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はてなキーワード: 社会集団とは

2019-06-11

結婚前は、夫を何十年後も好きでいる自信があった

好きというのは、恋愛感情だけではなく、尊敬意味も、友人としての意味も込めて、である

結婚して数か月、浅はかな考えだったと知る。

いや、数か月のうちはまだ好意を持てていたのだが、私も人間なので、さすがに年単位攻撃を受け続けると、自分死ぬ相手への好意をやめるかしか選択肢がなくなるのである

ということで、たった2年しかもたなかった。

数十年一緒にいることをを誓ったはずなのに、友人として共に生きる覚悟もあったのに、である

世に言う「モラハラ」が、片方だけのせいかと言えば、そうじゃないと思う。当事者である私はそう思う。

結婚前に気付けなかった盲目な私がいけなかったし、結婚前と後では違う社会集団なので、接し方が変わるのは当たり前なのである。同じ社会集団として動くことができないのであれば、家族である意味がない、と思う人もいる。そのことを知っておくべきだった。

離れて暮らしてみて冷静になり「あれはモラハラだった」と気付いたその一歩先に、「私が至らなかったのだな」と考える時期が来る。

もちろん、まだ20そこそこの若い女なので、全てがうまくできるわけがなかった。失敗も多い。新入社員みたいなものだ。そのうえ比較する対象が、夫の母親になるのだ。何十年と家事をし続けている、専業主婦義母に。

彼は私に立派な母親になることを求めていたのだろう、と今ではわかる。彼もまた幼く、私がそれに耐えうる精神の持ち主でないと知らなかったのだ。

献立がなっていないと責められたり、雨がひどいので他県の職場まで迎えに来いと言われたり、週末は義実家で過ごすよう強要されたりした。

私の動作一つ一つに無駄があり、その無駄はなんだ、説明しろと言われた。そのたびに、私は答えられずに泣いた。理由はなかった。なかったのがいけなかった。これまでの自分の習慣に基づいて行動していたのだから

今ではきっと、夫はそんなことは言わない。今度一緒に住めば、ある程度、理不尽なことも言わなくなっているだろう。お互いの至らなさを認めたのだから

でも、信頼というのはどうも戻らないようだ。

今でも、どうしようもなく夫が怖い。頭で「あの時はお互いに若かったから」「今度は大丈夫」とわかっていても、どうも信頼できない。きっとあの激昂を繰り返すだろう、次は妊娠タイミングか、出産後か、育児最中か。

怒られないようにすべてを徹底しても、きっと私はまた失敗するだろう。失敗しないように、と緊張して、また手が震えるだろう。

あらゆる行動に、正確さと効率の良さを求める人の生活には、同じものを求める人間がふさわしい。そう感じる。少なくとも、私には無理だ。

そういう理由で、別居してから2年間、ずっと考え続けたけれど、やはり夫とは離婚しようと思う。

バツイチになりたくない、親戚から責められたくない、何より親が悲しむ、と思っていたけれど、自分幸せ生活には代えられない。

結婚しないと、一緒に生活しないとわからない、こんな阿呆人間もおります

2018-09-09

anond:20180909121555

横だけどこれに賛成。因果応報的な考え方って仏教特有のものではなくて世界中の色々な宗教にもあったりする。科学が発達する前の宗教ってのは現代日本に生きる我々には想像つかないが、自分達の世界観説明するものだったり、社会集団としての道徳を説く教育ツールだったりする。理不尽な自らの境遇をどう捉えるか、その説明因果応報代表される価値観マッチしたんじゃないかな。幸不幸をストーリー化、見える化するのが因果応報という価値観なのかもしれない。

