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はてなキーワード: むしろ邪魔とは

2020-09-30

anond:20200930214626

育休取っても戦力にならない男ばっかりだから別にいらないよ

むしろ邪魔から会社に行って稼いでこいよ

育休賛成してるやつもただ休みが増えてラッキーくらいに思ってんだろ?

2020-09-29

ネットは、問題解決しない方がメリット享受できる人が多すぎる

検索エンジン広告収入を得ている会社は、人々が注目する問題が起こる方がよい。

ニュースサイト広告収入を得るから、注目される問題が起こる方がいい。

旬が過ぎるまで問題解決しない方がよく、記事解決策だとか、落としどころだとか、そういった議論むしろ邪魔だ。

そして読む側も問題解決されることを望んでいない。これはヒドイwwwwwと言えればいい。


株をやってる人も、問題が起こって乱高下する方がいい。


企業コンサルも色んな問題が出てくる方がいいだろう。

2020-08-16

反出生主義って、反社会的勢力と同じなんだよな

最近流行りではあるんだがSDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)がもてはやされるように

社会というのは持続可能であることが、必須条件なんだよね

社会が持続するというのは何かと言えば、個々が子供を産み育てて代替わりをしていくことなわけで。

反出生ということは、子供を産みもしない、育てもしない、むしろ邪魔をする存在

から反社会的

カール・ポパー提唱した、寛容のパラドックスparadox of tolerance)もあるけど、反出生に寛容である社会が持続せず、途切れてしま

から反出生主義には不寛容であるべきなんだよね

2020-07-31

anond:20200731205807

なろうの時代でそんなこと言われても

みーんな似たり寄ったりの話ばかりなのに延々と消費されてんじゃん

どれだけバカになれるかを競っているのだから教養むしろ邪魔

2020-07-17

anond:20200717082129

あるいみとっくに政府と話し合いを持たれていてほぼ円満に休業に入ってる奴らを たすけるなんてむり。むしろ邪魔しちまう。だから こぼれた むりだったに 個別対応

2020-05-25

anond:20200525230920

元々魅力がない職場男性我慢して働いてるからだよ。

それの解決策に「女性我慢しろ」って喚く馬鹿は先に男を救う方法を考えろ


あ、すまん。ネットで喚くだけの馬鹿の助力はむしろ邪魔だわ。

馬鹿と違ってゼネコンは男女問わず現場作業負担軽減のために継続的投資してるからね。

2020-05-09

団結は破滅を生む。利益のために連帯するほうがいい。

バンドとかオーケストラ、あるいは劇団とか漫才師も同じだけど、別に一致団結しているわけではない。メンバーの発する音や言葉を注意深く聴きながら、互いに補い合っているので、同調圧力なんかはむしろ邪魔

ユニゾンあんまり面白くないし、儲からない。GAFAなんて典型的やん。

2020-04-03

anond:20200403171839

これ漫画とか映画とかの話なんだけど、過度のディティールってのはエンタメにとってむしろ邪魔なんだよね。

小説で言うと、「車から降りた」って言えば済むものを、「取っ手を引いて、ドアを開けて、そっと地面に降りると、叩きつけるようにドアを閉めた」とか言い出すとやはり字幅を取るし、字幅ととった分読みにくい文章になるし、テンポが悪くなる。車の降り方がキャラクター性格描写ストーリー進行に関係あるなら、もちろん描写すべきなんだけど、メインの進行に関係ない細かいことは基本的に省くべきだとされている。

 

ゲーム場合でも同じだと思うわ。

メインの面白さに関係ない要素だったら、生活表現はただの「縛り」になってしまう。

ただのメインの面白さにとって必要ない数字ステータスにぶち込んで、それを生活表現にしてしまうのはやめたほうがいい。

 

でも逆に言ったら、ゲームは詰め込める容量が漫画映画よりも圧倒的に大きいので、生活面白さの一部としてデザインすることはできるんじゃあないのか。

ff15キャンプで飯が食いたいがために美味しそうなご飯グラフィックに凝ったわけだけど、あれなんかはグラに凝ったり釣りに絡めたりすることで、キャンプ自体がメインを面白さだぞ、そうするぞっていう方針だったわけだしな最初から

あと思いついたのは、ブレワイだな。あのゲームは実はマックス回復さえ作っておけば他のアイテムのために料理をする必要はないわけだけど、大量のレシピが用意されている。レシピをみつけることが、あのゲームがメインの面白さにしてる世界探索の一部だったから、それで成り立っているし必要だと思える訳だね。

なんかそういう事を考えるべきなんだと思う。

2020-03-31

anond:20200331084138

専門家先生が、「キャバクラから感染者」っていうエビデンスに基づいて決めてるんだから

余計な詮索はいらなくない?むしろ邪魔じゃない?

2020-03-22

上手いけど270社落ちた人の話題出てるけど、今時の集団制作において超絶技能「だけ」ある人って不要というよりはむしろ邪魔なんだよね。ライン工にもできないし。

マネージやアートディレクションできないなら外注にした方がいいわけで。

2020-03-03

非モテ自虐をやめろ

非モテ自虐してる人、言うほど恋愛に興味ないし、なんなら今の生活に十分満足していて現実的には恋人むしろ邪魔、みたいな状況のことが結構多いんじゃないか

少なくとも俺はそうだった(今は彼女いるか過去形) 高校生の時とか友達とずっと非モテネタで盛り上がってたけど、当時はたいして好きな人もいなかったし彼女が欲しいと言う事実は正直なかった 

なんつうか、「別にモテないし恋人もいないのが当然(いてもいいけどどうでもいい)」って風潮の方が絶対ラクだと思う 

モテない」のダメ度が「バク宙できない」くらいのどうでもよさになってほしい

ロマンチックラブイデオロギーをつぶせ

2020-01-31

anond:20200131122106

1週間しか休みないのに北米なんて遠すぎて行けないんだよ。個人には個人事情ってもんがあんの。わかる?

あと職業柄、顧客の大半は非ネイティブなのでネイティブ英語むしろ邪魔になるんよね。なのでネイティブのtutorからネイティブのtutorに変えてもらった過去がある。

まあ比較検討せずに飛び込んだのはアホ、と言われればそれはそのとおりなので次回はカナダとかオーストラリアとかもっとちゃんと調べて計画的にやるよ。アドバイスありがとさん。

