「偏狭」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 偏狭とは

2017-10-19

anond:20171019120058

やっぱり「『信念』というデフォルト設定をキャラ絶対遵守しなければならない」という俺ルールに囚われてるだけだったね。

偏狭な読み方を改めてもっと自由漫画を楽しもうよ!

2017-09-02

コミケって、公共じゃないだろw

オタク村社会をつくるのは自由

オタク嫌いの奴らが村社会をつくるのも自由

問題は、オタクと、オタク嫌いな奴らがいっしょに集まる公共空間でしょう?

  

はてな左翼アカがここぞとばかりにオタクバッシングしているけど、コミケって公共空間じゃないからね。

コミケに参加している村民には自治権があるし、その村民がクソだと思うならば村を出ていけばよい。これは当事者同士の問題だろう。

  

表現の自由」とか言っている左翼アカは、頭が悪すぎる。

美濃加茂の「のうりんポスターとか、伊勢志摩のなんとかメグと違って、真木よう子はべつに公共空間から排除されたわけじゃない。

オタク偏狭ぶりを指摘したつもりだろうが、それはぜんぜん皮肉になってないんだけど……。

  

https://anond.hatelabo.jp/20170902092850

2017-08-20

https://anond.hatelabo.jp/20170820191325

オタクリベラルから絶滅戦争仕掛けられた当事者から

ここらで歴史修正しておかないと都合が悪いんだろ

 

建前上リベラルは正しくて寛容なんだから

リベラルが自らの偏狭さに基づいて他者攻撃したなんて事実は「あってはならない」

2017-07-29

https://anond.hatelabo.jp/20170729140236

好きな人に期待しすぎてた場合どうすればいいですか。

自分という人間のクソすぎるほどの偏狭さにも気づいたけど。

2017-07-05

https://anond.hatelabo.jp/20170705132827

最近アニメ面白いって言ってる」ってのは「黒人友達もいる」と同じで、おまえ自身感性の摩耗・偏狭アニメ観の形成に対する言い訳にはならないんだよ。そのまま老い死ね

2017-05-13

文章とか、お金とか。人とか。

この長さの怪文書を投稿することにためらいはあるけれども。

偶には、言いたい事を思い切り言ってもいいかなと思う。

商品」としての文章

まず自分のことを書くと、稀にしか更新しない覚え書きのようなブログをやっている。あと好きな文章を書く人は結構な頻度でチェックしているくらい。

自分新参だけれど、新しいタイプブロガーの人が使う、押しが強めの手法がじゃっかん苦手である

新規ブログを始めた際、こちらのブログは全く読まずに(本人には割と分かるものです)、宣伝のためにスターを付けてくる人が一定数いる。まあ当然、興味を持たれる文章を書けないこちらに非があるわけですが、「貴方のことは気にならないけど私の書いた文章はぜひ読んでくれ」と受け取ることもできる。

露出を求めて「記事お題」を引用し、全く関係のないことを書く人も多い。例えば「雨の日グッズ」というお題を引用しておいて、いつもの調子日記を書く。露出したいのは分かるけれども、そのばあい読者が読みたいのは傘や長靴の話であって、職場愚痴とか趣味の紹介とかではない。

あと、リクルートの適職診断、またはリクナビNEXTのグッドポイント診断を薦めるエントリ。MIIDASの適正年収診断、dTVの紹介。日常会話みたいな感じでお勧めされるんだけれど、あれは紹介料が入るからやっているのだそうで。道理で数が多いと思った。…あれはステマにはあたらないのだろうか。「PR記事」とかの表記がない分、「選挙前にさりげなく電話をかけてくる友達」みたいな感じがして、個人的には警戒してしまう。

CGMは、そのコンテンツの持つ価値判断が難しい、とは思う。それは人によって違うし、ネットでの人気には「親しみ」も大きな要素である

ただ分かりやす基準として、例えば、寄稿出版の話が来る人にはそれだけの実力と、その人固有のブランドがあるわけで。

なので余計に、「とりあえず100記事書きましょう」「SEOを勉強しましょう」「PVを稼ぎましょう」と、クリックしてもらうことに血道を上げる風潮がどうもよくわからない。読み手客観的価値提供できているのかな?と、不安になることはないんだろうか、と。(言うまでもないことだけど、価値がある/ない、という話ではない。「価値のものさしはどこにあるのか」という話)

ここで、いやらしくも。商業文章出版物の話をする。

はてなの人なら、自分なんかよりよほど熟知されていることと思うけれど。執筆され、編集の手が入り、校正されてデータ印刷所に渡り、取次を経て本屋に巡ってきたり電子書籍になる、それだけの手がかかった、色々な「出版物」は本当に凄いなと思う。

個人がもっている「有益情報」には限界がある。取材して一次情報にあたるプロに、正確性や量で比肩するのは正直、むずかしいのではないだろうか。

比肩しなくてもいいけれど、そこから発生する「収益」は最大限にしたい、というなら、それはインターネットが役に立たなくなるわけだと思う。

媒体が紙でもネットでも同じことで、例えばキッコーマンサイトを見ると、料理の基本から旬の料理から詳しく載っている。歯の健康について知りたいときは、クリニカ辺りのサイトが役に立つ。商品の紹介記事しろエッセイしろ企業がやっている媒体掲載されている文章をみると、何歳ぐらいのどんな経歴の人が書いているんだろうと思う。

コード料理商品になるように、文章もまた商品として存在することは確かだ。ただ、コード個人お金にするにはそれなりの手順が必要だと思うけれど、文章はなぜか、個人ネットに上げるだけでも「儲かる」。

他にも、ネットにアップするだけで儲かるものは色々あるけれど、合法かつ元手がかからず、特に技術習得をしなくてもできる「稼ぎ方」として、「文章を書く」というのは確かに適しているのだろうとは思う。

個人メディア」ができること

ここまでを踏まえて。「商業クオリティ情報量には敵わないが(※ケースバイケース)、読んだ人に満足を与えるような文章を書き、お小遣い程度の利益を得られる、Win-Win取引(読者が読む時間によって「収益」を発生させるなら取引みたいなものではと思う)」を考えてみる。(ものすごく飛躍しているような気がするけど気にせず進めます

