はてなキーワード: 南中とは
海外からの「サッカー留学」が青田買い移籍と同一視されて一律禁止されたのと同様に、FIFAからすると部活(というイレギュラーな形態)を特別扱いするというのはピンとこない
11/16付の中国新聞山口総合面にサッカー日本代表FW久保裕也選手の母校山口市鴻南中学校が国際サッカー連盟(FIFA)からの分配金でサッカーやバスケットのボール、サッカー用ミニゴールなどを購入した記事が掲載されています。
サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会で奮闘する日本代表MF伊東純也選手(29)の母校・神奈川大のサッカー部寮には、伊東選手の功績にちなんで設けられた食堂がある。
(略)
JJ食堂は21年5月、団地内にある商店街の空き店舗を改装して作られた。開設資金は、伊東選手がJ1柏レイソルから、19~22年にプレーしたゲンク(ベルギー)に移籍した際、大学が得た「連帯貢献金」が原資となった。
https://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/worldcup/20221203-OYT1T50130/
【神奈川】相模原市南区の市立大野南中学校で、生徒を「反社会」などの表現で分類する資料を作成し、教員間で共有していたことがわかった。市教育委員会が10日、取材に対して明らかにした。
市教委によると、資料は同校2年生の学年主任の男性教員が作成。来年度のクラス編成で使う「学級編成要項」として2年生を担当する教員間で使われていた。
要項には、リーダーではないが生活態度のよい生徒を「無印良品」、友人関係にトラブルがあり、反抗的な態度が見られ問題行動の多い生徒を「反社会」、欠席が多く登校を渋り、支援が必要な生徒を「非社会」などと定義する項目を記していた。資料に生徒名は書かれていなかったという。
2年生の7クラスのうち、あるクラスの担任が11月30日、教室内の教卓に資料を置き忘れ、生徒が見つけたことで発覚。校長から全校生徒に謝罪と経過説明があったほか、臨時の保護者会で謝罪と説明があったという。市教委は「人権を傷つける内容で、事態を大変重く受け止めている。再発防止に努めたい」としている。
私は照れながらテレワーキングとは無縁なので
事務所には行くけど電車の中はちょっと人が少ない感じが希ガスわ。
避けられてるのか避けられなかったのか分からないけど、
仕事に追われるより、
でね、
昨日ちょっと事務所に来たから次いでにってパスタランチしまくったわけよ。
そしたらマスターが
たまにはこうやっていいこともないとやってられないわねーって思いながら、
アイスで冷たくキメられてよかったわ。
気のせいだけど。
昨日ちょっと頑張ったおかげで、
やっぱり今日はちょっと優雅さ4割増しで午前中過ごせているような気がするし、
仕事は準備8割って言うけど、
え?聞いたことないって?
今それ私が決めたの!
お蕎麦の二八が由来よ。
あれ意外と美味しい十割蕎麦に出会えたこと無いからかも知れないから、
こんなこと言ってるかも知れないし。
8はよく意味を知らないんだけど、
きっと雰囲気で言ってるのかも知れないわね。
暑いから食が進まない人はアイスクリームを囓ったら良いじゃないって
本当に夏暑すぎて食欲がないのよね。
もうこればっかりは蚊も食欲が無いみたいで、
蚊に食欲って言い方とかもおかしいわね。
蟹食欲もないみたいな夏よ。
蟹が食欲ないっつたって、
確かに蟹は美味しい!
それが結論よ。
でもまだ蟹食う季節じゃ無いけど、
あーあ!
今日も外に出れば
こういう時はもう
あれは冷えたのが美味しいのよ冷えたのが。
食べたこと無いけど!
うふふ。
タマゴのコクもありつつトマトでさっぱり食せる秀逸な夏のサンドイッチね。
やっぱりプール行くの面倒くさいわ、
いろいろ大変なのよ準備が。
そんな思いよ寄せながら飲むいつものルイボスティーウォーラーは
キンキンに冷えてやがるぜ!って、
言いながら飲むのが今年の夏の流行よ!
