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はてなキーワード: レッテル張りとは

2018-06-19

アクティブセックスをする女の人は心拍数が遅い傾向にある。

また、心拍数の遅さと反社会的パーソナリティには相関性がある。

レッテル張りではないが、交感神経の覚醒から言ってもそういう傾向があるのは事実だ。

気をつけたい。

2018-06-05

anond:20180605124417

レッテル張りお疲れ様です。

私の周囲に誰もいようといまいと、論としてはなんの関係もない。

ま、実際はいなくもない、程度

2018-06-04

生活保護受給者の中には高級車を乗り回している奴がいる」みたいな信憑性のない意見

そもそも車持てないし、月約7万で高級車が維持できるのか。

ローンは当然組めないし、一括で買うお金がある奴は生活保護から弾かれるにきまってる。

ケースワーカーの目をかいくぐるのも難しい。

生活保護受給者を自分生活に余裕がないからといって穢多非人のように人権否定して卑怯者のレッテル張りをしたい気持ちわからんでもないけど

2018-05-26

高プロ法案

今まで野党が騒いでるなか強制採決された法案によって我々の生活不都合が出た覚えがない。

そのため、野党が騒いでもただ反対して与党毀損したいだけと捉えてる。

たまに法案レッテル張りし、国民琴線に触れて炎上し廃案されることがあるので

与党が半数を占めている場合強制採決されるまえに法案レッテル張りするきらいがある。

2018-05-23

anond:20180523233132

じゃあそのノウハウをまるっと共有したら?

ブラックを淘汰したいんだろ?

こっちも同罪だけどさ、ずーっと後出しジャンケンじゃんあなたのやってることって

老害とか学生とか高齢ニートとかさー、レッテル張りで敵作っちゃったら誰も言うこと聞かないよ?

あー、普段もそういうことやってる人なんだなって目で見ちゃうよ?

2018-05-22

アニメオタクについて思うこと

ちょっと前の新潟女児殺害事件ニュースが流れていたころ、マスコミが「容疑者の友人はアニメオタクだった」みたいな取り上げ方をしていたらしい(ネットニュースで見た)。

毎回、女児がらみの犯罪が起こるとTwitterなどではアニメは悪くない!みたいな書き込みが増えてきて、それをまとめるブログによって「ネット民意見」が出来上がる。

ネット民意見」は「ネット民意見」として、物置に長年放置されている段ボールみたいに、片隅に存在し続けるだけで終わる。

ネット上で議論が行われているように見える場合もあるが、

話し合っている本人たちくらいしかインターネット意見交換の影響力は及んでいないし、議論しあったところでどちらかが心を入れ替えるパターンはそう多くないと思う。

偏見だけど。

アニメに関してあーだこーだ言い合っている書き込みを眺めているうちに、

アニメ犯罪者のようなレッテル張りが行われる原因として考えられる理由もないわけじゃないと思った。

おそらくアニメオタクイメージとは、部屋にこもって一人で美少女アニメを見ている20代後半~の年齢の男性

仕事ができるタイプでもなさそうだし結婚もしていない。

帰宅後には出かけずにアニメを見るし、休日も引きこもっている。

そういう生活をしているうちに孤独になっていく。

みなさんも経験はあると思うけれど、友人たちと過ごしているときに比べて、一人ぽっちの時は思考回路ネガティブに傾いてしまう。

ネガティブが続いて頭がおかしくなる。

精神病のような状態になって、善悪判断がうまくつけられなくなり、犯罪を実行することに躊躇がなくなってしまう。

三行で書くと、

アニメを見ている人間孤独になっていき(孤独人間アニメを見て暇つぶしをして)

孤独で居続けると頭がおかしくなってしま

社会問題を起こす

というイメージがあるので

アニメオタク犯罪者みたいなレッテルを張ることに違和感を感じない人が多いのだ。

アニメがすき→犯罪

ではなくて、

アニメを見ている=一人であることが多い→犯罪

という繋がりなら、まだ、納得できる気がする。

最近では孤独ネガティブ状態の時に、インターネット特有過激意見も入ってくるので、精神狂いが加速する。


いわゆる「アニメアイコン」のような中高生大学生などはアニメオタクの友人がいるから、よくわからない感覚かもしれない。

私も最近知ったのだが、美少女アニメメジャー存在ではない。アニメオタクの仲間がいるとしても、アニメ卒業していく友人も出てくる。

アニメは悪くないし、アニメオタクも悪くない。

ただ、一人ぽっちになるのは、ちょっと危険だ。

2018-05-19

anond:20180519074812

この手のしょうもないレッテル張り言霊思想事態解決を遅らせるんだよ。

ブラック万引き痴漢カニカマも,「悪いことだからやっちゃダメ!」という精神論では解決しない。

ブラック企業は日本雇用の仕組みを変えないと決してなくならない。

痴漢通勤ラッシュを根絶すれば激減するだろう。

カニカマに関しては,冷凍技術進歩インターネットの発達による流通経路の変化で本家カニがかつてほどの高級なものではなくなった。

その結果,カニカマ意味けがカニの偽物」から「変わった食感の赤い練り物」にほぼ変わったといえる。

社会や仕組みを変革しようと思えば時間と相当なコストがかかる。

無理やりパッチを当てると思わぬ副作用が生じる。

レッテル張り言霊キャンペーンは下策中の下策

2018-05-02

anond:20180502175333

役割分担が崩れた結果、社会人口バランスが崩れてる

それを、私個人問題に載せ替えて無能呼ばわりするのは、レッテル張りと言わざるをえない

2018-03-31

anond:20180331005913

お前も陰謀論と厚いレッテル張りで楽しそうに生きてるじゃんとしか

しかも散々自身境遇を嘆いておきながら最後にしれっと自慢も入ってるし

2018-03-28

一部のフジョシ

自分bl一次創作小説は読むけど、ツイッターで目立つ(アニメ漫画などの)二次創作フジョシは苦手。

人の性的対象恋愛観を曲げた二次創作を堂々と認められようとしているのが理解できない。

中学のころとか君たちも嫌なレッテル張りされた経験ないの?

