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はてなキーワード: 出版の自由とは

2019-07-18

anond:20190718115019

出版の自由メディア自由切り離して考える必要性

メディアスキャンダル主義に対する牽制にはプライバシー権とかの理屈でやりすぎに注意すりゃいいのに、メディア表現の自由はどうのこうのと言ってるようなのがね

2018-12-11

表現の自由

ザッシュ2号(@zassyu2_ero)が漫画家協会相手取り民事調停を行うという。

彼の主張はnoteにまとめられている。 → https://note.mu/tutakazura/n/n7d7d48a377d3 https://note.mu/tutakazura/n/n162e8bb5c9eb?creator_urlname=tutakazura

言いたいことは山程あるが、今回は表現の自由について少し検討したい。

いくつか彼の言葉抜粋する。

無修正エロ漫画を描き、出版し、販売し、所持できる。

・それが表現の自由出版自由

憲法に記されているし、文化芸術基本法にも記されていし、独占禁止法からみた商売としてそれが公平で公正な状態。。」

「②正常な状態の発表、法的根拠

エロ無修正で書くのが当然、憲法にも記されている。憲法違反の法律判例判決無視するべきだと憲法に記されていることを主張。」

果たして本当だろうか。

エロ無修正で書くのが当然、憲法にも記されている」おい、されてないだろ。

好意的解釈原則からいくと、表現の自由があるからエロ表現保障され、修正強制されることはない。だから無修正で書けるのが当然だ、ということだろうか。

では表現の自由とは、一体どういう自由なのだろうか。


表現の自由とその制限

日本国憲法第21条1項「集会結社及び言論出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」

ありとあらゆるすべての表現が許されるのだろうか?

もちろんそんなことはない。

ある芸術家が殺人こそ至高の芸術であり、表現である。そう主張し、殺人おかし場合、その殺人表現の自由として許されるかと問われたら当然否である

しかし、憲法は明確に表現の自由保障すると言う。

これを解く鍵の一つが憲法12条に規定されている。

この憲法国民保障する自由及び権利は、国民不断努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

いわゆる「公共の福祉である

最高裁判所のH5.3.16.の判決は以下のように言う。

表現の自由といえども無制限保障されているものではなく、公共の福祉よる合理的でやむを得ない程度の制限をうけることがあ(る)

端的に表現の自由絶対無制限ものではなく制限を受けるものだと喝破する。さら引用を続けると、

その制限容認されるかどうかは、制限必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限態様及び程度等を較量して決せられるべきである

まとめると、表現の自由から、当然にエロ漫画表現が許される、という解釈にはならないのである

では性表現制限されるのだろうか。すなわち、刑法175条に規定する「わいせつ物」に当たる場合刑法犯となってしまうが、そうならないように表現の自由保障が発揮されるのか、それとも制限されるのか。

最高裁はS32.3.13(チャタレー事件)にて以下のような判示をしている。

性的秩序を守り、最少限度の性道徳を維持することは公共の福祉の内容をなす


最判S44.10.15(悪徳の栄え事件)では

わいせつ性をもつ場合には、性生活に関する秩序及び健全風俗を維持するため、これを処罰対象とすることが国民生活全体の利益合致するものと認められる

としている。すなわち、わいせつ表現表現の自由による保障制限される類型であるとしているのである

これに対しザッシュ2号は

裁判所表現の自由重要性をわかっていない

・だから正す必要があり、それには世論の声が必要

という。

この主張は(ある意味で)ただしい

(ある意味というのは、わいせつかどうか(制限されるかどうか)の判断は「わいせつ性の判断は、一般社会において行われている良識すなわち社会通念を基準とし、当該作品自体からして純客観的に行うべきもの」(チャタレー事件とあるため、社会通念は重要である。また「作品等の芸術性・思想性等との関連において評価するなど、わいせつ概念相対性承認して総合的に判断しなければならない」という悪徳の栄え事件での田中二郎裁判官の反対意見があるほか、「性表現による害悪の程度と作品社会価値との利益衡量が不可欠である最判S58.3.8での伊藤正巳裁判官の補足意見などがあるため、世論一定程度必要であるが、一部の人間がモザイク反対! を叫んでも社会通念とは言えないだろう)。

