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はてなキーワード: アカデミー賞とは

2021-06-08

大魔神の新作

妖怪と戦う話らしい。

今作るなら、格差社会に怒った大魔神政治家金持ちを踏みつぶして回り、それでも怒りが収まら庶民もろとも日本を壊滅させようとするけど、弱者男性が涙を流して自分の命と引き換えに怒りを鎮めてくださいと懇願して、大魔神が土にかえるみたいな話のほういいよね。

時代性を取り込んでアカデミー賞を狙ってほしい。

2021-06-03

ウマ娘BD売上とオタクの愚かさ

どうやらウマ娘円盤の売り上げが初週のみでも歴代トップクラス総合売上だと下手したらエヴァを超えるようである

なんと愚かであろうか。

この感想は鬼滅の映画の売上が歴代一位になった時も抱いた。

消費する側が愚かになったのである

もはや作品面白さではなく話題でのみ売れるようになってしまっている。

このようなレベル消費者に合わせた商売であるから日本由来であったアニメでさえ中国に抜かされる未来が見えてきているのである

こんなことを言うと「売れてるもの面白いから売れてるんだ!」という愚かなオタクが現れるが、

本当に面白いというのであればどうして愚かな君達は最初から目をつけていなかったのか。それは、君達が持ち上げまくっているそれが君達にとって実は大して面白ものではないからだ。

ウマ娘一期からアプリが出るまでのCD売り上げは悲惨ものであるし、鬼滅に関してもアニメが出る前は本誌勢の知る人ぞ知る状態であった。

ウマ娘アプリソシャゲとしては物珍しい程度で、ゲームシステムに目新しいものはないのに、愚かな物知らずたちが画期的ものだと思い、話題にする。話題になったもの面白いと信ずる愚か者たちが持ち上げ、話題故に売上が出る。

もはや面白ものを作ることに意味はなく、話題になればいい時代なのだ

このようなレベルでは永遠に商業芸術レベルは落ちていくばかりなのだ

売上が出ていればそれでいいという愚か者もいるだろうが、話題による売上のみを考え、ジャニーズ採用し、安易少女漫画原作を繰り返した結果、韓国に先にアカデミー賞を取られ、馬鹿にされている邦画業界があるだろう。邦画業界オタク馬鹿にしているではないか

邦画のような低レベル量産による質の悪化を避けるためにも、今一度、消費する側が自らが面白いと思えるものを掘り下げ、消費していくべきではないのだろうか。

まぁSNSが発展し、他者感想に揺さぶられやす現代、難しいことなのかもしれない。

論調のためにウマ娘、鬼滅を否定したが話題になる前から好きだった人間には謝罪する。

愚かなのは乗っかっている者達であるからだ。

追記

やはり話題になったものに乗っかる愚か者どもは盲信的なのでこのような意見に対し老害だなんだと罵る者達ばかりである

ただ、私の言葉足らずであったのも事実である

私が主張したいのは売れ方が問題であるということである話題になったから売れる。ただ話題になるのは本当に作品本来面白さゆえなのか?アプリ話題になったからじゃないか?連日地上波特集され持ち上げられていたからじゃないか?君達が面白いと盲信しているものは周りが持ち上げているか面白いと感じているのではないか?そこを考えてみて欲しい。

また、AKBから学べなどといっていたものがいるが、アイドルというかパフォーマー日本人の消費者が愚かであったために隣国BTSのような世界的に認められる高いレベルのもの日本国内では生み出されなくなってしまったではないか。同じことをアニメでも繰り返すのか?私はそこを問いたい。

特典商法コンテンツの質は関係ないという者がいたが、愚かであることに変わりはない。

2021-06-01

タコが食べられなくなった

2020年アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した「オクトパス神秘:海の賢者は語る」というドキュメンタリー

南アフリカの海を舞台映像作家のおじさんと一匹のマダコ交流を描く作品なんや

タコがおじさんに猛烈になつくのよ

まるで犬のようやった

あれ観てからタコを食べたいという気持ちが失せてしまった

こないだ、たまたまタコの炒め物の画像を見て、まるでバラバラにされた犬の足を目にしてしまたかのような衝撃と吐き気が込み上げてきた

スーパー海鮮食品売り場で茹でタコを目にしてもスーンとなる

明石焼き大好きだったのに…ていうか明石焼き食べたい気持ち自体はまだあるのだがタコが入ってると思うとスーンとなってしまう…

タコ

2021-05-21

大人になったら色々出来ると信じていた

俺は自分大人になったら色々出来ると信じていた。

俺はサッカー選手になってワールドカップ活躍して日本を優勝させると思っていた。

俺は野球選手になって毎試合必ず完全試合投手になって、打率10割全打席ホームランになると思っていた。

そう、サッカー選手でありながら野球選手でありながらテニス選手でありながらと、あらゆるスポーツを総なめする

最強究極の人間になれると思っていた。

その上でノーベル賞を貰ったりアカデミー賞を貰ったりとそういった分野でも名を残し

いわばレオナルドダヴィンチを圧倒的に超えた超越者になるのだと思っていた

重力制御技術だとかテレポート装置だとかタイムマシンだとか色々開発して宇宙旅行にも行けるようになると思っていた。

魔法超能力も使えるようになって、格闘技なども全宇宙ナンバーワンになると思っていた。

その上で可愛いお嫁さんと可愛いペットがあって、世界一企業社長というかロスチャイルド家を超えるレベル資産家になるとも思っていた。

更に不老になり、ほぼ不死になり、なんでもかんでも思いのままにいくと思っていた。

最強の頂点であり、未来永劫の頂点。更に成長を続ける頂点。そんな存在になると信じていた。

宇宙人がこの俺を崇め、この俺に全てを捧げる。

そういう世の中になると思っていた。

まり今はそれらの力が覚醒していないだけと思っていた。

こんなことを思っていた俺も30代になってしまった。

もう駄目だ。何一つ面白くない。

宇宙最強じゃないと人生何も面白くない。

増田は凄い!最強だよ!偉いよ!ナンバーワンだよ!宇宙一だよ!

