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2024-04-14

裕福な女子が余裕を持って格上受験するから医学部合格率が低い

表題のことを書き残したい。

医学部入試男性のほうが合格率が高いのは差別の結果、というのは数年前よく見かけた。上野千鶴子2019年東大入学式"祝辞"でも冒頭で以下のように触れられている。

「全国医学部調査結果を公表した文科省担当者が、こんなコメントを述べています。『男子優位の学部学科は他に見当たらず、理工系文系女子が優位な場合が多い』。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。」

しかし、慶応医学部医学科 ("祝辞"では”事件”のあった東京医科大や順天堂大と混ぜて紹介された)は、点数操作無しで合格率男女比1.37で、上野の母校である京大("祝辞"には登場しなかった)も1.27だ。こちももちろん点数操作は無い。根本的な原因が点数操作以外にあることは、文科省調査結果が出たときから明らかだった。

医学部と他学部合格率男女比が異なることへの私の説明表題の通りで、詳細に言うと以下になる。

受験者の全体平均と医学部など難関大学受験者に多い富裕層では、受験選択の傾向が異なる。富裕層女性偏差値的格上校を積極的受験するため、合格率は男性なみかそれより下になる。》

難関大学は、特に理系医学部以外でも男性のほうが合格率も高い(ことが多い)

2019年4月時点で、一般人でもweb複数年・多数の学部の男女合格率を拾えたのが早稲田 だ。

学部ごとに'13~’18年の6年間の一般入試合格率男女比平均値を出すと

政経0.92, 法学0.97, 文化構想0.94, 文学1.03, 教育1.02, 商学1.22, 社会科学1.22, 人間科学1.20, 基幹理工1.47, 創造理工1.17, 先端理工1.57

となる。文系は男女拮抗が多いが、理工系3学部男性のほうが合格率でもはっきりと高い。

女子枠創設が話題('24年春時点)の京大理系は、‘22年、’23年の合格率男女比が理学部で1.55、1.79、工学部で1.38、1.29となかなかの値だ。

'23年の教育学部(理)も合格率比0.45とすごい値だが、ここは約10名という定員数の影響が大きいだろう。

裕福な家庭の女子学生には余裕がある(?)

 

学部日本大学全体の平均を見ると文系理系女性のほうが合格率が高く (あるいは男女拮抗)、難関大学では男性合格率が高いなら、普通大学難関大学では合格率の男女比がはっきり違うことになる。

よく知られているように難関大学学生受験生の学力面以外での特徴は、経済的に余裕がある割合が高いこと。大学受験で難関大とフツーの大学で違う、はだいたい、リッチ受験生とフツーの受験生の行動が違う、になる。

リッチでそこそこ以上に成績が良い高校生が難関大を挑戦的受験するときは、都市部の中堅以上の私大を滑り止めにしていることが多い。

また、滑り止め大学受験・進学が容易な富裕層大都市居住者女性大学進学率が男性並みか、それ以上で、日本大学受験生の全体平均、ましてや就職コースを含む高校生の全国平均とは状況が大きく異なる。

富裕層女子学生でも進学についてのプレッシャーが強い、とも言えそうだが、"祝辞"では

女子学生浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります

と言ってこれが絶賛されたのだから、フツーは買えない余裕を高い家庭経済力で買っている、という認識が良いのだろう。

たぶん、都市から地方への進学がカギの一つになっている

逆転に至るさらなる要因として、都市から地方大への進学者数が男女で大きく異なることが挙げられる。例えば以下の調査結果

ttps://www.ipss.go.jp/publication/e/jinkomon/pdf/19823104.pdf

都市から地方公立大に進学する動機で大きいのは、一人暮らしをしたい・学費を低く抑えたい、だろう。男性理系との相性がいい。

女性が格上大学記念受験する傍らで男性都市部から地方に進学すると、男性の難関大合格率が相対的に上がる。

社会学徒的には初歩の初歩?