商業ではなく、市井個人が書くことに意味がある文章とは何か。

それは、「その人にしか書けない文章を書く」ということではないだろうか。

別に個人情報を晒せということではない。出身地職業家族構成は確かに、その人を知る大事情報だけれど、同じような属性を持った人が世の中にはごまんといる。

他者から客観的に見た自分」と、「自分演出したいキャラクター」には、往々にして懸隔がある場合が多いと思う。シニカルに渋く決めているかと思えば、愚痴悪口を書いてしまったり。写真にお洒落な加工をしていても、背景がどうも決まっていなかったり。「本当の自分らしさ」は、他者からの反応や自省によって得られるもので、見たくもない自分を見せられることも多いし、自分評価されたい項目と他者から評価される項目が違ったりもする。

それでも。「自分の良いところ、推せるところ」を見つけて、「それによって他の人を満足させ、楽しませる」ことが、「個人としてメディアをやること」の強みなのではと思う。

その人にしか言えない言葉、できない話。培ってきた価値観文章テンポ言い回し自分なりの軸による知見や考察。人によってはイラスト作品。例えブログ名や使っているテーマを変えても、文章ならば増田に書いても、「ああ、あの人だ」と分かってもらえるかどうか。

「その人にしか書けないブログ」こそが、個人ブログ存在意義なんじゃないだろうか、と。

商業に出来なくて個人ブログならできること」は多くある。言及合戦ボールの打ち合いもそうだし、商業の連載や肩書を背負ったブログと違って、思ったことを好きなように、題材も自由に書ける。

日記を見ると、今日したこと、最近興味のあること、生活感情の移り変わりを感じることができる。例えば料理写真ブログであっても、書いている人のキャラクターが違えば、受ける印象は全く違う。

「その人らしさ」が感じられるなら、面白くないブログなんてひとつもない。どんな個性でも、ネットに上げれば一人くらい、それを楽しんで、好きになってくれる人がいる。それがCGMの良いところで、インターネットが普及した利点であると思う。

さらに言えば。有名ブロガーの人たちを見ていると、やっぱり「読者を楽しませること」にとても力を入れているなと感じる。

スタイルは人によって様々だけれど、重い段落がつづくとその人のやり方で空きを入れたり、ボケてみる。自分の愛されている分野以外のことはあまり書かない。反応がよかったらまた掘り下げる。とか。(まあ、こうやって分析されるのも嬉しくないのかもしれないけれども。)

当たり前に、お互いがWinWinになっている関係で。それは愛されるよなあ、と感心したりする。

交流勢について

互助会」という言葉について書くにあたり、ブログをやっている人を便宜的にタイプに分けます

A)古参はてダ時代からやっているような人。総じて文章が上手い。更新頻度は低め。交流はあまりしない。

B)新参。好きなことを書いてあわよくば若干の収入を得たい感じ。更新頻度が高い。交流が好き。

C)アフィリエイター。以下のようなタイプがあるように見える。

ガチのアフィの人。それなりの戦略があるタイプ。「かわいい画像!」とか「速報・芸能ニュース」とかそういうやつ。よくダッシュボードの右に載っている。他にも色々やっていると思われる。

・何を考えているのかよく分からないタイプ。ほぼ中身のない記事にひたすら広告を貼る。偏狭そうな人が多い。

・「ブロガーとして」明確に互助を目指し、ブクマ不正している、らしい。偶に増田告発されているけど割とスルーされている印象(興味がないのでよく知らない)。

よく見かける「互助会」という言葉は、B)に向けて使われる。「お互いのブクマコメントブクマ数を稼いでいるんだろう!」というやつ。

でも、実際のところ。「当たり障りのない敬語コメント」は、「相手好意をもっていて話しかけたいから」「交流が楽しくて」やっているのだと思う。

その証拠に、「スターブクマフォローしたけど返してくれなかった!PVが伸びない!」なんて愚痴を書いている人は誰もいない。(このクラスタは素直な人が多いので、そういう気持ちがあったらたぶん正直にそういう記事が書かれ、誰かの目に留まるのではないかと思う)

ブクマしてほしい」という気持ちももちろん多分にあるだろうけれど、自分リアクションするにあたっては、利益を期待してやっているんじゃない、と思う。

嘘だと思ったらそのへんの、自分が「互助会」と呼んでいるブロガーに聞いてみたらいい。相手言葉をなげかけるのが楽しいから相手のことが好きだから。たぶん、思うより多くの人が、そう答えるのではないだろうか。

そうはいっても、はてブ的には馴れ合いコメントは確かに鬱陶しいだろうと思う。では、コメント欄を使えば解決する話ではないのか、とも。

そう考える人はもちろんブログを書いている側にもいて、読者に向けて「ブクマでなくコメントで交流しませんか」という提案をするブロガーもいる。読者が何百人レベルになってくると、はてブ側に気を遣ってのことだと思われる。

Twitterとの連動など、利点はあるようだれど。言葉をかけたいだけなら、ブロガー本人が「互助会」と叩かれるリスクをとる必要もないのではないかコメント欄もっと気軽に使っても良いように思う。

もうひとつ別にお互いに便宜を図っているわけでもないのに、「互助会」と呼ばれるのは何だかおかしい気がする。「交流会」「ひつじ会」とかのほうが実態を表しているのではないだろうか。(「ひよこ会」とかでもいい。何かかわいい名前がいい)

マネー勢について

で、じゃあ「スターブクマフォロー利益を得ることを目的とした行為」はないのか!というと、うんざりするほどある。

C)のアフィリエイター系。これが本当にしつこい。見るからに書いていて楽しくなさそうな、NAVERまとめ的なブログからリアクションがそこそこの頻度で来る。凄かったのは、同じ記事に2度3度つけてくる人。無言でそれをやられても、ただ気味が悪いだけで、何かを返したいとは思えないのだけれど。

相手の人格や思いを無視して、金銭のためにブクマをつけて何が楽しいのか、と。他人の顔が札束しか見えていないような、うわべだけの文章を読みたいとは個人的には思わない。まして広告クリックなんてしない。

これは自分に矛先が向くことを恐れているとか、好きな人擁護したいとかでもなく、単純にクラスタの分類として。交流勢よりも、こういった「機械的な無言のリアクションによって、露出や返報を期待する」アフィリエイター勢のほうが、真に「互助会」と呼ばれるに相応しいのではと思うのだけど、どうだろうか。

ネット上で、文章で稼ぎたいのは勿論、悪いことではない。でも、個人的に読みたいのは、誰でも書ける情報のまとめとかではない。

アフィリエイトをやっている人であれば、どうしてそれを始めたかとか。情報収集はどうやってしているかとか。ライバルはいるかとか、作業するときにかけている音楽とか。その人にしか言えない言葉面白い話。そういう文章が読んでみたい。