凄いよ天才だ!みんな増田のためだけに生きることを誓うよ!

増田こそがこの世の全て!増田様ばんざーい!増田様ばんざーい!

こんな日常を夢見ていた。

増田様のために生きて死ぬことが我々の人生なのです!とか言われたかった。

増田様のためとあらば死ぬことなど怖くありません!とか言われたかった。

大人になればあらゆることができて俺は毎日最高に楽しい人生になるんだろうなって思っていた。

それが何1つ叶わない。この世は地獄だ。

そのせいで最近は俺こそが宇宙最強だという感じで小説を書き始めた。

まだ小説なんて言えない文章みたいなものだが、己の願望を小説にしてみたい。

だって最強とか絶対人生しかっただろうし。

せめて空想世界だけでもそれを楽しみたい。

から俺は今日文字を打つ。

2021-05-11

https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1619844504/

798番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイ 7f62-OedE)2021/05/01(土) 15:17:44.03ID:gE3mkUqi0

たとえばアカデミー賞でも

ありがとう!私が評価されて満足です!なんて言うやつは叩かれるんだよな

ちゃん家族スタッフ感謝を述べて与えられた環境やチャンスに言及しないと傲慢だと見なされるようになってる

日本はまだ上級努力で成り立つ、下級=努力しなかったかなるみたいな神話で成り立ってる

2021-05-03

わたしBLEACHの話、あるいは一生に一度の大失恋の話

※近年まれに見る気持ち悪い内容です。読後の苦情は不可、まあ匿名から全然いいけど

 さて、BLEACHの話をしようと思う。

 と言ったけれど、多分その言い方はあまり適切ではない。これはある意味わたし一世一代の大失恋の話なのである。そう、タイトル通りです。もう2度とあんな恋はできないと思うなあ、ほんとに。

 彼(BLEACHのことですが)との出会い中学時代だった。当時仲良しだった先輩に貸してもらったことがきっかけで読むようになり、なんだこれ面白い、とめちゃくちゃはまった。

 多分本誌はまだ尸魂界編の途中だったかな。とにかく藍染はまだ柔和な笑みを浮かべてるような頃だったと思う。や、死んでたくらいかな。あいつの演技はほんとアカデミー賞もらえるレベルだったよ。

 それこそ中学生なので、周りの友達はその頃誰が好きだとか、あの2人は付き合ってるとか、そんな話でもちきりだった。

 今みたいに大々的にオタク人権を持つ時代ではなかったので、わたしオタクであることをひた隠しにして生きる他なく、恋愛話題にもちゃんと乗っかり、それらしく擬態してはいたけれど、本当はクラスのAさんBくんの甘酸っぱい恋愛なんかより、わたしはずっと一護ルキアのことを考えていたかったのだ。てか考えてたけど。

 驚きの気持ち悪さだと自覚はあるけれど、事実なので仕方がない。あの頃のわたしは、なにより一護ルキアの行く末を思って胸をときめかせ、涙を流していた。

 それこそ自分の恋で泣いたことより、2人のことを思って泣いたことの方が多いくらいだ。人生トータルしてもそうかも。だって当時の日記には、一護ルキア未来を憂う病みポエムまであった。まじでやべえな、我ながら。

 作品も、現世編、尸魂界編、ここまではもう最高に大好きだった。今でも一護白哉を倒し、そこから怒涛のように藍染が天に立つところまでの流れは凄すぎると思っている。

 尸魂界編の最後ルキアが現世には一緒に帰らないと言った時だって悲しくはなかった。一護、いい表情してたから。はいはい、強がっちゃってねとは思ってましたけど。

 そしてその後始まった破面編。いやそれだって最初は良かったのだ。あまりに強い敵に心を折られる一護。そこではい登場!俺の光。最高でしたね。

 だけど、少しずつ雲行きが怪しくなっていった。

そして忘れもしない、第237話『goodbye,halcyon days.』 

 もう無理かもしれないぞ?と思った。なんぞこれ?ってなった。でも、まわりの男友達複数名あのシーン好き!って言ってたから男からしたらいいのかもしんない。5回生まれ変わっても好きになられたいのかもしんない。まじかよ。わたしはどうせなら毎回違う男と結婚したいですけど。

 ちなみにその男友達たちにはどうせおっぱいだろ!って理不尽にキレといた。情緒不安定かよ。こんなキチガイ友達でいてくれてありがとう

 ちなみにもはや言い訳になるけど、織姫のことだって最初から嫌いなわけじゃなかった。初期の彼女はすきだったよ、ほんとだよ。

 いやわかってる、単純に一護のことがめちゃくちゃ好きなんだってことはわかってる。いい子……なんだとも思う……思いますよ……だけどもう鳴き声みたいに黒崎くん黒崎くんといいだしてからは、どうしてもこれは無理だ……!ってなった。

 

 でもまあ、その後もしばらく読んだんだよね。一応最終章に入るまでは追っかけてた。でもやっぱりどうしても段々と作品自体を愛せなくなり、勝手批判ばかりが頭に浮かぶようになった。その時もうわたしはこのコンテンツのお客さんではなくなったのだと感じた。

 嫌なら見るな、まさにその言葉通りだ。だから読むのをやめた。それでも大好きだった気持ちは忘れられなくて、漫画を捨てることはまだその時はできなかった。好きだったところまで嫌いになる必要はないと思ったし、そんな簡単じゃなかったから。

 そのままずっと、みないままでいた。封印してた。

 だけど、何事もそうであるように、BLEACHにもやはり終わりはやってきて。いよいよ来週最終回だという噂を耳にした。さすがにどうなったんだろうと思って、ネット検索した。あれは確か会社からの帰り道、多分木曜か金曜か。そこでわたしはいわゆるネタバレサイトが何かを元にしたんだろうネットニュースをみてしまった。

 そこには一護織姫結婚して、恋次ルキア結婚した、と書かれてた。信じない、信じないぞと思いながらも、多分震えてしまってたと思う。

 そして来る月曜日。いやーぜーんぶ本当に本当でした。そうして想い出は、粉々に砕け散った訳だ。

ほらね?これは一世一代失恋と言っていいのでは??自分失恋なんてもはやほとんど覚えちゃいないのにね。

 その後、捨てられないでいた既刊は全てBOOKOFFさんに売りに行きました。わたしはもういよいよ作品の読者として相応しくない存在となりましたので。元々なってたけど!

