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もうChatGPTだけでええやん
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事実誤認: 中国は確実に他国との戦争や衝突に備えている国です。中国の軍事戦略には、国防の強化や領土の保全だけでなく、台湾問題や南シナ海における領有権主張など、他国との潜在的な紛争に備えた行動が含まれています。近年では、海軍力や空軍力を急速に強化しており、特に米国との対立やインドとの国境紛争、台湾問題に関する戦略が注目されています。軍事ドクトリンや装備の近代化を見ても、他国との戦争を「考えていない」というのは不正確です。
論理的な問題: 文章では、中国が他国からの侵略に備えていないと述べていますが、これは現実と異なります。中国は長い国境線を持つ国であり、特に米国やインドなどの大国との緊張が続いています。そのため、軍備は侵略に対する備えを含んでおり、特に核抑止力や大量の陸上兵力を持つことはその証左です。また、近年の海軍や空軍の近代化や、南シナ海での人工島建設による防衛拠点の強化は、侵略への備えとして評価されるべきです。
事実誤認: 中国は2013年に防空識別圏(ADIZ)を設定しました。これは尖閣諸島を含む広範囲をカバーしており、軍事的なプレゼンスを誇示するためのものです。文中では「中国は防空識別圏に対して何の対応も取らなかった」とありますが、これは不正確です。中国は確かに防空識別圏に関して初期の段階で強制的な対応を取らなかったものの、その後、米軍や自衛隊の動きを監視し、警告を発するなどの活動を行っています。また、防空識別圏は国際法上の法的拘束力があるものではなく、各国が自ら設定し、その管理に関しては自主的に行うものであるため、中国が防空識別圏に対して必ずしも強制的な行動を取らなかったとしても、それをもって「備えていない」とするのは誤解です。
論理的な問題: 文中では中国軍が「ショボい」という表現が使われていますが、これは誤解を招く表現です。中国は世界第2位の軍事予算を持ち、その軍事力は量・質ともに強化されています。特に海軍や空軍の近代化が進んでおり、アメリカに次ぐ規模の軍事力を誇ります。米中シミュレーションでは、中国が苦戦するケースもありますが、その理由は単に「備えていない」からではなく、アメリカの軍事力が極めて強力であることや、米国の同盟国が関与するためです。また、戦争シミュレーションは多くの仮定に基づいており、状況次第では結果が大きく異なることもあります。
論理的な問題: 「かつて本邦に侵略された過去から非難はするが、自衛隊や米軍による攻撃や上陸侵攻に備えていない」という主張は、過去の出来事を基に中国の現代軍事政策を論じるには不適切です。歴史的な侵略の経験は確かに重要ですが、それをもって現代の軍事戦略を全面的に評価するのは誤りです。現代の中国は、アジアにおける自国の影響力を強化し、米国を含む他国の軍事力に対抗するために軍備を拡張し続けています。
事実誤認: 中国は台湾侵攻を想定した軍備を整えており、上陸作戦を含む戦略的計画を策定しています。上陸作戦には強襲揚陸艦やエアクッション揚陸艇(LCAC)などの艦艇が必要ですが、中国はここ数年で急速にこれらの装備を増強しています。さらに、中国人民解放軍海軍(PLAN)は大規模な海軍力の近代化を進めており、特に南シナ海や台湾海峡周辺での作戦能力を高めています。「上陸用装備が充実していない」というのは、現状と矛盾する見解です。
また、中国は「民間船を徴用する」というアイデアを採用していますが、これは近代的な軍事戦略の一環で、民間船舶の利用を補完的な輸送手段として計画的に取り入れています。単に「呑気なこと」を言っているわけではなく、現代のハイブリッド戦争や多領域作戦の中で、物流や兵員輸送の多様化は非常に重要な戦術的要素です。
事実誤認: 装備の充足に関して「2040年までかかる」という主張は過度に楽観的・悲観的な予測に基づいています。中国は現在も大規模な軍拡を行っており、特に海軍や空軍においては着実に能力を向上させています。既に計画されている装備の多くは、今後数年以内に配備が進むと考えられます。2040年という時間枠は根拠が不明であり、過剰な遅れを想定する根拠も明確ではありません。