「読む側」としてのスタンス

はいえど。面白かったり為になる文章無料で読みたい、というのもある意味、何というか難しい話だとは思う。

医学辞典なんて手元にないかネットでいいや、とか。先述のように、企業宣伝のために作成しているページを利用する、とか。「ネット」と書いたけれど内訳は、キュレーションサイト個人がアフィ目的で作ったサイト質問投稿サイト個人ブログのどれかが引っかかることが多いのではないだろうか。

それが確実な情報源でないことは、もちろん周知の事実である。それでも取り敢えず適当情報がほしくて検索する人がいるから、それにあわせて少ない労力で情報を供給し、利益を得ようという流れが自然に出てくる。

「分かりやす出所の確実な情報」ならば、上述のように、出版業界商品に頼るのが却って近道ではないかと思うことが最近増えている。「集合知」は確かに無料だけれども、「文章」にクオリティを求めるならば、書籍を買うか図書館に行けばいい。紙が面倒ならデータの形で入手すればいい。

商業としての出版を信頼しているから、例えば某警察官やめたブログ暴露されていたように、CGMのふりをして売名する商業があるとしたら個人的には少し悲しい。プロとして作り上げたものプロモーションされたものに、正当な敬意を払いたい。

…ここまで書いてきて心配になったのだけれど、出版業界の回し者ではなく、ごく普通の読書好きのオタクが書いています。信じて欲しい、としか言えないけれども。

逆に言えば、ネットで、商業ではなく個人が発信するとき、それは受け取る側となんら変わらない、「普通の人」なわけで。文章を発信する側は全ての責任とリスクを負うべきで、受信側は何を言っても良い、ノーリスクハイリターンな立場である、とは自分には思えない。

ネットを使っている人であれば誰でも、ある程度の文章は書けると思う。たまには「発信側」になってみるのも、悪くはないんじゃないかと思ったりする。

同じ人間が一人としていないならば、誰にでも、「その人にしか書けない文章」があるはずで。私はそれが読みたい。

色々書いてきたけれども、これが正しい見方であるとは自分で思っていない。誤りや偏りの指摘も含めて、議論一助になればと思う。

2017-05-09

右傾化の原因を国内で探しても意味がない

安倍首相や現政府の動向、またそれに対する社会の反応を見ても、日本右傾化否定のしようも無いものと言える。20−30年前なら安倍首相稲田大臣の数々の放言は毎回政権をひっくり返してもおかしくなかったようなものだが、今は保守化した社会とそれにともなう高い支持率のおかげでまったく安泰である

こういった日本社会右傾化の原因を探る記事は多々あるが、多くは日本社会構造の変化、国民気質の変化にその原因を探っている。控えめに言っても、的はずれとしか言いようがない。なぜなら右傾化保守化国家主義化・排他化は全世界先進国で並列に同時に起こっているからだ。イギリスのブレクジット、アメリカトランプ、今回当選はかなわなかったがフランスルペンの台頭。その他の国でも国民保守化しており、あきらかに世界的な流れである。その世界的な状況を無視して国内だけの事情説明できたとしても、単に場当たり的な後付理論以外にはなりえない。

それではこれらの国を同時に襲った共通事情とはなにかといえば、2008年以降の経済の停滞であるリーマンショックによる一時的はいえ壊滅的な被害を受けた後、どの先進国も2000年前後のような高成長率に戻ることは叶っていない。一人一人が保守化する原因は多種多様だが、国民全体が一度に保守化するのは大概において経済的な行き詰まりが原因である第二次大戦前にドイツイタリアファシストの台頭を許したのも、本邦が軍国主義化したのも、経済的な苦境という背景が大きな役割を追っている。70年台に不況に入ったアメリカ保守化ジャパン・バッシングを始めとする排他主義に陥ったのは日本人ならば記憶に遠くないところであろう。今回の低成長もそこまでとはいかずとも世界的な保守化引き起こしているのだ。

したがって、先進国がなぜ軒並み保守化しているのか?という問いは、なぜ先進国が低成長に陥っているのかという問に還元されるべきである

そしてこの問への解はシンプルだ。世界の成長余力が新興国に移っているのだ。この十年も世界経済の成長率は極端に落ちたわけではないが、先進国寄与度は明らかに減っている。たとえば、こちらのページに世界成長率への各国の寄与度のグラフが載せられている。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4505.html

これを見れば先進国寄与度が落ち続けており、特にこの10年ほどは先進国全体で中国一国にさえ遅れをとっていることがわかる。

ここまで読んで、「なんだなんだ。なんでも中国のせいだというのか。まるで風が吹けば桶屋が儲かるという類の与太話ではないか。」と呆れられた方もいるかと思うが、中国は単に今もっとも目立っている国ということで出てきただけであり、経済力先進西側諸国から新興国への移動は全世界的な潮流で、たとえ中国をなんらかの理由で止めたとしても全体の方向性が変わるわけではない。例えばインド名目GDPは今のところ約10年前の中国の水準でありしかも成長率は7%前後を維持している。中国の成長が止まれば、インドや他の新興国経済成長の中心となり、旧先進国は常に蚊帳の外である

では今後我々はどうすれば良いのか。どうすれば経済を安定成長に戻し、極端な排他主義さらなる台頭を防ぐことができるのか、というのが次の問になる。

方法はない。

我々は甘んじて低成長を受け入れねばならず、民族主義の広がりを黙って見つめ、あるいは自分もその中に身を投じていくことになる。

この経済力シフトは単に経済グローバル化に伴い隠れていた成長余力が表に出てきているだけであり、経済グローバル化有史以来、いやそれ以前から続いてきた不可逆な流れであり、それを止めるにはローマ帝国崩壊中国王朝崩壊、といった歴史的転換点に近いカタストロフィレベルイベント必要になる。しかもそれさえも流れを一時的に止めるだけであり、しばらく後にはグローバル化はまた進みだす。一国、又は狭い地域グローバル化を無理やり止めれ自由経済主義の国々に遅れをとり、状況はさら悪化する。その中で自分の身を守るためにさらなる排斥主義が広がり、先進国からは寛容性はなくなっていく。

しかしそれは終わりではない。それは、これまでの先進国後進国化し、これまでの発展途上国のなかから次の先進国が生まれる、というだけの話である。その時現ヨーロッパアメリカ日本は、偏狭で旧来の古臭い価値観もつプライドばかり高いが文化的に劣った国々と見られるようになっていることだろう。

