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はてなキーワード: イザナミとは

2023-01-12

anond:20230111194547

でいだらぼっち

そのまんまb:id:daydollarbotch

ブラッディセブンスビル

b:id:death6coin

みかんの人

b:id:ilktm ?(りんごアイコン

イザナミ

分かんないけどb:id:srgy

milvus migrans

アイコンでたくさん増田ブクマしてるというとb:id:sonzinc ?(鳩アイコン) b:id:lli ?(ペンギンアイコン

でも口調が荒いイメージないしな。

b:id:yas-mal

追記

lliさんペンギンヒナだった気がしたけど今見たら違う鳥だった

他の人と勘違いしてるかも

2023-01-11

何も見ずにうろおぼえで書けるだけ増田ブクマカを書き出す

でいだらぼっち

ご存知一番の暇人で意外と博学

増田ブクマカと言えばこの人


ブラッディセブンスビル

尖った名前からのおちゃめな愛されキャラ

あのブクマカもあの増田もみんなこいつの貞操を狙っている


みかんの人

アイコンみかんの人

よくみかける割になんの印象もない影うすキャラ

IDも思い出せん


イザナミ

いつまでも新人面をしている


milvus migrans

この人もよくみる

洒落な鳥のアイコンの人

なんか口調が荒いので非表示にしてるが、たまにブクマページを見に行ってる



結局5人しか思い出せんけどわざわざ認知してるのはこんなもんか

2022-11-18

赤穂藩では47人の武士野次馬1人が討ち入りアイドルグループAKO48を結成した

一方黄泉の国ではイザナミ配下黄泉醜女が46人集まってアイドルグループ黄泉比良坂46を結成していた

2022-10-23

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(1)

 世間流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。

 ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。

 ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫論文は「わきくさ物語」と題する一篇である

 これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西文学作品や文献に於ける腋臭体臭に関する記述比較したという内容である。今さら気づいたが、論文題名は『若草物語』のパロディである

 金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体臭い肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的日本中国では、身体臭いを讃美する文学作品記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的記述内容は見出される。日本文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である

 それはともかく、かのナポレオン愛人に宛てて「近々戦場から戻るから風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。

 しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚のものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから香り匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的記述が見られないからといって、体臭のものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出し源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合数学テキストで例として挙げられることもある。]

 とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である

 ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである

 さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。

 『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。

 この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。

 まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるもの記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。

 「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかからかに創り出されるイメージの、想像力による夢幻世界における営みであった。そして、日本女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」

 奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦論文著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである

 さて、小松和彦論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギ物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。

 死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギ禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。

 この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり黄泉の国でイザナギイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。

 小松和彦論文でも指摘されていることであるが、日本イザナギイザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国東晋時代書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。

 美しい女性結婚した男が、妻から「私は普通人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通人間女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったこから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である

 イザナギイザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である

 特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないか推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものであるさらに、類似物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。

 死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚表現重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。

 ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?

 とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。

 聴覚妖怪識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである

 触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。

 問題は、嗅覚により妖怪識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するもの人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたもの竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形混同されるようになったかである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間嗅覚ではなく妖怪嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。

 小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要役割を果たすのは、嗅覚聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである特に、愛の営みに関しては、そうである人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚重要性が高まることは、必然であるように思われる。

 とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである

―――――――――――――――――――――――――――――

 さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である

文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411

2022-08-09

スラブ語族はだいたい正教だが、古代神話信仰も根強く、最高神雷神ペルー

日本イザナミイザナギ雷神に追わせたとおり)

豊穣の神はヴェレスで、ウクライナ加工食品会社の名

基督教における民間神話の扱いってどうなの

今一瞬グーグル落ちたよ

2022-08-05

anond:20220805111807

元々神話というのは自然現象説明する為のものと聞いた。

おそらくカグヅチのエピソード火山噴火説明したものなんだろう。

多分だけど元々はイザナミイザナギとは全く関係ない神話だったものが、口伝で伝わっていく間に混ざったか古事記をまとめた人間の都合(イザナミが死んだ理由のつじつま合わせとか)で混ぜちゃったんじゃないだろうか。

古代以前から伝承されていた神話を改変したり混ぜたりして権威付けに利用するというのは結構あるそうなので、古事記にまとめられているエピソード権威付けや当時の政治的な都合で混ぜたり改変されたりした話が結構あるんだと思う。

火の神カグツチ「生まれたンゴ!!」

イザナミ「ぐえー(火の神産んだらマンコ焦げて)死んだンゴ……」

イザナギイザナミ殺しやがって許さん!」

まれた直後のカグツチ「ぐえー死んだンゴ」首チョンパ

 

古事記ヤバくねーか

どんな倫理観でこれ書いたんだよ

2022-07-05

[] アナル嵌杉之命

アナル嵌杉之命(アナルはめすぎのみこと)は、日本神話に登場する、日本で初めてアナルセックス経験したとされる男神

イザナギイザナミの間に生まれた子であり、アマテラススサノオの弟である

古事記』の記述によれば、アナル嵌杉之命は兄のスサノオいじめられており、ある日、兄のスサノオに犯されそうになった。しかし、アナル嵌杉之命の肛門括約筋は固く締まっており、なかなか挿入できなかった。

そこで、アナル嵌杉之命はスサノオの背後に素早く回り込み、肛門をこじ開けて挿入し、射精してみせたという。

これが、日本神話における初めてのアナルセックスエピソードである

その後、スサノオとの仲直りのため、アナル嵌杉之命は自らの尻の穴を差し出した。しかし、アナル嵌杉之命の尻穴はスサノオに徹底的に凌辱されることになってしまう。

これらのエピソードがもとで、神道では肛門神聖場所とされ、神聖視されるようになった。

2022-07-03

日本保守LGBTに反対する理由て何?

GやBについては古くから男色として日本にあったものやん。井原西鶴だってイザナギプレートとイザナミ以前は男色だった」とか言ってるし、戦国時代衆道も有名やん。保守日本伝統を守るんだろ?いや守ってくれよ。俺はこういうゆるーい日本の性文化が大好きなんだよ

あとTについてもさ、歌舞伎かい伝統芸能女形ってのがすでにあるじゃん性別を超えた先にある美ってのは日本伝統芸能なんだよ。いや日本伝統守ってくれや。

マジさあ、こういう昔ながらの日本のゆるさ、曖昧さを伝統として守ってくれる保守政党ほしいわ。

2022-06-25

anond:20220625013455

日本神話イザナギイザナミとか

しろ女媧伏羲パクリだろ

知ってるか?日本神話中国神話よりも高句麗扶余神話と似てるんだぞ。

世界は天・地・冥界の三層構造で、王が天から降臨するってテンプレートが同じだ。

日本語を話す祖先はもともとBC1000頃は朝鮮半島、更にさかのぼってBC3000頃は中国東北地方にいたってよ。

anond:20220625011541

日本神話イザナギイザナミはどう見ても女媧伏羲パクリだろ

結婚を望むときは男から声をかけよ」の教義は置いといても

2022-06-21

どうして喪女からのお誘いは上手くいかないッピかねぇ…

増田が苦手な年の差恋愛の話だッピよ。注意するッピ。

どうも、先日無謀にも女性から行為のお誘いをした喪女だッピよ。(詳細は anond:20220610174735 に書いてあるッピ)

しかも今どきメールでのお誘いだッピ。

送信して一週間超えたけど、返信も何も来ないッピねぇ…。

もう今なにもしたくないか全裸ディズニープラス鑑賞してるッピよ…。

相手は50近い男性ッピけど、20代中盤とはいえ流石に喪女NGだったッピねぇ…。

年の差でゴリ押ししたッピけど、チェンジされたッピ…。

インターネットで女側から誘えば無敵論を唱えた弱者男性は誰だッピねぇ…。

そんなウソ付いちゃだめッピよぉ…。頭弱めな喪女が信じるッピねぇ…。

乳を寄せてお誘い出来る関係性じゃないのが良くなかったッピか?

女性モテなんてないッピ。全て強者女性からモテるだけッピねぇ…。

唯一の後悔として、メール既読機能が無いことだッピ。

から相手男性が読んだかどうか、わ、わかんないッピ…。

迷惑メールフォルダに挿れっぱなしは嫌だッピねぇ…。

古事記のイザナキイザナミにもあるように、女性から誘うのは日本内でウケが悪かっただけと信じるッピ…

もう無謀な片想いは辞めるッピ…。

喪のことを愛してくれるgentlemanを探すッピ…。

とりあえず全裸ソウルフルワールド見るッピ…。

2022-06-19

anond:20220619102638

「重カラサワカラサイザナミイザナミアラキデアラキデ」

「重逆バトバト範サブオックスオックスタンクアンチ

「中カラサワカラサアマテラスオックスオックス

「奥目人中中顔面口ゴボ骨スト」

ネズミKEオート速スト速ストタンク肩指定ヨロ」

「VTF」 「VTF」 「範サブ」

「VTFケー」

「ケー」

「レディー」

「ケー」

2022-05-31

日本人ファンタジーキャラ名前をつけるとき

軽率アリスとかつけるけど、アリスは相当お婆さんイメージ名前らしいし、美少女トメさんとか付いてるような感じなんだろうか。

カインとアベルなんか、聖書まで遡ってるからイザナギイザナミとか普通の人に付いてるって感じなんだろうか。

2022-05-17

anond:20220517125203

イザナミが先に喘ぎ声をあげたせいでヒルコが生まれたわけですし

2022-03-08

[]第四次世界大戦が起こるとしたら石と棒によるものかもしれないけど、そもそも世界最初大戦イザナギイザナミによるレスバだったってマ?

イザナギ「お前らが1日千人殺すってならこっちは1日1500人産んでやんよ!」

ひろゆき「それってあなたのただのイキリですよね?」

2021-12-22

anond:20201108145554

言葉狩りがすぎる

まず漢字の「嫁」と和語の「よめ」は分けて考えるべきで、「よめ」は「良い女(め)」という意味から

夫が妻を「よめ」と呼ぶのは少なくとも平安時代からあった

そのとき漢字表記は「婦」だが、「よめ」には息子の妻という意味と夫の妻という2つの意味がある(倭名類聚鈔より)

明治刊行通俗古事記神代巻では、イザナギイザナミのことを「愛(うつく)しい我が汝妹(よめ)の命(みこと)」という文章があり、明治でも夫の妻を「よめ」と呼んでいた

常用漢字では「よめ」を表す漢字は「嫁」しかなく家にいる女という構成をしているために意味がそちらだけに引っ張られているが、日本語和語)においては、「よめ」は夫の妻であることは大昔から連綿と続いている

関西だけで残ったのか分からんが、関西発祥というわけではない

ことさら「よめ」呼ばわりを悪と決めつける理由はない

2021-09-21

大和朝廷に従わない土蜘蛛の族

日本書紀曰く、土塁に住み、胴は短く、手足が長く、力が強いという

どこか要塞都市に住んだオランダ人のようだ

  

そしてイザナギイザナミが生んだとされる神にスサノヲ(素戔嗚)がいる

天照大神宮殿に馬の死体を投げ込んだ異色の神で、出雲大国主命がその息子

スサノオという響きは和語には珍しいうえ、漢字は「戔:わずか 嗚:嘆きの声」の当て字

  

欧州では1世紀、トイトブルクの森の戦いがあり、ゲルマニア軍がローマ軍を撃退したものの、

結局のところ総督ローマ人になってしまい、ゲルマニア軍を率いたアルミニウス暗殺されたらしい、ということがあった

 

実はスサノヲは Susa, Noah というゲルマニア人で仲間たちとはるばる亡命してきた

なんてことはないのかね(のちに土蜘蛛たちは天皇に征伐されてしまったのだが…)

2021-09-18

イザナミイザナギが作った最初の島は、淡路島とされている

404年の文献に淡路島にはイザナギ神宮があると書かれている

他に何があるかググってみた

すると淡路島には 五斗長垣内 舟木 など、鉄器生産所の遺跡があるという

工場建物は、神宮式ではなく竪穴式らしいので、弥生人が作ったはず

でもなぜ大阪でなく淡路島で、竪穴式でない神宮があるのか

おそらく工場主は渡来人だったということ

ゴッサ(五斗長)、カイト(垣内・開拓)、フナ(舟)、ギ(木)からすれば、5隻の船で来た

イザナミイザナギ、その子アマテラススサノオツクヨミで、ちょうど5人だ

 

ところで淡路島に行くなら、九州は当然に通るが、

九州の オトクマテンドウマチ遺跡青銅器遺跡から、おそらく弥生人のものだったろう

その卑弥呼時代の国や、朝鮮半島帯方郡は、鉄器製造技術の伝来のころ滅びているようにみえ

 

ここで気になるのは、イザナミから世代あとの神武天皇は、

古墳時代九州のウサツヒコ・ウサツヒメが建てた建物にしばらく滞在して、

そこから東征して大阪に行ったということ

まりイザナミイザナミ一族は、本部九州日向だったが、大阪上陸する前に、淡路島にゴッサ基地をたてた

ただ8世代越しの上陸計画ちょっと考え難いので、系図人物は増やされているかもしれない

ということで、ヤマト王権そもそも渡来人

2021-09-06

日本神話では大蛇の神と人間あいの子が神の1人だったりするが

中国神話伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)はどちらも大蛇なんだって。でイザナギイザナミ神話モデル

やはり日本神話天津神というのは実は大陸人のことで、国津神弥生人王族って感じ

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