 いやーーーでもさあなんでああなったかなあ?真咲と織姫太陽として描写されていたから、こうなるのでは?っていう考察ブログもあったんだけどさ(いやそのブログはまじで凄いんだけど)

 結局黒崎一護はお母さんを護りたかったあの日からなにも変わらなかったということでしょうか。井上織姫は母の代わりの太陽ですか?男の子母親に似たひとを好きになる理論強すぎか??そりゃマザコン男による離婚騒動永遠になくならないわけだよ。しかもなんだかんだ同じ世界に生きるもの同士でくっついちゃうんですか?お互いに背中を支える月のような彼女ではだめだったんですか?

 うん、だめだったんだね。少なくとも、男女として生きる相手にはならなかったんだ。いやしかし、男女の辿り着くゴールが必ずしも性愛であるというのも逆に古いのか?もしかしてわたしの方が固定概念に囚われているのか?

 でも最後負け惜しみを言わせていただくと、わたしはやですけどね!!自分を護ってくれるけれど。そのために何度でも立ち上がってくれるけど!女として愛してくれるけど、家族になったけれど、それでも彼の後ろにはあの小さな背中が一生ちらつくなんて。

 ふんだ。

 あ、でもね!ただひとつ言っておくけれどBLEACHという作品は今でもすごいなあと思っている。めっちゃ面白い

 わたしわたし特有のめちゃくちゃ気持ち悪い理由で読めなくなってしまったけれど、あのポエムといい、キャラデザといい、唯一無二にも程がある。

 世界の多くの人よ、もしもまだ読んだことなかったら、そして暇だったなら、この何もできないGWにはぜひともBLEACHを読むといいと思う。

 あの〜ところで白猫コラボやったら、唯一織姫けがガチャで出たんですが?これは何かの嫌がらせでしょうか?しかも意外と使い勝手いいじゃねーか、育てちゃったよくそ

アカデミー賞は今後どうするんだろうなぁ

視聴率がいくらなんでも落ちすぎてやばいな。

去年の時点で前年比20%ダウンしてたのに、そこからさらに58%落ちて985万人はさすがに落ちすぎ。

影響力がた落ちだなぁ。

2021-04-27

アカデミー賞

洋画離れした日本で毎年ニュースにする必要あるだろうか

ハリウッド映画界の内輪受けの賞だし特別ヒットした映画でもない

オスカーより報道すべき賞は世界には色々あるだろう

2021-04-01

雑誌映画秘宝』の記憶(35)【※訂正あり】

町山智浩柳下毅一郎問題発言集】(No.11)

 性犯罪被害者に対する二次加害発言です。(過去投稿と重複しますが、未読の方への周知を図るために再度ここで引用します。)

 出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判2』(2004年洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記記述形式

   [ページ数]

   発言者:発言内容

   【※】付随情報や私個人の感想など(適宜)

   (初出)

です。

引用ここから

[p113]

【※】カンヌグランプリロマン・ポランスキー監督作品戦場のピアニスト』もアカデミー賞の授与は無理だろうと云う話題から。(※訂正:songsfordrellaさんのご指摘のとおり、最初投稿では『海の上のピアニスト』と誤記していました。お恥ずかしい。お詫びすると共に訂正いたします。)

 町山:ロマン・ポランスキー十三歳の少女との淫行事件でやっぱり授賞式には来れないの?

 柳下保釈中に海外逃亡だから自動的逮捕されちゃうんですよ。逃亡期間中時効も停止してるし。

 町山:でも、ポランスキー少女レイプしたわけじゃないし。

 柳下合意のうえなのに相手未成年だったか強姦扱い。そもそもあの娘は札付きだったしね。

 町山:ポランスキー、ハメられたな。ハマったというか(笑)

 柳下ロブ・ロウと3Pして隠し撮りしたビデオを売った少女とか、みんなもういい年だと思うけど、何してるのかな?全員集めて同窓会やってほしいな。

 町山:この手の地雷女はいろんなところに隠れてるからな。あ、この場合地雷少女か。

 柳下地雷少女オタクアニメヒロインみたいッスね(笑)

【※】「(笑)」をまじえながら被害者を「札付き」、「地雷女」呼ばわりしています

【※】投稿(30)の引用で、過去性犯罪被害を訴え出た水沢アキ荻野目慶子のことを嘲笑バッシングしていた時と同じ「性犯罪被害を訴える人間厄介者扱いする」と云う町山智浩柳下毅一郎思考が、ここでも認められます

【※】「男尊女卑思想」の持ち主でなければ、このような非人道的発言は出ないと思います。要するに、町山智浩らは森喜朗佐々木宏同類であり、性犯罪被害を訴える女性町山智浩らにとって「弁えていない厄介者」なのです。

(初出『映画秘宝』03年vol.41)

感想

 この「そもそも被害者の方にも問題が有った」論法は、恫喝DM事件が発覚してから映画秘宝』関係者町山智浩高橋ヨシキの信奉者が用いていた―――と言うか、今でもネット上で被害者バッシングし続けている―――手法です。彼らの思考は変化していないことが分かります

 町山智浩らの女性蔑視的な言動は、決して『済んだ過去の話』ではなく『現在も続いている話』なのです。

この投稿は以上です。アーメン

追記】2021/04/01の午前十一時〜十二時ごろ5ちゃんねる上に「はてな匿名ダイアリーの新作が投稿された」と書き込みがされたようですが、その投稿は私ではありません。既に件の投稿はてな匿名ダイアリーから削除されたようですが、一応お断りしておきます

追記その2】以前の投稿に対して、なんJっぽい言葉かいで絡んで来た人間がいました。それと同一人物か否かは不明ですが、現在匿名掲示板ちゃんねるの『映画秘宝』関連スレでは、私の「―――」を使う文体を真似して書き込みを行う人間がいるようです。瑣末な話ですが、5ちゃんねるに私は一切の書き込みをしていないこともお断りしておきます

雑誌映画秘宝』の記憶(34)

町山智浩柳下毅一郎問題発言集】(No.10)

元『映画秘宝編集部員の秋山直斗(ナオト)さんにも不正義や不公正と一緒に闘ってもらうために、引き続き頑張ります。出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判2』(2004年洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記記述形式

   [ページ数]

   発言者発言内容

   【※】付随情報や私個人の感想など(適宜)

   (初出)

です。

引用ここから

[p108]

【※】シャーリーズ・セロン主演『モンスター』の話題から

 町山:林真須美特殊メイク藤原紀香やらせるようなムダ。ていうか、美人がブスまで演じるのって独占禁止法違反じゃん!

 柳下美人はブスになれるけど、その逆は無理だもんね。

[p111]

【※】アカデミー賞獲得工作話題

 町山:これでわかるように、アカデミー賞なんて根回しと調整の副産物であって、公正で厳密なコンテストでもなんでもないんだ。くだらねえ。

 柳下ミラマックス社長ハーヴェイ・ワインスタイン必死から。98年に『恋に落ちたシェイクスピア』で大金投じて接待やら何やら大々的な票稼ぎして強引に作品賞奪取してさ、あれから恥も外聞もないオスカー戦略が始まった。

 町山:『恋に落ちた〜』こそブッシュ大統領当選匹敵するインチキ作品賞だった。その後の映画史に何の影響も与えていない。

【※】その「くだらない」イベント解説で小銭を稼いでいるのが町山智浩です。

【※】そのハーヴェイ・ワインスタインと昵懇の仲だったのがクェンティン・タランティーノで、そのタランティーノを「オレらの仲間」扱いしていたのが『映画秘宝』です。

【※】そして、タランティーノが「演技指導」の名目ダリル・ハンナハードコアポルノを見せると云うセクハラ行為をした話を、タランティーノから聞かされて一緒に笑っていたのが町山智浩です。

【※】「ワインスタイン-タランティーノ-町山智浩映画秘宝関係者」と云うセクハラ人脈の系譜

(初出『映画秘宝』03年vol.41)

感想】ここで『恋に落ちた〜』の評価に関して町山・柳下が話していることは、高橋ヨシキてらさわホークの共著で模倣されていて、本当に「センパイの真似」が好きなんだなと改めて思いましたね。

この投稿は以上です。ヘイル・サタン

2021-03-19

anond:20210319183210

アカデミー賞審査って時間がかかるから音を消して1.5倍速で見てるんよ

から声の芝居は対象外なんよ

2021-03-17

いやめっさアカデミー賞期待してたですやん

なんでノミネートしなかったらやっぱりねって皆さん言うてますのん

あの熱気はなんだったのですか

一緒に悔しがりましょうよ

そうやってムーブメントを楽しんでたのではなかったですか

2021-03-14

ポリコレの悪い意味での結果の映画を見た

ふたりの女メアリーエリザベス」という映画が、ポリコレに対して普段まあそんなものでしょと思っていた私でも、納得がいかなかった。

2018年制作国内上映は2019)の映画だが、舞台は1561年の王様崩御からはじまる16世紀のイギリス王室スコットランド王室を中心としている。

当時のヨーロッパ各国にとって大航海時代、そして奴隷貿易花盛りの時代だ。

という時代背景を踏まえた上で気になったのが、イングランド大使黒人男優であったこと。女王のお付きの者にアジア系女性中国系イギリス人)がいたこと。

歴史映画ポリコレとかダイバーシティとか持ち込むことの是非はともかく、どのような作り手の意図があるかは分からないけど、

16世紀のイギリス王室で??

戦国時代舞台大河ドラマで何の説明もなくいきなり外国人存在してるようなものでは?

公式サイトにも「アカデミー賞受賞スタッフが作り上げる16世紀英国世界」って書いてありますけど…

全然からない。

公式人物相関図にも二人とも載ってる。分からない。http://www.bitters.co.jp/2queens/

2021-03-10

雑誌映画秘宝』の記憶(7)

今回は、町山智浩による同性愛者への差別がメインです。

書棚の片隅から発掘した町山智浩柳下毅一郎の共著『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判』を改めて読み返してみました。強く感じたのは、本書における町山智浩柳下毅一郎の二人が、とにかく「『自分たちは男である』と云うことの証明アピール」に躍起となっている点です。

ただし、その「男であること」の証明アピールとは、例えば「自分よりも弱い者を守る」姿勢を示すとか「大人としての責任を果たす」姿勢を示すといった、立派な行動に依るものでは決してありません。(※なお、言うまでも無いことですが、これらの立派な行動は「男性だけのもの」ではありません。これらの行動による美徳は、女性性的マイノリティを含めた「全ての人間が持ち得る美徳」です。)

しろ、本書では「弱い者や価値観の異なる者を嘲笑する姿勢」を示したり「男の性(サガ)だからバカな事をしても『仕方が無い』」という言い訳することこそが、町山らにとっての「『男であること』の証明」なのです。

更に、この「男であること」の証明は、町山や柳下の中では「『ゲイではないこと』を証明すること」とイコールで結ばれています。それを物語るかのように、本書の中で町山智浩柳下毅一郎は熱心に、執拗なまでに「同性愛者(特にゲイ)への嘲笑差別」を繰り返します。それによって、町山と柳下は「俺たちは『彼ら(同性愛者)』とは違うのだ」とアピールします。

本書の中でゲイについて語る際、町山智浩柳下毅一郎は盛んに「ホモ」と云う単語使用します。そして、彼らがこの「ホモ」という表現を使う時には、しばしば「(笑)」という表現だけでなく「疑惑」という表現も伴います。「ホモ疑惑』」という風にです。

