はてなキーワード: 反党行為とは
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つまり、自公連立が過半数を割れば、石破首相は退陣し、総辞職せざるを得ない状況となる。その後の展開は予測の域を出ないが、高市早苗氏が次期自民党総裁の有力候補として浮上する可能性が高いことは否定できない事実だろう。
もちろん、高市早苗氏が「比例は自民党以外に投票せよ」とか「小選挙区では石破首相に近い議員を落とせ」と直接命じることは反党行為にあたるが、自民党員や支持者が今回の選挙に限って、自民以外の候補に投票することは個人の自由であり、高市首相誕生を望む立場からすれば、それを応援するのも当然の行動と見なせる。
松竹氏なり、共産党に批判的な人は「非民主主義的」だというような形で共産党を批判するがこれは当たり前のことだ。
民主主義、というか公正な選挙のために言論の自由が重要なのはこれは当然のこととして理解できると思う。では言論の自由、表現の自由、内心の自由とはなんだろうか?「家の中で叫ぶ自由」「誰も見ていないところで絵を描く自由」でないことはこれもまた当然だ。すなわち、出版したり、インターネットで公開したりする自由が必要となる。
では、出版の自由のためにはなにが必要だろうか?編集を自由に行える必要がある。印刷を自由に行なえる必要がある。作った本を自由に流通させる必要がある。物流倉庫を自由に運営する必要がある。小売店を自由に経営する必要がある。DTPに使うコンピューターを自由に開発できなければならない。ソフトウェアを自由に開発し販売したり頒布したりできなければならない。つまり、結局のところ「言論の自由」というのは「あらゆる商業活動を行なう自由」であり「私有財産の肯定」であり資本主義だ、ということになる。
つまり、「民主主義」と「資本主義」は全く同じものだ、ということになる。共産党が「表現の自由」を極度に嫌うのも当然で、それは反共産主義的な発想だからだ。
つまり、党首公選、すなわち民主主義の導入を共産党に導入せよと要求する、というのは共産党は共産主義を捨てろと要求していることと同義となる。これは反党行為そのものだと言える。
プロレタリア独裁とは結局突き詰めて考えれば個人独裁にならざるを得ない。「資本家」を排除するというのは、結局民主主義と言論の自由の排除なのだから。そこでは意思決定の全てが不透明で、個人のあやまりが増幅されやすく、相互不信の嵐が吹き荒れることになるが、それでも現代の哲人政治と平等な社会を目指すのが共産主義者の仕事ではないだろうか。それが可能かどうかっていうと、僕は不可能だとは思うけど、
松竹氏は、結局共産主義とはなにか、ということをすっかり忘れているのだと思う。朝日新聞などは「激しい路線対立があったころならまだしも」などというようなことを言っていたが、結局、これこそが今の共産党の最大の問題なのだと僕は思う。多くの党員がもはや共産主義者ではなくなっている。最大限強権的な運営をしなければ、もはや党は維持できないのだろう。
これは斬奸状である。いや何もお命頂戴という話ではない。枝野君は総選挙敗北の責を取り、直ちに立憲民主党代表を辞せ。
これは明らかに立憲民主党の敗北である。確かに事前の情勢報道(投開票日終了まで続いていた)では党勢は伸長されるはずであった。前回議席の維持ならば少なくとも敗北に非ずと強弁できるだろう。しかし、現有議席すら守れていないのは明確な敗北だ。就中、今次総選挙は前回大敗し、挽回は容易であるはずであった。議席を失陥し、一敗地に塗れた同志に恥じるところはないか。
これに対し、たもとを分かった国民新党は増、非左派野党である維新は大躍進を遂げた。単に得べかりし議席を、彼らに献上しただけではないか。これは間接的な反党行為とすら評価可能な事態だ。
それとも自民党が減ったから勝利だとでもいうのか。ならば55年体制下社会党と何ら変わらぬ、政権を目指さない安定野党に堕することになるが、それでいいのか。
あまつさえ貴君は、選挙前にこう言った。これは政権選択の選挙なのだと、自民政権か非自民政権かを決める選挙であると。
これは現状からすれば、そして選挙前の情勢からしても明らかに大言壮語の類であった。政治家が信頼を得るには、偏に誠実な言動を行うことである。身の程を超えた大風呂敷を広げ続ければ、やがて国民は貴君らの言動をそれなりに値引きしてみるようになるだろう。
他方、狡猾にも貴君は勝敗ラインの設定は行ってこなかった。ならば、政権として選択されず、政権首班として認められなかった貴君は直ちに他に席を譲り捲土重来を期すことこそ憲政の常道といえる。
貴君が代表の座に固執すれば、己の言動にすら責任を取らぬ政治家となる、それでいいのか。
選挙の前後、立憲民主党所属議員から、多数の失言があった。これらは全てシンパタイザーによって糊塗されたが、明白な誤りである。ただ詫びて済むものではない。特に政策的発言において、党方針と全く異なる方言と言ってもいいような発言があったことは、党員の管理が不十分である明確な証拠である。
また、政策議論における発言を弾劾し、デュープロセスを全く外れたまま処分し追放したことは、立憲主義の看板を著しく損ない泥を塗ったものであると断じざるを得ない。
更には、候補者調整においても明らかに指導力に欠く、もしくは一部の独走を許すような事態も招いている。
明らかに貴君には、党全体を管理し統率する能力か意志に欠けるところ大である。そのような人物を代表に据え続け、今後戦えるのか。答えは否、再びの敗北を招くだけである。貴君は貴君がお山の大将でありさえすれば、それでいいのか。
総選挙の結果を見れば、自民党に嫌気を指した層が進んだのは左傾化した立憲民主党ではなく、非左派と目された維新であった。
票田は明らかに中央にあり、左傾化したところでとれるのは現有程度であること明白である。さらに政権側は、敵失に敵失を重ねていた。正に棚から牡丹餅が落ちんとしていたのに、それを拾ったものは誰か。現状の選挙で数多くの批判の声をみすみす逃したのは、共産党との共闘によって中道にウイングを伸ばせなかった一点によるものである。
共闘路線は明白な失敗であった。たしかにいくつかの議席は共闘で得られたであろう。首がつながった議員もいるはずだ。自民の大物も仕留めた。しかしそれは単に局地戦における健闘であって、戦略の誤りは明らかである。
このまま進めば、選挙における依存度を増し、文字通り立憲共産党となり果てるが、それでいいのか。
以上、いずれも許されざる大罪である。故に枝野君、君は速やかに立憲民主党代表を辞せ。
政党は貴君の個人商店ではない。民主的存在なのだ。最早貴君の歴史的使命は終了した。党は貴君が立派に育てた。後進に道を譲り、立憲民主党代表選を行い今後の方針を定めるべきという審判が下されたのだ。それにより人材ここにありと、民主主義ここにありと堂々と示す秋が到来したのだ。
立憲民主党は代表を変えることが出来る、共産党の如き独裁ではないことを、己の犠牲を以て示せ。そこから党再生の一歩が始まると確信する。
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