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2023-07-22

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(後編)

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(前編)

名称概要
1531年享禄・天文の乱浄土真宗本願寺派権力闘争である享禄の錯乱管領細川晴元一向一揆を利用したら暴走してしまったので本願寺を討伐した天文錯乱
1532年北部九州天文の乱大内氏大友氏が北九州を巡って抗争を行うなかで、大内義隆大友氏の支援を受けた少弐氏を滅ぼし、豊前筑前肥前を平定した。
1533年稲村の変安房里見当主里見義豊が、叔父里見実堯を誅殺したところ、その息子の里見義堯が謀反を起こして義豊を殺し、自らが当主となった。
1536年花倉の乱駿河守護今川氏輝と弟・彦五郎が急死、その他の弟で出家していた玄広恵探栴岳承芳が後継を争った。栴岳承芳勝利今川義元を名乗った。
1537年河東の乱北条氏今川氏は長く同盟を結んでいたが、今川氏武田氏と手を結んだため、武田氏と争っていた北条氏今川領に攻め込み河東地域占領した。
1542年天文の乱伊達当主・稙宗とその息子・晴宗の内紛。婚姻外交が進んでいた奥州を二分する大乱に発展した。最終的に晴宗が当主となったが伊達氏は衰退した。
1550年二階崩れの変豊後大名大友氏において、嫡男の義鎮を支持する勢力が、当主の義鑑と三男の塩市丸を襲撃して殺害した。事件後に義鎮が当主となった。
1551年大寧寺の変周防大名大内義隆に対して、家臣の陶晴賢が謀反、義隆は自害に追い込まれた。後継は大友から迎えられ、陶晴賢が実権を握った。
1565年永禄の変畿内勢力を誇る三好氏が、将軍足利義輝を襲撃して殺害した。その後、将軍の後継争いから、三好氏の内紛へと発展していった。
1568年本庄繁長の乱越後上杉家臣・本庄繁長が上杉謙信に対して反乱を起こした。繁長がよく戦い、謙信被害も大きかったので、繁長は降伏して帰参を許された。
1569年本圀寺の変本圀寺にいた将軍足利義昭三好三人衆が襲撃した。幕府軍がよく守るあいだに畿内織田方の勢力が救援に駆けつけたため、三好三人衆は敗れた。
1569年大内輝弘の乱九州に侵攻した毛利氏の後方撹乱を狙った大友氏が、大内氏再興を目指す大内輝弘を周防挙兵させた。毛利元就九州侵攻を諦めて引き返し鎮圧した。
1570年元亀の変伊達晴宗と伊達輝宗の父子が対立するなかで、晴宗に重用されていた中野宗時が謀反の疑いをかけられ、中野一族粛清追放された。
1574年天正最上の乱出羽最上氏の当主となった最上義光と、その父・義守が対立し、伊達氏が義守に味方して内乱となった。最終的に義光有利で和睦した。
1576年三瀬の変伊勢北畠氏は織田氏に降伏し、織田信雄を養子に迎えて家督を譲っていたが、その後も叛意が残っているとされ、そのため北畠一族粛清された。
1578年御館の乱上杉謙信の死後、その甥の景勝と、北条氏から迎えた景虎という、謙信養子二人で後継争いがあり、武田氏を味方につけた景勝が勝利した。
1578年天正伊賀の乱伊勢を掌握した織田信雄が続いて伊賀に攻め込んだが敗退、数年後に織田氏はあらためて大軍で侵攻し、伊賀を平定した。
1582本能寺の変織田家臣・明智光秀が謀反を起こし、本能寺宿泊していた主君織田信長を襲撃した。信長自害した。
1582天正壬午の乱織田信長の死去により武田旧領から織田軍が撤退し、空白地帯となった武田旧領を巡って徳川北条上杉が三つ巴で争った。
1585年粟ノ巣の変伊達氏に降伏した畠山義継が、前当主伊達輝宗を拉致した。追いかけた伊達軍により、輝宗ともども義継は討ち果たされた。
1591年九戸政実の乱南部晴政の死去に起因する後継争いか南部家臣・九戸政実が反乱を起こした。南部当主・信直は豊臣秀吉に救援を求め、諸大名軍により平定された。
1599年庄内の乱島津忠恒重臣伊集院忠棟を誅殺した。伊集院氏は籠城して徹底抗戦したが、秀吉死後に実権を握った徳川家康の調停により、最終的に降伏した。
1637年島原の乱島原天草苛政に耐えかねた領民が、旧領主に仕えていた浪人たちを中心として一揆を起こした。一揆勢は籠城して戦ったが、幕府軍鎮圧された。
1651年慶安の変軍学者由比正雪が、教え子の浪人たちと共に、幕府転覆計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。由比正雪自決した。
1652年承応の変軍学者の別木庄左衛門が、仲間の浪人たちと共に、幕府転覆計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。別木庄左衛門は磔にされた。
1837年大塩平八郎の乱腐敗した大坂町奉行所や、飢饉でも米を買い占める豪商失望した元・町与力大塩平八郎らが決起し、豪商などを襲撃した。半日鎮圧された。
1837年生田万の乱国学者生田万が、大塩平八郎の乱に感化され、仲間とともに越後桑名藩陣屋を襲撃したが、長岡藩によって鎮圧された。
1860年桜田門外の変攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、安政の大獄引き起こし水戸藩を圧迫していた開国派の大老井伊直弼を襲撃し、暗殺した。
1862年坂下門外の変攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、公武合体推し進めていた開国派の老中安藤信正を襲撃し、負傷させた。
1863年朔平門外の変破約攘夷派の公家代表格であった姉小路公知暗殺され、薩摩藩田中新兵衛逮捕されたが、新兵衛が自害したため真相不明
1863年天誅組の変尊攘派公家による倒幕計画に基づき、尊攘派の「天誅組」が大和国挙兵したが、幕府鎮圧された。同時に京では政変があり尊攘派公家が失脚した。
1863年生野の変長州支援を受けた尊攘派浪士らが、天誅組と同様に但馬国挙兵をしたが、幕府鎮圧された。
1864年天狗党の乱水戸藩内の尊攘過激派天狗党」が急進的な攘夷を求めて筑波山挙兵したが、幕府鎮圧された。この内乱により水戸藩の影響力は低下した。
1864年禁門の変前年の政変により京から追放されていた長州藩が、復権を目指して京で挙兵会津藩薩摩藩らと戦ったが敗れた。これにより長州征伐が決まった。
1874年喰違の変征韓論で失脚した不平士族たちが、征韓反対派の右大臣岩倉具視を恨みに思い襲撃、負傷させた。下手人らはすぐに逮捕され処刑された。
1874年佐賀の乱征韓論で失脚した江藤新平らが中心となって不平士族佐賀県挙兵したが、政府軍により鎮圧された。
1876年神風連の乱熊本県の不平士族が結成した「敬神党」が廃刀令への反発から挙兵したが、政府熊本鎮台軍により鎮圧された。
1876年秋月の乱神風連の乱呼応して、福岡県で不平士族挙兵したが、政府小倉鎮台軍により鎮圧された。
1876年萩の乱神風連の乱呼応して、山口県で不平士族挙兵したが、政府広島鎮台軍により鎮圧された。
1877年福岡の変西南戦争呼応して、福岡県で不平士族挙兵したが、福岡城に残っていた政府軍などに鎮圧された。
1878年紀尾井坂の変石川県の不平士族たちが、内務卿・大久保利通を襲撃、暗殺した。下手人らは自首し、処刑された。

