はてなキーワード: 菓子折とは
自分がパワハラをされていたと常に言っていたが別に大したことではなかったのかもしれない。乗り越えられなかっただけだ。
世の中にはもっとつらい思いをして働いている人もいるし、自分が受けたものも世間から見たら大したことではない。
労働内容も過重労働と言われるほどのものではないがサービス残業は当たり前の人を道具としてしか見ない会社に絶望をしてしまっただけだ。
トラックの誘導をミスして自分がぶつけたことにされた時、朝礼でその日行ってもいないのにトイレを流すこともできないのかと笑われた時
印刷したものがデータと同じかどうかを確認する追い出し仕事をさせられた時、納期に間に合わせるための残業を無駄呼ばわりしているのを聞いた時、
議事録をつける仕事でパソコンを与えられず仕事もできないのかと怒られた時、何度も自分の昼飯だけわざと注文されていない時、耳元で用事もないのに大声を出されたりする程度だ。
数えればたくさんあるがこれくらいのことは社会に出ているならたくさんあるのだろう。
中でも一番自分が辛かったことは退職届を出した後、3時間くらい常務にお前はできるやつだと思っているからまだ頑張れないか?と言われていた時だと思う。
自分は本当は期待されていてそれに応えられない情けない奴じゃないのかと帰り道の公園で何時間も泣いた。人生最悪の日だ。
普通に考えたら人手不足になるからなのだが、当時はそのようなことを考えることは出来なかった。
こういったことが段々エスカレートしていったのは、自分が工場長の残業代や有休をなかったことにしていることに対して上司に怒ってしまったからだと思うが、
これは社会人として間違っていても人間として間違っていたとは思わない。
しかし、触れなければいいのに変に正義感が強いせいで関わってしまい日々苦しんでいるので悪意に敏感なことは人生のマイナスだと思う。
それから最終出勤まで食堂で飯を食べれなくなり近くの川で泣きながら弁当を食べるようになった。
会社を辞めるころには体重が20キロ近く痩せ40キロになっていた。親は泣いていた。
最終日に営業部長に最後に菓子折りを持って行ったが目の前で捨てられた。しかし、ここにはもう来なくていいんだと
ボーナスがマイナスになって支給された作業服を駅に捨ててこれから明るい未来を描き出すぞと帰宅した。
しかし、実際は会社を辞めてからも楽にはなれず、就活も失敗し失業保険も貰わず引き籠ってしまった。
精神が弱ってるのに就活で出歩いていたら肺炎で入院したりもした。
そこから数年は友人が心配して連れ出してくれる時だけが自分の心に色がついていて他の時の記憶に感情の思い出が一切ない。
自分は7年無職をしているがその間就職活動はまばらでありながらもしていた。
働きたいと常に思っているが、またパワハラされないか非常に恐れている。
しかし、面接までたどり着くとこの求人票の内容は嘘なんじゃないか、またパワハラされるのではないかと不安になり
ブラック企業ではありませんよね?という最悪の質問をしてしまう。これでは受かるはずもない。
そうすると不安になり、就職活動ができなくなる。このループだ。
精神科に行って治療をするべきなのは明白だが、自分は健常者だと思っているプライドが許さない。
そうすると時間が経ち、後戻りできない社会不適合者の誕生する。
まずはアルバイトや派遣で働けというのもその通りだ。しかし、自分は出遅れているから早くまともな会社で働いて仕事の中でスキルアップをしたいと考えていた。
内向的社会不適合者は飲食や倉庫業で働けというのも定説だろう。だが、回転率の高い職場では人間扱いされないんじゃないかと一歩が踏み出せない。
当たり前だが働いている人は偉い。自分は最下層の無職のくせに選り好みしかしないカスだ。
2年の経理と毛の生えた簿記の知識だけでは雇ってくれる会社などない。
毎日求人を見ても将来ブラック企業の輪から逃れられないんじゃないかと絶望している。
年下の上司にだって不満はない。しかし、人間扱いはしてほしい。
ただそれだけのことが難しい。自分の能力不足だと思ってしまう。
動画配信なども心の底から楽しめず、ゲームをやろうとも思えない。
布団に入れば過去の自分の情けなさに泣いてしまうし、食欲不振で胃になにも入っていないのに嘔吐のモーションが出てしまう。
落選の封筒が届いたときに親が悲しそうな顔をするのは耐えられない。
死んだら悲しんでくれるだろうと思うと自殺もできない。
自分の性格は、いわゆる真面目で責任感が強くプライドだけは高いタイプだ。
他責思考になれれば楽だと思うが自分は自責思考になってしまう。
自分が他人に優しいのは、自分に優しくしてほしいだけの自己満足でしかない。
表面上は人には優しく真面目だから、こんなにいい人なのにと言われるが一番社会で通用しないタイプである。
男に大事なのは中途半端な能力より根拠のない自信や細かいことを気にしない勢い、失敗を恐れない強さだと思う。
自分は男社会で必要とされる気持ちがが欠落しており、よくできた弱者男性だなと泣きたくなる。
これを持たないで一度レールを外れてしまったら、もはや復帰不可能で空虚に生きるか死ぬしかないと考えてしまう。
ひろゆきみたいに生活保護を臆面もなく取ればいいって考えられたり、迷惑系youtuberのようにインモラルな行為で注目度を集めてアピールする度胸もない。
内向的でプライドが高い真面目だけが取り柄の男らしさの欠片もない精神病のアラサー男に現代日本は辛すぎる。
ただ希望が欲しい。
空に舞う白いハチマキ。
そこにおれの白いハチマキは無かった。
...
