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はてなキーワード: どっとはらいとは

2024-03-20

ATMリーマン、マジ家畜

寝る以外は一日中働いて、オフィスだか何だかとにかく1箇所一定人間関係の中で、20年も過ごしたら人として終わる。仕事仕事仕事さえしてたら安心?ブッブー!

どんなに専門的でもそれも経年劣化するし、なんならAIのが賢いし、仕事だけしてたとしても全然ダメ

例えば、定時後とか休日にくだらねえコンテンツみたり、友達遊んだり、子供作って子育てを「自分で」してれば自然と身につけられる社会の変化に置いていかれる。致命的にズレる。コンプラハラスメント問題起こす、売れるもの作れない、海外に置いていかれる…。

そりゃ、正直仕事だけしてるのは「人間」じゃないんだもの。人として生きてる生物には勝てないよ。インド子供5人いて今は月収五万だけど一族に囲まれて美味いもん食べて仲間とクリケットやって子供育てて祭りで踊って祈って始終家族友達電話して親の介護までしてる奴に、お前は勝ててると思う?この先のインドの発展はすげえよ?海外旅行好きな女を腐して日経新聞日本語日本提灯記事だけ読んでっからわかんなくなるんだよ。

働くのは、人間という無駄の塊をやってる合間でいいんだよ。そちらが我々の本質なのだから

効率がいいと思って人をずっと働かせたら、人間性を失って、最終的には効率が悪くなったなんて。

この20〜30年の停滞って、仕事や金以外の価値が「下」「無駄」という価値から起きてるんだと思う。そして、無駄の最たるもの子供」の生産抑制したら、社会が終わってしまいました♪どっとはらい

2023-11-26

アイドルレコ大の夢を見るか?

話題になってからだいぶ時間が経ってしまった今更投下するのも何だが、レコ大の選定にYOASOBIの「アイドル」が入れなかったことについて、個人的考察を。

ネットはやはりオタクが多いせいか、「この超人気曲が入れないなんてオールドメディアブヒー!!!!!」というオタクらしい超近視眼的な話ばかりだったように思う。

実際のところどういう話なのかは想像するしかないのだが、落ち着いて考えれば「アイドル」がレコ大で触れられないのは当然なのだ

何故なら、「アイドル」は知っての通り「推しの子」というアニメのために作られた曲だからである

通常のタイアップ、例えばB'zの曲が「コナン」のエンディングに選ばれるのとは訳が違う。まさに「専用」な訳である

そうなると当然、曲の評価は元となる作品評価の延長線上に並ぶことになる。

他の曲からしてみれば、曲自体評価に加えて元作品評価も上乗せされた相手と戦うことになる訳だ。

これがかなり公平性を欠く事態であることは、冷静になればよくわかるだろう。別にアニメ蔑視という視点ではなく、そもそも別枠にするしかない訳である

また、「アイドル」の場合MVも「推しの子」そのものになっている。この辺りの権利関係の調整も困難なのだろう。

と同時に、これは「レコ大」という企画自体限界でもあったのだろうと思う。

タイアップを通り越した「ある作品の専用曲」を評価しようと思うと、その作品プロジェクト全体を評価するような形になってくる。それはもう「レコード大賞」の手に負える話ではない。

おそらくアニメソング、それもタイアップではない専用曲で、一般曲に迫り追い越すような人気曲が出てくること自体が、想定外だったのではないか

もうすぐ11月も終わり、レコ大紅白だと年末モード特番話題が増えてくる時期に、そんなことを思ってみる。ああ、ダメだ、うまいシメが思いつかないのでこれで勘弁。どっとはらい

2023-05-02

保険金請求窓口なんて安価コールセンター要員で成り立ってるからマニュアル通りの対応になるのはそりゃあ当然…保険なんか入れないような安い賃金で働いてる人間がなるべく給付されるようにご親切に動くはずなんかねぇのよ、と派遣同士で笑っとるわ