Wikipediaで立項されているものだけまとめた。「〜の変」「〜の乱」という別称があっても、その呼称で立項されていなければ除外している)

明確な定義は決まっていないという前提で、だいたい以下のような基準だと思う。

〜の変:大きな戦闘を伴わない政変。謀反・暗殺粛清・失脚など。権力上下関係ない。成功たか失敗したか関係ない。

〜の乱:大きな戦闘を伴う内乱。反乱・暴動後継者争いなど。国家同士の戦争を指すことはほぼ無い。成功たか失敗したか関係ない。

こういった呼称は「絶対にいずれかに統一しなければならない」というものではないので、「これって乱というより変じゃね?」と思うような事件は、だいたい「変」「乱」どちらで呼んでも通じたりする。たとえば蘇我氏物部氏の戦いである「丁未の乱」は他に「丁未の変」や「丁未の役」とも呼ばれる。将軍足利義教暗殺された事件は、その暗殺の部分だけを見れば「嘉吉の変」と呼ばれ、その後の赤松討伐戦も含めれば「嘉吉の乱」と呼ばれる。

あとついでに。

〜の役:大規模な軍役。必然的辺境への遠征対外戦争が多い(がそれに限らない)。例として前九年の役後三年の役富山の役・文禄の役慶長の役など。

〜の陣:長期間の在陣。遠征戦線の膠着・包囲戦など。例として鈎の陣・志賀の陣・天正の陣・大坂の陣など。

という感じだと思う。「役」と「陣」はなんとなく互換性があり、「小田原の役・小田原の陣」「朝鮮の役・朝鮮の陣」「大坂の役・大坂の陣」などはどちらも用いられる。

2023-06-03

anond:20230603104056

もしかしてナベが批判されてると思った?

違うよ!

将棋ファンはみんなナベのことが最低限好きだよ!

だって強いんだもん!

実績すごいし。

悪どいことをするトップ棋士なんて珍しくないし、誰も批判してない。

強い棋士は強い時点で尊敬に値するよ!

ナベはただ、事実として、タイトル戦の対局拒否という、将棋ファンにとって犯罪よりも酷い、将棋史に残る大悪行をやっただけ!

陣屋事件は半世紀の間、将棋界のミステリーと言われたんだよ!

陣屋事件より圧倒的に酷いことをしたナベなのに、ナベ尊敬増田はそのことに触れないから、ブコメ注釈しただけだよ。

でも繰り返すけど、みんなナベのことは最低限好きだよ!

大悪行と言っても所詮将棋界の中での話だし。

当事者間で和解は成立したし(ナベみうみう間の和解曖昧だけど)。

永世称号二つも持ってるし。

羽生と対等にやり合ったし。

惜しむらくは!

実績で羽生に追いつけなかったことだね!

あと永世名人目指してほしいな!

三浦冤罪事件は重すぎて、気軽に話題にできない感じあるよね!

そのうち陣屋事件みたいに、歴史的事実としめカジュアル話題にできるようになるといいな!

あと、ソフト感覚をいち早く取り入れたみうみうとナベのタイトル戦見たかったな!

2022-10-31

俺のメモ帳を一挙大公開

見聞きした言葉でこれ使えるなと思ったのを日々notepad.exeで追加してる。

たとえば丁々発止なんて言葉fanzaあたりで検索するとエロいのが出る雰囲気を俺は感じるのでそういうのを記録している。

あるいは「小力(こぢから)」みたいな言葉はあまり使われていないように感じるが、ただでさえそんな言葉がもし漫画で使われているとしたら、その言葉が含まれるその紹介文の該当箇所はどういうことを言ったものなのだろう、そしてそれはどういう漫画だろう、ということが気になるので、そういう言葉も集めてる。この場合たとえば最近も「大串」と調べたら、「巨大串」という形で使われていたという意外な発見もあて面白い