2020-01-21

anond:20200121191915

跪かせるという発想はなかった。

そう見えるのか。人間難しすぎる。

ちなみに持ってみると身にしみて分かるけど、

弱者属性なんて振りかざすところないし全然役に立たないよ。むしろ邪魔

本当はこんなの使わない方が全然良い。

2019-11-10

人を動かすにはその気にさせるだけで十分

エビデンスとかむしろ邪魔

偉い人が大きな声で扇動洗脳催眠を駆使すればいい。

2019-08-23

ここでこんなことしてる間に

努力して仕事成功したり、

いい女抱いたり、

仲間や家族と楽しく過ごしたり、

人生有意義に過ごしている人がこの世にはたくさんいる。

お前がここで無駄なつまんねー人生送ってる間にな。

お前は一生このままだよ。このままつまんねーゴミカスみたいな人生送って、誰から必要とされず、むしろ邪魔でいなくなってほしいってみんなに思われてて、死ぬんだよ。

ってか今すぐ死んでいいよ。

2019-07-29

乳か、尻か、それが問題

ある時期までは圧倒的に乳こそ本質であり全てという考えが支配していた。

年齢が上がるにつれて、やっぱり熟女の濃密な尻フォルムの良さに気づき尻に熱狂した。乳など飾りで、むしろ邪魔だとだと言い切った。

その後は定期的に乳の良さと尻の支持が交互に変化している。頭の中が二大政党制

最近はおなかのお肉も魅力的だよねという少数政党存在感を発揮している。

2019-07-10

anond:20190710004608

うーん、気持ちは分かるけど長い目で見たら損しかしない、と言うか危険だよそれ。

義父がいつまでも無条件でそういう態度を取ってくれるかどうかは分からなくて、

実子が産まれたら連れ子はどうでも良くなる・むしろ邪魔に思う、ってのもよくある話だし

そうなった時にお母さんは恐らく増田の味方はしてくれない、

それこそ家に居場所が無くなって高校卒業と同時に追い出される、なんて事になったら目も当てられないよ。

とにかく一人で生きていけるだけの力を身に着けるまではおとなしく義父に媚びた方がいい。死ぬほど嫌だろうけど。

大学出て定職に就けさえすれば後は何とかなるから

2019-07-07

女そんなに欲しいか

かに真剣になってるときむしろ邪魔にならない?

真剣ときフェラチオされたくなくない?

2019-05-11

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2019-04-14

UVERworld男祭り部外者が思ったこ

ツイッターUVERworld男祭り炎上しているという話を目にした。

検索してみると、なんとなくの流れを把握。

トークショーへの"応募条件はなし"