事実誤認: 中国の核戦力に関する情報は、機密性が高く、正確な公開情報は限られています。ただし、中国は「核兵器は報復のためにのみ使用する」という「最小限の抑止力(minimum deterrence)」政策を掲げており、その一環として核弾頭と運搬手段(ミサイル)の分離を行っているとされています。しかし、これは抑止力を放棄するという意味ではありません。むしろ、抑止力を維持しながらも、偶発的な核使用を避けるための慎重な管理手法です。
中国の戦略は、核兵器の即応配備を避けることで、緊張が高まった時の危険を最小限に抑える一方、必要な場合には迅速に対応できる能力を持つというものです。この戦略は他の核保有国とは異なるが、独自の合理性を持っています。「抑止力を放棄している」という主張は中国の核戦略を誤解しています。
事実誤認: IAEA(国際原子力機関)は、核エネルギーの平和利用を監視する機関であり、核兵器の使用に関する規定は定めていません。核兵器使用に関する国際規範としては、核兵器不拡散条約(NPT)があり、その中で核兵器の使用に関する制約が議論されています。中国は「先制不使用(No First Use)」の政策を採用しており、これは「核兵器を先に使用しない」という宣言です。この政策のもと、中国は他国から核攻撃を受けた場合にのみ核兵器を使用することを明確にしています。この政策が「不備」と捉えられるかどうかは、戦略的な見解の違いによります。
論理的な問題: 文中で「正直それまで中国経済持ってるの?」という懸念が表明されていますが、これは現在の中国の経済状況に基づく明確な根拠が不足しています。中国経済は現在、成長の鈍化や不動産バブルのリスクなど、いくつかの課題に直面していますが、軍事予算の増加や軍備の近代化がすぐに停止する兆候は見られません。経済的な持続性の議論は、軍事力の評価とは別に慎重に議論されるべきです。
全体的に見ると、この文章は中国の軍事力を過小評価し、誤解を招く論点がいくつか含まれています。
事実や論理に基づいた議論が不足しており、感情的・主観的な見解に基づいている部分が多いため、より客観的な視点から再評価する必要があります。
大学生の頃はとても惨めだった。
親からは仕送りとして家賃や光熱費以外には毎月5万円しか貰えなかった。
5万円を30日で割ったら、約1600円。
一回学校帰りにラーメン屋に寄っただけで無くなってしまう金額。
皆と同じ様に飲みにも行けず、美容院にも行けず、服もロクに買えないと、何度も金額アップを交渉したが「贅沢が!」と言われた。
同級生は、毎日のようにオシャレな服に包まれ、美容院に通い、 親から「遅くなったらタクシーで帰宅しなさい」とすら言われていた様な人間ばかり。
彼女ら彼らにとって、地方出身でお金もない私は「ゲテモノ」だったのでだろう。
しかも一部の女子学生は「色々な会社のおじさんに会って奢って貰っている」と豪語していたので、
男性とは「お金がある存在」との認識だったのだろう。そうでは無い自分はさぞやゴミみたいな存在だったに違いない。
もっとも、後日に彼女をマッチングアプリの 「Tinder」で見つけたときには、さすがに乾いた笑いが出た。
今では「徴用工裁判」で話題の某鉄鋼メーカにお勤めの彼女は、さぞや周囲の同僚や上司にたかっているのだろう……
惨めな人生だ。
私の故郷は、海抜六〇〇メートルの丘陵地に佇む半農半漁の村で、後方は形のよい峯が三つ並び、前方には大きな入江があって多島海に伸び、子供の頃は、その入江で魚つりに興じました。
竹の棒に糸を張った粗末な釣具で、餌もミミズでしたが、満潮の時などは入れたら釣れ、入れたら釣れで、一時間もすれば小鯛などバケツいっぱいになりました。
腹が立つのはフグで、五回に一度はかかり、フグに毒があることは子供にも分かることでしたから、腹立ちまぎれにフグの白い腹を石にこすりつけるとみるみる大きくなり、このガキッとばかりに思い切り石に叩きつけと、パーンという音がして腹が裂け、溜飲を下げました。
私は五人兄弟の次男として畑仕事や魚釣りに勤しんでいましたが、田舎の貧しい暮らしから豊かな生活を夢見て、一足先に日本へ行った八歳年上の兄祥雨を追いかけて◇◇へ来ました。
その時十七歳で、一九三九年でした。兄は布施(東◇◇市)でセルロイド工場を経営し、腕輪やクシを作っていました。
その兄の元へ身を寄せ、普通学校四年を卒業したものの、価値ある社会活動をしていくためにはさらに学が必要だと感じ、向学心に燃えて◇◇・東成区の夜間学校(◇◇商工実務学校)へ通うことにしました。
工場住込の私の仕事はまず、朝五時に起きて無煙炭をおこし、六時半に出勤する職人さんの仕事に間に合うように湯を湧かしておくことでした。
そして、仕事が終わるのは夕方の六時。急いで自転車を走らせ学校へ行き、帰りは一〇時で、それから夕食をとり、深夜の一時過ぎ、二時過ぎまで勉強して、寝るのが連日三、四時間でした。