真似してみてね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
令和2年度の途中ですが、うまくいったことをまとめておこうと思います。
同じ大きさのタライを2つならべて片方を親魚もう片方を稚魚用にするというぜいたくにスペースを使う飼育法を採用しました。今までは、親魚はタライでも稚魚は小さ目の発泡スチロール容器やNVボックスだったりしたのですが、思い切って同じ大きさにしてみました。これは効果バツグンでした。稚魚の生存率が抜群です。場所を取るのでそれなりの覚悟が必要です。小さなプランタで植物の世話をするよりも畑で直に植えたほうが簡単なのと同じです。
タライは45Lを中心に36Lも使っています。水深的に36Lのほうが管理がしやすいと思います。
ちなみに1cmくらいになったら、稚魚槽から親魚槽へ移します。昨年までは、タマゴの採取時期別に稚魚は品種を問わずに大きさ別にごっちゃにしていましたが、成長後の品種ごとの選別作業もなくなり手間が減りました。
これを購入するのにかなりの覚悟が必要でした。45Lタライ2個分でとても大きいです。45Lに比べて少し浅めなので管理しやすいのがポイントです。圧倒的水量の暴力で水が汚れるまでに時間がかかるのが最大のメリットです。これを2個並べて、親魚と稚魚を別管理。とても管理が楽になりました。
昨年まではグリーンウォーター重視で中が見えないのを良しとしていましたが、本年は底が見えるグリーンウォーターを基準にして水替えしています。1/5の水を残し、残りを水道水で希釈していく感じです。
水作さんの水替え用の手動ポンプです。サイフォンの原理系のアイテム。これはすごい。もっと早く買えばよかったもの。水に入れる部分のパイプなどが細かく分解清掃できる優れもの。使えば使うほどわかる工夫の塊。ごみが詰まる部分の分解がしやすいとか排水ホース部分が細くなっていて徐々に水が排水されるとか使ってわかる一品です。水替えが楽しくなりました。
しかも、底に落ちた卵がフィルターで回収できるおまけつきです。ちょっと取りにくいのが難点ですが。
西日が当たらないところに水槽を置くという単純なセオリー。簡単なようで南中高度が刻々と季節変化する太陽を相手するのは難しいのですが、季節変動を最小限に抑えつつ、メダカのエサとなる植物性プランクトンを高温で殺さないように維持するために重要な法則です。
↑ 西 ┃ ┃ ┗━━━━┓ ■■■■┃ ┃ ←南 ┃建物 ┃ 庭 ┃ ┃ ┗━━━ ■■■■ 東 ↓ 凡例:■水槽
上の図のように建物で西日が遮られる場所に水槽を置きます。この場所以外に欲張って水槽を置くと西日の餌食となり、高水温による酸欠で死ぬ可能性が高いです。4つ並んでいるうちの一番南側の成長度が高いです。
水槽配置数の増加のために棚を作って水槽を3階建てにしていたときがありました。小面積に水槽がたくさん置けるのがメリットです。しかし、この方式は水温に深刻な影響を与えており、昼と夜での水温の変化が激しくなるのでした。水槽を地面に置くと最高水温と最低水温の変化の幅を抑える効果があったのです。重層配置はやめて、地面に置くことにしました。台に載せると水槽の管理がしやすくて便利なのですが、メダカ的には水温の変化が激しくてダメなようです。
越冬時も水槽の下に空気の流れがあると次々と冷たい空気が入って四方八方から水槽の水をどんどん冷やしてしまうこととなり氷結しやすくなるようです。姿勢がつらくても水槽は地面に置きましょう。
100円均一のセリアに産卵床が登場しました。昨年までは汚れ落とし用のハードスポンジを代用していました。これがペット用品売り場に使いやすい大きさにカットされた状態で12枚入りで商品化されました。使いやすいです。これを固定して浮かす「浮き輪」なる商品も売り場に登場しましたが、よく売れるのかレア商材化しています。その代わりにホームセンターの電材売り場で売っている、エアコンの配管の保温材を購入して輪切りにして使っています。
ホテイアオイは欲しい時に欲しい数がそろわないことと、冬の前の処分が面倒なので、やめました。越冬に成功したホテイアオイがあるのですが、さっぱり数が増えません。