以下リスト(原文の改行はコンマに置換してある)はじめの方は単語じゃなく文のようになってる関係なさそうなのもある。

ディスガイア萌えアニメtwitter,塩辛履歴dlsite,太陽の塔全身タイツ着ぐるみtwitter,↑マスクかぶ(被)/つけ、仮面,丁々発止dlfanza,bike shorts2=8,おこや,マリーインボスカヤ イボンスカヤ,twitter肉まん東方dlサイトsite,エロ漫画スレsaucenao,つるみく(似てるユーザのF5から),ブックマークgamekemono,・パチパラ,81475783,調布fitnessマイバスケット,dicl big musclar,筋肉 皮モノ/物,nsfwポイピクサムネ表示,・土方つなぎ,・野田総理追悼演説全文,肉じゅばん,,ミリム 転 丸呑み,漫画家イエナガ アニメ化ベクトー,/g/ shingekiとか雑誌,軒猿,kemono精液,,モブコント,essensial pack,早押しクイズ appstore,八島さんが堕ちるまでfanza全頭・1967357latex貧乳,全身ラバー、全身をラバー、全身がラバーラバーで全身、ラバーに全身,マネキン人形化,シーメール化びんたま見てから,剣手2183114 scilence,masked face anthology kigurumi latex bodysuit bondage(bdsm),船,saimin 嵌ってる,hotmilk 3、6,smell,,pixivブクマ数500ぐらいの,股ぐら柱の背比べ,skebからpixiv登録してない奴のツイッター,chanrio,夜更かし股蒸れ,,,misakuraミーツ,藍,,男体化/改造手術,ftm/手術性転換←むしろから,クリ(陰核)尿道(尿管)/手術改造,尿道(尿管)開通延長[伸ば/伸び],クリに尿道/尿道クリ[繋いで/繋ぎ五段活用],シーメールカントボーイふたなり化男体化改造,人形リョナdid,スキューバどざえもん,人中/顔射、精,膣閉鎖まん肉陰唇恥丘ぷにまん/縫,ピエロ肥満膨体強制,・毛穴/ワックス剃毛,,魔法少女 魔女っ娘 猿(の格好) ボディースーツ 全身タイツ 着ぐるみ もじもじくん,ラブドールダッチタイツぐるみ,ファザコン,産卵,股裂,変態洗脳戦闘員痴女,のっぺらぼう化改造 ,club cinq,少年エース,中に無いもの掛け合わせに使うの歓迎,同人はきりがないし検索から外す,さすがの知名度ガキはここに,変身まちかど,めがね魅了ほのおき,シチュとしてもし例外多くなったら定義を変える,site:thebase.in,,オフロードスター壱號,ただのノァ,,シールブックたまごっちパワパフサウスパークリトルポニーアメリカは,少女漫画がなくて存在していたと思えるかで決まるサクラ大戦きしだめるアルルまで,・資格受験を控えてるからとはわざわざコンビニでは雑誌のほうを見ないようにしてる,つまりちょっとでも目に入ったら調べずにはいられなくなることを恐れてのことだがそんな些細なことでも反応せずにはいられないほどそれはつまりそれほどまで二次元に対して熱意を持っている,・二次元オナニーしてそのパンツを洗わない,,253 名前名無し象は鼻がウナギだ! 2022/04/14(木) 20:45:17.21 0,"スタッフで美味しく" 約 2,310,000 件,"スタッフが美味しく" 約 470,000 件,"スタッフに美味しく" 約 69,900 件,,"スタッフでおいしく" 約 178,000 件,"スタッフがおいしく" 約 241,000 件,"スタッフにおいしく" 約 31,000 件,,ポッキー半分がスタッフにおいしくいただかれた状態でやってくる,,480名無しさん@どーでもいいことだが。 (アウアウウー Sabb-AI/Q)2022/04/12(火) 23:58:04.54ID:WiTaAD0Va>>482,>>478,やべーぞレイプだは無頼男、クンニしろオラァはエデンの檻、パコさんはパジャマ彼女,,青少年ショッキングな性暴力を見せることの良し悪しと、現実フィクション混同は別問題でしょ,リアルからじゃなく、例えばこれが非現実的な触手で腹ボコ異種姦とかでも同じようになったと思うぞ,,子供が真似する云々は親の躾の問題じゃないかねえ,プロレス技とか真似して大怪我みたいな事件もあるからなんとも言い難いが,,国情報見方がよくわからないんだよな,たとえば相場の欄があるが商人のとこで見れるから二度手間じゃないかと思う,最近まで見る価値一切無いとさえ思ってたが在庫の欄は一度に商人取引できる量と関係あるということでそこだけ見るようにはなった,他に国情報について見方というかこういう数値だったらこういう行動をとればいいみたいな指針を立てるみたいな活用法的なものはあるだろうか?,,https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/gengo/1630676954/871,にある旧おじに対してお前らが上という考え,これは正しいと思う,しかし俺に対してお前らの立場が上だと思ってるのなら図に乗るなという感じだな,俺は客観普遍科学方法論を説いてるだけ,それはお前が理解しようがしまいが揺らぐようなものでもないのにも関わらず、生暖かい目でお前らが理解するのを待ってやってるだけだ,そういうわけでどう考えても俺が上,,[1;31mhitomi: An unexpected error occurred: AttributeError - 'NoneType' object,has no attribute 'startswith'. Please run gallery-dl again with the --verbose fl,ag, copy its output and report this issue on https://github.com/mikf/gallery-dl/,issues .[0m,,西側,東側,東西,冷戦,俳句,俳諧,句会,句集,詩集,諜報,間諜,苦界,刺繍,正の字,着ぐるみ,器具罪,ガーターベルト,楽器 琴,琴,大正琴,アルトサックス,無心,医院,傀儡,sdカード,給湯,急騰,エフェクト,物置,精錬,屋台骨,こしひかり,陣屋,臨時,創業,一膳 膳,七味,目の色が変わ(を変え),辛子,鉄山,格式,そっか,品種,・肉厚,肉薄,アホ毛,食い逃げ,なん(何)のこれ(しき),オリジナリティ,不憫,秋晴,習性,お家芸,旧い,旧党,無理数,あおひげ,物見高,横断,黄疸,痰壺,横臥,サロン男性向け,オジキソウ,物産,琥珀,タペタム,産界,一本締め,縄会,鍵盤ハーモニカ,(届いた)ビデオテープ,カロリン,棟上,子煩悩,握力,筋トレ,郵,踏破,鉄の足,旅慣れ,古武術,オドリコソウ,負荷,フカヒレ,整髪,社交ダンス ,閣下,モスク,聖地,遊学,遊楽,幽学,魚拓,ジェラート,(えら)骨,すんごい,まっいっか、まっいいか、まいいか、まいっか,カステラ,アイヤッパン,先取り,考古(歴史) 