その死にものぐるいの努力が効を奏して、成績はトップとなり、幸か不幸か、級長をやらされました。
戦時中でしたから、訓練ばかりで、「前へ進め」「全体とまれ」と号令をかけるのが級長の役目でした。
ところが、私は強度の「どもり」でしたから、その号令の文句がなかなか言えず、落ち込んでしまって、《死んでしまおう》と何度線路に寝込んだかわかりません。
星の光が目に入るたびに、《ちょっと待て、死ぬんだったら、もういっぺん努力してみよう》という気持になり、「どもり」の矯正学校を五つも修了して、死ぬほどの努力を重ね、矯正しました。
こうして、《ヤレバデキル、ダメナコトハナイ・・・》の信念を貫いて苦節の日々を克服したことが、大きな自信となりました。
終戦後の一九四八年のことですが、体を悪くして、マイシンの注射を打ったところ、耳に障害が発生し、聞こえなくなってしまいました。
これまた、苦節の日々で、断食をしたり、いろんなことをやってみましたが、完治するまでには至らず、補聴器の世話になる毎日となりました。
ところで、戦争は激しくなり、私も協和会の勤労報国隊に徴用されて、九州の炭坑で二ヶ月ほど働かされました。
石炭を掘って出てきたら顔は真っ黒で、目が辛うじて見え、つらい日々でした。
そうこうするうちに戦争が終わり、兄はそのまま日本に残りましたが、私は里心がついて故郷へ帰りました。
日本兵が釜山の港からどんどん引き揚げて行くさなか、私も小さな船で玄界灘の荒波を掻き分け、決死の覚悟で日本へ戻ってきました。
一九四八年に兄と、資本金二〇万円の◇◇グリップ化工株式会社を設立し、自転車のハンドルグリップをセルロイドで製造し、販売しました。
以来、資材をセルロイドからプラスチックに変え、◆◆◆グリップの普及に努力しました。
その途上、兄を交通事故で失い、私が会社を引き継ぐことになりましたが、中小企業信用保証協会や育成協会からの資金融資は韓国人業者としては第一号だと思います。
一九九〇年に◇◇グリップ化工から◆◆◆技研に社名を変え、現在では日本全国の占有率九〇パーセントを獲得し、一億人以上の人に◆◆◆グリップを握ってもらっています。
私は、金属、木材等で作られている従来の物をプラスチックに代えて作るという物づくりを企業の基本理念の一つにしてきましたから、事業の発展に伴い、グリップの他にも車輪、カゴ、チェインケース、泥除け等、タイヤ以外のものは全てプラスチック化し、その間の特許も数百にのぼって、◆◆◆製品は世界のブランドとなりました。《継続は力なり》の精神で、より精度の高い関連商品の開発に努めています。
一九六〇年頃、日本と韓国との間にはまだ国交はなく公式には往来できない時で、金融機関の祖国産業視察団の一員として、初めて祖国を訪問しました。
懐かしい山河の景色、幼なじみの顔、感激の涙に浸るばかりでした。
その感激もさめやらぬ時、町から一キロも離れていず、一六〇戸もあるわが懐かしい村には電気も水道設備もないことに気づき、昔と変わらぬ貧しい古い部落がそこにありました。
《故郷のために何かしてやりたい》という衝動にかられ、その後、回を重ねて訪問する毎に藁葺きの集会所を二階建の近代的な建物にして
事務所や老人らの憩いの場に使用できるようにし、また、電気架設の資金協力や子供たちの遊び場等も寄贈し、植木やスピーカー等も添えて故郷の人の心を癒やすことに努めました。
人間は誰しも食うがため、生活するがために働き、事業するものだと思いますが、私もご多分に漏れず世間並みの生活を夢見て渡日し、口では言えない苦労と努力を重ね、一応の目的は達したと、自分を顧みています。
これまで、通産大臣や府知事、税務署長などの表彰を受け、韓国政府からも国民勲章冬柏章を受章しましたが、私の企業活動に対� =キる評価だと喜んでいます。
現在、◆◆◆ー技研のグループ企業として◆◆◆販売と韓国◆◆◆があり、◆◆◆技研は私の長男に任せています。
◆◆◆販売は兄の息子が取りしきり、ヘルメットを中心としたオートバイ・スポーツ用品を製造販売し、韓国◆◆◆は弟の息子が社長を務め、スキー・水泳用品を主力としたスポーツ製品を製造・販売し、輸出による外貨を稼いで祖国の経済発展に寄与しています。最近は中国青島にも進出し、六〇〇人ほど雇用しています。
兄の処世訓は《まず、自分自身が立派になり、次に家族の支えなり、その次に身近な社会に貢献する》ということでした。
私は、兄の遺志も引き継いで、家族会を設け、年一回会合を開いて、十親等以内の全学徒に、成績に応じて奨学金を支給しています。
