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はてなキーワード: 哲人政治とは

2024-03-12

anond:20240312122549

似たようなことを考えていた人がいましたね

哲人政治

民主政治がその自浄力を失ったとき衆愚政治と化す。そのため、独裁制により強大な権力為政者付与し、意志決定を速やかに行うことで、強力な改革を行うことが民衆から待望されるようになる。だが、強力な指導力を持った為政者善政を敷くとは限らず、僭主が自らの欲望を満たすために統治者地位を利用することも考えられる。それ故、哲学を学んだもの権力を与えることによって、私心無き統治を行わせようとプラトンは考えた。

(wikipedia)

まあ失敗しましたけど

2023-02-12

松竹氏が忘れていること、あるいは何故共産党オタクの敵か

松竹氏なり、共産党批判的な人は「非民主主義的」だというような形で共産党批判するがこれは当たり前のことだ。

民主主義、というか公正な選挙のために言論の自由重要なのはこれは当然のこととして理解できると思う。では言論の自由表現の自由内心の自由とはなんだろうか?「家の中で叫ぶ自由」「誰も見ていないところで絵を描く自由」でないことはこれもまた当然だ。すなわち、出版したり、インターネットで公開したりする自由必要となる。

では、出版自由のためにはなにが必要だろうか?編集自由に行える必要がある。印刷自由に行なえる必要がある。作った本を自由流通させる必要がある。物流倉庫自由運営する必要がある。小売店自由経営する必要がある。DTPに使うコンピューター自由に開発できなければならない。ソフトウェア自由に開発し販売したり頒布したりできなければならない。つまり、結局のところ「言論の自由」というのは「あらゆる商業活動を行なう自由」であり「私有財産肯定」であり資本主義だ、ということになる。

まり、「民主主義」と「資本主義」は全く同じものだ、ということになる。共産党が「表現の自由」を極度に嫌うのも当然で、それは反共産主義的な発想だからだ。

まり党首公選、すなわち民主主義の導入を共産党に導入せよと要求する、というのは共産党共産主義を捨てろと要求していることと同義となる。これは反党行為のものだと言える。

プロレタリア独裁とは結局突き詰めて考えれば個人独裁にならざるを得ない。「資本家」を排除するというのは、結局民主主義言論の自由排除なのだから。そこでは意思決定の全てが不透明で、個人のあやまりが増幅されやすく、相互不信の嵐が吹き荒れることになるが、それでも現代哲人政治平等社会を目指すのが共産主義者の仕事ではないだろうか。それが可能かどうかっていうと、僕は不可能だとは思うけど、

松竹氏は、結局共産主義とはなにか、ということをすっかり忘れているのだと思う。朝日新聞などは「激しい路線対立があったころならまだしも」などというようなことを言っていたが、結局、これこそが今の共産党の最大の問題なのだ僕は思う。多くの党員がもはや共産主義者ではなくなっている。最大限強権的な運営をしなければ、もはや党は維持できないのだろう。

2021-03-14

リベラル民主主義廃止を主張すべきでは?

民主主義ではマジョリティマイノリティ配慮する義務制度上ないわけで、民主主義廃止を主張してリベラルによる哲人政治を主張すべきでは?

2021-01-11

anond:20210111150542

民主主義のことを「信仰」してると述べ、民主主義バグだらけだと言うぐらいだったら、別に民主主義的なプロセスちょっとあるぐらいいいじゃんよ。

哲人政治が完全に上手くいったことないかもしれんが、民主主義だって上手くいったことないし。

医師会存在感めしたことで、不利益があると批判するならわかる。

民主主義的でないとか批判するのは、ちょっと通らないと思うぜ。

いままさに、民主主義下のコロナ対策はうまく行ってないんだからな。

 

ついでに私見を述べるなら、民主主義の唯一最大のメリットって、任期選挙のお陰でクーデターなしでもやり直し出来ることにあると思う。

から医師会存在感を示したとしても、別に民主主義が損なわれたと思わない。独裁とは程遠いしな。

民主主義とは状態ではなく行動なんだな

うーーん。。。この記事に限らず全体の雰囲気が少しなぁ。。。

一切の民主的プロセスを経ていない利益団体代表政府機関の決定へ多大な影響力を行使しようとするのはどうなのかしら。せめて厚労省が言うならまだしも医師会ちょっと前科を多めに見るにしても、そもそも民主主義や法の前提がない訳ですし。

これってテクノクラート独裁とかエリート独裁のものなんだよなぁ。そもそも哲人政治ってプラトン以降延々と再発見され続けるけれど成功した試しがあるのかしら。医師会は哲人ですらないし。いいのかなぁ。歴史的には危ない方向に行きがちなんだけどなぁ。医師会への感情は抜きにしても少なくともこの方向を私は好きになれないかな。

医師会とか研究者とかが不意打ち的に意見打ち上げていることが多いけれど、その行為自体はやはり常に批判さらされるべきだと思う。結果が良いから良いんだ、では我々の民主主義崩壊し続ける。とにかく批判はされ続けなければならないし、批判し続けなければならない。民主主義の大き過ぎるバグのものなのだから、その行為は決して称賛されてはならないはず。