2017-05-07

平和を愛する諸国民の公正さにおいて我々(日本人民)は名誉ある地位を得たいと思う

だっけ

憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府行為によつて再び戦争惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威国民に由来し、その権力国民代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法法令及び詔勅排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互関係支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐ国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国無視してはならないのであつて、政治道徳法則は、普遍的ものであり、この法則に従ふことは、自国主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想目的を達成することを誓ふ。

2017-04-06

ギリコ馬脚を現す

https://twitter.com/kobayashigiriko/status/849924596778151936/photo/1

これって「低学歴コンプレックスに触れちゃったーこわーい。みんな気をつけよーね」案件なんだよね。

自分の親をダシにしてるところがまた陰湿というか。

この人のマンガホントに絵柄も展開も気持ち悪くてなんなんだろうと思ってたら、理由マンガに要約されてたわ。

要するに世間知らずで偏狭なくせに、上から目線弱者の味方ぶって偽善者から気持ち悪いのか。

絶賛してるやつらもたぶん目線知的レベルが同じ狭い世間しか生きてない自称被害者なんだろう。

2017-03-17

リベラルが勝てないのは美徳のゆえらしい

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/book/15/101989/031500021/

今日見たこの記事みたく、ヒラリートランプ比較典型に、なぜリベラル勢力が支持を得られず、ポリュリストや極右が支持を得ているのかっていう説明にあたって、最近言論ではその理由リベラル勢力が自慢に思っている多様性尊重やら社会正義、洗練された知性みたいな美徳に、ポリュリストや極右が支持を得ている理由を彼らの反知性主義やら田舎臭いアホっぷりや偏狭な頑固さのような悪徳に帰する言論が多い気がする。リベラル勢力は有徳で優れているから負け、ポリュリストや極右は劣悪で悪徳にまみれているか勢力を伸ばしているってことかいな。

何かがひっくり返っている。何かが。

2017-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20170222194057

俺ぁ作品を深掘りする評論は多少コジツケっぽくても面白がれるオタクだよ。

しかし「この作品にはテーマがないか駄作だ!」と言う奴と

「この作品が売れたのは斬新だからだ!」と言う奴は馬鹿にするね。

前者は偏狭なだけだし、後者が言う「斬新さ」はたいてい誤認だからな。

2016-11-08

ブラック企業是正~の増田です

http://anond.hatelabo.jp/20161107104928

コメントの中のある種の意見を見て非常に残念に思っています

偏狭正義感に溺れて、提起している問題無視されているようです。

潰すか潰さないかではなく、どう潰すか、あるいは潰さずどうホワイト化するかという質問/提案しました。

そこまでしっかり考えていく段階に来ているのではないかというメッセージです。

潰せばいいなんて想像力のない人でも言えることです。

ブラック企業問題は一体何かという原点に立ち返って欲しいのですが

それは労働者が不当な苦しみを強いられているということになるのではないでしょうか。

ミクロ視点ですね。

ところが、「ブラック企業を潰せ」と言って思考停止する人たちは

企業を取り締まる労働警察官」「理想を持ったホワイト経営者」みたいなマクロ寄りの立場なんですね。

選挙の話で政局の話を楽しそうにしちゃう人たちみたいな感じです。

そうじゃなくて、ブラック企業労働者たちが苦痛から解放される、優しい目線で考えましょうと言っているつもりです。

大事なのは不幸をなくすことであって、捌いて捨ててフタをすることではないはずです。

最近日本目的が「レッテルを貼り、ゴミ箱にポイする」ことを目的にしてる人が多くて本当に残念に思います

さて、今まで頂いた意見について少々疑問に思う点が合ったので、より議論を進めるために質問させてください。

まず「潰れても仕事は残るから、そこが働き口になる」という意見ですが

現状のキャパを超える仕事量の場合設備投資問題が生じます

業務の内容によるのですが、そうそ簡単お金を出せるわけではありませんので

これが流動性を妨げ、失業者を生み出す要因となるでしょう。

また誰もが再就職アピールできるスキルを持っているわけではないという点も考慮していただきたいと思います

それから基本的に「新しい現場で働くのは嫌だ、つらい」という心の問題もあります

労働者には心があり、誰もが転職を受け入れられるとは限らないのです。

加えて、想定される二次被害としては、「あぶれた仕事の受け皿」になった会社で急にに残業が増え、

広告会社社員のように過労自殺で亡くなる方が出てくることもあるでしょう。


次に、ブラック化は生存競争の(違法だが有効な)戦略であるという点に着目して頂きたい。

生き残ったもの勝利する世界ですので、ブラック懲罰として潰れた会社

ブラック改善してホワイト化した上で潰れた会社より

バレずに生き残ったブラック企業が得をするということになります

ブラック企業を同時に一斉に潰さない限り、生き残った企業が得をすることになるのです。

ホワイト企業が圧倒的である業界なら、ブラック企業順次潰すことに意味はあるかもしれません。

しか飲食業界を見ればわかるように、同じようなビジネスモデルであればどこもブラックになりがちです。

まりブラック企業を一つずつ潰していくことは他のブラック企業に利するだけで、不公平になる可能性があります


「生き残った側のブラック企業も潰せばいいじゃないか」という反論は容易に想定できます

しかし、十分なパイを得て生存競争に打ち勝った企業は「殿様商売」が出来るようになります

当然利益が上がり、ホワイト企業擬態化し、摘発を免れるようになるのです。

生き残ったものが勝者であり、血みどろの戦争を勝ち残った人間が王となり、野蛮人聖者のような顔をするようになるのです。

まあ、これは極端な例ではあります

目についただけのブラック企業を潰すことは他のブラック企業を利するだけだということには留意してください。

以上の二点を踏まえても、マクロ寄りの視点ブラック企業を潰すとしても”計画性”が必要なのです。

これについても考えて頂きたいなと思います

2016-09-23

本当に無関心であり、なるべく彼の手から離れたいと思っています

私は彼の偏狭価値観から逃れて、自由に生きたいと思っています

本来であれば、彼の自傷行為につきあわされる筋合いもありません。

いま膠着状態を打開するために、いろんな人の手を煩わせてしまっている状態です。最悪。

2016-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20160719190247

左側に理想論者が多いな。理想論者だから自分が善、敵対者は悪、という偏狭二元論にすぐ到達してしまう。

右側っていうのは、現実論者なんだ。善と悪で物事を計っていたら何もできない、というところに気づいて、そこから歩き出す。

俺は右側だが、悪呼ばわり大いに結構武力が悪だとはわかっているが、現に他国領海侵犯する国がある現実の中で、使えるのは武力だ。

ただな、左側の夢想意味がないとは言わん。その夢想人類がやがて到達すべき理想郷からだ。

から右側左側、両方がいることに価値があるんだよ。

2016-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20160705150810

自由にしてやれ」って書き方、間違えた。まあ、元増田は実に偏狭だな。一億層評論家典型

2016-07-03

帰ってきたヒトラーBrexitに関するメモ

◆昨日映画の日だったので、「帰ってきたヒトラー」を見てきました。それ見て思ったこととかEU離脱騒動とかのメモ。まとめなんでネタの新鮮さとかはあんまりないですが。

はてなブックマークを眺めると、今回のEU脱退騒動での都市在住エリートの反応を見て「ああ、これはLeaveが勝っても仕方ないわ」と思った人も多いようです。どうも都会のエリートは「田舎者」とまともにコミュニケーションを取ろうとしていない人が多かったように見えました。

