「ポメラニアン」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ポメラニアンとは

2024-02-12

anond:20240212113158

うっかり八兵衛・アホな孫・譲る気のない決定者、この3つをポジションによって使い分けてる

 

 

目ざとい人には狂犬(何をするかわからないすぐ噛み付く)ポメラニアンチワワだと思われている

まぁ威嚇・威圧にはフィジカルいるかトップダウン組織自分職階で殴れない場合は、

『譲る気のない決定者』はだいたい上手くいかない

ボスには歯を見せて笑うなフィジカルを鍛えろと言われたが、英語と同じくやらんで今日に至る

 

まぁ人は憧れに向かって伸びるので、下記のいずれかに該当すれば威圧・威嚇する必要性ないんですけどね(ワイには無理や)

  • 圧倒的なスキルがあって尊敬が出来る
  • 人として尊敬が出来る
  • そのどちらでも無いが、なんらかの憧れ対象になる何かを"演じる"ことが出来る

 

2024-02-02

anond:20240202191858

ポメラニアンは柵越しに大型犬におらつくけど、柵を明けられたらシュンとするイキリオタクみたいなところが…やっぱ芝よ

ポメラニアンってかわいくない?

俺も来世はポメラニアンがいい

2024-01-17

anond:20240116003349

ポメラニアン」と「黒犬」の命の価値等価であるという前提が理想主義的ではあるけど現実との乖離があるんじゃないだろうか

もちろん「ポメラニアン」と「黒犬」の命の価値等価であるべきだけど、そうではないのが現実

(ジュディスバラーの言っているgreavabilityという概念を参照すると腑に落ちると思う)

から人々が価値が大きい方にお金を出すのは当たり前のことだと思う

anond:20240116003349

寄付に対してそこまで潔癖になれるなら納税とか政治かについてももう少し深く考えてみてもいいんじゃないかな

個人感情のままに救済のリソースを再分配するよりはましだと思っている

もちろん国はそのような偏りが出ないように注意を払って税を運用すべきであるのは大前提

この部分とかポメラニアンについて突き詰めて考えてたのと比べるとものすごくアンバランスに見える

2024-01-16

anond:20240116202324

直感的な差別感覚だと混乱するわ。

私有財産差別パラドックスとでも呼ぶか。

差別
黒人にはスシを出さな寿司屋スシは店の私有財産だが、差別

差別じゃない
可愛いポメラニアンと黒い大型犬のどちらかしか救済できないとき個人の財布からお金を出すのなら私有財産から個人自由。好きにしていい。

anond:20240116003349

お前は神じゃないんだから全体を俯瞰して判断する必要はない目につくところだけ。助けたければ助ければいい

お前はポメラニアンが目についた助けたければ助ければいい

お前は黒い大型犬が目につかなかった助けようがないのだから仕方がない 目についた奴が助ければいい

この仕方がないを差別だという奴はカスからほっといていい

そんだけのこと

だが、制度ルールを作る奴はそうはいかない。やり切れなく取りこぼしがあるのはやむを得ないかブラッシュアップしていく必要があるが

姿勢として全体を俯瞰する必要がある 

ポメラニアン黒い大型犬増田が出した問題は、「救済の選択個人がするより国に任せるべきでは?」だよな。

「救済の選択差別か?」…という問題だと人気コメントの多くは誤読してた、っていうか、俺もしてた。

弱者男性トロッコ問題 とか女性AEDで救済されずに見殺しにされてる、って話は個人私有財産である時間をどう使うか? っていう話で、これは元増田論点とは異なる。

anond:20240116003349

法哲学議論を参照して「愛らしいから」=「他とは区別される特定属性を持っているか寄付する」という考えが正義にもとることは肯定しつつ,寄付するべきではないという考えを批判してみる.

まず,正義は「等しきものを等しく扱う」ことが本質だとしばしば定義される.

かわいそうなポメラニアンと,かわいそうな黒い大型犬はどちらも「かわいそうな犬」という属性で等しく,両者に対して異なる扱いをすることは正義にもとる行為にあたる.

他方,慈悲,あるいは愛は,「等しきものを等しく扱わない」.

個体属性ではなく,今まさに存在する「この個体」を救うことに関心があるからだ.

「かわいそうな犬」だからではなく,「この」かわいそうなポメラニアンからこそ人は憐憫を垂れる.

法哲学者の井上達夫言葉を借りれば,「愛の本質である個体性への関心と配慮正義普遍主義要請対立する」(井上達夫. (1986). 共生作法: 会話としての正義. 創文社. 117.).←たしか近年新版がでている.

では我々は,正義にもとるということを理由に,特定属性を持つ人々のために自発的に寄附を行うべきではないのだろうか.

何が「等しい」のかを民主的手続きに基づいて決定し,一応の正義を認めることができる主体である民主主義国家による再分配に我々の持つ金銭というリソースは委ねられるべきなのだろうか.

そうではない.