我々の信じている民主主義とはなんなんだろうと最近。いや民主主義否定しているのではなくて、むしろ逆なんです。民主主義という前提への信仰は確固たるものなんです。

民主主義の遅さも民主主義煩雑さもすべてひっくるめて受け入れているし、信仰している。他に良いフェアな方法が思い付かないから尚のこと。

でもアメリカでは選挙のもの根拠のない否定が繰り返されたり、日本では利益団体や実務者がマスコミを通じて代議士へ迫ったりしていて、民主主義ってバグだらけだしその手続きを遵守する気のない人がいると機能しないんだなって。

民主主義とは状態ではなく行動なんだなと痛感している。民主主義は決して保証なんてされていない。民主主義とは闘いながら犠牲を払いながら、勝ち得るための不断の行動があってはじめて成立する。むしろその不断の行動の名前こそが民主主義なんだって

そしてこの国のエリート共は民主主義が大嫌いなことも痛感している。私はなぜかエリートなっちまったので、エリート共がどれだけ市民バカにしているかは知っています。知っているか医師会学会とか官僚機構基本的あんまり好きではないです。というか割と嫌いです。民主主義的なプロセスで選ばれたわけではないのに、ちょっと青年期までの家庭環境が良かっただけで日本を背負おうとしているところが気持ち悪いです。思い上がってんじゃねえって話です。国家のことは民主的プロセスを経て選ばれた奴らが決めるんだ。我々は粛々と事実を積み上げるだけのことをすべきなんだ。それで何が起きても仕方ないじゃないか。それが民主主義だ。

コロナ関連であまりにも言動が目に余る。民主主義を軽視どころか全くの無視をしたエリート主義そのものです。本当に嫌い。

https://mainichi.jp/articles/20210108/k00/00m/040/316000c?fbclid=IwAR1TLKoScSIG8S0-eS44dtQSNbYVewbwWf7h9OmudElWr3uXfzwMd3qTj5w

2018-09-15

学者のみなさまは勝手哲人政治しててください

かつて日本大学教授は「我々は研究者であって教師ではない」「大学手取り足取りなにかを教えてもらえる場ではない」と言っていた。結果、大学ではなにも教わらなかったという人がうまれ大学などいらないという考えが幅を利かせ、このざまである

そしたら今度は、大学教育価値が分からないやつはバカ官僚低学歴、と喚いている。みっともないからやめてほしい。なら官僚の前に行って「お前らは低学歴アカデミック能力が欠けてるから大学院で学べ」と言って納得させてみろ。大学で学ぶことに意義があるということの挙証責任は、こちら側にある。

こういうと今度は、「大学の学びの価値が分からないのは反知性主義」と逆上する。勝手アクロポリスでシノイキスモスして哲人政治でもしてろ。絶望的なことに、社会科学者がそれをいう。現実社会分析する人間現実社会を見ていない。

2012-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20121215115114

哲人政治かあ。俺も人類はもう一度ぐらい、真剣に挑戦してみてもいいんじゃないかと思っている。ネットのおかげで、頭さえ良ければだいたい平等情報が行き渡るようになっている現在、ある程度うまくいく確率は上がってるんじゃないかなあ。

善人も悪人も、バカも頭いい人も同じ一票って、やっぱりおかしい。人間価値はどうか知らんが、能力にははっきり優劣がある。

「そんなの無理」と思考停止せずに考えてみるべき。

2010-08-17

問題と対策、そして次の時代の考察

不老長寿の時代は間違いなくやってくる。だが問題が一つある・・

それは、文明の発展を阻害する要因の一つ、老害だ。

老害高齢化が急速に進む今、間違いなく問題になってくる。

不老長寿が可能になれば、まず最初に利用するのは死を恐れる老人達だろう。彼らはだいたいが金持ちなので、若者と比べれば簡単に費用を出せる、病院にとってはありがたい客だ。

そうなると、老害いつまでも死なないということになり、今まで老害が死ぬことで前に進んできた文明が停滞する可能性が高まる。

老害過去に固執する性質をもつやっかいな人種だ。高齢化が進めば、確実に老害率も高まるはず。困った。

対策を少し考えてみた。

若者重視の政策をよりいっそう推進する。これがまず第一だろう。高齢社会とは子供が少なく老人が多い社会。ということは、手厚く保護されるべきは少ない子供。今までのように、5,6人産んで3人死ぬのが当たり前という社会ではないのだから、子供手当をはじめとして子供重視の政策は重要だ。

次に、体外受精の推進。現在はまだ発展途上だが、より優れた子供を産み出すデザイナーチャイルド社会にはたくさん必要になるはず。優れた人間がたくさん誕生すれば、老害社会から蹴り落とすことも可能なはずだ。