ある話題になった(1000ブクマ!)ブログ記事の補足記事(※)で引用されている向こうで話題になったらしいファイナンシャルタイムズ記事に着いたコメント

『(前略)最後におそらく最も重要なことには、私たち事実に基づかない(post factum)民主主義時代にいるということ。事実がつくり話に出会った時、オーソン・ウェルズ小説に出てくるようなエイリアンの体に当たった銃弾のように跳ね返され全くもって役立たなかった。マイケル・ゴーブは「イギリス人エキスパート専門家)にうんざりしている」と言った。でも、反知性主義が広がったとき偏狭な考えに結びつかなかったことがあるなら誰か教えてほしい』(引用一部改変)

にも、なにが「重要事実」なのかを判断するのは自分たちで、そうでないのは「事実に基づかない民主主義」だという意識が裏に透けて見えます自分の選んだデータを見れば自分と同じ解釈をして同じ結論になるはず。そうならないのは誤解か相手の知性の問題、という発想自体への反省は見えません。

今回のエリート達の騒ぎは自分たちもそれ以上に馬鹿だったということを受け入れられず他人責任にしていて、地金が出たというかとても見苦しい。「自分たちと違う」人たちが自分たち生活に(悪)影響を及ぼしてきたことにヒステリーを起こして、相手レッテルをはって(偏見で)叩きに走ってる姿は同じなのに。

Brexitが示すのは民主主義限界世界ライフスタイルの作り方)より引用リンク削除】

移民大都市の方が多いのにRemainが多く、移民の少ない地方の方がLeaveが多いか外国人嫌いの扇動に乗せられたのに違いないという報道が多いですが、当然の話だけれど移民の数がそのまま社会へのインパクトになるわけではありません。特にロンドンのような大都市田舎では資本提供する社会システムインフラ全然違う。

大都市では外国人社会参加や受け入れのシステムがすでにあるし、そもそも「対人距離を金で買える」んですよね。だから外国人とのつきあいメリットだけをつまみ食いできる(そしてうまくつきあえるのを自分たちの寛容性や知的能力によるもの錯覚できる)。

対して田舎ではインフラ不足の分を人々の経験知と人間関係で埋めています。なのでここにきしみが出たりコミュニケーションコストリスクが上がると生活レベルに直撃する。かれらには「円滑な相互扶助」やそれを支える「社会常識の維持(復旧)」が為替株式市場より重要な訳です。

対人距離を金で買えない地方移民の受け入れ負担を求めるなら、それ相応の「しくみ」が要るのではないかと思います。できれば異質な人たちが存在することが上記の環境利益になるような。

◆今回の結果を反知性主義と評する人たちも多いのですけれど、政治や国際情勢社会問題などの「専門家予測」が本当に正しいのかを1988年から検討したTetlock氏の研究(※)では、実は専門家予測判断は(因果が明白な直近の結果を除いて)素人予測と的中率が変わらないことが示されています。その原因として挙げられているのが自分視野過大評価です。実際、今回多くのエリートは「自分に何が見えていないのか」を大きく読み違えました。

※”Expert Political Judgment: How Good Is It? How Can We Know?”(2006

自分に何が見えていないのか」「自分の知る正しさはどこまでなら妥当なのか」を認識できていないのはどちらも同じ。それを可視化し共有する「しくみ」はまだありません。自分はこれの実現が集合知研究のゴールの一つだと思っていますヒトラーを「過去のもの」にできるとしたら、それなんじゃないかなと。

2016-06-30

メンヘラは、病気じゃないから薬じゃ治らない

xevra先生が、高齢メンヘラカップルブログに、薬が合ってないのか、とブコメされておられるが、

ブログを読む限り、主治医への相談必要で薬を変えなければいけないほどのうつ症状がある感じはしない(あのブログ精神リスカは通常営業だ)し、

そもそもパーソナリティ障害自体は、神経や脳器質などの生化学的なものというより、他人迷惑になるレベルで著しく性格が悪い人、というだけのことなので、

薬じゃあ治らないし、根気よくカウンセリングなどを続けたところで、あまり効果がない(何しろ著しく性格が悪い人を相手カウンセリングしなきゃいけないから)ことが多い。

パーソナリティ障害には多くの種類があるが、これは、様々なベクトル性格の悪さを、大まかにカテゴリー分けしているだけ、という側面もある。

実体験数が少なく、それに反して情報量が多い今時の若者には、多かれ少なかれパーソナリティ障害的な心の動きが見られる人もいて、それほど珍しいことでもない。

まだ若い人であれば、良い友達や良いパートナーときちんと付き合っていくことで、カウンセリング的な効果を得て、成長と共に

他人迷惑になるレベルで著しく性格が悪い人」から、「ちょっと個性的だけど面白い子だよ」ぐらいまで改善することも少なくない。

まぁ、当該の高齢メンヘラカップルは、もう既にどっちも高齢者で、今までの道のりで見つけられたであろう性格改善ヒントをすべてスルーしてきたという実績に加えて、

道端に落ちてたメンヘラを拾って隙間を埋めてみたけど合わなかったから捨てました、みたいな、

いい年した人間ならとっくに卒業したような(おまけにそれをSNS告白したり、サブイボ級のポエムタッチブログ公表したりの)破壊的な行動を繰り返している輩どもなので、

パーソナリティ障害に係る各種の「生きづらさ」の改善は、期待できないだろう。

「うつ」心の風邪から休養がいちばん、という例えに倣うなら(これは本当によくできている例えだと思う。複合原因または原因不明放置・反復が過ぎると死を招くところまで特徴をよく表してる)、