妄想はいいし同好の人と交流するのはいいけど、あくま自分は人の価値観を捻じ曲げている(原作の続きみたいな話ならともかく)って自覚ないのかな?

最近有名人bl認めない認めてる問題ツイートがバズってるけど、

開き直って一般人有名人から彼らはフジョシの妄想ネタにされているかもしれないと思うとゾッとする)に【フジョシは認められるべき!】って態度を取って居たりして正直気持ち悪い

現実の人のbl妄想って「山田さんって川口ちゃん絶対すきだよね〜」「いやいや沢田さんも」って他人恋愛にやたら興味もつうざい人そのものじゃん。さらにその妄想漫画小説で配布して、当たり前のように喋って、本人が見えてしまうのに注意しない。醜悪

フジョシって言葉二次創作の人のイメージが大きいだろうから、正直名乗りたくない。同類と思われたくない。気持ち悪い

はてな気持ちいからやめろって書くのは受けが悪いってわかってるし、地雷なら自己防衛しろって言われるんだろうな

うまく文章書けてないけど、とりあえず人の性嗜好を二次創作する人は人にある種のレッテル張りしてるをしてるのに一般人に認めろって態度はどうかと思う。

2018-03-12

兎にも角にも、俺には「王の耳はロバである」と叫ぶ為の芦が必要

ネット上で「イイ人」や「フツーの人」で居続けるには心の中のヘドロを吐き出さなければならない
そういう意味で、(IDが紐付いているとはいえ)匿名が一応保証されているこういうサービスは本当に嬉しい

だって、無理だよ俺にゃ
鬱憤愚痴ゲスパー
差別見下しレッテル張り八つ当たり
それをどこにも吐き出さずに生きるのは

からこの場で名前を隠して楽しく日記
日記という名の人格疑うようなゲスゲス暴言キモキモ愚痴をだな

例えニックネームハンドルネームであっても、何かしらキャラクターと結び付けられてたらそれだけで注目されてしま
モブ自意識過剰だと思ったなお前
バカ炎上させたいやつや人に絡みたいやつはモブとか関係なく絡んでくるわ

挙げ句特定好きな人たちが「オッ、こいつ香ばしいぞォ!特定してやるッ!」ってモザイクアプローチを始めちゃう
俺はやだよ一生ネット晒しモンなんざよ

アァ、でも原典じゃ芦は言葉反響するんだっけな
いずれこの叫びも芦から芦へ響いてバレちまうんだろうナ
俺は逃げられないのか

2018-02-25

ブコメ非表示捗る

 ブコメユーザー非表示機能存在を知ってからというもの、過剰と感じた罵倒差別的発言一部の人間の言動に対して所属全体への雑なレッテル張り(いわゆる主語がでかい)などを気が付いた範囲非表示にしているが、最近ではブックマーク画面で”人気のコメント(10)”となっているのに実際に表示されているのは5,6件という事も珍しくなく、非表示になっているそれらが実際にどういった内容か一々確認はしないものの、私の好まないであろうコメントに多くの人が同調していることに胸が痛み、腹も痛み、うんこを漏らしそうになった。

 日本大丈夫なのだろうか?(主語がでかい

 どのみち、私個人の肉体的精神健康経済状況は、日本の政治経済的行く末とあまり関係なく大丈夫ではなさそうである。せめてうんこを漏らさぬようにしたい。

2018-02-14

anond:20180214111957

案の定「何がしたいの?」って疑問に対して

文系理系を分けたのは」とか

文系数学から逃げたやつ」とか

本文の帰結部分を理解してないバカばっかりで笑うわ。


対立煽り所属意識レッテル張りをしたいんでしょうよ

2018-01-28

https://anond.hatelabo.jp/20180127215923

全く無意味論点逸らしの為のたとえ話。こんな粗雑な論に賛同が集まっている意味が解らない。


くだらなすぎるが同じことをやり返してやろうか?実に簡単な話だ。


一部の人間の行いを持って全体を判断する行為差別である。すなわち店が商品に防犯タグをつけたり監視カメラを設置したりすることは、客の大部分が泥棒ではないのにも関わらず、ごく一部の泥棒に対する被害妄想から、客を十把ひとからげに泥棒扱いすることと同義であり、到底容認できるものではない。従って監視カメラおよび防犯タグ偏見に基づく差別である



別に元増田がこういう主張をしたいと思っているわけではないが、やっていることはこのレベル詭弁である



陣営がこのような詐術に明け暮れてレッテル張りを論争と混同することは無益を通り越して有害である、即刻やめられたし。

2018-01-19

けんちん・F氏の文章面白い その2

続きです。

問題点3:自論に対して黙秘反論する人に対し「擁護するから黙秘反論している」とレッテル張りを行い間違いを認めない>

ある意味一番の問題点だと思う。(感想

反論、又は黙っているって言う事は同じ穴の狢だからだ!演劇界は腐ってる!ふじこふじこ」みたいなのが多いように見えます。(感想


例:ケ

文章①より引用

ついでに福岡演劇人の反応や如何、と久しぶりに彼らのTwitterを覗いてみたけれど、事件に触れているのはほんのわずか。自分たち業界事件としては、

日馬富士暴行事件並の大事だって言うのに、何なの、この他人事ってな態度は。 仲間意識で触れないようにしているのか、脛に何らかの傷を持ってるのか、

逆にパワハラセクハラ福岡演劇界蔓延してるんじゃないかと勘繰りたくなってくる。

<以上引用

推論のすり替えに、「知ってるヤツが黙ってる=福岡演劇界蔓延してる」の主語の拡大と、さらに「黙ってる=同じ穴の狢だ」というレッテル張りをしている。こちら、けんちん欲張りセットとなっております


例:コ

文章④より引用

として、FPAPの高崎大志の件をTwitterで取り上げた。これは被害者の近くにいた人物が、被害者本人の了承を取った上で告発したもので、公的に判明した稀有な例だ。だからこそ事例として引用したのであるが、