「増田団長に着いてきて良かったです! T地区最強! 来年は任せてください!」
「最優秀賞おめでとう! 悔しいけど今年はお前らだったよ、受験頑張ろうな!」
「仕送り机の上においておいたから、明日から勉強頑張りなさい。今日はかっこよかったヨ」
などの、その日を締めくくる素敵なメッセージがたくさん届いていた。
それぞれが立場を違えても、今日という日はそれぞれの人生に違った意味を持って刻まれたのだろう。
おれにはどう刻まれたのだろうか。
深夜練という名の集まりが明日からなくなること。そしてその週末にはもう統一模試があること。
今日までの日々が青春だったと、日が経つほどに強く感じるのだろうなと思った。
しかしそれを認めたく無かった。それを認めると大人になってしまう気がした。
この儚い気持ちを仲間と共有したいが、身体は睡眠を欲している。
そんな中で気力を振り絞り、学寮の友人と語らった。そんな夜だった。
今日を噛み締めたものから、1人、また1人と自分の部屋に戻っていく。
学寮の大広間は静かになっていく。大広間から出ると、その瞬間大人になってしまう気がした。
そんな気持ちのせいで、結局おれは最後まで大広間にいたのだが、遂にあいつは来なかった。
同じクラスで、同じ部活に励み、同じ寮で過ごす、おれが最も今日の感情を共有したかったY田のことだ。
おれはY田に伝えたかった。「優勝はおれたちじゃない。」と。
...
卒業生が資金を拠出する組織があり、その組織が確か設立100年は超えていたと思う。
生徒たちは自身の出身地域別に「地区」と呼ばれる組織に配属される。
中学校の統廃合を勘案せずに、創立当時の区分けを守り続けてきたため、同じ中学校でも、違う地区に配属されることがよくある。
体育祭では、この地区間で「競技」と「演舞」で競うことになる。
競技はみんなが想像する一般的なものだ。100メートル走や綱引きとか。
(なぜかムカデ競争以外の種目は練習することが許されていなかったため、「競技」を中心に活躍する生徒は、青春の多くをムカデ競争に費やしていたのを覚えている)
午前に1回、午後に1回、各チームの応援団が学ランと扇子、太鼓のみを用いた演舞を披露するのだが、その演舞は「創立当時から守り継がれる」ものだった。
日陰のおじいちゃんやおばあちゃんが、高校生の演舞に合わせて手を動かしていることがよくある。それくらいその地域では知られ愛され親しまれたものだった。
また、各地区の団長にのみ、先代の団長から「歌言」が描かれた扇子が受け継がれ、演舞の終わりにその「歌言」を空に向かって読み上げ、その言葉に自身の青春を重ね涙が溢れる大人もいる。
おれはT地区の団長として、そしてY田はR地区の団長として夏が始まった。(イニシャルを用いているが、実際は地区名となる。)
部活でも、クラスでも、学寮でも同じだったおれたちは、夏からより深く話すようになった。
Y田の所属するR地区の演舞は流線的で、とても弱々しく見えること。
おれの所属するT地区のOBがよく菓子折りを持って見にくること。
Y田の所属するR地区のOBは「また最下位だろ?」と嘲笑しにくること。
おれの所属するT地区の深夜練では、演舞がシンプルなので、練習が早く終わりすぎて、喋ったりお菓子を食べたりしていること。
Y田の所属するR地区の深夜練では、「この演舞だしどうせ負けるっしょ」という空気が蔓延していて、1人で頑張っている気持ちになっていること。
「伝統のある演舞のせいで、おれの青春が頭打ちになるのはおかしい。」
そう決断したY田は、100年続くR地区の演舞を変えられないか動き始めた。
まずR地区内でとても揉めたらしい。女子の団長がとても真面目で、伝統を崩すことに猛反発したと。
次にOBと揉めたらしい。先代の団長から、長々しく生々しいメールを受け取っていたところを見せてもらった。
流線的ではありつつも、それがどう美しく見えるか、どう迫力を出すか。
実はR地区のRとは、「龍」のRなのだ。だから流線的であることが求められた。
「Y田のせいで〜」
そんな話をよく聞くようになった頃、体育祭が近くなり、おれは自分の率いるT地区のメンバーと過ごす時間が多くなり、Y田とは話さなくなった。
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そして体育祭当日。Y田率いるR地区の演舞は、例年のアオダイショウのような弱々しい流線的な演舞から、その名に違わぬ龍のような演舞になっていた。
流線的に、爆発的に、人の身体と扇子だけで、ここまで美しくなるとは思わなかった。
おれだけでなくみんなそう思ったのだろう。演舞が終わった時、会場からは、R地区に向けて聞いたことのないような拍手が、意味のある長い時間続いた。
そして結果発表のあのとき、みながR地区の優勝を望み、優勝を分かり切っているとき、校長は読み上げた。
R地区の苦労を知らないものほど、白いハチマキを高く放り投げていた。
そしておれは、あのとき、おれは、自分の白いハチマキに手をかけることすらしなかった。
Y田を思い、どうしても投げられなかった。
今思えば、教員達が、R地区のOBに対する忖度をしたのだと思う。そして、変えていくという文化を肯定しまうことを恐れたのだと思う。
ただしその年、R地区は創立以来の優秀賞を獲得した。
遠目に見るY田は泣いていた。悔しさか嬉しさかわからないが、ただ泣いていた。
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おれも何者かにならないと会うのが恥ずかしい。そんな恥ずかしさのせいで、あれから会えていないよな。
こんなかたちで伝えてすまない。
そういう話になると大抵「経営陣ガー」ってなりがちだけど、人員配置や給料みたいな制度的な部分だけじゃなくて負担してる側の気持ちの部分も大事なんじゃない?
