる映画とかのDVDを繰り返し見てる。
幸いにして家が広いので、父の部屋の近くまで行かないとその音は聞こえないけど、いつも同じBGMが流れててちょっと引く。
かまちょだったのが、孫の遊んでる姿を優しく見守って、独り言行って、眠くなったら自室に引っ込んでとか、なんか優しくなっとる。落ち着いた
私が結構ドライな性格で、面倒だったら見捨てるオーラをぷんぷん出しながら色々してたから、人が変わったようで、近所のおばさんとかに私に見捨てられたら生きていけないとか漏らしてるみたい。冗談だろうけど
ごめんね、見捨てるよ
まだ体動いて判断力あるうちに、入れるところ探してね
徒歩5分とかでしんどいとかいうので、ほんとにお酒とか買いに行くのがリハビリというか最終防衛線になってる。
そういえば、うちに出入りしてた酒屋さんとか近所の雑貨店の人が、似たような年代で独り身の男性がことあるごとに色々頼んできて、ほっておくわけにもいかないって愚痴ってたなぁ。
感謝も薄いというか、ありがとうが言えない、表現できない、そろそろ限界だなーって。
民生委員さんとかかな~て思った。それかお寺か。
あと、自分で飼い始めたお犬様なのに全然世話しない。(おばあちゃんの役目から私に自然と引き継がれた)
ひなたぼっこしながら縁側で庭のわんこに餌あげたりするのは増えた。
わたしひとりで全部背負おうとして去年は私が折れかけてた
私がこんな性格なのと、母とはとっくに離別してるのと、ご近所さんとかの付き合いが残る古い地域なのがまだ最悪の方向に行ってない要因だと思いました
2013年6月28日付けの毎日新聞夕刊の山田隆夫のインタビュー記事に驚くべきことが
書かれていたので記しておきたい。「1985年8月12日。その日の夕方、笑点メンバーは
徳島に向かうため羽田空港にいた。悪天候で予約便を大阪行きのJAL123便に変更しよう
としていた時、林家こん平師匠が『予定の飛行機で行こうよ』と切り出した。123便に乗って
いた坂本(九)さんは星になり、山田さんは命をつないだ」。当時の笑点メンバーと坂本との
交流に関して具体的な言及はないのであるが、つまりは、こん平師匠の一言が無ければ、
日本航空123便墜落事故で笑点メンバー全員が亡くなっていたところだったのである。
https://blog.goo.ne.jp/tama-4649/e/7a27c0c12c3a02f01c3e5be9bd3b5e89
結構好きでよく見てるんだけど、ラヴィットにはお約束がかなり存在すると思った。各々が固定化されたキャラを全うする感じ。相席スタート山添、見取り図森山、ギャル曽根、丸山と本並、誰を思い浮かべてもラヴィットにおける振る舞いがパッと思いつく。
同じような仕組みは笑点でも見られ(俺はちょっと昔のしか知らないけど)、圓楽が歌丸をじじい扱いする等笑点には大量のテンプレが存在してそれが繰り返されるたびに、観客や視聴者も笑うという形でテンプレで返すみたいな。
同じですよねコレ。両者とも和を意識することが非常に大切で、輪の中に入れてもらうことでその番組に馴染むことができる。ラヴィット"ファミリー"とか言っちゃってんのはこのことを示してる。
というようなことを、以前ウエストランド井口がゲスト出演した際、あらゆることに噛み付きまくってとんでもない雰囲気にしていたときに考えた。ラヴィットは芸人がのびのびやれる場所というよりかはそれ自体が一つの共同体として存在しているのだ。
お決まりのキャラクターが、毎回テーマに従ってワイワイやっているのを眺める。
大きな起伏も急な展開もないが、のんびり見ていられる。
ここ一年で笑点が大きく変わったのは、円楽が入院を繰り返すようになって以来、ゲストが週替わり(最初の方は収録の都合で2週ごとだったが)が参加するようになったことだ。
以前は新メンバーの発表すらもったいぶって数か月かけていたが、はっきり言って普段から落語を見ている人でなければ誰が出てきてもどんな人なのか、どれくらいすごい人なのかよくわからないし、予想も別に楽しくなかった。
ゲスト制になってから、良い意味で敷居が大きく下がっていて、若手(といってもそれなりのキャリアと年齢なのだが)や上方(関西圏)の噺家まで出演するようになった。
