はてなキーワード: 最優秀賞とは
考え方も変わる。
人も変わる。
ただ、それだけなんですよ。
だから、信じて前見て歩んでいきましょうね。
何も間違っちゃーいない。
2:58 AM · Jul 22, 2021·Twitter for iPhone
https://twitter.com/tsujimoto_kouji/status/1417906814239133701?s=20
雑誌マルコポーロは1995年に『ホロコーストは無かった』と書いて廃刊になっている。
ユダヤ人大量虐殺の置き換えで日本人強制収容所や空襲や原爆がよくあげられるけど、
ましてやそれを成人後に高等教育(多摩美大卒)を受けた人間がTVでやるなんてとても正気じゃない。
そもそも、ホロコーストが無くたって、障害者をバカにしたネタ、介護士が老人溺死させるネタ、同性愛差別ネタ、日本航空事故ネタ
サブカル選民思想クズにありがちな不謹慎ネタのオンパレードである。
▼ラーメンズ『雀』より「ネイノーさん」
▼ラーメンズ『FLAT』より「ドーデスという男」
不謹慎ネタを扱うことに確たる信念を持ち、あらゆるものを斜めからぶった斬り、自身の作品に生涯責任を持つ覚悟を持っていると言うのであれば、
小劇場や規約に反していないならYouTubeなどで理解あるファンたちと楽しむ分には良いだろう。
・・・が、まさかのぉぉぉぉ〜〜、NHKの仕事やるはオリンピックやるわ、謝ったからいいじゃんって、あのさぁ・・・・・
b:Id:triggerhappysundaymorning ラーメンズの不謹慎に関してはお山田で例えるとお山田の行為を不謹慎ジョークのネタに使ったレベルなので怒られるべき話だが「謝れば済む話」.
[日刊スポーツ]小林賢太郎のコント公演メンバー、開会式出演終え「喜んでくれてた」と投稿 [2021年7月24日12時6分]
23日の東京オリンピック(五輪)開会式で、なだぎ武(50)とともに撮影クルーに扮(ふん)し寸劇を披露した辻本耕志(44)は24日未明、ツイッターに「泣けてきた。でも、喜んでくれてた。くそったれめ」と投稿した。コメントには、「喜んでくれていた」人物は、開会式直前にショーディレクターを解任された小林賢太郎(48)だと察するファンの書き込みが相次いだ。
なだぎ、辻本は、小林が立ち上げたコント公演「カジャラ」のメンバーでもある。寸劇パート以外でもカジャラ出演のメンバーが出演していた。
辻本は「開会式、無事に終わりました。いろんな意見があるけども、たくさんの事があったけども、僕たちは、責任を持って、たくさんの人の想いを込めて、やれる事をやった。見てくれた人たち、ありがとうございました」と感謝をつづっている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fc9e354e4f497c69217abd1f5805be5b3e2137b5
anond:20210725200722 anond:20210725203059 anond:20210725202546 anond:20210726193523 anond:20210726193211 anond:20210726081714 anond:20210726144349
● 2008年北京 <チャン・イーモウ>
代表作
『紅いコーリャン』
『初恋のきた道』
『HERO』
● 2012年ロンドン <ダニー・ボイル>
代表作
『127時間』
● 2016年リオ <フェルナンド・メイレレス>
代表作
『ナイロビの蜂』
『ブラインドネス』
● 2021年東京 <小林賢太郎>
代表作
※開催前日に解任
This looks like the rehearsal! Hard to watch !
[FOX SPORTS] ‘Like attending a funeral’: Fans slam ‘worst ever’ Opening Ceremony
USAトゥデイ 「それは奇妙な、時には気まずい、そして非常に不協和な4時間のプレゼンテーションでした」
But in another – especially considering the controversy behind the Games and the toll they are taking on Japan and the world – this lackluster ceremony is a huge letdown. What's the point of all the risk, all the testing and quarantining and masks, if this is the best emotion and spectacle we can muster?
(しかし、大会の背景にある論争や、大会が日本や世界に与えている影響を考えると、このつまらない式典は大きな失望です。これが私たちが集めることができる最高の感情と光景(スペクタル)であるならば、すべてのリスク、すべてのテスト、隔離、マスクに何の意味があるのでしょうか?)