別に大層な菓子折り持って来いとかいう話ではなくて、子供の発熱とかで仕事抜けたなら次に出勤した時に仕事引き受けてくれた人にきちんとお礼を伝えるとか、頻繁に穴開ける分は普段の仕事で頑張るとか、他の人が不在だったり何か困ってる時は自ら手を貸すとか、そういう他の人への礼儀や日頃の振る舞いの話
たまにこういう話題で炎上になったりするけど、いくら待遇がよかったとしても「自分は大変な属性だから周りに負荷をかけるのは仕方ないし、自分は自分のことしかやりません」みたいな姿勢の人に付き合わされてたら心は擦り減ると思う
スープストックトーキョーでは、月齢9~11か月の子供を対象とした離乳食無料サービスをやっている。
2023年4月、当時1歳の第二子の年齢を偽って無料サービスを受け、当時2歳の第一子についても離乳食を出せとゴネて、
店舗側が「今回は特別に…」と2人分の離乳食をサービス、そのことをTwitterに載せたママアカウントがあった。
「ルール違反してゴネて離乳食を強奪した乞食」と炎上したが、「屈辱罪で訴える」と反論。侮辱罪と言いたかった様子。
屈辱罪の前にも、菓子折りのことを「菓子より」と表記、ブロック推奨のつもりなのか「ブロック推薦」と表記するなど、「屈辱罪」系の妙な日本語が多い。
生配信で喋っているときも内容が要領を得ず、聞き手をイライラさせるので、人の目に触れれば触れるほど嫌われていく状態。
アンチが大勢ついており、スープストックの離乳食をゴネて乞食したことから「汁コジ」というあだ名がつけられている。
屈辱罪・ブロック推薦と似たような系統の妙な日本語を使い、会話が成り立たない変な人(なぜかシングルマザーが多い)なのか、
逆に大卒共働き高所得正社員同士で仕事と育児をタイムマネジメントと体力により両立できているハイスペ夫婦なのか。
グレーゾーンでもハイスペでもない中間層が、「働きながらの育児は無理ゲーなので産みません」とDINKS化しているように見える。
目黒の女児虐待死事件の記事を昼間に読んでしまったからかなぁ。
明日出社なのにこんな時間にこんなもの打ってていいのかな、サクサクいこう。
フェイク入れるよー
20代女
中高私立
ずっと精神科に通ってる
今はCMが流れるくらいには大手の企業で正社員として働いています
もちろん金のない家の虐待の方が何倍も地獄なんだろうけど、金のある家の虐待も地獄です。
幼い頃の記憶がほとんどなくて、色んなところが抜け落ちてるからもしかすると事実と違うところもあるかもね。(補正がかかってしまっているのかも)
あと中学高校の時も事情があって記憶がないから、あやふやかも。ごめん。
まず、父親が異常者。
子供が泣いてたら指を指して大笑いする人なんだよね。おかしいよね?普通は慰めるよね。
なんで殴るの?って聞いたら俺がイラついてるからって答えてくる。今でもそう。
会社では部下を虐めて休職や退職に追い込むのが趣味で、この間も女の部下に「ブスなのに仕事もできないのかよ」と言いまくって休職に追い込んで退職までさせたのを家族に自慢してきた。
あと、私が小さい時からずっと学生時代のいじめ自慢をしてきた。小学生の時に貧乏な同級生の掘っ建て小屋みたいな家を壊しに行って、その家のお母さんやお婆さんが泣きながら「やめてくれ」と頼んできたけど壊してやったぜ!みたいな話を笑いながらするような人。
幼少期の話
・これは後から聞いた話。父親が一歳半の私の足を持って振り回して、投げ飛ばした。頭を打った私はぱっくりいってしまって出血。救急車。頭を縫うことになった。今でも私の頭の上の方には縫った跡がある。
・これも後から聞いた話。父親が無理やり煙草を私に食べさせて緊急搬送、胃洗浄。父親は笑ってたらしい。
・これは記憶にある。家族でマクドナルドに行った時、何故か両親が4歳の私にトレーを持たせたんだよね。それで、階段で転んじゃって、トレーにあったハンバーガーとか飲み物とかポテトとか全部ぶちまけちゃった。やばい、思い出して泣いてしまってる。
三人分で重かったんだよ……
で、父親が激怒。マクドナルドの店内で殴る蹴るをされて、優しい店員さんが新しいのを全部用意してくれた。本当に嬉しかったけど、その時に父親が「こんなことをするお前はもう食事をするな」と言ってきて、食事禁止令が出た。
母親はこの時転職活動中だった。(出産で退職して、私を育てていた)だから、家にいた。
地獄だった。自分でも分かんないんだけどさ、子供って親から絶食って言われて従っちゃうんだよね。しんどかった。今でもトラウマで、絶食系の虐待のニュース見る度にフラッシュバックする。
給食がないからさ、本当に何も食べられない。母親が父親に「水は飲ませてもいいですか?」と聞いて、父親が「水ならいい」と答えてくれたから母親は私に水は飲ませてくれた。お腹タプタプになるまで飲んでもさー、お腹って空くんだよね。
一週間くらい何も食べさせて貰えなかったらなんかもう頭がおかしくなって、畳のい草食べた。美味しかった。めっちゃ美味しかったよ。
みたいなことがまあ多々あったんだけど、よく覚えてない。
大学に入ってから受けたカウンセリングで無理すんなって言われたから蓋をしたままにしておく。
毎日殴られてたし蹴られてたし、父親は不機嫌になると頭からビールをかけてくるからビールが大嫌いだった。今でも飲めない。
その後ビールで汚れたカーペットは幼い私が処理しなきゃいけなかった。
時期はぼかすけど弟が生まれた。
弟の方が酷い扱い受けてるんだけど、小3くらいから私は父親から性的虐待を受けているので、トントンかなーと思うよ。
書きたくもないから詳細は書かない。女児は抵抗できないからね。
今でも隙あらば私の胸や股間を触ろうとしてくる。スマホのカメラを向けて、ムービー撮影を開始すればやめてくれるから、スマホは手放せないけど今は何もされてないよ。
風呂に入ってたら風呂に乱入してくるから、父親が帰ってくる前に風呂に入らなくちゃいけないのがネック。夜遅くに帰ることになったら父親が寝るまで待つか、朝早く起きるしかない。
小学校に入って、家庭が異常なことに気づいた。気づいたきっかけは、父親に「愛人」がいた事。今でも愛人がいるよ。母親公認の愛人。家族全員愛人がどんな人でどんな名前なのか知ってる。だって愛人との話を家でしてるからね。
行政は助けてくれない。当たり前。だって世間体がいいもん。母親も転職っていうか、再就職か。大手企業に再就職してさ、外面は二人とも凄くいいから子供を虐待してるなんて思ってくれなかった。