被害者の知人から名前を出すな」というクレームを頂いた。 本人の弁を聞いたわけではないのだが、どうも被害者は、過去名前出しをしたことを後悔しているらしいのである

(憶測しかモノを言えないのは、非難してきた人物が、詳しい事情を教えてほしい旨を伝えたのに、無視されたかである)。

こちらとしては、パワハラの明確な実例として挙げたかったのだが、これも結局は「被害者泣き寝入りしたがっている例」として扱わざるを得ないことになってしまった。

これでは福岡演劇界には、セクハラパワハラもない、と錯覚されてしま事態になりかねない。 そういう「平和演劇界」にしたい人間が、この界隈にはごまんといるのだろう。

彼らは躍起になってこちらを攻撃してくる。加害者がまるで被害者のように振る舞って、周りの同情を買おうとする。卑劣手段を取って、恥じるところがない。

<以上引用

FPAPの件を被害者の知人から名前を出すな」と頂いた

名前出ししている事を公開しているらしい

これでは「被害者泣き寝入りしたがっている例」になってしま

そういう「平和演劇界」にしたい人間ごまんといる

彼らは躍起になってこちらを攻撃してくる。加害者がまるで被害者のように振る舞って、周りの同情を買おうとする。卑劣手段を取って、恥じるところがない。

凄くない?コレ。もはやセカンドレイプだよね。「知り合いの名前を出すな」っていうしごくまっとうな指摘が(しか理由の想定までできているのに)

パワハラの明確な実例としてあげるな」っていう「攻撃」に彼の中で脳内変換されてさらに「卑劣」とまで言ってのけてる。

ちなみにこの後「ここで手を緩めるわけにはいかない。」って続きます。アンタ一体誰と戦ってるんだ?


その2に続きます

例:サ

文章⑤より引用

 むしろ、私を詐話師のように仕立て上げようとする野村行為の方が卑劣まりないものであって、ああ、やっぱりこいつも市原と同じ穴の貉だったのだなと感じざるを得ない。

<以上引用

これはちょっと説明が面倒になるのですが、順を追って見ていきましょう。

1:野村氏が2017年12月28日noteにて(https://note.mu/nomuramss/n/ncf6decc718eb

"翌日、市原くんから被害者の方への謝罪と、私に対して詫びるメッセージが届きました。どう返したらいいか正直わかりませんでしたが、とにかく被害者の方のことを思うと、私自身、

許せるものではない。一方でSNS上は罵声の大騒ぎになっている。「友人として、これからの誠意ある行動を期待する」という言い方で「死ぬな」という念を送るしかありませんでした。"

記述。(きちんと読めば「死んで被害者の人から逃げるようなことをするな」という意味合いときちんと読み取れます。私はそう受け取りました。)


2:けんちん氏が2017年12月31日mixiにて

"野村氏は、市原電話で「死ぬな」と言ったとか書いているが、はっきり言って芝居がかっていてかえって白ける。電話でどのような会話をしたのかを「公的な報告」として記すのなら、

本来は今後の対応をどうしていくかについて書くべきで、こんなプライベートな心情吐露を垂れ流してはいけない。まるで、泣きを誘って、市原の方が被害者的な立場に見えるように、

話を粉飾しているようにすら見える。 "さらに"野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである。 "と批判

ちなみに、この際、野村氏のブログのURLを貼り付けています

(この時点で、事実が誤認(作り話)されています野村氏は『市原に「死ぬな」と電話で言った』とは一切書いておりません。)


3:野村氏が2018年1月4日

"どこにも、電話で話した、とは書いていない。この時点で「死ぬな」という言葉さえ伝えていません。しかるべき捜査機関に調べてもらっても同じ結論になります

完全に、けんちん・F氏の作り話です。・・「話を粉飾」してるのはどっちだよ!"と反論

そりゃそうだ。書いてませんもの


4:けんちんくんが2018年1月9日

"確かに、「電話で」とは書いていない。「死ぬな」も「念を送」っただけで、そういう言葉を伝えているわけではない。 けれども私は、野村ブログリンクを貼った上で、

上記記述を書いているのである。粉飾する意志があるのなら、そんなことはするはずがない。常識的に考えれば、野村が「メッセージが届きました」と書いているのを

電話で会話したのだろう」と捉えたのだと分かるはずである。おそらく実際はメールか何かだったのだろうと推測するが、はっきり言って、そんな連絡の手段なんか、どうでもいいのね。

そして、「死ぬな」という直接の言葉を伝えていないという点も、私が問題としているのは、そういう心情を市原に対して持っていることをわざわざ文章化していることが

被害者の心情を全く理解していないではないかということなのであって、これまた「作り話」という批判は全く当たらない。 "

反論さらに、これ以下の文章野村氏を延々と罵倒侮辱する内容に。


いやけんちん君、間違いを認めようよ。

野村氏は「友人として、これからの誠意ある行動を期待する」って言葉で「死ぬな」って念を送るしかしなかったわけ。

それを「電話で「死ぬな」と言ったとか書いている」って書いたのは作り話でしょ?音声データとか証拠があるなら別だけど、あんの?