詳細な検討にはデータ (滑り止めと、進学実績水増しのための多数校受験区別とか) が足りない。

しかし書いていて、家庭経済力の差・都市地方における滑り止め確保のコスト差・男女の自主的な行動の違い、が組み合わさって自然難関大学では女性合格率が下がる、というのはむしろ社会学の知見としては当然の結果に思えた。

ただ、そう明記しているものを見つけられなかった。

難関大学における女性学生や志望者の少なさを問題視する論文はすぐ見つかるが、一般社会では数年前に問題視され、"祝辞”でも触れられるくらい話題になっていた合格率は、あまりアカデミック社会学では考察対象になっていないようだ。

かに、人気になれば下がる合格率にやっきになるほうがおかしい。しかし、余計な男女分断を避けるためにもそう言ってくれれば、文科省も何年も調査しなかっただろうとも思う。せっかくなので、ここに書き残しておく。

借金やきついバイトをさせないのは性差別” と上野千鶴子に言われたくない

あの"祝辞"は冒頭の後、こう続く。

2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。『息子は大学まで、娘は短大まで』でよいと考える親の性差別の結果です。」

原因がやはり家庭経済状況と、それへの対処の男女差に要因があることは明白だろう。例えば2014年に発表された調査では、奨学金借金している割合男性理系50%、女性理系46%、男性文系44%、女性文系41%だった。

学生数は男性が文:理 =約1:1、女性が同4:1なので、調査結果の数字を当てはめると借金率男女差は約5ポイントとなる。そして借金だけでなく、きついバイト貧乏生活、長距離通学など、大学進学の金銭面をどうにかするのは基本、男性のほうが適性がある。

借金などムチャをして進学できるのは男性有利な構造があるため、と主張はできる。ただ男性のムチャの動機は、自分より高所得パートナーを得るルートが無い、社会保障も届かない、という要素が強い。

エリート女の泣き所はエリートしか愛せないってこと、主夫 (ハウスハズバンド) を養うなんて現実的じゃない」

という上野本人の有名な言葉が、そしてこの発言をした上野がこの「祝辞」を述べる栄誉を与えられ、なおかつ今も権威として君臨している現実が、男性女性よりも進学や労働でムチャをする理由、ムチャせざるを得ない原因を端的に示している。
一方でそれらのムチャは、よく死ぬ(もちろん同じルート突入たからには男女問わず)、という副作用と、それでもそれがマシ、というつらい現実を伴っている。

上野の主張は、彼女ほど親の経済的援助(大学近くに住居を準備し、かつ博士課程修了までの学費生活費も支える)に恵まれていない子と、そこまではできない親の苦労と苦悩を無視している。また大学進学以外のキャリア視野に入っていない点でも同じ傾向で多様性を欠いている。

そして、大学進学率の低さを解決するために非エリート家庭への経済的支援模索するのではなく、エリート女性を含む女性全体に対する性差別解決せよと主張するのは、自らの指導地位を利用して非エリート女性被害者性を奪う行為だ。

他人の苦難に親身になるのは素晴らしいが、"彼女たちは苦労させられている" を "私たちは苦労させられている" に変換して他者非難し、自己権益を主張する行為を、私は当時も今も好きになれそうにない。

2024-02-04

どっちに転職するべきだと思う?

アラフォー独身女子

思うところあって10年勤めた会社を出て転職することに

ありがたいことにいわゆるJTCのメーカー内定をもらった

そこに行くつもりだったんだけど、記念受験的に受けた大都市市役所中途採用試験まさか合格内定ゲット

メーカーの方はボーナス込みで年収750

市役所ボーナス込みで550

仕事的にはメーカーの方が現職の延長で実力発揮できそうなんだけど、メーカーから先行きがわからないのが不安

市役所の方は安定はしてるし、いままでやったことのない行政仕事ができるのが魅力、でも給料が安い…

はやく決めないといけないんだけど決められなくてハゲそう

アドバイスほしいです

2024-01-18

ノー勉国立大卒で、社会人になって詰んだ

元々勉強が嫌いだった。小3から宿題やってない。

めっちゃ怒る先生の科目だけ写させてもらった。

しかし、勉強せずとも数学だけは出来た。

どのくらい出来たかというとセンター試験数学で1A2Bで満点を取る程度には。

そしてこれ以外で語れるほど実績はない。進研模試で満点取ったことあるけど、多分センター試験の方が難しいんだよね。高校偏差値36だったからそこらへんの一般常識知らない。