修復,口訣,養蚕,医院,きよみず,制限,周辺,よそよそし,カチューシャ,・蒔絵,机上の空論,机上,鋳造,殺(戮)兵器,留守番,留守居,襦袢,えるゴミ,溶鉱,倫理,呵責,反知性,高踏,互市,ビーフン,観戦,波消し,パンチが強い,アンダーグラウンド,アングラ,海賊版,平坦,ドメイン,ドレイン,根絶,歯車,海中,海底,改訂,関係機関,修正作業,年末調整,(是見)よがし,おんしょく(音色)renta,バンドサウンド,自己流,パワーコード,音のぶつかり,さしもの,水(みず)反射スカートパン下着,手鏡,禁門,金紋,礎と,可塑,門人,外貨,説諭,戦略,序曲,おなかトントン,終曲,サイコロ,コッペパン,アクアパッツァ,吐息,揚げパン,邪魔,カルエル,バズーカ,収穫祭,・炭鉱,切手小切手,図鑑,辞典,事典,揺籃,ショートカット,ガトー,ビュッフェ,法律上,巧妙,創作物創作,寺子屋、寺子,寺古,じゃらん,無責任,若女将女将,よいではないかrenta,節操,奥行き,野沢菜,塩梅,ボケボケ,カフェセレブ,暗示,ふりふり,穏便,使い魔,(にこにこえがお)renta,胴衣,同位体,電動マッサージ、電マ,軽便,(マグロ),表面積,受熱,副虹,ソレイユ,変面,変顔,プリクラ,アカデミ,変心,スイギュウ,エンパシー,個室,霊地,ネカフェ,(吊り橋),・マート,へにょり,出来るような気,結構な,ガードレール,マンホール,群生,開帳,朱印,良妻賢母,ミルフィーユ,(踏切),歩道橋,バス停,停留,ババロア,(食い込),コットン,オーガニック,ネイリスト,メイク崩れ,いたがゆ,オッズ,レバレッジ,助詞,金貨,言語学,文法,命運,概論,練習試合,ワセリン,コランダム,夜のしじま(静寂),ハウスマスター,モノクル,即席家族,収拾,あてられ(た),実直,教導,労をねぎら,見取り図,高砂,ガンマン,ピストル,ベースキャンプ,祭りのあと,あまじょっぱ,きくらげ,親分肌,姉御肌,出囃子,はみご,(あしからず),オープン,最後入院,テレビ 企画,伏魔殿,クリーンヒット,無神経,信頼関係,夫(妻)の理解,カミングアウト,メンタル(ヘルス),有機(の),デバフ,勝たん,徒歩(かち),八重歯,考えがある,持ち合わせ,視聴者(fanza),ざるをえ(得),所狭し,急成長,タイトルホルダー,見込み,見切り発車,滑り止め,皆様,お目汚し,シツレー,これにて,ラバー フェチ,タイムライン,原価,パン粉,ターニング,ベーグル,マフィン,スラット,スナッフ,カリカリ,急成長,(樽),ぷつっと,くさびを打,ヒーラー 悪役,打ち首,ぶつ切り,スパット,ドルチェ,カルティエ,ブルガリ,スムージー,週末,郷(さと),ひさご,ナメル,目出し帽,ドリップ,ドーリィ,御役御免,ケーブルカー,容体,陰性,東京進出,縮こま,交信,消臭,認識機能,まん毛,クリプト,テンガロン,嗅ぎ付,切り通し,渡り鳥,カヤック,リンクル,美貌,魔盾,もっこり,スカル,翡翠,デイジー,冷え性,痛車,(みずみずし),裏日本,いぶった,連れション,立ちション,しみしみ,ヴィヴァーチェ,立食,コールスロー,カシミール,コンチネンタル,道連れ,アロス,笑撃,安直,腰溜め,土壌,音楽シーン,血 ぴゅー,カルドゥッチ,ナリシング,ごにょごにょ,ごみごみょ,改正,初稿,強直,包囲(男性向け),(真っ只中),厚み,ロコモコ,アヒポキ,ホクホク,(葦簀),西日,放屁,むぐって/た,直売,ひさが笑,チェーマン,エトランゼ,マニ(教),ご意思,あからさま,心躍,こなれる/て,究極の歌姫,タイアップ,引きも切ら,ふーふー,猫舌,微動,デーツ,かしこぶ,篭手,かすり傷,爪楊枝,シンセサイザ,児童文学,ボーカロイド,直帰,急務,まっしぐら,家系図,秋の機械,バインバイン,コンバイン,モータウン,腐心,揺籃,ガラス張り,膣トレ,ナイトクラブ,ポールダンス,げんなり,経血,フェムゾーン,突破,ロイター板,舗装,懊悩,除霊,徐行,逃げ道,黙殺,・リーキ,どうらら,大喜利,レール,リニア,値札,上臈,キッチンカー,顆粒 ,なで肩,スプリング,トレパク,パクり,ひょっこり,重工,校歌,生まれてくる,ドリフ,審査,新芽,隠し部屋,丸刈り,ラブソング,泡切れ,虎の子,キックスケーター,敢行,野宿,エルドラド,段々畑,自他(とも),プレス機,加工物,ホッピー,もそろ,(飴)色,デミグラス,グレービー,グレープ,野火,スタンプ(ラリー),ラリー,崚,いってきます,社会勉強,蕗の薹,問屋,イントロ,ティーナ,出向(い),魂魄,(部)外秘,サルベージ,健康骨,腐葉土,遺留,慰留,二人三脚,かかと落とし,安食,パディトン,ドミグラス,マッシュ(ルーム),休職,ケルヒャー,ソイソース,ホットサンド,コーヒーフレッシュ,トロンボーン,類似,言い遺,民泊,ダクト,ドーラー,半地下,マナ,寄り目,シュラスコ,屋台骨,土性骨,すべすべ,ハメが外,火薬 花火,舞妓 化粧(が),バーニャカウダ,ヒジャブ,ジップライン,女性用,男性用,用兵,籠城,伏兵,輪切り,アク (漫画家)[括弧が先],復職,フルール,ペチュニア,無撚,造反,肌を合わ,淫蕩,手芸,tl漫画家,ラクシュミ,黄石公,解呪,夜職,高目,フェビアン,大公望,ザッピング,こういう時,反転攻勢,肌掛け,ドア越し,式典,マクロビ,それなり,プレスカード,身分証,当て込,折込,うってつけ,サンドバッグ,閉塞,葉巻,オスロ,フラッパーの(な),ならず者,しゃきっ,運命論,ギャング,盗んだ車,共同作業,・配信,バンラリース,別離,発喪,政変,ビタミンB1,眼精,天誅,天佑,孤立化,開かせ,年の頃,八つぁん,(ぐあい),ヴェルヴェット,悲嘆,勅許,へしこ,アクアリウム,開明,持ち上が,やってのけ,晦冥,それはあれ,手の者,正義マン,乾 いぬい,むろお,・あみだ(くじ),ドッジボール,鍼灸,板金,気流,手(もみ),壁紙,パンパス,debut,パンプス,ドレッサー,映画宣伝,誉れな,足蹴,司牧,鞠躬如,けん玉,(じゃらんぽん),デトックス,キンパラ,鼻につく,言い分,貫け,真作,ニス,姦婦,贋作,フェルメール,あんかけ ,キックボード,全容,のど飴,しゃあしゃあ,覆る/し,心臓な/だ,にゅうにゅう、にゅーにゅー,ドッキング,万華、華鏡,戒 法,受戒,(ことこと),お召し,パーキング,水あめ、水飴,じとじと,しれっと,ヘラ期,汽笛,(中長)期的,(唐揚げ),atm (年漫画),(ものまね)renta,ギャラ呑み, うんてい,水玉,肉まん,水油,天花粉,香油,持って数,叩き込,異物,改変,遺伝子 組,儚、果敢ない/く、はかない/く,物は言い,言い逃げ,嫌な打算,こわすぎrenta,口にす/し,マーシナリー,洗いざら,赤線,青線,節介,ディーゼル,(なんともでき),みなは,アストリンゼン,ケトン,ファルシオン,間取り,見取り,柑,ノープラン,しっくり,バイキング,グロッキー,シッカロール,勝負になら,せていただ,ツルツル,コーティング,bgm,効果音,バックグラウンド,(すけこまし),コケティッシュ,気落ち,あざと,さかいに,国防,カピカ,八重歯、犬歯、臼歯,薄幸,・旧師,白光,くんだり,とどま,素敵空間,宅浪,パッケージ,ツマミ,パッキング,サイバー,・5次元(の)女,アンティーク,独り者,ディスカウント,運航,水難,分際,間際,特長,テニサー,(蒸し蒸し),修正済み,こさめ,緩和,引き締め,逆さ吊り,おしおき,仕立て屋,見立て,備え,梁 柱,正座,未来志向,転倒,瞬発,奮発,実写,唱歌,トロフィー,ハンチング,・子分,古文,(のたれ死),恵まれ,この先,痛恨,失言,ビット,ピット,ショークラブ,ペシミス,まぐろ 漁船,世替わり,あがき,おぼれ,プリントシ-ル,余念,下まつげ,エクステ,唱和,・な校則,復縁,(掘り起こ),小窓,明り取り,のろけ 年漫画, Permalink | 記事への反応(2) | 12:17