金がある家はこれが出来ます。
家出も数回したけど、家出をすれば見つかったあと更に酷い目にあうから家出は選択肢から無くなった。
父親がやばい人なのは祖父母から縁を切られていることで何となく察した。高校進学の時に「金は出すから」と言われて、一人暮らしをすることになったらしい。武勇伝のように語っていたけど、父親は都内の出身だし、都内の高校に通っていた。一人暮らしをする理由はないから、多分捨てられたんだと思う。
今は関係修復してて(祖父母も孫は可愛いよね)、祖父母のことを知っているけど、めっちゃ金持ち。
遊びに行くと必ず5万円くれる。これが非常に助かった。(後で書く)
学歴社会に生きてきた両親なので「MARCHはゴミ」と言われて育った。
私はそんなこと思ってないし、ヤバすぎると思う。
小4の頃から中学受験の塾に入れられた。成績が良ければ褒められたし成績が悪ければ殴られて蹴られた。
凄い話をすると、成績が落ちた時に椅子に縛り付けられて、トイレはペットボトルでしなさいって言われたよ。机から移動するな、ずっと勉強しろって事だね。
そんなこともあってか(?)、無事に偏差値の高い第一志望へ合格出来た。
中高が地獄だった。
まず、私立の学校に入れば周りは金持ちばかりだ。私の家だって金持ちの部類だけど、子供の娯楽には金をかけない家だった。
携帯?持ってない。
旅行?行かない。行ったことない。旅行は父親が綺麗な愛人と行くもの。お土産も買ってくれない。
ゲーム機?買ってもらえるはずがない。
お小遣い?ない。
そんな感じで、周りとの格差に愕然とした。友達が出来てもさ、あー……ウチ、おかしいんだわ……とテンションが下がっていく。ブランド物バッグの話してる金持ちの同級生とかね、なんかもう、世界が違いますよ。
何度か、お小遣い欲しい。携帯欲しい。って言ってみたことがあるんだけど、「それなら女なんだから風俗で稼げ」って言われた。
毎日のように殴られたし蹴られた。
タオルで鞭打ちされるのが本当に痛くて、赤い痕が身体中にあった。
この時期に弟が発達障害であることが分かった。父親は激怒して「俺の遺伝子に障害の血は無い」と母親を怒鳴って殴って、何故か私も殴られた。
そんで、父親は弟を他県に連れて行って、置いてけぼりにした。
警察沙汰になったんだけど、外面が良いからあの手この手で言いくるめてすみませんでしたーで済ませてた。許せなかった。本当に今でも怒りで身体が震える。
弟がパトカーから出てきた時に真っ先に抱きしめた。まだ覚えてる。母親も泣いてた。
あの時、ミッキーの絵柄のネクタイの刑事さんだけが父親を怪しんで追及してたのを凄く覚えているし、最後まで納得してなくて「これからは気をつけてくださいね」と嫌味みたいな言い方でチクチクしてくれたのが気持ちよかった。ちょっと怖い見た目の刑事さんだったんだけど、ミッキーのネクタイだったし、優しい人なのかなーと思った。
(ちなみに私はディズニーなんて行かせてもらったことなかった)
後日、父親に「迷惑かけてすみませんでしたって謝りに行け」と言われたので何故か母親・私・弟で菓子折りを持って警察署に謝罪しに行った。
ほんとなんで?お前が行けよ。
もう、何もかもの記憶がない。気づいたら学校にいて、気づいたら家にいた。分からない。
それでも成績は維持してた。
親の金盗んでたのがバレて、父親に半殺しにされた。家に入るなってベランダで生活をすることを強要された。まあこれは私が悪いと思ってたので夜中もベランダで過ごした。
色々ぼかすけど、この辺で自殺未遂を起こして、母親が私がおかしくなってることにようやく気づいてくれた。この時に私を児童思春期の精神科に連れていってくれたことが良かったのか……悪かったのか。
なんか凄く謝られた。私の中の母親と言えば父親に従って、殴られて蹴られて、私に「○○ちゃん、辛いよぉ……」とヨシヨシを求める人だったから、まともだったんだーってびっくりした。
母親が仕事の形態を楽なものに変えた。年収1000万→800万くらいになったけど、その代わりほぼ定時退社。職場も異動願出して家に近いところにしてくれた。家庭を大切にするようにしてくれた。
私は弟の世話のために小学校を休めと言われ、まともに小学校に通えてなかった時期があるので(かなりこの事がトラウマなので書けなかった)凄い進歩だと思った。女性のキャリアが厳しい世の中で、母親は昇進を諦めた。
小学校に通えてなかった時期のことに触れてしまったので、書いておこうと思う。
一歳の弟の世話を私に任せて両親は仕事に行っていた。当然私は学校には行けない。
なんか、弟が、あれ……わかんないな、ごめん、覚えてないんだけど、変な風になったことがあって(ひきつけ?みたいな?分からない……吐いちゃったような気もする)、どうすればいいか分からなくて、でも親の携帯の電話番号なんて覚えてないし、泣きながら赤ちゃんの弟を抱えて近くの家のピンポンを押したことがある。
出てきたのはおじいさんとおばあさんで、事情を察したのか、なんか、色々と処置をしてくれた。助けてくれた。ちょっとトラウマの発作が出てきたからもう書くのを止める。
中学で私は完全にダメになってしまって、不登校になった。鬱で身体が動かなくて、寝たきりだった。
風呂も職島も排泄も介護なしでは出来なくなったんだけど、母親が全部やってくれた。
母親は今でもヒステリー持ちだけど、この時期からまともに会話ができるようになって、普通に良い関係が築けている。
周りとの格差には悩み続けた。金持ちの学校に通ってる貧乏人の気分を味わったよ。帰りに買い食いなんて出来ないし、学食なんて夢のまた夢。
悩んでたら母親がお小遣いをくれるようになったんだけど、それが月2000円だった。月2000円でもありがたかったけど、まあ足りないよね。
2000円は交通費になった。
これが本当に助かった。じいじ ばあば ありがとう。孫は貴方たちのことが本当に大好きです。
弟は私より酷い目にあってたけど、可哀想だから書かないでおく。まず、父親には発達障害持ちってことで人間扱いされてないです。
今でも。
これを書きながら父親が弟を罵倒する声が、リビングから聞こえてる。
高二になって、母親に携帯契約していい?って聞いたらいいよって言われたので母親名義で契約することに成功した。
やっと父親の性的虐待から逃げられて、一安心した。スマホをかざすと逃げるの、ウケる。そんなに証拠を撮られるのが怖いか!なら最初からやるな!クソボケ!