なぜならば,民主主義国家によって達成される正義手続的正義にすぎないかである

「正しい手続きを踏んだから,かわいそうなポメラニアンを救済することにし,黒い大型犬放置することにした」.

これは本当に正義だろうか.

何が正義なのか,何が「等しい」のか,やはりその実体に踏み込んで考える必要がある.

この実質的正義と寄附を考える上で注目すべきが,この十年で存在感を増している「効果利他主義である

昨今のオープンAIアルトマン解任騒動で目にしたことがある諸兄もいるかもしれない.

効果利他主義とは,簡単に言ってしまえば「社会全体にとって最も費用対効果の高い良いことをすべき」という考え方である

ここでの費用には,金銭だけではなく,自分時間労働も入る.

かわいそうだから,というある種偶然に基づいて他者のためのリソース投下をするのではなく,コスパという等しい基準を置いてあらゆる利他的活動比較評価し,最もコスパが良いもの投資する.

これが公平であり,正義なのである

この比較には,「リソース投下に対する社会インパクト定量化できる」のが大前提になっている.

社会科学素養がある人間ならばすぐに気がつくように,あらゆるものを同じ基準定量化することは不可能である

例えば,生命という多くの人が合意するであろう基準に関しても,単に生きていれば良いのか,健康寿命なのか,QOLによって測り方が変わる.

定量化の前提は,効果利他主義限界の一つとして指摘できるだろう.


効果利他主義において,個体性への関心はどのように扱われているだろうか.

便益を最大化することにこだわることは,特定目標との個人的な結びつきを否定することになる.例えば,「家族ががんでなくなったからがんの撲滅に情熱を注ぐ」という行動は否定されるべきなのかという批判に対しては,次のように反論している.

たまたま理由だけで一部の人々のニーズを優先していることになり,もっと効果的に手を差し伸べられる人々に対して不公平である,と.(ウィリアム, M.. (千葉敏生訳). (2018). 「効果的な利他主義宣言! : 慈善活動への科学アプローチ. みすず書房. 42-43.)

そろそろ疲れてきてしまったのでまとめよう.

特定属性を持つという偶然を理由として寄附をすることは正義にもとる一方で,民主主義国家を通した再配分には手続き正義に留まるという限界がある.

実質的正義を追求するには,効果利他主義のような一定基準を持った上で,最終的には自分なりの正義を追求して寄附を行うべきなんじゃないだろうか.

なお,筆者自身効果利他主義者ではなく,単におもしろい考えの一つとして注目しているに過ぎないという点を申し添えておく.

anond:20240116003349

全く間違っていない。ただ、やりすぎると社会不安定化するというだけ。

例えば学習障害に対して努力不足だとか、今次の能登地震について「過疎で交通不便地は見捨てろ」という論と同じである

人間社会を振り返ってみると、何度もこういう話は出てくるし、実際その淘汰圧に何度も負けてる。ただ、やりすぎると社会全体が不安定化する。なぜなら黒い犬は見捨てられ野良犬となり繁殖狂犬病を持つようになるかもしれない。学習障害放置すると就職に困難をきたした上で反社会的勢力の食い物やコマになるかもしれない。

そうでなくとも、後天的身体障害就職差別したケース(めちゃくちゃありますね)ではだいたい飲んだくれてたりする。

これらを放置すると社会全体が不安定になるし、そうでなくとも普通の人々自分普通だと思ってる人々)まで「一歩足を踏み外したら地獄だ」という気持ちにさせ、とてもよくない。

なお、これらは国家規模の作業なので、あなた寄付をするという行為自体は、あなた気持ちよくなるという側面が大きい。良いことをした、社会に向上した、という。

なので、寄付に罪悪感を覚えてしまっては本末転倒である

もしも可能ならば、黒い犬にもポメラニアンにも平等にする団体への寄付をするか、両者に50円寄付するとか、あなた気持ちよく安心できる道を選ぼう。社会補助とか公女とかは不幸な人を助けるだけでなく、普通の人々(ないし普通だと思ってる人々)を助けるためにもあるのだから

https://anond.hatelabo.jp/20240116003349

公平性効率性を満たす必要があるね。

かわいいポメラニアンだけを救うと公平性が満たされない。

黒い犬もポメラニアンもどっちも救って、公平性担保するような寄付が望ましいと思うが世の中にはリソースが足りない。

可愛いもの、美しいものには資本が集中して歪みが出る。醜いものにはお金が行き渡りにくい。

なので、寄付を行うもの本来効率性と公平性を満たすような行動が求められる。俺はもっとお金持ちになって、それを実現したいと思ってるよ。ビルゲイツは割とそれを正しく行ってるんじゃないかな?