抽選では女性を"意図的に"ほぼ全員落とす

トークショー男祭りについて発表

しかも重大発表としてカウントダウンもしていた

男祭りバンド男性ファンとの約束であり悲願、という発言

ぱっと見なので、もしかすると詳細が違うかもしれないので真に受けないで欲しい。

ちゃんと調べて欲しい。

でもなんとなく、自分が見た感じはこう。

まー、炎上するよな、という内容。

男祭りずるい!!とかではなく、なんで女性も応募は可能にしたんだ?っていう話ですよね。

ファンではない自分が思うのだからファンの人たちはもっと思うはずだ。

ただ、ファンではない部外者自分が何より思ったのは、残酷だな、ということ。

④が特に残酷だと感じた。

まず男祭りとかやるのどうなの?という話だが、わかる。

男性だけのうおおおおおお!!という歓声の盛り上がり方は、確かに女性では出せないものだ。

逆も然りで、女性たちの盛り上がり方は男性には出せない。

から男祭りがやりたい!!というのはわかる。

!!!!みたいな、そういう雰囲気を味わいたいのだろう。

ただ、これが悲願というのは女性ファンにとってとてつもなく残酷なことだと思う。

これは好きなバンドの悲願に、自分必要とされていない、むしろ邪魔、という事実に他ならない。

女性である自分は、好きなバンドの悲願の中に混ざることができない。

そういうことだ。

なんで残酷なのだろう。

女性であるという自分ではもう余程のことをしないと変えようのない部分だというのに、それを好きな人たちにいらないと言われたようなものだ。

お金をつぎ込んだのに!!とかそういう話じゃない。

いや、そういう人もいるかもしれないけれど。

好きなバンドが望んでいた光景の中に、自分がいては駄目だという事実を、女性ファンはどう受け取ったのだろう。

ここで言いたいのは、男尊女卑!!平等しろ!!という話ではなく。

男女という肉体に違いがある以上、男女平等は無理なんじゃないかということ。

可能かどうかではなく、それを実現しようとする動きは大切であるのだけれど、やっぱり完全に男女平等という世の中は来ないと思う。

まれ持ったものが違うのだから、できることも違う。

違いがあれば、無理なことだって当然出てくる。

だってほとんどの女性には男性のような低い声は出せない。

出そうと思えば出るとか、声の高い男性もいるだろうが、大多数の話だ。

男女ではそもそも声帯の作りが違う。

まり女性という肉体に生まれた以上、内面がどうであれ男祭りという場の雰囲気を作ることはできない。

男性にも言える。

例えば、女性アイドル握手会があったとして。

そのアイドルが「男性の手はゴツゴツして嫌だ。女性の方が柔らかくて好き」と言ったとする。

それを公言するアイドル性格やばいのでは??という問題はとりあえず置いておくとして。

でも言ってしまえばそれも好みだ。

本人の好き嫌いは、倫理観等とは無関係のところから出てきてしま本能的なものだ。

「そう思うのダメだと思いますよ!」と注意して治るものではない。そう感じてしまうのだから

そして男性はもちろん、男性である以上、大抵の女性より手は骨太だろう。

自分男性であるというだけで、好きなアイドルから嫌厭されているということだ。

これに限らず、男性というだけで男性恐怖症の人からは怖がられてしまうし、逆に女性もそういうことがあるだろう。

ここまで言ってしまうと、男女に限らず、身長とかそういう話にもなりそうだ。

人間はそれぞれ生まれ持った肉体が違う。

性別はその最たるもので、人間をかなり大まかにわけることができる。

今回の炎上問題は、男女の身体の作りが同じにならない限り、これからもこういった性別に関連する問題は無くならないのだろうなと感じた話だった。

2019-03-30

尻が3つに割れているんだが

私がただ悲しさ吐露したいだけの話。

かにモノを申したり、主張したりしたいことは何も無い。おもしろ事件もない。読んでも楽しい気分にはならないと思う。

ただただ、日常の中でふと悲しく思うから聞いてほしい。なにも解決してないし、解決しようとする気力もない。

面白いことに、私の尻は三つに割れている。面白いことに、なんてつけたが、当人の私はまったく笑ってない。

ネタばらしをすると、「尻が三つに割れている」というのはあくまで「例え」であり、書いてる私のケツは無事なんだが、私の身体にはたしかに、「尻が三つに割れている」相当の人とは違う部分がある。奇形の類だと言われた。

ただ「尻が三つに割れている」にすり替えて書いたほうが、書く方も読む方も楽だろうと思ったので、ここでは私の尻が三つに割れていると思ってほしい。

そして、本当に尻が三つや四つに割れていて、悩んで生きている人がいたらごめんなさい。

本題だ。

普段は、尻が三つに割れていても(最低パンツだけ穿いてれば)服に隠れているから、普通人間のように生きている。

裸で鏡をみても、大抵前からしかみないから、尻が三つに割れていることま忘れて生活しているときも多い。

最近就職もして、仕事を頑張っている。

人と話して笑ったり、休みの日を寝て過ごしたり、一人でラーメン屋に入って、ラーメンをすすったりしている。

そんな日常を送っていると、自分の尻が三つに割れていることも忘れて、誰かを好きになったりもする。

でもふと、自分の尻が三つに割れていることを思い出して悲しくなってしまう。

ここからは、私の妄想である

私は処女だし、この身体を十何年も他人に見せていない。親にも見せなくなって等しい。(ちなみに、幼少のころは尻は二つだったらしい)たとえば、この先誰かを好いて、付き合って、いい雰囲気になったとしよう。私はそのとき初めて

「実は…私のおしりちょっと変なの…笑わないでくれる?」

彼(想像)「え…。おしりが? どんな?」

「あのね…三つに割れてるの」

彼は驚くだろう。ここで「冗談だろ」と笑う人もいるだろうし、私の面持ちに「ただごとではない」と思いながら、一生懸命神妙な顔をして聞いてくれる人もいるかもしれない。

笑われたら、当然傷つく。

恥ずかしくて生きてはいけないし、目の前の男も生かしはしない。

私という面白くてしかたない身体の女とまぐわおうとした、それが貴様の命運の尽きだ。

どのみち、私の身体に触れ、そしてその目で見れば、私の尻が三つに割れていることはすぐにわかるだろう。

もし相手初体験であったら、初めて抱く女の身体が、こんなだなんてかわいそうだ。という気持ちでいっぱいだ。

本当にかわいそうだ。私も悲しくてたまらない。

それでも、もし、私の心の修羅場も越えて、

私を抱いた勇者がいたとする。

私の尻について、必要以上に触れず、できたら前から私をみつめて「好きだ」と言ってくれる優しい人間。私のコンプレックスを一瞬でも忘れさせてくれる人間。だが彼は間違いなく、私の心の柔らかすぎるところを知るのだ。

さてそんな彼と私は、ある日喧嘩をする。

どっちが悪いとか、原因とか、そういうことは関係ない。口喧嘩とは、勢いの勝負である。そこに正しさや論理的思考必要ではない。むしろ邪魔だ。ただ口を回し、相手精神を削り、相手言葉につまらせたら勝ちである。私はあまり得意ではないが、殴り合いの喧嘩もっと得意ではない。そもそも勝ち負けなんてつけずに、落ち着いて話しあえばいいのだが、それは第三者言葉に耳を傾ける冷静さが、二人に必要だ。