必要なタイミングに必要な数がそろうので、稚魚槽への卵の移動がしやすいです。水曜日と土日のどちらかで約3日に一回のペースで採卵しています。
タライには塩ビパイプを使ったオーバーフロー機構を穴を開けて取り付けています。取付が間に合わないところも準備工事の穴だけはあけておきました。
ヤゴ対策の木材と網を組み合わせた凝った構造のネットはやめました。オーバーフローの取り付けで最高水面を水槽のふちよりも下げ、4㎜角の防風ネットを大きな洗濯ばさみで固定するだけのシンプル構造にしました。大き目のタライの場合はネットが中央部で垂れ下がるので、角材を渡してあります。
真南の西日の当たる場所での飼育や小さい水槽での飼育をやめたので、エアレーションをする必要がなくなりました。無理のない場所で無理のない水槽を使うと飼育設備がシンプルになってきます。
それぞれの水槽に入れていましたが、サカマキガイの巣窟なので、やめました。睡蓮だけ別のトロフネに入れて楽しんでいます。
水がクリーンになるということで底じきにしていたときがありました。が、これもやめました。水替えをシンプルにするためにベアタンク運用です。赤玉土はプランタで再利用です。
1cmくらいの大きさの溶岩石を入れていた水槽もありました。これもやめました。溶岩石は鉢底石として再利用されました。
稚魚水槽に入れていました。これも合理化の対象です。アナカリスはミナミヌマエビ水槽へ転用されました。
メダカ屋さんの飼育法を真似て買いましたが、水量が少ないので、利用中止。用途変更。製造元の意図通り、工具箱とか部品箱としての利用に戻しました。お店に納品される段ボール単位で取り寄せていたので、収納用にしたら同じ大きさの入れ物がたくさんそろってとても便利でした。
最後のほうはやめたことが多いですね。できるだけシンプルに簡単に飼育できる方法を追及していたら、ダブルタライのベアタンク式に落ち着きました。
その疑問の答えは、季節によって空気の密度や酸素の量が変化することはない、ということだ。その根拠を挙げてみる。
疑問に対するお答えになっていますでしょうか。
大学の友人がよさこいサークル入ってて、見に来てよって言われたから見に行ったの。
私の中のよさこいのイメージって小学校の運動会で踊らされた南中ソーランくらいだからサークルで100人で踊るってどんなだよって思ってた。思ってたんだけど、全然想像と違った。ミュージカルだった。まじで。
チームごとにテーマがいろいろあるみたいで、武将だったり地元の祭だったりをダンスで表現してるの。幕とか傘とかパネルとかを駆使して場面転換をしつつ、衣装も気がついたら変わってるし。すごい。
そんで曲も民謡みたいなやつじゃなくて普通にポップスでありそうな曲とか。そんでそれをメンバー全員で歌いながら踊ってる。ミュージカルじゃん??歌詞がわりと"青春!"て感じでクサく思うこともあるんだけど、わたしテニミュとか好きな人間だからドンピシャだった。好き。
で、テニミュとか好きな人間だからついつい目についた人を視線で追っかけちゃうんだよね。
そこのチームも大学のサークルだったからたぶん同い年か2,3歳差の人。めちゃくちゃ笑顔が良くて、なんとなくその人の動き追っかけて見てたら、目線がバッチリ合って、その後の座り込んで歌うパートでずっと目線合わせながら歌われたの。
後から友達に聞いたら踊ってるときは観客と目線を合わせるものらしくて、誰か1人にロックオンしてアピールすることもあるらしい。宝塚かよ。宝塚も好き。
まあそんなこんなで軽率に見知らぬ素人を推しそうになっている。つっても芸能人推すのと違って1歩間違えれば犯罪になりかねないから、その人を追っかけるというよりその人のチームを追っかけようと画策している。見知らぬ人からの愛情とか気持ち悪いしね。
友達に話したら「紹介するよー」って言われたけど、友達になりたいわけじゃないんだよね。ほんと芸能人推すみたいに一方的に踊ってる姿見て楽しみたい。でも度がすぎるとさっき言ったみたいに気持ち悪いし。素人推すって難しい。
長尺を使って描かれた関西大会における北宇治の演奏。凄すぎて凄い以外の語彙を失ってしまった感はあるのだが、いくつか思ったこともあるのでそれを書きつけておく。