で、高校卒業と同じタイミング就職するつもりだったんよ。大学なんて私立Fランに行くやつが学年の10%いるかどうかって感じ。

そんな中、担任からある一言

鹿児島大学だったら数学だけで受験出来るよ?」「前期だと山口大学ならほとんど数学だけっぽいよ?」「後期まで頑張るなら佐賀大学とか数学だけでいけるんじゃない?」

と。学校として国立の実績欲しかったのかな。

親と相談。まあ、記念受験するか。

で、鹿児島大学AO入試合格した。問題は正直なんにも難しくなかった。皆んな満点だと思った。

意外と国立大って簡単なんだなと思った。高校まで天才が行くところだと思ってた。

ちなみにセンター試験数学以外4割取れてない。

地理に至ってはノー勉というか高校の授業も受けてなかったからな。一桁点数だった気がする。

それで大学生活始まるけど、まあ無理よね。共通科目の英語単位が一番難しかった。3年次の時一番前に座って毎回出席して毎回ニコニコしてようやく取れた。

専門科目は自慢だけどやっぱり数学得意だったんだなって。

過去問入手して1週間対策すれば落ちたことない。もちろん普段から勉強するなんてことはできない。

単位を取れる程度にやる。ただそれだけ。

そうなんだよ。勉強する習慣なんてないんだよ。

だって勉強したことないもん。毎日机に向かうなんて無理。自宅に居る時はスマホゲームエロ動画。外に出るのはバイトか飲み。

年確されない終わってるバーに行けば僕と似た不真面目な馬鹿がたくさん居る。そのままセフレ作ってあっという間に4年間。

大学生活で身についたものといえば酒の場でのナンパ方法借金50万だった。今思えば50万で済んで良かったな俺。ギャンブルにはハマらなかったのがデカそう。

ちなみに数学科は卒論がない。院なんて行くわけない。それで数学にも真面目に触れ合わないまま卒業した。

これで肩書きは0浪0留の国立大卒になっちゃった

で、そのままIT会社入社めっちゃホワイト

給料もボチボチ。お金持ちってわけじゃないけど、あとは適当にやれば生きていけるって思ってた。

けど、何年も勤めるとボロが出るよね。

まず基本的教養がないから話してることがわからない

机に3時間向かえない

資格勉強もできない。全部落ちた

過去言われたこと覚えてない。メモも取れない

もう、今までの生活集大成が出るんだね。

同期も先輩も後輩も、みんなちゃん大学やってるんだよ。頭の良さ関係なくみんな根の真面目というかやる時はやる習慣が身についてる。

僕はそれが出来ない。それが出来ないからしてこなかったのか、してこなかったからそれが出来なくなったのかは分かんないけど、とりあえず現状出来ないんだよね。

で、それが出来ないと多分どの会社からお荷物なんだよなあ。

厳密には詰んだ訳じゃないけど、結構詰んでると思う。

少なくとも不真面目は不真面目が集まる社会に身を置いたほうが楽に生きれそうだね。失敗したわ。

2023-12-16

弟が無能すぎてしんどい

私は当時の全国模試偏差値65〜70適度の学力だったが、両親が教育虐待系の親で、親から私は馬鹿だの無能だの知的障害だのなんだの言われてたり馬鹿人権は無いと、私の食卓は床だったりしたので弟は私を馬鹿人間で足蹴にしていいと思っている。