保険金請求書類だってろくに読まずに平気で不備だらけで出してくる気狂いに限って何で金が出ないんだってキレて喚き散らすんだよなぁ

お前が書類をきちんと読まず、揃える必要のある書類を出さず、こっちからの再三の要請無視してるからだが???と何度思ったことか

生保より損保の方がコルセン対応が楽だと聞くけどどうだろう。クレカ会社生保はどっちも似たようなもんだったな。悪い方向で。

そもそも保険営業の人たちも自分の売る保険商品のことは知っててもその他の保険周りのことなーんも知らんのよな

知ってるのは請求するための電話番号だけ

末端営業がコルセンに客から質問丸っと投げてくるのなんか日常茶飯

でも保険営業で食ってきたガチベテランのおばちゃんたちは全然違う

コルセンにかけたらどこまで解決するか、第一声どういう内容でかければ話が早いのか、そもそも請求の流れも把握してるから客にある程度説明もしてるからそういうおばちゃんの客はどういう電話をどこにかけて何を用意したら良いのか分かってかけてくるから書類手続きの手戻りもなくて給付スムーズ

こっちもそういうおばちゃん営業から電話がかかってくると、この人デキる…!ってなる。SVへの引き継ぎラインも見極めやすいし助かる〜

保険営業資格、めーっちゃくちゃ簡単に取れるから就活失敗したコミュ力ない若い女の子営業とかしょっちゅう入ってくるけど絶対頭の回転が早くて賢い人じゃないと続かないだろうなと思った

2年コルセンやってて営業正社員で入るか辞めるかって話になったけど絶対無理www自分コンプラ意識向上心ゼロっすわwwwwって思ったから辞めた

どっとはらい

2022-08-04

anond:20220804115111

むかしむかし、フェミニストには2種類がおった。

片方のフェミニストは、「価値ある『男性仕事』を女性ができないのはおかしい」と言った。

もう片方のフェミニストは、「『女性仕事』の価値が認められないのはおかしい」と言った。

両者は根本的な価値観が異なるので相容れなかったが、結局、支持を集めて生き残ったのは前者だった。

どっとはらい

2022-05-27

ある女のセクハラ体験談(追記)(更にいくつかの追記修正あり)

 現在ネット上で私に対する告訴をちらつかせている人物は、その人物の元・妻であると私が称したと主張している。しかし、文章修正の前も後も、私はそんなことは一言も書いていない。その点に関してだけは明確にしておく。

 2022/05/30告訴をちらつかせている人物がいるが、私はその人物の元・妻ではない。繰り返しになるが、最初から私はそのように称していない。本来ならば、セクシャルハラスメント被害者として、特定されたり好奇の目に晒されるような二次被害を防ぐために個人情報曖昧にして書いた。それなのに、告訴をちらつかせている人物からは「自分の元・妻ではないから、このセクシャルハラスメント被害の話は虚偽」と言われ、私は非常に苦痛を強いられている。痴漢冤罪ピックアップすることで痴漢被害者の声を掻き消そうとする人たちがいるが、それと同じことをセクシャルハラスメント被害者に対して行っていると、告訴をちらつかせている人物には自覚して欲しい。

 以下の話は、フィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。

SLAPP訴訟を準備している人に対する注釈ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 最初に発表した時点では無かった「実在人間団体事件には一切関わりは無い。」という一文を、上のとおり書き加えることにした。後に続く部分でも同じ書き加えをした。この、たったの一文を挿入することが、私には耐え難い苦痛だった。私自身のハラスメント被害を無かったことと、皆の前で宣言しろと言われているような気持ちになったからだ。私は今、トイレに行って嘔吐してから、この部分を記している。結局、あの頃と同じく今の私も、保身のために自分の主張を引っ込めたことになる。

SLAPP訴訟を準備している人への注釈・終わりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 元・夫が、ある場所で「離婚したとはいえ、元・妻が傷つけられるのは許せない。何らかの対応検討する」と言っていることを知った。この元・妻というのは、何を隠そう私のことだ。はてな匿名ダイアリーに書いているのだから、隠すも正体を明かすもないが。