そしてそれは府大会と関西大会の演奏の違いであり、結論を先述べしておくと、
の二つが論点になる。
端的にいえばみぞれと希美の確執および和解にまつわるエトセトラがそれ、ということになるのだが、最も説明しやすいのが麗奈のソロパートなのでそこに触れる。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29961964
上記は府大会と関西大会の演奏シーンを並べた動画だ。見てもらえれば判る通り府大会では香織の表情を映してるのに対し、関西大会ではトランペットのソロを下支えする久美子と彼女が幻視した大吉山でのシーンが描かれている。
府大会は直前にトランペットのソロを麗奈が吹くか香織が吹くかで揉め、再オーディションをする事態にまで発展した。「三年間やってきたんだもん、最後は吹きたい」という香織の想い。彼女を慕う優子の想い。しかし麗奈はそれらを音でねじ伏せ、ソロパートの奏者となった。コンクールにおける当該シーンでは、その音を聞きながら最初はうつむき、そして最後には“納得”したように微笑む香織が描かれる。つまり麗奈のソロパートは、香織の心の決着の場でもあった。
関西大会はそうじゃない。今度は麗奈の音に久美子の回想が乗る。なぜ久美子かというと演奏の直前に「私も久美子のために吹こうかな」と麗奈が言い出したことによる。「みぞれ、ソロがんばってね」「わたし希美のために吹く」というみぞれと希美のやりとりを見てそう口走ったのだ。
『ユーフォ2』#1-4は言うまでもなくみぞれと希美のお話がメインだった。その中のひとつの切り口に、誰のために何のために吹くのかというのがあった。みぞれは「楽器だけがあたしと希美をつなぐもの」だから吹いていた。片や麗奈は「考えたことない。……強いて言うなら自分のため、かな」と答える。そんな麗奈も、みぞれ希美のコンテクストを受けて、「久美子のために吹」くという形でソロパートに臨んだ。
ここでとても面白いのは、麗奈のソロパートを下支えしてるのはユーフォニアムという点だ。府大会ではシーンに登場したファゴットがここでは描写されず、それによって久美子の下支えが、その低音が強調されている。そうして絡み合い一体化していくふたつの音。それは大吉山での“愛の告白”の回想へとつながっていく。あまりに、あまりに美しい光景だ。
正直いちばんうなったのはこれ。音による裏打ち。
ぜひ府大会と関西大会の演奏の音を聴き比べてほしい。みんな本当に上手くなっているので。……と言いつつ、当方の耳は非常にボンクラ(部長の声を「はやみん? いや……能登かわいいよ能登?」などと言って周りに白い目で見られてしまうレベル)で、合奏はその違いがよく判らなかった。なので麗奈のソロパートを聴き比べてみた。ここはその差が如実に判った。それぐらい違った。
たとえばソロパートの始まりの「ぷぁー」という音。府大会は出だしのこれが鈍重かつか細いのだ。例えるなら冬の海。冷たく重い海水から頭を浮かすことができず潜ることを余儀なくされたような、重力を含んだ音。メロディの終わりも唐突で、次の音も焦ったように早く始まって伸びや豊穣さが感じられない。対する関西大会はどうだろうか。こちらは非常に伸びやかで、春の海のような、その上を軽やかに滑るような明るさがあるのだ。音の終わりもビブラートを利かせて情感がたっぷりこめられており、次の音への繋がりもとても心地よい。聴き比べてみると驚くほど違いがあったのだ(これは大げさでもなんでもなく、実際そうなのでぜひ聴き比べてみてほしい)。
続く「ぱーらりらりらー」も関西大会では楽しげに舞い上がるような音になっている。まるで夏の夜、意中の相手との初めてのデートに浮足立つ少女を想わせるような。その(久美子を想って吹かれた)つやっぽい音色を聴いて、久美子が大吉山での出来事を思い出すのは無理ないことというか、音それ自体が、その時のことを語りだすかのようですらある(府大会の当該シーンに、そういった抑揚はない)。