しかし、裁判所がわかっていないという「表現の自由重要性」とは一体なんなのか。

これを本来は腰を据えて考えなければならない。そしてその自由重要性との関連で初めて、「エロ漫画」の表現への自由制限されないこと)が語れるはずである


表現の自由重要


ザッシュ2号は弁護士会声明 https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2009/2009_2.html を引用し、表現の自由重要性を主張している。

それを参照しながら、なぜ表現の自由重要であるか一度見直したい。

ザッシュ2号も引用する冒頭部は非常にわかやすい。

憲法21条1項が保障する表現の自由は、民主主義社会の死命を制する重要人権である自由民主的社会自由な討論と民主的合意形成によって成立するのであり、自由意見表明が真に保障されていることが必要である

これを受けてザッシュ2号は

ようするに表現の自由って超大事!って言ってる

と言う。コレ自体は誤りではない。しかしなぜ重要だと言っているについて注意深く読むべきである

この声明では「表現の自由は」「民主主義社会の死命を制する重要人権である」と言う。すなわち表現の自由重要性の一つとして「民主主義社会の死命を制する」という点をまず強調するのである

なぜ制するのか。これが次の文である

前提として「自由民主的社会」(=民主主義社会)は「自由な討論と民主的合意形成によって成立する」という。そしてそのためには「自由意見表明が真に保障されていることが必要である。」

まり表現の自由重要であるのは、「民主主義社会」という重要存在があり、その成立のためには「自由意見表明が真に保障されていること」が必要からだ、というのだ。((本当に民主主義社会重要であるのか、という点についての検討はここでは省略する。しかしこれを考えなければ、民主主義社会の成立のために表現の自由重要だという論理が成り立たなくなるため、本当は超重要である))

表現の自由大事だ! と単に言うのではなく、「民主主義社会」の成立のために必要から重要だ、と言っているのである

ザッシュ2号がさらに続けて引いた声明文を見ればわかりやすい。

民主主義社会における市民表現行為重要性に鑑み、市民表現の自由及び知る権利を最大限保障するため、

(1) 国、地方公共団体特に警察及び検察は、市民表現行為、とりわけ、市民政治的表現行為に対する干渉妨害を行わないこと。

(2) 裁判所は、「憲法の番人」として市民表現の自由に対する規制必要最小限であるかにつき厳格に審査すること。

(3) 政府及び国会は、市民政治的表現自由を確保するため、早急に公職選挙法及び国家公務員法などを改正すること。

「とりわけ、市民政治的表現行為に対する干渉妨害を行わないこと。」

という一説からも分かる通り、この民主主義社会の成立のための表現の自由というのは、もっぱら政治的表現自由のために用いられる論理なのである


勘の良い方はすぐに気づくだろうが、性描写わいせつ表現を「表現の自由から保護するべき、という論理を展開するときには、民主主義社会のために必要だという論理はあまりうまく嵌らないのである

もちろん、性描写わいせつ表現政治表現が一体化することはあるし、風刺的な表現にはわいせつ政治が混在することは多々ある。(トランプ安倍金正恩らの風刺エロ漫画があった)

また表現の選別を行うことは、結局政治的表現保護につながらないんだ、と主張することで、「民主主義社会のための表現の自由」論からも性描写わいせつ表現を要保護だと言うことはできる。

しかし、それでは弱い。

では何を重要性の理由として据えるべきなのか。

これは上記声明に、ちらり、と書かれている。

表現の自由は、人間本質的属性である精神活動を充足するものとしての重要

これである

表現の自由は「人間本質的属性である精神活動を充足するものであるから重要だ。これは性表現との親和性が非常に高い。

エロ漫画表現擁護するならば、どちらの論理の方が優れているか。明白だろう。

性的活動人間の根幹に存在し、有史以来、それを表現したものーー性的表現は幾度とない弾圧規制の中でも確かに存在してきた。その表現は人の精神活動の大きな一翼を担っているのである

そして表現活動において、自己表現に対し一部モザイクを付さねばならないことは、十全な精神活動を阻害することになる。

このような主張になるだろうか。

そして、こうして表現の自由がなぜ重要ざっと見た(あまりに表面的というのはそのとおりである)だけで気づくことはいくつもある。

少なくとも、表現の自由から直ちに無修正が当然」となるわけではない、ということ。

表現の自由から無修正であるべき」という主張を通すのならば、それなりの論理必要だということ。

そして、重要権利でありそれの保護必要だということだけではまだ足りないのであるさらに、より具体的になぜ現在制限が駄目なのかを主張しなければならない。

ザッシュ2号は、行動するのがまず大事だと言って、このあたりをあまりにおろそかにしているように見える。

行動は確かに最も重要ではあるだろうが、一度立ち止まって理由を考えるのも大事だと思う。

2018-06-07

anond:20180607004337

考え直したけどやっぱり出版差し止めしてもおかしくねーわ

あの本の内容が与える被害出版の自由とかいう限度超えてる

精々歴史的史料としてとっておくのが限界だわ

2017-12-11

熊谷千葉市長の主張する、表現規制についての正当性について

 熊谷千葉市長は千葉市が行った、コンビニにおける成人向けコーナーについて、これの表紙にカバーをかけることを要請するという行政上の行いに対し、民主主義プロセスによって決定されたものであり、この要請は正当なものであると主張している。

 また、その要請を端緒として決定されたイオングループにおける成人誌等に関する流通規制について、これは民間独自に行ったものであり、表現規制という批判は当たらないと主張している。

 以上のことについて反論すべくつらつら書いたのが、書いたら満足してしまった部分があるので、増田にて放流することとした。 

 五千文字以上の乱文を読むことは骨が折れると思うので、主たる主張を始めに書く。

 

 まず、民主的プロセスのみを根拠として表現規制を行うことは肯定することには大きな問題がある。

 表現規制を行うのであれば、表現の自由の重大さから鑑みて、単に民主的プロセス正当性のみではなくそれ相応の慎重さが求められると考えるが、千葉市が成人向けコーナーの雑誌に対しカバーをかけることについて民間要請するにあたり、慎重に取り扱ったという証拠は今のところ提示されていない。

 またイオングループ自主規制は、その前提となった千葉市要請に基づくものであり、これと一体として論じるのが適当である

 このことは、ミニストップ熊谷千葉市長が共同して記者会見たこからも明らかなように、千葉市要請イオングループ規制政治的にもセットで語るべき問題であることは明らかである

 よって、イオングループの決定についての政治的責任を、熊谷千葉市長は一定程度負わなければならない。

---------

・表紙の隠ぺいにしろ流通経路からの締め出しにしろ、それは表現規制である

 ある表現物に対し、役所などの行政規制を設けることは、これはすべて表現規制である。これは表現規制という単語を見れば明らかである

 よって、千葉市によって行われたコンビニに対する表紙の隠ぺいなどの要請表現規制要請である

 また、イオングループによる撤去について、これの端緒となったのは千葉市要請であり、その因果関係があることは熊谷千葉市長も認めるところであり、また共同記者会見を行いイオンの発表として千葉市要請を端緒としていることを明記しているのだから千葉市要請した表現規制の延長として捉えることは自然なことである

 このようなイオンの動きは「自主規制」と呼ぶべきものでもあるが、日本表現規制歴史においては行政による規制自主規制は両輪の関係で不可分であり、特に本件はイオングループによる自主規制行政による規制要請とそれを受けての自主規制であることから、これを一体として論じることが適当である

 一度ここで確認したいことは、あらゆる表現が許容されるわけではないということだ。これは、一部の表現が法などによって規制されていることからも明らかであろう。例えば他者人権侵害するようなもの名誉棄損の罪などによって規制されているし、性器露骨描写についてはわいせつ物として規制が行われている。

 すなわち、あらゆる表現のなかから他者人権などと比較し、規制されなければならないものについてこれを行っているのである

 したがって、今回の千葉市についてもその表現規制妥当であるかどうかが検討されたかどうか、またそれが客観的に見て妥当であるのかどうかを見なければならない。

 しかし、熊谷千葉市長のツイートを読む限り、民主的手続き正当性を主張するのみであり、そのような妥当性の検討を行った形跡は確認できない。

 また、表紙の隠ぺいについては自由競争市場に対する規制であることもここで指摘しておきたい。

熊谷千葉市長の主張の危うさ

 熊谷千葉市長の本件に関わるツイッター上での主張は

民意があり、議会承認しそれを行政が実行したものであるから、この表現規制は正当なものだ」

とまとめることができるだろう。

 しかし、これを以ってして表現規制を行うことの危うさについてここで指摘しなければならない。

 なぜならば、民主主義は必ずしも正しさを担保するわけではないかである

 例えば、以下に例示したもの民意に基づき、民主的手続きに基づき行われたものだが、果たして正当化しうる政策だろうか。

ナチスドイツによるユダヤ人政策

 ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働党NSDAP)は一応は民主的選挙によって議席を獲得し、一応の手続きを経てユダヤ人に対する迫害を行った。

アメリカにおける日系アメリカ人強制収容

 日本アメリカとの戦争状態に入ったときアメリカ世論の後押しを受けて日系人強制的収容した。またこときその財産事実上簒奪された。これらの名誉回復1980年以降にようやく行われた。

アメリカ特に南部において行われていた人種隔離政策

 「黒人専用」「白人専用」といった人種差別政策が行われていた。これらは民意によって支持されていた。

オーストラリアにおける白豪主義

 オーストラリア政府によって行われていた一連の非白人への差別政策

 また、熊谷千葉市長の主張を言い換え、このようなものも導くことができるだろう。

外国人性的少数者への排斥などは

民意代表たる議員議会質問をもって提案し、関連予算議会承認され、並行して市民意見聴取して改善を求める意見が多数と確認

されたならば外国人性的少数者に対する排斥などを行うことは正当である」と。

 これらは不当に差別的ものであり、人権侵害であることは論を待たないと思うが、熊谷千葉市長はこの理屈表現規制は行えるものとしているとしているのだから、これについても是であるとこれまでのツイートからでは判断せざるを得ない。

 そうではないのであれば、熊谷千葉市長はある特定物事については単に民意議会における手続きだけではなく、より広範な正義に基づいて判断するべきだと考えているのであり、そしてその特定物事には、表現に対する規制は入っていない、ということになるだろう。

 だが、表現の自由とはそういうものであろうか。

 表現の自由も、単に手続き上満たしているからといって、これに制限を加えることを正当化することができるのだろうか。

 私はそうは思わない。表現の自由は大切なものであり、表現規制はこれを慎重にしなければならないと考える。

 そしてそうであるならば、それは単に手続きを満たしているからと言ってそれを実行することを正当化することはできない。

表現の自由とはなにか

 表現の自由基本的人権の一つであり、すべての見解検閲されたり規制されることもなく表明する権利をいう。

 また、ここには報道出版の自由なども含まれる。民主主義において自由な討論は欠くべからものである政府などによって恣意的表現規制することは原則としてあってはならない。

 よって、行政による表現規制は慎重でなければならない。

・これまで日本で行われた表現規制

 戦後日本における表現規制の概略をここに示す。

わいせつ表現規制

 日本における性的表現物に対して規制している法律刑法175条で定義しているわいせつ頒布等の罪である

 サンデー娯楽事件により、わいせつ物を構成する三要件定義された。

 すなわち、

.通常人羞恥心を害すること

.性欲の興奮、刺激を来すこと

.善良な性的道義観念に反すること

わいせつ物の構成要件となる。

 その後チャタレー事件悪徳の栄え事件などで判例を積み重ねている。

 刑法175条の運用として、警察局部が映っているかどうかで取り締まりを行った。このとき陰毛性器の一部として取り締まり対象としていたが、1980年から徐々に変化し始め、陰毛が映っていても直ちにそれをわいせつ物とされなくなっていき、1990年に入ると事実上陰毛については刑法175条の規制対象ではなくなった。「ヘアヌード解禁」とも呼ばれる。

 このように、判例に拠らず行政側の恣意性によってわいせつ物の判断が変動していくのが我が国におけるわいせつ規制の特徴の一つである

悪書追放運動

 1950年チャタレー事件きっかけとして各地の地方自治体青少年健全育成条例が制定されていき、それと同時に民間PTAなどで悪書追放運動が起きる。特にマンガが標的とされ、各地で燃やされるなど過激化した。

 1989年東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生、宮崎勤逮捕され、大量のアダルトビデオを所持していたと報道されたことで、これらのメディア人間に悪影響を及ぼすとしてメディア効果論が起こた。また、それに関連して朝日新聞漫画本が子供に悪影響を与えると社説で論じたことをきっかけとして再びコミック追放運動が起きた。これらを受け、成年向けコミックでも激しい自主規制が行われた。

有害図書指定

 各地で制定されている青少年健全育成条例で定められており、過激暴力や性表現のもの包括的、あるいは個別的指定する。指定された書籍は18歳未満への販売禁止され、区分陳列をしなければならないほか、業界団体自主規制として指定を受けた図書流通制限している。