その家族会の会長は私ですが、弟の息子がすべて代行してやってくれています。
いわば、祖国故郷で私の夢を実現してくれる代理人のような存在です。後は、全家門の子孫たちが末永く仲良くしてくれればいいと願うばかりです。
振りかえってみれば、私の人生は苦しいことのみの連続で、喜びや楽しみというものがあっただろうかと思う時がありますが、◆◆◆販売の新社屋落成式(一九八四年)に、私が挨拶をし、息子夫婦、兄の子供夫婦、韓国の甥夫婦を紹介し、その三人を後継者として披露しました。
三人はそれぞれに立派に成長してくれ、私の夢を実現してくれる後継者になってくれたことが人生最大の喜びです。それに子孫たちが、私の喜寿(七十七歳)をニューオオタニホテルで祝ってくれたことも忘れられない喜びです。
外孫まで入れると四十五、六人になりますが、アメリカに行っている七、八人の子孫たちもその日(一九九八年九月一八日)にはみな帰っ� =トきて祝ってくれました。
私たち韓国人は、税金も人一倍納め、社会に貢献しているにもかかわらず、後ろ指をさされる傾向が強いのですが、人間というものは生存競争のなかにあってライバル意識を持ち、自分より事業を大きくやっていたり変わったことを大きくやっていたりすると、ねたみの心が出てきて、あらぬ中傷に走るのではないでしょうか。
私たち韓国人の側にも虐げられたひがみ根性というものが抜けきれないのではないかと思いますが、真面目に生き、社会に貢献していくことが肝心で、価値ある社会人になるためには自分自身が努力し、そのためには人の話を聞くことです。
何か疑問を感じたら、聞くのが一番の近道で、その疑問を解いてくれる人が見つかるまで聞きつづけたらいいのではないでしょうか。聞くことにお金はかかりませんし、それが私の処世訓の一つです。
でもさー 子供産んだ女で、さらに現場で働いてたり警備員とかトラックドライバーやってるガテンおばちゃんは普通に実在するわけよ。
でもキツくて危険な仕事は圧倒的に男性に偏っている。これは事実。
その「お前の自由意志ですよね」「お前の選択ですよね」ってスタンスを取るなら取るで結構。
ネットフェミニスト達の主張「私たちは〇〇させられた」は却下されるよね。
女の人生を社会のせいにするのやめよう、人のせいにするのやめよう、男のせいにするのやめよう。終わり。
でも、日本においては所詮好きでやってんだしなーってのはあるよね。
子供産む女も強制されて産んでるわけでもなく、男も選択の余地なく危険業務をさせられるということもなく、所詮は机上の空論で揉めてるだけじゃん。
どっちでもいいと思うよ。
俺がここで言いたいのは「ネットで暴れてるフェミニストの論立ては浅はかなのでどっちに行っても詰むやんけ」と言う指摘だけ。
(実際ネットのアンフェの連中も主体的な主張があるというよりフェミニストの幼稚な論理に「それはこうおかしい」ってレスしてるだけに見える。)
決定的なのは、アンフェの多くは現場で働かずに、涼しい部屋でパソコンポチポチしてるだけでしょ。ほんとに現場できつい仕事やってるおっちゃんや兄ちゃんはそこにいないんだよ。
昨日だか、そういう思い込みで男に向けて対戦希望表明したおばちゃんがおって
「私はステージで暴れて歌っている!ジムでコアマッスル鍛えている!」っていう人だったんだけど
その相手がまたよりによって林業のおっさんで盛大な赤っ恥になってたよ。
まあよりにもよって林業だったのは不運だけど、
おばちゃんの口振りって君と同じで、「何故か相手はホワイトワーカーだと確信してた」んだよね。
男の勝ち組やエリートでもなかなか君等みたいな不思議な感じにはならんので、
やっぱりなんか、お父さんとか夫とかに都度都度守られて汚いものを視界や意識に入れずに来た女の子なのかな、って感じはする。
何故か顔も知らないネットの相手がホワイトワーカーであると確信して決め付けてしまう。
それは普段からブルーワーカーなんてものを意識からも外して生きることが出来てるからなわけでしょ。自分と関わる人間にブルーワーカーおらんという変な思い込みがネットのレスバにまで出てきてしまう。
御令嬢と言うか、お姫様と言うか、いややっぱ一番しっくりくる表現は「女の子」だよね。
まあ俺はその手の話はそんな熱心ではないんだけど
筋肉鍛えるってのは「死ぬのかな?」ってくらいのキツさでデッドリフトを床から引くことなんだよバカどもが。
自重で変なヨガやピラティスをちんたらやるだけでトレーニングだと思ってるアホはデッドリフトやらせれば一回で泣く。
別にふにゃふにゃに緩い世界で生きるのは勝手だが、そんなやつがなんでハードコアを自称して素性もわからん相手に対戦表明するのかわからん。