一度冷静を失えば、相手を傷つけてやろうと、心ない言葉がでることを知っている。

そのときは何も言わなかったが、「あの時こう言ったら、相手はとても傷つくだろうな」と思った一言を、「禁句」を、懐に忍ばせ、いざというときにグサッ!! と言ってしまう。または言おうと思っているということは、陰湿な私だけなく、世の中の20%くらいは考えるんじゃないかと思っている。

そして、私を深く傷つけようとして、カッとなった彼は言う。

「尻が三つに割れているくせに!!!

私は「今はそんなこと関係ない」と言うこともできず、言葉につまる。敗北だ。

だって尻が三つに割れているのは事実だし、それについて、彼に嫌な思いをさせてないか、ずっと後ろめたい気持ちでいる。

やっぱり、イヤだったんだなあ、と私は悲しくなる

きっと彼が人類の中でも優しくて気遣いのできる部類だということは、私とのセッ◯スを成功させている時点で証明されている。それでも私が傷つくと知ってなお、彼がいつか禁句を口にしない保証はまったくない。

もし私に言わなかったとしよう。しか他人にはどうだろうか。自分が抱いた女の尻が三つに割れていたなんて面白い話、人に話したくてたまらないではないだろうか。

酒の席の勢いで、もしくは「昔のことだし」という謎の時効制度で。「尻が三つに割れてる人間とセッ○スしたことあるんだけど〜」と他人に教えてはいけない。などと酷な話だ。

その場は私の尻が愉快という話で盛り上がるだろう。たとえ尻の話は面白くなくても、セッ○スの話はそこそこ注目を浴びるのだし。知らないところで自分の尻の形を笑われるのはなかなかキツい。それを疑うのもつらい。

あいつの乳首めちゃくちゃ黒かったわwww」とか

「この前抱いた女、アソコが激臭だったwwwww」とか

あいつのちん○ポークビッツwww」

て影で言われるようなものだ。つ、つらい。自分の力ではどうしようもない所だし余計に辛い。それを決死覚悟晒し挙句がそれだと思うとつらい。

つらいか妄想はここで終わろう。

 私は誰かの前で裸にならない限り、誰かに尻を触られない限り、普通人間みたいに生きられる。本当は誰かと触れ合いたいのだが、それについて私の身体は、精神的なリスクを負っている。

 この前整形外科ホームページを見た。

 この尻を治さないと誰ともセッ○スできないからだ。いろいろなメニューがあったが、そこには尻を小さくしたり大きくしたり形を良くするといったものはあっても、当然、三つに割れた尻を二つにしてくれるメニューはなかった。

 そもそも整形で尻の割れ方を整えるのは可能なのかもわからない。直せないと言われたらどうしようと思うと、つらくなった。私は整形外科のある場所も控えず、かかる金額見積もらずホームページを閉じた。

