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はてなキーワード: 人にやさしくとは

2024-02-19

anond:20240219103855

18くらいから後悔の多い人生ですけど 

失敗が多い人のほうが人にやさしくできるよ 

あとは年取って面の皮厚くなったらおまえらサポートが悪いだけでオレは悪くないっておもえるようになるから大丈夫

2024-02-18

優しさってテクニックだよね

普通に人生を歩んできて、ある程度読解力がある40代くらいなら

人にやさしくすることはできるんだよね

子供にはするじゃん

あとはするかしないかってだけで

 

若者問題は優しさのテクニックが足りてないんだよね

もっとテクニカルに優しく教育してあげたらどうか

2024-01-18

anond:20240118122802

人にやさしく常に分け隔てなく敬意をもって生きてきたのに無職童貞孤独死まっしぐらなので放置子の主張に共感できる

2023-10-23

弱者男性ですがマリオワンダーで見知らぬプレイヤーの方が謎解き道案内してくれてうれしかったです。久しぶりに人にやさしくされた気がします。

2023-08-01

鬱病になった話とその後(追記

追記)予想以上に多くの人に見ていただいてびっくりしています最後の方にコメントで寄せられていることについて一部回答と説明を追加しました。

【本文】

初めての投稿

増田プロフィール

30代男性

身長173cm

体重76kg

高専

工場勤務

拙い文章なので読みづらかったらごめんなさい。

増田高専卒業して適当に決めた地方工場就職した。一応大企業工場なので給料はそこそこ良くて、交代勤務ということもあり比較自由時間が多い職場だった。学生時代は専ら夜型人間毎日来る日も来る日も、メタルギアオンラインをやって夜ふかしして授業中にうとうとするような生活をしていた。いつも寝不足気味だけど少し寝れば動けたため自分はあまり寝なくても大丈夫人間なんだと思っていた。就職してからもはじめのうちはそんな生活を続けていた。

三年目になって責任のある仕事を任され始めたときに、苦手な人が自分上司になった。

その人はとにかく揚げ足をとったり重箱の隅を突くようなことを言うことで有名だった。増田は無事その上司からロックオンされてしまい、それから3年間は地獄のような生活だった。交代勤務による不規則生活に加えて、上司からストレスで眠たいのに寝れない状態が続いた。眠れないかゲームをする。更に眠れなくなる悪循環に陥っていたと思う。ゲームをやめろよって思うかもしれないけど、その時は日々のストレスの捌け口がゲームしかなかったから辞められなかった。

いよいよ夜勤明けでも寝られなくなってきたので、休みの日はマック2セットと酒をどか食いして気絶するように無理やり寝ていた。おかしくなる前の1ヶ月は、2日間徹夜は当たり前、3日間徹夜することもあった。

そんなある日2回連続遅刻した。一回目はその日の記憶があまりない。あとから聞いたら、結構重要仕事をとんでもなく雑にこなして周りに迷惑かけたうえに、時間になると次直に交代してすぐに消えたらしい。

二日目はっきり覚えている。職場から電話で起きた。時間は朝10時。遅刻だ。しかも、なにやら頭の感覚おかしい。とりあえず目を覚まそうと浴室にいき、シャワーを浴びる。シャワーから出たとき時計10:40になっていた。体感5分ほどしか浴室にいなかったのに時間が経ちすぎている。浴室内での記憶がなくなっていた。とにかく会社に行こうと車に乗った。また記憶がなくなるのはヤバいと思ったのでしっかり目を見開いて信号の色を声に出して運転したが、最初信号以降の記憶がなく気がついたら会社制服を着てロッカールームにいた。仕事場に行き上司に一通り怒られたあと、夜勤明けの後輩と引き継ぎを行った。その後輩の日本語が何も聞き取れなかった。正確には、聞き取れてはいるんだけど意味理解する前に記憶から消えていく感覚だった。これはちょっと面白かったのを覚えている。もう一つ、引継書に書いている文字が浮き上がって踊っていた。これはうつ病だったり統合失調症の症状で聞いたことがあったので、あ〜これかーって感じだった。認めたくなかったが、その光景を見て多分だめだなって思った。その後仕事で使う設計図見ても何も意味わからんし、そんな状態仕事などできるわけもなく、上司ギブアップし頭の病院に行くことを伝えた。

診断は双極性障害。心当たりはあった。むしろ心当たりしかなかった。この3年間で貯金を含めて1000万くらい無駄遣いしていた。決まって散財するのは冬だ。車を買い替えること3回、友達に30〜50万あげたこともあった。趣味の道具で部屋は埋まっていた。これは躁状態によるものだったのだそうだ。