ずっとうつ病だけど、頭が良いことが助かった。父親より偏差値の高いところに進学することが出来た。
家にいたら風俗やって稼げと連呼されるので、バイトを詰めて家に寄り付かないようになった。
なんか疲れてきたから後は書かない。まだうつ病は治ってないし、ぶっちゃけ虐待事件のニュース見る度に発作が起きて頓服飲んでる。
学費を出してくれただけ、マシなんだろうなーと思いながら生きてる。
実家は色々あって出れてない。出たいんだけどねー、私が出たら母親見捨てることになるからね。あんまり非情になれない。色々意見あるだろうけど、母親が「私を置いていかないで」と泣きながら頼んできたことあるし、まあいいかな。
……働き始めてから月8万円を入れることを強要されてて、辛い。
初任給の手取り23↑だけど、8入れるの辛かったよ。地方の中小と変わらんやん!ってなった。
今度交渉したい。
学費を出してやっただろうが!といわれたことがあるんたけど、それなら奨学金借りたかったよ。奨学金の方がうんとマシ。
ちなみに父親はもうすぐ取締役のポストが見えているらしい。第二のビッグモーターになるのかな。
記事へ反応で前にも見たことあるって言われてるから一応違いますーってことで書いとくと、はてな匿名ダイアリー書き方知らなくて改行?空白行の挿入?が出来ないから「 」(空白)を入れて改行してる!
選択とかしてみたら分かるかも。
その人は私と同じように「 」改行の使い手?
はてなブログ初めて書くから、誰かスマホからの改行の仕方教えて欲しいです。(検索をするほどの余裕はないし、もう遅いから寝る)
体調悪くて暇つぶしにはてな匿名ダイアリーの人気エントリ?みたいなのを漁ってたら目黒の虐待事件のやつを読んでしまって、その後色んな虐待記事を読みまくったらみんな金のある家に云々みたいなのを見たから書こうかなと思ったのが発端。
そんなこと言う会社初めて見たわ
「関わりがない人は見たくない人もいる」ってそんなのフーンとしか思わないし、別に何度も送られてきて煩わしいわけでもなし、一応どの部署の誰が辞めたって情報共有は必要だろ
それと、会社の年齢の半分という長い時間を尽力してくれた人の投稿に枝付けてまで言うことかよ
前々から退職挨拶をさせないように画策してるけど、同じ部署の人間さえ菓子折りが置いてあって初めて気づくとか異常だから
要するに挨拶する文化があると一月に何通も挨拶が飛び交って「この会社やべえ」ってバレるのが嫌なんだろ?
そういう所が姑息なんだよ
現場に近い下の意見を取り上げる社長ってイメージ押し出してるけど、あんたが取り上げるのは重要度の低いどうでもいい事だけで、会社の方針に関わることやサービスの根底に関わる部分になると一切話を聞かねえじゃねえか
理解者面してる分だけ余計にムカつく
我が子が知ったかぶりするしいらんことに首突っ込むタイプなんだがどうやったら治る??
問題が起きる度、親である私と夫は平身低頭してきたし家ではめちゃくちゃ叱ってきたが、向こう側が「子供のしたことですから」「その気持ちが助かりましたから」と言ってくれる優しい方ばかりで大事にならずに済んでいるからかいまいち子供に伝わっていないように感じる。
①友達の自転車のライトが壊れた(たぶん接触不良)と聞いて「たぶん直せる!」と言い出し解体する
話聞いて慌ててライト代と菓子折り持って謝りに行くも「壊れてたし買い換えようと思ってたんで本当に気にしないで」「直そうとしてくれた気持ちが嬉しかったんで」と代金受け取りを拒否される。
→マンションは知ってるが部屋番号は知らない。適当に同じ苗字のポストに入れる(田中とか佐藤とかのよくある苗字)
話を聞いて慌てて学校に電話。部屋番号を確認したいとお願いするも個人情報保護云々で教えられない。先生が家まで来てどこのポストに入れたか確認。
→案の定違う家の人のポストでそこの家の方にも迷惑を掛ける。正しい部屋番号に先生が投函。
一緒に頭下げさせたが「お手伝いしてくれる気持ちが嬉しかったから」「先生が困ってたからだよね」と言われ満更でも無い様子。
他にも、豆腐屋にレシピ提供代わりに湯葉豆腐もらい続けていた件や銭湯のアイスを売るためにジムや体育館に売りこみに行った件など様々あるが書き出すと長くなるのでやめておく。
毎回、いらんことに首突っ込むな、知らない(出来ない)のに立候補するな、と言い聞かせその時は反省するが時間が経てば元の木阿弥。
一度痛い目見ないとこの性格は治らないのだろうか。
親としては本当に危ない目や痛い目見る前に、直して欲しいのだがどう言ったら変わってくれるのか増田たちに聞きたい。
第八話の撮影中に俳優が死んで急いで物語を畳むように十話で終わったらしい。
十話では「俺は自由だ」と叫びながら町を破壊して物語を終わったとか。
うつむいて必死に告解をしていて、顔を上げれば神父との間を隔てるはずの壁が吹き飛んでおり、
左半身と顔がごっそりと吹き飛んだ神父と対面することとなった。
たまたま近くで大きな事故があり、ちょうどうつ向いていた女が運よく事故を免れたらしい
女はなぜ自分が生き残ったのかを自問する日々を過ごし悩んでいるとのことであった
そんな話を聞いたある日、憧れる引退した俳優宅を通りかかることがあった。
俺は衝動的に玄関に立てかけてあった斧を手に取って庭に入り、マッチで庭にあった木造の汽車の置物に火をつけ、
「I'm free, I'm free!」
と叫びながら構内に押し入っていた。
俳優はすでに老齢に達していたが、その姿を見ると優しく微笑みかけてくれたので、