2022-06-22

anond:20220622145532

出生

天文14年(1545年)、猿楽師の大蔵信安の次男として生まれる。長安祖父春日大社奉仕する猿楽(現能)金春流猿楽師で、父の信安の時代大和国から播磨国大蔵に流れて大蔵流を創始した。この頃に生まれたのが長安であったという。

武田家臣時代

父の信安は猿楽師として甲斐国に流れ、武田信玄お抱えの猿楽師として仕えるようになったという。長安信玄に見出されて、猿楽師ではなく家臣として取り立てられ、譜代家老土屋昌続与力に任じられたという。この時、姓も大蔵から土屋に改めている。長安蔵前衆として取り立てられ、武田領国における黒川金山などの鉱山開発や税務などに従事したという。

武田信玄没後はその子・勝頼に仕えた。天正3年(1575年)の長篠の戦いでは、兄・新之丞や寄親の土屋昌続は出陣して討死しているが、長安は出陣していない。天正10年(1582年)、織田信長徳川家康連合軍の侵攻(甲州征伐)によって武田氏は滅亡する。

ただし一説では、武田勝頼からまれたため、武田氏を自ら離れて猿楽師に戻り、三河国に移り住んでいたとも言われている。

徳川家時代

遠江国佐野郡懸川宿の年寄に対する掟書(『德川家奉行連署傳馬掟書』慶長6年1月個人蔵)[2]。伊奈忠次彦坂元正連署しており、「大久保十兵衛」[3]と記され黒印が押されている

甲斐武田家が滅んだ後、長安徳川家康の家臣として仕えるようになる。家康甲州征伐の際に逗留用の仮館を長安建設したが、この時に家康がその館を見て長安の作事の才能を見抜き、仕官を許したといわれている。また、一説では家康の近臣で、旧武田家臣の成瀬正一を通じて自分信玄にも認められた優秀な官僚であり、金山に関する才能に恵まれていることを売り込んで、家康に仕えるようになったともいわれている。

長安大久保忠隣の与力に任じられ、その庇護を受けることとなる。この際に名字を賜り、姓を大久保に改めた。天正106月本能寺の変信長が死去して甲斐家康の所領となる。しかし当時の甲斐は、武田家滅亡後の混乱から乱れていた。そこで家康本多正信伊奈忠次を所務方に任じて、甲斐の内政再建を命じた。ただし、実際に所務方として再建を行なったのは長安であるとされている。長安釜無川笛吹川堤防復旧や新田開発、金山採掘などに尽力し、わずか数年で甲斐の内政を再建したと言われている。

天正18年(1590年)の小田原征伐後、家康関東に移ることになる。この時、長安青山忠成(江戸町奉行)、伊奈忠次長谷川長綱彦坂元正らと共に奉行代官頭)に任じられ、家康関東に入った後の土地台帳の作成を行なった。これは家康が後に関東で家臣団に所領を分配する時に、大いに役立ったと言われている。

また、関東250万石のうち、100万石は家康の直轄領となったが、この時に長安長谷川長綱彦坂元正伊奈忠次と共に関東代官頭として家康直轄領の事務差配の一切を任されている。

天正19年(1591年)には家康から武蔵国八王子(後に横山)に8,000石の所領を与えられた。ただし、八王子を以前に支配していた北条氏照の旧領をそのまま与えられた形となったらしく、実際は9万石を与えられていたという。長安八王子宿(現・東京都八王子市)に陣屋を置き、八王子十八人代官を置き、宿場建設を進め、浅川の氾濫を防ぐため土手を築いた。石見土手と呼ばれている。

長安はまた、家康に対して武蔵治安維持国境警備重要さを指摘し、八王子五百人同心の創設を具申して認められ、ここに旧武田家臣団を中心とした八王子五百人同心誕生した。慶長4年(1599年)には同心を倍に増やすことを家康から許され、八王子千人同心となった。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こると、長安は忠次と共に徳川秀忠率いる徳川軍の輜重役を務めている。戦後豊臣氏支配下にあった佐渡金山生野銀山などが全て徳川氏の直轄領になる。すると長安は同年9月大和代官10月に石見銀山検分役、11月佐渡金山接収役となる。

慶長6年(1601年)春に徳川奉行補佐にて甲斐奉行8月石見奉行9月には美濃代官に任じられた。これらは全て兼任の形で家康から任命されている。異例の昇進と言ってもよく、家康長安経理の才能を高く評価していたことがうかがえるものである

慶長8年(1603年)2月12日家康将軍に任命されると、長安特別従五位下石見守に叙任され、家康の六男・松平忠輝の附家老に任じられた。7月には佐渡奉行に、12月には所務奉行(後の勘定奉行)に任じられ、同時に年寄(後の老中)に列せられた。

慶長10年(1605年)、大久保長安普請奉行として武蔵御嶽神社の本社普請

慶長11年(1606年)2月には伊豆奉行にも任じられた。つまり長安家康から全国の金銀山統轄や、関東における交通網の整備、一里塚建設などの一切を任されていたのである現在知られる里程標、すなわち1里=36町、1町=60間、1間=6尺という間尺を整えたのも長安である