これは、臨時講師の橋本が言っていた「君たちの演奏は(中略)表現力が足りない」というコンテクストにも乗っている。みぞれのオーボエに対して「もっと感情だせない?」という話から始まったこれは、どんどん上手くなっている北宇治に大きく欠けているものだった。みんな練習や、みぞれに関しては希美との和解によって「表現力」を獲得していくが、麗奈のそれは、半ば冗談めかして言った「私も久美子のために吹こうかな」により久美子が夏の大吉山を思い出すような艶めかしい表現につながっていき、そして何より音がしっかりとそれを裏打ちしていた。『ユーフォ』は本っっっっっっ当に芸が細かい。
傘木希美は現在フルートパートを担当する三年を凌ぐ実力の持ち主で、南中では吹部の部長を務めていた。南中での最後の府大会でまさかの銀賞と涙を呑み、高校に入ったら絶対に金賞を取ろうとみぞれたちと誓い合っていた。しかし今は卒業してしまった去年の三年との確執によって退部を余儀なくされてしまう。みぞれとの和解を経てサポートメンバーとして部に復帰し、じっさい献身的にみぞれやAメンバーを支えている。
しかし、だ。希美はもともと辞めたくて部を辞めたわけじゃない。フルートが好きで、金賞を取りたいという目標もあった。フルートパートを担当する奏者は自分より明らかに劣っている。おくびにも出さないけど、奏者として吹けないことが悔しくてたまらなかったはずである。
それが、「わたし希美のために吹く」というみぞれのオーボエソロのときに初めて顔に出る。
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舞台から、みぞれのオーボエソロから背を向け、笑みを浮かべず、中空を見つめる希美。
府大会のオーボエソロには「きゅーん!」となったにも関わらず、希美への感情が乗って表現力の増した関西大会のそれにはそうならないのだ。
ここから一貫してみぞれは舞台に対して背を向け続ける。サポートメンバーはみな舞台を覗き込んだりしながらAメンバーたちの演奏が無事に終わることを祈っている。しかし希美がその輪に加わることはない。
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それぞれ演奏終了直前、全国大会進出が決まった直後の表情。特に最後の表情は、周りと違って手放しで喜んでいる様子はない。良かったとは思っている、でも自分がそこに居ないのは悔しい。
少ないカット、一瞬の表情。しかしそうやって希美の感情がフィルムに乗ることで、関西大会の演奏がより豊かになる。そして希美の悔しさは、来年のコンクールにつながっていくことだろう。コンテクストがまたひとつ積み上げられ、『ユーフォ』の世界が豊穣になっていく。
関西大会を終えた今になって一期の#13、府大会の演奏直前のあすかと久美子のやりとりを見返すと、あすかの曰く言い難い表情に、その胸の裡の複雑さを思わせられる。
「なんか、ちょっとさみしくない? あんなに楽しかった時間が終わっちゃうんだよ? ずっとこのまま夏が続けばいいのに」
「なに言ってるんですか。今日が最後じゃないですよ。わたしたちは全国に行くんですから」
「そうだったね。そういえば、それが目標だった」
久美子のまっすぐな瞳から虚をつかれたように視線を外すあすか。そして眉尻をわずかに下げ、とても複雑な笑みを浮かべるのだ。
これは関西大会直前の「私はここで負けたくない。関西に来られて良かった、で終わりにしたくない。ここまで来た以上、なんとしてでも次に進んで北宇治の音を全国に響かせたい」と部員たちの前で宣言するあすかにつながってくる。
あすかは、あるいは部の誰よりコンクールにかける想いを持っているのかもしれない。これからそれは明らかになっていくことだろう。そのあすかのコンテクスを踏まえた全国大会の映像、それが今から楽しみでならない。
エロゲー批評空間(https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/)には“なりそこね”というタグがある。名作になりそこねたという意味だが、それに倣うなら神回になりそこねた4話だった、ということになろうか。