私はそのまま叫びながら戸をいくつか破壊して、そのまま雪の通りに取り出していった。
破壊と再生は古代神話で繰り返し語られることであるが、個人の人生においてもそうしたものが必要となることがあるのかもしれない。
※熱でうなされて3日目の早朝4時に見た夢をそのまま書きました。
隠された意図とか何にもないです。
息子5歳は、ほんの少しでも環境が変わるとかたまって動けなくなって泣いてしまう。幼稚園での行事もいつも1人だけずっと泣いて何もしない。4月になり、クラスが上がりお昼寝がなくなったこと、お箸で給食を食べるようになったことなどが不安で、夜泣きをするようになった。幼稚園にも泣きすぎて吐いたりするので、いけない日も多々あった。週末は家から一歩も出たがらず、自分の好きな車のおもちゃを分解して過ごす日々だった。
そんな息子をなんとか誘い、近所の大きな公園でしてるフェスタみたいなところへ行った。バザーや出店が出ていて、そこに工業高校の展示のようなスペースがあった。息子が少し離れたところで、展示されている1人用の車をみていた。「図鑑でも見たことない車」「1人しか座れない」などと喋っていた。
高校の生徒さんが、こんにちはと声をかけてくれたけれど、息子はもちろん返すことがで気なかった。それでも生徒さんはニコニコしながら大きな声で、車の説明をしてくれた。
顧問の先生が「乗ってみませんか?」と言ってくれて、息子は緊張しながらも乗っていた。先生と生徒さんは「わー!かっこいい!」「写真いっぱい撮ってください!」などと言ってくれて、息子が「車つくるなんてすごい」と生徒さんに話しかけていた。息子が初対面の人に話してる姿や、息子が優しくされているのをみて私は泣いてしまいそうだった。先生は「今年は定員割れやったから、僕もいつでもきてよ!」と笑っていた。
それからというもの、息子が工業高校生に憧れるようになった。あと何回寝たら高校生になれるか計算したり、「工業高校のお兄ちゃんはお箸つかってる?」と聞いてきたり、「高校にいくには幼稚園にいかないとな」と幼稚園にも通っている。工業高校生はなんでも食べると言ったら、嫌いな大根も食べることができた。
生徒さんと先生に、ありがとうございましたとお礼を言いたい。菓子折りとか贈ったらびびらせてしまうだろうか。近所にこんな素敵な高校があったなんて、うれしい。あんな素敵な高校生になってくれたら、うれしいな。
懺悔をしたい。
今から14年前だった。私はその年受験生でクラスで一番仲の良かった友達と一緒の高校へ行こうということになっていた。その年は新型インフルエンザが流行っていて学校でもバタバタと倒れていった。友達も受験の直前にインフルで倒れた。どうしようとメールで喚いていたが、私は必死に治るよ、大丈夫だよ、と画面越しに励ましていた。
その子は完全には治りきってなかったが、試験には受けられるような体調になっていた。
試験の前日、この日は2時間授業で放課後に教頭先生から受験のエールを送るという名目の集会があることになっていた。
友達はインフルで倒れて休んでいたが、ちゃんと学校に来れるのもこれで最後だからとこの日は学校に来ていた。ただ、病み上がりだったためにその集会には参加しないと言っていた。
そして、帰る際にで私はやってしまった。冗談のつもりだった。その友達がカバンを持って玄関に向かう際に私は彼女を追いかけてこう言った。
「昨日先生が言ってたんだけどインフルの影響で試験日程が延びたんだって、本当に急だから学校も連絡が追いついてないみたい、明後日になるっぽい」
そして私はそのまま友達を玄関まで見送った。嘘だよと明かさずに。
その高校を受けた同級生は私を含めてみんな受かった、その友達を除いて。
5日後に卒業式があったが、その友達は来なかった。嘘を信じたと思っていないどころか嘘をついたことすら忘れてしまった私は、のんきに卒業式に来なかったんだ…と思っていた。
私の嘘のせいで友達が高校を不合格になったと気づいたのは高校に入学してすぐの時だった。
入学直後はクラスになじめずに中学時代のクラスメイトと一緒にお昼ご飯を食べていた。私のクラスにも顔見知りの同級生がいたので、昼食をとってると
「○○ちゃんいたでしょ?」とその同級生が私に聞いてきた。○○ちゃんとは例の友達の名だ。
「うん、落ちちゃったの残念だったな」
「その子ね…試験日程間違えちゃったんだって本来の試験日の2日後に会場に来たっぽくて」
それ以降のことは覚えていない。私はこの際冗談のつもりでやったことが冗談でないと今更ながら気づいたのだ。高校時代は私のやらかした所業がばれてしまわないかだけを考えながら、おびえた3年間を過ごした。大学に行っても、社会人になってもその傷は治ることはなかった。
その友達は噂だと滑り止めの高校を半年でやめてしまったらしい。
あまりの辛さに私はきっとどこかで彼女も彼女なりに幸せに暮らしているはずだと思うようになってしまっていた。
だが、現実は違った。
去年の11月、私は親戚の不幸があったので地元に少しの間帰省していた。その際に違う高校に行った中学の同級生と会って少し話す機会があった。その同級生は友達と家が近く、中学に上がる前は一緒に学校に通っていた仲だったらしい。
私はその嘘をつかれた友達がどうなってるか聞いた、聞いてしまった。
あの後、彼女は退学したのちに精神を病んで今も引きこもってしまったのこと。両親も精神を病み、一軒家からアパートに引っ越したのことだった。
泣いた、ひたすら泣いた。
許されるべきではない、それは分かっている。
あの時、なぜあんな嘘をついたのか、もしかしたら自分の合格の確率が少しでも上がるようにやったのかと言われればそれまでだし、テンションがおかしくなって嘘をついていえばそうだ。
ただ私は悪意のつもりでやったわけではなかった。
その同級生から住所を聞き出し、後日菓子折りを持って土下座したが、友達の両親は冷めた目で私を見るだけであった。2人ともやつれていて生気がなかった。
この謝る日の少し前、私は某掲示板にこのことを書き込んだが、やはり私が悪いとのことだった。そりゃそうだ。スレ民も友達の両親が優しすぎた、普通だったら怒鳴り込んできてもおかしくないと書いている人がいたが、あの様子を見るに怒鳴り込む気持ちすらなかったんだと思う。
ちなみにそのスレは何故か釣り扱いされている。(私に成りすまして嘘を書き込んだ人がいるっぽい)
ただ高校受験を欠席すると高校から中学へ連絡が来るいう情報を見たがそういうのはなかったのだろうか。それだけが疑問である。
なぜ今更書き込んだかというと入学式のシーズンで高校の制服をきた生徒たちが電車に乗り込んで楽しそうに話すたびに耐えられなくなってしまったからだ。
友達はどうしているのだろう、いまもあの暗い部屋で引きこもっているのだろうか。
いつ菓子折り持ってお詫びに来る予定?
会社の現状も話し、「高卒組でも頑張っていこうぜ!」とか酒の席で話していた。
後輩は笑っていたが内心馬鹿にしていたんだろうな。
その後、後輩が実はそこそこの大学の中退だという事が分かった。
何でも身内の不幸が続き実家が大変な状況になり大学に通えない状況になって
四年次の始めにやむなく中退、となったらしい。
陰で大学行ってた癖に、同じ高卒組とか言って陰で馬鹿にしてたのかよ!
と怒りに駆られた俺は、後輩に仕事を与えず干したり、わざと難しい仕事を丸投げしてミスさせて叱責したり、
嘘の手順を教えて失敗させたり、社内に悪口を吹き込んだりと色々してしまった。
結局後輩は神経を病み、体重も入社時から半分ぐらいまで落ちたガリガリになって
ドクターストップがかかったとかで昨年辞めていったが、
一家全員、しかも時間差でコロナに感染したせいで、二週間の休みを余儀なくされて、クリスマスに療養期間が開けて復活。
ワクチンが効いたのか、コロナの症状はへヴィー級のインフルエンザくらいで済んだのだが、咳のし過ぎで喉をやられたのが後を引いている。それに、回復してもなお痰がよく出るのもしんどい。ケホンと一回咳をすると、気管支から勢いよく排出された痰の小粒が痛めた喉の部位を直撃。二重に噎せる。
日曜日と被ったせいで劇的に暇だったクリスマスからちょうど一週間後は、日曜日と被った元日。今年はなんだかいつもと違う元日で変な感じだった。日曜日と被った事は関係ない気もするが。
三ヶ日はコンビニの一年間の中でも最も死ぬほど暇な日々のはず。特に元日はめっちゃお客様が来ない。はずなのに、今年は何故か夕方めちゃ混んだ。世の中の人達、お正月に飽きるのが早すぎでは?
というのも、三ヶ日に来るお客様達は大抵タバコか飲み物か年賀はがきが目的で来店するのだが、今年は何故かガチで夕飯を買いに来たお客様が多かったのである。どうせ暇だからと米飯とサンドイッチの注文を少なく抑えた当店……ていうか、どこのコンビニでも元日はそんなもんだけど……コンビニは何時でも何でも揃っているという期待を打ち砕かれて、お弁当の棚を見て回れ右して帰るお客様がとても多かった。
ただ、麺類やグラタン・ドリア・ブリトーはいつも通りの発注数だったらしく揃っていたので、そういうものでも夕飯になるというお客様達は家族ぶんどっさり買って行かれた。
私のシフト時間に売れたもの。沢山売れたというより、なんか目立ったというやつ。まず第一に冷凍うどん。何であんなに売れたのか、謎なんだけど。ひょっとして、お雑煮に餅を入れるのは朝御飯か昼御飯だけで良いって感じで、夕飯は残った汁にうどんを入れて食べるのだろうか。
第二にカップ麺。まあそうだろうなっていう気はする。だって、コンビニのレンジで温める拉麺、高いし。
第三に、年賀はがき。これをお求めのお客様の中には、普通はがきとインクジェットはがきの区別がつかなくて、ご自身の用途にはどっちが合っているのか把握しておられない方がしばしばいらっしゃるのが、ちょっと困る。
第四に、お年玉のポチ袋。高齢者のお客様が慌てて買いに来られて、急いでいたために誤って入り数の少ない大きなお年玉袋を買ってしまい返品に来る、などということもあった。
逆にすごく売れなかったもの。お年賀用の菓子折り。おかげで、熨斗紙に名前の代筆しろって無茶ぶりをされなくてよかったけど。元旦にお年始回りをする人はあまりいないだろうから、当然といえば当然だろう。
元日からメルカリの発送をしに来るお客様もけっこうおられたのだけど、元日に発送するとポイントが貰えるとか手数料が安くなるとか何か特典でもあるのだろうか。
毎年恒例の光景だけどまだ一度も見ていないもの。お年玉のポチ袋から千円札を数枚出して、大量の食料品やお酒を買うアラフォー以上の大人。時には小中学生の子供を連れてお年玉で買い物をしているのだが、それって子供が祖父母や親戚から貰ったものなのでは? それとも、世の中には案外、小学生以上の子供を持ってもなお、自身も親や祖父母からお年玉を貰い続けている中年がいるということなのだろうか。