[USA TODAY] Review: The Tokyo Olympics opening ceremony was more of a whimper than a bang
他もこんな感じ
● 2008年北京 <チャン・イーモウ>
代表作
『紅いコーリャン』
『初恋のきた道』
『HERO』
● 2012年ロンドン <ダニー・ボイル>
代表作
『127時間』
● 2016年リオ <フェルナンド・メイレレス>
代表作
『ナイロビの蜂』
『ブラインドネス』
● 2021年東京 <小林賢太郎>
代表作
※開催前日に解任
初めて長文をネットに投稿するので、不備があったら申し訳ありません。また細かい部分は匿名性の保持のため一部改変してる可能性があります。
タイトル通りですが今年の9月に某国立大学を中退しました。現在24歳です。大学には理工学部に5年半在籍していました。1回生、2回生までは普通に進級できたのですが、3回生でつまづき(後述)、そこから休学を挟んで3年半3回生を繰り返して最終的には中退しました。
幼少期から勉強は非常にできる方でした。勉強するという点においては他の子と比べてあまりに要領が良かったのだと思います。勉強時間はそんなに取らずとも吸収力はすさまじいタイプでした。両親の学歴はともに平凡でしたが教育熱心で幼稚園から公文などの学習を始めていました。小学校4年生から学習塾に通い、中学受験もして難関中高一貫私立校に合格、入学しました。
ただ私自身は勉強自体が好きだったというよりはゲーム感覚で解けるのが楽しかっただけでした。そして中学受験までは良い大学に入って良い企業に就職するということが当たり前の幸せ、人生の目標といった感じでなんの疑いもなく勉強していました。しかし入学後にその考え方は複数の理由で消え去りました。この「良い大学に入って良い企業に就職する」という考え方は、後に両親が一種の洗脳に近い考えを私に植え付けていたのだと感じました。もちろん前述のようなレールに乗っかる人生設計は社会的に成功する可能性を高めてはくれるので他の人から見れば贅沢の浪費だと考える人もいるかもしれません。しかし当時の私はそうは思えませんでした。
中学入学以降私の成績は落ちていきます。中高一貫校に入ったおかげで高校入試もなく、生徒の自主性を重んじる校風もあり強制されて勉強させられることもありませんでした。自由な時間が増えたので私は遊ぶことに費やしました。テレビゲームだったり部活仲間とのカラオケ、ボウリングなど、一般的な中学生でした。成績は落ちたと言っても有名私立校で真ん中くらいの成績でした。これは高校3年生まで変わりませんでした。勉強時間も日頃は宿題をやる程度でテスト前だけ範囲分おさらいするくらいでした。
しかし、勉強好きだった(ように周りからは見えていた)私が勉強しなくなった一番の理由は、周りの圧倒的な天才集団を目の当たりにしたからでした。もちろんそれは一部の生徒でしたが、数学オリンピック金メダリストだったり、論文コンテスト最優秀賞だったり、とにかく次元の違う天才がゴロゴロいました。もちろん彼らも類稀なる才能の他に血のにじむような努力はしていたに決まってるのですが、当時の私はその才能に嫉妬し、「とてもじゃないが敵わない」と感じ、トップオブトップを目指すのをやめてしまったのです。そこから勉強するのが苦痛になりました。「どうせあいつらには勝てないのになんで勉強する必要があるんだ」と。
その結果勉強の方はなあなあで高校3年生まで過ごしてしまいました。それでも一定の学力は維持していたので効率よく勉強する才能だけはあったようです。
とにもかくにも高校2年生になった私は自然と大学受験を意識し始めます。将来の夢もそれのために行きたい大学もなかった私はとりあえずどちらかというと得意だった理系を選択します。大学受験しないという生徒は周りに1人もおらず、仕方なく周りに合わせて大学受験する、といった感覚でした。
高2のときは一応東大を目指していましたが本気で勉強しないで行けるほど甘くはなく、高3の夏にはランクを落として某国立大学を目指すことになります。その大学ですら日本ではベスト10に入る有名大学で、企業からも高く評価されている大学です。「この大学にならほとんど勉強せずに入れるぞ」と感じ、それでいて社会的に一定の評価を得られると思ったのです。
実際高3の夏以降の平均勉強時間は、平均1日5時間もなかったと思います。
そんな舐めた私ですが、センター試験、2次試験ともに無事終了し、結果は合格。
世間一般の受験生からすればほとんど勉強せずに有名国立大学に入って「しまい」ました。自分の受験に対する計算がぴったり合っているくらいの小さな努力とそれなりの結果の相関があり、割と満足してました。
大学は自宅から通える範囲ではなく、ひとり暮らしをはじめました。大学生になってからは自由を得たこともあり、誇張なしに全く勉強しませんでした。1回生、2回生まではほとんど単位を落とすことなく進級できましたが、そのあたりで異変に気づきます。「授業についていけない」と感じることが多くなってきたのです。大学の理系科目の高度な授業を勉強せずとも理解ができるほど私は天才ではありませんでした。同級生に過去問などをもらったりして単位を拾ってはいましたが次第に大学の授業に出られなくなりました。最初は自分が怠惰なだけだと思っていたのですが次第に大学に向かうだけで動悸、めまい、嘔吐などの症状が出始めました。これはもしやと思い心療内科に行くと案の定うつ病と診断されました。
これだけ見ると「何だこいつ甘えてるだけじゃないか」と言われそうですが私は自己分析していました。メンタルの弱さと完璧主義です。
もともと完璧主義者のようなきらいがあった私はできない事があるとすぐ嫌になってしまう性質がありました。小学校の頃は図工や家庭科などの副教科が苦手でうまくこなせないと授業中泣いてしまうことも多々ありました。周りの子に主要教科では負けたことがないのにです。また中高時代の天才に出会ってからトップオブトップになれないという挫折を引きずっておりそれが数年たって限界に達したとも考えました。
私は4回生にあがれず留年しました。2度目の3回生を始める4月に休学をして、2年間大学に行きませんでした。その間将来に対する不安が募りました。大学すらまともに行けず、しかも自分の努力不足であるという自己嫌悪に陥り、社会人としてやっていける自信もなくなっていたのです。死にたいと思ったことも何度もありました。
しかし大学から離れたことでうつ病の症状は緩和され、バイトを始められるまでになりました。
そのバイト先で評価され社員にならないかという打診を受けて、大学を中退し今年の10月から社員になりました。大学にこれ以上在籍しても勉強・研究する気は全くないし、自分の将来にプラスになることはないんじゃないかと思い思い切って中退しました。現在は後悔は全くないです。
長くなりましたが一応まとめを書きます。この話から皆さんに伝えたいことは人生は辛いことから逃げていいということです。
私自身いわゆるエリート街道を歩んでいましたが、挫折し、レールからは外れました。少年時代描いていた未来とは大きく異なっています。高卒ということで今後大企業に就職できる可能性は大きく減りました。昔ならそれに耐えきれませんでしたが今は非常にポジティブに生きています。
しかもイレギュラーではありますがコロナ禍の現在、就職できただけでもありがたいと考えていますし、現在の仕事にやりがいも感じています。人生一度きりだし後悔のないように楽しく生きる。これが今の私の人生観です。
https://note.com/ikeay/n/nad1517232125
これね。ホームレスという異文化からは学ぶところがある、差別などではなく素直に見習いたいと思う、というやつ。
これを書いた人は差別意識が一切ないって言ってるけど、あるじゃん、と思ってしまった。
「あるものや拾ったものだけで欲しい物を作る」「なんでも直して使う」って、
でもそれを記事にしたところで最優秀賞にはならないし、この人も採り上げようと思わないはず。
なんでかって、やっぱり「ホームレス」というラベルに価値があるからなんだよね。
普通の人でもやれる徹底的なDIYも、ホームレスがやると「素晴らしい異文化」になる。
「ホームレスなんてどうしようもない存在だと思ってたけど実は学ぶところがあった、すごい!」
自分の無意識下には、そんな「捨て犬に優しくする不良が必要以上によく見えるギャップ萌え」的な思考があるんじゃないか?
そういう自問を行った形跡でもあれば、まだ良かったけどね。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
まあ実際、ホームレスになんてなりたくないし、近寄りたくもないよ。
冬場とかどうしてんのかな、とか思うし。
工夫して何とかしてると分かれば「へー!」と思うだろう。
でもそれは、下世話な部類の興味だよね。
嫁に言わせれば、下手くそなギロとか、なにか石のようなものでコンクリを削るような音だそうだ。
歯ぎしりを撮った動画を見せてもらったけど、たぶんかなりひどい。
中学生の頃に、よい歯のコンクールで最優秀賞もらう程度には歯並びもいい。
それなのにこの歯ぎしり。
朝起きるとだいたい頭痛がするし、顎の関節あたりが熱を持ってて、昼くらいまでこれが続く。
おかげで顎関節周りの筋肉がずいぶん発達して顔のシルエットがデカくなった。
エラがはってるなあ、とは思ってたけど、たぶん筋肉。
10年位前に、どうにかしなくちゃってことで歯医者に言ってマウスピースを作ってもらった。
これはだめだった。
歯にジャストフィットこそするのだけれど、寝ているとどうにも歯がうずくようで心地が悪い。
数日もしないうちに引き出しの奥に追いやられた。
歯ぎしりの原因をネットで調べても、ストレスだの寝る前の飲酒がいけないだの、そんな当たり障りのないことしか書いていない。
断酒はまったくもって歯ぎしりの根本的改善にはならなかったが、数日続けた後の朝起きたときの体の軽さは大きなメリットだった。これはまた別に書いてみようと思う。
そのうち、検索画面は広告記事やうさんくさいまとめページに汚染され、歯ぎしりについて調べることすらやめてしまった。
気がつくと右の犬歯の先が平らになっていた。
今思えば、ここでさっさと本腰を入れて対策をするべきだった。当時は、なにか噛み合わせが悪くて欠けちゃったのかな、なんて思ってた。
年月が過ぎ、次に気づいたときには左前歯の先が削れて穴が空いていた。
舌でなぞると、舌の味蕾が歯先の穴にひっかかる。
この時、歯ぎしりによって自分の歯が減り、歯に影響しはじめていることにようやく気がついた。
お湯で温めて歯型を取る半透明の安いやつだ。なかなかうまくできなくて、何度も作り直した。
慣れるまで苦労した。とにかくすごい異物感だ。
寝にくいのもそうだが、些細な突起が、寝ている間に口腔内に跡を作りそこから口内炎になるということがたびたび起こるのである。
ハサミで小さく切ってみたりもしたが、切り口の角が立つとやっぱりそこから口内炎になった。ぴえん。
数ヶ月かけてトライアンドエラーを繰り返したマウスピースだが、4号くらいになると、どういうマウスピースが自分にあっているのかがだんだんわかってきた。
どうも歯型を取るときに無意識に上の歯と下の歯をくっつけるように噛み合わせていた。
これではだめだ。眠っている時、人はかなり下顎を後ろにひっこめた状態になる。
4号は今も使っている。非常に出来がいいので見せたいくらいだ。
さらに、いつの間にか、寝落ちする瞬間にマウスピースをハメるなどの小技も身につけていた。
ようやくマウスピースを健やかな睡眠に取り入れることができるようになったのだ。努力、勝利。
ちなみにマウスピースをつけると唇は閉まらない。よって、うつ伏せになって寝るともれなくよだれが垂れる。仰向けで寝るように心がけている。
大げさかもしれないが、納得の一品を手に入れたことは大きな自信になった。
そして、継続してみることでマウスピースのメリットを実感し始めた。
朝の頭痛がなくなったのだ。もちろん顎関節の熱もなくなった。
これ以上歯が減らないようにと始めたマウスピースは、4号は、睡眠には欠かせないものになっていた。
半年続けると、副産物的なメリットも見つけた。顎が細くなったのだ。
慢性的に炎症をおこしてこわばっていた顎関節周りの筋肉もすっかり鎮まり、あるべき居場所に落ち着いた。
ここ最近、久しぶりにあった人からは「痩せた?」と聞かれる。どうかな、と返す。
顔のシルエットは自分でもわかるくらい変わっている。
ちなみに1kgも痩せてない。
今週末、歯医者に行く。欠けた歯を埋めてもらうために。
この時期だからなのか、読書感想文云々な書き込みが目に留まったかはわからないが、小学生のときの思い出が蘇った。
夏休みの恒例となって久しい読書感想文だか作文の宿題をやっつけていたとき。テーマは「木の家」で、まだ幼きわしは図書館へ行って木の家の利点をくまなく調べて作文用紙へしたためたもんである。
いわく、木は木材となった後でも気温や湿度に応じて収縮したり湿気を吸ったりだの、冬暖かく夏涼しいだの、耐久性があるので長持ちだの。まあ木の家のメリットを調べ上げて、木の家のいいところをまとめた文章をモリモリ書き込んで肩の重荷を1つ降ろすことに成功したんだよ。
そんな作文を無事提出し終わり、特に待ってもなかった結果発表。なんの賞も貰えなかったけどこれもまた日常。しかしふと入賞した作文が気になったのだな。だって結構木の家のメリット調べあげた訳だし、かすりもしなかったわしの文章を尻目に賞もらったやつの文章、んまあ気になりますわな。
んで読んでみたわけさ、金賞だか最優秀賞だか忘れたけど「1番」のやつをさ。そしたらさぁ、
「木の家」「おじいちゃんとおばあちゃんの家」「柱に傷」「お父さんの背を図った跡」「当時の様子が目に浮かぶ」「私の背の跡」「私の背の跡とお父さんの背の跡が柱にどうたらこうたら」
大体こんな感じ
もう20年前くらいの話だからちょっと違うかもしれないけど大体こんな感じ。
もうこれ母親か誰かが書いたやつだろ。少なくとも小学生が書いたシナリオじゃねーわ。文章力はともかく。(どんな文章だったかは覚えてないけど)
お父さんが子供の頃の風景が〜〜〜みたいなことが書いてあんの。当時のわしもこれゼッテー嘘だわ思いましたわ。今でもこれゼッテー嘘だわ思ってます。
とは言え誰が書いたとかは当時のわし的には割とどうでも良くて、このとき抱いた感情ってのが怒りでも呆れでもなんでもなくて、
「あーーーーー……こういう感じかぁ……」
っていう、わしの視点がズレてたんだなぁ、求められてるのはこういうのだったんだなぁっていう、単なる、ただただ「はぇ〜」っていう感情だった。
別に関心したわけでもないけど。あーこういうのね、あーそっか、はぁ。みたいな
呆れもてないんだけどね。はぇはぇみたいな。やっぱなんか調べた事実の羅列よりもお話〜〜みたいな、感情〜〜みたいなのが「いい」んだなぁってしみじみ思いました。
そんな思い出の夏でした
おわり
あれ、引用RTの中にリプライ(@anond_masudaみたいなやつ)が入ってたらその人にも通知飛ぶからな
ご丁寧にも書いた内容まで通知欄に表示される
例えばイラストコンテストやってるアカウントが「今月の最優秀賞は@anond_masudaさんの作品です!」と発表したとする
その発表を引用RTしながら「クッソ下手じゃん」「俺の方がうまい」などとツイートしようもんなら
その文面まるごとイラストコンテストのアカウントだけじゃなくてanond_masudaの通知欄に表示されるからな
"自分が言及したことが当事者や第三者にバレにくい"イメージがあるけど
実は陰口には最も向いていない機能だぞということ
参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。
3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的な自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関で受診したところ、聴力も問題なく知的障害(自閉症)との確定診断。
応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園。
「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園。
保育園の間は、ずっと会話は不成立。
3歳でビデオデッキの操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。
確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。
テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。
しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。
たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡のCDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分で操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)
テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターでDVDは視聴可)
発語はあるが会話は成立しないのですから、小学校は当然にしてストレートで特別支援学級です。
集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)
「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運。安心すると精神状態が落ち着くんですね。
特別支援学級の教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。
言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます。
予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性を最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。
伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます)
息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロの距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。
電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板と写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効だから打ち明けますが、1区分の切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります。
地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。
実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネルが最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない。
ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女の存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから。
特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから。
家族での外出のほか、JRが沿線で企画するウォーキングに猛烈に参加しました。
参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。
他の子達と同様、かならず電車の最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞの超ローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。
あと英語のナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分で英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。
10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。
食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。
ヤフーキッズをブラウザのデフォルトにしたのと、使用時間に制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。
パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿な映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんとプリキュア(笑)
年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメや芸能関係の Wikipedia の更新もやってたみたい。
基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。
時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。
まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することなく喧嘩させる選択(妹相手に喧嘩の練習をしておけ、と)
3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。
その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。
小学校の入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。
無事に一人で(同級生と)行ってきました。
プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。
養護教諭のフォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。
奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級を希望。
2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。
しかも女の子! だけど家庭の事情(引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間に見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています。
その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。
気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりにキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意
(性的なことをやったわけじゃありません)
当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります。
中学校の特別支援学級の担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。
3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生に相談。
数学や理科は進度が全く違うという理由で NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK。
7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっと(ギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。
JRのウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名(都市の位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。
理科は小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。
その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格。
たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。
9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。
ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。
4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋は売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチな登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。