例えば、ケヴィン・スペイシーが『アメリカン・ビューティ』に主演してアカデミー賞を受賞した際には、町山智浩は「これでケヴィン・スペイシーホモ疑惑』も晴れる」と言い放ちます。これは、この映画ケヴィン・スペイシーの演じる主人公が、隣人の女子高校生との情事妄想しながら自慰行為に耽るという場面がある事を受けての発言です。

考えてみて下さい。一般的に『疑惑』という表現は「汚職疑惑』」や「捏造疑惑』」等の「悪い事」を表すために使用されるものです。つまり町山智浩柳下毅一郎にとって「ゲイ(であること)」は「『嘲笑』する対象であるだけでなく「『罪』として裁かれるべき対象」なのです。

また、本書の元となった記事が各種媒体掲載された時点で既に故人であった(従って、否定反論などの意思表明を当事者が行う事は不可能であった)淀川長治セクシュアリティ嘲弄する場面が、何度も見られます。これまでにも指摘したことですが「彼らの目から見て『弱そう』に思える相手にはヤンチャに振る舞う」という、町山智浩/柳下毅一郎/高橋ヨシキ/てらさわホーク等を中心とする『映画秘宝』界隈にお馴染みの行動パターンは、ここでも観察されるのです。

恫喝DM事件が発覚した直後に『映画秘宝』関係者は「これまで映画を通じて不正差別と闘う姿勢を学んできた」と主張しました。しかし、ここまで読まれた方には、それがいか実態と懸け離れた虚偽の主張であるか分かっていただけると思います

最近町山智浩高橋ヨシキてらさわホークは、彼らと同じく「反・権力」をビジネス上の売り物とするヒップホップミュージシャンの一人ダースレイダーと共同して行った映像配信で「こんなディストピアはイヤだ」と云う内容のトーク披露して、信者たちと共に盛り上がっていました。しかし、彼らの言う「ディストピア」とは、当に「町山智浩高橋ヨシキが中心となって『ヤンチャ』な振る舞いをし続けてきた『映画秘宝』」そのものではないでしょうか。

町山智浩の機嫌を取る為に、自分男性パートナーが「町山さんに胸を揉ませろ」と言い、周囲の人間が誰もそれを止めようとせず、それが起きた後も批判しない『映画秘宝』内部のホモソーシャル社会いか同性愛者を差別し、嘲笑できるかを競う『映画秘宝』のムラ社会女性性的マイノリティから見れば、それは立派に完成された『ディストピア』だと私は思いますあなたなら、どう思いますか?

気が向いたら、また何か書きますアーメン

2021-03-07

ポリコレ棒うぜえと言うことはできても、それはまじめに聞くに値しないと思われてしまう現状が問題なんだよ

かにリベラルアンチリベラル意見だってインターネットで吐き出するぐらいは自由にできるさ。

書店に本を並べることもできるだろう。

流石にそれらを直接口封じされるほどヤバい状況にはなっちゃいない。

だけどそういうのって、学問だの批評だの言論だの民放テレビだのアカデミー賞だの直木賞だのNetflixだのの場からは、価値観アップデートができていない野蛮で遅れたアホの野次だとか、衆愚自尊心をくすぐる思想ポルノしかないと見られてるじゃん。

リベラル側がストーリーを語る権利がないがしろにされているってのは、その辺を指してるんだと思うぞ。

リベラル元増田からすれば「世間一般には非リベで保守の奴らのほうが多くて、俺らは数で負けてるんだから、優位にあるわけがない」って感覚なんだろう。

でもな、数の問題じゃねえんだわ。

なんだかんだいっても言論の中心ってのは、やっぱ格調高そうな大学先生とか、文化人とか、テレビとか、賞レースに参加する作品とか、大企業プレスリリースとかなんだわ。

たとえその担い手が人数としては少なくても、その辺を通じて出されるメッセージは、真面目なメディアを通して、真面目に扱われ、真面目に広められる。

アメリカFOXは、あの極端な保守があのメジャー度なの意味わからんしこえーな。扱われ方の実態をよくしらんので置いておくが)

虎ノ門ニュースだのまとめサイトだの平積み愛国本だのは、影響力と売上はあっても、結局ゴシップカスとり雑誌流言飛語のたぐいでしかない。

俺はあの辺に触れてないけど、たぶん愛好者層のほとんどは自分たちが好んでる情報がうさん臭くてバカにされるもんだってのは自覚してると思うぞ。

たとえばいくらソシャゲが売れてようと、そのプレイヤー達ですらゲームトレンドを作るのはコンシューマや大作PCゲーだと思ってる。

ユニクロヘビーユーザーでも、世界ファッションを動かすのはルイビトンだかエルメスだかだと思ってる。

重鎮というもの存在感はやっぱデカいんだよな。

今、言論における重鎮たちは圧倒的にリベラルが多いと思わないか

たまに芸能人だの思想家だのが非リベラルなことを言う場合、みんな「敢えて言う」とか「歯に衣着せぬ本音を」みたいな前置きをするか、「過激発言」みたいな後先考えぬ炎上芸ぽい奴ばっかりだ。


カズオは、リベラルストーリーを語る権利自分たち専売特許であるように感じてる、と言った。

僭越ながら俺が表現しなおすならば、「語ったストーリーを聞いてもらえる権利が、リベラルに偏っている」という問題だ。

もちろん厳密な権利論では、語られてる主張を聞くかどうかってのは聴衆に任せられる部分であり、語り手が「俺の声を絶対聞け!」と要求する権利はない(あったら世の中がやばいことになる)。

だが、非リベラル意見には、世間的な大義名分が与えられづらいのは確かだ。

リベラル意見は、真面目な高尚な場で、真面目で高尚に扱ってもらいづらい、ともいえる。

リベラル人間は、それは非リベラルというレッテルで聞くのを拒否しているわけではなく、実際に聞いた中身が余りに暴力的だったりくだらないから反対しているだけだ、と言うかもしれない。

でも、それはリベラル価値観暴力的でくだらないとされてるにすぎないのかもしれない。

世間的にも同じように判断されるはず?