次に、それと関連したエリート教育の徹底化。哲人政治ではないが、社会は真に優れた人間が動かすことでより発展できる存在だ。現在エリート教育は行われているが、問題はエリートではない人間への待遇が悪すぎること、選択権がないことだ。私が描く社会とは、エリートだけが社会を動かすために要職に就き、それ以外の人間は就けないというものだ。もちろん、働かない自由も認められる。エリートではない人間達は一定水準の生活を保障される。現在社会は欠陥だらけである。まず、働かない人間を守る術がないこと。人権という言葉がにわかに注目を浴びてきてはいるが、それならば生まれてきただけで生存権完璧保証されなければならない。働かざる者飢えるべからずとは小飼弾言葉だが、本当に人権という概念を追求していきたいなら、人が生きるのに条件をつけてはならないのである。

そして、不老、若返り技術の発展が必要だ。老害がなぜ生まれるのか、簡単なことだ。老害は脳が正常に働かなくなっているから老害なのだ。つまり、脳の衰えを防ぎ、若返り出来るようなテクノロジーが求められる。

これはデザイナーチャイルドエリート教育によって発展することが望まれる。人権がますます強大な権利となれば人を殺すことは出来なくなる。加えて不老長寿技術がある。ならば、老害を排除するというより、無害化する方向に持って行くのが一番いい。罪を憎んで人を憎まずである。老害生得的なものではなく老化の弊害に過ぎないのだから。

こうして老害もいなくなり、人々は生まれながら生活を保障され、エリート社会を動かす。次の時代はどうなるだろうか。

エリートにも限界はある。エリートは所詮人間でしかない。人間機械には絶対に勝てない。だから、次は機械の時代になるだろう。

エリートは人を超える機械を作るだろう。人を超えた機械は、エリートという最後の人間を労働から解放する。そして人類労働から解放される。

労働から解放されれば娯楽の時代が到来する。現在も「暇つぶし」というジャンルの娯楽が存在するが、おそらくこの時代以降はすべての娯楽が暇つぶしとなるだろう・・

ものがあふれれば人は飽きやすくなる。たとえば今目の前に20枚の映画DVDがあるとしよう。正直うんざりするはずだ。それら全てはだいたい平均して1時間半~2時間人間を拘束する。よほどの映画好きでもない限り、1、2本観れば飽きてしまう。そういった時代がくれば、娯楽は使い捨てが主になっていくはずだ。

現在あるゲームがブームとなっている。それはソーシャルゲームと呼ばれるものだ。ゲームファンからすれば、なんだこれはと憤慨されそうなお手軽かつ短時間プレイ出来るゲームが大半を占めている。

ソーシャルゲームは隙間時間で楽しむことを目的としたものだが、未来の娯楽はこれに似たものになる。

ただし、このような不完全な娯楽ではない。VRが普及することでよりリアルに、臨場感をもってゲーム体感出来るようになるだろう。それも、ゲームセンターではなく個人の家で。

たとえば仮想空間で愉しむスポーツ。カーレースなどもいいだろう。このようなゲームは、いくら見た目だけを立体的にしてもしょせんはゲームでしかなかった。スポーツは体全体に楽しむものだからだ。VRによって、自宅にいながら大海原でマリンスポーツを楽しんだり、雪山でスキーをしたりということが出来るようになる。

それだけではない。リアルゲームといっても、能力が伴わなければつまらないものとなる。そこで、プロプレイ体感できるものが流行るようになるはずだ。以前世にも奇妙な物語殺人を追体験出来るメディア流行るという物語があったが、あれと同じようなものだ。現実にはありえないような巨大なゲレンデ縦横無尽滑るプロスーパープレイをまるで自分がやっているように体感出来たら、本当に気持ちのいい体験となるはずだ。このように、未来の娯楽はなるべく手軽で受動的なものが中心となっていく。

1年間に現代の5年で作られる全ての娯楽作品が消費されるような時代になるだろう。芸術というジャンルは生き残るだろうが、規模は小さくなるだろう。人々は娯楽を高尚なものだとは思わない。娯楽とは使い捨てるものである。そこには誰でも気軽に作れるようなテンプレートが出回り(現在RPGツクールのようなもの)、星の数より多くの娯楽が出回るだろう。

それが良い時代か悪い時代かは分からない。

2010-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20100203174936

デスノートは、「犯罪者を抹殺する」でしたよね。私が言っているのは「馬鹿を抹殺する」なので、同一ではありませんね。

そもそもの目指すところが、デスノート夜神月の場合、哲人政治に近い、「愚民どもを自分が統治して新世界の神となる」という物だったのに対し、私の考えは「愚民どもを抹殺すればそれだけで世界は良くなる」ですから。

私自身が統治するとか、私自身が頂点に立つとか、そういった考えは一切ありません。

ですので、あれが正攻法かと言われると、私は疑問です。

殺すべきは、犯罪者よりも馬鹿だと思っているので。

私がデスノートを手にしたら(デスノートの制限上出来ませんが)「知能指数100未満の人間」という括りで一度まとめて殺して、お仕舞いでしょうね。

もちろん、そこに自分が含まれていたとしても、です。

2007-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20070831123016

そういう「気概」を重視して国家が正しいことをなすにあたっては

「高貴な嘘」も肯定する人もいるね。レオ・シュトラウスとか。

ネオコンの重鎮とか言われちゃっているけどさ。

まぁ賢人思想というか哲人政治だけど、

あらゆる問題を一部の賢い人に俯瞰させるのって難しい。

 
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