別に馬鹿だとも足蹴にしてもいいと思われてても良いが

自分はそんな姉よりいい学校に行けると思って、自分の力量に合わない中〜高を受験して全て失敗している。

まあ難しい学校から落ちても仕方ないよね挑戦だったね程度で済まされるなら無能とは思わないが、当時の実際の弟の偏差値は良くて45。挑戦ではなく記念受験の域。

高校受験に至っては滑り止めの私立に落ちて、公立も落ちて危うく高校浪人するところだった。

地方なので私立は滑り止めの学校という認識で、落ちたなんて話を聞いたことないくらい受かって当たり前の学校だったのでびっくりした。

結局学校側が頑張ってくれて枠の空いてる私立ねじ込んでもらったらしく高校浪人は免れた。

大学はこの教訓あってかAOだか推薦だかで入学した。

私立偏差値の高い大学じゃ無いことに文句を言っていたが、学校先生からお前の学力で行けるのはこの程度だと言われたそう。

大学は4留して8年大学に通った。卒業できるかヒヤヒヤひたが今年の夏に卒業できた。

4留もしたので奨学金制度は停止されて200万×7年分奨学金なして払うことになった。

当然実家だけではお金を出しきれず私が半分くらい出した。

4留したもの遊んでたりバイト戦士をしていたのならまだ救いがあったがそうでは無い。ずっと勉強していたのに4留した。

ご飯食べに行こう〜とか買い物行こう〜とか私や家族が誘っても勉強あるから、、と殆ど勉強していた。(頭に入ってないので勉強と言えるかどうかは怪しいが)

就職したら一人暮らし始めるのにお金かかるよ?バイトして貯めてお金貯めなくていいの?と聞いても、バイトすると勉強時間なくなるから……と一切バイトもしてこなかった。

今は国家資格のために100万出して予備校に通っている。

就職先は一応決まっていて留年を待ってくれているが、国家試験に落ちたらどうなるかは分からないらしい。

もし仮に就職できたとしても一人暮らしのための初期費用を弟は持ってない。

もも退職してしまったし出せないと考えると出すのは私になるが、学費半分と、予備校代、6年分の弟の年金を払っているのでこちらもそこまで余裕がない。

まあ出すしかいから出すのだけれど。

せめて仕事は本人に合ってて欲しい。

勉強できなくても仕事は上手くハマって仕事できるという人もいるしそうであって欲しい。

そうでなかったらこれ以上面倒みきれない

2023-10-24

健常者でさえ幸せに生きて給料時間の余裕がある生活ができる訳でもないのに子供産めるわけないだろ

子供を産むってのは障がいがある子を産む可能だってあるんだよ

障がいのある子供人生、健常者でも何かしらでつまづいてしまった子供人生を支える覚悟と算段があるのか?

たまたま今の仕事自分に合っていてトントン拍子に評価され年収もそこそこになることはできたが、就職するまでは勉強スポーツ芸術分野も何もかも底辺だった。運良く記念受験予定の自分能力では引っかからないような大学が倍率が低くなって受かったり、たまたま自分に合う業界に入れたから良いものの、そうでなかったらろくでもない人生しかなってない。

そしてもし私が子供を産むとしても、私の能力遺伝したら絶対苦労することになるし、私に起こった運が良いことは再現性がないし、子供にも運良く起こるとも限らない

国のため老後のために子供を産めと言われるが、国の将来より個人幸せの方が大事

覚悟があっても、実際に自分の老後子供人生旦那人生を支え両親の介護もできるかというと無理だと思う

2023-03-02

地方高校出たらそのまま結婚して、家庭に入ろうと思ってたけど・・・

東大文2を記念受験したらギリ引っかかって、25歳時点の年収が当初の予想から+1000万円

そんな女の子意外に多い

女の子田舎では頭を抑えつけられてただけで、もし抑える手さえどけたら割となんでも自由

2023-01-15

アメリカIT企業日本支店就職した(50代男性

まあ記念受験みたいな感じで、どうせ落ちるだろうなと思って受けてみたんですよ、アメリカIT企業日本支店

そしたら受かったちゃった。

戸惑いつつ自慢して良い?