若手の枠での出演だったが、春風亭ぴっかり改め春風亭桃花は(女子アナ大喜利のような企画を除いて)初の女性大喜利メンバーとなったし、いろいろあった立川流のメンバーもゲストとして何度か参加している。
(※これは当然円楽の入院に伴う(復帰を前提とした)一時的な措置だったので、今後このシステムがいつまで続くかはわからない。
前回と前々回が王楽(三遊亭好楽の息子)→当代林家木久蔵(木久扇の息子)と、少々ネタ切れを感じさせる人選だったので、年明けにはレギュラーの新メンバーを入れるかもしれない。)
ゲストとはいえ毎回簡単な説明ぐらいはされるし、芸歴の長い者同士で初めてのぎこちなさなどもないが、新鮮味はあるので、以前より大喜利が楽しみになってきている。
また、三平がメンバーから抜けて桂宮治が加入したすぐあとというのもタイミングが良かった。
宮治は底抜けに明るいキャラクターであり一番の若手、真打になったばかりということで、レギュラーメンバーだけでなくゲストにとっても非常にいじりやすいポジションの人間だ。
そして、主観だが、ゲスト制になってから真ん中の席にいる林家たい平が明らかに「全体の回し役」の立場になることが増えたように感じる。
昇太のミスを拾い、木久扇や好楽のボケを拾い、笑えるように全体を盛り上げている。
日常四コマ漫画のような番組だが、落語家には卒業年度がないので、いつまでもあのメンツの掛け合いが見られる。
長く続くわけである。
ぜひ見てほしい。
うんこしてトイレから出てきたら、テレビの画面が真っ暗で音しか出てない。
電源を入れ直すと、一瞬だけ画面が映るがすぐ消える。
よく見るとうっすらと画像は見えてる。
バックライトが逝ったらしい。
昼くらいのことだ。
バックライトの一部がいかれると、保護回路が働いて全部とまるみたいだ。
電源の入り切りの繰り返しや、コンセントを抜いての放電頼みもダメみたい。
基盤のはんだ付けのクラックとかもあるらしいから、交換以外で自力で直している人もいるようなのだけれど、このテレビは中村俊輔がワールドカップメンバーに選ばれたときに買ったやつ。
もう16年選手だから、LED かコンデンサが逝ったと考えるのが妥当だろう。
「修理」は気になるところだけれども、ハンダを盛った程度では直らないだろうとは見当がついている。
のんびりやってると、録画をロストする。
14時くらいに嫁が帰宅。
こういうときの嫁は話が早くて助かる。
まあ、いっぱいあって分からんのだわな。
節電要請とかで半分くらいは電源が入っていないのだけれど、大きさ以外に視野角とか発色なんかで値段が違うのは理解した。
今まで 2m くらいの距離で見ていたので、それほどでかいのは要らんというか大き過ぎると困る。
逝かれたのが 32inch なのだけれど、それに近いサイズだと選択肢があまりない。
うろうろしてると店員が寄ってくるわな。
展示の際に点けっぱなしなので、確実に製品寿命を削ってる。冷蔵庫なんかとは違うのだと。
結局、購入したのは FUNAIブランドの有機EL の 48inch。
有機EL の中では安いし、それほど大きな画面の必要性は感じてなかったので、在庫があるなら持ち帰りで、とオーダ。
ひとつだけあったので即決。
テレビは配線の末端だから、それほど苦労はしないだろうと思っていたのだけれど、つないで電源入れて、最初に出てきたのは Google アカウントの入力。
Android TV なのかよ。
これ、iPhone 使いで家に WiFi ありませんとかだと詰むだろう。
古いテレビを販売店に持ち込んで引き取ってもらい、5,000円くらい。
なんか疲れたので晩飯は鍋にしようと、あらためて買い物に行って、帰ってから初めての番組は笑点。
風呂に入って飯を食って、まだ画面の大きさに慣れてないけどベルセルクの録画みてちょっときれいかなとかおもってたりするのが今。
いまどきのテレビって、Android TV が多いんだなあ。
FUNAI が、じゃあないんだ。
この 6年で、二回くらいテレビの設置をやったけど、B-CAS カードを突っ込んでチャンネルのスキャンをしたら終了だったので、想像すらもしてなかったよ。
Google アカウントを持ってなくてもセットアップは続けられたのかもしれないなあ。
OS のサポートって続くんだろうか。Google だからなあ...