2018-07-07

anond:20180707150628

演歌は創られた伝統」というのは要するに、「演歌はニセモノの日本の伝統だ」ということですよね。

「ニセモノ」というのは、「ホンモノ」があるから成り立つわけです。ホンモノが明確ではないのであれば、ニセモノも明確ではないということになる。

だとすると、

演歌はニセモノの日本の伝統だ」という主張をするためには、

「これがホンモノの日本の伝統だ」という主張が必要不可欠なはずです。

これは正しい。

まずそもそも日本」という単位自体ナショナリズムのものといっていい。

ゲルナーは『民族ナショナリズム』において"政治的単位民族単位を一致させようとする政治的原理"をナショナリズムと捉えた。

日本の伝統と言ってしまうと必然的にそうなる。

肯定する場合でも否定する場合でも主語日本にしてしまうとそうなる。

国家及び民族主語にして語る時点でナショナリズム的と言っていい。

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」

ということを自明であるかのように語る人がいっぱいいるけど、全然自明じゃないです。

もし仮に、日本は古来から文化的排他的海外のものを寄せ付けなかった、とかい歴史的事実存在するのであれば、

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」というのは正しいと思います

でも実際には、そんな歴史的事実存在しないんですよ。

箏も三味線も、もともとは海外ナウい楽器だったし、雅楽ももともとは海外ナウい音楽ジャンルだったわけす。

仏教インド発祥だということはだれでも知ってることのはずです。

ようするに、もともと海外のもの伝統になる、ということは日本では古来から普通のことだったわけです。

というか世界的に見てもそれが普通なんですよ。


この段落は非常に雑だし、前提がおかしい。

当該社会集団が何を選択的に残し、何を排除たか。何をナウいと考え、何をダサい判断たか

その価値判断は誰によるものか。どういう思想によるものか。

そういった当該社会集団による意図的選択連続としての受容史を単なる伝播、自然淘汰と読み違えている。

インド仏教日本仏教は全く違いますよね。

また、楽器で例えるなら韓国伽耶琴と日本の琴は全く違いますよね。

ダルシマーヤンチンは全く違いますよね。

文化は伝播してもそのまま伝わるわけではなく、ある種の選択判断が生じている。

雅楽だって日本韓国昔ながらのスタイルのままだと主張しているが、実際には微妙な違いがある。

その価値判断伝統の名の下にくだすのがナショナリズム的言説でしょ。

たとえばですよ、

正月によくかかる「春の海」という曲はたいてい「伝統音楽」の棚においてあります。この曲は洋楽邦楽ハイブリッドです。形式的には完全に西洋音楽です。

から

「春の海は形式的には洋楽から日本の伝統じゃないよ」

という意見もあります。でも同時に、

作曲者バリバリ邦楽演奏家なんだから日本の伝統じゃん」

という意見もあるわけです。

で、このふたつのどちらが客観的に正しいかということを実証することは不可能です。人それぞれ価値観が違う、としか言いようがない。

いやそもそも音楽学者で《春の海》をそういった視点分析する奴は今日びいないです。

伝統かどうかというのはもはや何の問題提起にすらならないんですよ。

なぜならその枠組み自体幻想だという前提で読むからね、まともな音楽学者は。

伝統」とはなんなのか、「日本」とはなんなのか、「音楽」とはなんなのか、

とういうような哲学的な問いにきっちり答えないといけないはずなんですよ、もし演歌はニセモノだと言いたいのであれば。

「創られた伝統」という概念と「創られたわけではない伝統」という概念は、どこがどういうふうに違うのか、

ということを哲学問題として、きっちり論理的説明しなきゃいけないはずなんですよ。でも、そんな作業してる音楽学者なんていないですよね。いたら教えてください。


とっくに議論されています伝統の創出についてはホブズボウムがまず前提。

ヘルダー、ダールハウスタラスキン、ヴィオラリーマン、リッサ、アドラーも読んでどうぞ。

特に19世紀ヨーロッパナショナリズム芸術関係が盛んに論じられていたので、

この分野の先行研究として学びがある。ロシアスペインフィンランドハンガリーなどなど。

繰り返すけど伝統って自然に生じるものではなくて、外と相対化されて初めて気づくものだし

伝統自体共同体による幻想なんだよね。

割と最近テレビラジオ地方地方性を駆逐したのではという話もあって面白い

北海道沖縄も、東京の発信する音楽文化に染まってしまったという話で、

それが国家音楽民族音楽だと大衆勝手に読み替えられているという話ね。

音楽って人間社会性そのものだよねってのはブラッキングの『人間音楽性』の指摘だが、

そういう純粋なる民族性の罠にはまってないですか。増田

あれ、演歌の話どこいった。

2018-06-09

anond:20180609184639

ナショナリズム研究は国や民族社会集団物語分析でもあるんで、ウヨサヨを遥か遠くから眺める学問だよ。興味あるならいくつか必読書をおススメするぜ。ありがたい事に今は難しい議論を噛み砕いた良書が一杯あって、いつでも学ぶ土壌は出来てると思う。

2017-12-29

anond:20171228141754

働かざる者食うべからず」だけはなくすというか、教育者子供に教えるべきではない言葉だと思うね。

原始的かつ非倫理的社会集団にだけ通用する原理で、とくに社会主義的な思考ベースになってしまうから

聖書が由来のことわざだが、実際にこのことわざソ連共産党レーニンがこれを実践戒律としていた経緯もある。

さらに悪いことに、ナチュラル社会主義気質日本人はこれを資本主義的な弱肉強食原理と読み替えてしまうケースが多いように見受けられる。

資本主義自由主義経済下であれば労働を強いることはないし、弱肉強食になりがちだからこそ法(ルール)を洗練させ、機会を平等に、セーフティネットを十分に、そうやって多様な境遇の人を受容できる社会に、というのが現代資本主義国家常識であるのに。

もちろん、そこまで思想的な意味を考えずに「貢献することなしに与えられるだけの存在になるなよ」という意味で使われる事がほとんどだろう。

でもそれを言いたいのであればもっと別の言い回しをした方がよい。このことわざを使ううちに、社会主義的なマインドセットが強化されていってしまうような気がする。

代替慣用句が思いつかないけれど……クレクレは死ねとか……ないか

2017-11-23

anond:20171123101325

いわゆる標準語東京方言から

標準語というか共通語東京方言ではないよ

方言というのは特定地域ないし社会集団独自に発達した言語のことであって、

名古屋出会った九州人と東北人が意思疎通する時に使われるようなものは、地域にも社会集団にも依らないので方言とは呼ばない。

 

現代東京人間が話しているのが共通語のものではなくて、新東京方言(または首都圏方言)であるという話とごっちゃになっているのでないかな。

2017-11-13

anond:20171113173140

そういう話ならかまわないんですけどね

相手が今まで特定目的で使っていたものを、その目的使用不可能状態にする」という明確な不利益を強いる行為である自覚がない人が沢山いらっしゃるんですよね

 

「それそもそも現状でだって本当にその目的果たせてる?」とか「その不利益より我々が受ける不利益の方が大きい」とかい理屈ならわかるけど

選択肢を作るだけで、夫婦同氏でやって来た人々に影響がないのに反対するのは不条理だ」みたいな論調の人が少なくなく、

彼らの存在は反対派の態度を強硬化させ、選択夫婦別姓の導入には却って障害となるでしょうね

 

影響はないだろ馬鹿か。結婚式で呼ばれるのが幸せだとか意味不明な意義しか提示できないのに他人人生に手を突っ込もうとするクズしかいないじゃん

夫婦同氏においては姓は「最小の社会集団夫婦を中心とした家族呼称」で、姓を家族呼称として使えなくなるのはそういう用途で使いたい人には不利益ですし

あるいは選択夫婦別姓によって子供の姓に関してほぼ確実に何件も起きるであろう家庭内紛争も、子供社会全体の共有資産という考え方から夫婦同氏派にとっては不利益と言えるでしょうね、子供不利益社会不利益

それが本当に夫婦別姓にしたい人の自由制限する理由に足るほど大きな不利益か、という程度の話をしないといけないのであって、安直に影響がないと断定するような極論で反対派を非難する人がいるような現状では、選択夫婦別姓の実現は遠いでしょうな

2017-11-05

08憲章

一、まえがき

 今年は中国立憲百年、「世界人権宣言公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。こうした普遍的価値基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である21世紀中国がどこに向かうのか。この種の権威主義統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である

 19世紀中葉の歴史の激変は、中国の伝統的専制制度の腐敗を暴露し、中華大地の「数千年間なかった大変動」の序幕を開いた。洋務運動(1860年代初頭から約30年続いた)はうつわの表面の改良(中体西用)を追求し、甲午戦争日清戦争1894年)の敗戦で再び体制の時代遅れを暴露した。戊戌変法(1898年)は制度面での革新に触れたために、守旧派残酷鎮圧にあって失敗した。辛亥革命1911年)は表面的には2000年余り続いた皇帝制度を埋葬し、アジア最初共和国を建国した。しかし、当時の内憂外患歴史的条件に阻害され、共和政体はごく短命に終わり、専制主義が捲土重来した。うつわの模倣と制度更新の失敗は、先人に文化的病根に対する反省を促し、ついに「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動がおこったが、内戦の頻発と外敵の侵入により、中国政治の民主化過程は中断された。抗日戦争勝利後の中国は再び憲政をスタートさせたが、国共内戦の結果は中国現代全体主義深淵に陥れた。1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。