これら一切の奉行職を兼務していた長安の権勢は強大であったと言われる。また、7人の息子を石川康長や池田輝政の娘と結婚させ、忠輝と伊達政宗の長女・五郎八姫の結婚交渉を取り持ち、忠輝の岳父が政宗となったこから政宗とも親密な関係を築いていたと言われている。そのため、その権勢や諸大名との人脈から「天下の総代官」と称された。この頃、長安の所領は八王子8,000石(実際は9万石)に加えて、家康直轄領の150万石の実質的支配を任されていたと言われている。

慶長17年(1612年)7月27日、中風にかかり、家康から烏犀円を与えられている(『駿府記』)[4]。

しか晩年に入ると、全国の鉱山からの金銀採掘量の低下から家康の寵愛を失い、美濃代官を初めとする代官職を次々と罷免されていくようになる。さら正室が早世するなどの不幸も相次ぐ中で、慶長18年(1613年)4月25日中風のために死去した[5]。享年69。

長安の死後に生前不正蓄財が問われ、また長安の子は蓄財の調査拒否したため、慶長18年(1613年)7月9日、長安嫡男藤十郎(37歳)、次男外記(36歳)、三男・青山成国(30歳)、四男・達十郎(29歳)、五男・内膳(27歳)、六男・右京長清(23歳)、七男・安寿(15歳)、以上7人は切腹となった。また縁戚関係の諸大名も改易などの憂き目にあった(大久保長安事件)。

人物逸話

ほとんど外様に近い立場から[6]老中(加判)に就いた唯一の人物であり、その謎めいた生涯は多くのフィクション対象となっている。

無類の女好きで、側女を70人から80人も抱えていたと言われている。

金山奉行などをしていた経緯から派手好きであり、死後、自分遺体黄金の棺に入れて華麗な葬儀を行なうように遺言したという[7]。

一説に長安は、家康より政宗のほうが天下人にふさわしいと考え、政宗幕府転覆計画賛同していたと言われている。

2020-07-19

anond:20200718001048

ナンバーツーの系譜に名を連ねる渡辺明が、次代のナンバーワンの台頭によって久々に注目されている。

長年の将棋ファン的には、歴史必然というか、ついに渡辺明にもこのときが来たな、という感想を持つ。

将棋界というのは不思議なところで、いつの次代も絶対的ナンバーワンが存在する。

圧倒的な棋力で他の棋士を寄せ付けず、2、30年君臨し、次代のナンバーワンに禅譲する。

次代のナンバーワンはデビュー時点で文字通りのトップレベルの棋力を備え(*1)、また2、30年棋界に君臨する。

"常勝将軍"木村義雄(*2)、"巨星"大山康晴(*3)、"棋界の太陽"中原誠(*4)、"永世七冠"羽生善治、そしておそらくは藤井聡太だ。

ナンバーワンがいるならナンバーツーもいる。

中には全盛期にナンバーワンに勝てなかっただけみたいな棋士もいる。

ナンバーツーに誰を入れるかは2ch将棋板でも議論になるところだが、升田幸三(*5)、米長邦雄(*6)、谷川浩司(*7)、渡辺明は間違いない。

これに加藤一二三(*8)、佐藤康光(*9)、森内俊之(*10)あたりを入れるか、あるいはもっと色々な棋士が含まれるか、そもそもナンバーツーと言えるほど絶対的棋士谷川だけ、2番手集団で十分、以下略

絶対的ナンバーワンには必然的に記録がついてくる。

印象的なエピソードが数多あっても、決して色褪せない圧倒的な数字には及ばない。

逆に言うと、ナンバーツーも記憶には残る。

しろ万年2位の悲喜こもごもにこそ、心動かされるのが人の性ではなかろうか。

俺はそういうエピソードが好きだ。

木村義雄名人に糞と言い放った升田幸三。そのくせ陣屋事件引き起こし升田幸三。(*11)

大山いじめられ続け(と中原にまで言われる)、大山が衰えてやっと短い全盛期を迎え、中原と互角にやりあい名人も奪った加藤一二三。(*12)

二十歳そこそこの森下卓に頭を下げてまで自らの将棋を鍛え直し、49歳にして中原を下し名人位についた米長(*13)。

7番勝負最中阪神大震災被災し、関西将棋ファンの期待を一身に背負った王将戦羽生六冠王の挑戦を退けた谷川(*14)。

羽生と初代永世竜王をかけて戦い、棋界初の三連敗四連勝で竜王を守りきった渡辺明(*15)。

そして藤井聡太の初戴冠において、カメラを背負う側となった渡辺明

渡辺明は常々、記憶より記録に残る棋士になりたいと語る。

何より重要なのはタイトル獲得数、と語る。

一方で、羽生さんは本当にすごい、と語る。

自身ナンバーワンに連なる存在でないことを自覚し、自分羽生藤井聡太の間の棋士だ、と、悟ったようなことを語る。

そして、あまり語ってはいないが、名人に対するこだわりは絶対にあると思う。

渡辺明棋士の割にまともっぽい人だ。

三浦冤罪事件を起こしたクソ野郎だ。

ただまあ棋士なんて常識が無い人間ばかりなので、それはそれでいいんじゃないですかね。

渡辺明が悲願の名人を獲り、そして藤井聡太の挑戦を受けたりしたら、クッソ盛り上がるだろうな。

脚注

1. デビュー時点でトップレベル

谷川渡辺明プロ入直後の成績は中原羽生藤井聡太と比べると劣る。当時のトップレベルから少し(渡辺明大分?)落ちるようだ。

2. 木村義雄

名人8期(現役晩年まで名人しかタイトルが無かった)、十四世名人

十三名人関根金次郎の弟子。十二世名人小野五平や坂田(阪田)三吉から指導を受けたらしい。

3. 大山康晴

タイトル通算80期、十五世名人、他に永世称号4つ。

木見金治郎九段門下。

本文では中原デビュー後すぐにトップ棋士の座を譲った風に書いているが、中原誠に勝てなかっただけで他の棋士には変わらず勝ちまくっていた。

中原デビュー後の10年間は大山中原時代と言っていいだろう。

4. 中原誠

タイトル通算64期、十六世名人、他に永世称号4つ。

高柳敏夫名誉九段門下。

5. 升田幸三

タイトル通算7期、実力制第四代名人

木見金治郎九段門下、大山兄弟子。

6. 米長邦雄

タイトル通算19期、永世棋聖、。

佐瀬勇次名誉九段門下。膝に扇子を突き立て肘を乗せるスタイル木村王位ら一部の佐瀬門下に受け継がれている。

7. 谷川浩司

タイトル通算27期、十七世名人資格保持者。

8. 加藤一二三

タイトル通算8期。

永世称号が無いのに、何故か実力制第六代名人とは呼ばれない。

9. 佐藤康光

タイトル通算13期、永世棋聖資格保持者。現将棋連盟会長

10. 森内俊之

タイトル通算12期、十八世名人資格保持者、永世名人(名人通算5期)を羽生より先にとった。

11. 陣屋事件

第1期王将戦(木村義雄名人対升田)は升田の4勝1敗で王将獲得となったが、第6局が木村名人の香落ちで行われることになっていた。

当時の王将戦はそういう難しい規則だった。

升田は対局場である陣屋旅館まで来るも結局対局を拒否し、大騒動に発展する。

真相不明。升田は自身の子供のころからの夢「名人香車を引いて勝つ」と名人侮辱するかのような香落ち対局の間で葛藤し、このような行為に至ったのではないかとか言われている。