ならますます不味いぞ、世間全体がリベラル価値観に寄ってるということだから


あと後編の方、何十も前の死んだ作家が非ポリコレからどうの、なんてのはどうでもいいとこだろう。

現代分析や警告をしてるんだから古典の話は関係が薄い。

露骨古典が燃やされだす、もしくはドラマ映画批評本で古典を題材に撮ったものが連発されだしたなら取り上げる意味が出てくるけどそうじゃないからな。

anond:20210306213555

2021-03-04

マネーショートという映画

アマプラマネーショートって映画を見た。期待してなかったんだけど結構おもしろかった。

題名から資金が尽きてビジネスが立ち行かなくなった主人公の奮闘劇とかだと思ったが、実際は2008年のいわゆるリーマンショック前夜にバブル崩壊を読んだ人たちが空売り(ショート)をしかける話だった。

原題の「The Big Short」の方が内容をそのまま表していてわかりやすいのに何で変えちゃうのかな。

内容もいいし、キャストライアンゴズリングブラッドピットが出てるし、アカデミー賞脚色賞も受賞しているのに日本で大して話題にならなかった原因は、題名誤認でターゲットがずれてしまったところが大きいと思う。

ちょうど最近バブルっぽくなってきてるし、いろいろ参入している人にはオススメです。

2021-01-15

anond:20210115075520

事件当時ロマン・ポランスキー監督は不在で(映画でもその通り)、犯人たちに襲われていない。

現在も存命で去年も作品を出している。(少し昔の作品だが、戦場のピアニストはかなり話題になった作品

殺されたのは妻で女優シャロン・テートと、友人。

しか殺人犯とは何ら関わりがなく、以前に引っ越した住人と勘違いされて彼女らは殺された。監督らの素性は事件関係がない。

この映画が救ってみせたのは監督ではなくその妻、シャロン・テートだ。

今でも語り継がれる悲劇女優だ。

劇中でも説明される通り、当時売り出し中の女優で、監督の子供を妊娠中だった。

この映画ではシャロン・テートの魅力的な姿が何度も描かれ、しかし最終的にディカプリオが彼女の家に招かれる場面ではインターホン越しでのみ会話し、ディカプリオと同じフレームには映らない。

とても誠実な描写だと思う。

この映画が憎んでいるのはマンソンファミリーだ。

実行犯殺害を指示したチャールズ・マンソンは額に鉤十字タトゥーを入れているが、タランティーノ過去イングロリアス・バスターズで憎きナチの額に鉤十字を刻んだ。(ちなみにこのナチ将校役の俳優ポランスキー監督映画おとなのけんかで主演してる)

そしてイングロリアスバスターズでは「映画を使って」ナチどもを焼き殺したように、この映画でもマンソンの手下を「映画小道具を使って」焼き殺す。

イングロリアスバスターズの隊長は、ブラッド・ピットだった。

1969年は「ロックが死んだ年」ともいわれ、アメリカにとって大きな節目だったことには違いがない。

しか監督タランティーノは「ハリウッド監督」ではないし(アメリカ映画ハリウッド映画ではないのがややこしい)、彼はハリウッドアメリカなどメインストリーム以外の映画も浴びるほど見ていて、それこそ中国香港日本などアジア映画に多大な影響を受けた人間である

デビュー作も香港映画オマージュなくらいだ。

キルビルが急遽テイストの違う二本立てになったのも、チャイニーズオデッセイという香港映画の影響である。(チャイニーズ~は一作目がコメディで、二作目が恋愛もの

(タラオールタイムベスト一位に挙げている続・夕陽のガンマンイタリア産マカロニウェスタンアメリカ映画ではない。ちなみに監督セルジオ・レオーネが撮ったワンスアポアタイムインアメリカも長いけど大変な名作。セルジオ・レオーネ監督の大ファンでもあるし、タイトルからもわかる通りタランティーノはかなり影響を受けている。~インアメリカについては、ラストデニーロの微笑みの解説を見ると、また味わいが増す)

ブルース・リーの話が出てきたが、タラキル・ビルでは死亡遊戯衣装を真似し(何の説明もなく出てくる「カトーマスク」も、グリーンホーネットブルース・リー演じるカトーがつけていたマスクのこと)、主人公ブライドの使う技はブルース・リーワンインチパンチで、必殺技は(ブルース・リーに影響を受けた)北斗の拳の技のようだ。オーレン石井へ敬意を示す闘いは、ドラゴンへの道のチャック・ノリス戦を思い起こさせる。

キルビルで描かれる復讐暴力の虚しさは、燃えよドラゴンブルース・リーが奇妙な泣き顔で表現したのと同じものだ。

そして敵役ビルには、ブルース・リードラマ企画を奪った俳優デヴィッド・キャラダインを配している。

キルビルはある種、ブルース・リーを主演に見立てているのだ。

タランティーノは、そういう監督なのである。ちなみにブルース・リーの主演が叶わなかったドラマ企画が、ちょうどワンス~の時代の頃の出来事でもある。

ちなみに、キルビル前後編になった元ネタチャイニーズオデッセイの主演はチャウ・シンチー少林サッカーが有名)であるが、彼もまたブルース・リーマニアだったりする。(ドラゴン怒りの鉄拳パロディや、少林サッカーカンフーハッスル等、ブルース・リーネタ多し)

少し脱線するが死亡遊戯という映画もまた、「ブルース・リーという俳優の死後に、彼が生きているかのように撮られた」特別作品で、その点がワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド共通している。

(すでに香港ではスターだったが)ブルース・リーハリウッドでの売り出し中にこの世を去った人なのだ。(ワンス~劇中でシャロン・テート自分映画を見るシーンがあるが、ブルース・リー燃えよドラゴンの公開やそのヒットを目にすることがなかった)

ちなみに作中で喧嘩していたブラピ本人もブルース・リーおたくである。楽しかっただろうなあ。(ファイトクラブでの物真似が彼のアイデアというのは有名)

あとワンス~作中のブルース・リー調子こいてるのは、実際の彼がああいキャラだったためでむしろファンとしては大喜びするポイント。(ブルース・リーの物真似をするときは、顎をしゃくって半目で相手文字通り見下したように眺める。服のセンスも、実際にああいチンピラのようなダサいファッション

何より、タランティーノは「超」がつく映画狂で、大げさではなく映画から人生のすべてを学んだような人間だ。

あらゆる映画を吸収し、現実にはモテないスーパーボンクラだったくせに、(映画から知識だけで)玄人好みの渋い「中年恋愛映画」すら物にしてしま監督である

落ち目だった俳優を「自分が好きだから」という理由で起用し、劇的にカムバックさせたりと、フィクションの力で現実を変えたこともある。

(※ネタバレ注意:この俳優とはジョン・トラボルタのことだが、タランティーノの好きな某映画ではヒロインを救えず、せめて「映画の中だけで生かす」ことを選ぶ。言うまでもなく、ワンス~を思い起こす)

(というよりもともと映画のものが、亡くなった俳優の生きている姿を見られるタイムマシンのような装置なのだろう。そういう評論はよく見る)

そして、前述のイングロリアスバスターズではユダヤ系の、ジャンゴではアフリカ系の観客の心を、荒唐無稽フィクションで熱く揺さぶった。

ヘイトフル・エイトでは差別主義者と黒人和解をそれこそ「フィクション」という小道具を介し、素晴らしい形で描いてみせた。

日本ではネタにされがちなキルビルも実に真面目な女性映画である。「五点掌爆心拳」などという冗談のような技で、男女の歪な恋愛関係を誠実に描いたのだ。この映画では男はみな弱くて使えず、女性は強く逞しい。

タランティーノは「強い女性」を描く監督としても有名だ。殺人鬼変態スタントマンが、女性スタントマンたちにボコボコにされる映画デス・プルーフも撮っている)

タランティーノフィクションの虚しさも当然知っているだろうが、同時にフィクションの力を強く信じている人間でもあるのだ。

虚構の無力さをただ嘆く監督ではないと思う。

(ちなみにデス・プルーフの主演であるゾーイ・ベルキルビルユマ・サーマンの「スタント」をしていた女性で、ワンス~にも出演。例の「ブルース・リーとの喧嘩」で車を壊されたひと。死亡遊戯キルビルワンス~と考えてみても面白い)

(ディカプリオについては、ある種かなり本人に近い役。若手時代から演技力が高かったのに、レヴェナントで受賞するまでアカデミー賞からは長年ずっと無視され、色んな人に揶揄されてきた。アカデミー無視されてきたのはタランティーノも同じ)

もちろんワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、ハリウッドやその他の「アメリカ黄金時代」への郷愁が詰まったお伽噺ではある。

しか元増田は表面的な考えで映画を語っていると思う。

歴史を描いた作品理解するには、ある程度の知識必要だ。

2021-01-10

anond:20210110140138

説明不足で済まない。

同じ定型文の「いただきます」について、Aは気持ちが籠っているがBは気持ちが籠っていない、みたいな難癖をつけられることがある。

そのときに、それはしょせん外形のことであってAのしゃべり方が「気持ちが籠っているように見える」だけに過ぎないよね、っていう人と、実際に気持ちが籠っているからそれが態度に表れるんだよという人がいる。でもアカデミー賞級というほどでなくても、朝ドラレベル俳優朝ドラレベルの演技をされるだけで、俳優本人への好感度が爆上げしたり、感動して泣いちゃったりする人がいるわけで、そこに「気持ちがある」かどうかという議論をするのは意味がないよね、だから、それは置いといて、外形の話だけをしよう、ということが言いたかったんだよ。

2020-12-06

anond:20201206124411

フレネミー誘引体質は生まれきじゃなくて教育の結果だから、今からじゃ難しいけど直せないほど絶対的じゃないと思うよ。逆に、服を替えて脱ダサを目指すのは一見難しくなさそうだけど、自分で買い与えた服を着た小学生の実子をダサいという親兄弟に「ダサくない」と言わせたいなら、悪いけど難易度ベリーハードじゃきかない位に無理な挑戦だと思う。仮にあなたファッションモデルになったって、きっと評価は変わらない。

かの美人女優グレースケリーだって、実の父親からの「別に美人じゃない」という評価は覆せなかったんだよ。アカデミー賞インタビューの時だってケリーの父は「信じられない。(父が可愛がってる一般人の)姉の方がいい女優になれただろう」って答えてる。ちなみに姉を可愛がってた理由は、父親似でスポーツ好き(グレースは病弱でスポーツ苦手)だったから。モナコ王妃になろうと大女優になろうと、家族を貶すような人に客観的評価なんて関係ない。あんなに魅力的だったケリーも、結局ファザコン拗らせて破局繰り返して王妃になっても冷めた家庭だったと娘にいわれる人生あなたファッション勉強より愛してくれそうな人を探す(自分じゃ難しいなら評判いい婚活業者にでも何社か登録して「絶対見下してこない性根のいい人」とか指定してトライ&エラー繰り返すとか)のにお金時間かけた方がいいよ。そんなにファッション勉強して努力する根性がある時点で幸せになれる資質は持ってるから自己肯定感獲得さえすれば幸せになれると思う。

anond:20201206124411

フレネミー誘引体質は生まれきじゃなくて教育の結果だから、今からじゃ難しいけど直せないほど絶対的じゃないと思うよ。逆に、服を替えて脱ダサを目指すのは一見難しくなさそうだけど、自分で買い与えた服を着た小学生の実子をダサいという親兄弟に「ダサくない」と言わせたいなら、悪いけど難易度ベリーハードじゃきかない位に無理な挑戦だと思う。仮にあなたファッションモデルになったって、きっと評価は変わらない。