-成人コミックマーク

 業界団体出版倫理協議会が制定した、性描写過激な成人向けコミックにつけられるマーク

 コンビニで定めている成人誌とは区分が異なる。これらはコンビニには原則として流通しない

コンビニ向け成人誌

 コンビニエンスストア側が成人向けとして区分し、成人向けコーナーなどに陳列する雑誌

春画の展示

 春画江戸時代に版画で刷られた性的表現物で、今日ではその美術性が評価されている。

 しかし、日本国内でこれを自由に展示することはできない。なぜならば、性器修正が施されておらず、わいせつ図画にあたるからである。数年前に実現した春画展も、主催者警察など関係先がなんども折衝を重ねて半ば例外的に開催にこぎつけたと理解している。

 その春画展に合わせて春画掲載した週刊誌のいくつかがわいせつ図画を掲載したとして警察から指導を受けている。

 このように、日本性的表現物については行政側の規制要請民間団体自主規制とが複雑に折り重なっており、民間側の自主規制についても含めて表現規制として論じられる。特に今回は熊谷千葉市長並びにイオングループ千葉市要請きっかけとしていることを認めており、千葉市要請イオングループ自主規制については一体として論じるのが適当である

 政治的にも、ミニストップ熊谷千葉市長が共同して記者会見たことなどから、この自主規制とそれによってもたらされる表現規制に対し、一定政治上責任を負っている判断される。

コンビニに置かれている成人誌の表紙は隠されなければならないほど卑猥なのか

 熊谷千葉市長はコンビニ成人誌に対して自主規制を行っていないかのように批判したが、コンビニ向け成人誌はコンビニ流通できるよう自主規制がすでに行われているし、その内容は青少年健全育成条例などによって規制を受けている。

 表紙についても水着を着用するなどわいせつ性を抑えており、青年誌などと比較して規制しなければならないほど突出して過激であるとは言えない。言えるのであればその根拠規制する側である行政提示しなければならない。

 また、表紙の卑猥さについて基準を設けての規制ではなく、区分陳列されていることによって一律で規制しようとしたことは、表紙の卑猥さとは無関係規制である。これは当初の規制目的ひとつである、成人向けコーナーの雑誌過激さによってもたらされる不快さを低減するための措置としては不適当である

 以上より、私はコンビニにおいて成人誌と区分される雑誌に対して表紙をカバーするなど表現規制を行うことについては正当性を見出すことはできない。

 また熊谷千葉市長のツイートを読む限り、これら比較検討を行い、それでもなお成人向けと区分される雑誌の表紙を隠さなければならないことの正当性検討した過程が見えず、よって表現規制に対する慎重さを読み取ることはできない。

不快理由排除は正当なのか

 本件は成人誌に対する不快感を一部根拠としている。

 しかし、これを根拠とすることは危険である

 不快に思わされないことは人権の一部と言えるが、その人権擁護するために他者権利侵害する場合、これを比較検討して結論を出さなければ公平ではない。

 例えば、性的少数者に対する不快感はどうであろうか。近年、性的少数者についての認識が変化し、これを受容する方向に世論形成されているが、これまでの歴史において性的少数者迫害されてきた。性的少数者迫害された理由はいろいろ考えられるが、そのうちのひとつは個々人が思う同性愛者に対する不快感によって、同性愛者を迫害することへの肯定的世論構成されていたからだろう。

 多数が不快に思っているのだから性的少数者迫害してもいいのだろうか。

 もちろん、これは否である性的少数者不快に思う気持ち内心の自由ではあるが、内心の不快によって性的少数者人権侵害していいわけではない。

 表現の自由も同様である。単に不快であるというだけではそれを規制することは他者表現の自由に対する侵害である

 また、個々人の趣味嗜好は多様であることから、単に不快さを理由としたとき、その範囲は無制限に拡大していき、実質的にすべてが不快であるから規制する、ということにもなりかねない。

 よって、不快さを根拠として表現規制することは適当ではない。

結論

 以上すべてより、千葉市が当初求めた成人向け雑誌カバーをかける要請について、これ表現規制であり、またこ規制適当ではない。

 イオングループが発表した流通規制千葉市要請した表現規制と一体として論じられるべきものである。また、イオングループが実行した自主規制に対し、熊谷千葉市長は一定政治的責任を負う。

 また、イオングループ千葉市<

2017-11-05

08憲章

一、まえがき

 今年は中国立憲百年、「世界人権宣言公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。こうした普遍的価値基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である21世紀中国がどこに向かうのか。この種の権威主義統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である

 19世紀中葉の歴史の激変は、中国の伝統的専制制度の腐敗を暴露し、中華大地の「数千年間なかった大変動」の序幕を開いた。洋務運動(1860年代初頭から約30年続いた)はうつわの表面の改良(中体西用)を追求し、甲午戦争日清戦争1894年)の敗戦で再び体制の時代遅れを暴露した。戊戌変法(1898年)は制度面での革新に触れたために、守旧派残酷鎮圧にあって失敗した。辛亥革命1911年)は表面的には2000年余り続いた皇帝制度を埋葬し、アジア最初共和国を建国した。しかし、当時の内憂外患歴史的条件に阻害され、共和政体はごく短命に終わり、専制主義が捲土重来した。うつわの模倣と制度更新の失敗は、先人に文化的病根に対する反省を促し、ついに「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動がおこったが、内戦の頻発と外敵の侵入により、中国政治の民主化過程は中断された。抗日戦争勝利後の中国は再び憲政をスタートさせたが、国共内戦の結果は中国現代全体主義深淵に陥れた。1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。

 20世紀後期の「改革開放」で、中国毛沢東時代の普遍的貧困絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆生活水準は大幅に向上し、個人経済的自由社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間人権政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者市場化と私有化経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。中国政府は、1997年1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会2004年憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れ直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。

二、我々の基本理念

 中国の将来の運命を決めるこの歴史の岐路に立って、百年来の近代化歴史を顧みたとき、下記の基本理念を再び述べる必要がある。

自由:自由は普遍的価値の核心である言論出版信仰集会結社・移動・ストライキデモ行進などの権利は自由の具体的表現である。自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない。

人権人権は国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらに有する権利である人権保障は、政府の主な目標であり、公権力の合法性の基礎であり、また「人をもって本とす」(最近の中共のスローガン「以人為本」)の内在的要求である中国のこれまでの毎回の政治災害はいずれも統治当局が人権を無視したことと密接に関係する。人は国家の主体であり、国家は人民に奉仕し、政府は人民のために存在するのである

 平等:ひとりひとりの人は、社会的地位・職業・性別経済状況・人種・肌の色・宗教・政治的信条にかかわらず、その人格・尊厳・自由はみな平等である。法の下でのすべての人の平等の原則は必ず実現されなければならず、国民社会的経済的文化的政治的権利の平等の原則が実現されなければならない。

 共和:共和とはすなわち「皆がともに治め、平和的に共存する」ことである。それは権力分立によるチェック・アンド・バランスと利益均衡であり、多くの利益要素・さまざまな社会集団多元的な文化と信条を追求する集団が、平等な参加・公平な競争・共同の政治対話の基礎の上に、平和方法で公共の事務を処理することである

 民主もっと基本的な意味は主権在民と民選政府である民主には以下の基本的特徴がある。(1)政府の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民である。(2)政治的統治は人民の選択を経てなされる。(3)国民真正選挙権を享有し、各級政府の主要政務官吏は必ず定期的な選挙によって選ばれなければならない。(4)多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。一言でいえば、民主は政府を「民有、民治、民享」の現代的公器にする。

 憲政:憲政は法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民基本的自由と権利を保障する原則である。それは、政府の権力行為の限界を線引きし、あわせて対応する制度的措置を提供する。

 中国では、帝国皇帝権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国根本的な活路である

三、我々の基本的主張

 そのために、我々は責任をもって、また建設的な市民的精神によって国家政治制度と市民的権利および社会発展の諸問題について以下の具体的な主張をする。

1、憲法改正:前述の価値理念に基づいて憲法を改正し、現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を本当に人権の保証書および公権力への許可証にし、いかなる個人・団体・党派違反してはならない実施可能な最高法規とし、中国民主化の法的な基礎を固める。

2、権力分立権力分立現代的政府を作り、立法・司法・行政三権分立を保証する。法に基づく行政と責任政府の原則確立し、行政権力の過剰な拡張を防止する。政府は納税者に対して責任を持たなければならない。中央と地方の間に権力分立とチェック・アンド・バランスの制度を確立し、中央権力は必ず憲法で授権の範囲を定められなければならず、地方は充分な自治を実施する。