棋士総会より一任された木村義雄裁定により、升田の処分はお咎め無しとなった。

ちなみに大山王将(名人)との第5期王将戦では升田は香落ち上手も指して勝った(http://www.ne.jp/asahi/yaston/shogi/osyo/osyosen/05/osyo05.htm)。

12. 加藤一二三名人

翌年21歳の谷川に奪取された(史上最年少名人)。谷川によると、「加藤先生には申し訳ないが、名人中原先生であって欲しかった」。

13. 米長名人

名人就位式で「来年あいつ(羽生)が獲りに来る」と予言し、翌年本当に羽生に奪取された。

14. 谷川王将

翌年羽生は六冠を保持したまま再び挑戦者に名乗りを上げ、さすがの谷川もついに土俵を割る。寝癖の七冠王誕生時にカメラを背負った。

15. 第21期竜王戦七番勝負

当時渡辺明竜王連続4期、羽生通算6期であった。羽生が卓越した大局観を見せつけた第1局、渡辺明が激戦を制した第4局、第7局が名高い。

でも渡辺明は他タイトルは挑戦もろくにできないまま永世竜王になったため、当時の将棋ファン評価微妙な感じだったように思う。

その他

ナンバーワンの系譜なんてホントのところは偶然の産物しかないと思うし、当たり前だが将棋神様はいないし選ばれた人間けが名人になれる訳じゃないと思うけど、現実にそういうことが起きると人間はなんか運命的なものを感じて面白がるよね、ってだけの話。

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

勢州桑名に過ぎたるものが二つあり 銅の鳥居に二朱女郎

勢州伊勢のことで、つまり現在三重県桑名市のこと。

「銅の鳥居」は桑名宗社の青銅製の鳥居のこと。

「二朱女郎」は二朱銀で買える安い遊女のこと。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2018-06-05

Fate/ZERO最終回墓地横浜陣屋坂か?

暇な人ちょっと見てくれよ。

25話でリンキレイからの贈り物を受け取るシーン。

あれと同じ景色横浜陣屋坂の前で見たぞ。もしかして既出か?

googlemapで見れるから誰か確認してくれ

2016-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20161013181442

同様の例としては皆無。それはそうで、負けても対局料が手に入るのにそれをみすみす捨てる馬鹿はいない。

ただ、寝坊スケジュール管理ミスといった過失による対局放棄はある。

近年の例で言うと、2010年郷田真隆九段(現・王将タイトル通算6期の超一流棋士9月に公開対局での二歩話題になった)が寝坊竜王戦の予選を不戦敗になった。

この際の郷田に対する処分は1.対局料の不払い、2.竜王戦参稼手当100万円の半額を返納、3.ファンへの奉仕活動1日 だった。

類似の例としては、日本将棋連盟の分裂寸前にまで至った「陣屋事件」というのがある。

1952年2月に行われたタイトル戦の王将戦第6局で、挑戦者升田幸三八段が会場となった神奈川県弦巻温泉旅館陣屋」に到着したが、「玄関ベルを押したが誰も出てこなかった」ことに腹を立てた、と言って対局を拒否、第6局が不開催になったということがある(ただし当時陣屋玄関ベルはついておらず、これは枡田の虚言。これをきっかけに陣屋は、玄関に呼び出しのための陣太鼓を置くようになって、陣屋名物となっている。また升田は陣屋に向かわず秦野温泉の別の旅館に籠って対局を促しに来た関係者にも会っているので、過失ではなく明確な故意による対局拒否)。

事の真相は明らかになってないが、将棋界の間ではまず間違いなく以下の理由だったと言われている。

王将戦は当時から現在に至るまで七番勝負で四勝先取したほうが勝ちというシステムだが、この当時はどちらかが四勝以上してもさら継続する、というシステムだった。そして決着がついた後の対局は、シリーズに勝ったほうが負けた方に対して自分の駒(香車)を落とすハンデをつけて指すことになっていた。このシリーズは第5局までに升田が木村義雄名人に4勝1敗で勝利を決めており、この第6局は升田が木村に対して香車を落とすことになっていた。

名人というタイトルの重みは現在でも特別だが、この当時はそれにも増して大きいものだった。単に将棋界最強というだけではない、ある種の宗教的権威があるものと言っていい。その名人が、対戦相手香車を落としてもらうなどということは、名人品格を著しく傷つけるもので、いかルールはいえ誰も見たくない(この感覚は、羽生善治がコンピュータ将棋に角を落としてもらって対局する、という場面を想像してもらえばいいかと思う。対局に関係ない第三者でさえ屈辱を感じるというようなものだ)。もちろん王将戦が始まる前、この事態は当然予想されていて、香車を落とすことに強く反対していたのが升田、一方で「名人が第7局を迎える前にシリーズに負けることはない」と言ったのが当の木村義雄名人で、木村の一声で沙汰止みになってしまった(昔から今に至るまで、将棋界というのは将棋の強い側の声が通るのだ。そして当の本人がこのようにその報いを受けてしまう)。升田は「将棋を守る」ために、バレバレの嘘をついて対局を拒否したのだろう、と思われている。

真意はさておき、タイトル戦を故意にすっぽかしたことには変わりないからこれは一大事で、当初将棋連盟は升田を一年間の出場停止処分にしようとした。これは現代の目から見ても重さとしては妥当だと思う。ただ、日本将棋連盟関東関西将棋指しの団体が合一してできたという経緯があり、東西対立まではいかずとも派閥意識というのは当時強かった。関西棋士である升田への処分に対しては関西棋士たちが反発し、すわ東西分裂か?という事態になった。最終的には木村名人の一存に委ねられ、升田は一切お咎めなし、という結末になった。