映像や演出は本当に素晴らしかった。みぞれの頬に落ちる優子の涙、みぞれを暗がりから光の射す場所へとすくい上げる優子、希美の「きゅーん、としてさあ」に撃ち抜かれるみぞれなど判りやすい箇所は言うに及ばず、心情を映し出す表情や、そんな顔をあえて映さず手元の動きで表現するカットなど、画面からにじみ出る感情の豊穣さに圧倒されっぱなしの30分だった。
が、それでもなお神回には届かなかったという結論は変わらず、そしてそれは原作に横溢していた残酷さが意図的にオミットされていたからに他ならない。
一期からアニメを見てきた視聴者には明白だが『ユーフォ』は残酷さを多分に含んだ物語だ。努力してきたのにパート演奏を外れるよう指示された久美子に、後から入ってきた一年に最後のコンクールのソロパートを奪われる香織。特に香織は、かつての“楽しい思い出づくり”という部の方針によって実力上位にも関わらず上級生へとAメンバーを譲ってきた過去があり、最後のコンクールには期するところがあった。しかし新顧問の滝と決めた“全国大会出場”という目標に従って新入生の高坂麗奈がソロパートを吹くこととなった。
どんなに努力をしても席には限りがある。それに自分が座れるとは限らない。『ユーフォ』はそういう物語だ。
そして原作2巻、アニメ『ユーフォ2』では「コンクールってなんだろう」ということを通してソレを照射する。
2巻のメインキャストのひとりである鎧塚みぞれはコンクールに否定的な考えを持っていた。
「私は嫌い。けっきょく審査員の好みで結果きまるでしょ」
「でも、そういうのなんとなくしかたないかな、って……思っちゃってます」
「しかたない? たくさんのひとが悲しむのに」
「すみません……」
「私は苦しい。コンクールなんてなければいいのに」
はたまた吉川優子は「納得いかないことが多いのは確かなんじゃない。でも、結果がよかったら納得できる。今のあたしたちみたいにね」と前置きして言う。
「みんな夏休みを潰して練習してる。けどコンクールは優劣をつける。(中略)努力が足りなかった、劣ってたってことにされちゃう。超理不尽でしょ。(中略)ただ、去年みたいにみんなでのんびり楽しく演奏しましょう、っていう空気がいいかというとそんなことはなかった」
そして高坂麗奈はこう言う。
「よく音楽は金銀銅とかそんな簡単に評価できないって言うひとがいるけど、あれを言ってもいいのは勝者だけだと思う。下手なひとが言っても負け惜しみでしかないと思うし。だからけっきょく上手くなるしかないと思ってる。それに、たくさんのひとに聴いてもらえる機会ってそんなにないから。……わたしは好き」
三者三様ではあるが、ここで浮き彫りになるのはコンクールは演者の積み上げてきた努力や感情に対し残酷に優劣をつける場ということだ。それに傷つく者もいれば、上手くなるしかないと思う者もいる。どちらが正しいとかではなく向き合い方の違いだが、いずれにせよ久美子たちが立ち向かっているコンクールはそういう残酷さを孕んでいる。
『ユーフォ』における残酷さの表現はそれだけにとどまらない。むしろ#4に関してはこっちが本論にあたる。それが鎧塚みぞれと、過去の部員大量退部事件の際に吹部を辞めた傘木希美の軋轢だ。
軋轢といってもみぞれが一方的に感情をこじらせているだけで、希美はそれに気づいておらず今も仲の良い友人だと疑っていない。しかしここではそれに気づかれてさえいないというところがみぞれの絶望をより深くする。
オーボエ奏者である鎧塚みぞれは内向的な性格で友人がほとんどいない。そんな自分に声をかけ、吹部へ誘ってくれ、日々を楽しいモノに変えてくれたかけがえのない友人が傘木希美だ。だが希美は中学のときに吹部の部長をやるだけあって友人が多く、みぞれはその中のひとりにすぎない。だから上級生と揉めて吹部をやめるとき、みぞれに相談はおろか報告もしなかった。希美が辞めたことを、みぞれは上級生に訊ねて初めて知った。みぞれは希美の中における自分の存在の小ささに酷く傷ついたのだ。しかし、そのことはどこまでも希美に伝わらない。原作から引用する。
「もしかして、それでハブられたとか思わせちゃった? ちゃうねんで、そういうんと全然。みぞれのこと嫌いとか、そんなんじゃまったくないから! ごめんな、勘違いさせちゃって」
(中略)
「勘違いなんて、してない」
この断絶!