 「傷つけられる」と元・配偶者が言っているのは、かつて私がある人物から受けたセクハラについての情報が広まって、私が心無い言葉を浴びたり、中傷される状態を指しているようだ。

 しかし、である

 今になって「元・妻が傷つけられるのは許せない」と言い出すぐらいなら、何故あの頃、言ってくれなかったのか。そう思って、元・配偶者ながら、というか元・配偶者からこそ余計に、私はゲンナリしている。

 私にセクハラをした加害者は、元・夫の仕事上で付き合いがあり、仕事以外のプライベート時間や場でも私たち交流が有った、私たちよりも年長の男である

 加害者は、私にセクハラしただけでなく、そのことを仕事仲間などに自ら話したりもしていた。懺悔としてではない。愉快な話としてである。つまりセクハラをされた時にだけでなく、その後にも継続的に、私は傷つけられ続けている状態に置かれていた。

 セクハラされた時、私は「そういうことは止めて下さい」と加害者に対して言ったのだが、私の憤りや恐れや嫌悪感情をまるで理解しようともせず、軽い口調で「ゴメンゴメン」みたいな感じで誤魔化されただけだった。今でも「もっと強い口調で言えば良かったのでは?」「いっそ殴ったり蹴ったり物を投げつければ良かったのでは?」「何故あの時、もっと適切な反撃ができなかったのだろう」と、自分自身に対して不甲斐無さを覚えて、自己嫌悪に陥ることが度々ある。

 さらに私が苦しむ原因になったのは、その頃は婚姻関係にあった現在の元・夫が、私の側に立ってくれなかったことだ。

 加害者から私がセクハラを受けたこと、それに対して私は憤りや恐れや嫌悪を感じたこと、加害者へは私に対する謝罪をするように要求して欲しいことを、その頃は夫であった彼に訴えた。それに対する彼の反応は「あの人も悪気があった訳ではない」とか「あの人は昔気質の人だから」とか「あの人は冗談のつもりだったのだから、怒るのも大人げない」とか、概ねそういった言葉だった。漫画寄生獣』でパラサイトと会話する主人公・新一が、昆虫か何かと話している気分に陥る描写があったが、私も新一と同じような気分だった。つまり元・夫は、加害者の側の人間だった。だったという過去形ではなく、であるという現在形で言うべきだろうか。

 会社勤めとか役所勤めの仕事などであればその組織に訴え出て処分要望するとか、金銭知識を持っていれば弁護士などに相談するとか、何かしら対処の仕方があったかもしれないが、私は上手いやり方を思いついたり実行したりすることは出来ず、そうこうしているうちに私たちは、元・夫と元・妻という関係になった。

 あの頃、彼は「馬鹿馬鹿しい話だ」と言った。近頃の彼は「これまでは馬鹿馬鹿しい話だから取り合わず放置していたが、いい加減、噂を広められて元・妻が傷つけられるのは許せない」と言っているようだ。私にとっては、あの頃も現在も、少しも馬鹿馬鹿しい話ではなかったのに。

 私の元・夫が「馬鹿馬鹿しい話」として放置できなくなったのは、決して私が苦しんでいることが理由ではないことを、私は知っている。元・夫が黙っていられなくなったのは、加害者の男が批判されているかである。元・夫は、あの男のことが大好きなのだ

 最近では、何処の業界職場でも大なり小なり、セクハラは良くないことであり、するべきではないし、セクハラをする人がいれば止めたり批判するべきであるという意識が浸透し始めた。私にセクハラしたことを愉快な話として吹聴していた加害者の男と、私を救ってはくれなかった元・夫が関係している仕事世界にも、少しは変化があった様子で、私に対するセクハラの話を愉快な話とは受け止めてはもらえなくなったと聞いている。

 このため、加害者の男は「大袈裟に話して誤解を招いた」と言うようになったらしい。大袈裟?誤解?私にしたことを、そのまま本人が言い触らして回っていたのに、いったい何が大袈裟で何が誤解なのだろうか。

 元・夫は、誰に対して、どんな対応をするつもりなのだろうか。私がされたセクハラの話を誰よりも他人に広めたのは、ほかならぬ加害者本人なのに。元・夫は、加害者批判したり止めたりしてくれなかったのに。まさか加害者批判する人たちに対して「元・妻が傷つくから許せない。セクハラについて語るのを止めろ」と言うつもりなのだろうか。仮にそうだとしたら、それを何故あの頃、加害者に対して言わなかったのだろうか。元・妻である私を救おうとしなかったことが知れ渡ると、元・夫としては困るのだろうか。

 セクハラ被害者が、セクハラ加害者に対する批判を食い止めるために、よりによって元・配偶者から利用されるという救いの無い境遇を知ってもらうために、理解してもらうために、自分気持ちを吐き出すために、はてな匿名ダイアリーに書いた。

 以上の話はフィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。最初に書いた時には、ここに「どっとはらい」という言葉を記したが、それは、めでたしめでたしという意味らしいので、この先の未来の私に少しでも幸いが有ればと願いを込めていたからだ。しかし今は、私は少しも救われなさそうだと理解したので、その言葉を消すことにする。

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追記修正2022/05/29

 このフィクション日記に書かれた人間関係が、具体的に誰のことを指すのかに関して、はてブで推察と特定が試みられている。それに対する答えのようなものを記しておく。

 以下もまた、フィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。

 私は、人物特定に関する推察を肯定否定のいずれもするつもりは無い。答えは無い。それが答えである実在人物団体事件には一切関わりはない。

 そもそも特定可能ならば、匿名ダイアリーに書いたりする必要は無く、私も現実世界対処しているはずだからだ。

 一次的なセクハラが反復的に行われていれば、それを例えばボイスレコーダーで録音するなどして証拠を固めて私も反撃できただろうと思う。しかし、一次的なセクハラが突発的・単発的なものであった場合被害者は驚きやパニックなど心理的な硬直状態に陥って、証拠固めなど実行できずに終わることが多い。たとえ複数回継続的に行われるセクハラであっても、被害者が恐怖心で萎縮するなどして理性的思考するのが困難な状態に陥り、やはり証拠固めをできないことは珍しくない。

 私に対するセクハラを愉快な話として加害者が吹聴していたという、二次的な加害行為に関しては、その話を聞かされた人たちの記憶にも残っている。しかし、一次的な加害行為のものに関する証拠が残されていない状態では、加害者が今になって主張する「大袈裟に話していただけで、事実ではない」という言葉を覆すのは、極めて困難だ。

 二次的な加害行為だけに関して言えば、それ自体セクハラなので、その被害司法機関などに訴え出ることは理論的には可能かもしれない。しかし、それを仮に私が実行したとしても、やはり加害者は「大袈裟に話していただけで、事実ではない。しかし、たとえ事実ではなかったとしても、愉快な話として触れ回ったことは被害者を傷つけた。だから、そのこと(二次的な加害)については謝罪する」といった、一見すると謝罪に見えるが、肝心の一次的なセクハラ行為については否定する言葉を述べるという手法をとるだけであろう。

 私が、何よりも加害者に認めて謝罪して欲しいのは、一次的なセクハラ行為についてなのだ。それなのに、加害者にとっての都合が良い主張を、それを覆す手段も持たないままに聞かされて、挙句の果てには「一次的なセクハラ行為については、認定が困難である」と公的結論づけられるかもしれない。そう考えると私は、とても精神的に耐えられない。もっと悪い方向に想像を巡らせ、加害者が「むしろ自分の方こそ、セクハラしたと誤った情報を流されて苦しんだ被害者立場だ」と、SLAPP訴訟などで私を攻撃してくるかもしれないとも思って恐怖すら覚えた。元・配偶者ですら助けにならなかったという、孤立感も私を動けなくした。

 こうして私は、自分が受けた一次的なセクハラ被害を決して忘れたわけではないのに、無力感や恐怖感から口を閉ざすことを選ばざるを得なかった。私が口を閉ざしているから、どうせ何もできないと高を括って「大袈裟に話していただけ」と言い張ることで、加害者は乗り切ることにしたのだろう。元・配偶者からセクハラと思われるようなことは無かったよね?」と誘導され、無力感孤立から沈黙することを選んだので、加害者が私のことを何もできない人間と値踏みしたのも無理はない。

 加害者の男は、私に対するセクハラを無かったことだと言っている。つまり、私に対して行ったセクハラの話は、加害者の男にとってはフィクションというわけだ。私を登場人物にして作り上げた、馬鹿馬鹿しいフィクションだ。

 ならば、と私も考えた。

 私が私自身にとってのフィクションを作ったとしても、特に問題は無かろう。今度は私のターンなのだから、私の周囲の人物登場人物として、馬鹿馬鹿しいフィクションを書いたというだけのことだ。柳美里作品とは異なり、人物特定もできないように最低限の配慮もしてある。人物特定ができないということは、私の受けたセクハラ日本社会でありふれた話なのだ。それに、加害者とは異なり、私は私のフィクション現実の周囲の人たちに言い触らしたりなどしていないのだから、私の配慮に少しは感謝してもらってもいいぐらいだ。

 世の中のセクハラ加害者たちは、私たちのような被害者たちが沈黙しているからといって、セクハラした過去を全く無かったことにできるなどとは思わない方がいい。京極夏彦の『姑獲鳥の夏』の中で、法的に罪に問えない人物に対して京極堂呪いを掛ける描写があったが、このフィクション呪いとして書いたようなものだ。呪いが在るのか無いのか私には分からないが。

 以上もまた、フィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。一つ目の追記を書いた時には、ここに「とっぴんぱらりのぷう」という言葉を記したが、それは、めでたしめでたしという意味らしいので、この先の未来の私に少しでも幸いが有ればと願いを込めていたからだ。しかし今は、私は少しも救われなさそうだと理解したので、その言葉を消すことにする。

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 2022/05/29さら修正して追記

 私は、自分が誰なのかも、文中に書いた登場人物が誰なのかも書いてはいない。私は誰それの元・妻ですとも書いてはいない。

 では何故、私はフィクションと銘打って、人物特定しない書き方をしたのか。それは、これが「普遍的物語」だからだ。被害者となる人間、なった人間は、私だけではなく誰でもあり得るし、加害者もまた同じく誰でもあり得る。被害者の側に立たないで、加害者の側に立つことを選択する第三者も、同じく誰でもあり得る。だからこそ、読み手に「これは自分のことを書いているのでは」と自問自答して欲しくて、自省を促すために、そういう書き方をしたのだ。そういう意味でならば、読み手に「自分のこと」という思いを抱かせる狙いが有った。想像力がある読み手ならば、性別を入れ替えたりセクハラパワハラに置き換えたりして、考えを深めてくれることだろうと淡い希望も抱いていた。

 しかし、それを「これは自分のことを書いているに違いない。だから自分に対する名誉毀損だ」と決めつけられて、法的な措置をちらつかせることで圧殺しようとする人間が出てくるとまでは思いもよらなかった。それはまるで『ホテル・ルワンダ』の公開に対して「これは関東大震災朝鮮人虐殺を描いていて、日本人を攻撃している。日本人に対する名誉毀損だ」と言うようなものではないか

 自分のことではないならば「この文章に書かれた人間同類にならないように、自分は気をつけよう」と省みれば済むことではないか

 私が「ある人物の妻ではない」ことによって、何故「私がセクハラを受けた話」まで無かったことにされねばならないのか。ルワンダ虐殺被害者でなければ、虐殺被害者ではないと言うつもりなのか。自分たち以外に、この社会構成している人間存在しないとでも思っているのか。

 仮に、ある痴漢事件冤罪により罪を問われている人間がいたとしても、それとは別の痴漢事件被害者に対してまで、被害を訴えたり加害者批判したとしていることを「これは冤罪で苦しんでいる自分のことを書いているに違いない」と決めつけて「痴漢冤罪を作るのは止めろ」と言うのは、いくらなんでもおかしいではないか