今回の一件で「平成陣屋事件」という感想が一部のファンから出てきたのはこういう歴史があったから。

三浦弘行という棋士渡辺明という棋士

三浦弘行九段はどんな棋士か。

タイトル獲得経験者(通算1期)。羽生善治七冠王を崩した棋士である

顔つきは朴訥とした雰囲気が有るかもしれない。野武士という異名をとったこともある。なぜかニコ生で人気(だった?)。

棋風は攻め将棋。また研究家である

ソフト指しが疑われているA級順位戦三浦渡辺戦は角換わりの序盤早々にポンと▲4五桂を跳ねる将棋であった。前例はあって無いようなもの話題になったお陰で棋譜検索すれば簡単に見つかる。ちなみに将棋棋譜著作権は無い。素人目にはこの桂馬は、後手が△4四歩と伸ばせば簡単に取れそうであるプロから見てもそうであったらしく、順位戦渡辺はそう指した。その後は後手は期待通りに桂馬を取り、引き換えに先手は馬を作り2歩を得た。以降は10手ほど穏やかに進み、先手が戦端を開き一気に後手陣を攻め潰した。馬と歩得の時点で形勢は先手が良かったようだ。実際、今日竜王戦第一局(対丸山九段)で渡辺はほぼ同局面から△4四歩を見送りponanzaはこの選択をそんなに悪くないと評価した。

三浦の▲4五桂にはソフトによる研究が伺える。駒損して歩得と馬を主張するところがソフトっぽいと言われる。同時に三浦の棋風も伺える。端的に言えば研究将棋とはハメ手であり、毒饅頭を目の前にチラつかせる将棋なのだ渡辺はまんまと引っかかり、自然と思われる桂取りの△4四歩からほぼ一直線の流れで、気づけば形勢を損なった。

行方尚史八段は三浦を表して「局地戦になると異常に力を発揮する人」「狭いところでの三浦君の計算力はすごい」と評した*1。一見して選択肢の狭い局面誘導し、そこで相手を罠に嵌め、自身計算力を頼りに仕留めるのが得意である、というわけだ。そして三浦はこの棋風を維持するために、自身研究に加えて他の棋士研究をも吸い出してきた。圧倒的な研究量が三浦のウリなのだ

第68期名人戦(2010年)において三浦羽生善治名人(当時)に挑戦した。梅田望夫羽生善治現代」ではこのシリーズの第二局を通じて、三浦の棋風すなわち研究将棋極北について論じている。三浦はここでも羽生相手に罠を仕掛けた。当時流行横歩取り8五飛戦法の、その最新型に一撃必殺の罠を仕掛けた、のだが、この罠は関西有力若手棋士行方豊島将之現七段か糸谷哲郎現八段か、誰かは知らないが、と言う)を二晩ホテルに缶詰にして聞き出した研究の成果であると言われる。

ぶっちゃけ引く。プロから見ても引く行為であるようだ。

自分が出席しない研究会の成果をその日の夜に電話で聞き出したりもする。後日有力棋士に公に批判された。

三浦将棋脳の特性と、それを活かせる狭く罠を仕掛けやすい展開を収集する研究力・人脈、これによって三浦トップ棋士たりえた。

近年ではソフトが鬼強いので、誰でも棋力に関係なく高度な研究ができるハズだ。では三浦の強みが無くなったかというとさにあらず。現に順位戦渡辺三浦研究手▲4五桂に対応できず、自然な手に乗って形勢を損ねた。プロより強いソフトが行き渡った現代でも、三浦研究力は存分に発揮されている。

まりカンニングしなくても、三浦は十分強い。序盤は優秀な研究があるので仮にカンニングするとしたら中終盤だが、この将棋は優勢な局面から一方的な攻め将棋で終わった。カンニング必要とは、個人的には思えない。

ちなみに羽生との第68期名人戦三浦は4タコで無残に敗退した。形勢良しの将棋を勝ちきれず、善悪不明将棋手品のように負けた。

第二局で羽生三浦の罠を看破し、三浦研究の隙の隙を掻い潜り、見事勝利した。

渡辺明竜王はどんな棋士か。

中学生プロになった。20歳で棋界最高峰竜王を取った。タイトル通算17期、史上初の永世竜王資格保持者。名人挑戦者に未だなれない。

生え際は若くして後退した。歯に衣着せぬ実直な物言いも人気。

自玉を固めて細い攻めを繋げて一方的に殴るのが一般渡辺っぽいとされるが、最近はどんな将棋でも単純に強い。

研究家ソフト使用しているがソフト評価値はあんまり重用していないとも語る*2。

渡辺は単純に強い棋士である2000年以降、渡辺将棋界のトップ3以上の実力者でありつづけた。研究家であっても、三浦のような極端さは無い。

人望の厚さが伺われるエピソードも多い。佐藤天彦名人にも慕われている。

渡辺正義と公正の棋士である。ゆえに、三浦の若手搾取が許せないらしい。村山慈明現七段から三浦電話研究会の成果を根掘り葉掘り何時間も訊かれたと愚痴られた渡辺は、NHK将棋講座誌上で三浦を名指しで、質問三羽烏として痛烈に批判した。

とばっちりを受けた残り二羽の烏は深浦康市九段丸山忠久九段である深浦は「羽生善治現代」にて三浦研究将棋擁護し、丸山は今回の将棋連盟の決定に不服ととれるコメントを出した。前述の通り、丸山渡辺で開幕した今期竜王戦第一局の序盤は、件のA級順位戦三浦渡辺戦とほぼ同じ将棋であった。丸山意趣返しであるが、渡辺対策が良く封じ手時点では丸山苦戦の模様。

三浦カンニング疑惑聞き取りに、渡辺理事に混じって同席した。

5人前後三浦に負かされたと推察される棋士三浦告発したという。根拠はつまりプロ直感である正義棋士渡辺告発者の一人であり、卑劣カンニングを許せず、またタイトル戦の直接の対決者であるから聞き取りに同席したのだろう。

聞き取り聞き取りだけで終わり、証拠は一切示されないが、あるともないとも知れない。

三浦からしたら、タイトル戦の直前にタイトルホルダーが連盟を味方につけて、盤外戦術を仕掛けてきたようなものである

三浦カンニングしていたのなら、怖くて大舞台には出れないだろう。

三浦カンニングしていなくても、怖くて大舞台には出れないだろう。

まり三浦相手に連敗中の渡辺三浦竜王戦欠場に追いやったとも言える。

まさしく陣屋事件に勝るとも劣らぬ怪奇事件。なんと命名したらよいだろうか。

*1 2010年、第68期名人戦シリーズ後のインタビュー, 梅田望夫羽生善治現代」より

*2 2015年後半-2016年ごろのインタビュー大川慎太郎「不屈の棋士

 
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