さらに、間違いを認めず「常識的に考えれば、野村が「メッセージが届きました」と書いているのを「電話で会話したのだろう」と捉えたのだと分かるはずである。」

と、見苦しい言い訳。わかんねーよ!(笑)どこをどう読んだらそう見えんだよ。


例えばね、君のその後の発言を汲み取って『市原氏に対して誠実な対応を望むにしても、「死ぬな」という被害者に見えかねない表現はいささか問題があるかと存じます

実際の被害者の心情を慮った表現をした方が良いかと存じます』って批判ならわかる。

だけど"「作り話」という批判は全く当たらない。"ってのは違うぜ。だって実際に「野村氏が電話で「死ぬな」って言った」っていう作り話してんだもんアンタ。


"野村ブログリンクを貼った上で、上記記述を書いているのである。粉飾する意志があるのなら、そんなことはするはずがない。"とか

"元日記のリンクは貼っているのだから不正確で誹謗中傷だとまで言われるものではないことは誰の目にも明らかだ。 "って書いてるけど

意思があろうがなかろうが、リンク貼ってようが貼ってまいが作り話はしたんだからさ、「記事を読み間違えましたごめんなさい」って部分はきちんと認めようぜ。


でもって、この野村氏の理論的な反論に対して色々あった結果(皆さんの目で見てください)"野村への「最低の人間」という評価も、これだけの条件が揃えば、

的外れとも言いすぎとも言えないと、確信をもって言い切れる。"と、こう結論付けている。

謝ったら死ぬ病気の方でしょうか。

唯一、けんちん君の肩を持つなら野村氏がこの後カッとなったのか「けんちん・F氏がウソを認め、ウソをついてもいいと主張。 」

と書いたのはマズいと思いますよ。そりゃ野村さん、あなた感想です。けんちん氏がいう通り事実じゃない。


大体以上です。


<終わりに>

再度の通達ですが、私は市原氏を知りません。人としては最低だと思います。それだけです。彼が演劇に携わって欲しくない、とは思いますがその権利は私にはありません。

九州・全国の演劇界は腐ってない」とは言い切れないけれど、「腐っている」とも思っていません。いい人も悪い人もいるのは演劇界に限った話ではありませんし、

一般社会よりはちょっと問題が起こりやす環境ではあると思います

私がけんちん氏をこのように批判するのは「破綻した理論レッテル張りを垂れ流し個人批判する」その語り口が気に食わないだけです。

市原氏、野村氏、泊氏、高崎氏、その他、全ての個人に対して擁護批判を行うためにこの記事を書いておりません。

そして、かなり批判的に書いてしまいましたが以前のあなたの論評が好きでした。本当に。願わくば、元のキレのいい文章に戻ってもらいますように。



と、ラブレターじみて終わったものの、どうしても書きたい事もあるので書いてしまます、ごめん。

これは個人の感想であり言いがかりなので、誹謗中傷じゃねえかって言われたら反論できません。

先に謝っておきます、ごめんなさい。


1.彼の文章って「●●と思われても仕方がない」「●●も同然じゃないか」っていう、自分意見世論であるかのような言い回し頻発するよね。

朝日新聞記事みたい。「政府」を「演劇界」に変えるとわかるよ!

(以下朝日新聞コピペ

政府は何もやっていない」→自分たち好みの行動を取っていないという意味

議論が尽くされていない」→自分たち好みの結論が出ていないという意味

国民合意が得られていない」→自分たち意見採用されていないという意味

「内外に様々な波紋を呼んでいる」→自分たちとその仲間が騒いでいるという意味

「皆さんにはもっと真剣に考えてほしい」→アンケート自分達に不利な結果が出てしまいましたという意味

「心無い中傷」→自分たち反論できない批判という意味

「本当の解決策を求める」→何も具体策はないがとにかく政府等のやり方はダメだという意味

異論が噴出している」→自分たちが反対しているという意味

「各方面から批判を招きそうだ」→批判を開始してください

「~なのは間違いありません」→証拠が何も見つかりませんでした

両国対話を通じて~」→中韓に都合の悪い行動はやめて中韓の言うことを聞け

「問われているのは~」→次に中韓市民団体に騒いで欲しいのはここだ

表現の自由報道の自由」→捏造記事)の自由偏向報道)の自由

人権尊重」→(中韓に有利になるように)人権尊重しろ

右翼」→自分たちにとって都合の悪いことを言う人


2.一々例えに映画とか小説を使うあたりが「ザ・映画オタク(通ではない)」って感じで気持ち悪い。

吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』の冒頭で提示された問題はそれである。とか

たとえ市原が消えても、第二、第三の市原が現れる。市原ゴジラだ。ただ倒せばいいというものではない。とか。

こんな駄文のダシに使われちゃ名作も浮かばれんわ。


3.聞いてもいない自分語りナルシシズム自意識過剰気持ち悪い

から「俺も昔あんたにセクハラされたって、#MeToo に書いてもいい♪」って言われたが、それこそ貴様ハニートラップじゃないか。とか

コメントの「もしもあなたのところに直接あいつらがコンタクト取ってくるようなことがあったら教えて。今度こそ、命に代えてでも守るから。」とか

「今回の件に絡んで被害者本人から説明を受けて、例えではなく、本当に嗚咽し、悔し泣きをした身だ」とかね。単純に気持ち悪い。


4.これ率直な疑問なんだけど、なんでそこまで九州演劇界を憎んでいるの?

単純に、九州演劇界はここがダメ、っていう根拠を、他の地域演劇界比較した形で

団体名と具体的事例で事実と推論を分けた形で読んでみたいです。ほんとに。

他の地域演劇界のいいところを教えて欲しいもんです。


現場からは以上です。  

けんちん・F氏の文章面白い その1

けんちん・Fさんという人物がいまして。

彼はmixiを中心に、様々な映画作品の論評を投稿しており、

その切り口は身内同士でズブズブになっている九州福岡演劇界をバッサリと斬るものが多く、たまに面白く拝見していたのですが、

どうにもここ最近、彼の文章の質が変わってきたというかちょっと見るに堪えないものになってきました。


彼がどのくらい影響力があるのかはちょっとからないのですが、このまま福岡演劇界ご意見番ヅラしてるのもちょっといかがなものだろうかと思いまして、

ここに、記述させていただこうと思います


<はじめに>

私は、市原幹也氏を知りませんが、様々な記事などを見る限り今後、演劇には関わって欲しくないと思います

但し、彼が演劇をやりたいと言う気持ち、思いを禁じる権利は私にはないと思います。(何故なら知らない人だから)  というスタンスです。

人を裁けるのは司法、又はその直接の被害を受けた人だけ。というスタンスです。そうじゃなきゃ私刑だよ。


目的

1.昨今のけんちん・F氏の文章論理的でない事を広く知っていただくこと

2.九州演劇界に対するレッテル張りが少しなくなること

3.彼の文章が今後理論的になり、もとのキレのよい論評をしていただく事

達成できるかどうかは別ですが、この3つを目的に書いていきたいと思います


引用文章

①あの市原幹也がセクハラ! ……って、誰?

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964252256

あなたが本当に「演劇人」なら、市原幹也を救おうとはしないはずである

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964295122

③今そこにいる、一万人の市原幹也

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964416782

セクハラパワハラは本当に止められるのか

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964577327

演劇センターFの解散市原幹也の雲隠れ

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964600688

不透明さを増す市原幹也と、藤原から野村政之らの卑劣印象操作

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964756079

記事数は多いですが、出来れば正確さのためにきちんと目を通していただければ、と思います


問題点

さて、早速問題点ですがけんちん・F氏の文章、大まかに分類すると3つの問題点があると思います

1.事実と推論を分けておらず、非常に読みにくく、推論を事実すり替えさら理論を展開する

2.主語を大きくすることで、拡大解釈レッテル張りを行う

3.自論に対して反論する人に対し「擁護するから反論している」とレッテル張りを行い間違いを認めない

それぞれ見て行こうと思います


問題点1:推論と事実すり替え

対象者の悪い印象ありきで文章が書かれており、

「AということはBなのではないか、BということはCなのではないか、Cは問題からAは非常に問題だ!」という推論に推論が重なった故の結論が、ソース不在の論理性に欠けるものが多い。


例ア

文章①より引用

一応と言うか、市原氏は、2013年をもって、アイアンシアターの芸術監督を解任されてはいる。のこされ劇場≡の活動もそこで中断し、実質、解散状態にあるようだ。

当時はその理由不透明だったが、こうした事件が発覚してみると、「そこでも何かやらかしたんだろうな」と判断せざるを得ない。劇団員に手を付けたか

ワークショップ参加者に手を付けたか、そんなところだろう。彼の不始末のせいで、枝光演劇フェスティバルが開催不能になり、枝光から演劇の火が消えてしまたことは残念だが、

事情事情なら仕方がない。 でももし本当に私の憶測が正しければ、枝光商店街はその時点で、彼の解任理由をきちんと発表すべきだっただろう。そうすれば、その後、

新たな犠牲者が出ることを防げたかもしれないのだから

<以上引用

要約するとこうなります

2013年アイアンシアターの芸術監督を解任、のこされ劇場≡もそこで実質解散状態事実

「そこでなにかやらかしたんだろうな」と判断せざるを得ない(推論)

劇団員ワークショップに手をつけたのだろう(推論)

彼の不始末のせいで枝光演劇フェスティバルが開催不能になったのは残念(事実のように記述だがソースなし)

憶測が正しければ、枝光商店街が解任理由をはっきりさせれば犠牲者は防げたかもしれない(推論)

2013年の解任と解散事実だが、そこの理由ははっきりしていない。にも関わらず、枝光演劇フェスティバルの中止を彼が原因かのように記述

そしてその後の被害発生の責任枝光商店街に一部求めている。

有名な言葉がここにあります。「なんかそういうデータあるんですか?」

枝光演劇フェスティバル市原氏の不始末で開催不能になった」

推論を並べ立ててもいいけど、そこに至った経緯、又は根拠を示さないと説得力ないよ、けんちん氏。


例イ

文章①より引用

自主的引退してくれるのが一番マシではあろうが、どこぞの議員みたいに、どこかにずっと居座り続けそうだよね。周囲もそれを許してしまいそうな気がする。

まりそれだけ日本演劇界がユルい社会であるということだ。それも日本演劇レベルが沈滞し続けている原因の一つかもしれない。

<以上引用

市原って居座り続けそうだよね(推論)

周囲も許しそうだよね(推論)

それだけ日本演劇界はユルい社会で、演劇レベルが沈滞する原因かもしれない(推論)

はっきり言ってウケる脳内妄想垂れ流してもいいけど経緯又は根拠を示さないと説得力がねえよ。


例ウ

文章②より引用

逆に言えば、なぜ市原幹也は別の道を選ばず、また彼の仲間もそれを勧めないのか、ということなのだ。市原だけでなく、彼の周囲の人間も、演劇を愛してはいない。

演劇に対する愛があったのなら、とっくの昔に、彼を制止していたはずだ。

<以上引用

市原演劇をやめなかった(事実

それは周囲の人間が別の道を勧めなかったから(推論)

それは周囲の人間演劇を愛してないから(推論)

データと経緯がないのは先の例と一緒。さらに、さも自分部外者かのようにけんちん氏は記述しているが、それ以前の文章に「悪い噂は流れてはいたようだ」とか書いてんだから

同じ論法だとアンタも周囲の人間に一人に入っちゃうよ。ブーメランだよ。

あと、文章③において

引用

彼は、市原舞台に出演していた当時、既に、「ウワサ」は聞いていたようである。けれども、面倒ごとに関わるのは嫌だと、市原意見することを控えてしまった。

そのことが、次の被害者を生んでしまったと気づいて、今、深く責任を感じてしまっているのだ。いじめ現場を目撃していながら見て見ぬふりをして、その結果、被害者自殺をしてしまった、

そのことを悔いるような心境になっているのだろう。もともと心が弱い方であるから、このショックは相当にキツかったと思われる。

<以上引用

一個前の論理で行くとこの人完全に「別の道を勧めなかった周囲の人間」に入るわけで「演劇を愛してはいない人」になるわけですけど。

知人と分かった瞬間この手のひら返し。まごう事なきダブルスタンダードです。


例エ

文章③より引用

 野村氏は、市原電話で「死ぬな」と言ったとか書いているが、はっきり言って芝居がかっていてかえって白ける。電話でどのような会話をしたのかを

公的な報告」として記すのなら、本来は今後の対応をどうしていくかについて書くべきで、こんなプライベートな心情吐露を垂れ流してはいけない。まるで、泣きを誘って、

市原の方が被害者的な立場に見えるように、話を粉飾しているようにすら見える。 野村氏もここですっかり忘れてしまっているよ、被害者女の子たちなんだって! 

死にたい」と思った女の子たちが、今も「沈黙」するしかない被害者たちが、いったいどれだけいるのか、それを認識していたら、

たとえ本当にそのような会話をしたのだとしても、申し訳なくて公表なんかできないって。 野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである

<以上引用

この文章には山ほどの問題点があるのだけれど、とりあえず推論のすり替えについて言えば

野村氏は、市原電話で「死ぬな」と言ったとか書いた(嘘だけどここでは事実しましょう)

まるで、泣きを誘って、市原の方が被害者的な立場に見えるように、話を粉飾しているようにすら見える。(推論・感想

野村氏もここですっかり忘れてしまっているよ、被害者女の子たちなんだって!(事実のように記述

野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである。(結論

ものすごいとんだ論法。あと、後述するけど「死ぬな」って言ってないしね。「死ぬな」の意味合いも違うしね。


例オ

文章⑥より引用

 いつでもどこででも、これだけ派手にやらかし続けていれば、福岡演劇人が、あるいは市原関係があった人々が、「知らなかった」人間ばかりのはずはない。

なのに彼らの殆どが、自分セクハラ行為とは無関係だと強調するか、全くの沈黙を守り続けるかのどちらかしかしないのがどうにも解せないのだ。

前回の日記にも書いたように、市原セクハラを知りつつ看過したことを恥じて自らを責めたのは、私の知人一人だけである

他の「知ってたやつら」は、今どこで、何をしてるんだよ。 中には、市原が誘ったか誘われたかで、一緒にセクハラ行為に及んだ演劇関係者もいるはずなのだ

市原はその人物名前を明かしてはいないし、本人が名乗り出て謝罪する気配もない。市原同様の行為に及んでいながら、今ものうのうと「演劇人」の仮面を被り続けている人物が、

福岡演劇界に居残り続けている可能性を否定できないのである

<以上引用

市原関係があった人が知らなかったばかりのはずがない(推論)

何故なら看過して自ら責めたのは一人だけだから根拠

中には、市原が誘ったか誘われたかで、一緒にセクハラ行為に及んだ演劇関係者もいるはず(とんでもない推論)

ものうのうと「演劇人」の仮面を被り続けている人物が、福岡演劇界に居残り続けている可能性を否定できないのである。 (結論

一緒に及んだ人がいる根拠を示せ根拠を。バックデータのない論理はただの言いがかりだぞ。

とりあえず、問題点1.に関してはここまでと致します。



問題点2:主語を大きくすることで、拡大解釈レッテル張りを行う>

彼の文章はよく「個人問題」が「福岡九州演劇問題」に主語が大きくなっているように感じます感想

福岡九州演劇界は腐ってる!」という意識根底根付いているのでしょうか(推論)


例カ

文章①より引用

自主的引退してくれるのが一番マシではあろうが、どこぞの議員みたいに、どこかにずっと居座り続けそうだよね。周囲もそれを許してしまいそうな気がする。

まりそれだけ日本演劇界がユルい社会であるということだ。それも日本演劇レベルが沈滞し続けている原因の一つかもしれない。

<以上引用

さっきも出てきた文章ですね。引退しない、が周囲が許しそう、の周囲の話になり、日本演劇会の話にどんどん主語が拡大していく。しかも推測なのに。

一泡沫演出者の話を日本演劇界に持ってくんなよ。日本演劇界迷惑でしょうよ。それなら一連の騒動が大物の米映画女優の話からはじまってんだから、「米映画界はクソだ」くらい言ってもいいんだよ?


例キ

文章③より引用

それどころか、事件発覚から十日余りが過ぎて、事態は早くも風化しつつあるような印象である。 いやホント、Twitterをずっと追いかけてみても、九州演劇人の間でも、ろくに話題なっちゃいないのである

2ちゃんねるちょっと取り上げられて、あと何人かがブログで「市原擁護」としか取れないような文章を書いている程度。何だよ、それ。 ジャーナリスト江川紹子さんが、セクハラ告発が相次ぐ世界の情勢を俯瞰しながら、

市原についても触れた文章を綴っているのは非常に貴重だが、それくらいだ。

<以上引用

個人個人発言しない事がいつの間にか九州演劇人全体の問題に。え、だって市原のこと知らない人も結構いるよ?

身近に被害者もいない九州演劇人はどういう声明出せばいいんだろう?もしも、具体的に声明を発表して欲しいのにしてない人がいるならその人に言いな。

自分が知ってる演劇人発言しないからって、責任演劇界演劇人全員に持ってこないでくれる?


例ク

文章③より引用

九州演劇人たちが、沈黙するか、あるいは市原擁護に回った理由はそこにあるのだろう。 やはり「同じ穴の狢」を追及することができないでいるのだ。

指導と称して、セクハラパワハラが当たり前の世界に堕してしまっているのだ。もしかしたら、九州演劇界だけでなく、全国的に。

<以上引用

目の肥えた読者さんなら「あ、推論が置き換わってる」と感じ取れたかと思います

さらにいつの間にか全国の話になってますね。おお怖い怖い。

さら引用

 どの世界にも、同様の問題はあるだろう。けれども演劇界特に腐っている。仮に日本演劇人が全部で二万人いるとしよう。

そのうちの半分が加害者で、半分が被害者になる。そう考えてもらった方がいいくらい、どいつもこいつも腐っているのだ。

<以上引用

「なんかそういうデータあるんですか?」

君の知ってる演劇人に腐ってるやつが多いのかもしれないけどその井の中のレベル日本演劇界の話に拡大しないでくれるかな。ちゃんと統計取った?