 セクハラを含めたハラスメント被害というものは、とても苦しい。それ自体が苦しい上に、顔や名前を出せば好奇の目に晒されて、さらに苦しむ。その一方で、その苦しみを誰か他人に分かってもらいたい、共感してもらいたいという思いも湧く。以前、はてな匿名ダイアリーでは「保育園落ちた、日本死ね!」という記事が書かれたということを知っていた。だから、ここでなら匿名を保ったままで、自分の辛い気持ちを吐き出して理解共感を得られると思ったのだ。

 それを今、私は「お前は自分の妻ではない。だから、お前のセクハラ被害の話は嘘に違いない。正体を暴く」と脅されている。理解共感を示してくれる人ばかりではないだろうとは予測してはいたが、まさかSLAPP訴訟によって口を塞ごうとする人が出てくるとは思わなかった。

 私は、私が救われるために、私自身の物語を書いた。私自身の人生尊厳を、無かったことにされたくなかったから。セクハラだけではなく、ハラスメント全体を減らしたい、無くしたい気持ちがあったから。たとえ過去自分は救われなかったとしても、未来の他の誰かが同じような苦しみを味わうことは防げるかもしれないと思ったから。

 「この文章自分のことを書いている。だから許せない」と言う人間は、私が私自身の話を書く行為について、許可や不許可を下す権限が有るのか。例えば「今、そんな文章を書かれると、自分が誤解を受けて困るから止めろ」とでも言うつもりなのか。では、私は、いつになれば声を上げることを許可されるのか。一年後か?五年後か?十年後か?その日は、やって来るのか?文章修正し始めて理解したが、そんな日が来ることはなさそうである

 この文章を書いた人間である私が、ある特定人間の妻ではないからという理由で、嘘つき呼ばわりされて、勝手に私の苦しみが無かったことにされるのは、極めて心外である

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 「実在人間団体事件には一切関わりは無い。」という一文を、苦渋の決断とはいえ書き加えたことで、私の文章から普遍性が失われた。私の文章を読んだ人間の誰もが皆、セクハラを含めたハラスメント問題自分自身のこととして受け止めて欲しいという思いから書き始めてアップしたはずの文章だったのに、今の私は、一部の人間をこの問い掛けの対象からは除外しようとしている。とんだ腰砕けだ。私は、セクハラを無くしたいと言いながら、土壇場になって、我が身かわいさの保身に走ったのだ。このクソみたいな自分自身のことを許せない。私にはセクハラハラスメントを無くすことはできそうにないと思い知った今、絶望しかない。

2022-02-07

磯部涼日本語ラップ史』とピテカンcakesについて

宮沢章夫NHKニッポン戦後サブカルチャー史』(NHK出版)を筆頭に、ピテカン誕生1982年3月

言われているのだけれど、磯部涼氏がcakesで連載していた『日本語ラップ史』にはそう書いていなかった。

例えば、2017年6月16日投稿された「中西俊夫NYアフリカ・バンバータを聴いた〜ピテカン誕生前夜」では、

1982年12月20日、(中略)突如現れたピテカントロプス・エレクトス

と書いてある。で、どっちが正しいんだろう、と思った。

このときは、cakes無料部分しか読んでおらず、ちゃんと読めばわかるかな? と思って有料会員に登録し、

日本語ラップ史』のピテカンに関する記事を読んでみた。

すると2017年5月26日記事、「戦後原宿の変遷〜セントラルアパート竹の子族、ピテカン」では、

82年3月、(中略)営業を始める。

となっている。ん? やっぱり3月? と思ったが、

2017年6月9日記事、「映画ワイルドスタイル』と原宿ピテカントロプス」の交接点」では、

83年12月渋谷区神宮前2丁目にオープン

と書かれていた。これはタイプミスなのかもしれないが、それにしても、と思う。なにしろ

「「日本語ラップ歴史」をはじめてひもとく」連載なのである磯部涼氏も2017年5月11日ツイッター

黎明期拠点となった原宿

と述べている。そういう場所にあって、ヒップホップだけではなく、アート演劇80年代

ロック等とも関わりの深いピテカン開業日すらぶれている、て、どうなんだろう。

どうなんだろう、と思ったので、その旨を先月(2022年1月ツイートした。そうしたら、なんと、

連載の記事ほとんど消えてしまった。2017年の連載以来、ずっとインターネットに漂っていた

磯部涼日本語ラップ史』から上記にあげた「中西俊夫は〜」も「戦後原宿の変遷〜」も

映画ワイルド〜」も全部、きれいに「記事存在しません」になった。

私のツイート全然バズったわけではない。0いいね、0リツイートだ(普段からそんな感じ。な、なによ!)。

から関連があるかはわからない。偶然、cakesサイトに異常が生じたのかもしれない。スクショとか魚拓もない。

から上に書いてある内容も、実際そう書いてあったか保証はできない(なにしろ記事が全部消えてしまったので)。

記事無料範囲キャッシュグーグルに残っていて、6月16日に「12月20日」と書いてあるのは読めたけれど。

私は別に、これが悪いことだとは思わない。記事の内容がちがっていることも、インターネット

連載されている記事が読めなくなることも、全然あることだ。でも、ああ、やっぱりcakesとかnoteかに

とっては、「史」だってコンテンツ」なんだな、と思いました。どっとはらい

2022-01-07

anond:20220107183045

おそらくそれは「達成感」を求めたがゆえなんだろうなと思ってる。

世界ゆっくりしか変わらないから、

女性差別をなくすための運動の「わかりやすい成果」はめったに出ない。

それこそ5年10年かけて少しずつ改善していき、そういえば昔よりはずいぶん生きやすくなったなあ……と、ある日ふと気づくくらいのゆっくりな速度でしか社会は変えられない。

でも、「活動家」はこのゆっくりとした変化のスピードに耐えられないんだろうな。

自分が達成感を得て、周りに誇れるような、わかりやすい成果を欲しがる。

それこそ獲物の首を掲げるハンターのような達成感を求めた結果として目をつけられたのが

表現物を取り下げる」という行為なのよ。

集団で抗議した結果として、大企業広告を取り下げさせるのは、さぞ心地よい達成感を得られただろう。

そうして得た「撃墜マーク」を増やして仲間内で共有するのは、さぞ誇らしかたことだろう。

そりゃ虜になりますわ。その快楽麻薬だもん。

そうして、すぐに結果の出ない「現実世界女性差別の解消」をおろそかにして、

どこかに燃やせる表現物はないかと血眼になって探し回るモンスター大量発生してしまいましたとさ。

どっとはらい

2021-07-31

anond:20210731180616

平方完成のやり方を知ってれば解の公式も覚える必要は無いよ

こっちの方が直感的に分かりやす

でも手順が面倒なので解の公式覚えた方が早い

どっとはらい

2021-06-18

anond:20210618164230

(この場合の「うんち」は恐らく「どっとはらい」と同等であろう)

2021-02-21

anond:20210221101218

実は「耳なし芳一」には続きがあるんだよね

芳一が耳をもぎ取られた話を聞いた隣村の琵琶法師

自分の耳も取ってもらおうとその場所に行って琵琶を弾いたら

平家怨霊が「この下手くそが!耳は返すから立ち去れ」といって追い払われ

その琵琶法師は耳が四つになりましたとさ。どっとはらい

2020-09-21

anond:20200921131721

🐬あたしドルフィンちゃん、いまあなたマンションのまえまで来ちゃった💖

増田君のマンション以外は風で飛んで隣町までいったという。

どっとはらい

2019-04-30

anond:20190430003107

むかーしむかしiPod nanoという商品の初代を買ってもらったんじゃ

昨日すてようとして一応下取り価格確認のためググってみたらアポーに連絡すればリコールで新品と替えてもらえることがわかったんじゃ

ググりは三万の得

どっとはらい

2019-04-06

anond:20190406150659

といってずっと休んでいるうちに

増田ちゃんKKOになってしまいましたとさ!