 20世紀後期の「改革開放」で、中国毛沢東時代の普遍的貧困絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆生活水準は大幅に向上し、個人経済的自由社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間人権政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者市場化と私有化経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。中国政府は、1997年1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会2004年憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れ直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。

二、我々の基本理念

 中国の将来の運命を決めるこの歴史の岐路に立って、百年来の近代化歴史を顧みたとき、下記の基本理念を再び述べる必要がある。

自由:自由は普遍的価値の核心である言論出版信仰集会結社・移動・ストライキデモ行進などの権利は自由の具体的表現である。自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない。

人権人権は国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらに有する権利である人権保障は、政府の主な目標であり、公権力の合法性の基礎であり、また「人をもって本とす」(最近の中共のスローガン「以人為本」)の内在的要求である中国のこれまでの毎回の政治災害はいずれも統治当局が人権を無視したことと密接に関係する。人は国家の主体であり、国家は人民に奉仕し、政府は人民のために存在するのである

 平等:ひとりひとりの人は、社会的地位・職業・性別経済状況・人種・肌の色・宗教・政治的信条にかかわらず、その人格・尊厳・自由はみな平等である。法の下でのすべての人の平等の原則は必ず実現されなければならず、国民社会的経済的文化的政治的権利の平等の原則が実現されなければならない。

 共和:共和とはすなわち「皆がともに治め、平和的に共存する」ことである。それは権力分立によるチェック・アンド・バランスと利益均衡であり、多くの利益要素・さまざまな社会集団多元的な文化と信条を追求する集団が、平等な参加・公平な競争・共同の政治対話の基礎の上に、平和方法で公共の事務を処理することである

 民主もっと基本的な意味は主権在民と民選政府である民主には以下の基本的特徴がある。(1)政府の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民である。(2)政治的統治は人民の選択を経てなされる。(3)国民真正選挙権を享有し、各級政府の主要政務官吏は必ず定期的な選挙によって選ばれなければならない。(4)多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。一言でいえば、民主は政府を「民有、民治、民享」の現代的公器にする。

 憲政:憲政は法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民基本的自由と権利を保障する原則である。それは、政府の権力行為の限界を線引きし、あわせて対応する制度的措置を提供する。

 中国では、帝国皇帝権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国根本的な活路である

三、我々の基本的主張

 そのために、我々は責任をもって、また建設的な市民的精神によって国家政治制度と市民的権利および社会発展の諸問題について以下の具体的な主張をする。

1、憲法改正:前述の価値理念に基づいて憲法を改正し、現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を本当に人権の保証書および公権力への許可証にし、いかなる個人・団体・党派違反してはならない実施可能な最高法規とし、中国民主化の法的な基礎を固める。

2、権力分立権力分立現代的政府を作り、立法・司法・行政三権分立を保証する。法に基づく行政と責任政府の原則確立し、行政権力の過剰な拡張を防止する。政府は納税者に対して責任を持たなければならない。中央と地方の間に権力分立とチェック・アンド・バランスの制度を確立し、中央権力は必ず憲法で授権の範囲を定められなければならず、地方は充分な自治を実施する。

3、立法民主:各級立法機関直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。

4、司法の独立:司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の独立を行い、司法の公正を保障する。憲法裁判所設立し、違憲審査制度をつくり、憲法の権威を守る。可及的速やかに国の法治を深刻に脅かす共産党の各級政法委員会解散させ、公器の私用を防ぐ。

5、公器公用:軍隊の国家化を実現する。軍人は憲法に忠誠を誓い、国家に忠誠を誓わなければならない。政党組織は軍隊から退出しなければならない。軍隊の職業化レベルを高める。警察を含むすべての公務員政治的中立を守らなければならない。公務員任用における党派差別を撤廃し、党派にかかわらず平等に任用する。

6、人権保障人権を確実に保障し、人間尊厳を守る。最高民意機関(国会に当たる機関)に対し責任を負う人権委員会設立し、政府が公権力を乱用して人権を侵害することを防ぐ。とりわけ国民の人身の自由は保障されねばならず、何人も不法な逮捕拘禁・召喚・尋問・処罰を受けない。労働教養制度(行政罰としての懲役)を廃止する。

7、公職選挙全面的民主選挙制度実施し、一人一票の平等選挙を実現する。各級行政首長の直接選挙は制度化され段階的に実施されなければならない。定期的な自由競争選挙と法定の公職への国民選挙参加は奪うことのできない基本的人権である

8、都市農村の平等:現行の都市農村二元戸籍制度を廃止し、国民一律平等の憲法上の権利を実現し、国民移動の自由の権利を保障する。

9、結社の自由国民結社の自由権を保障し、現行の社団登記許可制届出制に改める。結党の禁止を撤廃し、憲法と法律により政党の行為を定め、一党独占の統治特権を廃止し、政党活動の自由と公平競争原則確立し、政党政治正常化と法制化を実現する。

10、集会の自由平和集会デモ示威行動など表現の自由は、憲法の定める国民基本的自由であり、政権党と政府は不法な干渉や違憲の制限を加えてはならない。

11、言論の自由言論の自由出版の自由学術研究の自由を実現し、国民知る権利監督権を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、報道の規制を撤廃し、現行「刑法」中の「国家政権転覆扇動罪」条項を廃止し、言論の処罰を根絶する。

12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体〔宗教活動場所を含む〕は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。

13、国民教育:一党統治への奉仕やイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値市民的権利を基本とする国民教育を推進し、国民意識確立し、社会に奉仕する国民美徳提唱する。

14、財産保護私有財産権を確立保護する。自由で開かれた市場経済制度を行い、創業の自由を保障し、行政による独占を排除する。最高民意機関に対し責任を負う国有資産管理委員会設立し、合法的に秩序立って財産権改革を進め、財産権帰属責任者を明確にする。新土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。

15、財税改革:財政民主主義確立納税者の権利を保障する。権限と責任の明確な公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的な財政分権体系を構築する。税制の大改革を行い、税率を低減し、税制を簡素化し、税負担を公平化する。公共選択住民投票)や民意機関議会)の決議を経ずに、行政部門は増税・新規課税を行ってはならない。財産権改革を通じて、多元的市場主体競争メカニズムを導入し、金融参入の敷居を下げ、民間金融の発展に条件を提供し、金融システムの活力を充分に発揮させる。

16、社会保障:全国民カバーする社会保障制度を構築し、国民教育医療養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。

17、環境保護:生態環境保護し、持続可能な開発提唱し、子孫と全人類に責任を果たす。国家と各級官吏は必ずそのために相応の責任を負わなければならないことを明確にする。民間組織環境保護における参加と監督作用を発揮させる。

18、連邦共和:平等・公正の態度で(中国周辺)地域の平和と発展の維持に参加し、責任ある大国のイメージを作る。香港マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国樹立する。

19、正義の転換:これまでの度重なる政治運動政治的迫害を受けた人々とその家族名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯と良心の囚人を釈放する。すべての信仰により罪に問われた人々を釈放する。真相調査委員会設立歴史的事件の真相を解明し、責任を明らかにし、正義を鼓舞する。それを基礎として社会の和解を追求する。

四、結語

 中国世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、また人権理事会メンバーとして、人類の平和事業人権進歩のために貢献すべきである。しかし遺憾なことに、今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない! 政治の民主改革はもう後には延ばせない。

 そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、「08憲章」を発表する。我々はすべての危機感責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野の別なく、身分にかかわらず、小異を残して大同につき、積極的市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する。

(括弧)内は訳注。

原文:

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/8f95023140c18356340ca1d707aa70fe

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/84859dc4e976462d3665d25adcd04987

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d5a614fa9b98138bb73cd49d3e923b40

転載自由、出典明示)

2017-09-17

文化剥奪文化の盗用についてのメモ

ブログに書こうと思ったんだけど、どうもよく理解できないので、メモのままここに残しておく。将来利用するかどうかはわからない。


文化」とは、社会に共有された生活様式。この場合社会とは、コミュニティであったり地域であったり、場合によっては国家支配する領域であったりする。生活様式には、言語伝承なども含まれる。

文化的同一性」とは、その社会の成員がその社会に属しているものとして自覚できる文化社会に共有されたものであると同時にその個人のものでもあるため、所有意識が生まれる。

「所有」とは、他者排除して占有する権利のこと。権利であるがゆえに社会的に定まるものであり、社会的に定まるがゆえに社会によってその範囲は異なる。また、抽象的な存在に対する占有可能にするためには、何らかの概念が共有されている必要がある。例えば著作物に対する所有は、複製や営利に関する一定概念が共有されなければ無意味になる。

剥奪」とは、社会的強者社会的弱者権利を奪うこと。奪われる権利が物品財貨の所有権である場合搾取となる。

文化剥奪」とは、ある社会集団所属するひとの文化的同一性を保持する権利を奪うことである。例えば狩猟社会において狩猟禁止することや伝統的に行われてきた祭祀禁止することなど、旧来の生活様式禁止することは文化剥奪にあたる。創氏改名文化剥奪典型である

文化の盗用」(cultural appropriation)とは、社会的強者社会的弱者文化をあたか自分のものであるかのように占有する現象


文化の盗用が問題になるのは、盗用によって本来のその文化の保持者の文化的同一性が脅かされるからである。すなわち、自分自身所属する社会集団文化が他の社会集団のものとされることにより、自分自身同一性を脅かされる。すなわち、文化の盗用問題は、文化剥奪問題一種であるということができる。

文化の盗用問題に対する抗議が文化的標識(例えば特定民話伝承)の使用権問題として表面化するのは、弱者強者に対抗する論拠がそこに求めやすいからでしかない。実際の問題は、使用権にではなく、社会的支配・被支配関係にある。


文化剥奪問題は、弱者側の自主的同化を伴うため、外見上、単なる時代変化と線を引きにくいものになる。たとえば明治日本欧化政策は、軍事的経済的政治的に圧倒的強者であった西欧世界による日本文化剥奪であったが、それが日本社会の側から強者に対する弱者の対抗策として実施された主体的ものであったことも事実である。その際に、「和魂洋才」といった文化的同一性保持のための辻褄合わせが提唱されたことなど、分析すべき点は多い。

朝鮮人に対する創氏改名は強権的な文化剥奪であり、戦後在日朝鮮人韓国人通称使用第一の原因であるが、在日側の日本国内在住のための利便性からの選好という側面があったことも否定はできない。そのような姿勢経済的社会的権力関係が強い影響を与えたことも事実である。このあたりは非常に重層的で、軽々しく断じることができない。


いずれにせよ、文化剥奪強者弱者に対して行うものであり、このような議論が昨今日本人から発せられているという点は、社会集団の力関係の変化を考察する上で興味深い出発点になるかもしれない。

2016-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20160508213327

からさあ。

いいよ、あんたは勝手金持ちで優しいいい男でも捕まえて幸せ全体主義生活を送ればさ。

ただ、他の人が幸せをどう感じていてどんな生き方をしたいかということについて、自分の目に入ると不愉快からという理由排斥すんなってこと。

同性愛云々言うけど人類全体のほんの数%くらいしかいないことでしょ?

道歩いてても100人に2~3人くらいしか目に入らないでしょ?

あと、イスラエル集団農場キブツで行われた社会実験で、子供家族ではなく社会集団として生育した場合の子供たちが世代を進めるにつれてどんどん精神的に不安定になっていったって研究もあるんですよ。

から養子がかわいそうだから集団施設とかに押し込める方がずっとずっと精神面では不幸になる可能性が高いの。

子供自分たちで作れない同性愛カップル愛情をこめて育てるということの利益想像してみたことはない?お得意の想像力でさ。

2015-12-30

日本の(大半の)IT技術者はなぜ馬鹿にされるか

まず「大半」を強調しておく、もちろん尊敬に値する素晴らしい人も「まれに」いる。

これを書いている自分について。

かつてインフラ系とフロントエンド系のエンジニア職業としていた。

いまはまったく別の職種ユーザー側として常駐しているSEリクエストを出すこともある

今の立場になり他者として技術者と対面すると、SEをしていた時は気づかなかったことが、いろいろ見えてきたこともありまとめておきたい。

最後にもうひとつだけ。下記にあげたもの職務遂行能力とは直接関係ない。技術職・事務職を問わず職務遂行能力はあって当たり前であり、なければ配転や契約打ち切りとなる。ここにあげるのはどちらかというと社会集団的あるいは企業文化的の枠組みでなぜIT技術者が軽く扱われるかについて考察している。前置き長くてすまん。

コミュニケーション能力が低い

これはよく言われるので一例のみ。質問に対し字句通り答える。質問の言外の意味を察しろとは言わぬまでも質問の上のレイヤーさえも推測しようとせず字句にそのまま答えるので相手にとり会話の流れをつくっていくことが非常に困難となる。

今ある状態説明するのみで目的や背景を理解しない

たとえばシステムアプリケーション不具合について質問すると「これはこうこうこうでこうなっています」(話のすじみちはとおっている)と答える。仕様についても「仕様ではこうなっています」と「こうだからこう」ではただ「こうなっている」と解決策を示すこと無く今の状態記述する。何か規定されたルール絶対所与のものとして、過去にそれがどのような目的のもとでつくられたかに関する想像力が及ばない。「こういうことをしたいのだけど…」と聞いたら「それはこうなっています」と答えることのある種の異常さに気づいてない。現在時点を中心に狭い範囲時間しか認識理解できないという意味では猫や犬などの動物に近い。

見方を変えればモノ(ソフトウェアシステム)をつくる職種が徹底的に「as is」ベース思考というのも何が深い原因があるのかもしれない。

自分の興味範囲外のことについて想像力が及ばない

興味範囲外のことについて広く知識収集せよとまでは言わないが、興味が無いことについてバッサリと切ってしまうので話が広げにくい。たとえば営業系の社内システム保守しているのに営業職務内容については自分関係の無い話としているなど。そうした指摘をしても我関せず、えてして自分雇用契約派遣契約、期間雇用契約)などを理由理論武装しているが個人的に考えたくないのが見え見えである

教養が圧倒的に足りない

一部前項とも重なるがここで言う教養とは業務知識やいわゆる(公務員試験などの)一般常識レベルのことではなく社会人になってからの学び、つまり文化芸術歴史に対する理解が低いの。せいぜいゲームアニメマンガ、あるいはテレビバラエティなどのサブカルチャー方面に造詣が深い程度である(もちろんこうしたサブカルチャー馬鹿にする意図はないよ)。

そう言ってしまえば文化資本が家庭環境、周りの環境が云々と言い出すひともいるが、自分はこうしたものを身につけるのはむしろ社会に出てからと思っている。よく言われる「うちの職場は休憩時間にはパチンコ風俗の話しかしない奴ばかり」と言うのは自らの選択の結果であり親や周囲の人間のせいではない。

ここであげるかどうか迷った。というのもこれは技術者にかぎらず日本社会人の多くに共通する問題かもしれないから

最後

もちろん過去自分もこれにあてはまる言動をした可能性があるのでそれについて弁明はしない。

一般に日本IT技術者他国のそれに比べて低所得と言われているがそれもむべなるかな、現在待遇不思議でもなんでもない。

なお、ここであげたIT技術者は、自身経験から企業や団体の中の情報システム部門ユーザー支援のために外部から雇用あるいは派遣されているSEなどを対象にしている。開発委託先や運用委託先のシステムベンダー担当者、などについても一部当てはまるかもしれない。

2015-10-01

メモ

シリア難民をはじめとする、戦争難民経済難民国際法規定される(=狭義の)難民に該当しない

関東大震災国内避難民22万。

被災者海外避難した場合広義の難民(災害難民)になる。

移民=旅行者など短期滞在者を除く移住者

難民=人種宗教国籍政治的意見やまたは特定社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた人

避難民=民族紛争経済的困窮、自然災害などにより自宅から遠く離れた場所生活する人。避難先が国外場合難民と呼ばれる。

2015-09-29

性別民族宗教以外の差別を取りこぼすことにならないか

http://togetter.com/li/873584

たとえば生得的または(何らかの疾患などで)後天的に与えられた障害は生の基盤すなわち「自分意志で選択する以前に与えられてしまう、人間の生における基本的要素」に数えられないのか。

↑ではある属性が「生の基盤」であるかを判定する方法として、その属性が一次的要素か二次的要素かを考えることを提唱している。

障害自己救済不能であって生全般に関わる一方、社会集団に横断して存在するので障害者同士で集団形成するような状況は起こりにくい。

障害はまるぼうろ氏のいう「一次的要素」/「二次的要素」の中間に位置する属性と考えられるだろう(ただしまるぼうろ氏は属性社会的側面を重視しているのでどちらかというと「二次的要素」よりかもしれない)。

まるぼうろ氏の論ではこの種のヘイトスピーチ規制することを必ずしも正当化できない。

障害民族(または性別)との間に差別の不当性について決定的な違いが存在しないのであれば、まるぼうろ氏の属性の分け方はどこかおかしい。

障害者に対するヘイトスピーチ性別民族に基づくヘイトスピーチと同様の論理規制されるべきではないだろうか。

あるいは、ハゲに対するヘイトスピーチ存在しないのと同様に、障害者に対するヘイトスピーチ存在しないのか。

障害者に対するヘイトスピーチ存在するがこれはヘイトスピーチ規制とは別のものによって規制すべきなのか。

2015-07-23

ミニマリストの人たちはこれを100回復唱するといいよ

察してちゃん行動によって、自分とかなり似た人以外とは友達としても付き合えなくなってるのは、社会集団としてはかなりレベル低いなとは思う

2014-09-27

「気にする」と「注意する」の峻別

自己創発という言葉がある。一種の高度なシステムだ。wikipediaには「局所的な複数相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いから予測できないようなシステム構成される。 」とある

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E7%99%BA

うむ高度である。高度で重要だってんで専門の研究機関が数多くあったりする。しかし高度といっても場当たり的創発には明白な限界がある。長期視点創発を積み重ねること、つまり進化が求められるケースも多いのだ。そういったことを扱うのが「進化システム論」という学問領域である

翻って私たち個人の日常生活ひいては人生において根本的に重要な要素を1つあげるとすればそれは集中力である

人間として生まれたからにはまずその集中力がなんであるかを明確に会得せねばならない。分かりやすい例をあげよう。ハイスコアを叩き出したいテレビゲームがここにある。

画面に「注意する」ことは必要不可欠であるが、スコアを「気にする」ことは果たして必要なんだろうか?否!必要ない。

「気にする」とは余計な思考を含意し「何かを気にして別の大切な何かを気にできてない」ことをも含意する。かように様々なタイプの集中があるので集中力一口に言っても多種多様なことが分かるだろう。

電王戦タッグマッチにおける脳波測定マシーンの滑稽さもここにある。集中力を単純に脳波で量として捉えても殆ど実態は見えてこない。「何にどう」集中しているかに達人的集中のギミックがあるのであるから

ここまで言われると集中のための第一歩が「気にする」と「注意する」の峻別であることは容易に経験からイメージできるのではないだろうか?

テレビゲームの事例でも「画面には注意すべきだがスコアは注意しないほうが良い」と両方「注意」を使って捉えるからどうしようもない矛盾が生まれしまう。

ちゃんと2つの概念区別し「画面には注意するがスコアは気にしないほうが良い」と精密に捉えて初めて成長の道が切り開かれる。

これは人間特有のウェットな話ではなく純粋ロジカルな話なので当然色んなシステム適用できて進化システムもその例外ではない。

例えば会社本来目的を忘れて腐った企業体質のまま古い事業を続けている。これが「気にする」にあたる。一般にシステムをとにかくどんな形でもいいから進化させちゃえと安直に考えるならばその実現はたやすい。

しかし高度な進化まりシステムの根幹にある枠組み自体進化させるには「気にしない」ことの高度な実践がたいてい決定的に重要になってくる。簡単に言うと全体の情報をきちっと注意し続けるということだ。

このように私たち私たち個人と私たちを含む社会集団類比することで新たな側面を発見し打開策を見いだしていくわけだ。他人のフリして我が儘治せということわざもある。

人は自分が思っているほど自分のことを理解していない。それは高度情報社会の闇でもある。気になる情報が多すぎて自己への注意がおろそかになっている。

これが原因で世の中には無用無駄な争いが爆発的に増えているわけで、そこで提案されたのがジョージ・ハリスンの窓、略してジョハリの窓である

自分探しという言葉一部の人間の感情を逆なでするそうだが、注意の復権という意味では自分探しという言語表現こそまさに適切と言えよう。

2014-09-05

なぜ人を殺してはいけないのか」という青臭い設問

これは「人間」の次の2つの側面を同時に見ようとするから難解になるんだと思う。

単純に個別に考えてはどうだろう。

「殺してはいけない」のは、社会集団を構成する人間相互保障社会では、自分が殺されないために、他人を殺してはいけない。

普段、私たち社会には"生物であり社会集団である人間"しか目にしていないから考えが及びにくいが、「生物である社会集団でない人間」というものがある。

その場合社会を構成していない人間基本的人権はない。自然権はない。社会を構成するアンドロイドには基本的人権に準ずる権利がある。

相互保障外の敵国の兵隊は殺してもよい。いや、自国国民を殺す恐れがあるなら積極的に殺すべきだ。

では、社会を構成することが期待されるが期待されていない胎児堕胎は、どう考えたらいいんだろう。

2014-08-31

お返事

http://anond.hatelabo.jp/20140827014501

最近増田以外のところで自分記事ホッテントリに入るようにもなってきたんですが、過去最高のコメント率で承認欲求が満たされた元増田です。ありがとうございます。お褒めに預かったり、感想書いてくれたり、気づいて頂いたり、アドバイスしてくれたり、そのアドバイスを諭すようなコメントあったりと、あぁ!これがはてな!って感じで嬉しいです。他の記事は主にコメントしない人たちがブクマしていったので。

というわけで、コメントに対してのお返事を。先に書いときますが、BLについては後で別記事であげますんでよろしくお願いします。でも以外に事実はつまらないものですよ、とお断りしておきますね。

さてさて、まずは誤解があるかな〜ってところを解けるようにがんばっていきます

僕のジェンダージェンダーの取り扱い方について

id:heaco65

少年アヤさんの本(焦心日記、尼のような子)を読んで、自分の性から目をそらさず格闘している姿に胸打たれたし、凝り固まった性への考えが変わった。増田さんに通ずるところもあると思うので読んでみてください。

id:suna_kago

セクマイが様々であるように、セクマイサークルも様々だろう。ところで私個人としては、貴方自身の性志向理解して幸福になれることを心から祈っている

まず、ここが最大のポイントでして、元記事に書いた通り、僕は自分ジェンダーについて、どーでもよいと思っているのです。

ここを説明するには、僕の理想の話をしないといけません。僕にとって理想社会というのはジェンダーフリー社会なので、ジェンダーについて特別になにか聞いたり問題にしたりすることがないという社会だと思っておりますジェンダーに限らずありとあらゆる人間の状態について特別扱いしないことが理想だなと思っているんですが、まぁ日本国憲法に書かれていることですね。

で、だ。そんな社会が実現したら自分ジェンダーが決まっていることに意味ないじゃないですか。お前のジェンダーを決めろっていうのは、社会の方から要求なわけでして、僕はそれに対してそういえば男性を名乗る程でもないかもぐらいの気分でいるんですが、そもそもそんなの決めなくてよいならよい方がいい社会じゃね?ということでした。なので、僕が自分ジェンダー理解することが僕の幸せにはつながらないし、他人の話(少年アヤ氏のWeb上の仕事を見ましたが、他人をけなす態度の記事も見つかりあまりいい印象はないです。もちろん本は自伝なので違うと思いますが)はどーでもいいです。

なので幸せを祈っていたく分には受け取る(?)のですが、ジェンダー/性指向理解するということに関しては丁重にお引き取り願う感じです。いや、ほんと、お二人は善意から書いていると思うのですがね。。。

セクシャルマイノリティサークルジェンダーを考える会ではない

id:saigami

セクマイサークルは飽くまでセクマイサークルであってジェンダーを考える会ではない。・ゲイの中でも「オカマ」を嫌う/見下す人は割と多い。・男らしいゲイの方がモテるのでそれを志向しがち。 辺り。

言われてみればそうでした。でも、セクシャルマイノリティであることが条件のグループで、ジェンダーを考えずに入るってこと出来ないと思うんですよね。セクシャルマイノリティについて勉強することが入会の条件だし。ま、それを踏まえてもsaigamiさんの上げた残り2つの条件が上回って、という可能性もありますな。

僕が浮いている?

id:sardine11

いやこれは性的少数派とか関係なく、どの種類のサークルでもありがちな内向的な人が間違ってイケイケ系に入っちゃった」的な失敗談のように思える。諦めずに違うサークルを探せば解決する可能性があるのでは

id:yukio198707

でも、やっぱ浮くんじゃないかな

id:nowa_s

どこに行ってもその場から浮く人って、その人が持つある属性と他の属性の組み合わせの相性が問題なんだろうか? 新しい場に属するとガラっと変貌する人いるけど、それをしないってだけなんだろうか?

id:takashi1982

大学より外の団体に入ったら良いんじゃないだろうか?

空には浮かびたいです。サークル内で付き合う人間を選ぶ程度のコミュニケーション能力はあるんで問題無いです。でも大きな飲み会とか行くと話さないといけなくなったりするよね?それが人の集まりじゃないですか。

モテ

id:daddyscar

それって単純に「モテ」の問題なんじゃ? ナヨナヨした子ってあんまりモテないし。

お察しの通りモテませんが、ナヨナヨ系(カワイイ系)でもモテる子はモテますんで。

批判

id:irbs

そもそもホモって元は接頭辞な訳だから、たとえ冗談でもホモソーシャルと混同させるような偏見煽りかねないのはやめといた方がいい。性的嗜好社会集団内の傾向は全く別問題。混ぜるのよくない

今回のお話は僕の観測するゲイ集団ホモソーシャルの傾向が見られて悲しいという話でして、それは偏見だ!と言われればそうかもしれません。今改めて読んでみたら結論先に書く主義 + 今回採用した文体が悪い方向に出ていますね……反省点です。ところで、性的指向社会集団内の傾向は、全く別問題ではないように思いますが。。。

その通り

id:poipoichang

マイノリティマジョリティ人間だもの。そうそう変わらないって事さね~

id:tikani_nemuru_M

すべてのものの90%は屑(スタージョンの法則)なので、ゲイだって90%は屑だよ

納得系

id:nekonekonekotori

そういう向きのコミュニティに関わることがあったのだが性指向に関してふわっとさせておくことが恥みたいなとこがあり「自分たちを受け入れない外の世界」に対して過度に攻撃的な人には閉口した BLの話聞きたいです

id:kutabirehateko

類が友を呼んで違うタイプはギブって去って行っているのでは。「恋のかま騒ぎ」なんか見ると「女はこうじゃなきゃ」「やっぱり男ってこうだから」という発言がばんばん出ていて、根本的になんかおかしくてもにょる

id:bukome_desu

ゲイの人が男尊女卑的な思想を持つというのは意外だったなあ。性的少数派に属する人は、ジェンダーの話には敏感だろうから、そういった思想は最も忌避するものだと思っていたが…自分偏見だったか

id:theatrical

自分と同じカテゴリに属する人には何を言っても差別にはならないと考えている人が、一定数います。同性による同性の差別や、被差別者による同じ境遇の人への差別などですね。こういったもの無自覚で質が悪いのです

id:aLa

わかる。女性側も色々で、若いFtMさんだとゲイ感覚に近い人もいる。「らしさ」を求める人達と、性差別から抜け出したい人達は、正反対からね。でも同じ思いの人達もいると思うので、色んな人達と出あうのが良いかも

id:naya2chan

ひとってなかなか差別思考体系から逃れられないというか、いや別に内心で偏見を持つのは構わないけど、それを表に出して差別的行動しちゃいかんだろうという。

ゲイ世間イメージ

id:taka18782

ホモゲイというとガテン系イメージがまず浮かびがちだけど、この人はアンガールズ山根みたいな感じなのね、きっと。早く良い居場所が見つからんことを。

id:ytn

2ch同性愛板とか割りとそういう空気を反映してるよね。

未だに古いゲイイメージをお持ちの方はゲイをある種の類型で把握しようとしますが、ヘテロ男性ほとんど変わらないですよ。それと、前回の記事BLの話を最後にいれたのは、ゲイであるからこそ楽しんでいるものとしてのBLがあり、それは既存ゲイに対するイメージのちょうどよいカウンターになるかなと思って入れました。

2ch同性愛板の雰囲気を正確には知らないんですが、きづきあきらヨイコノミライで、BLを楽しむ主人公に対し、ゲイの知り合いをお持ちの姉が、実際はこんなんじゃないし!的な批判をするんですが、これって2ch腐女子をやりこめる話の類型として少し前まで蔓延していた気がします。そこで出されるイメージゲイガテン系で、筋肉ある人がモテてみたいな。実際そんなゲイもいますし、今もサークル内でゲイの中のマジョリティであるかのように見えるんですが、そうではなくBLを楽しむゲイ、そこの少女漫画っぽさとかを楽しんでるゲイ大勢いるんですよね。

ありがたいコメント

id:penguaholic

「そのサークルだけかもよ」というブコメとそこに集まっている☆に違和感を感じたのでブクママイノリティ内にもマイノリティ差別が発生しうるという人間の業に目をそらしている方々といった感想です。

ここ!そう!ここなんです!!!これが本当に言いたかった。

正確に書くなら、マイノリティが、マイノリティとして集まっているはずのところで、自分マイノリティたらしめる既存社会価値観によって他のマイノリティ差別してはいかんだろう!っていうちょっとミクロな話なんですが、「マイノリティ内にもマイノリティ差別が発生しうる」ぐらいにマクロにした方がいい感じですね。ありがとうございます

LGBTセクシャルマイノリティ

id:watto

増田が入ったセクシャルマイノリティサークルたまたまそういうサークルだったというだけで、セクシャルマイノリティが様々であるようにセクシャルマイノリティサークルも様々だという可能性はないのかな?

それはそのはず。下手な行動打てないなと思って、人間関係をしばらく調べてたんですが、ウェェってなるめんどくささがありました。とはいえ、社交スキルが低いので、ここに入るのに結構よっこらせ感あり、次に行ける気力がいつ出てくるのかw

id:mythm

LGBTの多いそのセクシャルマイノリティサークルですらあまり想定されていないAが通ります。まあ、誰かと番いたいわけではないのでサークルに入りたいわけでもないけれど。

id:Kial

LGBT内部でもTはマイノリティであるが故に差別されやすいとかいう話は聞くねえ。そしてAはLGBTに含まれることすらなく。

Aのひともいますが、Twitterとか見ていると、このセクシャルマイノリティサークルでもやっぱり恋愛話ばかりされてイラッとしている感じもありますねー。

id:spectre_55

ああ、そういう話はセクマイ界隈でもたまに聞くなあ。「ゲイ中心」じゃないとこ、"LBT"もそこそこ居るようなとこだとまた違うかもよ?

LBTもそこそこいるんですけどね。ゲイ中心って言っても7割は行ってないはず……。

性的指向ジェンダー

id:sdtrd

ジェンダーの話と同性愛異性愛の話は同時にされることが多いけど、実は全然違うレイヤーなのではないかと思うことがある。

ま、そうなんですよね。

ロイさん

id:white_cake

過剰適応ってなにかちょっと悲しいですね。

ロイさんのファンなのでコメントうれしいです。マイノリティ名誉マジョリティ的行動の被害をマイノリティとして受けることほど悲しいことはなかったです。

ビアン

id:questiontime

ゲイ必要以上に男性性が高いってなんとなくわかるけど、ビアン女性性が高いと思えないのは偏見かなぁ?

ビアン男性性高くても、そんなに社会的に変に思われたりしないからとかですかね?あと過度の女性性と過度の男性性って書くと質が違う感じもありますね。過度の男性性はたぶんみなさん想像出来ていると思うのですが、過度の女性性って言うとはてな?になりませんか?

時代の話

id:muchonov

むかしミックスのサークルやってたときには性的規範に過剰適応したタイプゲイ男性は少なかったですが、これも時代か。/個人的には、前世代のFtMおっさんの過剰なまでの俺俺アピールが一番つらかとよ。

サークルを見渡すかぎり、本当に普通ちょっと勇気のある子が入ってるという印象です。なので、既存性的規範の中で生きていた感じの子も沢山見受けられるな〜と。

お褒めの言葉

id:hase0831

読みやすくて面白かったしもっと読みたい!

id:rzi

面白かったです!ぜひBLの話も書いて欲しい。首都圏のいいところは マイノリティでも一定の規模になれるとこですよね。MtXのみのサークルもあるんじゃないの?潜入して話を聞かせて欲しい(ぉ

どうもです!MtXのサークルってあるんですかね〜。でもその発想なかったのでちょいと調べてみますね。なにかあったらまたご報告します。

まとめ

最後に落ち込まないようにお褒めの言葉に対する返信をしましたw ありがたい!!散漫に似たようなコメントに対してまとめてお返事してみましたが、足りなかったらまたコメントして下さい。お返事します。返信していないコメントも沢山あるんですが、しろ!って方は言ってくれればします。

ではでは、次は「BLを読むゲイ」でお会いしましょう。

2014-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20140806070432

それと、

http://anond.hatelabo.jp/20140806072102

無茶苦茶、遅いレスになったんで見ているかどうかは知らんが。

ワイ生物学やってるけど

ヒトはメスが選ぶタイプやで

その人は一体何言ってるんだろうね

なにてきとーぬかしてんねん、このすっとこどっこい。

ヒトが性淘汰がオスにかかっているか、メスにかかっているか、喧々諤々あったけど、今はメスにかかっている派の方が常識

理由は簡単。

オスにかかっている派の論拠がことごとく粉砕されているのに対して、メスの身体に性淘汰の結果が厳然として存在しているから。

まー、元の記事の、

動物でもオス同士が争ってメスを奪い合うことは多いし、

それはメスがオスを強さで選んでいる、ということなんだが。

繁殖行動が全然違う動物比較している時点で、これはあほかてめえは、で済む話なんだが、これに対して、次のマスダが、

一般的に”子に与えるリソースが大きい方が相手を選ぶ”ことになってる

がこう言っているのは、生物学中学からやり直したまえよと言う話。性淘汰は繁殖速度の差によって生じる。それは「子に与えるリソース」に近いけれど一緒じゃない。

例えばよ、メスが子に10円与えるとして、オスが子に100円与えるとしよう。この場合、オスのほうが「子に与えるリソース」は大きいわな。

しかしオスが100円稼ぐのに一年かかって、メスが10円かかるのに二年かかるとしよう。そうするとメスの繁殖速度は二年、オスは一年だわな。この場合、オスのほうが繁殖速度が速いんで、繁殖速度の遅い方、つまりメスがオスを選ぶことになる。

ヒトは一方一婦制なので基本的にはオスメスの繁殖速度は同じ。家父長制の疑似社会性を獲得して繁殖行動を行ってきたので、メスはそもそも選択の主体ではない。オスとメスの父親の間の「選ぶ/選ばれる」が生じている。

ちょっと視点を変えて、「メスがオスを選んできたよ派」の生物学的な根拠を見てみよう。

その最大のものミトコンドリアDNAY染色体多様性の差ね。ミトコンドリアDNA比較多様性を維持しているのに対して、Y染色体はるか多様性が小さい。これは少数の男性が集中して子孫を残してきた、それに比較して女性はどんな女性でも子孫を残してきたという、「メスがオスを選んできた」という文脈にかなうんだけど、いやそうじゃないでしょという反論がありこれは実例があるだけに強い。

アメリカ黒人とか、中南米太平洋原住民、彼らは現在ミトコンドリアDNAは現地人由来なんだけど、Y染色体ヨーロッパ由来なわけ。つまり大航海時代以降、人類Y染色体多様性はまた一段と小さくなっている。これは帝国主義レイプ殺戮の結果であって、それって通常の繁殖行動における、性淘汰の結果ではないわけ。

敢えて言うならば、延長された男性形としての家父長的社会集団間の抗争と淘汰の結果であって、これは同性間淘汰の現象なんですわ。

そこではメスは選択の主体者でさえない。

一方で、こうした同性間淘汰の激しい社会にあっては当然、オスの損傷が激しく、子育てにおいて、男女の繁殖速度が同じであるならば、数の多い少ないがそのまま選択に反映される。実際、ヒトの男性には髭などの同性間淘汰の特徴はあっても性淘汰の結果の特徴はない。対して女性には乳房や臀部の肥大化と言った性淘汰圧力がかかっている。

文化史的にも持参金の制度はあっても、結納金制度はない社会の方が圧倒的に多く、文化人類学からも「オスがメスを選んできた」ことが結論付けられている。

ま、いいよ。

これに対する反論はあってもいいよ。

でもさ、俺が気になるのはさ、知りもしないくせに、

動物でもオス同士が争ってメスを奪い合うことは多いし、

それはメスがオスを強さで選んでいる、ということなんだが。

とか

ワイ生物学やってるけど

ヒトはメスが選ぶタイプやで

言っちゃう精神構造ね。なんでそうまでして、必死に、

「メスが選んでるんですからぁー!」

って言いたがるっていうか、優位に立ったつもりになりたいんだろう。

なんかもう病的だよね、こういう連中って。

2014-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20140303202905

自分同意

いくら大卒内定率が低い年でも、自分達が会社でどんなに荷物になっていようとも、無理矢理、定年退職を伸ばす制度に書き換えるとか、

自分達が戦争に行かない世代になってから9条改憲するとか、自分のことだけしか考えていない。

JAL倒産するかもしれないのに、自分年金欲しさに年金支給額減額を最後まで反対していたのもこの世代

会社の将来や日本未来を考えていない。その癖、権力ふりかざして自己中やり放題。

自己中心的な上に、何も生産しないくせに批判する事がカッコイイと思っている勘違い世代

こういう社会集団不適合者は人間として認めなければいいのに。

 
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