はてなキーワード: 100メートル走とは
レベルの低い教育、選択肢の少ない趣味と娯楽、競う相手も同じ志を持つ人もいなくてただ焦燥感を感じるだけ
面白そうなイベントがあっても参加することができず、何も学べず、競えず、楽しめず、ただ人生を浪費するのみ
確かにインターネットの発達によってオンラインで学習することやホームページを閲覧することで一定の情報を得ることはできます
だがそんなものは全国どこにいたってできるもので、都会に住んでいればインターネットの教育に加えてさらにたくさんのことを学習、体験できます
一応自分の育った地域に感謝はしていますが「自分が生まれ育った故郷」でなければ私はこの場所に魅力など感じないでしょう
田舎に生まれても成功することはできます ですがその時間と労力をもしも都会の整った環境、人員、設備で使えていたらどうでしょう
きっともっいい成果を上げているのではないでしょうか
田舎に生まれるということは100メートル走でスタート位置を下げた状態で走り出すようなものです
田舎で子供を育てようというのなら、もう一度真剣に考えてください 子供に「どうしてこんな場所に産んだんだ」と問われた時何と答えるか
YouTubeで見つけた動画、ガトリンが100メートル走を巨大扇風機の追い風で9.45秒で走っていた番組の詳細がわからなかったのでメモ。
フジテレビ「カスペ! ~発見!からだの不思議サスペンスTV~」2011年11月1日(火) 出演者こじまよしお ワッキー 仁科仁美 はんにゃ金田 佐野アナ 司会加藤浩次
https://kakaku.com/tv/channel=8/programID=329/episodeID=522507/
Wikipediaにはカスペ! の項目にもどこにも書いてないのですぐわからなかった。YouTubeの転載説明やよくひっかかるアフィブログは炎の体育会TVなどと平気で書いているから困る。こういう時、価格.comのテレビ紹介情報ページに出演者と概要が残ってるので地味に重宝する。
ストリートファイター5やってみようかと思ったけどAbemaでやってる対戦動画を頻繁に見てたら飽きてきた。
同じキャラばかりだし、美少女がいない。CV遠藤綾のキャラはちょっと気になるけど顔がかわいくないね。日本のオタク向けには作られていない感じ。キングオブファイターズのほうはかわいいキャラいるけど、あっちは盛り上がってないっぽいね。
まあそれはともかく、格ゲーだとストリートファイターか鉄拳という感じみたい。
格ゲーって要するに反射神経大会という感じがする。極端なことを言ってしまえば超人たちによる超人じゃんけん。じゃんけんで絶対に勝つ方法は相手より後に出すことだ。ルール上は同時に出すといっても人間は完全に同時に何かをすることはないので、超人同士のじゃんけんでは先に出したほうが絶対に負けることになる。格ゲーもそれに似てる。相手の動きを見てから超反応で正確にガード及び回避、守りきってから確実に反撃。投げもからんでくるわけだけど、基本的にはじゃんけんと同じ。超反応で適切なコマンドを入力することが求められている。もっと雑に言ってしまえば、「すごい速さでボタンを押すゲーム」なわけだ。
反射神経を競うという意味ではスポーツと言えなくもない。でもその分ゲーム性がないので見てるほうはすぐに飽きる。何というか、100メートル走で号砲が鳴ってからスターティングブロックを蹴るまでの反応速度を競っているだけのようなゲーム性。単純すぎて戦略性がない。
eスポーツというのだからスポーツ性を押してるんだろうけど、超速度のコマンド入力というものにロマンを感じられる人ってどれだけいるんだろうか。キーボードのタイピング速度を競ったりもするし、電卓やそろばんなどもあるし、別にそういうジャンルがないとは言わないけれど。
なんというか、結局のところボタンを押してるだけなので、競技自体にスポーツとしての創造性がない。そこが飽きる原因かなあと。たとえばテニスなら単にフォアハンドといっても打つ状況によって毎回違ったフォアハンドになる。プレイヤーによって癖が違うということだけではなくて、同じプレイヤーでもひとつのゲームの中で毎回違ったフォアハンドを繰り出している。一方、ゲームでは立ちパンチは毎回同じ立ちパンチでしかない。弱中強などの打ち分けはあるのかもしれないけど、弱は何回打っても同じ弱でしかない。同じ速さ、同じ高さ、同じモーションの同じ弱でしかない。この性質がまさにeスポーツのゲームの部分だと思う。
ゲームであるためにスポーツとしては創造性がなく、スポーツであるためにゲームとしては単純すぎる。そんなジレンマがあるような気がする。
https://togetter.com/li/1126989
https://togetter.com/li/824984
ここ辺りの話についての私感です。
おそらくこの話の本質的な要素として、
・人は歳を取ると普通はキモくなる(凡例はあなたの親、ないし祖父母、ないし親戚、etc…)
・議論者の親やその周りの大人は世間一般的に語られる意味でキモい(セクハラ、男尊女卑など)
・そういった大人は家庭を持てているのに、その性質を受け継いだキモい人は結婚できていない
上記の流れがあるとは思う。(注;ちなみに、キモくないおっさんは80歳超えて100メートル走できるジジババ並みにレアなので、決して勘違いしないように。)
自由恋愛はもう既に広まりきった概念であり、これを崩すのは難しいと思う。
理由は至極全うで、普通は親というものは怠惰で、不細工で、慧眼もなく智慧も乏しい。
その性質を持った親に生まれ育ったのだ。その身の上で自己練磨など、不世出でもない限り無理だ。
むごいことに、これは男だけでなく女にも当てはまる。
つまり、みんなそんなに上等な評価を下されるべき人物ではない。上等ではない癖に、自由経済の如き自由恋愛を希求するのだ。
相応に賢い女性が、社会に出ずに専業主婦として生きていける旦那を選ぶ、というのは書いていて納得したところだ。
優良な旦那を伴侶とし、衆愚と交わることなく自身と近い性質を持つ高品質な女性と交流する方が、子供にとっても負担にならないだろう。
男も女も、お見合いおばさんが縁談を持ち掛けてきたり、家の都合で結婚できているうちはまだ良かった。適当に結婚できてしまう内は良かった。
今の時代では、世間体など関係なく、個々の感情的な価値観だけでも伴侶を決められる。
誰もが父、ないし母、ないし親戚か身近の不良のような異性だけは嫌だ、と避け続ける。
無能も醜容も当たり前であり、同居しているのはつい頭から抜け落ちてしまうのだろうか。
後世に伝えるべきは、相手が無能でも気にしないいい加減さと、相手が自身の無能を気にしないかフィーリングするテクニックを身に着けるべきだろう。