ちなみに私、二十年前にはスナックでホステスのバイトをしていたのだが、そのときのお客様の中には、子供からぶん取ったお年玉で呑んだり、飲み会の席で友人から貰った出産祝いをその場で開けて仲間に奢る人がよくいた。(そもそもその飲み会というのが、嫁が産院に入院中なのをいいことに夜通し遊んじゃおうぜという会で、みんなで主役に奢るはずが主役がみんなに奢ることになるのが定石なのである。23時頃まで呑んだら、次はキャバクラ、おっパブ、特殊なお風呂、〆はラーメンというコースらしい。)
よく当店にお買い物に来るパキスタン人のお客様達のうちの一名が、最近になって急にコンビニコーヒーのカフェラテにどハマりして、元日もいつものように来店。だが運悪くカフェマシンの洗浄中だったので、売れなかった。
「そうじ何分で終わる?」
と聞かれたので、
「30分くらい」
と答えたが、私のシフト中にそのお客様が再来店する事はなかった。
パキスタン人のお客様達は乳製品が大好きだ。コンビニコーヒーのカフェラテにハマるんだったら缶コーヒーの「極」の白いやつにもハマりそうな気がする。と思ったけど、私は何人だろうがお客様に余計な話をするのが好きじゃないので、勧めはしない。
パキスタン人のお客様達もそうだけど、アジアの西の向こうとかインドヨーロッパ語族的な人達には、日本人女性は皆子供に見えているのか、もしかすると子供を通り越して小動物の一種だと思われていそうだなと思うことがある。
ある時、パキスタン人のお客様達の一人とマブダチの何人か不明のお客様が私の方にスマホを向けて、「ヘーイ、こっち向いて、ピースして~」と言うから何事かと思ったら、ビデオ通話中のお友達に私を見せていた。そこら辺にいる野良猫を撮るテンションで撮ってくる……。スマホの中ではお客様のお友達だという女性が「カワイイ!」と言っていた(お客様が通訳することには)。
こっそりお客様達の財布を観察するのが好き。というのも、自分の財布を新調するときの参考にしたかったからだった。(なお、以前、お客様達の財布を観察するのが好きだと増田に書いたコンビニ店員が「下品だ」とバッシングされたことがあったけれど、あの増田と私は別人だ)
五年ほど前、コンビニでバイトを始めたばかりの頃は、しまむらの、スタッズのびっしりついた赤と黒色の長財布を使用しているお客様が男女ともに多かったけれど、最近それは見かけない。しまむらでも、今はそういうパンクロックな財布は売られていないからだろう。
女性のお客様には、今はルイヴィトンの長財布を使っている方が多い。それ以外は、近くのショッピングモールで時々バーゲンセールされている開運財布を使っている女性のお客様が少し前は多かった。それが、そのモールの婦人服売り場でCOACHの財布が売られるようになると、やはりCOACHの財布を使用している女性のお客様を見かけるようになった。
そして、つい半年前、ショッピングモールに革製品専門店がテナントに入った。そのお店では、三千円以上、二万円以下くらいの価格帯の、お手頃なブランドの財布が売られている。財布の品質の良し悪しはいまいちわからないけれど、見た目はお洒落で可愛いものが多い。
年末に、私はその店で財布を買った。在れもこれも可愛くて迷ったけれど、あまり精巧な刺繍や飾りなどがほどこされているものは、買ってすぐはいいけれどすぐにバッグの中で擦れて装飾がダメになりそうだと思い、シンプルなデザインの物を買った。
で、その時に色々見て迷いに迷ったせいで、そこに陳列されていた財布のデザインを記憶してしまったのだけれど、最近当店に来る女性のお客様達には、あの革製品専門店に陳列されていたのと同じ長財布を使っている人が多いようだ。
私はブランドに疎いから、それらのブランドがどれくらい人気でどこで手に入るものなのか、よくわからない。だから、それらを私が見たのはあの店だけれど、お客様達は通販で買ったかもしれないし、ショッピングモールよりも遠い所にあるAEONとか他の場所かもしれないけれど、でも、もしかすると大体この地域の人達、あのショッピングモールで財布を買っている、という可能性もあるよな……と、思ったりもした。
しかし……、この五年ばかりお客様達の財布を眺めて来て思ったのは、世の中の人々は私が思ったよりも多い頻度で財布を買い換えるのだろうか? ということ。私など、30年前にサンリオショップで買った財布をまだ使っているのに(新しい財布を買ったのに、古いのを捨てられなかった)。
五年前に財布の観察を始めてから、今まで、世の中の人々の持つ財布の形はほとんど変わっていない。ファスナーできっちり閉まるタイプの長財布。カードが何枚も仕舞えて、小銭を入れるポケットもファスナーつき。お札やレシートを折らずに仕舞える。ルイヴィトンから、国内ブランド、しまむら、全てが大体同じ形。
けれど、これらの財布達は、一体何年くらい持つものなんだろうなあ。しまむらの、パンクロックなお財布はまずファスナーがイカれそうだけど、他はどうなのだろう。
先日、お客様の中で合成皮革がぼろぼろになってめくれ上がった長財布を使っているお客様がいたが、素直に見ればすごく物持ちのいい人なんだなということだけど、財布のデザインが最近革製品専門店で見た財布達とあまり大きく違わないので、もしかして意外と脆いのか? と思ったり。
私の新しい財布は12000円で買ったものだが、最近急激に物価が上がっていることを考慮すると、数年前なら半額ほどで買えたくらいのクオリティかもしれない。よくわからないがブランド物と銘打たれているために値段がつり上がっていただけで、物は別にしまむらと大して変わらないとか? 30年前にサンリオショップで買った子供だましの財布の方が、耐久性が有ったりしてな……。などと、仕事が暇な時間に考えた。