みぞれは自分の中の希美と、希美の中のみぞれの大きさの違いに傷ついている。その差の大きさに泣きそうになっている。しかしそんなみぞれの感情は、これっぽっちも伝わらない。
「うん。大丈夫」
みぞれはそう言って、わずかにその目をすがめた。よかったー、と希美がはにかむような笑みをこぼす。その光景に、久美子は静かに目を伏せた。きっとこれから先、みぞれの抱える想いを希美が知ることはないのだろう。そう考えると、舌の裏側がざらりとした。
そばでそれを見守っている久美子には、ふたりの温度差が見えている。が、この歪みはアニメ版からオミットされてしまっていた。
理由はいくつか考えられるし、興味もあるが、ここでそれは論じない。この残酷なシーンには何の意味があるのかということについて考えたい。
ところで原作を読めばこの場でもっとも残酷なのはみぞれだ、というところにだいたい落ち着くと思う。
アニメでもがっつり描かれたが、暗闇でひとり膝を抱えるみぞれを光の射す場所にすくい上げたのは他でもない優子だ(ちなみにみぞれ、希美、優子、夏紀は同じ南中出身で、前者の3人は吹部だった。最後の府大会でまさかの銀賞を取ってしまい、高校では絶対に金賞を取ろうと約束している(いちおうアニメ版でも僅かに入る回想でそれが判るようにはなっている))。
優子はみぞれに友人として強い好意を持っていた。しかし「だって、私には希美しかいないから」と言われてしまう。「そしたら何! みぞれにとってあたしは何なの!」と優子は怒るわけだが、原作は一歩進んでえげつない。
「きちんと話してみ」
「え、でも、」
優子は力強く断言すると、ずいとみぞれを希美のほうに差し出した。みぞれがうろたえたように視線をあちらこちらに巡らせる。彼女の細い指が、落ち着きなさそうに優子のセーラー服の裾をつかんでいる。希美はそれに視線を落とし、一瞬だけ切なげに目を細めた。
(中略)
みぞれは希美との話し合いの最中、優子にすがっていた。しかし希美との和解が成るや優子から手を離すのだ。アニメ版であすかが穿ったことを言うのはこのことを指している。
さらにみぞれは「もしよかったら、練習付き合ってくれる? 私のソロ、聞いてほしい」と希美に言う。希美から言い出すアニメ版とは逆なのだ。
手を伸ばさない希美に、気を良くしたみぞれは自分から手を伸ばす。
この時、自身をすくい上げてくれた優子の手を、みぞれがもう片方の手で握るなんてことはない。優子はどこまでも置いてけぼりにされる。
「私は嫌い。けっきょく審査員の好みで結果きまるでしょ」
「しかたない? たくさんのひとが悲しむのに」
「私は苦しい。コンクールなんてなければいいのに」
かつてコンクールが持つ残酷性を批判し希美が持つ無邪気な残酷さに涙したみぞれは、希美との形ばかりの和解に舞い上がり、かつて自分が受けた傷を優子につけるのだ。
香織の一番にもなれず、みぞれの一番にもなれない優子。彼女がこんどは残酷さの犠牲となるのか。いや、違う。
夏紀のひとことが優子を救う。
https://i.gyazo.com/7f157970e8ac9305555ba6c672244440.png
希美に向けてみぞれが満面の笑みを見せたとき、その後ろで優子はどんな表情を浮かべていたのだろう。
おそらく。
おそらく夏紀はそれを見ていたはずだ。優子の胸のうちに想いを馳せたはずだ。だから優子の行動をちゃんと報いたのだ。