斯くして精神病院への通院と薬の服用が始まった。抗精神薬と睡眠薬を処方された。睡眠薬発明した人はすごいと思う。あんなに寝られなかったのに飲んで15分で7時間寝ることが出来た。抗精神薬は正直よくわからなかったが今良くなってるから効いているのだろう。会社休職すると辞めてしまいそうだったので、保健室通学みたいに会議室へ出勤して雑用をちょこちょこやるのを半年続けて、だいぶ頭がはっきりしてきた頃、友達に進められてやったマッチングアプリ出会った女の子と付き合うことになった。

これが本当に良かった。彼女のお陰で生活リズムは整い、部屋は片付き、風呂に入るようになった。やっと人間に戻れた気がした。

それから回復は早かった。その後交代勤務には戻らなかったが日勤として仕事ができるようになり、その彼女結婚した。子供はいないけど仲良く暮らしててあの頃を考えると、今は最高に幸せな日々を送っている。

双極性障害を経て、かなり人格が変わったと思う。

まず1つはプライドがなくなった事。自分をよく見せようとか、理想自分でなきゃいけないっていう強迫観念から開放された。いい意味プライドを捨ててありのまま自分でいられるようになったと思う。

2つ目は人にやさしくできるようになったこと。増田は元々冷たい人間だと言われていたが、本当に辛いとき彼女や先輩、後輩にかなり救われ、今までの自分があまりに醜く自己中心的だったことを思い知った。同時に自分のような人間を救いたいと思うようになった。

久しぶりに会う友達からは同じ人間じゃないくらい変ったと言われる。

双極性障害を、経験して人間的には成長できたと思う。精神疾患も悪いことばかりじゃないと今は前向きに捉えている。

追記

結構批判とかくるかなと思ってビクビクしてましたが、思いの外暖かいコメント、励ましのコメントが多くて皆さんの優しさを感じました。

回答するコメント

◯結局「理解ある彼女」の話じゃん

読み返してみたら確かに理解ある彼女」がすべてを解決してハッピーエンドになりました!って内容ですね。

実際、彼女のお陰で生活を立て直せたのでその認識で間違いはないです。

ただ後出し申し訳ないですが、元々増田は、中学生の時以来彼女はおらず、女といるより一人で趣味謳歌していたほうが楽しいじゃん、と思ってるタイプでした。コミュニケーションの取り方も自分の考えをまずバーっと喋ってあなたはどう思ってるの?みたいな、一般的女性からすると苦手なタイプだったと思います。はっきりしているので男友達はそれなりにいましたが。

そんな性格でしたが、うつ状態に苦しみ、自信とプライドが地に落ちていく中で導き出した結論は「悩みの答えは自分の中にはない」ということでした。自分理論ではうつ状態から抜け出せない事がわかったので、とにかく人の話を聞いて、その人が話す言葉の背景を想像して、色々な価値観否定せずに、様々な可能性に目を向ける癖をつけました。

多分その結果、タイミングよく「理解ある彼女」と巡り会えたのだと思っています

あと、嘘くさくなってしまうので入れませんでしたが、うつ状態真っ盛りのとき父親交通事故でなくなったことも、心境の変化のポイントだったと思います。ただ色々重なって職場ではとんでもなく不幸なやつだと思われてました(笑)

タイトル鬱病ではなく双極性障害だろ

これもたしかにそうですが、わざと鬱病という表現しました。諸兄には不要だったかもしれないですが、双極性障害より鬱病って書いたほうがイメージやすいかなと思ったためです。変更はしませんが、これで迷惑がかかってしまった人がいたら本当に申し訳ないです。ごめんなさい。

プロフィール身長体重いるか

全面的同意です。全く必要のない情報でした。(笑)

ハラスメント上司のその後

実は増田が苦しんだ3年間のうち最初の2年間だけその上司の下で働きました。ある時その上司言動限界を感じて所属長に直を変えてくれと懇願して移籍することができました。しかし1度起きた双極性障害の波はどんどん大きくなり3年目で破綻しました。その上司ステップアップして今も私と同じ職場で働いています特に何のお咎めも無いですが、増田上司を恨んでいません。その人はその人で家庭や仕事問題を抱えていて苦しんでいるようなのでお互い出会ったタイミングが悪かったと思っています。間接的ではありますが、その上司がいなければ妻と出会えなかったと考えるとむしろ感謝しています

最後

これを見て増田と同じような症状や悩みがある方は勇気を出して病院に行ってみることも一つの解決方法だと思います病院に行けば治るとは言いませんが、病名がついたことでホッとした自分がいました。仕事人間関係がうまく行かないのは自分能力が低いからだと自分を責め続けていましたが、病気のせいだとわかって少しだけ自分を許すことができました。だめな自分を許していく道のりの最初の足掛かりとなりました。死のうかと思うこともありましたが、今では生きててよかったと思えています。どうかあきらめないで自分を許す道を進んでください。

2023-07-22

(追記あり)プレイリスト「鬱」を更新したいんだけどいい曲ない?

今あるのは

①悲しい俺に寄り添って励ましてくれる曲

僕が死のうと思ったのは/中島美嘉(amazarashiによるセルフカバー版も)

ノンフィクション/平井堅

Gifts/superfly

大丈夫/クリープハイプ



②よし、気合い入れてがんばるか……!みたいになる曲



世界はそれを愛と呼ぶんだぜ/サンボマスター

人にやさしく/THE BLUE HEARTS

The show must go on/QUEEN

閃光少女/東京事変




③しょうもなくて悩みが馬鹿らしくなる曲



ニホンノミカタ-ネバダカラキマシタ-/矢島美容室

マツケンサンバII/松平健

チチをもげ!/パルコ・フォルゴレ(高橋広樹)

星界ちゃんと可不ちゃんのおつかい合騒曲/南ノ南




こんな感じ。

どれにも分類されないやつでもいいしこの歌手の曲いろいろ聴いてみ、とかでもいいからさ




(追記)ごめんな、鬱になりたいとか落ち込みたいとかの気分があると思わなくて「どうしようもなく沈んだときに聴いてなんとか生きる」の意味で言ってた。せっかくだし④どんなに浮かれていても冷や水を浴びせられて悪い意味現実と向き合える暗〜い曲も挙げてってよ。1~3と4で方向が逆だから4だけは4ってことを明らかにしてくれや。

2023-06-22

anond:20230622143922

ゼロ年代初頭は、新卒を極限まで絞るのと並行して、追い出し部屋なんぞつくって正社員をどうにかしてやめさせようとしてた時代

男でも、奥さん亡くして父子家庭になって残業できなくなったり、親の介護しなきゃならなかったりになると、退職勧奨されてた

日本解雇規制では、会社がつぶれるまで正社員をクビにすることができないか会社側も必死だった

それまでは人件費が不足すればメインバンクが面倒を見てくれたんだが、メインバンクがあてにならないのがわかったのがちょうどこの頃

人にやさしくないと言ってしまえばそれまでなんだが、結局は椅子取りゲームなんだよね

2023-06-17

三大好きな社会派?娯楽洋画ネタバレ

ネタバレ

特に映画に詳しいわけでもないけれど、現代社会舞台で肩ひじ張らない娯楽映画が好き。

ただ、そういう映画って何かのランキングかに紹介されることもなく、だんだん忘れられてく感じなので、とりあえず3本くらい選んでみる。

最近話題になった中ではザ・シェフみたいのが好き)

ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ 1997年 バリー・レビンソン監督

自分の中でプロデューサーというとこの映画ダスティン・ホフマン演じるスタンリー・モッツ。傲慢で厚かましく側にいたら絶対うんざりするだろうけど仕事は進めてくれるだろうという信頼感はある。「That's Nothing!!」

なお、この映画、例のビル・クリントンモニカ・ルインスキーの件が公になる前に封切られてる。映画演出フィクションを強調している(飛行機が落ちて無傷…)のも妙に迫力がある。

マーシャル・ロー  1998年 エドワード・ズウィック監督

イスラムテロリストと戦わないといけないけど、そのために先軍政治になってしまってはダメだよね、という今なら不思議でも何でもない映画製作が同時テロ前という。00年代の予習みたいな映画

拷問の直接的な描写はないけど、非常に印象的な演出

フリーマネー 1998年 イヴ・シモノー 監督

一部俳優が大物過ぎてひっくり返る(名演というか迷演というか…)。

当時クライムアクションという触れ込みだったけど、アクションではない…(ただ妙に盛り上がる)。サスペンスでもない。とんでもなく悪意たっぷり視線アメリカ田舎をこき下ろした映画

今だったら、ポリコレ勢と保守派の両方から袋叩きにされること請け合い。インモラル半端ない。ただ、自分はこの映画で、神と銃とピックアップトラックアメリカがあることを知ったのも確か。