 私はまた明日の朝、自分の尻が三つに割れていることを忘れて生活して、たまに「このままずっと処女かもしれない」と考えて泣いている。

 ただそれだけの話。

2019-03-04

細かくルールを決めた話

税理士法人代表社員を務めてます

もともと勤めていた会計事務所の所長に後継者がおらず、有資格者だった自分に後を継がせてくれた形で法人設立して代表となりました。

代表となり、先代も自分のやりたいようにすればいいと言って頂けたので社風を変えたくて規則や慣習を多く削りました。

そうすると自分は30代で入社歴も下から数えた方が早いのでベテランさんは思う所があったらしく辞めていく人が続出しました。

ただしそれは幸いにも人材はすぐに補充できたため、私の目指したかった雰囲気にはベテランさんがむしろ邪魔だったので好都合でした。

私の取り入れたかったのは「自由」ということです。

それこそ最近話題の#KuTooのように服装など業務に直接関わらない部分は各人の裁量に任せるようにしました。

以前は慣習的にスーツネクタイと革靴、女性はお客さんに会うときは夏でもジャケットと決まっていました。

会計事務所顧問先の多くは中小零細企業スーツを着る業種はむしろ少ないので、こちらの服装にも無頓着なところが多いのです。

初めの頃はそう言われてもといった感じでしたが、1年もするとほとんどの職員がノーネクタイ、夏にはポロシャツで来る社員出てきました。女性陣も自分たちのラク服装をするようになり、オシャレを楽しむ職員もいました。そうは言ってもお客さんと接する仕事なので堅苦しくなく清潔感がある服装という部分は各々の守っており、お客さんからクレームは皆無でした。

また事務所内装も変えフリーアドレスとし、以前は外履きのままで外と内の区別が無かったのですが所内は内履きとしサンダルスリッパしました。

ちなみに自分スーツネクタイと革靴という従前のままです。代表という立場柄、その堅苦しい服装常識である会社やその他関係者に会う機会が多いためです。別に自分社会的意識の変化を望んでいる訳ではないので、単純に実利を取って社会迎合するまでです。そこで自由服装をするメリットなどありません。全く外出しない時はノーネクタイですが。

この変化を皆が受け入れていれてくれ自分としても満足しておりました。ある時までは。

法人賞与の時だけ明細を個別に手渡しします。面接というほどでもないのですが、1対1で職員意見を聞きたいためです。

所内が変わってから時間が経つにつれ、その面談の際に他の職員への不満が増えるようになりました。

それは、あのお客さんに会う時はネクタイをするべきだと思うがあの人は何も考えていない、とかスニーカーはいくらお客さんに会う日では無いと言えやり過ぎ、あの子のあのピアス社会人としてどうかといった服装のことからフリーアドレスだがあの職員がいつも同じ席、あの人が使った後の机が汚い、スリッパや靴のしまい方が雑といったものもありました。

そうするにつれて見てあからさまに不仲と分かる職員も出始めて職場空気が悪くなっていきました。

全体に向けてやんわりと注意を促しても当人には伝わりづらく、かといって直接言うと告げ口されたと言われては敵いません。

もう自分としてもこんな事で頭を悩ませたくなくなり、ある決断しました。それが細かく規則にしてしまうことです。

一気に決めてしまうと不審がられて不満が出ると思い少しずつ増やしていきましまた。

銀行員と会う時はネクタイをする、スニーカー禁止チノパンではなくスラックス女性は垂れ下がるようなピアスノースリーブ禁止といった服装面。

その他机は帰る際に必ず拭く、スリッパはこの向きでつま先を揃えて置く、イスの上に足を置かないといった小学生のようなルールも決めました。

そして実際この方が職員同士の不満が減ったのです。

自由と言っても各々のラインがあり、他人がそのラインを超えた自由行使していると、当人はそれを我慢と捉えてしまい不満が溜まるようです。

これはあくま自分職場の話でそういう職員が集まっていただけかもしれませんし、もともと堅苦しい服装ルールがあったからかもしれません。

社員からすれば自由ラクだと思います。ただ所内をコントロールしなければならない立場だとはっきり言って業務に直接関わらない部分はがんじがらめにしてしまった方が圧倒的にラクです。

自分としても不本意ではありますが、何よりも利益を出すことが大事なので、特に人材資産のこの商売では所内の雰囲気規則ルールで縛って職員には何も考えさせずに業務のみに集中してもらいたいと思った次第です。

2019-01-21

anond:20190120115814

公園遊具で遊ぶのって幼稚園かせいぜい小学校1,2年くらいまでじゃない?

それ以上だとむしろ邪魔遊具のないただの空き地の方がありがたかった気がする

2019-01-20

猫がかわいい

という感情がわからない。

ネットに流れてくる、これはなごむ、みたいな画像見ても何も感じない。むしろ邪魔

基本的動物嫌いなんで、近くにいるとめんどくさいみたいな嫌な感情が先にわいてくる。

猫がかわいいというのは万国共通らしい。

俺は人としてあるべき感情が欠けているんだろうか。

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