かの美人女優グレースケリーだって、実の父親からの「別に美人じゃない」という評価は覆せなかったんだよ。アカデミー賞インタビューの時だってケリーの父は「信じられない。(父が可愛がってる一般人の)姉の方がいい女優になれただろう」って答えてる。ちなみに姉を可愛がってた理由は、父親似でスポーツ好き(グレースは病弱でスポーツ苦手)だったから。モナコ王妃になろうと大女優になろうと、家族を貶すような人に客観的評価なんて関係ない。あんなに魅力的だったケリーも、結局ファザコン拗らせて破局繰り返して王妃になっても冷めた家庭だったと娘にいわれる人生あなたファッション勉強より愛してくれそうな人を探す(自分じゃ難しいなら評判いい婚活業者にでも何社か登録して「絶対見下してこない性根のいい人」とか指定してトライ&エラー繰り返すとか)のにお金時間かけた方がいいよ。そんなにファッション勉強して努力する根性がある時点で幸せになれる資質は持ってるから自己肯定感獲得さえすれば幸せになれると思う。

2020-12-04

アニメオタクアニメに何も貢献していない。むしろ害悪だ。

自分の中でのアニメオタク特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。

すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。

アニメオタクは何もアニメに貢献していない!

今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。

まず、オタクオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。

名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメ現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダール敬愛していてたまたまタツノコプロ求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。

「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫オタク地位向上のためにでっち上げものだ。本人も後にそれを認めており、外から圧力に弱い日本オタク市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫苦肉の策電通村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。

それは今まで世界的な評価を得てきた作品を見ていけばわかる。

まずは、宮崎駿アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風アニメ界ではむしろ異端であるスタジオジブリ的なもの宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本はいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインク制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。

宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界評価を得た、これは非常に重要ポイントだ。

押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき原作者ファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者ファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。

他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップだってそうだ。

オタク監督だと言われるウォシャウスキータランティーノだってウォシャウスキーSFの人で決してオタク想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノ高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。

エヴァンゲリオン無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァオタクオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク想像力勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタク偏狭さに嫌気がなして反オタク改宗した。その事実オタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。

このようにオタクオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてもの全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク想像力オタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛新房昭之の姿だ)。

しろオタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。

オタクオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアートアプローチからまれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコード平積みされ、オタク想像力は一瞬で敗れ去った。

それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間駆逐されており、鶴巻は反オタク急先鋒である)。

そして、それは明らかにアニメ進化を阻害している。その理由を書こう。

まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるもの萌えから距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニー萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。

しかし、アニメオタク萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。

例えば近年稀に見る傑作である鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。

そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクアニメーションのことがわかっていない。だからスタジオジブリ的なものピクサーに取られ、アニメーションの快感マイケル・アリアスに取られてしまうのだ。

もう一度言おう。オタク想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考アニメ進化を阻害している。

アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。

2020-11-16

anond:20201116111057

俺の年齢層が透けて見えたらなにか変わるか?

 

お前は俺の年齢じゃなくて、アカデミー賞よりも面白い日本テレビドラマを示せよ。

2020-11-14

anond:20201114125004

事務所圧力以前に、もうマスメディア人材劣化しまくっていて、

海外の動向なんてとても追っかける能力がないわけ

ひどいもんよ。ネットで調べて過去記事叩き台にして、そういうインスタント報道しかできなくなってる

海外エンタメ界の動向がわからない、難しい政治経済の話もわからない、アンテナも人脈も何もない

報道機関が世の中の流れを自力ウォッチする能力を失ってるから海外で頑張ってる日本人とか、日本国内マスメディアなんか全然知らないよね

アカデミー賞だの何だの、よっぽど大きい章でも取られないと認知されない、情報受信能力が微弱になりすぎて

2020-10-26

日本から捨てられた土地で生まれ

この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。

私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。

私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。

そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。

家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段テレビ新聞学校図書室だけだった。町には本屋もなかった。

私は決して学校勉強から遅れることはなかった。地元中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまり偏差値が違いすぎたため、バス電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。

あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領アカウントフォローした時には、テレビ新聞世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。

同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強したことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォン参考書自分朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。

その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学限定した。仕送り必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビしか見れないものだった。運良く私の家はBS契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画テレビYoutube予告編しか見れないものだった。アカデミー賞カンヌを取るような映画は大抵東京最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷ミニシアターヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。

私はどうにか大学受験をして東京とある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。

初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供ときに見ていた日曜日昼の番組中吊り大賞などというのがあって週刊誌記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。とき週刊誌卑猥コピー小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京最初に印象に残ったことだ。

私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。

そこである東大慶応学生たちと出会たことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業渡り歩いているらしかった。全員都内実家があった。

私は、自分と彼らの家庭環境のあまり格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンド仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。

他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校カリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校テキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかやす説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。

私は東京に生まれて彼らと同じ環境にいれば東大合格できた。

私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちからまれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語勉強のために夏休みカナダ語学留学をさせて、ネイティブ発音などを身に着けさせていた。私は英語勉強が好きだったが、流暢な発音馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3ダウンロードした英語スピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれ環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。

私は自分人生を激しく呪うことになる。生まれ場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。

私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。

私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴武器にこの後は一流企業就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間そもそもいらないのだと。だから勉強する環境手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。

私が大学卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣大学試験について「地方学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ地方土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。

また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネット地方で使うインターネットはまるで別物であるインターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCプログラミングというもの存在を私の田舎認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供プログラミング教室などに通って小さいころからそういうもの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態インターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場人間発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親からまれ子供だけである田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。

話が脱線してしまったのでもとに戻す。

私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎もの必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。

とにかく必死だった。帰る場所必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去日本が課した呪縛から逃れられていない。

こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かにまれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定いいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。

追記1

めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。

高校には社長の息子とか医者ゴロゴロいたでしょって話について。

同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子もっと都会の私立学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方公立の方がレベルが高いので。

同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。

友達床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。

でもみんなよく勉強してました。

同級生殆ど地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebook検索したときインターネット系の大手で働いている人はいました。

追記2

追記を書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20201027203138

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