ビルアクション 1998年 スティーヴン・ザイリアン監督

数ある法廷映画でもこの映画が好きなのは、やはり相手役のキャラが立っているから。良い仕事には、良い環境必要。昼休み電話をかけてくるものは滅びるべし。

ロンドンドッグス 1999年 ドミニク・アンシアーノ、レイバーディ監督

イギリス映画といえば「フル・モンティ」や「ロックストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」が有名ですが、これもじんわり心が温かくなる佳作。ヤクザ高齢化問題を先取り。バイオレンスで夜の生活もばっちり。

会社で、上司のやる気がないってイキってる若い人にやさしくなれる映画

セルラー 2004年 デヴィッド・エリス監督

高校科学教師って電話組み立てられるんだという驚き(ネタ)。1条件でどんどん場面を転がしていくのに舌を巻く。題名通り携帯電話使ったギミックが沢山。

ともあれ着信音がうるさい輩は万死に値する。

ヴィレッジ 2004年 M・ナイト・シャマラン監督

ごめんなさい。ファンタジー映画でした。でもファンタジー世界でも、人は業から逃れられぬのよね。

無垢っぽいキャラクターで話を作っているところが意地が悪くて好き。

ドミノ 2005年 トニー・スコット監督

賞金稼ぎって異世界しかいないんじゃないの?という良識ある皆様を裏切るノンフィクションベース映画。やっぱり人質司法はよくないよねって思う…かな?

自分は最高にハイだったけど、LSDキメてんじゃないかというポケモンフラッシュ系の演出があるので注意。

ローズ・イン・タイドランド 2005年 テリー・ギリアム監督

ごめんなさい。これもファンタジー映画でした。ウィキペディアにそう書いてあるし。ファンタジー映画です。でも、あまりファンタジー好きの人に受ける気がしないな。

近所のお兄さんの頭の傷は、ロボトミーじゃなくて脳梁離断術というのをきちんと分かったうえで演出しているのが良いですね。

サブウェイ123 激突 2009年 トニー・スコット監督

これもトニー・スコット監督だった。悪役のキャラが立つのはよい映画。フェアであればその結果破滅してもいいよねっていうビジネス狂気

自分もいろんな投資に手を出してきたので、ちょっとこの悪役の気持ちわからんでもない。

完全なる報復 2009年 F・ゲイリー・グレイ監督

皆様大好き、ウェブの片隅に現れる胸糞漫画広告。それの決定版みたいな映画。手心一切なしスカッ復讐

スーパーエンジニア主人公スーパーすぎてそこに痺れる憧れる?


頑張って2本探してみたけど、最後の一本は紹介してくれたらうれしい。

ブコメへお返事

ヴィレッジは後半の森の中で怪物がやってくると怯える男たちが好き。怯えないのが盲目少女だけというのがいい。

原罪とか楽園とか聖書ワードで楽しむ物語として創ったんだとは思うけど、けなげな主人公はそれだけで応援したくなるよね。

法廷ものだと『ザ・ファーム 法律事務所』『ペリカン文書』『評決のとき』等々、90年代に数多く制作されたジョン・グリシャム原作作品が好きでよく観てたなあ。

法廷の外も厳しい名作。アメリカはぁ恐ろしいところじゃあ…

社会派判定がむちゃくちゃすぎて良い

案外、まじめな作品より社会に思いをはせたりして。

増田には、3種類の増田がいる。数が数えられる増田と、数が数えられない増田だ。

増田自由さに乾杯

3っていくつだっけ……

1、2、…たくさん

増田の例はあんまり社会派感感じなけど、社会派娯楽映画ならマイケルマンインサイダーが好き。社会派抜きならヒートのが好きだけど

ヒート社会派枠で。

ニュースの天才ヘイデン・クリステンセンの闇堕ちが、スターウォーズ以外でも見られます

人間生きてるととっさの噓ってあるものから怖いよね。

エリン・ブロコビッチ好き。あと女神の見えざる手

うん好き。ちょっと重いけどね。

映画は主にかっこいい俳優目当てで見るので、マーシャル・ローはブルース・ウィリスロンドンドッグスはレイ・ウィンストン、完全なる報復ジェラードバトラー目当てで見た。完全なる報復ラストが超胸糞。

ラスト胸糞と思うのは筋が通っていてよい。クズを殺してすっきり、でもその後はやりすぎじゃね、で主人公を殺してすっきり、という定見のない観客をあてこする映画と思うので。