残酷さの果てには哀しみだけが待っているんじゃない。心でつながっている友人が、あるいは神様がちゃんと見ていてくれて報いてくれることだってあるはずだ。残酷さの先にあるのは希望なのかもしれないのだ。
原作が描ききった残酷さの向こう側。それを零してしまったTVアニメ『響け!ユーフォニアム2』#4。
できれば攻めきってほしかった、そう思った。
http://anond.hatelabo.jp/20160617143210 は、この事件を知らなさそうだが。
ある中学校で家庭に大問題のある生徒が、いじめをしていたんだ。そいつはヤンキーというわけではなく、頭がよく優等生だったんだけど。
先生がそれに気づいて色々対処しようとして、結局そいつは逆にはぶられることになっちゃうんだ。
そこでなんやかんやでソーラン節を文化祭で披露することになって、そいつをセンターに置こうとしたんだな。
クラスの団結は高まっていくんだけど、何度も言うようにそいつの家がもう最悪の最悪で、まわりまわって、思わずソーラン節教えてくれたじいちゃんを刺しちゃったんだなぁ。でも団結を強めてたおかげで、クラスメイト一丸になってそいつを支えていくことができるようになったんだ。
その中学でそういうことがあって、そのあとも転校性のソフトバンクの長女の学年の時にその先生の息子が白血病になってな。
その時に前述の問題あった生徒が、その息子を励ますためにもソーラン節踊ってあげろと頼んで一斉に踊るんだ。
そのあとの後輩生徒もまた問題でな。なんと薬物に手を出してしまったんだよ。元々父親がやってたんだよな。
で、母ちゃんノイローゼでそいつを殴るわけ。逃避のために薬にのめりこんでいくんだよ。おかしくなっていく友人に口出ししたやつが居て、そいつのせいで父ちゃん逮捕されちゃうんだけど、それを責められてその友人、家から飛び降り自殺しちゃうんだよな。平成でJUMPしたいと思ったのかも。だからそいつ自分を責めてさらに薬にのめりこんで、もう大変。
その年も、継承するようにソーラン節を踊ってたんだ。まだ優しいころのアイツがセンターで踊ったんだよ。
だけどそいつ、薬がバレて捕まっちゃってな。本当にかわいそうなやつなわけ。
だからそいつが刑務所行くときに、河原でみんなでソーラン節踊って見送ったわけ。
そのあともなんかソーラン節は続いてたんだけど、その評判がどういうわけか全国に広まってな。
その1.話の着火点になる
いくら場を盛り上げるのがうまい人でも話題が途切れることがあります
そういう時に血液型の話、恋愛話、子供のころの話を放り込めば、後は勝手にやってくれます
(例:そういえば、血液型は何型?あ、わかった。Bだろ(笑)、バレンタインデーに何かしたことある?)
その2.話を深める
これは単純に
とか
「なに中学校」
です
ただ、これだと質問攻めになってしまうのでユーモアを混ぜるといいです
「俺いまから田中って苗字に変えるわ(笑)」、「いま田中に嫉妬したわー」
や
「何中学校?」
「あー、あの有名な・・・」
「絶対知らないよね(笑)」
などといった具合です
その3.方向を変える
突込み役が切り込みすぎたり、相手が引いたりしたときに話題を変えることです
なお、全体トークが苦手な場合、一人の人に話を振るといいらしいです