主語の拡大はもう少し散見されるのですが、周囲はどこまで責任を持つべきか、というのには正解が出しにくいため

個人的に「明らかにデカすぎない?」と思うもののみ掲載しました。そのほかは是非皆さんで探してみてください。


その2に続きます

2018-01-14

ドヌ―ヴ文書の訳に関する堀茂樹さんの言及コメしたら…

1) https://anond.hatelabo.jp/20180114045429 文書訳についての堀さんの解説(訳したのは私ではない)。

2)これに以下(2)のようにコメントした。

3) そしたら間もなく、twで次のような発言をなさった。https://twitter.com/hori_shigeki/status/952471781528367104 

4)これが私のことを言っているのか分かりませんけど、その可能性を考えてお応えを書きました(4)。

でも、まさか、そんなはずありませんよね。堀茂樹さんのような方が、根拠も示さずいきなり人をバカ扱いするような傲慢な真似をされるはずありません。(*^^*)

ちなみに私は、自分の頭がいいとは思っていないし、ドヌ―ヴ文書を「こきおろす」つもりもありません。

悪い頭で一生懸命考えて、この文書必要明解さや整合性に欠けている、と判断し、それを筋道立てて提案しました。それだけです。

また、文書執筆し、発表した女性たちの勇気には敬意を感じます

2.おっしゃる通り、「la galanterieギャランリー」には、ドアを開けてあげるなどの女性への「礼節」と誘惑の両義がありますが、それでしたら、この語を「女性に対する慇懃な振る舞い」とか「レディーファースト」と訳すのも誤りですよね。これだと、日本人にとっては「ドアを開けてあげる」「席を譲ってあげる」などのイメージしかなりません。それを男性優位性にのっとった攻撃批判する極端で過激フェミに、ドヌ―ヴたちは反対しているのだ、という印象を与えますが、これは不公平です。もっと曖昧に「女性に対するお作法」でどうですか。それか、注でもつけて説明するしかありません。ところで、「そこにごく淡い艶(つや)が伴っていれば」の「淡い艶」って何ですか?ドアを開けながら、女性をじっと見つめることですか?「あなたれいですね」とボソっという事ですか?どちらも下心がないとは言い切れません。他人が書いたもの理由にその人を褒めたり、貶したりする前に、テキストをじっくり読まなければならないとも思いますが、そもそもこのテキストはもともととても曖昧で、整合性に欠けたものです。多くの語義が曖昧で、何が言いたいのか分からない。いくつもの主題がとびとびになり、また混合し、一貫性があるのかないのか分かりません。彼女たちの判断を示す文がどのようなニュアンスを含んでいるのかも曖昧です。部下や自分学生の膝を触ったり、唇を奪おうとするのは、「女性に対する慇懃な振る舞い」なんですか?「男尊女卑的な攻撃」なんですか?最も重要なのは、それぞれの言説がどのような現実還元されるべきなのか、という断定ができないことです。それというのも、執筆者たちが具体例を挙げていないからです。だから、それぞれの読者がめいめいにそれぞれの現実還元して、擁護したり批判したりしているのです。そして、日頃フランスで性暴力やしつこい誘惑に悩まされている女性にとってはかなりの確率自分達を傷つけるテキストです。このテキスト痴漢の件は、バスで裸の男性器を押し付けられ、2年間バスに乗れなくなった人を傷つけましたし、嫌だと言っても追いかけて来る半ばストーカー的なフランス風ナンパ擁護しているのではないか、とも危惧させます。これらを、職場上司業界権威者自分先生にされる時はまた格別に深刻です。フランスでは客や、自分学生大学でも高校でも)、部下を口説くことって大して問題視されてこなかったですから。ともあれ、このテキスト不明瞭さがあまり問題にされないのが、とても問題だと思います。色々なフランス専門家たちが、このテキストをどう読むか、で色々な議論を交わされているのですが、そもそも一貫した読解に耐えうるテキストなのか、を問うた方がいいと思います。このことは翻訳にも影響します。翻訳とは、文脈や論旨の一貫性やその他の背景を参照しなければ、非常に困難な作業ですから

4. 私のことを言っておられるのであれば、根拠を示さず「望ましくない態度」と批判するのはレッテル張りです。じゃあ、例えばimportuner★とはこのテキスト執筆者たちにとってどういう意味なのですか?この語が分かりにくいと感じたのは私だけではありません。事実le mondeが辞書的な語義を解説するに至っていますhttps://twitter.com/deja_lu ネット上でも解釈は分かれています。例えば路上で知らない女性ナンパすることを考えてみましょう。①女性ナンパ目的Bonjourと声をかけただけで、例えその後彼女を煩わさなかったとしても、importunerになる。②Bonjourの後で、女性無視する、あるいはあっち行ってください、と言ってもナンパを続ける。どちらに解釈するかで、このテキスト意味合いが大きく変わってきます。①の場合、確かに、「ノーと言う自由」はこのimportunerする自由がなくては成立しないと言え、また彼女たちが批判するフェミニズムはより過激ものと言えますが、その場合、「drague insistante★★」擁護との整合性は?②であれば、「ノーと言う自由」がimportunerする自由がなくては成立しないと言うのは、詭弁です。なぜなら、「ノー」を無視して誘惑を続けることは、「ノーを言う権利」を半ば侵害しているからです。「il faut savoir répondre à cette liberté d'importuner autrement qu’en s’enfermant dans lele de la proie★★★」は具体的に何をしなければならない、ということなんですか?①の場合はノーと言えば済みますが、②の場合はどうすればよいのですか?また、路上でのナンパではなく、職場上司や逆らえない相手に誘惑された時は?それとも、この文章は①のケースのみ想定しているのでしょうか。そうではないでしょう。②の場合や、「ノー」と言えない状況で誘惑された場合、誘惑する方が悪いのに、どうしてされる方が何かsavoir répondre★★★★するための能力努力を求められねばならないのですか?以上の2点だけでも、私は曖昧不明瞭だと思いました。とても重要な点なのに、です。解答をお持ちでしたら、ぜひご教示いただきたいです。

★importuner:うるさがらせる、嫌がらせ

★★しつこい誘い、ナンパ

★★★獲物の役割に閉じこもる以外のやり方で、この嫌がらせるimportuner自由に応える能力がなければならない。

★★★★応えることができる(能力がある)

anond:20180114045429

https://twitter.com/hori_shigeki 私のことを言っておられるのであれば、根拠を示さず「望ましくない態度」と批判するのはレッテル張りです。じゃあ、例えばimportunerとはこのテキスト執筆者たちにとってどういう意味なのですか?この語が分かりにくいと感じたのは私だけではありません。事実le mondeが辞書的な語義を解説するに至っていますhttps://twitter.com/deja_lu ネット上でも解釈は分かれています。例えば路上で知らない女性ナンパすることを考えてみましょう。①女性ナンパ目的Bonjourと声をかけただけで、例えその後彼女を煩わさなかったとしても、importunerになる。②Bonjourの後で、女性無視する、あるいはあっち行ってください、と言ってもナンパを続ける。どちらに解釈するかで、このテキスト意味合いが大きく変わってきます。①の場合、確かに、「ノーと言う自由」はこのimportunerする自由がなくては成立しないと言え、また彼女たちが批判するフェミニズムはより過激ものと言えますが、その場合、「drague insistante」擁護との整合性は?②であれば、「ノーと言う自由」がimportunerする自由がなくては成立しないと言うのは、詭弁です。なぜなら、「ノー」を無視して誘惑を続けることは、「ノーを言う権利」を半ば侵害しているからです。「il faut savoir répondre à cette liberté d'importuner autrement qu’en s’enfermant dans lele de la proie」は具体的に何をしなければならない、ということなんですか?①の場合はノーと言えば済みますが、②の場合はどうすればよいのですか?また、路上でのナンパではなく、職場上司や逆らえない相手に誘惑された時は?それとも、この文章は①のケースのみ想定しているのでしょうか。そうではないでしょう。②の場合や、「ノー」と言えない状況で誘惑された場合、誘惑する方が悪いのに、どうしてされる方が何かsavoir répondreするための能力努力を求められばならないのですか?以上の2点だけでも、私は曖昧不明瞭だと思いました。とても重要な点なのに、です。解答をお持ちでしたら、ぜひご教示いただきたいです。

2017-12-20

患者の周囲の人間は全員医療スタッフである洗脳したい無能たち

https://news.yahoo.co.jp/byline/miwayoshiko/20171218-00079439/

骨折糖尿病が「その人」そのものになってしまったとは、通常考えられないでしょう。しか精神障害精神疾患では、病気が「その人」そのものになってしまたかのような受け止め方が、未だに一般的です。なぜでしょう?

「出たよ、この喩え」という感じで思わず笑いすら出た。

精神医療関係者は必ずと言っていいほど外科内科患者の喩えを持ち出す。

この喩えにおける関係性は「症状を生む行為者としての『病気・外傷』と症状が影響を及ぼす対象者としての『患者』」という登場人物で完結しており、看護介護をする『他者』は付帯的な要素としてその関係の外にいる。

精神病を同じように喩えるならば「症状を生む行為者としての『病気』と症状が影響を及ぼす対象者としての『患者』、症状に影響を受けた『患者』が行為者となって危害を加える『他者』」というものになる。

精神病における『他者』は付帯要素ではなく、登場人物から切り離すことができない。

怪我や病気を嘆いて周囲に当たり散らすという行動はどちらにもあるだろうが病気と直接的な関係はなく、病気で単純に高まった攻撃性や抑制の利かない感情衝動による言動というのは後者しか見られないからだ。

にもかかわらず、精神医療関係者はこれを完全に混同して語る。

根本的な話として、上記擬人化あくまで「喩え」であって「どんな怪我や病気にも人格はない」し、「行為者」にもならない。

怪我をした経緯や病気になった経緯について、あるいは当人の過失や自己管理云々といった話が出てくることもあるだろうが、それは怪我や病気によって引き起こされる諸々に関する話とは全く別であって、実際はどこにも「行為者」がいない以上、怪我や病気のものやそれを患った患者責任など発生しない。

しかし実際に自らが「行為者」となる精神病患者は違う。

たとえその行為病気に起因していようとも行為者はどこまでいっても「患者自身であるのに、精神医療関係者はその言動責任帰属先を「病気」にしようとするのだ。

帰属先の人格存在しないのに、それを当然の論拠のように語る彼らに「言動責任行為当人帰属する」という当たり前の話は通じない。

原因はどうあれ、加害者行為者であり、被害者はそれに晒された人間であるのに、彼らはそれを否定するところから話が始まる。

患者理不尽に晒された人間(主に家族からの話を聞く際に「それは病気の特徴です。それも病気の特徴です」など、「どう対処すればよいか」の話ではなく「病気の症状の答えあわせ」からまり病気がどんなものなのか理解していない」という無理解レッテル張りに繋げるというパターン殆どであるため、彼らとの話に意義を感じなくなり患者孤立を深めるのだが、それを自覚している精神医療従事者の話を聞いたことがない。

どこまでも「医療サービス従事者」の延長上で考え、「患者感情をもって接し、生活仕事を共にする人間」への認識が決定的なまでに欠落している。

晒された理不尽・それを与えた患者に対して当然沸き起こるであろう怒りや悲しみを彼らに否定され、更にその「精神医療従事者の無理解」に対する怒りや悲しみを抱えることになった人間がそれを彼らに伝えても、彼らは前者として八つ当たり扱いし表向きは聖人君子よろしく「全て受け止めますので私達に吐き出してもらって構いません」と臆面もなく言うのである

患者自身にとってはカウンセリングや投薬判断など重要役割果たしているのかもしれないが、それ以外は何の役にも立たないどころか害であることすら珍しくない彼ら。

今日もどこかで「家族の方とお話をしたい」と無意味な呼び出しをして「全て受け止めますので私達に吐き出してもらって構いません」と独善的台詞を吐いている無能がいるのだろう。

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