はてなキーワード: 田中二郎とは
ザッシュ2号(@zassyu2_ero)が漫画家協会を相手取り民事調停を行うという。
彼の主張はnoteにまとめられている。 → https://note.mu/tutakazura/n/n7d7d48a377d3 https://note.mu/tutakazura/n/n162e8bb5c9eb?creator_urlname=tutakazura
言いたいことは山程あるが、今回は表現の自由について少し検討したい。
エロは無修正で書くのが当然、憲法にも記されている。憲法違反の法律、判例、判決は無視するべきだと憲法に記されていることを主張。」
果たして本当だろうか。
「エロは無修正で書くのが当然、憲法にも記されている」おい、されてないだろ。
好意的解釈の原則からいくと、表現の自由があるから、エロ表現も保障され、修正を強制されることはない。だから無修正で書けるのが当然だ、ということだろうか。
ありとあらゆるすべての表現が許されるのだろうか?
もちろんそんなことはない。
ある芸術家が殺人こそ至高の芸術であり、表現である。そう主張し、殺人をおかした場合、その殺人は表現の自由として許されるかと問われたら当然否である。
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
表現の自由といえども無制限に保障されているものではなく、公共の福祉よる合理的でやむを得ない程度の制限をうけることがあ(る)
端的に表現の自由は絶対無制限なものではなく制限を受けるものだと喝破する。さらに引用を続けると、
その制限が容認されるかどうかは、制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべきである。
まとめると、表現の自由から、当然にエロ漫画の表現が許される、という解釈にはならないのである。
では性表現は制限されるのだろうか。すなわち、刑法175条に規定する「わいせつ物」に当たる場合刑法犯となってしまうが、そうならないように表現の自由の保障が発揮されるのか、それとも制限されるのか。
最高裁はS32.3.13(チャタレー事件)にて以下のような判示をしている。
わいせつ性をもつ場合には、性生活に関する秩序及び健全な風俗を維持するため、これを処罰の対象とすることが国民生活全体の利益に合致するものと認められる
としている。すなわち、わいせつ表現は表現の自由による保障が制限される類型であるとしているのである。
これに対しザッシュ2号は
という。
この主張は(ある意味で)ただしい
(ある意味というのは、わいせつかどうか(制限されるかどうか)の判断は「わいせつ性の判断は、一般社会において行われている良識すなわち社会通念を基準とし、当該作品自体からして純客観的に行うべきもの」(チャタレー事件)とあるため、社会通念は重要である。また「作品等の芸術性・思想性等との関連において評価するなど、わいせつ概念の相対性を承認して総合的に判断しなければならない」という悪徳の栄え事件での田中二郎裁判官の反対意見があるほか、「性表現による害悪の程度と作品の社会的価値との利益衡量が不可欠である」最判S58.3.8での伊藤正巳裁判官の補足意見などがあるため、世論は一定程度必要であるが、一部の人間がモザイク反対! を叫んでも社会通念とは言えないだろう)。
しかし、裁判所がわかっていないという「表現の自由の重要性」とは一体なんなのか。
これを本来は腰を据えて考えなければならない。そしてその自由の重要性との関連で初めて、「エロ漫画」の表現への自由(制限されないこと)が語れるはずである。
ザッシュ2号は弁護士会の声明 https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2009/2009_2.html を引用し、表現の自由の重要性を主張している。
それを参照しながら、なぜ表現の自由が重要であるか一度見直したい。
憲法21条1項が保障する表現の自由は、民主主義社会の死命を制する重要な人権である。自由で民主的な社会は自由な討論と民主的な合意形成によって成立するのであり、自由な意見表明が真に保障されていることが必要である。
これを受けてザッシュ2号は
と言う。コレ自体は誤りではない。しかしなぜ重要だと言っているについて注意深く読むべきである。
この声明では「表現の自由は」「民主主義社会の死命を制する重要な人権である」と言う。すなわち表現の自由の重要性の一つとして「民主主義社会の死命を制する」という点をまず強調するのである。
なぜ制するのか。これが次の文である。
前提として「自由で民主的な社会」(=民主主義社会)は「自由な討論と民主的な合意形成によって成立する」という。そしてそのためには「自由な意見表明が真に保障されていることが必要である。」
つまり、表現の自由が重要であるのは、「民主主義社会」という重要な存在があり、その成立のためには「自由な意見表明が真に保障されていること」が必要だからだ、というのだ。((本当に民主主義社会が重要であるのか、という点についての検討はここでは省略する。しかしこれを考えなければ、民主主義社会の成立のために表現の自由が重要だという論理が成り立たなくなるため、本当は超重要である))
表現の自由は大事だ! と単に言うのではなく、「民主主義社会」の成立のために必要だから重要だ、と言っているのである。
ザッシュ2号がさらに続けて引いた声明文を見ればわかりやすい。
民主主義社会における市民の表現行為の重要性に鑑み、市民の表現の自由及び知る権利を最大限保障するため、
(1) 国、地方公共団体、特に警察及び検察は、市民の表現行為、とりわけ、市民の政治的表現行為に対する干渉・妨害を行わないこと。
「とりわけ、市民の政治的表現行為に対する干渉・妨害を行わないこと。」
という一説からも分かる通り、この民主主義社会の成立のための表現の自由というのは、もっぱら政治的表現の自由のために用いられる論理なのである。
勘の良い方はすぐに気づくだろうが、性描写(わいせつ)表現を「表現の自由」から保護するべき、という論理を展開するときには、民主主義社会のために必要だという論理はあまりうまく嵌らないのである。
もちろん、性描写(わいせつ)表現と政治表現が一体化することはあるし、風刺的な表現にはわいせつと政治が混在することは多々ある。(トランプや安倍、金正恩らの風刺エロ漫画があった)
また表現の選別を行うことは、結局政治的表現の保護につながらないんだ、と主張することで、「民主主義社会のための表現の自由」論からも性描写(わいせつ)表現を要保護だと言うことはできる。
しかし、それでは弱い。
これである。
表現の自由は「人間の本質的な属性である精神活動を充足するもの」であるから重要だ。これは性表現との親和性が非常に高い。
エロ漫画の表現を擁護するならば、どちらの論理の方が優れているか。明白だろう。
性的活動は人間の根幹に存在し、有史以来、それを表現したものーー性的表現は幾度とない弾圧・規制の中でも確かに存在してきた。その表現は人の精神的活動の大きな一翼を担っているのである。
そして表現活動において、自己の表現に対し一部モザイクを付さねばならないことは、十全な精神活動を阻害することになる。
このような主張になるだろうか。
そして、こうして表現の自由がなぜ重要をざっと見た(あまりに表面的というのはそのとおりである)だけで気づくことはいくつもある。
少なくとも、表現の自由から直ちに「無修正が当然」となるわけではない、ということ。
表現の自由から「無修正であるべき」という主張を通すのならば、それなりの論理が必要だということ。
そして、重要な権利でありそれの保護が必要だということだけではまだ足りないのである。さらに、より具体的になぜ現在の制限が駄目なのかを主張しなければならない。
第1章 並行プログラミングとGHC (上田和紀) 1.1 はじめに 1.2 ターゲットを明確にしよう 1.3 はじめが大切 1.4 GHCが与える並行計算の枠組み 1.4.1 GHCにおける計算とは,外界との情報のやりとり(通信)である 1.4.2 計算を行う主体は,互いに,および外界と通信し合うプロセスの集まりである 1.4.3 プロセスは,停止するとは限らない 1.4.4 プロセスは,開いた系(open system)をモデル化する 1.4.5 情報とは変数と値との結付き(結合)のことである 1.4.6 プロセスは,結合の観測と生成を行う 1.4.7 プロセスは,書換え規則を用いて定義する 1.4.8 通信は,プロセス間の共有変数を用いて行う 1.4.9 外貨も,プロセスとしてモデル化される 1.4.10 通信は,非同期的である 1.4.11 プロセスのふるまいは,非決定的でありうる 1.5 もう少し具体的なパラダイム 1.5.1 ストリームと双方向通信 1.5.2 履歴のあるオブジェクトの表現 1.5.3 データ駆動計算と要求駆動計算 1.5.4 モジュラリティと差分プログラミング 1.5.5 プロセスによるデータ表現 1.6 歴史的背景と文献案内 1.7 並行プログラミングと効率 1.8 まとめ 第2章 様相論理とテンポラル・プログラミング (桜川貴司) 2.1 はじめに 2.2 様相論理 2.3 時制論理 2.4 多世界モデル 2.5 到達可能性と局所性 2.6 純論理プログラミングへ向けて 2.7 Temporal Prolog 2.8 RACCO 2.9 実現 2.10 まとめと参考文献案内 第3章 レコード・プログラミング (横田一正) 3.1 はじめに 3.2 レコードと述語の表現 3.3 レコード構造とφ-項 3.3.1 φ-項の定義 3.3.2 型の半順序と束 3.3.3 KBLとLOGIN 3.4 応用――データベースの視点から 3.4.1 演繹データベース 3.4.2 レコード・プログラミングとデータベース 3.4.3 いくつかの例 3.5 まとめ 3.6 文献案内 第4章 抽象データ型とOBJ2 (二木厚吉・中川 中) 4.1 はじめに 4.2 抽象データ型と代数型言語 4.2.1 抽象データ型 4.2.2 代数型言語 4.2.3 始代数 4.2.4 項代数 4.2.5 項書換えシステム 4.3 OBJ2 4.3.1 OBJ2の基本構造 4.3.2 モジュールの参照方法 4.3.3 混置関数記号 4.3.4 モジュールのパラメータ化 4.3.5 パラメータ化機構による高階関数の記述 4.3.6 順序ソート 4.3.7 属性つきパターンマッチング 4.3.8 評価戦略の指定 4.3.9 モジュール表現 4.4 おわりに 第5章 プログラム代数とFP (富樫 敦) 5.1 はじめに 5.2 プログラミング・システム FP 5.2.1 オブジェクト 5.2.2 基本関数 5.2.3 プログラム構成子 5.2.4 関数定義 5.2.5 FPのプログラミング・スタイル 5.3 プログラム代数 5.3.1 プログラム代数則 5.3.2 代数則の証明 5.3.3 代数則とプログラム 5.4 ラムダ計算の拡張 5.4.1 ラムダ式の拡張 5.4.2 拡張されたラムダ計算の簡約規則 5.4.3 そのほかのリスト操作用演算子 5.4.4 相互再帰的定義式 5.4.5 ストリーム(無限リスト)処理 5.5 FPプログラムの翻訳 5.5.1 オブジェクトの翻訳 5.5.2 基本関数の翻訳 5.5.3 プログラム構成子の翻訳 5.5.4 簡約規則を用いた代数則の検証 5.6 おわりに 第6章 カテゴリカル・プログラミング (横内寛文) 6.1 はじめに 6.2 値からモルフィズムへ 6.3 カテゴリカル・コンビネータ 6.3.1 ラムダ計算の意味論 6.3.2 モルフィズムによる意味論 6.3.3 カテゴリカル・コンビネータ理論CCL 6.4 関数型プログラミングへの応用 6.4.1 関数型プログラミング言語ML/O 6.4.2 CCLの拡張 6.4.3 CCLに基づいた処理系 6.4.4 公理系に基づいた最適化 6.5 まとめ 第7章 最大公約数――普遍代数,多項式イデアル,自動証明におけるユークリッドの互除法 (外山芳人) 7.1 はじめに 7.2 完備化アルゴリズム 7.2.1 グラス置換えパズル 7.2.2 リダクションシステム 7.2.3 完備なシステム 7.2.4 完備化 7.2.5 パズルの答 7.3 普遍代数における完備化アルゴリズム 7.3.1 群論の語の問題 7.3.2 群の公理の完備化 7.3.3 Knuth-Bendix完備化アルゴリズム 7.4 多項式イデアル理論における完備化アルゴリズム 7.4.1 ユークリッドの互除法 7.4.2 多項式イデアル 7.4.3 Buchbergerアルゴリズム 7.5 一階述語論理における完備化アルゴリズム 7.5.1 レゾリューション法 7.5.2 Hsiangのアイデア 7.6 おわりに 第8章 構成的プログラミング (林 晋) 8.1 構成的プログラミング? 8.2 型付きラムダ計算 8.3 論理としての型付きラムダ計算 8.4 構成的プログラミングとは 8.5 構成的プログラミングにおける再帰呼び出し 8.6 おわりに:構成的プログラミングに未来はあるか? 第9章 メタプログラミングとリフレクション (田中二郎) 9.1 はじめに 9.2 計算システム 9.2.1 因果結合システム 9.2.2 メタシステム 9.2.3 リフレクティブシステム 9.3 3-Lisp 9.4 リフレクティブタワー 9.5 GHCにおけるリフレクション 9.5.1 並列論理型言語GHC 9.5.2 GHCの言語仕様 9.5.3 GHCのメタインタプリタ 9.5.4 リフレクティブ述語のインプリメント 9.6 まとめ