3、立法民主:各級立法機関直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。

4、司法の独立:司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の独立を行い、司法の公正を保障する。憲法裁判所設立し、違憲審査制度をつくり、憲法の権威を守る。可及的速やかに国の法治を深刻に脅かす共産党の各級政法委員会解散させ、公器の私用を防ぐ。

5、公器公用:軍隊の国家化を実現する。軍人は憲法に忠誠を誓い、国家に忠誠を誓わなければならない。政党組織は軍隊から退出しなければならない。軍隊の職業化レベルを高める。警察を含むすべての公務員政治的中立を守らなければならない。公務員任用における党派差別を撤廃し、党派にかかわらず平等に任用する。

6、人権保障人権を確実に保障し、人間尊厳を守る。最高民意機関(国会に当たる機関)に対し責任を負う人権委員会設立し、政府が公権力を乱用して人権を侵害することを防ぐ。とりわけ国民の人身の自由は保障されねばならず、何人も不法な逮捕拘禁・召喚・尋問・処罰を受けない。労働教養制度(行政罰としての懲役)を廃止する。

7、公職選挙全面的民主選挙制度実施し、一人一票の平等選挙を実現する。各級行政首長の直接選挙は制度化され段階的に実施されなければならない。定期的な自由競争選挙と法定の公職への国民選挙参加は奪うことのできない基本的人権である

8、都市農村の平等:現行の都市農村二元戸籍制度を廃止し、国民一律平等の憲法上の権利を実現し、国民移動の自由の権利を保障する。

9、結社の自由国民結社の自由権を保障し、現行の社団登記許可制届出制に改める。結党の禁止を撤廃し、憲法と法律により政党の行為を定め、一党独占の統治特権を廃止し、政党活動の自由と公平競争原則確立し、政党政治正常化と法制化を実現する。

10、集会の自由平和集会デモ示威行動など表現の自由は、憲法の定める国民基本的自由であり、政権党と政府は不法な干渉や違憲の制限を加えてはならない。

11、言論の自由言論の自由出版の自由学術研究の自由を実現し、国民知る権利監督権を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、報道の規制を撤廃し、現行「刑法」中の「国家政権転覆扇動罪」条項を廃止し、言論の処罰を根絶する。

12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体〔宗教活動場所を含む〕は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。

13、国民教育:一党統治への奉仕やイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値市民的権利を基本とする国民教育を推進し、国民意識確立し、社会に奉仕する国民美徳提唱する。

14、財産保護私有財産権を確立保護する。自由で開かれた市場経済制度を行い、創業の自由を保障し、行政による独占を排除する。最高民意機関に対し責任を負う国有資産管理委員会設立し、合法的に秩序立って財産権改革を進め、財産権帰属責任者を明確にする。新土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。

15、財税改革:財政民主主義確立納税者の権利を保障する。権限と責任の明確な公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的な財政分権体系を構築する。税制の大改革を行い、税率を低減し、税制を簡素化し、税負担を公平化する。公共選択住民投票)や民意機関議会)の決議を経ずに、行政部門は増税・新規課税を行ってはならない。財産権改革を通じて、多元的市場主体競争メカニズムを導入し、金融参入の敷居を下げ、民間金融の発展に条件を提供し、金融システムの活力を充分に発揮させる。

16、社会保障:全国民カバーする社会保障制度を構築し、国民教育医療養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。

17、環境保護:生態環境保護し、持続可能な開発提唱し、子孫と全人類に責任を果たす。国家と各級官吏は必ずそのために相応の責任を負わなければならないことを明確にする。民間組織環境保護における参加と監督作用を発揮させる。

18、連邦共和:平等・公正の態度で(中国周辺)地域の平和と発展の維持に参加し、責任ある大国のイメージを作る。香港マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国樹立する。

19、正義の転換:これまでの度重なる政治運動政治的迫害を受けた人々とその家族名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯と良心の囚人を釈放する。すべての信仰により罪に問われた人々を釈放する。真相調査委員会設立歴史的事件の真相を解明し、責任を明らかにし、正義を鼓舞する。それを基礎として社会の和解を追求する。

四、結語

 中国世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、また人権理事会メンバーとして、人類の平和事業人権進歩のために貢献すべきである。しかし遺憾なことに、今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない! 政治の民主改革はもう後には延ばせない。

 そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、「08憲章」を発表する。我々はすべての危機感責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野の別なく、身分にかかわらず、小異を残して大同につき、積極的市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する。

(括弧)内は訳注。

原文:

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/8f95023140c18356340ca1d707aa70fe

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/84859dc4e976462d3665d25adcd04987

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d5a614fa9b98138bb73cd49d3e923b40

転載自由、出典明示)

2017-10-03

羽生ファンってこんな屑ばっかりなの?

http://bltraveler.blog63.fc2.com/blog-entry-2362.html?sp

https://togetter.com/li/1157060

 

簡単に言うと、フィギュアスケートファン通信という雑誌が毎回羽生オンリー特集みたいな本になっていて、羽生ファンクラブ通信みたいな

感じだったがいろんなところの横やりが入って、ほかの選手も扱えよ、ってことになり、羽生特集ページが減らされた、ということらしい

出版の自由からそんなのを圧力懸けるなんておかしい!とファンの方々はご立腹だが、上記ブログを見に行ってうんざりした。

 

出版社電凸した結果を載せているのだが

羽生選手写真のページ数を増やすのが無理なら、より質を重視して、「量より質」で勝負していってほしい。はっきり言って、「その他の選手」はどうでもいいので!!

後輩選手と元後輩選手は「できるだけのせないでほしい」といっておきました

いくらなんでもひどくないか羽生君以外の選手だって一生懸命頑張ってるんだぞ。それを「その他の選手」「どうでもいい」だと?

思っててもそれをブログで堂々と書いて、出版社編集に言うか?

雑誌圧力がかかったのは、おまえらみたいな読者の態度を見た権力者うんざりたからじゃねーのって気がするくらいだ

2017-06-15

https://anond.hatelabo.jp/20170615234901

その昔、ゲリラ教本として腹腹時計とか球根栽培法とか出版されたが憲法保障された出版の自由があるから出版規制自体はされてないよ。

というか今じゃ尼でも買える。

2017-06-14

https://anond.hatelabo.jp/20170614155148

http://www.nipponkaigi.org/voice/10years#years1020

そして、山積する政治課題を見るにつけ、解決の鍵は「公徳心」であると感じます

 例えば、残忍な殺戮シーンのあるゲーム猥褻コミックインターネット自殺サイト出会い系サイト誹謗中傷に満ちた掲示板存在は、明らかに青少年健全育成・安全社会作りに有害ものとなっています現在、私は有害情報への法規制を目指して活動中ですが、「表現出版の自由通信の秘密保障する憲法抵触する」との批判を多くいただいていますしかし、日本国憲法二条は、国民に対して、憲法保障する自由権利の「濫用」を禁じ、「公共の福祉」の為に利用する責務を課しています日本会議の皆様とともに、公共の福祉によって制限されるべき自由権利についても考え、秩序ある美しい日本国を創りたいと願っています

2015-06-20

出版の自由はもはや必要ではない、またはその名前を変えるべきである

出版の自由が定められてる趣旨は何かっていうと文字による表現の自由を守るため、だよね。

出版による金儲けを妨げないため、ではない。

インターネットで文字によって公に表現することができるのだから出版の自由趣旨出版しなくても守られる。

まり出版の自由いらなくない?

文字による表現の自由必要から出版の自由って名前は変えたほうが良くない?

名前変えて公表の自由とかにしようよ。

2015-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20150617190227

お涙頂戴の被害者遺族の訴えに乗っかるマスコミに煽られた世論と、一介の中小出版社とが「出版の自由」だとかの建前抜きに戦って、出版社が勝利すると考えるほうが不思議だわ。

http://anond.hatelabo.jp/20150617184233

出版できてるのは出版の自由があるからだろ。

自由ってのは「弱者強者に拘束されないこと」なんだからさ。

強い世論圧力をかけてるのを、出版の自由を盾に頑として抵抗してる弱い出版社、という構図だろ、どう見ても。

2015-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20150611173115

だってフツーの冴えないオッサン(≒ネットユーザの大半)が太田出版

生活苦しいんで本出して10万部刷って印税ください」って言って通るわけないじゃん?

いい子ぶりたい人は「犯罪加害者にも出版の自由はある」とか優等生みたいなこと言うけど、

フツーの冴えないオッサンにはそんな権利は実質存在しない。

でもあの元少年にはその権利がある。

そりゃ「なんで犯罪者特権があるんだ!」って叩かれるよな。

 
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