温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)
よって、うちの子たちは本当に頑丈です。
中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。
小学~中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特な子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。
同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。
とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります。
年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。
迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校の保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動とかに参加したわけだけど、先生の命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子も自分の言葉で挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。
高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRのウォーキング企画に一人で参加することを許可
前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。
コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃんと自分で交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長
学校行事か何かで、家から最も近い私大(偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてものが学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。
高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後の文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。
劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。
名探偵コナンのナレーションを意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分の世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。
審査と表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラスは最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。
進路指導の先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系・理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学に出会ったからです」なのだから仕方ない。
いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格は絶望的だろう、と先生から言われ、最初で最後のチャンスということで指定校推薦に応募
そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)
第一希望の学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系の大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコンの仕事はできるのよ。
劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。
高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学を卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。
完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。
ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。
んで、この手のファンがつきそうなのっつったら変態王子と笑わない猫くらいしか思いつかんけどどうなんだろ。
仕事と睡眠以外の9割の時間、ロールケーキ情報を探していたといっても過言ではない。
はっきりいって狂っていた。
それなのに先週ふと、覚めてしまった。
べつにロールケーキじゃなくてもいいじゃん、
という気分になってしまった。
ブログもやってないし、この膨大なロールケーキ情報と経験値、どうすんだよ。
ということで、ここでロールケーキランキング@東京を記しておく。
#家に持って帰ると集中力が失われるためイートインできるところに限定している。
http://www.cakechef.info/special/shohei_yasuzaki/roule/index.html
ジャパンケーキショー最優秀賞と農林水産大臣賞受賞したらしい。
このロールは生地が最高。
なぜかユーハイムのフランクフルタークランツに近い味わいを感じるのだが
バタクリは使われていない。なぜだ。
老舗ホテルのカフェのクラシカルな店内で食べられるのがまた最高。
http://www.ogawaken.co.jp/cake/item_08.html
なお週末は土曜しかやっていないが、夕方はほぼ売り切れなので注意。
http://www.asterisque-izumi.com/index.html
生クリはミルク感を強めに感じる。
上記2店に比べ、いまどき感ある華やかパティスリーであり
http://www.lautomne.jp/products/index01.html
スペシャリテだけあって、隙のないロール。
予約しないとロールケーキのカットは置いていないことが多いので注意。
http://www.newotani.co.jp/tokyo/restaurant/p_satsuki/index.html?Psubid=71&DispTab=5
まったく高くない。
生地が主役といって過言でなく
私は断然こちらを推す。
順位なんてつけられない。みんな違ってみんないい。
やっぱりロールケーキ大好き。
先日、自分がバイトしているITベンチャー企業の忘年会に参加してきたのだがありえんぐらい最悪だったので書く
(このITベンチャー企業は前にもネットで少し話題になってたみたいなので知ってる人もいるかもしれない)
参加者は30人くらいで、社員10人弱、残りは学生バイトくらい。
今年は大学を出たばっかで最近入社した関西人新入社員が中心となって最悪の事態を巻き起こしていた。
まずはアルハラ。
とりあえずビール瓶を両手に持って新入生バイトを中心に回ってきて、無理やりグラスについで飲ませてくる。
グラスがなくなると次をついで、更に飲ませる。これの繰り返し。
次はセクハラ。
この会社では毎週やってるプレゼンの年間最優秀賞プレゼンターが忘年会で表彰されるのだが、その賞品にAVを関西人新入社員が持ってきており、
それを女性に見せつけていた。
そして極めつけは脱ぎだす。
最初はシャツになり、ズボンを脱ぎ、ついには全裸(さすがにこれは限られた空間だけでやっていた)
ほかにも学生(男)にキスをしたり、ツバを吐いたり、疑似フェラ、疑似セックス、暴言。
いつまで大学生気分なのかはしらんけど。ありえなさすぎる。
社長はあまり関わらんとしていた様子から、めんどくさいのをいれてしまったと後悔をしていたのだろうと読める
おわり
おいおい忘れてるぜ?
削除はされないとは思うけど公開範囲は変わるだろうから魚拓は各自とっておいてくれよ!
https://www.facebook.com/jinichii/posts/683092255120302
https://www.facebook.com/jinichii/posts/747481912014669
にしても、
追記