希望年収を聞かれたからいまの給料の1.5倍くらい貰いたいなあって言ったら、満額OK

さらに頼んでもいないボーナスと、株もをくれるんだって

入社から20日有給。追加で家族のための休み3日。完全なフレックス。完全なリモート勤務。

そりゃ日本企業なんかもう行きたくないよ。定年まで忠誠を尽くします。

2022-11-13

やっと一票に価値はないってことが理解され始めたか

俺はもうずっと言い続けてきてたんだよ

よくはてなに限らず投票に行けって投票行かないやつに文句言う資格ないとか無茶苦茶言うやつおったやん

アホかと

一票に価値なんてないんだよ

しかも、投票根拠聞いてみると、マニフェストを読んで共感出来る政党とか

話題自民圧力かけるためにとりあえず野党とか

本当意味ない投票行動が推されてて、はてな民って本当教養ないんだなって頭クラクラしてた

これでやっとスタートラインだよ

組織票に与さな投票行動って、本当記念受験とか参加することに意味があるぐらいのニュアンスしかないんよ

意味はないけど、とりあえず参加してる感だけほしいならやればいい

何ならやらなくてもいいぐらいな投票行動なのに

さも、意味ありげに大げさにしかも偉そうに投票行けと宣うから、本当死んでほしかった

ここからだよ

意味ある投票行動がはてなで周知されて、意味のない投票行動は馬鹿にされる

それが正しいあり方だから

2022-04-08

なぜか外資系IT大手から内定もらってしまい悩む

東京在住の30半ばで妻子あり。

レガシーシステの保守運用しか経験が無いクソ雑魚エンジニアです。転職記念受験のつもりで受けたら、なぜが外資系IT大手テクニカルサポート職(フルリモート勤務)で内定もらってしまいました。

 

技術テスト技術面接もあって、いわゆる行動面接ボロボロだったの。

 

年俸850万+RSU+入社ボーナスって凄いなあ。

 

でも昭和文化企業で育ってきた自分メンタリティ外資に向いてないと思ってます。あと年俸高いのも固定残業代がウン十時間分積まれてるからだと分かり、これに値する働きをできる気がしない。

断ったらここで働くチャンスはもう無いだろうけどなぁ。悩むなぁ。

2022-03-11

滑り止め

中期日程の試験に向かう電車トンネル続きで、当時の二つ折り携帯では合格発表ウェブサイトがなかなか見られなかった、アクセスも集中していたし、なにより通信環境が悪かった。

大月駅に着いた頃、ようやく前期日程の不合格を知った、

まあそうだよね、とも思った。


ずっと、私立は行かせない、浪人はさせないと言われていた、

センター試験は散々な出来で、第一志望はほとんど記念受験だった。

中後期は行きたいかどうかではなくて、絶対に現役で受かるかどうかで決めざるを得なかった、

どこも引っ掛からなければ死のうと思っていた。


ひと月前の記録的な大雪がまだ残っていた、

山に囲まれ、曇り空がどんよりとした小さな街で、本当になにも無いな、と思った、

入学してからしばらくして、ちょうど5月連休の前ころに、あなたは厳正なる審査の結果、入寮選考落選しましたという通知が第一志望の大学から来た。なんとも言えない気持ちになった。


あれから8年経ったけど、自分が選んだ道が正しかったのか分からない。

あの4年間を、何やかんやでいい思い出だったねと片付けられるほど、まだ大人になりきれない春がまたやってくる。

2022-01-16

anond:20220116213815

禁忌肢を選ぶのはよっぽどの記念受験じゃないのか?

2022-01-14

2021-10-03

anond:20211003180258

元増田地方格差を煽ることだけが目的の嘘増。

ネットで頑張って調査したことは伝わってくるが、分数表記間違いがどうでもいいくらいに、根本的なことを間違っているので指摘をする。

結論から言うと藝大を含めて美術大学の合否は努力の差で決まる。

それは、東大京大や他の大学でも変わらないと思う。

でもなんで藝大合格者のほとんどが関東都市部出身者で占められるのかっていうと、以下に理由を挙げる。

あと、藝大志望者のほとんどが変な人ばかりと書いてあるけど、極一部の人だけだから

センター試験でも、英単語の書かれた服を着ていたり挙動おかしかったりで試験官に注意される変人はいただろ?

でも、それ以外のほとんどの人はまともだっただろ。

美術大学でも同じで、藝大は受験したことはないから詳しくは知らんが、変わりはないはずだ。

単に、変な奴はたった一人でも目立つだけ。

合格をする大多数のまともな人は目立たないけど、普通であることにコンプレックスを抱いていて変人であることを望むから受験者は変人ばかりだという武勇伝じみた話が残るってことだ。

ちなみに、ブルーピリオドとやらは読んだことないからよくわからん

2021-03-14

ホワイトデーだけど基本情報技術者試験を受けてきた

結論から言うとおそらく合格

コロナ関係で会場が確保できず、情報処理技術者試験は延期に

基本情報技術者試験は一斉試験からCBT方式に変更された

CBTには変わるといわれてたけど、前倒しで導入したのかな

試験会場の都合で午前試験と午後試験は別日に受験する必要があった

午前試験2月受験しててまあ合格ラインクリアしていた

(試験が終わった瞬間ぐらいにスコアレポートインターネット上で確認できる)

まあネスペやデスペ、プロマネ持ちだけどCBTを試してみたくて記念受験

遊びで触ってるPythonを試したかったというのもある

落ちずによかったというのが正直なところ

Pythonの正解率が50%を切っていたのは内緒の話

ほかの分野でカバーできたので全体では合格ラインクリアしてる

2021-03-10

2021-01-18

現役生と浪人生を分けるべき

共通テスト(旧センター)を受けてきました。

書く場所もないのでここに残しておきます

受けた感想としては、現役生と浪人生受験場所を分けるべきだと思いました。

公立志望のため同じ部屋に浪人生が多く、5人に1人は浪人生という状況でした。

(現役生は高校ごとに固められていたため間違いないです)

現役のこちからすれば、浪人生の「8割は余裕」「全員落ちればいい」というようなマウント系や後ろ向きな会話を聞くのは辛いし、

浪人生としても、記念受験組が休憩時間にワイワイしているのは邪魔だと思います

それに問題もありましたし…。

関係者によりますと、この受験生は40代で、監督者の指示に従わなかった際の対応に加えて、最終的には不正を告げられると会場内のトイレに閉じこもり出て来なかったこから、かけつけた警察官によって退去させられたということです。(NHK)

2021-01-14

共通テスト受験する必要がないのですが

青春らしい青春もできないままLJKも残り2ヶ月

以下ただの言い訳

ありがたいことに私は一般入試を待たずして大学合格が決まりまして。大学入学まで受験勉強以外のことを勉強したりお金貯めたりしながら過ごしています

今週末、とうとう記念すべき(?)初めての共通テストがありますが、このご時世本当に行きたくないです。

ただ、学校の偉い人は「既に進路決まってる人たちも申し込んでいるなら記念受験しろ」と言ってたり、一部の先生は「こんな時期だし、ねえ……」と言ってたりします。各クラス担任によっても考えが二極化していて困ってます。私の入試方式共通テストなしの入試でしたが、合格通知が届いた時入学確約書とともに共通テスト受験番号も提出しています。う〜ん。

私としては合格以降共通テスト勉強はしていないので全体の平均を下げるのは必至ですし、受験する必要がない私が集団に参加することでもしかしたら感染助長する可能性もあるのではないかと考えています。そして何より時間無駄……

かに初めての共通テスト、どんなもんか見てみたい気もしますけど、そんなこと言ってる場合じゃないと思うんですわ。。

https://note.com/nozkoh/n/n63b1050ebf3d

こんな記事も読んでそうだよなぁそうだよなぁと思っていますが、結局正当化しかないんでしょうか。

いくら大学が見てるからって、緊急事態宣言が出ている地域で無理して受験する必要がないんだよなぁ、とずうっと休むかどうか悩んでおります

自分で払った18000円、無駄になるのは虚しいですけど、、

アルバイトだって感染リスクがーなんて突っ込まれたらもう何か、うまく言葉返せないと思いますが、とりあえず共通テストよりずっとずっと今の私には大事なんです。。

追記

大学確認したら受けなくてもいいと正式に言ってもらえました、よかった〜。

2020-12-06

anond:20201206081955

受験資格があっても、底辺普通科受験するような生徒には関係なくね?

記念受験するだけだろ

高専って地元トップクラス高に合格できるレベル学力がないと合格できないって個人的には実感してるんだけど今は変わったのか?

2020-08-15

夏の懺悔

終戦の日は、Y君の命日です。

高校時代同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。

Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。

しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。

Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。

入学からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップ公立高校を落ちてきた人間でした。

はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。

から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。

入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。

第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。

「四位なのに、第一志望でこの学校にきたんだね。」

「こういう人も来るくらいの高校なんだから俺も勉強しよう」

その時の僕にはまだ、そんな理由勉強をはじめようと思う理由理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。

とは言っても、その後Y君が試験ライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラス文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラスクラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。

交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。

彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街引っ越してきたので、同じ中学校出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えますしかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。

Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いていますしかし、同じクラステニス部から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。

Y君と同じグループテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦メンバーに入ることはなかったそうです。

とき一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。

僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。

Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。

高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強ノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活休みになってY君が加わったことが何度かあります

Y君が、自分勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者発言賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。

僕らはみな自分に合わせて勉強スタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。

僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間文法勉強していた方が都合よかったのです。

そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。

時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベル英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。

学年上位の彼女場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。

すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベル問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。

試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。

Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分必要勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。

高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ模試のたびに奪い合うのです。

事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。

勉強をしたかテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。

正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。

僕は、努力方向性を間違える人間愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑対象でした。「三年の夏に部活引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。

当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。

みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学から日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命早慶国公立大学

Y君が目指したのも、早慶文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格絶望的なので記念受験だったと思います

日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベル大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。

先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力甲斐あって志望校合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベル大学です。

高校卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。

僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。

僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。

Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学教育学部合格したのも少なからず影響があったと思います

Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。

Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法レベル大学に手応えを感じていたそうです。高校時代担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専合格は決まっていました。

しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専入学一時金を払わなかったそうです。

かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイ変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後メールには、そう書かれていたそうです。

苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間けが成功評価できますしか成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。

三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています

同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。

二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察通報したそうです。海上保安庁警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。

沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。

暗く塩辛海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。

人生の遠回りを許さな日本空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。

彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。

彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。

こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。

今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れますしかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。

実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれ田舎風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。

今はまだ、入道雲青空に彩られたこ風景に罪の意識を覚えます

2020-08-07

2020-01-22

anond:20200122125854

応募する以上は入りたいなー

記念受験といってはいるけど、記念にしたい大学企業名わけで

基本はそれでいいと思う。

10社20社っていうのは昔はよくおちてたからというのもある。

anond:20200122125530

応募するほうだって記念受験記念受験(いみ的にはちょっと上の企業に応募)って普通は言うし、

お話しながら、そうほうで歩み寄れるか、いっぱいきいて、いっぱい話すんだから

先生エージェントとよく相談して、ここにします!っていえば、だいたい何をすべきか教えてもらえる。

あとはそうだん。

むかしは10社内定 20社内定という時代だったけど

いまは 1-2社を丁寧にという時代からその辺は、自分担当相談

2020-01-20

記念受験という文化海外にはなかったのかも名

枠にあきがあれば記念受験は悪くない。

でもそのときに、記念受験です。ということは面接では必要(第1志望かどうかを伝えること)。

そしてそれでもうかったら、ちゃん検討しないといけない。

願書を出すというのはそういうこと。

 