年代的に同じ世代の予感。中年になると若い面白かった映画もそんなに面白くなくなる

かに1回しか見てない映画もあるし、歴史の試練に耐えるかというとそうではないだろうけど、たまに思い出す系映画

ネタバレヴィレッジってファンタジーかと思いきや、現実だったという話だろ

現代物のリストって書いちゃったから白々しくごまかしたのに…いやん

あ、ブコメ消えちゃってるけど、クレしんは未履修なんだ。ファミリーの圧がすごくて…

2023-01-25

anond:20230124184244

その気持ちがあれば次からミスした人にやさしくできるじゃん

成長のチャンスだよ

もも増田にはくるな

2023-01-16

anond:20230116123217

次の人にやさしくしていけばいいじゃん

その痛みに気づけただけでもすごい

2022-12-06

人にやさしくするのが好きなのよ 相手が喜んでくれる顔が見たいか

でも別に相手の喜んでる顔を見たいって気分じゃないときは1ミリもやさしくできないのよ

多分根っこの人間性ゴミなのよ

でもこれって逆に何も考えずに人にやさしくできる人間より性格いいってことやないかと思うのよ

だってあいつら他人のためにちょっと努力してるだけやん でも俺はそいつらの何倍も努力して人にやさしくしてるってことやん

2022-11-05

anond:20221105085215

疲れることをやめて、楽しく、人にやさしくゆとりがない時は無理しないでいい)

自然体で暮らしてると、好きな人も現れないかな。

ムリすると、こんなに頑張っているのに!とストレスなっちゃわないかな。

そのストレスが陰気なムードになってしまいがち。よほど拗らせた人でないかぎり、明るい人が受けると思う。

2022-09-11

増田最近感じた違和感は何なんだろと考えていたんだけど

つい先日までAI案件イラストレーターを苛め抜いてバカじゃんとかなんとか罵倒しまくってたのにひとたび独身の話になったら今度はもっと人にやさしくとか言い出してるところなんだよな

同じ人たちが言っているのか数週間で中の人が全員入れ替わったのかはわからないが

2022-07-25

反出生ってなんなんだ

反出生主義の主張を読むのにハマっている。

どう考えてもそっち側に行くことはないけど、反論が難しいってところに引かれてるんだと思う。

実際彼らは「人にやさしく」を大義名分に日々各方面暴言を吐きまくっていて、彼らの言うところの「この世には不幸がたくさんある」を自身で実行している。

所謂過激派」には私と同世代かちょい上の女性が多い気がする。私だって親と上手くいってない時期もあったしつらいこともたくさんあったけど、不幸が0じゃないとダメってどこから世界を眺めてるんだろう?と思う。

現実的な話だと、人が居なけりゃインフラ崩壊していくよね。もちろん機械自動化が進んで技術も発展するだろうけど、システム管理するのには人間必要なんだし歳食って動けなくなれば誰かの助けなしじゃまともに生きていけない。自分らが未来の子孫のために体張って犠牲になるのでいいです?それに巻き込まれる同世代の反出生じゃない方のことも考えてください。そんなに長生きしない?じゃあその苦痛他人押し付けるだけなんですね。ほら結局優しくないじゃん。優しいのは自分と、これからまれさせられる子供にだけじゃん。

そもそもどれだけ叫ぼうが皆が出生をいっせいにやめるなんてありえないんだから、単純に生むな!!は違うよね。優生思想っぽくなるけど反出生の主張を聞いて「やめとくか…」と思う層は恐らくそこそこの家庭環境の人だと思うよ。ヤンキーがそんな主張に触れるわけないし。

反出生主義を叫ぶ方々(特に過激派)、産まなければ解決って思ってるのが片腹痛い現実と照らし合わせてもう少し違うアプローチをしたほうがいいんじゃない

ここ数日彼らの主張を読むのが楽しくてTwitterに浸かってたけどそろそろ試験も近いしこれで一旦読むのを止めよう…その区切りとして書きました。みんな人生がんばっていこうね

2022-06-21

6941

ななしのよっしん

2022/06/19(日) 07:01:48 ID: wdAjK61hUJ

上の方で

投稿者がよくても見る人にやさしくないサイト」が流行らないってあったけど、そういう意味だと他がぱっとしないのはそういうところがありそう。

ニジエは数が少ないタムはうまい人が少ない。

タムってなんだ?聞いたことないサイト

俺は掲示板投稿する権利をはく奪されてるからだめもとでここで間接的に訊いとく

2022-04-05

anond:20220405151934

ぼくも北海道貧乏旅行で現地の人にやさしくされたけど地元北海道展でおみやげを買うくらいしか恩返しできてないや

2022-03-31

修了しました

どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。

これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。

・生い立ち

私はごく普通環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分一言でいうと優等生気質だった。学校勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプ人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。

小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からブラスバンドやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。

中学では周りの部員吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔信者であり、親や先生にほめられている優等生自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間からどこかで破綻すると思っていた。

 高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラル教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校部活軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問専任希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプ人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人アプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験もっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しか高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生から勉強ができるという認識をされていた。

 3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本演出担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通大学に行くねとなった。

 問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。

「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」

親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊制度もつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。

長くなったが、これが地獄の幕開けである

大学という場所

1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。

大学では勉強サークル恋愛バイトのうち2つしかできない」

勉強は好きではないので、サークルバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオ個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金ショートした。親にバイト禁止されていたため練習交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。

 大学の授業はひどく不親切であった。大学レベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義解決してしまものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間無駄に思えて次第に講義休みがちになった。

 それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなもの大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。

崩壊

 初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義存在しない。正義道徳立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。

 そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分無能さを騙して生きていたのかもしれない。

 さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動事実上全部やめ、バイト勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。

あんた人にいいように使われてるだけでしょうが

人にやさしく優等生してきた自分生き方への批判自分が仲良くしている人たちへの非難ダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。

数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルバイト恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分無能が隠せなくなってしまったのである

 3年目は再びバイト禁止した。クラスでの試験対策仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだ大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境サポートがあって自分勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。

公正世界仮説評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学いじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。

・専攻決定

4年目にして2年生。この年は諸々の事情クラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。

そして、4年前に選択先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。

理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学システムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。

このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。

実験異変

5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。

 3年生の必修は実験だけだったので、他の単位犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。

 溜まりに溜まったレポート夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。

 4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続き入試勉強、足りなかった単位試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。

能力環境

学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。

 親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなた世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般評価邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。

 やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークル作曲体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。

・進学と私

大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部時代夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたかである研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないか就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。

 私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。

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2022-03-26

今日うちの猫

私があくびをしたのを見てあくびした。

それだけ。

それだけのことなんだけど、三日ぐらいは人にやさしくなれそうな気がする。

2022-03-09

子供の頃から、親から「お前は人の心がわからない、アスペ!人でなし!」って言われ続けて「そうなんか…人にやさしくありたいのに自分には無理なんか?悲しいなあ」と思って成長してきた

大人になって両親から逃げるように独り立ちして、メンタル医者にかかって生育歴とか色々聞き取りされたら「あなたは健常ですが、間違いなくご両親がアスペルガー傾向ですね」だとさ

どちらが悪いとかそういう話はしたくもないけど、この虚無感どうしてくれよう

2022-03-04

子供誘拐される映画

めっちゃ唐突にふとライ麦畑で捕まえてをもじって子供誘拐する話なんてありそうだなと思った。

そしたらなんか誘拐映画が見たくなってきた。

そんなジャンルあるのか知らんけど。

八月の蝉がそんな内容だった気がする。

菊次郎の夏もそうだったかな。音楽以外あまり覚えてないけど。

誘拐と言えば夏なのか?

洋画が好きだけどこういうのは邦画の方が(激ウマギャグ)刺さるかもしれんな。

洋画でも96時間とかそういうサスペンスアクションじゃなくてじっとりした感じだかギクシャク感だか共犯関係に陥るみたいなのがいいかも。

別に人にやさしくみたいなのでもいいけど少しはスパイスが欲しいんよな。

レオンは見たこと無いけど犯罪者と女だっけ?誘拐?女は若い小学生ぐらいがいいんだけど。

しか子供が主役だとあんまり数も質も出なさそうだよな。

その辺自由アニメじゃ題材的に絶対ないだろうし。

まあふと思いついただけで別段探しもしないんだけどさ。唐突にそう思っただけ。

2022-02-24

anond:20220224234814

え?信じてないんだワロタ

俺はべつに君がいくら持ってようがなんとも思わないけどな

上のツリーで書いたとおり、金の多い少ないで人間価値は測れないから、べつに君のしさんの大きさで人間的な貴賤を測ったりはしないよ

ただ、こうやってお金マウントをとってきて返り討ちになって顔真っ赤にしてるのって、人間として悲しい状況ではないか

これからは心を入れ替えて、人にやさしく真面目に生きるんだぞ。お金で人を判断なんかしちゃいけないからね

金の稼ぎ方なんて運がほとんどだぞ

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