どっとはらい

2019-03-08

anond:20190308211418

どっとはらい」を終了の合図だと思ってる人いるけど「ドッと笑い」の意味で終了とは関係ないんだぞ

嘘だけど

東急ドットペイは

日本語読みすると「どっとはらい」であったがゆえに

始まる前に終わってしまった

2018-11-24

[]冬越え

からしばらくです。

10月の末から天気のいい週末を使って、めだかの冬越えの準備をしてきました。今日もなんとか晴れたので、まだやっていない水槽めだかを移動しました。移動というのが何かというと、東面水槽から南面の水槽めだかを移す作業です。寒くなってくると東側南側温度差が出てきます南側比較的に暖かいので、南側水槽めだかを移していきます。今年はサンルームとなっている物干し場にも水槽を確保しましたので、気分的に楽です。

めだかの命に貴賤はないと思うのですが、市場価格というものがありまして、冬越えに失敗したときに備えて、高めな価格設定の「幹之(みゆき)」は、家の中の水槽避難してあげたくなります。というかすでに白メダカ水槽で死亡案件が出ております。やっぱり東面の気温低下は想像以上のものなのでしょう。南側避難させて正解のはずです。

今日はしばらく放っておいたたらいを探ってみたところ、生き残った幹之が10匹と大きなヤゴが3匹上がりました。本日捕獲したヤゴはでかいです。近くのクモの巣には、赤とんぼ捕獲されておりました。こいつも我が家のたらいの水面を狙ってきたのだなと思いつつ、クモ君のナイスプレー拍手を送りたくなりました。

次回は室内水槽の立ち上げでしょうか。水槽台を工夫して玄関に置ける水槽の数を増やしてみたいと思いますどっとはらい

2018-10-04

anond:20181004210749

では、元増田のひとはただの誹謗中傷で、知らない人を根拠なく誹謗中傷している最下層に位置する下品人間ってことでいいですね。

よかったよかった。どっとはらい

2018-08-21

自分ブログTwitterを見に来る人はこんな答えの出ないクソウザ愚痴なんて見たくないだろうからこっちに書き捨てる。

会社破綻してからこっち、「自分は本当に会社員として、技術者としてやれていたんだろうか」という考えが頭から離れない。

40にもなって未婚でぼっち自分がやりたいと思っていることもなく、ただ今日平穏に終わればいいという自堕落な考え方で、それでもこれは(ただのPCヲタに過ぎない)自分が出来ることだからIT系技術者まがいの事を20年ほどやってきた。

やってきたつもりだったが、諸々の案件で、特にここ2年くらいの案件で、自分の至らなさを突きつけられ続け、挙げ句会社破綻したという状況に直面し、実は自分が「やれていた」というのは常識を遙かに下回る次元での話でしかなかったんだろうかと強く思うようになった。

思い返してみれば、自分は昔から当時はこれでいいと思っていても、後から考え直すと奇行、もしくは非常識しかないという行動をすることが多々あった。

こういう話をどこですればいいのか判らないので診断を受けたことはないが、発達障害か何かなんじゃないかと思う。話に対する理解力の無さなアスペ典型であるようにも思える。

自分はただのアホに過ぎず、本当に苦しんでいる人に失礼かも知れないが。

会社破綻したので失職者になり、今は転職活動をしている。しているのだが、次の職も技術者で本当にいいんだろうか。できていると思っているのは自分だけで、その実迷惑をかけるだけじゃないだろうか、その考えが頭から離れず、そのためもあってか色よい話はなかなか出てこない。

そして技術者をやめた所で、自分に他に出来ることはあるんだろうか。資金や持っているもの時間といった「所有者が無能でも価値があまり変わらないリソース」を供出することしか出来ない自分に。

首をくくるべきなのかも知れないが、その勇気すら持てない。

書き出したが結局何を言いたかったのか自分でもわからない。締め方を考えていなかったのでこれで終わり。どっとはらい

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