その場合でもお金は返してもらえないから。費用はよく確認してね。

2019-07-09

anond:20190709081225

記念受験みたいなゆるい気持ちなら失敗しても笑って済ませられるだろうな

2019-06-30

ベストよりベター、とは誰が言った

 大学に通いはじめて間もないが、既に学歴コンプレックスを抱えつつある。

 「でもこの選択は間違っていない」そう思いたい葛藤。自信ばかりが影に飲まれじわじわと引き裂かれる。

 なのでどうかこの場をお借りして、自分のあれそれについて整理をさせてほしい。

 どうせ拙文には違いないし吐き出したいだけなので、てきとうに読み飛ばしてくれて構わない。

 ◆

 略歴。

 小学生とき勉強はそれなりにできた。宿題をやらなくて何度も怒られた。元素図鑑を好んで読んでいた。誕生日にはリトマス紙をねだった。

 ニコニコ動画ではよくゲームを作る動画を見ていた。キャラクタが単調な動きを見せたり、パラメータ上下したりするのにわくわくした。

 父のテレビ台の下にPCソフト(真面目なものアダルトゲームが半々)を紹介する雑誌があったのでこっそり読んでいた。

 同じ場所HTMLの本があったのでそれも隠れて読んでいた。

 中学生とき特に勉強不自由しなかった、歴史以外は。理科国語が得意だった。

 やはりここでも宿題をしなかった。それで肩身が狭くなったのと、進級前に同級生を亡くしたことにより、2年の春~夏から無力感うつになりかけた。

 学校には週3で遅刻して行った。残りは欠席した。家にいる間は見つからないようにPCを触っていた。絵を描いたりSNSをしたりしていた。

 何度か見つかって死ぬほど怒られた。

 3年に上がるとだいぶ落ち着いた。学校にも再び行きはじめた。ブランクがあったがすぐに追いつけたし、平均点は(社会科以外)余裕で取れた。

 図書館数学行列)の本を読んでは、わかんねーしていた。

 受験期は社会科以外の勉強はほぼしなかった。市内で2番目の、偏差値もまあまあの普通科高校に進学した。1番の学校は遠いので行きたくなかった。

 高校でもやはり課題をやらなかった。部活にのめりこんだのも相まって、2年頃には成績は地へと落ちた。

 部活PCをよく扱ったので、中学時代ひきこもり経験武器となった。

 進級するにつれメインの仕事は他に任せ、PCメンテカットイラスト担当していた。埃をかぶったwin2000が動いたときは感動した。

 こうしてずっとPCを触っていた私だが、高3夏になるまで「その道に行こう」とは思わず、進路希望適当書いて勉強もせず遊んでいた。

 さて。

 それまでずっと、「楽しい」を重視して生きてきた。送り仮名を取れば「楽」となる。

 行きたい学部にようやっと「情報系」と書けるようになってから、初めて「勉強」という行為をした気がする。

 とはいえ勉強の仕方はわからず、塾にも通わなかったため、非効率の生み出す精神ストレスに耐えきれず打ち込めなかった。

 いや…耐えきれずと表すのは語弊があるか、心を病んだ経験があったため苦しむのに恐れをなしていた。

 おかげさまでセンター1カ月前まで成績は落ちたままだった。最下位にほど近いときもあった。何も思わなかった。

 センターを前にすると途端に伸びたが、元の成績がクソなので結局のところ偏差40程度に落ち着いた。

 大学私立Fラン1校、自分の偏差よりちょっと上の私立を1校、行く気のない国公立1校を受けた。

 偏差ちょい上のチャレンジ校になぜか通ったので国公立記念受験した。落ちた。

 略歴終了。

 ◆

 で、だ。

 当時の偏差値ちょっと上の大学に通ったとはいえFランクのラインギリギリ超えていないレベル学校である肩書きは誇りづらいものであった。

 周りの友人は「君が楽しそうでよかった」って言ってくれたのもあり、ブランドなどまあどうでもいいやと思っていた。

 それに大学講義楽しいPCを思う存分使っても何も言われない、推奨される。

 勉学という面では、今が幸せの頂点だろう。

 しかしながら、やはり偏差などの数値というもの偏見を呼び、そこに属していると上位から舐められる。

 勉強してこなかった自分としては満足いく結果だと思っていたが、どうやら世間から見たらそうでもないらしい。当たり前だが。

 仲良くしていた友人のひとりに「君の通う学校は偏差的にちょっと…」と言われたとき、初めて自分を疑った。

 どこで間違えたのか。

 ほんとに肩書きはどうでもよかったのか。

 やはり苦労してでも勉強してくるべきだったのではないか

 まあそれも当然だが。

 ◆

 結局何が言いたかたかというと、

 ううん、何も結論はない。

 勿体ないことしたかもなあ、というだけ。

 最初にも書いた通り、吐き出したかっただけなのだ

 今からでも羽ばたけることを願っている。過去を変えられるわけではないのはわかっている。

 この選択は、今までの選択は、「世間様」のベストではなかったが「私にとって」のベター、だったのだから

 きっと間違っていないと、今日葛藤に苛まれるのだ。

 勉強します。

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