YouTube で変なの見てなくて良かった。
履歴が見えちゃうのは気持ち悪いので、あとでアカウントを変えておこう。
前の REGZA が、購入後の数ヶ月で二回くらい修理に出したんだったか。
問題がある機種だったらしいのはあるけれど、最近の AV 系って壊れるのが早すぎるからなあ。
いまどきのって、音声出力に RCAプラグでの L/R ってないのね。
スピーカー使えん。
機種が変わると読めなくなっちゃうのはどうにかして欲しいところ。
無線で画面を飛ばせるくらいできるはず。
倫理観が終わってるから訃報を見てすぐ伊集院光さんのツイッターを見に行ってしまった。
三遊亭円楽さん。
あのタイミングで脳梗塞で倒れたのは本当に最後の最後で運がなかったというか、何もなければ師匠の先代圓楽とその世代の噺家たちの負の遺産である四団体並列の解消……というか円楽一門会と立川流の落語協会復帰を成し遂げて、将来的な落協と芸協の統一にもめどをつけられたのに、と思うと無念だろうなと思いますね。
元々、円楽一門の協会離脱は、当時の落協会長の小さんがおこなった理事会制度の整備などの改革や真打昇進人事を巡って、前会長だった圓生が自分に話を通してない、メンツを潰されたとブチ切れていたのを利用して、かねてから新団体の設立を目論み野心満々の若手幹部だった圓楽と談志が大物の圓生を焚きつけて離反させたってのが内幕で、その圓生が離脱1年後の79年にあっさり心筋梗塞で死んじゃったのと、圓楽と談志が新団体での地位を巡って仲たがいしてそれぞれ円楽一門会と立川流を作る形で離別したことで「落協・芸協と五分の新団体を作る」という当初の目論見は完全に失敗したまま今日に至るんだけど。
当代円楽は、先代が亡くなって襲名して以来、四団体の統一に向けてずっと動いてたわけですよ。それは彼が談志と歌丸に可愛がられていて、立川流と芸協(そもそも歌丸―小遊三―昇太と笑点一派の力が強い)の双方に影響力を発揮できる立場だと自覚していたからで、三遊派本流で先代圓楽と対立していた円丈・円窓(いずれも圓生の弟子で圓楽の弟弟子に当たり落協所属)に接近して「三遊落語まつり」を共催するなど関係強化を務めたり、芸協に客分として加入して寄席に出たりと外堀を埋め続けてたんですね。
その総決算となるはずだったのが円楽の七代圓生襲名で、つまりすべての元凶である圓生の名を継いで、その名前で円楽一門会の落協復帰もしくは芸協加入を宣言し、分裂を解消することが目的だったわけです。やっぱり序列のメンツの世界だから、「圓生が始めたことは圓生としてケリをつける」って建前が必要だったんでしょう。
「圓生」の名は先代圓楽の時代には政争の具にされて、圓楽が自分の弟子の鳳楽に圓生を継がせようとしたのに円丈と円窓が反発して、それぞれ圓生襲名に名乗りを上げるという異常事態が起こったことで留め名になってたんだけど、円丈と円窓の許諾を得るかその死を待って円楽が圓生を継げば、その禍根も水に流せる……って目論見だったんでしょうね。
で、円丈師が亡くなったのが去年の11月、円窓師はつい先日、9月15日に亡くなったから、何もなく健康だったらば上記のプランはつつがなく進められ、来年にはスムーズに圓生になれてたはずなんですよね。