色付きトロッコ問題

トロッコの進む先には n 匹の黒い大型犬がいます

切り換えた線路の先には一匹の可愛らしいポメラニアンがいます

n が何匹なら、切り換えますか?

anond:20240116003349

増田には経済学の「再分配」に関する書籍を読んで感想を聞きたい。ちょうど200年くらいずっと議論されているテーマ。俺は20年くらい前に大学生ときに感動したよ。いまの俺の解釈としては「眼の前の再分配によって生じる不平等不公平さは一時的であり、経済科学が進めば一瞬で解消する。議論を重ねて公平さを追求する時間が勿体ない」という感じかな。個人レベルポメラニアン大型犬のどっちに寄付するかは趣味レベルだけど、政治官僚はそれを真剣に3年くらいかけてやるからね。その間にどっちも死んじゃうツーの。やりやす対象から始めればいいんだよ。カワイイ正義。いずれ可愛くないやつにも落ちてくるから

anond:20240116003349

神ならぬ身の人間がなぜ完全な正義・公平に基づいて生きられるなどと驕るのか

べつにいいだろ好きなものを救えば、人間なんだから

 

それに誰かがポメラニアンを救えば少なくとも次の人はポメ大型犬か迷わず救える

大型犬を救う一歩になってるという事じゃないか

弱者男性ワイ「ポメラニアンかぁ」

そっかぁ

見た目が可愛くて愛らしいポメラニアンを助けるために私有財産を割くのかぁ

そしてそれは、差別じゃないのかぁ

あーあ

キモくてカネのないおっさんは、現代社会価値観がどれだけアップデートされようとも

絶対に救われることはないだろう、という当初の予言成就しつつある

脳が薄っすらと透明なフィルムで包まれるような感覚だよ

anond:20240116094030

関係ないけど、小型犬ポメラニアンの方が助けるコスパはよさそうだよね。同じ予算なら救える命の数が多そう。

あと、大型犬は強そうだから助けなくても生きていけそうってのがある。

anond:20240116003349

誰かがポメラニアンを助けるならお前が黒い大型犬を助けてやりゃいいだろ。そうやって世界は成り立ってるはずだ

anond:20240116003349

正しくない。当たり前だ。

それが許されるのはリソースが限られていてどちらかを選ばないといけない時だけだ。トリアージと呼び、緊急避難と呼ぶ。

では、苦しんでいるポメラニアンの子犬と苦しんでいる黒い大型犬が並んでいて、それぞれ100円を寄付すれば助けられるという状況において、ポメラニアンにのみ100円を寄付するという行為は正しいのか?

anond:20240116095944

A 年収100万円

B 年収150万円

Bに支援することでAとBとの格差は大きくなるけど、

社会全体としての格差は減るイメージ

ポメラニアン支援がそれにあたるかは知らない

差別って『キモい』でよくない?

・・・いつも思うんだけど、差別って『キモい』でよくない?

差別定義大人でも議論になるけど、キモいなら幼稚園児でも解る。




ハロウィン玄関先に子どもが2人現れて、お菓子をねだってきたらどうでしょう

彼らのうち、ひとりは日本人、もうひとりはロシア人だと、気付いたら?

anond:20240116092458



個人自由差別自由なら、恋愛差別し放題になっちまう

女は年齢聞いて歳上なら即ブロック! ……それでええんか?



すべて差別を平易に言い換えられているよね。

anond:20240116003349

マジレスしてみる

個人感情に任せた場合に、大型犬よりポメラニアンの方が寄付が集まりやすいという前提は正しいと思う。

ポイントとなるのは、寄付が集まりやすい順番に救済されていった結果、最終的には大型犬を含むすべての苦しんでいる対象が最低限必要な水準に至るまで救済を充足できると寄付する人間が信じているか、だと思う。

まり「順番に多少の前後はあれど、ポメラニアンが救済されれば次には中型犬大型犬に同情が集まるようになり、結果としてすべての犬が救済されるはず」と信じている人にとっては、とにかく目についた可哀想な犬に寄付を行うのは、(最善ではないにしても)概ね正義にもとる行為ではないと思われる。

一方、諸々の理由により救済が大型犬に行き渡ることはないと考える人ならば、寄付正義にもとる行為だと感じる傾向が強くなるだろう。

救済が大型犬に行き渡らないと感じる要因としては、

・救済に充てられる全体のリソースが明らかに不足していると感じられる場合

・救済されたと見なす水準が高い場合

などが考えられる。

そして、この中でより考え方の違いが出やすいのは後者の「救済されたと見なす水準が高い場合」ではないかと思われる。

救済を急迫した危機からの脱却(必要最低限の状態の確保)のためだと考えている人ならば「とにかく今、危機的状況にある人には手当り次第に支援を行うことで、世の中から危機的状況にある人をゼロにすることができる」というロジック比較的すんなり受け入れられるものだと思うが、救済を可哀想な要因の完全な排除対象状態を世の中の平均水準まで押し上げること)だと考えている人ならば「そんなリソースあるわけ無いじゃん→個人感情で救われるやつを選別するのか?」と感じるのも自然だろう。

anond:20240116003349

共産党の「ポメラニアン募金」は一部が党の活動費になるのでは? 誰か反論してくれ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん