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はてなキーワード: 豆腐メンタルとは

2024-02-16

男らしさから降りる=女で言う脱コルセット運動

男らしさから降りても良いというのは、経済的強者男性になることを諦め低収入でもニートでも良いとか、

家族を守れる甲斐性のある強メンタルマッチョ男になることを諦め、豆腐メンタルチビガリ脂肪デブでいても良い、ということになるわけだけど、

これの女性版は「脱コルセット運動」ということになると思う。

美容院で手入れされた美しい髪が女性的で男性に人気。でも洗髪やヘアケアが面倒なのでベリーショートもっと極端な人はバリカン坊主にする。

腋毛脱毛女性マナーとされている。でも腋毛をボーボーにしておく。腕毛もすね毛も何もしない、無駄毛という無駄毛を生やし放題にする。

眉毛の手入れや日々の化粧も女性マナーとされているが面倒くさい。眉毛が繋がっていても放置、化粧もスキンケア放棄

・美しい体形であることが女性マナーとされている。好きなものを好きなだけ食べて運動をせず、太り放題のクソデブ上等。

男性を喜ばせるコミュニケーション放棄。言いたい放題する。

男性女性家事を求めるが放棄

男性女性に対して抱く期待を全部裏切って、自分が楽なようにする、容姿無頓着オッサンのようになってしまう、というのが「脱コルセット運動」。

エロティックキャピタル(人的資本健康資本性的資本)の形成拒否して、楽をすることを取るという「降りる」行為

から女性男性に対して抱く「稼いで」「守って」という期待=圧力放棄する「男らしさを降りる」と実質同義

そして異性からの期待にこたえなくなると、当たり前だけどモテなくなる。それを「脱コルセット運動」は受け入れるというか、男を拒絶するための「脱コルセット運動」というところがある。

だけど「男らしさを降りる」について色々言っている男は、稼げないし守れないしイケメンでもないし、

人間関係を持つ相手に一切のメリット提供できず、相手搾取するだけの自分を異性に受け入れてほしいと要求している。(だから同性の友達すらいないことが多い)

普通に脱コル未満なんですよ精神性が。気がくるってんのかな。脱コルとMGTOWを見習ってください。

2024-01-24

anond:20240123202208

方言のせいなのか、口調がめちゃくちゃきつくて嫌味っぽいのに、ユーモアもなければフォローもないのですごく傷つく。

愛嬌とかお世辞って知ってる?って感じ…。

かといって東京ドライさがあるわけでも、東北のように寡黙なわけでもない。

どちらかといえばコミュニケーション好きでグイグイ近づいてくる。だけど全体的に不躾で失礼発言が多い(様に感じる)。

東海圏の大学行ってたので名古屋出身者は多かったけど、ちょっと話しただけですぐ名古屋の人は見分けがつく。

うっすら嫌われてる要素はやっぱこの一点だと思う。

===

例えば髪をばっさり切って出社すると

東京人:(何も言わない、無関心)

関西人:おお!髪切ったんか!ええやん、似合っとるわ。

名古屋人:すごいバッサリ行ったね…。

===

仕事ミスした場合

東京人:(チャットで間違いを箇条書き)

関西人:ここ間違ってるわ、自分ほんま頼むで。俺もようやるけど。

名古屋人:ここ間違ってます。指摘するの二回目です。メモ取ってますか…?

===

代々愛知出身地元民が多いから、言葉足らずの不愛想コミュニケーションが根ざしちゃってる気がする。

悪意はないんだけどとにかく傷つく。まあ長く一緒にいれば慣れるし、おそらくコミュニケーションコスパはいい。

ビジネスはい言語かもしれない。(実際世界大企業も多いわけだし、イチローとか世界でも活躍してる)

名古屋は女あまりってよく聞くけど、男女比のほかに「可愛げがない」ってのも大きいと思う。

名古屋企業就職した理系男子(女慣れしてない)が、現地の名古屋女性の不愛想ぶりに無理…となってそう。

仕事の場では我慢できるけど、住むのは断固拒否する。

豆腐メンタルHSPの人は住まないほうがいいと思う。

2023-12-31

フェミって男死ねとか公言してる割には全く殺さないよね

なんかそういうところがダサいよね

いかにもネット弁慶気質

インターネットじゃ余程の豆腐メンタル以外に死なねえんだよ

低脳先生を見習って欲しいわ

女の大量殺人がないのは女が目先の安楽しか貪ることしかできない腰抜けだからだとしか思えない

2023-12-05

ゴジラ-1.0の主人公現代感覚からあそこまで逃げ回れたんだろうけど、身体が弱くて戦争に行けなかっただけで非国民って村中から詰られる時代なのを考えると、豆腐メンタルってよりむしろ鋼のハートで逃げ回ってるよなぁ…

2023-11-25

杏仁豆腐から豆腐になりそう

前は豆腐とか大嫌いだった

「豆が腐ってるの!?」ってイチャモンつけたり、気に入らない豆腐の角で頭をぶつけたり

ヴィーガン叩いてるだけじゃんと思ってたし、今でもそういうムーブする肉食系は嫌いだ

からデザートだけどずっと杏仁豆腐ストだった

でも最近は女叩きが行きすぎてない?と感じることが多くて、あぁ女は下に見られてるんだなぁと思うことが増えてる

悪気があるんじゃなくて、ナチュラルに下に見てるんだよね…

表現規制するようなフェミには反対だけど、やっぱりまだまだ女性差別されてるんだなと思うし、豆腐メンタルになりそうだ

2023-10-25

強い日本を作ったのは団塊世代まで。パワハラガー、ブラック起業ガー、残業ガー、コンプラガー、とか権利ばっかり主張して生産性の無い無能なZ世代やら氷河期世代豆腐メンタルばっかり、そりゃ日本GDPも下がるね

2023-09-12

私のたくさんある問題の全てがメンタル豆腐根本原因なのかもしれない

ストレス飲みストレス食いによる肥満

買い物依存必要以上に買いまくるのも気晴らしになってるから許容してきた

試験勉強が進まないのも、気分転換を優先するが故だったりする

仕事、それも人間関係諸悪の根源で、それに耐えられない豆腐メンタル故にいろんな問題が出てる気がする

ということで仕事やめたい

2023-09-11

anond:20230911142308

なんか自分けが違う切り口から物事見れてると勘違いしてるんだよね

実際はみんな分かってても言わないだけなのに

口で勝とうとする奴ほど豆腐メンタルから一回痛い目見せると近寄ってこなくなるよ。

2023-09-05

3年ほどダイエットしてきてようやく標準体重範囲内になった

だが出社が始まって、食事コントロールが今までのようにはいかなくなった

空腹感を感じた時、これまでは低カロリーだがボリュームのあるもの・高タンパク質のものを選べた

が、出社してからは甘い炭酸水になってた

コミュ障豆腐メンタル引きこもり体質の自分にとって、四六時中周囲で誰かしらが話し、なんならマウント合戦が始まるような状況はストレスも大きかった

そこで気分転換に口にするものは甘い炭酸水だった

通勤時間は長く帰宅してからの夕食をきちんとコントロールした上で食べる、ことももはや面倒くさかった

在宅勤務の時は野菜味噌汁で腹を満たしたあとにごはんを食べる、という食事もできたが、出勤帰りではスーパー弁当やら惣菜やらになった

けど、通勤で片道20分往復40分の歩き、電車でも立っているのだし、なんせ疲れているのだしこれくらいは

そう思って食べてしまってた、油物の多い弁当

そんなこんなで気づいたら2キロほど太っている

あっという間だ

2023-08-18

夏は苦行で終わる

この異常な暑さに少しづつ慣れたのか、エアコンのある場所へ身を置くようにしているためか、脱水で救急車に乗ったりウォークインで点滴を受けに行くこともない今年。あ、一度だけ資格試験前に、点滴受けた。

8月に入ってからは、親戚の奥さんとムスメちゃんと、旅に行って気まずくなり、お豆腐メンタル発揮で詰んだ。辛い。

隣市とて旅行はそうそう行けるもんではないから、やはりぼっちor気を許す相手でなければダメだ。ノリで選んではいけない。

嫌なことばかりだけど、人としての勉強はした気でいる。ストレス抜けない。こんな時は決断してはいけない。少しづ物事を進めるべきかと。そして、休める時は休む。

2023-08-09

コミュニティノートクソ!匿名だし多数派有利!」

イーロン「よろしいならばブロック廃止だ」

豆腐メンタル楽園だったTwitterが歴戦の強者しか生きれない地獄の戦場に変わりそう

2023-08-02

anond:20230802113650

noteは「悪口禁止」だからでしょ

クリエイター様の豆腐メンタルが傷つくようなコメントつけられるサービスとの導線は作りたくないってこと

2023-06-08

助けてくれ

また癌恐怖症を発症してしまった。

しかしたら今回ばかりはマジでネットで調べた症状が全て当てはまるから癌かもしれん。20代後半だから何十万人に一人とからしいけど、なるときは誰でもなってしまうって所が怖すぎる。

公務員試験直前かつ病院受診する金もないって時に。

高校受験大学受験卒論作成期、就活期、二度の公務員試験大事な時に限っていつも癌に当てはまる症状に襲われて恐怖で手がつかなくなり失敗する。

なんでみんな体調悪くても平然と生きられるの?

進行してる癌だったら、今まで自分がやって来たことも今自分が頑張ってることも全部無意味になって衰弱死するんだぞ?

よく狂わないでいられるな。

俺みたいな豆腐メンタルが生きるにはあまり現代医療技術稚拙すぎる。

2023-05-30

anond:20230529151106

まだ話続いてんのか

そもそも論として、研究者との結婚自体が勧められない

増田も色々言ってるけど、若いうちは薄給&安定性ゼロポスト求めて日本全国どこの大学行くかもわからんのが研究者

キャリアに拘ってないと言うけど、このご時世で金なし専業主婦はキツい

行く先の大学が都会とは限らないからね?田舎地方大ならママ同士でも余所者の専業なんかに人権はないよ

リモートで働けばいいじゃんって?周りに親親戚友人無し孤立無援のワンオペ仕事しながら育児出来る?そもそも保育園入れなかったら?

夫を頼りにするつもりなら甘すぎる

そもそもだって身を立てるために必死なわけで、妻に構ってる暇などないと思った方がいい

下手すりゃ夫もメンタル不安定になっててそれを支える感情労働までプラスされたりな

留学先でも(アメリカとして)金がない、金がないのに共働きも出来ない、

それで子供いたら孤立無援のワンオペ育児、保育サービスバカいから金がなきゃ使えない生活

から研妻は病む人多い、経済的に恵まれてる駐妻ですら病む人多いのに金がないんだから尚更だ

それでもうまくやってる人もいるって?

そういう人は実家が太いんだよ、ワンオペでも家事育児サービスを金で買えて子供の将来の学費心配いらない、

いざとなれば自分だけ帰国して実家に住んでもいい立場の人と同じじゃないでしょ増田

金なし研妻やって病まないのは相当メンタル強い人だけ

母親死んだくらいで不安定になり、アラサーで男と別れて焦りまくるような豆腐メンタルには無理

増田大人しく相談所行って公務員とでも結婚しとけ

2023-05-26

anond:20230526123154

SMではそうなんだろうけど、実際のHSP定型(と言うのも変だけど便宜上)の間にそんなことが起こるもんなのかは謎だな

(で、プレイに付き合ってやる定型は居ねえ。SMは互いの悦びという利益があるから出来るけど、普通社会生活定型HSPの言い分を聞いてやっても何の利得もねえから)

というか

https://anond.hatelabo.jp/20230526043327

この人が言ってる通りなんだと思うわ

HSPは「人の感情を汲み取り過ぎた結果傷つく」ってイメージだ(単なる豆腐メンタルの人のことではないわな)

から承認欲求」や「人間関係リセット」は真逆と感じるのだ

自分表現して人に認めて貰いたい」よりも「私がこんなことしたら人はどう思うだろう」の懸念の方が強そうだ

「全部投げ出したい」よりも「私が突然連絡を絶ったら人はどう思うだろう」が強いだろう

承認欲求丸出しや人間関係リセット出来るヤツなんてのは人類於いて強者に他ならないと思っている

自分メンタル強めと思っているが、そんなこと出来ねーわ

2023-05-02

フォロワー2桁から始めるド底辺同人活動

当方男性、R18オリジナル活動中。

イラスト垢のTwitter歴はもう10年近くになる。

これで現在が万フォロワーの神絵師だったらアツい少年漫画なのだが、まっっったくそんなことはないことを先に断っておく。

ちなみに現在フォロワー数は500以上1000以下とだけ明記しよう。

これで読む気を失くした人は実に正しい。回れ右してもっと為になる記事を読んだ方がはるかに良い。

それでも読み進める酔狂紳士淑女たちはしばしお付き合いを願いたい。

(なお活動の内容はTwitterに絞り、pixivやskebについて言及しない。)

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これはノートシャーペンで描いた絵を写メでパシャってた頃から今に至るまでの、大して伸びてない俺の、しかし愛と劣等感承認欲求と生きがいにまみれた記録である

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かれこれ×年前、新卒で入った会社での馬車馬労働も落ち着いた頃。

「忙しくて絵描くヒマなんか無くなっちゃったよ〜☆」というまともな人のレールに乗りかけていた自分気づき、ゾッとなって作ったのが現在の主戦場イラストである

絵を描くのは物心いたこから大好きだ。中学ではお絵かき仲間と自作漫画()のノートを見せ合い、高校では漫研に入って己の井の中の蛙感を思い知らされ、美大にこそ進まなかったものの、大学でもなんやかや作ったり描いたりは続けていた。

それがなんだ、社会人になった途端に魔法が解けたようにぱったり辞めてしまうのか?ありえないだろう!気を確かに持て!!

ということでTwitterイラスト専用垢を作り、ノートに描いたオリジナル絵(この頃は全年齢)を写メで撮って画質調整すらせず手元の影が映り込んだような状態でアップする日々が始まった。

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なんか最初気合入れて初任給で買ったコピックを使ってカラー絵なんかも上げてたが、「1日1枚更新、かつツイート数=アップした絵の枚数だったらカッコよくね?」という中学生の妄想じみたイキリで運用していたため数日で挫折上記の通り「とりまなんか描いて上げる」感じになった。

当時は「ハッシュタグ馴れ合い」というクソダサ固定観念があったため、ただひたすら黙々と上げていればそのうち報われる的なシンデレラストーリーを思い描いていた。

そして絵を数十枚上げた頃、ようやく気付く。

「このままじゃTwitter孤独死する」

当然である。当時はフォロワー数2桁、20くらい…?(お絵描き垢ということだけでフォロバしてくれた心優しい人々)だったうえ、絵もヘタクソでアナログであるイイネRTもある訳がなく、ただ孤独感ばかりが募っていった。

そこでいくつかハッシュタグを使うようになる。ワンドロ(1 drawing=特定のお題に沿って1時間で絵を仕上げてUPする企画)という存在を知ったので、好きな作品のワンドロを見つけてはこれまたドヘタクソな版権絵で参加しだす。ワンドロ公式から必ず1つはイイネRTを貰えるので、それを心の糧にしていた。

というかこの時期、アナログ民でも参加できる懐の深いワンドロに出会えていたことがマジで幸運だった。

フォロー祭り的な拡散系のタグは使わなかった。何も起きなくて落ち込むのは俺なのでね!

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ともかくモチベーションが出来たことでまた同人誌作ろうかなーと思い始め、学生の頃2〜3回参加したことのあるコミティアに出ることに。この頃はまだストーリーもの4コマ?みたいなやつとか描いてた。

いっっっっや社畜やりながら本出すの無理ゲーじゃね?????

衣食住ぜんぶ自分で面倒見ながら可処分時間睡眠時間全ツッパして命からがら仕上げる、宝物のような24ページの本…!!!

そういう本が、1冊も売れないのがコミティアだよねー。

うーわしんどいな、これキッツイな……と痛感しながら座る長机(半分)で、それでも撤収する頃には「またここ座ろ☆」と思いなおす狂った思考回路と仲良ししながら活動を続けた。

社畜との両輪で参加したコミティアは2〜3回、頒布数は平均3冊くらいだったろうか。

一度だけドハマりした作品版権モノのオンリーイベントに参加したが、ここでの頒布数は1だった。

というかその直前のコミティア頒布数0をやらかしていたので、心機一転での二次創作だった。なのに開場から3時間経ってもガチマジで0冊。泣かないように奥歯を噛み締めながら、列のできる両隣のサークルの合間でモーゼ状態を耐え抜いた時のことは昨日のことのように思い出せるし、こん時に比べれば大抵のことは頑張れる俺である

でもね、閉会間際で1冊だけ売れたんだよ。

無配ペーパーを持ってってくれてたらしき人がたまたま再度通りかかり、「あ ここだ」と呟いて立ち読みし、悩んだ末に買ってくれた。

小さいオンリーイベントだったから起きた奇跡だ。

この1冊がなければ完全に心が折れて描くのを辞めてたかもしんない。

あのとき買って行ってくれた人、心より御礼申し上げますあなたがいなければド底辺絵師が一人消えてました。(キモい)

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こうして3年ほど経った頃……

「伸びねーーーー増えねーーー」

と思っていた。

当然である

絵の読み込みにスキャナーを使うようになった程度で、別に大して上手くならない画力(描けてれば幸せ♡だったのであん練習とかしない民)に流行りでもなんでもない変な絵である特定性癖があるわけでもなく、今をときめく版権絵でもない。

伸びるワケがない。

「描けてれば幸せ♡なら伸びなくてもいいのでは…」と思われる諸氏。

無理やぞ???

ここTwitterやぞ?????

たまーにいるけどね、そういう良い意味無敵の人。ああなれたらマジで強いしカッコいいと思う。

けどな、俺ザコキャラから!!!絵上手くないくせに承認欲求人一倍から!!!豆腐メンタル麻婆豆腐から!!!

とはいえなんか絵の練習はせねば、まずは気軽にできるやつ…と超絶便利サイトポーズマニアックスを選び、1日8ポーズ10分足らずの練習を2ヶ月ほど続けてみた(結果的にこれはやってよかった)。

けっこう思い通りの線引けてるんだけどな、やっぱ根本的にド下手なんだよな……というモヤモヤした感覚を抱きつつ活動を続ける日々を送っていた。

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そんな中、「これフルアナログなのが原因では……??」と思い始める(気づくのが遅すぎるネ☆)。

俺は「誰か父さんのメールアドレス知らない?」と聞いてくる父と「ケータイインターネットに繋いだら絶対

高額請求が来る」と信じて疑わない母からまれ生粋デジタル音痴であるアナログ民を脱することなど夢のまた夢だと思っていた。

ヨドバシカメラペンタブレットを触ってみても、「手元のペンと目の前の画面」の違和感がハンパなくて踏み切れなかった。

かといって液タブとかいう神のツール10フォロワー越えの神々が使うものだと考えていたので、実力的にも金銭的にも雲の上の存在だった。

かつて「描線デジタル化するボールペン」とかいう謎な商品に目が眩み、コツコツ溜めた3万(くらい…?)で買ったことがある。

もともと速記用のペンイラスト向けに改良したとかなんとかで「俺の求めていたものはコレだ!」と息巻いたが、レビュー全然見当たらん。なんか変だな…?と思いつつも意気揚々と購入したが、案の定まともに使えるようなものではなかった。当時の俺のPCは聞いたことねえメーカーのノパソだったため、なんかもうあらゆる意味ダメだったんだと思う。このへんの身の振り方がデジタル音痴たるゆえんである

これに懲りて俺は素直にデッサン教室に通いだした。

絵が上手くならない理由は「物を見る目があまりに歪んでいる」といまさら気づいた俺は、社畜の合間を縫ってデッサン教室の夜間クラスを探した。

死んだように寝て過ごす休日のうち気力で3時間を振り絞り、電車に乗って教室に通う。

ここで想定していたのは美大受験みたいな切磋琢磨の場だったのだが、俺が受講したのは社会人向けである

初心者の俺が「お上手ですね〜〜」と言われるぬる〜い空間だった。

当然である

周りは良き趣味のおばさまがた、ここは「継続的に金を落としてくださる生徒さん」の集まる場所だったのである

もどかしさを抱えつつ、それでも評価の中に混じる「ここはもうすこーしこうした方が…」という言葉金言のごとく握りしめ、反芻しながら目の前のモチーフを描いた。

が、爆睡家事で精一杯だった休日のうち、この習い事というミッションはかなりハードルが高かった。

そして疲弊の色が濃くなり、仕事の繁忙期と重なって半月ほど足が遠のいていたタイミングコロナ禍が始まった。

実は数年前にも断続的にクロッキー会に通っていた時期はあるんだが(この時は教室の遠さと値段の高さで数ヶ月で断念した)、コロナで「ぬる〜い場所」にすら集まれなくなったのは痛手だった。

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一方Twitterでの活動は、そんな七転八倒をしながらもワンドロだけはコツコツ参加し続け(版権のワンドロはどれも垢が消えたのでオリジナルだけになっていた)、「いつもなんかいる人」という枠でフォローしてくれる人たちに支えられていた。

ワンドロ以外での反応は閑古鳥だが、もはやそれが普通であると納得してすっかり馴染んでいた。

UPした絵が100枚を越えたのを機に、アナログ絵をまとめた本を作った。

そしてイベントで売るついでにおっかなびっくり書店委託申請をしてみたことがある。

規定通りに虎の子の1冊を現本として送ったが、お祈りどころか受け取りの連絡すら来なかった。

問い合わせる勇気もなく、実力の無さと壁の高さを改めて感じた。

5年以上の活動期間でフォロワー数もやっとこさ100に到達したものの、しかし現状はさほど変わらず。

がむしゃらにやってきていた俺は次第に病んでいった。

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少し距離をおこうと思って活動停止。

……が、余計に病んだ。

しかも「何も描かない人生なんて……俺……生きてて意味あんのか……?」と真剣に悩むレベルで、「別にTwitterに入り浸らなくても平気なんだな」と分かった一方で、「絵を描かない自分」にだけは耐えられなかった。かといって何か描いてしまえばまたムクムクと承認欲求が湧いてくるので、「俺から絵を取ったら何が残るのか」というif論の世界線にいるつもりで意識的に描くのをやめていた。

自分の手で何かを生み出さなくなった時間がヒマでヒマで仕方なく、かといって本を読むとか建設的な情報摂取もできなくて、大好きな漫画への興味もそれなりになっちゃって、虚な瞳で哲学ニュースとカラパイアを行き来する地獄の様な日々を送っていた。

(ちなみにこの期間、無意識に熱意を注ぐようになっていた料理スキルのおかげで自炊がだいぶラクになった)

ストレスが極まって真夜中にひたすら川沿いを歩き続けたりもした。

なんとなくチャリで長旅行きてえな(学生の頃はちょいちょいやってた)などと考えていたが、やはりその場合でも気づけば「旅先で撮った写真をいい感じに分類してアップするサイト作ってみたい」とかい思考がスッと出てきたのでもうダメだと思った。

なんか作ってないと死ぬヤツって天才とかだけだと思ってたんだけど、大して努力もできないような凡人の中にもいるんだな、そしてそれはなんだか残酷だなあと身をもって知った。

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進むも地獄、戻るも地獄精神状態半年近く続き、同じ地獄 -hell- なら踊らにゃソンソン…?と思い始めたある日、ネットで調べ物をしている最中とあるバズツイを目にする。

お絵描き民にとってiPadはマジ神」みたいなやつである

さいわい俺はオタ活もソシャゲもしないぼっち根暗オタク社畜なので、好きにできる貯金くらいはある。

知り合いも「液タブに手が出ないならあいぱっよ」的なこと言ってたなーと思い出し、思い切って導入することに。

お絵描きソフトはいくつか試した末にProcreateを選んだ。クリスタの多機能さ()についていけなかった俺は、UI直感的でツールアイコンを極限まで絞ったプロクリがスッと手に馴染んだ。

ペーパーライクフィルムなるものを貼り、紙のザラザラ感を脳内で補完しながらApple Pencilで線を引く日々が始まった。

フルアナログ底辺野郎が、板切れ一枚でフルデジタル貴族に転生したのである

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それが×年前のこと。

ここからオリジナル絵はもともと伸びにくいけど、ちょっとエッチだと訴求力が上がる」という観測結果をもとにR18に手を出す。

といっても乳首解禁程度で可愛いもんだが、方向性が定まったことで不安が少し減った。

フルデジタルで久しぶりにいつものワンドロに参加すると、反応が違う。イイネRTが3割増しといったところだろうか。(※ここでの3割増しとは3RT→4RTのような血で血を洗う話である)

デジタルバケツ塗りになったことで、アナログだった頃の癖の強さが軽減されたのかもしれない。

やっっっっっっと俎上に登れた、と思った。

いつでもどこででも描けるiPad社畜の俺にはピッタリで、しんどくて布団から出られない時でも通勤電車の中でも四六時中描けるようになった。

デジタル作画ワンタッチ消しゴムが使えるので描くこと自体ハードルが下がり(筆圧鬼強野郎なので消しゴムけが大変だった)、本を買って絵の勉強を始めた。まずは骨格と筋肉から!と、教本の図解をじっくり模写する方法自分なりに学ぼうとした。

だがデジタル音痴な上に加減も融通も効かない俺である。両手両足をやり切ったところで一度息切れしてしまった(でもこれはやってよかったと今でも思う)。

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数ヶ月後、それらの勢いでオリジナル同人誌を1冊出す。そしてサイコパスな神絵師の友人の甘言に乗って再び「書店委託」なるものに挑戦(ふつーフォロワー100人前後人間にそういう話するか?)。

実力的には最低レベルにも達していない自覚があったので、何度もお断りされるなかでいつかOKもらえたらなーという気持ち申請

が、思ったよりあっさり通った。

同じような画力の低さでも、版権作品ではなく「オリジナルエロ」という切り口だけで「まぁ…いっすよ」と言ってもらえたのかもしれない。

やるなら徹底的に!と思い、紙の本を3社に委託そもそも30部とかしか刷ってない本を5部とか10部でも受け付けてくれるプロ仕事ぶりに、尊敬畏敬の念しかない。

ついでに大手電子書籍にも登録

みんながわいわいしている端っこに自分の席を置いてもらえたことで、ずっと憧れていた「輪の中に入る」ことがちょびっとだけできた気がしてめちゃめちゃ嬉しかった。

そもそも底辺自分がなぜ身分不相応にも書店委託電子販売なんぞを活発にやりはじめたのかといえば、

「そこでの売上が決して0冊ではない」

という確固たる事実である

作品作家も、露出しなければこの世に存在しえない。フォロワー数2桁でのたうち回っていた俺のつらさは「この世に認知されない」ことだった。

コミュ力さえあれば自力で輪を広げることも可能だが、そんな能力あったら初めからこんな苦労してねーよという話である

ならば厚顔無恥だろうとおこがましかろうと、一方的に「俺ココにいるよ!こんな本描いたんだよ!」と嬉しそうに手を振る方が100倍マシじゃねーか。

そんで委託した本を買ってくれた誰かが、「このページのこのコマのこの乳だけはイイな」とさえ思ってくれれば俺は大往生である

しかも誰かがその本のために払ってくれた数百円は、汗水垂らして働いたお金だったり数少ないお小遣いだったりするわけだ。

それと俺のエロ本を交換してくれるってコトである

そんな嬉しいことある

紆余曲折を経て、そういう肝の座り方と考え方を得られたのは一番の収穫だった。

とはいえピコ手ピコ手なので、委託先の売上振込最低金額に達するまでに長ーい年月を要するRTAに強制参加となる。そりゃ売上¥300だろうと申請すれば振り込んでもらえるんだが、それじゃロマンねーじゃん?

とあるサイトの最低金額¥5000に届くまでにマジで2年半かかったし、達成した時は三ツ矢サイダーで祝杯あげたよ(下戸)。

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フルデジタルに移行したことで、イベントでの頒布数もギリギリ10冊を越えるようになる。

頒布数1も0も経験した身からすると、もはや恐いモノなんてないのだ。

1冊でも売れれば、それはすべて神の起こしてくれた奇跡なのである

普段活動ではオリジナルでとにかく節操なくいろいろなものを描き、月に1人とか2人とかじわじわフォロワーを増やしていった。

ごくまれに描いた絵がなんらかの界隈のハブになっているアカウントの目に留まりRTしてもらえることも出てきた。

その時のフォロワーの伸び率はびっくりするほどだったので、そのたびに「存在を知ってもらう」ことの生命線っぷりを痛感した。

まあとはいえタグなしの絵にはやっぱり無反応だけど、それが俺の平常運転である

「こいつ今日も描いてんなー」と読み流してくれる誰かがそこにいるってだけで嬉しかった。

UPした絵は、300枚を越えたあたりから数えるのをやめた。

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そして20××年末コミケである

コミティアしか知らない門外漢の俺はドキドキだったが、入場者数の制限もあって全体的にまったりムードだった。

開場して1020分、宝の地図を手に通路を行き交っていたうちの一人が立ち止まり、俺のスペースに近付いて

新刊1冊ください」

と言い放った。

新刊1冊ください…

しんかんいっさつください…?

シンカンイッサツクダサイ…!?

げんしけんで見たアレだ!!!(うろ覚え)

それって、なんらかのルートで俺のこと知って、新刊あるっぽいって分かって、サークル配置を事前にチェックして、宝の地図に印つけて、「あっココだ」って気付いて来てくれたってこと?!?!?

マ?!!?!?!???!!?!?

つーか開場20分とかそこらだよ??あなた一般参加じゃなくてサークル参加なんじゃねーの??

シャッターサークルとか企業ブースの先頭にだって並べるはずなんじゃねーの???

それを俺のところに???こんな弱小サークルが出したエロ本買いに来てくれたの?????

マ?!!?!?!???!!?!??(2回目)

文字数制限引っかかったぽいから続く

anond:20230502230901

2023-04-10

期待されたくない

出社するだけでもストレスマッハ豆腐メンタル心療内科のお薬を飲みながら仕事してるのに上司に期待されているらしく仕事量も増えそうで泣きそう。

無能なんですけど…何もできないんですけど…。

今こそ仕事のやめ時なんだろうか、毎日仕事やめたくて仕方ないもんね。もうゴールしてもいいかな…。

2023-01-16

バスケやっていて活躍している人が少ない問題

企業に入り成功している人の出身を聞くと、

アメフト

野球部

特に多い。まぁこれは大学レベルまでやる人間になるとある程度レベルの高い人間が集まるのと、

アメフト野球部がある大学学歴が高い、というのもあるだろう。

あとはアメフト野球部はとにかくスキルを磨いて、チームプレイを重視しながら

後は気合で乗り切るという部分が金が集まる企業では重要なんだと思う。スキルガッツ

そして意外と

弓道部アーチェリー

活躍している人間が多い。何か一点に集中して目的を達成する姿勢というのは、企業でうまくやっていくには重要なんだろうなと思う。

弓道アーチェリーは的に矢を充てるだけの単細胞スポーツだと思われがちだけれど、意外と仕事というのはシンプルからな。OODAの思考サイクルも鍛えられるし、弓道特に老人の理不尽「道」押し付けにも我慢できる忍耐強さがある。


マラソン

は意外と活躍してない。よく仕事マラソンに例えられるけれど、現代ではだらだらとペースを守って仕事したり

地道な努力なんてしている暇はないからな。あと個人競技だし。

あとは朝にランニングして酸欠で仕事してるから仕事で頭が動かないんだと思う。


ただあれだ、野球部アメフトと似ていて(サッカー部底辺しかやってないから除外するとして)

バスケってなんで活躍している人が少ないんだろうなという疑問がある。

意外とバスケ部って豆腐メンタルな人が多い。身長高いだけの人がやるスポーツから平均身長の低い日本では優秀な人が集まらないのか、

それともそもそも向上心がある人間メジャーな顔したマイナースポーツは気に留めないからだろうか?


体操

まず人口が少ないからあれだけど、謙虚礼儀正しいように見せかけて

なんかすごい動きして褒めてもらおうとする欲がある陰キャばっかだから

結局研究職でシコシコしてなろうアニメ見つつ、いつか活躍する夢を見て実行に移せない人が多そう。

いい年になって体操はいって女子からキャーキャー言われたいという欲を持ちつつ、

いい年した女はバク転しても引くだけってことに気づけないコミュ障から

研究しか向いてない、縁の下の力持ちしかなれないよな。

それか一発逆転で何も考えず飛び込んで、手痛く失敗して小さくなってるやつとかしかいない。

2022-12-12

anond:20221212112027

嫌いなもの見ただけで半日寝込むほど傷つく小学生レベル豆腐メンタルなら仕方なくない?

自立した立派な人間として扱うのはミソジニー

2022-12-09

anond:20221203151605

よう83人のお仲間

さっそく82人に減ってなにより

大体の仁藤追及の論説はあいつら(含む神原元)が敵対者に向けていた口調よりだいぶ穏当だが?

ましてやメンツがだいぶ重なっていたモリカケサクラに比べたら赤ちゃんをあやすときの口調に等しいぞ

それが攻撃に見えるとかどんだけ豆腐メンタルなんだ?

2022-11-10

anond:20221110103851

売り上げには効いてないという話なので豆腐メンタル開発者の事なんて気にも留めてなかったわ。

2022-10-07

不妊を認めるまで4年かかった

不妊と向き合うまで4年間もかかってしまった。

やっと認められた気がするので、4年前の話をまとめたいと思う。

入籍から半年

30歳までに子どもは2人欲しい!という人生設計プラン自分の首を絞めていた私は、焦っていた。

当時27歳、今思えばハード人生設計だ。

調べもせずに、誰かが言っていた「30過ぎたら高齢出産」という言葉を信じていたからかもしれない。

一般的に、1年試みて妊娠しなかったら不妊だと言われている。

とにかく生き急いでいた私は、まだ早いんじゃ…と難色を示す主人を説得し、

半年夫婦そろって不妊治療クリニックを受診した。

早めの受診だったと思う。

市内では比較的有名なクリニックだった。

驚いたのは人の多さと待ち時間

待合いのイスは8割ほど埋まっているし、受診時間は2時間くらいかかった。

不妊治療クリニックはおそらくどこも待ち時間が長い。

(今では待ち時間に買い物など、出歩けるように工夫してるクリニックもあるみたい)

ホルモン値の測定と精液検査をして、後日結果を聞きに行くことになった。

その後検査結果が出たので再度受診

結果、私はホルモン値が基準値よりも高く、排卵障害

主人は精子運動率・総数が少なく、乏精子症

見事不妊夫婦誕生した。

検査結果から自然妊娠はまず無理。人工授精でも厳しいかも、との所見をいただいた。

無謀な人生設計プランは音を立てて崩れ落ちた。

落石を喰らったようなショックだった。

子どもと遊ぶ機会が多い環境で育ち、昔から子どもが好きだった。

(話が合うので、精神年齢が同じくらいなのだと思う。)

数年前に姪っ子が生まれ、お世話を手伝わせてもらい、私ももうすぐ…という希望に溢れていた。

今時は珍しいかもしれないが、良い母になるのが夢だったのだ。

子ども普通に授かれるものだと勘違いしていた。

コウノトリが運んでくるように、夫婦が臨めば赤ちゃんがやってきてくれるのだろうと思っていた。

努力せずに授っている人も沢山いるんじゃないの?

なぜ私達はそれができないの?

結果が出るかどうか保証のない治療に、どれだけの時間お金をかけないといけないの?

今まで婦人科にかかったこともなく健康体で過ごしてきた私は、

自分たち夫婦に突然起きた事態を受け止めきれず、不公平だ…と泣いた。

とにかく、ショックで毎日泣いていた。

さながら悲劇のヒロイン。幼稚である

ストレスは体にも現れ、ちょうどその頃食べ物を飲み込むと食道が痛くなる症状に悩まされた。

豆腐メンタルは百も承知だが、当時はそれくらい辛かった。

同時期に妊活していた友人はとっくにご懐妊してるし

長い間営みがなかったという友人も1回で双子をご懐妊したし

婦人科妊娠しにくいと言われたことのある友人も2児ご懐妊した。

今まで健康体で過ごしてきたのに、なぜこんなに違うんだ?と自分自分を追い詰めていった。


その後、クリニックが開催する不妊治療説明会に参加した。

大きな会場で、200人くらいはいたと思う。

こんなにも不妊で悩んでる人がいるの?と衝撃だった。

願わくば、当時の皆さんが納得のいく道を進めていますように。

説明会で印象に残った言葉はこれ。

不妊治療希望のある治療です。人生優先順位をよく考えて。

 時間を大切に、前向きに。ゴールではなくスタートです。

 子どもが欲しいと思っている時に頑張りましょう!」

当時は理解していても心が追い付かなかったけど、今はその通りだなと思えます


そのクリニックでは、人工授精までチャレンジして通院をやめた。

不妊治療は体の周期に合わせるので予定が立てにくく、卵子状態を見るためこまめに通院が必要

そして1回の通院時間は1~2時間。尻に打つ筋肉注射がすんごく痛い!

大変だけど未来の子どもと会うために治療がんばらねば。

(まだ保険適用でなかったため)治療のためには何百万と費用がかかるので、お金必要

人間関係など悩むことが多かったけど、正社員だし仕事がんばらねば。

治療のためには栄養バランス重要家事がんばらねば。

全部頑張ろうとした結果、パンクした。

朝ごはんを食べながら、何故かわからないけど涙が溢れてきて、えんえんと声を上げて子供みたいに泣き、仕事を休んだ。

この時期は泣きすぎて過呼吸になることも多かった。

今思い出しても、精神的に不安定すぎて大変だった。

当時は、友人の妊娠報告に素直に喜べなかったし

友人の子もの世話を見ることもしんどかったし

励ましの言葉にすら傷ついていたし

本当に心がひねくれてしまっていた。

私には、通院と仕事家事の両立ができなかった。

当時の職場にはうまく両立しながら明るく頑張れている人もいて、すごく尊敬した。

不妊治療している人は皆偉いと思う。

もちろん、子育て奮闘中のご両親も偉いし生まれてきたお子さんも偉い。

皆、人には見せないだけで色々悩み、葛藤し、乗り越えている。いや、人間って偉くない?


不妊治療は何より、人工授精ダメだった時のショックが大きかった。

期待しちゃうんです、やっぱり。

今回こそは大丈夫な気がする!って期待して、生理がきて、沈んで…というのを繰り返すとやさぐれてくる。

体外受精に進むほど気持ちを強く持てなくて、一旦治療はお休みすることにした。

体外受精という最後の望みを潰してしまうのが怖かったのもある。

まだ奥の手があるぞ!っていう状態にしておきたかった。

不妊治療はよく先の見えない長いトンネルに例えられるけど、まさにそれだった。

真っ暗で不安で、手探りで、ゴールが見えなくて、でもその先に光が見えると信じて進むしかない。

諦めたと思ったとき、偶然子どもを授かれた!

みたいな話をよく聞いたので、その後はワンチャンそれに掛けてみることにした。

しかし諦めるとは難しいものである

諦めたふりはできても、毎月期待している自分が確かにいて、

どうやったら諦められるんだろう?というのが正直な感想だった。

何もしないのは不安なので、半年くらい不妊整体にも通ってた。

でもそんな奇跡は、私達には起きなかった。


治療をお休みしてから約1年後。

諦めきれなかった私たちは、また不妊治療に挑む決意をしていた。

そんなところにコロナ騒動

始めようと思っていたタイミングで出鼻を挫かれた。

なんかもう、天からのお告げなのかもしれない。

私達夫婦には、子どもを授かれないなりの幸せがあって、

神様はその道を選ばせようとしているのかもしれない。

不妊治療から離れる時間が長くなると、本当に色々なことを考える。

悩みすぎて、本当に子どもが欲しかったのかどうかさえ分からなくなってくる。

夫婦ふたりだけで、犬を飼って暮らすほうが自然で、私達には合っているのかもしれない。

しかしたら、里親という選択肢神様提示しているのかもしれない。

またあの辛い治療の日々に戻るくらいなら、そのほうが幸せなんじゃないか

そんな気持ちばかり膨らんでいき、不妊治療に踏み出せないまま 気付けば4年が経っていた。

自然妊娠でできないのなら、それが天命だろう。受け止めよう。

この長い月日の中で、やっと子どもを授かることへの諦めがついていた。

もう生理が始まっても悲しくならないし、

街中で見かける子どもかわいいなと思えるし、

やっと妊娠した友達に心からおめでとうを言えるようになった。

歪んでしまった自分浄化されていくような、この変化が嬉しかった。

長い間、不妊を受け入れて消化できず、ここまでくるのに4年もかかってしまった。



4年後の今日、今までの醜い葛藤を書き記そうと思った理由は、

また不妊治療を始めたからだ。


引っ越しをした際、散歩中に不妊治療クリニックを見つけた。

自宅から徒歩数分、開院してまだ間もないクリニックだった。

おや?これはもしかして運命なのか?

今度は神様がもう一度勇気出せと喝を入れてくれてるのか?

なんて幻想が一瞬よぎったが、4年かけてやっと諦めの境地に至れたのだ。

また期待しては結果が出ず…という努力を続けるにはかなりの精神力を要する。

再び長く暗いトンネルの中に突っ込む勇気はまだ出なかった。


が、主人は違った。

主人はこの4年、親戚の子どもたちと接するなかで、子どもが欲しいという気持ちが強くなっていた。

逆に私はどうしても子供が欲しいという気持ちが落ち着いていて、

ふたりの子どもに対する熱量が程よく釣り合ってきたように感じた。

引っ越しを機に、不妊治療を再開しないかと持ち掛けられた。

話し合った結果、回数制限を設けたうえで再開することにした。

長く暗いトンネルを、最初からゴールの見えるトンネルに決めた。

不安は多々あったが、保険適用になった後だったため、金銭面の負担が軽減されていたのも心強かった。

保険適用治療再開の大きな決め手になったかもしれない。本当に感謝しかない。

また、10年後に治療をしなかったことを後悔するかもしれない、という不安があったため

子どもを授かることをゴールにするのではなく、後悔しない決断をすることをゴールに設定した。

以上の変化によって、比較的安定したメンタル治療に臨めている。


こうして、31歳にして再び不妊治療クリニックの扉を叩く決意を固めた。

葛藤した4年間。

無駄なことも多かった気はするが、昔の私にはきっと時間必要だった。

おかげで今は不妊を受け入れ、気楽に治療を進められている。

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