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2019-10-11

Chim↑Pom気合100連発」の件

正直あいちトリエンナーレ関係ニュース補助金関連の辺りから食傷気味であえて距離を取っていた。

Chim↑Pom炎上してるってのをネットで見ても、「まぁ元々ある程度炎上商法的な立ち位置だしな…」と思ってしまったのも事実だし、「被曝最高!」「放射能最高!」の文字列が並ぶニュース記事を見て、「あぁこれだけ見れば物言いたくなる人がいて当然だな」とまず思った。

昨晩のTBSラジオ「session22」のOPリーダーの卯城さんが出演し、作品意図と、「気合100連発」の音声がO.A.されていた。

https://twitter.com/session_22/status/1182282259946041345?s=21

帰りの車中でこれを聞いてて初めて詳細を知ったんだけど、自分は正直なところ、分別のつく人ならこれを福島ヘイトと捉えるわけがないと思った。

悪意のある誤読や切り取りか、ニュース見出しだけ見て判断してしまったのでない限り、作品を鑑賞した上でそのような感想を持つことは考えにくい。

…と思っていたんだが、卯城さんが表現の自由について至極真っ当な「正論」を話しているのを聞いていると、この数年来感じていた違和感が思い起こされてしまった。

あえて手垢のついた言葉を使うが、その正論はどこまでいっても「リベラル」な正論なのだ

ジョナサンハイト社会はなぜ左と右にわかれるのか』とダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』の議論を下敷きにすれば、保守システム1に、リベラルシステム2に主に訴えかける主張だ。

リベラル言論空間は、徹頭徹尾システム2で考え抜いた言葉要求される。

要するに、面倒臭いのだ。

フェイクニュース流行トランプ以降の世界は、「ネット空間で誰もが発言できバズを狙えるようになったことで、個人承認欲求がこの『面倒臭さ』を圧倒してしまった」ということで、かなりの部分説明できると個人的には思っている。

ただ、アートを含めた文化全般価値を信じ抜きたい人間としては、その面倒臭さ(=作品文脈や、各カルチャー歴史を調べた上で作品に接する態度)を軽視する風潮にはどこまでも抵抗していきたいと強く思う。

文脈を一切排除した現代アートは語義矛盾だ。20世紀以降の芸術はそれまでのスタンダード破壊することに拘泥しすぎたきらいはあるが、作品意図を読み解くためには、19世紀までの西洋美術功罪を知ることが必須だ。

これはクラシック音楽スタンダードからの脱却を図った現代音楽聴く際にも求められる態度だ(クラシック素養なしにサティストラヴィンスキーシュトックハウゼンを十分楽しめる人はまずいないだろう。)。

またそれは、パンクの登場が世間に与えた衝撃を知るためにはロック誕生からプログレ商業ロックに至るロック史を知る必要があり、エルヴィスが世間に与えた影響を知るためには19世紀末以降のアメリカポピュラー音楽史を知る必要があるのと同じことだ。

それはとても面倒臭くて時間がかかる作業だ。しかしその作業なしに、過去を顧みることなしに、創造は有り得ない。

ポピュラー文化人口膾炙してこそ文字通りポピュラーになるわけで、文脈を知らない人を巻き込んでいく必要性のためにこの桎梏を抱えざるを得ないわけだが、情報が溢れる現代においてはその困難さの質が極めて短期間で変容してしまうように思う。

ただ、文化社会の発展に寄与した功績を理解できる人ならば、こうした時間のかかる作業マネタイズできない時代においてこそ、その価値保全される必要性をひしひしと感じているのではないだろうか。

2018-10-20

anond:20181020174432

青春を投げうって友人関係も切り捨てるほどガリ勉した結果が関西のどっかの私大と同程度の公立大学ねえ、かわいそうに。

親も増田に才能がないことくらい自分の息子なんだから理解していたべきだし、さっさと見切りをつけて増田の好きなように生きさせてあげればよかったのにね。

サーバールーム脱糞としあき場合休職してから桎梏が外れて両親と和解できてたけど、増田場合は両親がいまだに増田プレッシャーかけるあたり望みは薄そう。

 
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