パーソナリティ障害は「子供の頃から生活習慣ですっかり太った精神デブ」みたいな感じだと思っている。これは自分勝手定義していることではあるが。

彼らのような、パーソナリティ障害に苦しんでいる人たちの持つ共通の原因は「肥大化した自意識」。他者存在を受け入れずに生きてきた結果「自」のフィールドけが肥大化している。心の内臓脂肪理由

これは、遺伝的な体質ももちろんあるけれど、どちらかと言うと、生育環境なども含む生活習慣由来の問題なので、投薬やおざなりカウンセリングなどでは、根本改善するのは難しい。

例えば、長年の運動不足肥満から糖尿を発症した人に対して、糖尿への投薬治療はできるけれど、運動不足由来の肥満を解消させて原因を改善させるのが本当に大変なのと同じような感じ。

そして「適度に食べ、適度に運動し、人生を楽しむ」習慣が身に付けば、収まってしまう(糖尿発症ちゃうと収まっちゃう簡単には言えないけど…)ようなものでもある。

パーソナリティ障害精神科受診すると抗うつ剤を処方されることがあるが、肥満理由の糖尿と、メンヘラ理由うつは、似ていると思う。

そして、肥大した自意識=過剰な内臓脂肪、と例えると、他者筋肉量、という感じである

上の方に記した「良い友達や良いパートナーときちんと付き合っていく」というのが、「適度に食べ、適度に運動し、人生を楽しむ」にあたる部分で、とても大切なことだったりする。

職業カウンセラーでは、そこまで対象者踏み込み、「適切な距離を取った他者」であり続けるのは、時間的にも精神的にも難しいのが現実

一方で、メンヘラではない多くの人は、自分の近くにいる人と適切にコミットしたいと願うのがふつうだ。その方が人生を楽しみやすいし人間関係安全性を確保しやすいから。

ましてや、近づいた意図友情恋愛などの「好意」に基づくものであれば、時間や労力を厭わずに、その相手との適切なコミュニケーションコミットメント方法模索しようと試みる。

メンヘラ傾向があったが色々あって落ち着いた人」というのは、このような友情愛情という機会を、きちんととらえることができた人。

若いうちのメンヘラは恋すれば治る、みたいな側面もあって、良い人と巡り合えば、ケロッと、それこそ憑き物が落ちたかのように普通になっていたりする。

一方で、当該の高齢メンヘラブログを読むと、今まで、改善可能性を感じる「他者」と向き合わうべきタイミングで常に逃避行動を取って生きてきたのだろうということが分かる。

な、著しく性格が悪いだろう。

ちなみに、他者と向き合わなくても、結婚だって離婚だって浮気だってセックスだって、するのは簡単。というか、むしろ他者ときちんと向き合わない方がどれも簡単だったりする。

相手のこと考えずにいる方が、照れや逡巡や羞恥心プライドなんかの、恋愛セックスにまつわる精神的なハードルは超えやすいから。

ただし、他者ときちんと向き合った付き合いの上で行う、結婚生活セックスは、向き合わないまま行う結婚セックスの何千倍も多幸感が強い。まぁ当然の話だが。

「彼ら・彼女ら」が、あれだけ行動的で、発信意欲が強くても、ちーとも幸せそうに見えないのは、これが理由

パズルの合わないパーツを、手前勝手に合わせようとして癇癪起こしてる子供と一緒。

他者と向き合わず精神的な成長を否定して、というのは、大昔は「ピーターパンシンドローム」なんつって流行ったんだ。

まぁあれはあれで、この文章と同様に偏狭な側面が強いものではあったが(なんで男性限定したんだろうなあれ、時代性だろうか)。

まぁ、そんな通俗心理本が出る程度には、一山幾らの、凡庸特に特徴も魅力もないような、特に珍しくもないような、ただの性格の悪さでしかないんだよな。

2016-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20160611185210

なるほど。

この中で自分が知ってるコールドプレイオアシスは確かに普通に歌えるよなぁ。

ヨーロッパイコール聞く音楽日本イコール歌う音楽、というのはちょっと偏狭見方みたいだね。

色々教えてくれてありがとう


韻踏みの美学はわかるけど、なかなか聞いた時に気づかないことも多いなぁ。教えてもらっておおって思う。

でも奥深い世界だなぁ。


ブコメ

きゃりーは聞いたことないからわからないけど、水カンは確かに歌えん。

2016-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20160526175635

標準語に本人は直してるつもりでもイントネーションはまんま残っている人も多いけどな。

関東からすると関西弁一向にビジネスで使ってもらっても個性の一つだし、構わんと思うのだが、関西人はそうは思わないので、やはり関西偏狭価値観と言わざるをえない。

2016-04-20

kabaちゃんについて

kabaちゃん性転換したようですね。おめでとう。

でも、テレビで性転換直前の整形報告の様子を見たけど、彼女自分女性性に固執するようになっていたので心配だ。

(それを強く表しているのは https://www.youtube.com/watch?v=5Msm9QXpsWY の4:10あたりから彼女の様子だ)

ガルチャンでは

「どんだけ整形しても女装した男性しか見えない」

若いから性別移行している子と完成度を比べて整形を繰り返してしまうんだね、かわいそうに」

理想が高すぎる」

などと女性から残酷コメントが並んでいた。

彼女はこういう現実を受け入れられるのだろうか。

整形もして、性転換もして、実質可能な対処はなくなってしまった。

対処がないということは、その面において希望を失うことに等しい。

よく、女性ホルモン精神不安定になり自殺する人という言説を目にするが、

経験上、ホルモン自体効果よりも、対処策がないという絶望感こそが自死へといざなうと私は思う。

差別撤廃の動きのもと、建前と反対の悪意がひしめく中で、自己否定・周囲の拒絶・街にとけこめない自分・異質な自分

コストをかけたのにもかかわらず報われない惨めさ・ルッキストによる蔑みなど。

単体では大したことなダメージでも、蓄積すると自分存在肯定できなくなる。

そういった闇に飲まれないように、いや、飲み込ませないように、

多くの人が悪意を浴びせることを抑えて欲しいと思う。

また、思ったことを正直に言うことを正義と信じる偏狭子供(年齢にかかわらず)にも同じことを望む。

リスクをとった彼女にはその分幸せになって欲しいと心から願う。

2016-02-21

はてなってリベラル寄りだって言われてるのに

実際に触れてみるとリベラルどころか偏狭さを感じるのはなぜだろう

2015-12-25

はてブ2ちゃんって

はてブ2ちゃんって、何が違うかって話になった。

2ちゃんは、はてブに比べると相当に多様なカテゴリの板で分かれていることが、まず違う。

そして、その2ちゃんの板の中でもスレによってレス内容も違う。


2ちゃんは、はてブよりも多様な意見が散りばめられているのが違う。


はてブ問題は、はてなスターなるものもあって、

意見が一つに集約されやすく、2ちゃんに比べるとカテゴリの種類が全く少ない。

はてブは、偏狭思考に陥りやすいという問題が、2ちゃんよりかなりある


これが、違いかなぁ。


良い子良い子と先生に褒められる優等生タイプが目立つのはてなで、

2ちゃんには、相当に頭が切れるのも混じっているってことかな。


社会で何か新しいことをするには、2ちゃんタイプ必要だが、

社会従順に生きるには、はてブタイプがいい。


はてブは、従順な羊タイプと言える。


まぁ、それ以前に、

はてブは似たようなユーザーばかりがスターで上がってくるし、

はてブアクティブユーザー数が少なすぎるというのもあるから

比較対象にしては規模が小さいわけだが。

2015-11-17

伊藤計劃原作劇場版ハーモニー感想

 映画化は継ぎ接ぎだ。

 ある状況下において必要だった形質も、喉元すぎれば不要になる。その場その場で必要であった言葉の集合、小説文体は場当たりの継ぎ接ぎでできている。映画化なんて前向きな語は間違ったイメージを人々に与えやすい。エンタメは、いやすべてのコンテンツは膨大なその場しのぎの集合体なのだ

 だとしたら。我々読者が獲得したこの伊藤計劃なる奇妙な作家を、とりたてて有り難がり、神棚に祀る必要がどこにあるのだろう。『ハーモニー』は、『虐殺器官』は、すべて時代への適応として作家が描出したにすぎない継ぎ接ぎの一部だ。死後の評価も、映画化の「プロジェクト」も、すべて「ある時代で」においてのみ、皆が生きるために必要だったから、SFというジャンル生存寄与たか存在しているだけだ。

 かつて読者には、怒りが必要だった。

 かつて読者には、喜びが必要だった。

 かつて読者には、哀しみが必要だった。

 かつて読者には、楽しみが必要だった。

 1990年代(かつて)、2000年代(かつて)、伊藤計劃が生きていた時代(かつて)。

 それは過ぎ去った名作と時代に向けられる弔いの言葉

 かつて読者には、「これ」こそがわたしであるという思い込み必要だった。

<list:protocol>

<p:チケット券売機で買う>

<p:購入したチケットをもぎりのあんちゃんに渡す>

<p:その他パンフ等を入念にチェックする>

</list>

大丈夫。わたしは観られる」

 そうつぶやくと、斜面に並べられ、ふかふかのウレタンの詰まった座席に腰を沈めた。

「やあ、読者。七年ぶり、だよね」

「でしょ。ここでやってるって、映画.com で聞いたから」

「『屍者の帝国』は――残念だった。エンディングロール後も」

 不思議と、そう言われても頭に血が上りはしなかった。

「でも、仕方なかったって言うんでしょうね、きっと」

「ええ、言うわ。『仕方なかった』」

 わたしは例の盗撮注意CMを聞いた。映画泥棒パトランプの白い指先をかすめ、法で定められた条文が読み上げられる。

「わたしにとっては、仕方なくないわ」

「そうだね。でもこれ以上衰退させるわけにはいかないんだよ。わたしたちの世界SF)をね」

プロジェクトがあるから?」

「そう。わたしたちの望みはね、伊藤計劃読者のハーモニクスなの」

 わたしはね、永遠と人々が思っているものに、不意打ちを与えたい。

 止まってしまった時代に、一撃を食らわせたい。

 わたしたち三作の死が、その一撃なの……。そうわたしは聞いた。世界って変わるの。

 わたしたちにとっては、すべてが変わってしまうわ。

「ついに、わたしたちはここまで来た」

「ここまでって」

「『すばらしき新世界』。ユートピアだよ。

 業界幸福を目指すか。真理を目指すか。読者は<天才夭逝>のあと幸福を選んだ。まやかし永遠であることを、自分進化のその場その場の適応パッチの塊で、継ぎ接ぎの出来損ないなコンテンツであることの否定を選んだ。人格を圧倒すれば、それが得られる。すべて、わたしたちが読んでいるこの世界のすべてをシノギに置換すれば、それが得られる。読者はもう、戻ることのできない一線を超えてしまっていたんだよ」

 わたしは画面にくぎづけになったまま、戸惑いの表情を浮かべる。

 それを憎んでいたのは、

 誰よりも否定していたのは、

 伊藤計劃あなたじゃなかったの。

wikipedia で見たわ。あなたは――」

「そ、わたしは『意識のない』作家の一員。というより、生を必要としない作家の一員、と言ったほうがいいかな。生を獲得した今となっては、だった、って過去形なっちゃうけど。わたしの生はあなたたちのそれとは管理する現実のセクションが違うんだよ。TOHOアニメーション早川書房の一部でエミュレーションしている、らしい。わたしのプロジェクトはね、ここで生まれたんだ」

 性器が屹立したような桃色の建造物の群れ。『チャージマン研』のころの未来像。

「ここはね、アニメスタジオだった。書店から誘拐された原作本(おんなのこ)たちが、ここで毎日アニメーターにやられてた」

 百合百合百合

「わたしにのしかかってきたプロデューサーはね、わたしに繰り返し繰り返し入れながら、原画台本をわたしに触らせてた。これがアニメだ、これが贈与だ、これが力だって言いながら、まるで自分のもうひとつペニスをさすらせ、しゃぶらせるようにわたしの口にredjuiceを突っ込んで、何度も何度も突き入れた」

 わたしは計劃の話を聞きながら、既に涙を流していた。

 これほどのことを、こうもにこやかにさわやかに話すことのできる意識

 それはいったい何なのだろうか。

「そうして突き入れられて、台本修正校でべたべたにしているときに、わたしは生まれたの。このスクリーンなかには、LINEスタンプ新装カバーコミカライズ特集トリビュートアンソロジーもグッズも本屋大賞も、すべての夢がたっぷりと染みついている。わたしは希望のなかでもう一度生まれた。いわゆる、プロジェクトとしてね」

「計劃は言ってたじゃない」と言うわたしの顔は涙と鼻水でぼろぼろになっている。

「計劃はこの世界を憎んでいるって。愛し愛され真綿で首を締められるようなこの産業を憎んでるって。どうなの、あそこはここ、この劇場よりひどい場所だったの……わたしたちの読んでいたジャンルは、この生首ディスカッションばかりのアニメよりひどい作品だったの……」

「どうしたらいいか、わからなかった。

 わたしは1990年代に、2000年代に生きていた。

 この世界を憎んで、この世界に居場所がないって、どの作品も叫んでいた。わたしはそのときに思ったの。わたしは人間がどれだけに自意識過剰になれるか知っている。そしていま、逆に人間自意識を――自然を押さえつけようとして、どれだけ壊れていくかを知った。そのときは、わたしは単純に思ったの。この社会が、このクール・ジャパンが、この2010年代という時代の仕組みがおかしいんだって。内部から自分の裡からあのときの感動を徹底して求める読者がおかしいんだって考えたの」

 そうだ。商業健康を何よりも優先すべき価値観とするイデオロギーの許に、ポジティブ感想を常に提出しつづけなければならない空気ジャンルの存続のために自らを厳しく律することが平和協調と新作を生むと皆が信じている社会

「そう、あなたはこの業界の仕組みを憎んだ」

「でも、manglobeが潰れたときに、わたしは学んだの」

「何を」

「読者は変われるってこと。読者としての、信者としての偏狭視点限界突破できるってことに」

「この業界を、わたしたち読者を憎んでいるから、あん桜Trickを作ったわけじゃないのね」

「うん。わたしは愛している。この映画を全力で愛してる。あなたたちを愛してる――すべてはこの世界肯定するため。すべては『わたし』を忘却できず、『わたし』に侵食される世界を救うための」

「この世界にとって完璧プロジェクトを求めたら、作品の質は最も不要な要素だった。お笑いぐさよね」

「わたしは、笑わなかったよ」

 感動げな大自然映像が流れる。感動げなコーラスが流れる。どこからニコニコ動画の亡霊の歌声が響いてくる。

「そうすべきだと思った。いま、世界中で何万というコンテンツが発生している。日本でもね。ジャンル要請する小さな利益とか、そういう細々した関係性を扱う以前に、わたしたちはまずどうしようもなく読者で、継ぎ接ぎの機能としての快楽や欲望のよせあつめにすぎない、っていうところを忘れることはできないんだ」

あなたは思ったのね。この現状に信者たちがなじめず腐っていくのなら――」

「そ、伊藤計劃読者であることをやめたほうがいい」

 伊藤計劃が指をぱちん、と鳴らすと、今度は『ファイト・クラブ』の上映がはじまった。

 "タイラー・ダーデンを知っているか、とよく訊かれる"……。

「というより、読者であることをやめたほうがいい。SFファンを、オタクであることをやめたほうがいい。文化が生み出した継ぎ接ぎの快楽摂取行為にすぎない読書を、この身体の隅々まで徹底して駆逐して、骨の髄まで社会的存在に変化したほうがいい。わたしがわたしであることを捨てたほうがいい。社畜になったほうがいい。書を捨てよ、会社に行こう――『わたし』とか意識とか、夭逝天才だとか、プロジェクトだとか、SFだとか、アニメだとか、映画だとか、環境がその場しのぎで人類に与えた機能は削除したほうがいい。そうすれば、復讐を目指したあなたたちに、本物の復讐が訪れる」

「じゃあ、計劃は戻りたかったんだ。あの『エヴァンゲリオン』以前の風景に。自分民族本来はそう在ったはずの風景に」

 伊藤計劃は小さくうつむくと、そっとうなずいて、

「そう、なのかもしれない。ううん、きっとそうなんだね」

「じゃあ、それを奪うことは、わたしのささやか復讐になるのかな」

「え」

SF死ぬ必要がなかった。だから早川コンテストを再建したんでしょ。創元は短編賞作ったんでしょう」

「……そう、なのかな」

あなたの『プロジェクト』は自己正当化する必要があった。あのときは。既に受賞済みの、止めようがない才能たちに対して」

「そうなのかな」

 わたしはうなずいて、そしてきちんと座り直した。

「だから、わたしはここでSFと冬の時代復讐をする」

「どうやって」


あなたの望んだ映画は公開してあげる。

 だけど、あなたの望んだ忘却は与えない」


 そして、わたしは席を立った。

2015-10-29

子育てってそんなに大変かなあ?」

子育てってそんなに大変かなあ?」

もうすぐ1歳になる娘を寝かせた後に妻がぽつりと呟いた。

そこですかさず、「ネットで見たけど、子育てって人それぞれだし、環境や家庭状況にもよるから一概には言えない。大変じゃない人もいれば大変な人もいる。あまり自分価値観一般的事象に当てはめて考えるのはやめた方がいいよ。それってあまりにも偏狭なモノの見方からさ」と俺は妻に言っておいた。

はてなは俺をどこまでも賢くしてくれる。

2015-10-27

子どもポルノ漫画憲法違反なので表現の自由で守られない

といっても理解しようとしない人がいるようだが

日本国憲法前文より~

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐ国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

女子差別撤廃委員会による日本への勧告 http://www.gender.go.jp/whitepaper/h22/zentai/html/shisaku/ss_shiryo_2.html

29.(前略)さらに,委員会は,固定的性別役割分担意識にとらわれた姿勢特にメディアに浸透しており,固定的性別役割分担意識に沿った男女の描写が頻繁に行われていることやポルノメディアますます浸透していることを懸念する。

過剰な女性性的描写は,女性性的対象とみなす既存固定観念を強化し,女児たちの自尊心を低下させ続けている。

委員会は,公務員による性差別的な発言が頻繁に起きていること及び女性に対する言葉暴力を防止し処罰する措置が講じられていないことに懸念を表明する。

36.委員会は,女性女児に対する性暴力常態化させ促進させるような,女性に対する強姦や性暴力を内容とするテレビゲーム漫画の販売を禁止することを締約国に強く要請する。

建設的な対話の中での代表団による口頭の請け合いで示されたように,締約国児童ポルノ法改正にこの問題を取り入れることを勧告する。



エロ漫画被害者がいないなどというのは大間違いだ。国連女性差別撤廃委員会で報告されているように、日本エロ漫画女性を隷従させようとする社会の風潮に加担しており、従って女性全てが被害者だと国際社会は見ている。

従って、そのようなもの放置しておくことは日本国憲法の掲げる『専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐ国際社会において、名誉ある地位を占めたい』という目的に反する。

であるからには、エロ漫画憲法違反であるため、当然ながら憲法の定める表現の自由保護する対象ではない。 Q.E.D

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん